2001年4月7日更新(2001年4月16日ページ移動。2002年9月22日および2003年9月8日一部写真削除)

最近のニュース(バックナンバー)

−−2001年4月第1週−−

この他のバックナンバーはこちらから週を選択してください


4月7日(土) 廃線跡を訪れてみました −−不連続廃線跡探訪記(1)−−

 当地の週末の天気予報はあまり良くなかったのですが、それほど崩れもしなかったので、今日は一人でちょっと気になっていた場所を探検しました。

 気になっていた場所、というのはJR線の廃線跡なのです。

 センセイが住んでいる柏崎市にはJR信越線とJR越後線が走っています。両線ともその歴史は古く、かつての北国街道の役目を果たしています。
 鉄道はその時々の建設・運輸技術力によってその形を変えることがあります。たとえば蒸気機関車に引っ張られた客車に乗ってみると、蒸気機関車は勾配にとても弱いことがわかります。また、蒸気機関車が走っていたころの建設技術だと長いトンネルを掘れないので、短いトンネルをいくつも重ねることになります。柏崎近辺の信越線だと柏崎〜米山間が特にそうだったのですが、雪害や冬の波の害(!!)を受けやすいという問題があります。そしてそもそも単線である上にトンネルが狭すぎて電化できない−−架線を張れない−−という致命的な問題があります。

 このような問題を一挙に解決するためには複線電化して、輸送力を強化することが望まれます。前述した柏崎〜米山間でも海側の短いトンネルを放棄して、山側に長いトンネルが掘られています。高校生の時、必修だった地学の地質調査のためにこの廃線跡を歩いたことがあります。
 使われなくなったトンネルは正直なところ不気味なものです。一部は椎茸の栽培などに使われているようですが、多くは放置されたままです。上記区間でも1本だけが海水浴客用に海岸を結ぶ通路として使われているだけです。

 実は、柏崎市にはもう一カ所廃線跡があるのです。同じJR信越線なのですが、米山とは反対側の長岡との峠付近なのです。

 柏崎から長岡方面へ信越線で向かう場合、長鳥(ながとり)駅を過ぎるとほどなく正式には塚山隧道という、長さ1,800mほどの立派なトンネルに入ります。これを抜けると長岡側(越路町)になります。電車で通勤するようになって気づいたのですが、この塚山トンネル、とても立派すぎるのです。
 もしかして、と思い注意していると、塚山トンネルに入る手前で遅い道が右の方へ外れて行きます。
 一般に、トンネルを大きくしたい場合、使用中のトンネルを拡幅することは少なく、新しいトンネルをその脇に掘るのが普通です。現在では掘削技術も進歩しているので山の低いところから長いトンネルを掘ります。この常識がそのまま通用するなら、右手の細い道の先には廃線跡があるのではないかと考えたわけです。

 それを決定づけたのが反対、つまり長岡(越路)側のトンネル跡でした。非常に見づらい場所にあるのでこれまでわからなかったのですが、つい先日、長岡側から新トンネルに入る時、一瞬ですが左手(柏崎から見ると右手)に古いトンネルがあることを確認しました。もうこれで古いトンネルが存在することはほぼ確実です。

 というわけで、前フリが長くなりましたが、廃線跡を探しに出たわけです。

 長鳥駅を過ぎ、塚山トンネルの脇に車を停めて、いよいよ出発。道は予想していたよりもはるかに細く、本当に廃線跡なのか自信がなくなってきました。しかししばらく進むと、小さな小川を挟んで道が2本にわかれました。これでその中の1本が廃線跡なのは確実となりました。山間部に線路を引く場合、保守や除雪のためにその脇に道路を設けるのが普通です。たぶん低い方が線路で曲がり方が少しだけきつい方が道路なのでしょう。自分が歩いている場所を客車や貨物がごうごうと音を立てて走っていたのかと考えると、タイムスリップしたようなとても不思議な気分がします。自分の中を本当に列車が通過しているかのようなリアルさです。

 そのまま数百m−−気分は1km−−歩くと......ありました!! トンネルです(1枚目の写真)。
 近づいてみると何だかとても小さく、とても列車が入れるようには思えません。そもそも細いトンネルのようで、これでは電化はとてもむりですし、その上、ずっと放置されていたので、土砂がかなり入り込んでいるようです。

 最初は気のせいだと思ったのですが、トンネルの奥にほんの少し明かりが見えます。距離を考えると長岡側の光ではないでしょうから、どうやらこのトンネル思ったより短いようです。

 で、側道を進むと、やはり200mくらいでトンネルは終わっていました(2枚目の写真)。そこから先、線路跡は300mくらい地上を走り、その後は別なトンネルに入っています(3枚目の写真)。

 この間、まったくの谷底を線路として使っています(!!)。当時は線路脇に排水路があったのでしょうが、現在は本来の姿(?)に戻り、一面が川原になっています。特に現在は雪解け水が多く、ここを本当に列車が走っていたのかと思うほどです。冬季間は雪が多かったでしょうし、もしかしたら四方の山からの雪崩があったかもしれません。それまでして鉄路を守っていた先人の努力に頭が下がる思いです。
 勾配に弱い蒸気機関車のためにできるだけ川の流れに沿い、どうしてもダメになったときにできるだけ短いトンネルで抜ける。ここには現代の人々とはずいぶん違った生き方や感じ方があるように思われます。

 近くに蕗の薹を採っているご夫妻がいらしたので少しお話を聞きました。やはり信越線の廃線跡だそうです。ご夫妻のビニール袋は蕗の薹ではちきれそうでした。

 次のトンネルに近づくと、こちらはトンネル内からの湧水もひどく、もうすっかり土砂に埋もれていました(4枚目の写真)。

 小さな探検もおしまいに近づきました。蕗の薹採りのご夫妻にもう一度挨拶し、塚山トンネルに戻りました。銘板を確かめると、(新)塚山トンネルは昭和39年11月に着工し、41年11月に竣工したことになっています。わずか2年の工事だったわけです。旧トンネルはずっと短いものの、おそらくもっと長い工期がかかったものと思われます。
 また、ずいぶん長く旧トンネルを使っていたことになります。昭和41年と言えばセンセイは小学校の低学年。新幹線や高速道路がはりめぐらされた今日では、この廃線跡を列車が走っていた時代がとても昔のように思われます。しかし実際には私たちの両親の時代、つまりほんの昔のことなのですね。そしてそれを理解することすら難しくなっています。



4月6日(金) 当地でも梅が咲き始めました

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 センセイは今日、在宅でいろいろ仕事をしていました。
 郵便局へ行くために外へ出たところ、庭の梅が一輪だけですが咲いていることに気づきました。他の蕾もずいぶん膨らんでいるので、もうすぐ美しい花を咲かせることでしょう。

 関東ではもう葉桜でしょうから、そちらにお住まいの方にはもう古いニュースとなりますが、開花はやはり良いものですね。桜の蕾はまだまだ固いので、もう少し時間がかかりそうです。

 ちょっと思いついたことがあって、明日は小さな探検に出ようと思っています。明晩をご期待ください。それでは、また。



4月5日(木) 「ご対面めぇーん」 −−これから1年間よろしく−−

 今日は外国語のクラス分けのためのテスト「プレイスメント・テスト」をお手伝いするために出勤しました。
 テストは朝9時から。前泊しても良かったのですが、経費節減のために早起きをして出かけました。今朝は空気が寒かったもののとても良く晴れていて、米山がとてもきれいでした。良く見ると手前の山がずいぶん緑色に色づいていました(写真ではうまくわかりません。申し訳ない)。

 夜行列車と新幹線を乗り継いで新潟駅へ。新発田行きの電車はもう入線していました。
 車内を見渡すと、新入生とおぼしき少年・少女がパラパラと見受けられます。下車駅である佐々木駅ではたくさんの学生が降りてきて、連絡用の学バスにやっとで乗り込むほど混雑しました。

 いよいよテスト。受験生には申し訳ないのですが、センセイがテストを受けるわけではないので、こちらは気が楽です。

 試験の時間中、センセイはずっと新入生の皆さんの顔を見ていました。白状するとなかなか良い印象を受けました。

 午後からは4年生にガイダンスをしたのですが、こちらはさすがに年長組だけあってずいぶん逞しくなっていました。もうどこへ送り出しても何とかなる......かもしれない、という感じです。

 不思議なもので、1年間の授業がうまく行くかどうかは、その年度の最初の授業で決まります。新2・3年生にはまだお目にかかっていませんが、今年の授業がとても楽しみになってきました。



4月4日(水) ちょっと遅咲きの、でもとても味わい深いふきのうとう

今日の新潟は、明け方こそ寒かったものの、とても良い天気で、もうすっかり春爛漫という感じでした。皆さんの所はどうだったのでしょうか。

 このところ風邪をひいてしまったり行事があったりしたので、今日はずいぶん久しぶりに自宅で落ちついて仕事をしました。

 で、他の所用のついでに、お昼はちょっとお散歩......車でお散歩とは言わないでしょうが......。

 柏崎市市街地の中心からほんのちょっと入ったところに「水源池」があります。
 柏崎市の水道水はとても美味しいことで有名−−関東の人には信じられない美味しさなのでは?−−ですが、それはこの水源池を始めとする天然の湧水を水源としているからなのです。

 もうすぐ水源池は桜の見頃となるのですが、花見客で賑わう前に水源池を訪れてみました。
 もうずいぶん暖かくなっているのですが、日の当たりにくい場所などでは写真のような蕗の薹が見られました。センセイの撮影が下手なためにやや精気を欠いていますが、実物はとても澄んだ色をしています。
 中には下の写真のように、枯れ草の下からやっとで芽を出したものも見受けられます。

 がんばれ、ふきのとう。



4月3日(火) 初めまして:入学式が開かれました

 本日、敬和学園大学の入学式が開かれました。

 壇上からデジカメで撮影するわけにも行かないので、今日は式の様子を報道した地元BSN新潟放送のテレビ画面をお借りします。((c)BSN新潟放送

 会場となる新発田市民文化会館へは新入生、教員とも大学からバスで出発しました。
 キャップとガウンを持って大学内の集合場所へ向かったのですが、その途中でたくさんの新入生と保護者に出会いました。「こんにちは。」、「おはようございます。」と新入生からごく自然に声をかけていただきました。

 センセイは他の大学にもよく出かけるのですが、他大学と比較して、敬和学園大学には伝統的に、本学にふさわしい学生が比較的多く入学しているように思われます。
 敬和の教育方針、教育内容をかなりよく理解した上で入学してくるので、教員と学生の関係も良好です。これは他の大学に見られない特徴です。
 私たち教職員、そして学生、保護者は自分たちの「良さ」を再発見していいのではないかと思います。

 ICUの入学式を模した式は13:00から約1時間にわたって無事に開催されました。センセイは壇上からずっと新入生の顔を拝見していました。入学許可者名簿朗読の際に、もう少し元気がよいともっと良かったですね。

 明後日(5日)、センセイは新入生の皆さんとご対面します。「初めまして。」そして「これから4年間、よろしく。」



4月2日(月) 春の庭 −−自宅庭の冬囲いを外してもらいました−−

 曜日まわりの関係で、今日から実質的に新年度。気分が新たになりますね。

 今日は所用で大学へ出勤しました。今日は晴れた上に空気が澄みきっていて飯豊の山々がとても近くに見えました。
 帰宅すると庭がすっかりきれいになっていました。好天を利用して、両親が冬囲いを外してくれたのだそうです。春の香りがしました。


 明日は大学の入学式です。溌剌とした新人たちに会えると思います。式の様子はまた明日。




「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る