2001年3月31日更新(2001年4月9日ページ移動。2002年9月22日、11月17日、2003年12月21日および2004年5月3日写真削除)
今日で2000年度も終わりですね。一つの区切りを感じます。
センセイはまた移動中です。といっても新潟県内なのですが。
目的地について持ち物を整理していたら、歯ブラシのブラシの部分のみが外側に変形していることに気づきました(写真)。写真の白いケースに入れ、3カ月ほど保管していただけなのですが......。
この間、歯ブラシの身にいったい何があったのでしょう????一緒に同じ方法で保管していた他の歯ブラシもまったく同様に変形していますから、偶然ではないでしょう。冬季間でしたので温度による変形は考えにくく、保管時の、気化した薬品の影響もありそうになく......????
本当になぜなんでしょう?
今日の新潟はとても寒くなり、時折、雪やみぞれが舞いました。皆さんの場所ではどうでしたか。
今回上京した際、成りゆきで港区愛宕(愛宕山)のホテルに2泊しました。愛宕神社があるところです。
愛宕神社に並んで、NHKの放送博物館(上の写真)があります。ご存じの方も多いと思いますが、ここは昔、初代のNHK放送局があった場所なのです。(なお、建物全体が博物館なのではなく、かなりの部分がNHK放送文化研究所で、博物館の占める割合は1/3程度です。)
子供のころからずっと行きたいと思いつつそのチャンスがなかったので今回初めて実現したわけです。内部にはラジオ放送から第二次世界大戦、白黒テレビ、カラーテレビと、その時代を象徴する資料が展示されていました。
中にはソニー製の国産初の磁気テープレコーダ(下の写真)の実物もありました。昔のソニーのカタログに必ず出ていたテレコです。展示物の解説の中で当時のメーカー名「東通工」を避けているあたりに、いかにもNHKだなぁーと思いました。
歴史的にもそして科学技術史の面でも貴重な資料がたくさん展示されているのですが、意外にも、最近の博物館で増えているような、見学者が能動的に参加できるコーナーは少な目に感じられました。さて、センセイはなぜ放送博物館へ行きたかったのでしょう?
もちろんすべてを解き明かすことはできないのですが、「インプリンティング」("imprinting":刷り込み)という言葉が鍵になるかもしれません。
生まれたばかりの鳥の雛は、最初に見たもの−−それが本当の親であろうとなかろうと−−を自分の親あるいは保護者であると認識します。これを生物学や心理学で「インプリンティング」と言います。
センセイが子供のころ、新潟県内にはNHK(総合および教育)と民放1局(TBS系のBSN)しかテレビ局が存在していませんでした。センセイの実家ではNHKしか見ませんでしたから、博物館の紹介コーナー等でいつの間にか意識下で覚えてしまい、何かのきっかけで顕在化したのだと思います。理性的・合理的でありたいと願いつつこのページを書いているのですが、センセイは題材を、いわば無意識のうちに選択しているのかもしれない(!!)というわけです。
人間って、とぉーっても不思議な、そして多面的な存在なんでしょうね。
3月29日(木) 電気の街(?)、秋葉原 −−東京から戻りました−− (3月30日加筆)新潟に戻ってきました。今朝、国分寺駅前のホテルのカーテンを開けると雨。新幹線で新清水トンネルを抜けると何と雪!! びっくりしました。
4日間都内に滞在しましたが、その合間を見つけて何度か秋葉原へ足を運びました。
秋葉原と言えば「電気の街」。JR秋葉原駅のホームにも「電気街」の表示があります。センセイは高校生の頃から秋葉原へ通って部品を集め、市販されていないいくつもの機器を自分自身で設計・製作しました。学生だったのでお金がなく、各駅停車で往復したこともあります。けれども近年、秋葉原がどんどん変わっているのです。
まず約15年くらい前から電子部品(パーツ)を売っているお店−−「お店」といっても多くは1畳くらいのコーナーが長屋のように並んでいるのですが−−が減るようになりました。
同じ頃、もう一つの出来事が起きていました。それまでの秋葉原は電子部品の販売と同時に、家電製品が秋葉原ならではの低価格で入手できることで知られていました。しかし車社会へ移行し、それに対応して郊外に大きな家電販売店が出店するようになり、秋葉原の集客力は徐々に低下するようになっていました。で、最近はもう「電気の街」とは言えない状況になってきているのです。
その典型がフィギュア専門店の激増です。
経済構造の変化で古い電子部品店や家電販売店は採算が取れなくなり、その後に写真のようなフィギュア専門店が続々と入るようになりました。
フィギュアの愛好者は他のお客さんとちょっと違った雰囲気を持っています。秋葉原はオタクが集まる街だといわれればそれまでなのですが。今回が何カ月ぶりに秋葉原を訪れたのですが、有名な電子部品のお店がいくつもなくなっていました。
時代の移り変わりといえばそれまでですが、「何かを創ろう」とすると必要な部品が入手できない事態も起こりそうです。実際、今回父が愛用するラジオの部品を探したのですが、ついに見つかりませんでした。ちょっと特殊ではあるものの、ついこの前までは入手できたのですが。仕方がないので、石丸電気の本店で新しいラジオを購入しました。\5,000ちょっとで手に入りました。新潟に戻ってからすぐに診察してもらったのですが、やはりお腹の風邪でした。山のように薬をもらいました。今日はこれくらいで休むことにします。それでは、また明日。
3月28日(水) センセイの母校ICUを訪問しました −−現在、都内からお送りしています−−いかがお過ごしでしょうか。センセイのお腹の風邪は相変わらずで悲惨な状態が続いています。ホテルで風邪薬を分けてもらって飲むと少し楽になるのですが、基本的には全然治っていません。明日は早めに帰宅するのでそのままお医者さんへ直行することにします。
振り返ってみると、約1カ月前に娘がお腹の風邪をひきました。その時に娘からもらったのか、あるいは実はセンセイが先にひいていて、それを娘にうつしてしまったようです。お腹がおかしいだけで熱も痛みもなかったので見逃していました。情けない。さて、今日は都心から東京都西部へ移動しました。三鷹駅で中央線を降り、バスに乗って国際基督教大学へ(上の写真)。国際基督教大学、通称ICUはセンセイの母校であり、また初めての勤務先なのです。
進入路は写真のように立派な桜並木になっています。満開の桜の下を歩むのは気持ちのいいものです桜並木の脇には花見客が出始めていました。
この通りは正式にはマクリーン通りというのですが、学生はみな「滑走路」と呼びます。ICUの敷地は昔の中島飛行機(現在の富士重工)の研究施設だったので、ここで飛行機を飛ばしていたかのように思われることがあります。
実際には、現在大学の本館となっている施設で幻の超大型爆撃機「富嶽(ふがく)」を設計していましたが、実際に「滑走路」で飛行機を飛ばしたわけではありません。飛ばす時はすぐ近くの調布飛行場へ運んでいたようです。桜並木を抜けるとチャペルが見えます(真ん中の写真)。この辺がキャンパスの中心地なのですが、今朝はどこへも寄らずに裏門へ急ぎました。
というのは裏門のすぐそばにセンセイの師匠である渡邊正雄理学・文学博士(東大名誉教授)のご自宅があるからなのです。
渡邊先生と長時間にわたってお話ししてからICUに戻りました。春休みなので知り合いの教職員は誰もおらず、ちょっと残念でした。ふたたび滑走路を歩き、途中からバスに乗って三鷹駅へ戻りました。
思いついて三鷹駅前の「江ぐち」(下の写真)というラーメン屋に入りました。三鷹駅のすぐ前で、昔は一戸建てだったのですが、駅前再開発後はビルの地下に入っています。
このお店のラーメンは日本のお蕎麦に近い麺を使っています。食感も味もそうです。ただし今日は風邪で味覚がマヒぎみだったので、マスターに申し訳ないことをしたと思っています。このお店は東京では有名なお店なのですが、科学史関係者の間ではもう一つの理由で知られています。すぐ近くにお住まいの、科学史のリーダー的な存在であるM先生(元東大教授、現ICU教授)が息子さんを連れていらっしゃる場所なのです。ですからのれんをくぐる時はいつもチェックするのですが、今日はいらっしゃいませんでした。
というわけで、センセイは三鷹からさらに西へ移動し、現在国分寺市内にいます。これからまたまたお友達と飲むことになっています。お腹の反応はどうなることでしょう。心配だなぁー。
センセイは明日、新潟に戻ります。
3月27日(火) 都内の桜はもうすぐ満開です −−現在、都内からお送りしています−−西村センセイは現在、都内からこのページを更新しています。
関東平野も都内もずいぶん桜が咲いています。タクシーの運転手さんによるとここ数日の好天で急に開花が進んだのだそうです。都心だとこの週末はお花見には遅いくらいではないかとのことでした。
昨26日はあちこちの用を足した後、メインの会合に出席してそのまま飲み会に突入しました。たいへん有意義な会でした。
ただし、その前からちょっと変だったのですが、夜、会を終えて外へ出たら悪寒がしました。どうやらお腹の風邪のようです。
それでも昨晩はゆっくり休んで、今日は港区白金台の明治学院大学を訪問しました。知り合いと情報を交換するためなのですが、こちらもとても有意義で、ずいぶんエネルギーを分けていただきました。今晩は知り合いとまたまた飲み会です。1年ぶりの再会となります。
明晩も飲み会は続きます。ちょっと飲み過ぎないように注意しなくては......。
それではまた明日。(たぶん)
3月26日(月) 自宅近くでつくしを見つけました −−現在、都内からお送りしています−−年度末になって街中がザワザワした感じになっています。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
センセイの家の近くでつくしを見つけました。とても嬉しくなりました。
いつもは車で通る場所なのですが、自転車に乗っていたので気づくことができました。自転車や徒歩だと、視線の高さが違って、新しい風景を発見することがありますね。センセイが見つけたつくしはもうずいぶん背が伸びていました。
センセイはつくしやふきのとうが大好きです。日本海側の雪の中の長い冬に耐えた人にしかわからない春の喜びかもしれませんね。
で、センセイの飼っているポストペットのカメには「つくしちゃん」という名前がついている(こちら)のでした。ところでセンセイは今、東京都内に存在しています。様子をできる限りお知らせしたいと思いますのでご期待ください。
3月25日(日) 「柏崎おもちゃフェスティバル」へ行ってきました今日は子守を兼ねて、カミさんと交代で「柏崎おもちゃフェスティバル」へ行ってきました。
「行ってきた」といっても、会場の柏崎市福祉センターはセンセイの家の前なのです。この福祉センターではしばしば、社会福祉関係や地域の行事、各種のイベントが開かれています。
センセイはこれまでご縁のなかったこの種の行事に、子守というやや不純な動機で参加するようになったのですが、自発的に熱心に手伝っている人たちの姿に、考え方が少しずつ変わってきたことに気づきます。
フェスティバルはいろいろなコーナーから構成されています。各国の−−といっても欧米中心なのがちょっと残念−−おもちゃの人気投票コーナー(2枚目の写真)や、おもちゃの修理コーナー、絵本の読み聞かせ等々てんこ盛り状態です。
中には竹トンボや紙クラッカー(わかりますか?)などの昔懐かしい手作りおもちゃコーナー(3枚目の写真)もありました。私事で恐縮ですが、娘は自分でおもちゃを作るコーナーに参加し、ヴォランティアのお姉さんに教えてもらってポリ袋、紙コップとストローで「びっくり箱」を作りました。ほんの少しだけ手伝ったのですが、ほぼ自分だけの力で何かを成し遂げたことに、娘は大満足していました。
センセイは教師の視点から、お姉さんの教え方と娘の反応にずいぶん教えられるものがありました。
お姉さん、ありがとう。さて、明日からセンセイは東京へ出張(+旅行)し、いろいろな人にお目にかかります。またいくつかの場所を訪問したいと思っています。夜は飲み会なので当日の更新はできないかもしれませんが、翌日にはお知らせしたいと思います。ご期待ください。西村センセイは果たしてどこへ行くのか(!?)......。
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