2025年12月26日更新
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■12月26日(金) 西村センセイ、保冷バックの購入で苦労する ──お店が次々と撤退、廃業する街──
当地は日付が替わる頃から、大荒れの天気に。
今回は典型的な「山雪」型。新潟県と長野県を結ぶ上信越道、および並行する国道18号線は除雪が追いつかず、県境付近で通行止めに。当地は海岸部なので雪はほとんど積もりませんが、猛烈な風。
今日は金曜日。つまり実家の両親の面倒を看る日なのですが、病院からスーパーを経由して実家まで送り届けた帰路、前方の信号が赤になったのでクラッチを切って走行していたら不意に、不安定に押されるような感覚が数回。
最初は車のトラブルを疑ったのです。でも実は、強い向かい風に押されて速度が急低下したため(!!)。(実話)
風は県北部や山形、秋田県南部で強く、羽越本線他は午前中を中心に運休や遅れが相次ぎました。上空に強い寒気が入り込んでおり、最高気温は未明に観測。現在、当地はすでに氷点下になっています。
西村センセイ、今日は実家での用とこの悪天候で3,500歩くらいしか歩いていません。例によって両親の相手はストレスが掛かるし、そこに運動不足。ここ数日、日中の血圧は非常に低く「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)100mmHg(!!)〜108mmHgに留まっていたのです。
でも今日は、正常値に程遠い。特に、いつもなら低いいわゆる「下」(「弛緩期血圧」の「平均」)も正常値をクリアできず。でも、ま、しかたない。
写真は先日撮影したもの。
昨日お伝えしたように来年も金沢に通うことになったので、以下のような事情で市内の100円ショップを訪れました。金沢では現在、講義後にホテルへ移動。
その途中、「業務スーパー」で缶ビールを、そしてその先にある「ニュー三久」で晩ご飯を購入します。金沢工大通勤時に限らず、旅先でのセンセイはいつもこの行動パターン(当然、誰かと飲む時は別)。だから宿泊時は鞄の中に100円ショップで購入した保冷バック。(夏場はビールがすぐに生温(ぬる)くなるし、食物は食中毒の可能性が高まる)
十分検討して購入したつもりだったのですが...実際には、サイズが微妙。缶ビールを横一列に並べることができないので凸凹するし、お弁当もちょっと大きいと入らない。「たぶん、来年の金沢はないから...」と思って、東北ツアーまでこの態勢だったのです。
でもこの機会に、もっとマチが広いものを...という次第。もちろん、数千円するちゃんとしたものを購入するという方法もあるのです。でもセンセイの場合、ビールその他を30分くらい低温で保つことができれば良いだけ。
それに高性能のものは嵩張るため、鞄に...。というわけで振り出しに戻り、センセイは100円ショップへ。
ところが大手の店へ行っても、なかなか適当なものがありません。そこで自宅に最も近い──ただしセンセイのお散歩コースから外れる──「なんじゃ村」を訪れました。ところが何と、入口右側に来月で閉店との告知が。
完全な不意打ち。「なんじゃ村」は地元資本のアキラ産業(株)が運営し、新潟県内のあちこちに店舗を展開しているお店。でもそういえば最近、前任校への通勤コース上のお店が閉店し、更地になってしまった...。
調べてみると同社は、ここ数年でお店を次々と閉じています。つい最近、この件を地元紙が報道。
それによると何と、この柏崎店が県内最後のお店とのこと。でもそもそも、県外に進出していないんじゃないだろうか...。全貌を把握しているわけではないので、同社に関してはこれ以上言及できません。
でも何回かお伝えしたように、当地では閉店あるいは廃業するお店が続出しています。ごく小規模だった「風太」は仕方ないとしても、「牛角」閉店は予想外。ただし情報筋によると同店の場合は採算面の問題ではなく、借地の契約更新によるものとのことだそうです。「いいね亭」(1枚目の写真)は告知通りに閉店。
看板や掲示物等は徐々に撤去され、現在は何のお店だったのかわからなくなっています。ちょっと異質なのが、「誠文堂」(2枚目の写真)。
先週、地元紙がその閉店を伝えました。それによると同店は100年以上の歴史を持つとのこと。かつての繁華街に位置していますが、時代の変化から取り残されてしまったこともまた、事実。
店頭の告知は整理され、明後日の12月28日で閉店すると記されています。さすがに「そばよし」ほどではないにせよ、少しは動きがあるんだろうか...。
ただし残念ながらセンセイは当日、外せない所用で新潟市内へ移動しています。そのため、「誠文堂」の最終日を見届けることはできないはず。
高く掲げた志を守るための3代に渡るご努力。長い間、本当にご苦労様でした。
■12月25日(木) 残念ながら「黒歴史」、再び ──クリスマスプレゼントの勉強代は、高かった──
「ダブルスタンダードだ」と指摘されても、まったく反論できない「黒歴史」のお話。
1枚目の写真は、センセイが現在主力として使っているCANON“EOS Kiss M”(APS-Cミラーレスカメラ)と、それに対応するレンズ群。詳細は順に説明するとして、何と今回、新たに1本が加わりました。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
もちろん、これにはそれなりの理由──というより言い訳──が。部分的には何度かお伝えしていますが時間経過に伴いリンク切れも発生しているため、改めてこれまでの経緯を(以下、モデル名は省略)。そもそも、センセイはあまりカメラに詳しくありません。この状況下で2019年、公費により“EOS Kiss M”を導入。(ただし私物ではなく、大学の財産)
選択した理由は簡単で、詳しくないから当時最も売れていたモデルにしただけ。近年、連続してCANON製のコンパクトデジカメ(私物)を使っていることが影響しているかも。
正確に言うと、購入していただいたのは本体および標準ズームレンズ、望遠レンズ(10月に「カメラのキタムラ」で再会)からなる「ダブルズームレンズキット」。このキットにしたのも、それほど深い根拠があるわけではありません。
コンパクトデジカメだと、どうしても望遠端が足りなくなるからといった程度。届いた当初は面白がって使ってみた──もちろん業務に──のです。でも、カメラ本体の性能はともかくレンズ、特に望遠レンズの画質がイマイチであることに気づきました。高倍率ですが、どうしてもぼんやりとした画になってしまうのです。
いつの間にかコンパクトデジカメだけに戻ってしまいました。(私物で仕事をするのは好ましくない)2023年の退職に際してカメラとレンズは大学に返却。他方、その直前に、ある程度慣れていた“EOS Kiss M”の中古品を私費で購入し直しました。標準ズームレンズも買い求めましたが、望遠レンズは適当なものを見つけられなかったため、見送り。
退職後は撮影する機会が増加。
その際、まず困ったのが望遠レンズがないこと。コンパクトデジカメの望遠端は84mm。すでに使用していた「松」望遠レンズ(左端。約710g)の広角端は112mm。(以下、35mm換算)
頻繁に使うその間が抜けています。そこで退職直後、「竹」望遠レンズ(左から3本目。約300g)の新品を買ってみたのです...が、お伝えしたように、以前の望遠レンズと同じようなぼんやりした画質でキレがない。
いろいろ考えた結果、短期間で返却してしまいました。(直接の費用は発生していない)それ以降、ずっと「困ったなぁー」状態だったのですが昨年末、「カメラのキタムラ」で「梅」望遠レンズ(約480g)に邂逅(かいこう)し、購入。この間、レンズの特徴も徐々にわかるように。
結論からお伝えすると、「梅」望遠レンズは大当たり。その後は「梅」レンズを装着して使用しています。他方、今までのレンズではカバーできなかった広角側についても、年初に「神」広角レンズ(右端。約220g)を購入。
「松」望遠レンズと「神」広角レンズの性能は頭抜けています。(評判も高い)すると「梅」は...ということになるのですが意外にも、基本的な素性は非常に優れています。だからこそ、重いにもかかわらず毎日持ち歩いているのです。そう、「梅」のほぼ唯一の欠点は、その重さ。
“EOS Kiss M”に装着するためには「マウントアダプター EF-EOS M」(約110g)が必要。(「松」レンズも同様)本体と合わせると1kg弱になります。市内を歩く時や、実家や大学などへ自動車で移動する時は問題ないのです。でも電車による泊まりがけの移動となると、辛い。実際、前任校の学園祭に参加した時は「梅」レンズの持参を断念しています。
さらに遡ると、春に南小谷駅を訪れ飯田線他にも乗車。この時も「梅」レンズを携帯していません。と、同時に、このような場面で「望遠が...」という瞬間があることも、また事実。こうなると半分の重さしかない「竹」望遠レンズへの未練が復活。まるで元カノに...。
その意味でも「黒歴史」だ。調べてみると「竹」の評価は、他のレンズと違って見事に二分。手放しで賞賛する人もいれば、軽さは評価しつつ画質については口を濁しながらも「高倍率望遠レンズと割り切るなら..」と、辛目に評価する方も。
なお、「竹」のマウント(カメラ本体と接続する部分)部分は軽量化のため、プラスチック製。それを厳しく糾弾する人もいらっしゃいますが、ちょっと違うと思う。(後述する)購入時にも念を押されたのですが、これによるトラブルは常にレンズを着用した状態での落下。大きな衝撃でマウントが破損してしまうからです。
でもそれは、そのような使用方法が不適切。皆さんも同じような経験をお持ちでしょうが、このように判断に苦しむ場面では、どうしても自分に都合の良い情報や意見を受け容れたくなります。もしかすると、「ぼんやり...」というセンセイの画質評価は不適切だったのか...とすら考えてしまうほど。
その結果、皆様ご賢察の通り10月末、「カメラのキタムラ」で「竹」の中古品を40,000円弱で再購入しました。
「梅」と「神」レンズについてはそれなりに理由を立てられましたが、今回の「竹」についてはかなり弱い。それでも口実を作るとしたら、今後の電車移動。
来年の金沢工大大学院についてはもう担当しないだろうと考えていたのですが最近、お願いしたい旨の連絡が。退職直後は電車で、その後の2年間は主に自動車で金沢まで通勤しましたが、来年度は体力低下に対応すべく電車を主にするつもり。
だから、ま、いっかーと思うようにしているのですが、ホンネはかなり微妙。今月上旬の東北ツアー、「神」広角レンズは当然として、意識して「竹」望遠レンズも持参したのです。でも「竹」の出番はほとんどなし。
同レンズの名誉のために申し添えると、このサイズでの240mm(相当)は本当に有り難い。2枚目の写真は東北ツアー最終日、講義を終えて帰宅する際、白新線の電車の中から撮影したE3系新幹線。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。
以前ご紹介したものとは大違いです。と、同時に、肝心の画質は...というと、やはり厳しい。
実は11月以降、「竹」レンズで撮影した写真を1/10程度の頻度で使用しています。このサイトに掲載する際は縮小する必要があるので、もしかするとお気づきになっていないかも。でもオリジナルだと違いが明白。
場合によっては拡大写真でもわかる場合も。望遠側は、もちろん「竹」の楽勝。でも、それ以外の場面では“PowerShot G9 X Mark II”の方が優れていることが多い(実話)。こうなると、外出時は鞄の中に「神」広角レンズを装着した“EOS Kiss M”とコンパクトデジカメ、そして「竹」望遠レンズということになりそう。
う〜ん、これって、ちょっと変...。なお今回は、「梅」および「神」レンズの倍の出費であったことも事実。そして何より、自身が感じたことに疑念を抱いたことを認めざるを得ません。もっと自分の感覚に自信を持つべきだった。
「フォースを信じよ」、と言った方がわかりやすいかも。
■12月24日(水) クリスマスプレゼントにしたい!! ──想定外のオーディオ機器がデビュー ──
ある意味、昨日の続きから。
本サイト開設から25年以上が経過。全体のあり方とともに、その中で取り上げる話題も時代や状況に応じて変化しています。こちらもやはり、2023年の退職で大きく変化。まず物理的な行動範囲が狭くなります。
と同時に限られた収入の年金生活者ですから、「何かを新規に購入する」ということが激減。買い物よりも、できるだけ手持ちの機材等を維持、活用するかがメインに。昨日との関連でいえばカメラやレンズを購入する際は、十分検討した上で中古品を購入。ただし、今後“PowerShot G9 X Mark II”に万一のことがあれば、代替品として新品を買うかもしれません。
何を言いたいのかというと、Macおよびオーディオ(やAV)の話題が激減しているのです。前者については約10年前に新旧Mac OSとWindows 10を融合させた完璧なシステムを構築。改善の余地はありません...というより、その後のマシンやソフトが対応しなくなったというのが実態ですが。
もちろん毎日、数題の新旧Mscを同時に起動して、その前で終日ゴソゴソ。なおWindowsマシンについては、「拡張セキュリティ更新」(こちらおよびこちら)終了後は、中古ノート機を導入するかも。でも仕事で使うのなら依頼先が機材を提供するのが筋。システム全体との整合性の問題もあるため、たぶん、このまま...。
問題は、オーディオおよびAV機器。
こちらも現在は全機が順調に稼働中。ただし今後、もしコアとなるマシンに致命的な問題が発生した場合は代替品を購入する予定です。
残念ながら、後継機種が存在しない機材も多いのですが...。でも、話題にしなかった最大の理由は別で、この分野に関する世間の関心が薄れてしまい、もはやニュースにならなくなっているのです。センセイは毎朝、「AV Watch」をチェック。
現在、かろうじて勢いがあるのはヘッドホンなどの携帯機器だけという惨憺(さんたん)たる状況。一昨日、まったく期待せずに同サイトを覗いたら、え"?!
国内の「トップウイング」社から、「信号補正フィルター“Sonic Corrector”」(税別99,000円。(c)TOP WING)が発売されるというのです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×1024))
最大のポイントは、「海苔波形」の音質改善。初めて聞く「海苔波形」という言葉でしたが、すぐに理解できました。2枚目の写真は、そのような音源を専用ソフトで読み込んだもの。左側3/5の中央部がメイン画面。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
横軸は時間軸で上下──左右chに分かれている──が音源の振幅。(目盛りがリニアなので、人間の感覚とズレがある)
上下つまり記録できる領域を目一杯使って、音が詰め込まれています。実際の音源はもっとスカスカなのですが、コンプレッサーやリミッターという機器を使って無理に圧縮しているのです。(この音源はまだ良い方)
このようなサウンドを耳にした当初は、「迫力がある」と感じます。でも実は、波形を大きく加工しているので音質が大きく変化。加工に伴って奇数次の高調波(3倍、5倍...の倍音)が発生するので、耳が良い人はすぐに厭きてしまいます。(ただし個人差が大きく、気づかれないのが普通)
センセイの知識では、こうなってしまった音源を元に戻すことは不可能...。でもサイトによると、アナログ回路だけでこれをかなり回復できるとのこと。確かに、少なくとも波形上では劇的に改善されています。
基本的には位相を回転させている──“Phase Shifter”──のだろうと推測されます。でも音源の位相を単純に回転させただけで音質が変化することはありません。しかも完全アナログ回路での実現。どうやっているんだろうと興味津々(しんしん)ですが、いくら考えても理屈を思いつきません。
低迷どころかメーカーの撤退が相次ぐオーディオ関連でこんなにドキドキ、ワクワクしたのは何年ぶりだろう...。現役時代なら絶対に購入を申し込んでいるはずの西村センセイ。でも現在は導入にいくつかの問題があります。技術的には、このマシンがアナログ──それを否定しているわけではない──で、信号をラインレベルで処理していること。
センセイのAVシステム(3枚目の写真およびこちら)は現在、アキュフェーズ社製のFMチューナー“T-1100”を含めてほぼデジタル化。音声信号は最終段のアキュフェーズ社製“E-270”プリメインアンプ上の“DAC-50”DACボードでアナログ化されています。つまり今のままでは導入の余地がない。正確に言うと、“DAC-50”からのアナログ信号はその後、STAX社製ヘッドホン(「イヤースピーカー」)へ。
この間に挿入するという方法は可能。また、確立された理論に基づいているアナログ回路なら、回路をそのままデジタル化することも可能。その場合、センセイのシステムでもかなり広く活用することが可能になります。でもお察しの通り、最大のネックは別な所に。
センセイは、第一線を退いた年金生活者。他方、たぶん明日、かなり矛盾した内容をお伝えすることになるはず。
トホホ。
■12月23日(火) そこから出るのは簡単かもしれないけれど、命懸け。ここに入るのは至難という、扉
お気づきかと思いますが、このサイトのあり方は時代によって少しずつ変わっています。
2000年に開設した時はホントに、受講生のやり取りと身の回りの出来事に関して感じたことを、写真を添えてお伝えするための小さな広場“agola”だったのです。2002年に金沢工大に移籍して「広場」はかなり拡張されましたが、基本コンセプトは変わらず。
ただし、写真の果たす役割が徐々に大きくなります。
写真あるいは撮影に興味を持つようになったからですが、金沢工大移籍後は出張が大幅に増加して全国および外国を行脚する機会が増えたことも影響しているはず。
“EOS Kiss M”(現在は私物)導入後、その傾向が強まります。この頃、実家の両親の面倒を看る必要から、退職のタイミングを具体的に意識するようになります。2023年の退職後、「授業のページ」は更新されず。
現在も金沢工大大学院および前任校の講義を担当していますが残念ながら、このサイトの出番はなさそうなので。となると近況報告、とりわけその中で写真の果たす役割が重要になります。「梅」望遠レンズおよび翌年の「神」広角レンズを購入後はこの傾向が加速。
見方を変えると、センセイの興味関心がそちらに移行しつつあるのかも。最近は体力維持のため、できるだけ「正しく、美しく」、かつ長く歩く──現在は総歩数に拘泥(こうでい)していない──ように。その際、鞄の中にはカメラを1、2台。
もちろん旅先や、講義の移動にもカメラを持参しており、何かに気づくと「パシャッ!」という感じ。
1枚目の写真は、そんなセンセイが市内で気づいて撮影したお宅。変形十字路に面して建つお宅です。センセイは(手前ではなく)交差する道路の右側から歩いてきたのです。
敷地の関係で、少し凸凹があるお宅ですが...え"っ!?お気づきでしょうが1、2階ともに、写真中央部付近にドアがあります。1階は勝手口。頻繁に使用されているらしく、樹脂製の断熱ドアに更新されています。
問題は、2階のドア。(右の写真)ドアのヒンジをご覧いただくとわかりますが、このドアは外開き。でも、仮にドアを開いて外へ出たら、踊り場や階段など、支えるものは一切存在しません。
ちまりこのドアを「利用」したら、約2.5m下に落下するだけ。実際、ほぼまったく使用されていないようで、ガラスを固定するゴム部品が劣化しています。市内にある他の建物でも見かける(こちらやこちら)ことがあるのです。
いったい、何のために設置されたんだろう...。
なお近日中に白状する覚悟ですが、実は撮影に関して最近動きが。カメラに関するセンセイの「黒歴史」そのものに関する内容。つまり自身の傷口に塩を塗るような要素を含みます。
ご期待(?)ください。
■12月22日(月) 「お祭り」、だったのね... ──「そばよし」閉店、一般市民への影響は限定的──
まず、昨日の続きを。
架線断線事故に遭遇したのはEF510型トップナンバーの1号機。列車は予想通り、「3092レ」。報道(現在はアクセス不能)によると、「機関車は午後5時ころ柏崎駅に収容」とのことですが、機関車だけなのか列車全体なのかは不明。
たぶんディーゼル機関車で「救援」(鉄道用語)したはず。でもこの近くでJR貨物のディーゼル機関車を見たことはありません。JR東のものを借用することも考えました。同社の長岡車両センターには、貨物列車に対応する「双頭連結器」を備えたEF64型機関車が。(ただし間もなく廃車見込み)
でもこちらは形式名が示す通り、電気機関車。他にもわからないことが。事故が発生したのは鯨波駅付近の上り線。されど柏崎─鯨波間には上り線から下り線(およびその逆)に乗り入れる「渡り線」は存在しないと思う。ということは、上り線を約3.5kmも逆走させたのだろうか。
単線と違い、信越線は複線なので、信号システムが対応していないはず。2014年2月に北陸本線(当時)谷浜─有間川間で発生した同様の事故(こちらおよびこちら)の場合、乗客を現場付近で降ろした後、自走不能に陥った列車を進行方向2駅先の名立駅までディーゼル機関車(DE10)で牽引しています。
その時も今回も、現場から移動先までの間に踏切が存在しないことが救い。お伝えしたように、最終的な復旧見込みは「21時30分頃」とのことだったのです。でも実際に運行が再開されたのはさらに遅れて22時過ぎ。最初の下り列車(貨物列車)は、拙宅の近くを22:40頃に通過しました。
一夜明けた今朝はほぼ完全に通常運行。
損傷したEF510-1が気になります。お伝えしたように柏崎駅はセンセイのお散歩コース上にあるので覗いてみましたが、影も形もありませんでした。
今日はもう一つ、過去にまつわるお話を。写真は一昨日つまり土曜日の午前中に撮影したもの。旧市街地を歩いている時気づきました。看板にある通りラーメン店の前に行列ができています。
開店前なので、暖簾は下がっていません。ただし直接お伝えしたいのは、先月上旬に閉店した市内の有名ラーメン店「そばよし」のその後。閉店から数日後に、お店の様子をご紹介しています。
本来の営業日(だった日)はしばらく、シャッターを開けて店内に裏返しの暖簾がかかっていたのです。1回だけですが店内に明かりが灯り、奥様を含めた女性3人で何か相談していらっしゃる場面にも出くわしました。でもその後は、ほぼシャッターを降ろしたまま。
閉店前にご主人が仰ったように、「やるべきことはやり尽くした」ということなのでしょう。もちろん「長い間ご苦労様でした」という気持ちになります。他方、お客さんの方はどう対応するんだろう...。気になっていたので、外へ出るたびにこの「うれっ子」の様子を気にかけていたのです。
何度もお伝えしていますが、このお店こそ初代、本家、元祖「そばよし」(2枚目の写真)。ネットあるいは雑誌などで「そばよし」の情報に触れた方、あるいは当地でも一部の若い方はご存じないかもしれませんが、地元民にとっては周知の事実。様子を見ていると「そばよし」閉店後だけでなく、その少し前からお客さんが増えています。
後者は「そばよし」入店を諦めてこちらに回った方々と推測されます。実は、初代の味をかたくなに守っているのは、「三宝」(こちらの3枚目の写真およびこちらの2枚目の写真)。ただし「三宝」はセンセイの徒歩での行動範囲外(頑張れば歩いて往復できる距離)。そもそもセンセイは「キンエン生活」を継続中。
そのため「三宝」の、「そばよし」閉店後の様子を承知していません。「そばよし」が閉店に到ったことは残念。でも市内のお客さん──「そばよし」近隣の高齢者はまったく別──にとって、同店閉店の影響は意外と限定的だったのかも。となると、閉店前のあの騒ぎは何だったんだということになります。
県内外からの多数の、そして実際にはかなりの方が初めてのお客さん。そして、あれだけ煽り立てた地元マスコミ。
一種の「お祭り」だった、ということなのでしょうか...。
■12月21日(日) トラブルに振り回されつつも、季節は進む ──信越本線の架線が断線、大混乱に──
予定を変更してタイトルのお話を。
センセイは朝、書斎に入ると新聞2紙を読んでから情報が更新されていないか確かめるため、そのWeb版に目を通します。『新潟日報』紙──全文閲読および拡大写真閲覧のためには登録が必要──のページを開くと、トップは「信越線運転見合わせ」。
何が起きた?!その時点では鯨波駅(柏崎駅の西隣)と、「海に一番近い駅」(の一つ)で知られる青海川駅(こちら、こちらやこちら)との間で架線が断線したため、宮内駅(長岡駅の南隣)と直江津駅で運転を見合わせており、復旧にはかなり時間がかかる見込みとのこと。
どうやら、状況はかなり深刻らしい。発生時刻すら記載されていないなど、その時点で詳細は不明だったのです、事故が起きたのはたぶん旅客列車の運転開始前。単純な架線断線なら割と早く復旧するし、見込みを告知できるはず。
それができないということはトロリ線(4、5枚目の写真)だけでなく、架線関係の設備がかなり破損。加えて、機関車側のパンタグラフも損傷していると予想されます。
しかもこの区間はトンネルが多く、一部は単線用の狭い物。その中で断線したり列車が停車していたりしたら、対応はより困難になります。JRの「運行情報」(今後リンク切れの可能性あり)を見ると、「復旧は早くて12時頃」。
その後、少しずつ情報が入ってきました。途中経過は省略して、今日起きたことをまとめると、今朝3時半頃青海川─鯨波間で走行していた貨物列車の運転士が発見。新潟貨物ターミナル発福岡貨物ターミナル行き上り「3092レ」列車と推測されます。
当然、非常ブレーキを作動させたはず。前後して電力供給が断たれるので、いずれにせよ非常停止。もちろん自力で走行することはできません。機関車が鯨波駅を少し過ぎたところで列車は停車。つまり断線は鯨波駅の手前(東側)で発生したものと考えられます。
予想通り架線設備とパンタグラフが激しく損傷。架線は「数百メートルにわたって切れて」いるとのこと。鯨波駅付近の最高速度は90km/hくらいなので、停止距離は400m〜500m程度。状況と良く一致します。もう少し進むと複数のトンネル区間があるのですが、その手前で発生した事故です。
「運行情報」の復旧見込みは「14時頃」、「17時頃」、「21時頃」そして最終的には「21時30分頃」に。ただし運休していた関連線区は、正午過ぎから徐々に運転を再開しています。ところで今日は二つ玉低気圧が寒冷前線を伴って日本列島を通過。西日本はすでに、昨日から雨になっています。当地は正午前から降り出す見込み。
そこで今日は早めに徒歩で外出しました。ルートはいつものお散歩コースですが途中、柏崎駅前を通過します。そこで駅に立ち寄り撮影したのが1枚目の写真。手書きで状況を説明した上で「運転再開の見込みは立っておりません」と記されています。
繰り返しアナウンスも。
正確に言うと、この時点でセンセイは事故発生時刻を把握していなかったのです。でも改札前の1番線には2両編成のE129系電車、そして奥の3番線には6両編成のトキ鉄ET127系電車(E127系を譲渡したもの)が。
いずれも上下の始発列車。予想通り、その前に事故が起きたことを意味します。架線を含めた鉄道設備はJR東日本のものなので、復旧に必要な資材はそれなりに分散して配置されているものと考えられます。
ただし列車はJR貨物所属。損傷した機関車のパンタグラフなどは、どんなに近くても直江津手前の黒井駅か南長岡駅から取り寄せたはず。個人的には、拠点である富山貨物駅から高速道路を使って運んだんじゃないかと推測しています。
修復区間も長いので当然、復旧に要する時間が長くなります。白状すると、駅は混乱しているのかなぁと思ったのですが、事故を知らずに訪れた人を除けば乗客は皆無。もちろん早朝は列車の運行時刻を調べずにお越しになる方が多い。
だから早朝から朝はかなり大変だったはず。でもセンセイが駅を訪れた10時頃はすっかり落ち着いていました。「諦めきった雰囲気」という方が近いかも。
本来のルートに戻り、地下通路を通って駅の南側へ。少し歩くとセンセイが除雪車両などを撮影する「幸町公園」に出るのですが、はしゃいだ子供たちの声がします。
前線通過前は南から暖かい空気が吹き込み、気温が上昇。アメダスによると、当地の最高気温はちょうどこの頃に記録した20.5℃(!!)。「季節外れの陽気に誘われて、子供たちが...」と思ったのですが、大人の声も。
公園が見えてきました。奥の町内会集会所の前では何と、餅つき大会(中央右手の、黒い服の人物が杵を持っている)。写真は参加した子供たちに、餅つき体験を勧めているところ。
写真左端の男性はすでにお食事モード。この幸町町内会はセンセイらの町内会とは対照的に、活発に活動しています。当然、以前から計画されていた餅つき大会なのでしょうが、2時間後に急変する天気の前で良かった。
あちこちぎくしゃくしていますが、それでも季節は確実に進んでいます。なおサイト更新時点で、信越本線はまだ復旧していません。
■12月20日(土) あの費用は何だったんだ... ──BMWのワイパーを初めて自分で交換しました──
昨日に引き続き、自動車の維持に関するお話を。
センセイのように田舎に住む人間には自動車が不可欠。特に郡部は公共交通機関が「ほぼ、ない」ので、一家の成人と同じ数の軽自動車(+営農用軽トラック1台)というのが普通。そのような人間にとって、ガソリン価格の低下はありがたい。
同時に、メンテナンスも重要。ただしこの点についてはいろいろな考え方があると思います。たとえば消耗品のタイヤは、残り溝の基準を満たしていればできるだけ交換せずに済ますなど。下駄代わりで日々の走行距離が短ければ、十分可能でしょう。
ただしセンセイの場合、1回で100kmあるいは200km以上といった長距離走行がメイン。そもそもお気に入りだし、何しろ稀少なMTモデルなので、可能な限りちゃんと乗り続けたい(というか、代わりになる車が存在しない)。他方、総走行距離は既に200,000kmを超えています。当然、消耗品を中心に劣化が進みます。
場合によっては故障する部品も。そこで自動車販売店お願いして、かなり頻繁に点検、整備していただいています。会社の経営の進め方については「残念ながら、まだ修行が...」──歯科医も同内容のコメントをしていた──と感じる場面が。
でも仕事と人柄は確か。安心してお願いできるお店です。
そしてもう一つ現実的かつ重要なポイントが。諸費用はディーラーと比較して4割くらい安いと思う。センセイは年金生活者なので本当にありがたい。というか、このお店と出会わなかったらBMWを手放していたかも。
さらにもう一押ししたいことが。
それはユーザー自身でできる軽整備。エンジンオイルまで交換する猛者(もさ)もいらっしゃるようですが、センセイには無理。(オイル交換後の車載コンピュータリセット方法を知らない)
典型が、写真のワイパー交換。自動車は何も問題がなくても、最低年に1回点検、整備していただく必要があります。実際にはエンジンオイルの交換もあるし、雪国ではタイヤの交換も。
その機会に自分から申し出るか、あるいはお店から「ワイパーの交換時期ですよ」と告げられます。国産車に乗っていた時は自動車用品店で互換性のある部品を購入し、交換していたのです。時にはワイパーのゴムだけを入れ換えたことも。でもBMWにしてからはディーラー任せ。
1年くらい使用するとちょうど交換時期で、お店からもその旨を伝えられます。もちろん自分でもわかっています──ワイパー、特にゴムは完全な消耗品──から、交換していただきます。費用は15,000円くらいでした。(調べたところ、相場もそれくらい)
でも実際に年金生活者になってみると、かなり痛い。現在のワイパーは約2年前に購入したもの。1年で劣化してきたのですが、その後も騙しだまし使い続けてきました。でもいつか交換時期はやってきます。そこでこの春、サードパーティー製のモデル専用品を購入しました。
ボンネット上にあるのが新品で、長い方が運転席側です。取り寄せたはいいのですが、夏場は古いワイパーでも何とかなりました。でもこれからは雪の季節、視界の確保が最優先です。そこで昨日、洗車の機会にワイパーを交換しました。写真は確認用の記録を兼ねて、作業前に撮影した古いワイパー。
接合部下部がストッパーで、写真ではわかりませんが最上部に固定用の凹凸があります。取り扱い説明書にはストッパーが壊れやすいので注意するよう厳重に警告されています。とにかくストッパーを摘んでみると、あっさりと外れます。やれやれ...と思いましたが念のため、そして連休を兼ねて古い方を元に戻そうとすると、できない。
何度やってもちゃんと固定できません。確かに、ここで乱暴な行動に出るとストッパーはほぼ確実に壊れます。そこでややサル化したオツムを人間に戻し、できるだけ冷静に観察します。全体の構造を把握できたので、それを踏まえて嵌めてみると、問題なし。
「練習」結果を踏まえて、新品に交換します。要領がわかればそんなに難しくないのですが、ただ「安いから...」だと無理だと思う。助手席側を含めてきちんと留まっていますし、洗車後に試したところ不具合は確認できず。拭き残しもありませんでした。
ただし雨中あるいは降雪下で試したわけではありませんが。ひとまず、「やれやれ」という感じ。
肝心の購入価格は3,500円弱(+送料)。ディーラーにお願いした場合の1/4以下です。これをどう解釈するかは人によって異なると思います。純正品+ディーラー作業の安心感を買うか、総費用削減を優先するか。
それに、センセイはまだ実際の環境下で使用したわけではないし。でも少なくとも現時点では方針を含めて、これで愛車に乗れる時間を長くすることができたかな、と考えています。
■12月19日(金) 僅かとはいえ、想定価格を下回ってきた ──レギュラーガソリンが138円/L!!
──
予定を変更してお伝えして、タイトルのお話を。
毎週金曜日は実家の両親の面倒を看る日。ただし今日は変則的。
まず朝早くに実家へ行き、母親をピックアップして市内の整形外科医院へ送り届けます。実家付近の路線バスが廃止され、タクシーも朝は東京電力柏崎刈羽原子力発電所の送迎で占有されるためです。
他方、西村センセイ、昨晩の眠りは浅かった。心身を休めることができていない状態で今朝は早起き。「無理かなぁ...」と思いつつ血圧を測定すると当然、高い。それでも「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は、正常値をかろうじてクリアしました。(129mmHg)
でもこれは、頑張ったセンセイへのご褒美のようなもの。
疲れが残っていることを認めざるを得ません。現状では注意力散漫に陥りがちなので、コーヒーを飲んでから実家へ向かいます。医院前で母親を降ろすと帰宅し、しばらく横に。
短い時間だったにもかかわらず、これでかなり楽になりました。感覚が戻ってきたところに、母親から「治療を終えて薬局へ移動するので、少ししてから迎えに来て欲しい」という電話が。帰りは両親の食料調達のためにスーパーへ立ち寄ります。
だからタクシーは利用できない。(そもそも田舎育ちの両親に、「タクシー」という言葉は存在していないようなもの)もちろん迎えに赴いたのですが、その前に寄り道を。一昨日関係者と協議した結果、今後の予定が大幅に変化。しかも積雪期は何が起こるかわからないのでここで給油しておきたい。
いつものガソリンスタンドへ向かうと、え"っ?!白状すると、ディスプレイに表示された数字の意味を即座には理解できませんでした(まだ疲れていたらしい)。写真右上の「138」って、何?
もちろんこれはレギュラーガソリン1Lあたりの税込価格。このお店はガソリンを低価格で販売しているのですが、今年のピークはレギュラー174円(/L。以下省略)、ハイオクは185円。正直なところ、長距離の移動でガソリンを消費するセンセイにはかなりきつかった。
それがいわゆる「暫定税率」廃止に伴い、徐々に低下。3週間前にはレギュラー145円だったのが、(お伝えしていませんでしたが)先週後半に140円まで低下。課されていた税率との関係で、ここまでは想定の範囲内。これで落ち着くだろうと考えていたので、その後の価格変動についてはあまり注意していませんでした。
向かいのスーパーを徒歩で訪れる時に、週に2、3回程度価格動向を確かめるだけ。でも今朝、移動しながら沿道の店頭表示に注意すると、価格がかなり低下していました。でも、「まさか、さすがに...」と思っていたので、びっくり。
全国の平均価格159.7円(12月15日現在。経済産業省資源エネルギー庁の「給油所小売価格調査」)より約20円低い。市場の実態により近いと考えられる「ガソリン価格比較サイト gogo.gs」──ごく最近の変化を反映していない可能性があることに留意──のデータと比較しても低い。
僅かとはいえ、想定範囲の下限を切っています。ならば「この機会にジャカスカ...」といきたいところですが、皆様良くご存じのようにセンセイはそのようなタイプの人間ではありません。必要と考えられる量だけを補給して、母親が待つ薬局へ。玄関先で待っていた彼女を乗せ、スーパーへ移動します。
実家で、あれやこれや四方山(よもやま)話、兼、相談。例によってマイペースな2人に翻弄されたセンセイは、激しく消耗。
帰宅後、お昼を兼ねて徒歩で外出したのですが、疲労感が残ったまま。帰宅後、「ダメかなぁ...」と、半ば覚悟しつつ日中の血圧を測定すると、いわゆる「上」は変動が大きかったものの、まぁ、正常値の範囲内。(「平均」123mmHg)
でも「下」こと「弛緩期血圧」(の「平均」)は77mmHgで、センセイとしてはかなり高い。心身の緊張状態が、まだ続いているんだろうなぁ...。
■12月18日(木) こんなところに、クリスマスツリー... ──年内最後の講義を何とか終えました──
今日は木曜日なので、前任校で講義。
来週はクリスマス。キリスト教主義の大学なので講義はありません。つまりセンセイにとって今回が年内最後の講義。講義が遅れていることもあり、今日は区切りの場所までたどり着く必要があります。
万全な態勢で講義に臨みたいところですが...チト、厳しい。準備は終えている──ただし後述するように、講義開始直前にミスが発覚した──なのです。問題はセンセイの体調。病気などはないのですが、昨日、親族内のちょっとしたイベントが。基本的にはめでたい内容。
ただし相当気を遣うので終了時、センセイはヘロヘロ。白状すると、しばらく横になっていました。残念ながら身体の緊張はほぐれず──経験的には2日程度かかる──に、血圧は正常値をクリアできず。ま、しかたない。眠りも浅かったので、覚悟しながら朝の血圧を測ります。
最近は寒いので、どうしても最初は高くなります。問題はその後。
「今朝はダメかなぁ...」と思っていたのですが、意外にも正常値をクリア(「平均」124mmHg)。ただしセンセイとしては高めだし、何より妙な緊張感が抜けていません。
でも仕事は仕事。何より約110km彼方に、受講生が。運転に細心の注意を払いつつ移動します。往路は概ね順調に走行。大学到着後は印刷済の資料配布──受講生が自分の分を取る──を含めて、講義室内の準備を整えます。
まだ時間に余裕があったので、来年使用する分の資料も可能な限り先まで印刷しておくことに。これには理由が。12月も下旬に近くなっていますが、新潟県の平野部は無雪。予報によると寒気の張り出しが弱く、年内は基本的に、概ねこの調子らしい。
でも年明け後は当然、真冬。冗談抜きで何が起きるかわかりません。もちろん頑張って出勤するつもりですが、積雪期の110kmは厳しい。そして、それ以上に問題となるのが受講生の登校。
通学経路のJR白新線が運休になった場合、自動的に休講措置が取られます。受講生に尋ねたところ、全員が「後日の補講実施より本来の時間帯での遠隔授業の方が良い」とのこと。ふ〜ん、今時の学生さんはそうなんだ...。
個人的には受講生一人ひとりの反応──というより「無反応」──がわかる教室内での対面授業をしたい。でも移動手段がないのに「出てこい」というわけにはいきません。また遠隔授業ならではのメリットがあることも事実。
だから積雪時は対面授業を基本としながら、状況によっては遠隔授業も取り入れるつもり。ただしその場合、電子ファイルを配布することはできても、書き込みが容易な紙の資料を届けることができないのです。時間が許す限り資料を印刷して教室に持ち込みます。追加資料として配布し始めたところ、先に配った分の一部が抜けているとの指摘が。
先週、原稿の印刷を1枚飛ばしてしまったらしい。トホホ。初めてです。
講義開始のチャイムと競争──白状すると、センセイの負け──しつつ、急遽不足分を印刷、配布します。「突然のことで頭が真っ白になり...」という展開を期待されたかもしれませんが、そこは西村センセイ。
その後は概ね順調に講義を進めます。終了時刻を1、2分過ぎた──ただし本来の時刻の前(昼食前の講義なので)──ものの、無事終了。教室を片付けていると、なぜか見知らぬ学生諸君が次々と入室してきます。そのうちに教職員も頭を下げながらやってきました。
どうやら昼休みに留学の説明会を開くらしい...。「聞いてないぞぉ...」と言いたいところですが、これが前任校の平常時の姿。センセイが去ってから20年以上経ちますが、見事なまでに何も変わらない。人間はほとんど替わっているにもかかわらず。
ま、いいんですけど。ただの非常勤講師なので。
邪魔にならないように、とにかく荷物をまとめて1階へ降ります。そこで出くわしたのが写真のクリスマスツリー。繰り返しになりますが、前任校はキリスト教主義校。だから12月に入ると玄関付近──雪国なので建物内──にツリーが設置されます。
でもここは、学生向けの掲示板が設置されている場所。たぶん見るのは初めてだし、先週はなかったような...。ま、いいんです。
珍しくポカをやってしまった──それは真摯に反省すべきこと──けれど、やることはやったので、帰路に就(つ)きます。途中、昨日のイベントとの関係で、寄り道。その後は本来のルートに戻り、無事にご帰宅。
そもそも身体の緊張感が抜けていない状態での長距離走行。そして相手のある講義。印刷ミスはほとんど影響を与えていないと思いますが、「昨日以上に高いかも...」と思いながら血圧を測定します。確かに高く、残念ながら「収縮期血圧」(いわゆる「上」)は正常値をクリアできず。
でも昨日よりは下がっているし、「弛緩期血圧」(同「下」)は昨日も今日も問題なし。う〜ん、微妙。
■12月17日(水) 決してお城に攻め入ろうとしているわけでは... ──高田は、奥が深い(7)──
高田のお話も最終回。(予定)
それ故、サブタイトルは「(終)」にしようかと思ったのです。でも地図をご覧いただくとわかるように、これまでセンセイが訪れたのは高田の西半分。高田城祉を含めた東側には立ち入っていません。
高田を初めて訪れたのは小学校3年の時の修学旅行。その時は夜桜で有名(にいがた観光ナビ/上越観光Navi)な高田城址公園に入っています。半世紀近く前を最後に、その後はずっとご無沙汰。これでは良くない。今の時季は日が短いので無理ですが、春になったら訪れてみようかと思っています。
そのため「終」という表現を回避しました。「(高田に)攻め入る」という表現を何回か用いましたが、もちろんな意図はありませんので上越市高田地区の皆様、ご安心を。
江戸時代の身分は「士農工商」とされていますが、実際は「士」と「商」が上位。時代およびどこに注目するかで異なるで順番が入れ替わります。
建前および経済が発達していない段階は「士」が最上位。でも時代が下がると「武士は食わねど高楊枝」。経済の発展に伴い、「台所」を商人に握られていきます。昨日ご紹介した本町通りを見てもそれは明らか。「農」は都市の外に住むので、カウント外。
しかも「百姓は生かさず殺さず」が実態の、最下位層。お気づきかと思いますが、昨日ご紹介した地区には「工」が抜けています。もちろん当時は軽工業ばかりですが、その地区を歩いていないのです。
「工」の様子を知るためには、もう少し北上する必要があります。当地の「工」を象徴するのが、以前ご紹介した「町屋交流会館 高田小町」のほぼ裏手に位置する上越市文化財「旧今井染物屋」(インスタグラム)。(1枚目の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
内部の様子については紹介記事(文化遺産オンライン/上越観光Navi)をご覧ください。
当地に残る最古そして最大級の町屋だそうです。ちょっとわかりにくいのですが、周囲と比較すると雁木(がんぎ)の上部にも建物が。もちろんこの空間を活用するためものもので、職人さんがここで寝泊まりしていたとのこと。
ポイントは、現在の活用方法。もちろん歴史的建造物として公開されていますが、それだけではありません。近くにある写真の「吉田バテンレース」(インスタグラム)がここに入居。(2年前に当地を訪れた時は、写真の建物で作業をしていらっしゃった)
同社は「メイド・イン上越」、『新潟日報』紙(全文を読むためには登録が必要)およびNST新潟総合テレビ(FNN系)などで紹介されています。その意味で、この建物は高田の文化発信の拠点として機能しているだけでなく、現在もバリバリの「現役」。近くには長い歴史を持つと思われる食品製造店も。
高田の、地域に応じた役割は、数百年後の今へ続いています。なお、ご紹介した施設のいくつかは、たとえば映画『天上の花』の撮影ロケ地として使用されています。
「えちごトキめき鉄道」(旧北陸本線)「有間川駅」やセンセイが住む柏崎市──監督の出身地──などを含めて、マップと照らし合わせていただくと新しい発見があるかも。帰りの電車の時刻が迫っています。
センセイはこれで高田を離れます。帰宅を急ぐ理由が日暮れ以外に、もう一つ。北隣の上越市直江津地区で気づいたことがあるのです。
不連続になるかもしれませんが、上越ツアーはもう少し続きます。
■12月16日(火) いかにも江戸時代初期に形成された城下町だ... ──高田は、奥が深い(6)──
間が空いてしまいましたが、高田の探訪を再開します。
レルヒ少佐の写真に別れを告げた西村センセイ。市営住宅やお寺──高田は、本当にお寺が多い──を見ながら北上します。ふと気づくと道路が行き止まりに。T字路に辿りつくと、少し逸れながらも道路は先まで続いているらしい。
高田は、城下町だ...。城下町は基本的に、城に攻め入ろうとする敵対勢力から防御しやすいように設計されています。センセイが歩いている道路はところどころでT字路やクランク状になっており、攻め入る側にはその先が見えません。
他方、迎え撃つ側にとっては、ここが防御の拠点。それでも高田はまだわかりやすい方。
城下は概ね碁盤の目状に整備されているので。同じ城下町でも、たとえば新発田(しばた)の通りは曲がりくねっています(ただし、必ずしも意図的なものではないかもしれない)。攻め入る側は「城に向かっている...」つもり。
ところが気がついた時には、あらぬ方向へ逸れて...ということに。迎撃ポイントを抜けると右側(=東)に不意に、写真の瀟洒(しょうしゃ)な「旧師団長官舎」(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))が。旧陸軍第18連隊師団長の官舎を城内から移設したものです。(上越市/にいがた観光ナビ/上越観光Navi/上越妙高タウン情報)
現在はレストラン(「レストラン エリス」)として使用。
門の中に入った方が建物は美しい──興味のある方はリンク先をご覧ください──のですが、写真を撮影した先月下旬は紅葉が見頃だったので、この写真にしました。
道路の右側に東北電力上越営業所(写真省略)が見えてきたのですが、おぉ、案内の看板が。何だろうと思って読んでみると、その旧館は上越地区最初の鉄筋コンクリート造りの構造物だったとのこと。竣工は1928年(昭和3年)。当時としては画期的な水洗トイレや電気暖房を備えていたそうな。
城下町(≒軍都)高田のコア部分に接近しています。その名もズバリ、「司令部通り」(!!)を左折(=西側)へ。100m程歩くと「本町通り」。街の様子が一変します。もちろん現在はビルが建ち並び、雪国ならではのアーケードも完備。
だからある意味、印象が違うのは当然のこと。でも問題の本質は、違うところに。目の前にあるのは立派な旧第四銀行高田支店。現在は「高田まちかど交流館」(上越市/にいがた観光ナビ/上越観光Navi)として利用されています。
斜向かいには旧高田市役所跡地ある「上越市雁木通りプラザ」が。
つまりここは、当地の経済と(少なくとも明治以降の)行政の中心地。戦国時代と異なり、ある程度安定した江戸期に城下町として形成されたため、身分によって居住する地域が峻別(しゅんべつ)されているためです。
少し歩いたところで、敢えて左折。「儀明(ぎみょう)川」を越えると、雰囲気が再度一変します。高田駅が位置する儀明川の西側──つまり当時の高田の街外れ。都市防御を兼ねた寺院も多い──は庶民の生活の場(≒夜の街)。
小さな建物が密集しています。以前ご紹介した「多賀」(写真左端)の、2軒置いた右側(=北側)にある「鈴木旅館」(インスタグラム)が当面の目的地。10年くらい前に廃業したのだそうです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
でもご覧のように現在は、工事用のシートを掛けられています。これには事情が。「多賀」を含めて、当地の新しい意味での再開発を手がけている「大島グループ」──何度かご紹介した「上越タイムス」もその一員──が、全国で地方創生事業を展開する「イノベーションパートナーズ」と協業。
この旧鈴木旅館を活用して、地域全体を活性化させるための複合型の宿泊施設を開業させようとしているのです。詳細についてはサイトをご覧いただきたいのですが、新潟県内では大きく報道(『新潟日報』(ただしプレスリリース)/にいがた経済新聞/上越タイムス/新潟テレビ21)されています。工事もかなり進んでいるはずで現在、すでに「試泊」の段階。
帰りの電車が迫っていますが、高田の旅をもう少しだけ続けます。都市を構成している人間は士族(≒軍人)や為政(いせい)者、商人、飲み屋の人そして庶民だけではないので。
■12月15日(月) こうなるともう、真偽の判断は困難に... ──「JR西日本」から届いたメール──
高田の話を再開したばかりで申し訳ありませんが、今日は予定を変更してお伝えします。
自宅にいる時のセンセイは、朝、書斎に入ると血圧を測定し、新聞に目を通してから晩のうちに届いたメールを確認します。退職後は当然、仕事関係のメールが激減。「確認」は、スパムメール削除とほぼ同義です。
皆さんもそうでしょうが、今夏の証券口座乗っ取り補償対応後はスパムメールが激増。メール確認の際、センセイはまず“Becky! Internet Mail”を起動して、「受信したメールを開いて確認」するのではなく、「郵便受けに投函されている不要なポスティングを読まずに捨てる」要領で、メールボックスからスパムメールを削除します。
その際、タイトルはほとんど読みません。
この段階での判断の目安となるのが発信国に関する情報を含めたドメイン。“.cn”(中国。以前は多かったが減少傾向)は即刻削除しますが、最近は“.com”が大半。
しかもそのドメインすら偽装されることが増えています。だからここから先は注意が必要。内容で判断するしかないのですが、最近は成績AIが進化しており日本語表現についても、以前のように「一読しただけで...」とはいかない場面も。
センセイだって1回騙されたことがありますから、決して偉そうなことは言えません。今朝届いていたメールは15通くらい。同じタイトル──多少異なる時も──が多いし、大半はおかしなドメイン情報。だから全部...とドラッグしかけた時、あれっ?
JR西日本からメールが届いていました。まず感じたのは「おかしい...」。現役時代は同社の予約システムをクレジットカードともに利用し、東日本を移動する時はJR東のシステムを、西日本は西をという具合に使い分けていました。
でも退職の際に、西日本からは退会。頼みの綱のドメイン情報についても、少なくとも“jr-odekake.net”は実在(過去のメールで確かめた)。ただし“info.jr-・・・”が存在するかどうかは不明です。
ここから先は、内容で判断。3年前に届いたJR西日本を騙(かた)るスパムメールと異なり、少なくとも字面(じづら)について「誰が読んでもおかしい...」というような点は見当たりません。でもメールの内容に踏み込んで考えると、印象が一変します。
メールの趣旨は要するに、クレジットカードの情報を入力せよというもの。そもそも、これだけで十分怪しい。
システムを変更するから、あらかじめ教えてもらえると切り替えがスムースだと謳(うた)っていますが、それはシステム内でデータを移行させれば済むこと。もし移行作業をユーザーに任せたら、膨大な量のエラーが発生します。
それによる損失を被(こうむ)るのはJR西日本。もちろんJR西日本はそのようなアナウンスをしていません。内容面からして、このメールはスパムと考えられます。もちろん即刻削除。それに現在のセンセイが西日本のシステムを活用することはない。
センセイはすでに、高齢者向け「ジパング倶楽部」の会員。JR東日本および北海道以外のJR各社についても、山陰地方(こちらやこちら)や中部地方(こちらやこちら)訪問時のように、同パスを使用した方が便利で、しかも費用を抑えられます。というわけで証拠写真を撮影の上でメールを削除。
実害は発生していません。でもこのような生成AIの急速な発展を目の当たりにすると、もはや真偽の判断はかなり困難になりつつあるのではないか...と考えざるを得ないのです。
■12月14日(日) 南高田駅に降り立つ人を出迎えてくれたのは... ──高田は、奥が深い(5)──
...2枚目の写真の美女と、彼女のポーズを真似たゴリラだったというお話。
ただし本題に入る前に、今日の当地の状況を。報道でご存じの方も多いと思いますが、急速に発達中の二つ玉低気圧が現在、北日本を通過中。また寒気が西日本から本州上空に入り込みつつあります。
そのため今日と明日は大荒れの天気。
特に北海道は太平洋側で季節外れの大雪が予想されています。また現在、新潟県と石川県の海岸部で強風が吹いており、局地的に強い雨と雷。
当地の場合、今日の午後から特に酷い状態に。それでも午前中はまだましだったのです。この間に外出しようと思っていたのですが、発注していたBMW専用ウィンドウォッシャー液が予定より早く、今日配達されるとのこと。
BMWの場合、純正品を使用しないと警告される場合があるのです。結果的に正午前に徒歩で出かけたのですが、途中から猛烈な風。そこに時々、横殴りの雨が加わります。傘は壊れそうになるし場合によっては、傘を差していなくても歩行が困難に。
「そんなバカな...」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、海岸部に住む人間にとってはよくある話。旧市街地からの帰路は概ね追い風。「やれやれ」と思いながら、割と近所の建物の風下を伝うように歩いていると、何やらバタバタと激しく揺れるものが。(1枚目の写真)
強風でポリカーボネートの波板が壊れてめくれ上がっているのです。
空き家らしい...と思っていたら、(たぶん)近所の方(写真奥)が工具を手にこちらへ。どうやら以前から何回も補修していらっしゃるようです。
今も外は騒々しいのですが、本題へ。1ヶ月ほど前、上越市高田地区(旧「高田市」)の魅力を不連続でご紹介(こちら〜こちら)しました。白状するとその後も一度、短時間ながら高田を訪れたのです。
日暮れが早くなっていることもあり、高田に滞在できるのは約1時間。前回は高田の北部を訪れています。ただし西村センセイ、南側へ行ったことはない。そこで当初計画通り、直江津から南高田駅まで乗車して、旧市街地中心部を経由しながら高田駅に戻ることに。
歩行距離は約2.5km。実際にはもう少し先(後日紹介予定)まで訪れているので、全体では3.5kmほど歩きました。南高田駅のホームから撮影したのが2枚目の写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
駅前は駐輪場になっており、ふだんは多数の高校生が出入りします。(この日は日曜日)
駐車場を挟んだ向かいのビルには、おぉ、美女とゴリラ(左下)。この建物は現在、古着屋「EPOL」(紹介記事例)として用いられています。
インパクトがある画は、少なくとも約50年くらい前から存在。(たぶんお店は入れ替わり、画も描き直されている)約50年前、高校生だったセンセイが妙高高原を電車とバスで訪れた際には存在していたので。ちなみに、左奥には「かきや食卓市場」(紹介記事例)が。
是非訪れてみたいスーパーなのですが、残念ながら定休日。「かきや」を横目で見ながら200m弱歩いて交差点へ。その角地にあるのが、写真の「小竹製菓(インスタグラム)」(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。
センセイも何度か(こちらおよびこちら)頂いた「サンドパン」で知られています。いろいろなところで紹介(メイド・イン上越/上越妙高タウン情報)される当地のソウルフード。この他にも「笹だんごパン」が有名ですが、センセイはまだ頂いたことがありません。
残念ながら、こちらも日曜定休。
ご賢察の通り、各店の日曜定休──トホホ──を除けば、ここまでは昔から見聞きしていたり、最近知ったことだったのです。ここはまだ序の口。
ここから北に向かって歩くと、コアな高田がその姿を...あれっ?!小竹製菓の向かいにある国土交通省の建物を過ぎると、上越市立城西中学校。「へぇー」と思いながら150mほど歩いていると不意に、写真の案内板が。
良く見ると、右隣には石碑も。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))ここが日本のスキー発祥の地であることを伝えています。一般的には西に位置する「金谷山公園」(上越観光Navi/にいがた観光ナビ)がその地であると理解されています。
ちなみに写真はスキーを伝えたレルヒ少佐。デフォルメした「レルヒさん」のゆるキャラで知られています。説明を読んで事情を概ね理解しました。レルヒ少佐(当時の階級)が日本にスキーを紹介したことに間違いはないのです。でもその現場は城西中学校があるこの場所。
ここにはかつて旧陸軍第13師団第58連隊が駐屯していたのです。レルヒ少佐の最初の指導を受けたのは、同連隊の士官(一般の兵ではない)。すでに少しお伝えしたことですが、高田は江戸時代初期に城が築かれて城下町として発展します。当然、プライドも高い。
特にライバル視していたのは北隣の直江津。(いずれも現在は上越市)明治維新後は、軍都として栄えます(旧城下町でよく見られる事象)。ここから先、武士でも商人でもないセンセイ──農民階級だが、庄屋の末裔でもある──が高田のお城に南側から、いわば攻め入る(?)格好になります。
初めて訪れる高田の中心部。果たして、どのような姿を見せてくれるのか...。
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