2025年6月12日更新
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■6月12日(木) 柳の下の泥鰌... ──「リサーチキャビン」を望遠レンズで撮影しました──
「柳の下の泥鰌(どじょう)」あるいは「株を守りて兎を待つ」状態ですが、事情が事情なので悪しからず。
木曜日は前任校で講義。昨晩も遅くまで作業していたため、前日に続き(ほぼ)寝落ち状態。良くないなぁ...。ただしその後は比較的ちゃんと眠ることができました。その甲斐あってか、今朝の血圧は「平均」124mmHg。
高めながらも正常値の範囲内です。今日の新潟県は晴れ上がるとの予報だし、実際、当地は綺麗に晴れていたので日焼け止めクリームをしっかり塗って自宅を発ちました。まだ疲れが抜けていないので、長岡駅乗り換え後は45分くらいウトウト。
気がつくと列車はもう、新津駅手前。
お伝えしたように乗車した列車は新潟駅で方向転換し、そのまま大学方面へ向かいます。新潟駅出発後、次の東新潟駅へ接近する前に撮影準備を終えます。
もちろん狙うのは事業用コンテナ“ZX45A-1”「リサーチキャビン」。1週間前にご紹介したばかりですが、その時はコンパクトデジカメ望遠端での撮影。良いカメラですがやはり、このような場面での力不足は否めません。
そこで今日は頑張って、他の重い荷物とともに中古「竹」望遠レンズを装着したCANON“EOS Kiss M”を持参。最大の懸念は「リサーチキャビン」がまだJR貨物「東新潟機関区」に残っているのかどうか。事業用のコンテナなので、運用予定等は一切公開されていないはず。
少なくともセンセイはまったく知りません。「どうかなぁー」と思いながら機関区方向を注意していると、おぉ、グレーにクリムゾンレッドの帯が入った「リサーチキャビン」が。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
先週と同じ位置に留置されているようです。
東新潟駅到着寸前に撮影したのが1枚目。機関区は東新潟駅の北側に位置しており、新潟駅は左側に。先週の写真でも、コンテナ側面の様子はある程度わかります。
でも「竹」望遠レンズだと「妻面」──側面と直交する面──の様子までよく理解できます。東新潟駅駅舎配置の都合上、コンテナ真横からの撮影は不可能(跨線橋と壁面がある)。駅発車後、先週と同じような位置で撮影したのが2枚目。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
「絵」の力がコンパクトデジカメと大きく異なります。先週は往路での撮影し損ね、帰路、日が陰った状態で撮ったことも関係しているので、単純な比較はできませんが。左側2/3くらいが測定のためのスペース。
『毎日新聞』の写真と対照すると、右側約1/3は別室でディーゼルエンジンが収められているはず。ただしこちら側の網目状の部分はたぶん空気取り入れ口。コンテナは完全な線対称ではなく、反対側にエンジンと排気口が置かれているようです。
なお、こちらの妻面には出入り口がありません。一般人が得られる情報はこれくらいが限度。カメラを収めて真面目に講義に取り組みます。太陽位置との関係もあり、帰路は滞在こそ確認したものの、撮影はしていません。う〜ん、このままずっと居座るのかなぁ。
新潟駅でいつも通りに乗り換え、一つ手前の駅で下車して晩酌のツマミを購入し、ご帰宅。今日は車を運転していないので...と思いながら血圧を測定すると「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は138mmHg。先週の132mmHg──これも正常値の範囲を逸脱──を越えて、先々週と同じくらいの値。
どうやら講義に力が入りすぎて、疲れが抜けていないらしい。加齢が着実に進行しているにもかかわらず、自意識だけは「現役」に固執しているということでしょうか。
都合の悪いこの数値、冷静に受け入れるしかありません。
■6月11日(水) 「ツバメ発生中!!」?! ──意味は違えど自然界も人間の世界も、生存競争は厳しい──
...もちろんすぐに、「ツバメ営巣中」という意味だと気づきましたが。
朝、雨の金沢を発ち、無事に帰宅しました。現在は金沢工大大学院での講義の「後片付け」を終えたところ。公欠(「公認欠席」)あるいは病気欠席の受講生のために講義の記録を専用サイトにアップロード。
またあれこれ連絡する必要があるのです。昨晩はやはり相当疲れていたようで、恥ずかしながらほぼ寝落ち状態。この頃、時々発生しています。う〜ん、完全引退は意外に近いかも。ゆっくり休むつもりだったのですが、今朝は5時過ぎに目覚めました。
これ実は、前任校での講義日に起きる時刻。さすが、(元)サラリーマン。まだ早い時間だったので寝直そうとしたのですが、無理。7時過ぎに血圧を測定したところ、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)132mmHgと、正常値をクリアできず。
「弛緩期血圧」82mmHgと、基準値こそクリアしているものの、センセイにとっては相当高い。
一晩眠っても疲れが抜けていないようですが、ここは帰るしかありません。金沢市内の通称「山側環状」は一部渋滞しており大変だったのですが、それ以外に大きな問題はなし。
車も不具合や異音等は一切発生しませんでした。総走行距離は片道約240km。これを通常5時間15分(±5分)程度で走ります。この他に途中で1、2回トイレ休憩。お伝えしたように講義は昨年まで水曜朝イチ。
でも今年は火曜日の午後。そのため行動パターンが少し変化しており、現在は往路復路ともに中間点に近い新潟県西端の道の駅「越後 市振の関」で休むことが多い。
先週火曜日、金沢への移動途中で車を止めると、目の前に「ツバメ発生中!!」と書かれた張り紙が。疲れていたのか、一瞬その意味を理解できませんでした。道の駅および「玉ノ木情報ターミナル」(1枚目の写真)の前には、アーケード状の屋根が。
そこにツバメの番(つがい)が巣を作り、子育てをしている最中なのです。
白状すると、先週通った時は雛の様子を確認できなかったのです。センセイの注意力が不足していたためかもしれませんが。でも今週は、巣内外の動きが活発。
写真はいずれも昨日撮影したもの。1枚目は雛の様子(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。原寸トリミング)。どうやら雛は2羽らしい。最初はそうでもなかったのですが、この時は完全にセンセイを警戒しています。
そりゃ、そうでしょう。ご存じの方も多いと思いますが、ツバメは利口。天敵から巣や子供たちを守るため、人間の活動を利用しており、ホントに微妙な距離感を保ちます。
子供以上に親はセンセイを警戒しており、警告のためにセンセイの周囲を舞う場面も。(さすがに攻撃することはない)そもそもこちらはツバメの親子に危害を加える意図はありません。だから少し離れた時を見はからって親は雛に給餌。その瞬間を捉えた──捉え損なった?──のが右の写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
親鳥の嘴には白い虫のようなものが。2羽の雛、良く見ると右側の雛の方が大きく、しかも動きは活発。この時も右側の方が餌をゲットしたらしい。自然界にはかように厳しい生存競争が。まぁ、人間の世界も別な意味での、そして見えにくい「生存競争」が。
ふと、ツバメの番との間に感じる血の繋がり。もっとも、俊敏なツバメ──ホントに、目にも止まらない動き──にしてみたら、センセイなんて愚鈍(ぐどん)な木偶(でく)の坊なんだろうけれど。ちなみに帰宅後に測定した血圧の「平均」は138mmHgと、正常値の範囲内をクリアできず。
さすがに疲労感満載だった昨晩より改善されていますが。事実は事実。しかたありません。
■6月10日(火) センサー交換で無意味な警告は解消。おまけに血圧も下がったと油断していたら...
お察しの通り、最後にドッカーン!!
今日は金沢へ移動してから講義。当然、移動手段が問題になります。
父親の件が長くなったためお伝えしませんでしたが、昨夕、センサーの不具合により入庫していた愛車を引き取りました。社長の説明によると、センサーモジュール交換で警告は解消したとのこと。
ありがたや、ありがたや。素人の推測は見事に外れたわけです。ま、妄想の類(たぐい)ですから、いいんですけど。他方、もっと心配なのは先日発生した異音。センセイは絶対に急加速しませんが、MT車の特徴を生かしてエンジンブレーは多用。
だからクラッチと後輪には強いストレスがかかっているのは確実。実際、タイヤは後輪だけが消耗(通常は逆)。しかも間もなく、めでたく走行距離200,000kmを達成しますから、後輪駆動軸のベアリング交換時期が迫っているはずなので、この機会に両輪の交換をお願いします。
告げられた整備期間は、約2週間。費用は...ま、相思相愛の恋人のためなら、しかたない。(ディーラーだったらたぶん「買い替えの時期ですね」と言われると思う)
部品の納入状況にもよりますが、作業は今月末から来月が目安。問題は、それまで走行できるかどうか。金沢工大および前任校への通勤は電車に変更可能。ただし母親の通院だけは自動車が必要。
だから、どうしてもしばらくの間、自動車を走らせる必要があります。センセイが最も危惧(きぐ)しているのは走行中に事態が急変して、走行不能なること。最悪の場合「ベアリングが焼き付く」可能性があります。もっとも、話に聞いたことがあるだけで、見たことはありませんが。
社長と話したところ、その可能性は低いとのこと。実はその後、異音は発生していないのです。もちろん緊急時の対応は別です。ベアリングがヘタっていることはほぼ確実ですが。昨日は恐る恐る運転しながらのご帰宅。警告は一切表示されず、また異音も発生しませんでした。
ホントに、なぜだろう。
そこで今日は、様子見を兼ねて自動車で金沢へ移動することにしました。このところ疲れ気味のせいか昨晩は珍しく、割と深い眠り。
今朝、途中で何が起きても、絶対に...と思いながら血圧を測定。初回のみ、いわゆる「上」あるいは「最高」(「収縮期血圧」)が132mmHgと、正常値上限(130mmHg)を超えてしまいましたが、それ以外は問題なし。
それどころか、時々かなり低い値も。最終的な「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は107mmHg──かなり低い──だったのですが、個別には「最高」98mmHgの回も。(写真)
注目していただきたいのは「最低血圧」(「弛緩期血圧」)。なんと、49mmHg。収縮期血圧と違って、個々の弛緩期血圧のデータは記録してません。センセイの場合、弛緩期血圧はまったく問題なく低いためです。
でも、低いとは言っても50mmHg台後半。さすがにこんな数字、見たことがない。
身支度をして、いつもの時刻に自宅を発ちます。富山市を走行中に聞いた正午のニュースは関東甲信および北陸地方は今日梅雨入りしたことを伝えていました。ただし新潟県内は雨がポツポツ当たる程度。
石川県に入ると時々雨に。無事金沢工大到着後は、バタバタしながら講義の準備。もちろん反省点はありますが、概ね問題なく講義終了。その時点ではそれほどの降りではなかったため、業務スーパーでサッポロビールを購入し、そのまま「ニュー三久」へ。
このころから雨が酷くなってきたため、お店前のバス停から路線バスに乗車し、ホテルへ。個人的にはさほどストレスを感じていないのです。ただしどこか、「疲れた」感じ。「頑張って働いたので、風呂上がりのビールがおいしい...」とは違う。いつもならここで血圧を測定するのですが、ちょっとベッドで休んでから血圧を測定。
講義日はどうしても血圧が上昇してしまいますが、それでもこのところは許容範囲内だったのです。でも今日は、ドッカーン!!
写真の血圧の、ざっと1.5倍くらい。もちろん正常値の範囲外です。理由はよくわかりませんが、体感的な「疲れ方」と関係しているような...。
さて明朝の血圧は、どうなる?
■6月9日(月) これも一つの「冥土の土産」? ── 十数年ぶりに「椎谷観音堂」を訪れました──
一昨日、つまり95歳の父親を乗せて柏崎市内を移動したお話の続き。
約束の時刻より少し早く実家に到着すると、父親はすでに道路に通じる橋の袂(たもと)で車を待っていました。これは極めて異例。どうやら彼はルンルン気分らしい。高齢者なので乗降に時間がかかります。
また安全および周囲への影響に配慮する必要が。道路の真ん中近く、その意味では交通の障害となる可能性があるものの、安全性には問題ない場所に停車。杖を使いながら、父親がボトボトと後部座席に乗り込んできました。ちなみに母親は畑で作業中。
目的地はわかっているので車を発車させようとすると「ちょっと待ってくれ」。なぜだろうと思っていたら不意に、後部座席から運転席脇に手が伸びてきました。その先には、なぜか1万円札。「ガソリン代」とのこと。受け取るつもりはないので「いらない」と突っ返したのですが、収める気配なし。
それどころか今度は、「お前、暇だろ?」。彼の意図が徐々に見えてきました。まず、この日のドライブの目的ははっきりしています。出身高校の同窓生に会いに行くのです。話が一時的に逸れますが、新潟県は伝統的に各分野の拠点校を定めてきました。
たとえば商業は「新潟商業高校」という具合。
ある分野については、父親らが卒業した高校が拠点校だったのです。確かにそこを卒業すると父親を含めて大半が県職員として採用されて、県政の実務を担いました。(ただし行政のトップにはなれない)
従って同窓会組織も強力で、県内各地に支部が。されど父親が高校生だったのは戦中。時代は移り変わり、社会も大きく変化したため、支部は次々と解散。父親らが所属する「柏崎刈羽(かりわ)支部」も解散することになったらしい。
その連絡が届いたようで、支部の役員(?)にお目にかかった上で、会費か預かり金かを渡したいのだそうです。なるほどねぇ。それだったら、できるだけこのことをいたしましょう。
お宅に到着すると、ご主人が「お茶を...」と勧めてくださったのですが父親は固辞し、庭石に腰掛けました。ここから先は二人の世界。立ち入る必要はありません。
親密な関係の人間にしかできない話が続いている間、センセイは立派な庭を拝見させていただきます。20分ほどで用件は終了。
車を出すと「『しいや(椎谷)の観音さん』に連れて行ってくれ」。少し前から時々、この種の要望が出ていたのです。今回の訪問先を含めて、昔訪れた場所を再訪したいらしい。
どうやら里心がついているようなのです。昨年末に唯一生き残ってた姉が99歳6ヶ月で天寿をまっとうしたこともあってか、いよいよお迎えが近いと考えている気配が。実際には、この状態が十数年続いているのですが。
「椎谷の観音さん」とは1枚目の「椎谷観音堂」のこと。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))弘仁年間(810年〜823年)に建立されたと伝えられており、地域の人々から親しまれている存在です。当然、センセイは小学校のハイキング(?)以来、何回か訪れています。
観音堂は椎谷岬の上部に。標高約65mの駐車場までは自動車で行くことができるのですが、さらに約15m高い観音堂および2枚目の宝物殿(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))へは、約300段の石段を歩いて上るしかありません。
さすがに3/4くらいのところで諦め、観音堂と宝物殿の上部を拝んでいました。実は坂道、上るより下る方が危険かつ難しい(特に高齢者には)。「冷たい...」とお感じなるかもしれませんが西村センセイ、十分注意を払いつつも、敢えてこちらからは手助けはせずに、あちこちを拝見していました。
観音堂を訪れるのは、十数年ぶり。10分ほどで駐車場まで降りてきた父親を乗せて発車します。この日はこのまま実家へ帰ったのですが途中、「今度は○○へ連れて行ってくれ」とのこと。乗車時の「暇だろ?」とガソリン代は、そのためのものだったのです。
なぜ「○○」なのかの説明はありません。でもセンセイには思い当たる節が。1890年(明治23年)生まれの母親つまりセンセイの祖母の実家があった地域名なのです。彼女の実家のおおよその場所は知っていますが、正確な位置は知りません。
過去形にしたのは、現在、家は絶えてしまった──と聞いている──から。父親は昭和の、それも早い時期に6人続いた娘の後に生まれた待望の長男。容易に想像される通り、かなり強いマザコン。
その意味ではむしろ、彼が母親の「お迎え」を待っているのかも。
ま、いいんですけど。
■6月8日(日) ガソリン価格はひとまず低下傾向。されど長距離の移動方法を再検討すべき時期かも...
速報性を優先し、予定を変更してお伝えします。
今日は本日のみ有効の企画乗車券(持参人式)を譲り受けています。ただしこのところ講義の準備や両親の世話などがあり、疲れが抜けていません。自動車のセンサートラブルに加えて、昨日発覚した異音への対応も求められているし。
先月同様、乗車券の本格的な活用は無理。いろいろ考えた末、お昼前後の3時間ほどを使ってJR越後線で吉田(燕市)まで往復することにしました。往復ともに始発駅からの乗車だし、越後線にはしばらく乗っていない。ただし主目的は別。
4月の「プチ同級会」の際に初めて立ち寄った「ラ・ムー 燕吉田店」の再訪です。総菜と弁当類の価格に衝撃を受けたのです。高校時代に毎日見た車窓風景──実はかなり変化している──を確かめながら、吉田駅へ。10分弱歩くだけで「ラ・ムー」到着。店内、特に総菜コーナーは相当な混雑。
日曜日の正午頃ということも関係しているのでしょう、
総菜類の価格を改めて確認したのですが、安い。一般的なスーパー比で-40%〜-50%くらい。「業務スーパー」(ただし三馬店では総菜を取り扱っていない)比でも30%程度安価。
それでいて一見する限り、品質が劣るとは思えない。前回はお弁当を購入したので、今回は総菜にします。というか、お目当ては運営会社の(株)西源(にしげん)がある長野県中信地方で食べられる「山賊焼き」。
鶏もも肉を醤油ダレに漬け込み、片栗粉をまぶして揚げた物とのこと。4月に訪れた時も陳列されていることを確認しています。ただし今日は見当たらなかったので、鶏肉の天ぷら──100gあたり98円!! ──を購入し、帰りの電車の中で頂きました。
塩分が少なかったことも選択の要因。前回のお弁当には何の問題もなかったのです。ただし残念ながら今回の鶏天は、何だかちょっとイマイチ。衣が妙に厚く、味がしません。
決定的だったのが、脂分の多さ。加齢が進んだ現在のセンセイには、かなり辛い。正直なところ今後、「ラ・ムー」とのご縁は、どうかなぁ...。
お昼を頂き、しかもE129系の心地良い揺れが続いたので最後はウトウトしつつ柏崎駅到着。晩酌のツマミを購入するために、そして今日の運動不足を幾ばくかでも回復すべく、かなり歩いていつものスーパーへ。
お刺身を買い、隣接する幹線道路へ出て撮影したのが写真。先月末ご紹介したばかりのガソリンスタンドです。先週金曜日、実家へ行く前にここで給油したのですが、その時のガソリン価格はレギュラー155円(/L)と、前回より大幅に低下していました。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
だから、「もしかすると...」と思って訪れたのですが、おぉ、わずか2日間で、さらに2円(/L)低下しています。「ガソリン価格比較サイト」上の情報を参照する限り、相当安いと思う。
価格低下の要因としては政府の補助金に加えて、アラブ産油国の石油増産による原油価格の下落や過度な円安の落ち着きによる需給関係の変化が考えられます。まぁ、備蓄米放出による米価の変動のようなもの。
個人的かつ短期的にはありがたい。センセイは通常、毎週約25Lを給油します。ここ2、3週間のガソリン価格下落で海苔弁当1個分が浮いたようなもの。それなら、前任校を含めてどこへ行く時も車で...といきたいところですが、愛車は現在入院中。
しかもそれ以前の問題として、加齢が急速に進行中。まだ事故等には至っていませんが、そろそろ長距離の移動方法を再検討せざるを得ない時期に入ったようです。
■6月7日(土) 転んでもただでは... ──これぞ、勘違いで撮影し損ねた国道8号線の「上輪橋」です──
予定を変更してお伝えします。
昨日、金曜日で訪れた実家で、父親からイレギュラーな頼み事が。市内のある場所に連れて行って欲しいというのです。スーパーで食料を調達して実家に戻った後、彼を車の後部座席に乗せます。
彼の手には昔の『住宅地図』。ナシテ?!そもそも訪問理由は不明。おおよその目的地だけを承知しており、平成の大合併で柏崎市になる前の旧西山町町内。ただし昭和の大合併前は、こちらが二田(ふただ)村なのに対して、目的地は隣の内郷(ないごう)村。
地域的な繋がりはそれほど濃くありません。センセイの頭の中は「????」だらけですが、だいたいの目的地の位置はわかっているので、とにかく車を走らせます。すると父親が嬉しそうにいろいろなことを話し始めました。こんな表情、最近見たことがない。
まず目的地は、以前ご紹介した「堂坂トンネル」出口付近らしい。
それならばと、ハクチョウで有名な「長峰大池」脇を通って「堂坂トンネル」へ。この間の彼の説明から、訪問目的も徐々にわかってきました。
これについては後日。無事にトンネルを抜けたのですが、ここから先は「1回来たことがあるだけ」とのこと。実は、目的のお宅もはっきりしていないそうです。だから『住宅地図』だったのね。
それと思(おぼ)しき場所に車を止め、表札を確認させていただきます。どうなることかと心配したのですが、あっさりと2軒目で目的のお宅へ到着(つまり父親の記憶は正しかった)。されど肝心要のお相手が不在。そこで今日、改めて出直すことに。
電話連絡しておいたので、今度こそ目的完了。それはそれでめでたいのですが山道を走行中、センサートラブルが確認されている左後輪から時々異音がするように。最初は気のせいかと思った──というより「願った」──のですが、残念ながら事実は事実。
「キュルキュルッ」というような摩擦音。ただし錆などでブレーキパッドが常に接触している時の金属音ではありまえん。またカーブで遠心力が掛かる時や、加減速で進行方法および逆への力が掛かる時に顕著。実家に到着してから車体下部を確かめたのですが、何かが引っかかっているような気配はありません。
もちろん、タイヤホイールのぐらつきもない。いろいろ考えた末、お世話になっている自動車販売店と相談することに。非営業日なのでどうかなぁーと思ったのですが、倖いなことに社長が応対してくださりました。事情を説明した結果、このまま車をお店へ持ち込むことに。
ちょうど新しいセンサーも届いたそうです。出たり出なかったり──理由は不明──する異音を気にしながら、無事にお店へ。どうやら今日は従業員を休ませて、社長お一人で仕事をしていたらしい。状況からすると車軸のベアリングの問題などが考えられるとのこと。
なるほど...と納得できるのですが、この場合は1週間程度の入庫になるはず。このような経緯で、さしあたり届いたセンサーを交換した上で、今回発生した事象を確かめて頂くことに。このまま車を預けて、来週月曜日にはご連絡を頂くことになっています。ありがたや、ありがたや。
で、センセイはというと、今日は公共交通機関つまり電車で帰るしかありません。ちょうど良い列車が出発した直後だったのですが、ま、しかたない。
ただし発想を転換すれば、これもチャンス。電車の中の窓を開けることができる座席を確保して、隣の「胞姫(よなひめ)橋」と勘違い──トホホ──してしまった「上輪(あげわ)橋」を改めて撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
太陽がかなり傾いているので、赤みがかっています。幹線国道8号線を通行止めにした損傷箇所は橋の左側(=東側)、作業用のゴンドラが係留されている部分の最下部です。
写真をよぉーく見ると写真右下隅を含めて、谷の左右を数本の旧道が走っていることに気づきます。これが旧国道8号線。九十九(つづら)折りの本当に細い道が幹線国道だったのです。さらにその昔は、難所と知られた米山(よねやま)峠。
松尾芭蕉と曽良(そら)も、ここを通って西側の鉢崎(はっさき)に抜けて、「たわら屋」で一泊しています。まさに、歴史がここに積み重ねられています。ちなみに中央奥にちょっとだけ見えるグレーの物体は、北陸自動車道の橋梁(の一部)。いわば現代版「北前船」。
ま、今日は災いを転じて福と為す、かな。
かなり疲れましたけど。
■6月6日(金) 「売り家と唐様で書く三代目」 ──旧市街地の老舗呉服店「花田屋」が今月末で閉店──
昨日、前任校の講義を終えたのは正午過ぎ。
片づけと受講生への対応を終える頃には、大学食堂は学生諸君ですでに混雑。券売機とカウンターの前には長い行列ができています。並んで待ち、お昼を頂いてもいいのですが、JR最寄り駅行きの学バスが出発してしまいます。
まぁ覚悟していたことなので持参した軽いお昼を頂き、学バスへ。最寄り佐々木駅で、受講生数名を含む学生諸君と電車に乗り込みます。一部の学生は途中駅で下車。新潟駅まで一緒の学生もいましたが、そこから先はセンセイだけ。無事に乗り換えたのですが、ここでどっと疲れが。
受講生の有無とは無関係ですので、誤解なきよう。新津駅から東三条駅手前までの記憶がありません。まぁ、休むことができるのが電車利用のメリットなので、感謝すべきなのですが。17時過ぎに帰宅。いつもより遅い夕ご飯を頂いて、2階の書斎へ。
まず最低限のメールその他をやり取り。
慌ただしくて今朝はざっとしか目を通していない新聞2紙と、Web上の各社記事を確認します。地元柏崎市の新聞(Web版)を開いて、え"っ!?
「天保13年創業 老舗衣料品『花田屋』が6月末で閉店へ」という見出しが目に飛び込んできたのです。「花田屋」というのは旧市街地にある老舗呉服店。それが今月末で183年の歴史に幕を降ろすというのです。当然、市民にとっては大きなニュース。
同時に、センセイを含めた多くの人は「遅かれ早かれ...」と考えていたはず。センセイが高校生だった時は旧市街地のアーケード街、それも中心にお店をどんと構えていたのですが、やがて人々の流れは自動車での移動に便利な郊外へ。
それに抗(あらが)うように行われた再開発に伴い、複合商業施設「フォンジェ」ビルの1階入口脇に移転。その「フォンジェ」、オープン当初は多くのお客さんを迎えることができたのですが、人々の流れを変えることはできません。しかもそこに新潟県中越沖地震。
耐震性が低い建物が大半の旧市街地は壊滅状態。客足は戻らず「フォンジェ」は2001年に経営破綻。その後も当然、鳴かず飛ばず。ついには中核店であるスーパーマーケットまでが撤退してしまいました。花田屋も...と思っていたら、1年くらい前にお店に動きが。
「ついに撤退か...」と考えたのですが実際には、お店のエリアを少し縮小させただけ。白状すると西村センセイ、これには別な意味で驚かされました。「それなら、このまま...」と考えたほど(理由は後述)。そこに閉店のニュースが飛び込んできたので、センセイはもう一度ビックリしたという次第。
写真は今日の午前中に撮影したもの。今朝の『新潟日報』には花田屋閉店が大きく伝えられていました。夕方にはWeb版にも掲載されています(全文を読むためには登録が必要)。同紙にも記されていますが、お店は閉じるものの、会社は存続。
アフターサービス継続という意味もあるのでしょう。でも穿った見方をすると、花田屋は「フォンジェ」の地権者。5代目の元社長は第三セクターである「フォンジェ」の社長を兼務。テナントの撤退に伴い「フォンジェ」の経営には公金つまり市の税金が投入されています。
『柏崎日報』によると、3代目花田屋社長と彼の弟が収集した資料を展示する「黒船館」も継続とのこと。「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」──知らない人は調べてね──という江戸時代の川柳を思い出す西村センセイ。
もっとも花田屋の場合、3代目ではありませんが。
■6月5日(木) 寝台特急が消滅しても、これで全国の鉄道路線を...?! ──JR貨物の事業用コンテナ──
予定を変更して、2日連続で乗物──と言えるのかぁ? ──のお話を。
木曜日なので講義のため前任校へ。金沢往復の疲れが残ったままですが朝5時過ぎに起床。昨晩の睡眠時間そのものは5時間弱。されど前日の睡眠不足の影響か、割と深く休むことができました。
その影響でしょうか、今朝の血圧(「平均」)は117mmHg。最寄り柏崎駅での快速列車乗車と長岡駅での乗り換えに問題はなく、所定時刻に新潟駅到着。たくさんの通勤通学客が下車します。列車はここで数分停車し、進行方向を変えます。センセイは乗車したまま。
新潟駅を発ち、次のJR東日本東新潟駅に接近した時...あ"っ!?東新潟駅は、北側にあるJR貨物の「東新潟機関区」と接しています。そのさらに北にはJR東日本「新潟新幹線車両センター」つまり新幹線車両基地が。JR貨物は新幹線と在来線に挟まれた格好。
その貨物の一角に写真の「車両」が。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))「コキ」(コキ107型)と呼ばれるコンテナ専用貨車にコンテナ1個が搭載されています。でも、よぉーく見ると、コンテナに3個の「穴」が。実はこれら、いずれも窓。これは人が乗車──もちろん関係者以外不可──するための、特殊なコンテナなのです。
具体的にはJR貨物の事業用コンテナ“ZX45A-1”。
新型貨車の性能を測定する(『毎日新聞』記事・同写真)ためのもので、2個しか製造されていません。その中の1個が現在、東新潟機関区に滞在しているのです。
存在に気づいたのは4月中旬。ところが6月に入ってから、その姿が見えなくなっていました。だから所属先の愛知機関区へ戻されたのだろうと考えていたのですが、おぉ、まだいらっしゃったのね。ただしここは貨物列車の「駅」。
コンテナ貨車が多数配置されており、どうしてもその陰になりがち。撮影できたのは今回が初めてです。ただし荷物の関係で、今日はコンパクトデジカメのみ持参。ファインダーがないので、今回のような望遠端だと被写体を上手く捉えられません。
写真は帰路、改めて撮影したものす。たまたま周囲にコンテナ貨車がなかったため、手摺り越しながらコンテナを含めたコキ全体を撮影することができました。ただしこの間に太陽の位置が変わっているため、コンテナ正面が日陰になっています。
でも、ま、しかたない。先月下旬のローカルニュースで、「東新潟機関区 開設60周年 記念一般公開」に際してこのコンテナが外観のみ公開されたことが報道されていました。ていました。また参加者のブログでもその様子が紹介されています。
だから「まだ、新潟にいたんだぁ...」と思っていたのです。関係者限定とはいえ、考えようによっては貨物列車に乗ってあちこち移動できることになります。一般客向けの寝台特急が消滅しようとする現在、(不可能と知りつつも)これで全国を...などという妄想が頭に浮かびます。
でも実際に乗車したら、すぐに降りたくなるでしょう。貨車のサスペンションは、人間を運搬する列車のそれと構造が大きく異なります。乗り心地の良い「空気ばね」なんて存在しないので激しい振動にさらされて、すぐに音を上げるはずなのです。
だから、こうやって外から眺めるしかなさそう。来週以降も、まだ残っているのかなぁ...。
■6月4日(水) まるで何事もなかったかのように... ──車の不具合はセンサー本体以外が原因かも──
予定を変更してお伝えします。
今日は新潟への移動日。
基本的には、帰るだけ。講義はない──ただし帰宅後には前日の講義に関連する業務がたくさんある──ので気分は楽なはずなのです。でも昨晩はなぜか良く眠れず、しかも今朝は4時に目覚めてしまいました。
残念ながら、睡眠不足。長距離運転への影響が気になりますが、「帰らない」という選択肢はありません。ホテルのレストランで朝食を頂き、最後に濃い目のコーヒーを2杯。そもそも運転時は常に「カフェロップ」という眠気防止剤を携帯しています。
早く出発すると出勤ラッシュに重なって、逆にストレスが。
そこで、わざと遅めにホテルを発ちます。市内中心部へ向かう車は多く、かなり渋滞。でもセンセイを乗せた路線バスは逆方向なので、スイスイ進みます。
車を残してきた金沢工大に無事到着。関係者に挨拶し、荷物を入れ換えて帰宅の途へ。今日は9:16に大学を発ちました。最近はいつもこんな感じ。お伝えしたように先々週、愛車にトラブルが発生。
エンジンを始動すると、本当に次から次へと警報音と対応する警告表示。でもさすがに2週間続くと、内容をチェックせずに「了解」をタッチします。大学から少し離れた地点で最後の警告が表示されたので、「了解」。
カーナビなどを兼ねたモニタで「車両情報」(右の写真)から「車両ステータス」(2枚目の写真)を選択します。モニタを完全消灯させることもできるのです。でも現在、速度計付近は警告表示だらけ(こちらの1枚目の写真)で時刻は表示されていません。
でもこれで、モニタ上部には時計が表示される...え"っ?!
一瞬、我が目を疑いました。だって「異常なし」と表示されているのですから。(右の写真)
写真はいずれも、直後の信号停止時に撮影したもの。何回か操作を繰り返しましたが、センサーを含むシステムは完全に正常。トラブル発生後も、基本的な運転機能には何ら問題なかったのです。
ただし省エネモード他への切り替えができず、ノーマルモードでのみ走行可能。個人的には燃費云々(「でんでん」ではなく「うんぬん」)よりも、アクセルを踏み込んだ時のレスポンスの方が切実な問題。BMWはスポーツ走行を意識しているので、ノーマルモードだと過度に反応してしまうのです。(センセイの場合)
でも今は、ちゃんと省エネモードに切り替え可能。やはりこれがセンセイにとってのBMW。人馬一体、以心伝心、相思相愛の恋人とのラブラブ関係完全復活です。嬉しすぎて、もしかするとこれは一種の夢で、儚(はかな)く消え去る運命なのかなぁ...と心配したほど。
でも5分、10分経過しても、安定。かなり険しい石川─富山県境を省エネモードで越えます。燃費はかなり改善。おぉ、このまま帰宅できるかも...と思ったのですがやはり、現実は厳しかった。約1時間後、不意に最初の警報音が鳴動。
お察しの通り、続いて警告のオンパレード。正確に言うと今回、「クラッチ高温」警告だけは表示されなかったのです。「ふーん」と思いながら運転を続けると約1時間半ほど経過して、クラッチの警告が。つまりこれで完全に降り出しに戻ったということになります。
ま、仕方ない。それは問題ではないのですが、今日のシステム一時復活に関して、良くわからないことが。今回の事象は、センサー本体あるいは本体を含むモジュールの機能が短期間とはいえ復旧したことを意味しています。
もちろんセンサーその他の不具合が一時的に直ったのかも。でも、もしかするとそもそもセンサーあるいはモジュールには問題がなく、それと車載コンピュータ(ECU)を繋ぐシステムに問題が発生した可能性が。もちろんECU自体の不具合は否定できないのですが。
具体的には、センサーモジュールとECUを繋ぐデータバスラインの物理的な接続に問題があるのかも。たとえばコネクタの接触不良や短絡(ショート)など。でも激しい振動や温度差の変動が大きい車載システムですから当然、我々が想像するよりはるかに厳しい条件下を想定して設計され、しかも厳重にテストされているはず...。
やたら長くなりましたがやはり、不具合が発生しているかもしれないセンサー(モジュール)を交換して、様子を見るしかなさそう。ただしお店からの連絡は、まだありません。どうなっているのかなぁ...と思いながら、お店の前を通過。技術力はあるし、そもそもとても誠実な商売をしていらっしゃいます。
だからこの辺の問題が改善されればグッと大きく成長し、飛躍できる自動車販売店だと思うのですが...。
■6月3日(火) 残りの講義期間も、お世話になります ──金沢の夕食問題は、ひとまず決着へ──
割と夜更かししたのに、今朝は暗いうちにお目覚め。
不思議なもので現役時代はもちろんのこと、客員教授になってからも講義のある日の朝は、いつもこんな感じ。寝坊しそうになって家人に起こされた...という記憶はまったくありません。
う〜ん、一種の職業病かも。眠りが浅めだったからでしょう、残念ながら朝の血圧は「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は125mmHg。正常値の範囲内ではあるものの、高め。懸念していた通りです。でも仕事は、仕事。
何より、受講生が金沢で待っています。自宅を発つ頃から雨が降り始めました。新潟県内はそれほどでもなかったのですが、富山県内に入ると、時には水しぶきを上げながらの走行。ただしこの天気の影響か行きかう車は少なめで、割と順調に走行できました。
大学到着後は講義の準備に専念します。講義前半の山場であるにもかかわらず、このところの疲労のため、昨日までに準備を終えることができなかったのです。もちろん背景にあるのは加齢。残念ながら、もう無理はできないということです。
それはともかく頑張った甲斐あって、大学院の講義を終えることができました。
まぁ、冷静に考えると受講生に助けられた面が大きいのですが。次の時間、教室を資格関係の講義で使用することもあり、大急ぎで撤収。
センセイ個人としては、ここからがもう一つのポイント。先々週お伝えしたように、講義日の夕食とビールの確保に問題が発生しているのです。サッポロビールに関しては先週、大学近くの「ゲンキー扇ヶ丘店」を訪れました。
「ゲンキー」は生鮮食品(鮮魚を除く)を圧倒的な低価格で提供。その際、あわせて医療品やその他の食品、生活用品類を購入してもらうというビジネスモデル。だからビールも...と期待したのが甘かった。
何と、スーパーよりも高い。でもよく考えてみれば、ビールを含めた酒類はまさに嗜好性の高い食品。だから「お店に寄ったついでに...」というお客さんに低価格で販売する必要はないのですね。
ちなみに、石川県に根拠地がある「クスリのアオキ」も訪れましたが、こちらはスーパーと同程度。いろいろ考えた末、今日は講義を終えてからホテルへの途中にある「業務スーパー」(三馬(みんま)店)を訪れました。現役時代も時々訪れていたのですが白状すると、それ以上のご縁には繋がりませんでした。
で、肝心の価格はというと500mLのロング缶の場合、スーパーより30円以上安い。吝嗇(りんしょく:ケチのこと)と嫌悪されるかもしれませんが、そもそもセンセイは年金生活者。それも30歳でやっと定職に就いています。ちなみに、これでも業界では早い方。というか、そもそも定職を得られない人の方が多い。
それほど実態は悲惨なのです。(受講生を含めて)これまでのご縁に感謝しつつ、ビールを購入。続いて今日の運動不足解消を兼ねて、約1km離れた「ニュー三久」まで歩き、値引きされた惣菜を購入します。その先にあるバス停から、路線バスに乗車。
ホテル到着後、「今日はそんなにストレスもなかったから...」と思いながら血圧を測定すると、ドッカーン!!「平均」137mmHgと、正常値上限をクリアできず。
でもこれは「名誉の負傷」というイメージ。まぁ、頑張った今日だから、しかたないかな。
食料確保に関する限り残り8回となった金沢工大大学院の講義も、このパターンになりそうです。
■6月2日(月) 生長しつつある苗と成長途中の子供達。それらを見守る高齢者と、間を取り持つ存在
結果的に何と、4日続けて若草色のお話。(スミマセン)
明日は雨との予報ですが、その中を移動して金沢工大大学院の講義。
前任校と合わせると、週3日は講義ないしはそのための移動日ということになります。週休4日と言い換えることも可能。こう記すと、ずいぶん優雅で楽チンな生活と思われるかもしれませんが、月曜日はそのための準備。
どんなに集中しても、半日かかります。だから実際には週休3日で、しかも「休日」に実家の用が入ってきます。さらには昨日のように、それ以外の用が入る日も。加齢に伴い、無理すれば何でもできた時代は遠い過去のお話。公私の仕事と体調管理のバランスを確実に取る必要があります。
たとえば昨日の場合、かなり疲労しました。
明日以降のために今日は働くしかないのですが、今朝はちょっと特別。朝イチにかかりつけの歯科医院で治療していただくことになっているのです。
3月上旬に臼歯のレジン(樹脂)が脱落。過去にカリエス(虫歯)になり抜髄(ばつずい:歯の神経を抜くこと)した失活歯(しっかつし)だから、周囲を削ってレジンを詰め直せば...と考えたのが甘かった。
何と、神経が生きている生活歯(せいかつし)だったのです。発見が遅かったため既に歯の神経が冒されており、今度こそ抜髄。生きる上で歯は非常に重要な役割を果たしているので、時間をかけて丁寧に治療していただきます。
しかも今回は、特に大切な部位。今後を考えて保険適用外診療を選択したので、費用も掛かります。その額はざっと、金沢工大大学院の講義給与全体に相当するくらいの金額。
う〜ん、何のために働いているのだろう...。でも、ま、仕方ありません。最も重要な抜髄およびそれに伴う治療は先月までに終了し、今日は被せ物を作るために歯の外周を削ってから「印象」(型取り)。山場を越えているので、作業は順調に進行します。
もちろん痛みはなし。やれやれ。もし痛かったら、これまでの治療のどこかに瑕疵(かし)があったということを意味しているので。1歳下のドクターの治療には感謝しつつ、しかしどこか沈みがちな気分で歯科医院を出た時、まさに「黄色い声」が。
スーパーマーケット近くの歩道上に、大勢の小学生。校外学習の一環として、スーパーあるいはその隣のホームセンターを訪れたのでしょう。撮影しようかと思ったのですが、その時の位置だとグループと真向かいになり、個人を特定できる可能性が。
撮影を諦めて歩いていると、何と、今度は背後から彼ら彼女らの声が。どうやら見学を終えて、写真左側にある比角(ひすみ)小学校へ戻るところらしい。少なくとも2学級から構成されており、写真はその2クラス目。颯爽と先頭を歩くのは若い女性教諭。もちろん学級担任でしょう。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
子供たちの元気なおしゃべりは相変わらず。最初に見た時から気づいていたのですが、教諭以外にも大人が何名か参加しています。このクラスの場合だと3名。一人は保護者(たぶん母親)のようですが、続く2名は祖父母あるいはその世代。
手前に広がるのは数日前に苗を植えた田圃。田植え直後は本当にか細い苗だったので、「水鏡」が可能だったのです。でも今日は無理。皆さんがこの苗の色からどんな印象をお持ちになるかはわかりません──個人的には、あまり好みの色ではない──が、稲がしっかりと生長していることは確実。
もう、おわかりですよね。客観的に見ると現在のセンセイの立場は、ボランティアで参加している高齢者の立場。他方、講義の受講生は、まさに生長しつつある稲や、伸びつつある児童。さすがに小学生よりは年増ですが。
両者を繋ぐのが、前をしっかりと指差す女性教諭。ここに至るまで、関係者の努力は相当大変だったはず。
貴重な場面に遭遇したことに感謝しますが、子供たちがこの日のことを覚えているかどうかは別。もちろん参加したボランティアのことなんて、まず間違いなく記憶に残らないはず。
でも、それでいいんです。
■6月1日(日) 来年は、無理だろうなぁ... ──義理の叔母宅を訪れて、今だけの空豆を頂きました──
3日続けて緑色つまり植物の話題。この時季、それも僅か1、2週間だけの写真なので、ご容赦の程を。
いきなり本題から外れますが、今日の写真だけ色合いと雰囲気が異なることに気づかれた方がいらっしゃるはず。最近ご紹介している写真はほとんど、一眼ミラーレスCANON“EOS Kiss M”と中古「竹」望遠レンズで撮影しています。
ただしこのページの場合、先週月曜日の2枚目は「神」広角レンズ。また同日の1枚目は“PowerShot G9 X Mark II”で撮っています。オリジナルだとそれぞれの特徴がわかるのですが、掲載写真はかなり縮小しているため差が小さくなります。また同一メーカー製だからでしょうか、雰囲気はかなり共通。
でも今日の写真は、あれっ?!何だか、雰囲気が違う...。
実は、今日の写真は作業中に胸ポケットに収めていた“iPhone SE”(第2世代)で撮影しているのです(カメラを持参していたが、車の中に残していた)。撮影画素数はずっと多いのですが色合い、特に緑色が少し「くすんだ」感じに。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
同じ種類の植物を撮影しても、色の冴えがイマイチ...。
またオリジナル写真だと、エッジの処理の違いにも気づきます。最近のスマートフォン──特に上位機種──なら改良されているのでしょうが。
でも、ま、ここは撮影することの方が大切。お察しかと思いますが、今日は自動車で新潟市西部に住む義理の叔母宅を訪れたのです。叔母に会い、彼女が育てている空豆(こちらやこちら)を分けていただくのが目的。
毎年、この時季の年中行事です。ただし叔母も御歳90歳。叔母の場合、特に膝の具合が悪いそうで日常生活にも支障をきたしているとのこと。しかも叔母宅の電話は有線電話。
ワイヤレスの子機がないため、電話を掛けても応答できない場合も。すぐそばにある畑の耕作についても同様で、今年は手押し車を押しながらでないと畑へ移動することができないとのこと。というわけで今日の収穫はセンセイらが担いました。
拡大写真を良く見ると奥に叔母(の背中)を、また空豆の株の下部に未成熟の空豆を確認できます。電話がなかなか通じなかったので心配していると、やっと「今日なら...」という連絡が。また地元テレビ局も数日前、この地域の空豆の収穫が始まったことを伝えました。今朝はちょっと早起きをし、満を持して...という次第。
叔母はセンセイの母親と同学年。ただし早生まれの母親はまだ89歳ですが。決して競争しているわけではないのですが、客観的には去年から今年のかけての叔母の変化はかなり気がかり。これは母親にも通じますが、彼女たちが心から愛する農作業は、(ほぼ)無から有を生み出す(“creatio ex nihilo”)という、ある意味とてつもなく高貴な仕事。
と同時に、大変な重労働です。来年は、無理だろうなぁ...と密かに覚悟しつつ、そして彼女らの苦労を心の中で労(ねぎら)いながら、茹でた空豆を頂いています。
深謝。
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