2001年4月21日更新(2001年4月30日ページ移動)
昨20日、1年、2・3年、4年の西村ゼミ合同コンパが開かれました。もう、たいへ〜んでした。
参加者は飛び入りを含めて1次会が25名、2次会(写真)が21名というかつてない規模となりました。
いろんな人と話して、考えることが多かったです。また1年生から4年生まで揃うと学生の変化が手に取るようにわかっておもしろかったです。
もう一つ気づいたことは、auの宣伝ではありませんが「学生さんはカネがない」。本当〜っに実感しました。ちょっと間があいてしまいましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。ニュースネタはいろいろあるのですが、授業が始まって、なかなか時間がとれないのです。昨日の科学史は面白い反応が多数寄せられた(こちら)ので、深夜までかかって入力していました。
さて、整形外科からの帰りに、自宅のすぐそばで医院の建築現場に気がつきました。あれっと思って看板をよく読むと高校の同級生の名前が......。
彼とは同じ町の出身で、高校は同級、彼はその後、新潟大学の医学部に進んで免許を取り、一時は研究室に入っていました。現在は柏崎・刈羽地区で最も大きな病院に勤めています。
お父様も実家で開業されていたのですが、数年前に亡くなられたとのこと。胃ガンだったそうですが、なんと彼自身が執刀したそうです。お父様も悔いはなかったでしょう。いつかは独立するんだろうなぁーと思っていたのですが、何と、すぐそばに開業するとは。これでイザという時は安心......と考えている西村センセイでした。
今日はこれから新潟駅前で西村ゼミのコンパです。総勢27名という大所帯。すごいことになるんだろうなぁー。様子はまた後日お知らせします。
4月17日(火) 初夏の日差し −−皆さんのおかげで授業をこなすことができました−−相変わらずの腰痛が続いていますが、今日は大人数の講義があるので、薬を飲んで電車で出勤しました。
日差しはすでに初夏のそれで、数日前までの柔らかな春のものとは一変しています。講義とゼミは皆さんからの有形・無形のご支援もあって、(多少見苦しい場面はあったものの)無事に終えることができました。感謝しております。今日の講義の様子についてはこちらからご覧ください。
明日はゼミ、明後日は授業ですが、こちらもよろしくお願いします。
4月16日(月) 西村センセイは隠れアダム? −−初めて知った事実−−腰痛がいよいよヤバくなったので、午前中に整形外科へ行って来ました。病院は大繁盛で待合室には「患者激増のため駐車場増設」などという張り紙もあります。
整形外科医院が他の病院と違うのは老人が多いことと、待合室の明るさです。客層の中心は60歳〜75歳くらいで、女性患者が中心です。そして何よりも表情が明るい人が多い。ホントは痛いんだろうなぁーと思える人でもニコニコして、リハビリの部屋へ消えて行きます。「ホントはいてぇんだこてね(=本当は痛いのさ)。だぁーどもわらわんばぁやってらんねこてぇね。」などという丁寧な解説まで聞こえてきます。
センセイを含め若干名の若い患者は少しひきつった顔をしていますが、人生の大先輩の前ではまだまだ修行が足りないようです。いよいよセンセイの番になりました。ひとまず診察してからレントゲン写真を撮りました。で、それを見ながらドクター、「アレェッ?」。脊椎の写真に番号を振り始めました。何だろうと思っているとドクター、「足りない......」。ホェ????
ドクターによると西村センセイはあばら骨(肋骨)が1本足りないのだそうです。正確には左側の一番下の肋骨が発育せずに、細いまま、しかも数センチで終わっているのだそうです。「発育不全」と呼ぶそうな。
センセイは昔から左右のバランスに関して違和感を持っていたのですが、ドクターの説明を聞いて妙に納得してしまいました。センセイのネジが外れているのは案外このあたりが原因なのかも。で、考えたのですが、発育しなかったのではなくて、寝ている隙に1本抜かれたのだとしたら......イブは誰なんでしょう。
週末をいかがお過ごしでしょうか。
先月後半の風邪が薬の力でやっと治ったと思ったら、今月に入って腰痛がひどくなり、仕事のペースが落ちています。メールを差し上げるべきお友達の方々、ペットの訪問がやたら遅れておりますが、このような状況なので今しばらくお待ちください。
昨日はページを更新できませんでした。実は、農作業をちょっと手伝うつもりで実家へ行ったのですが、後述するような理由で戻れなくなり、そのまま泊まったためです。
春になり、庄屋の隠居の9代目である実家では農作業が本格的に始まっています。(センセイは10代目予定)
昨日、今日と主力の水稲の最初の大きな作業、田打ち(「たぁーぶち」)と代かき(「しろ」)が行われました。
田打ちは昨年の耕作で固くなった土地を耕運して上下の土砂を入れ換えるものです。
代かきは田打ち後の凸凹の田圃をならして田植えができるようにするものです。昔はいずれも鍬を使って人力で行っていました。もちろんセンセイも子供のころに素足で田圃に入って働きました。センセイは田打ちがあまり上手でなかったらしく、よく近所の老人達に「まだ腰が入っていない」と評されていました。
現在では上の写真のように中型の耕運機で耕します。センセイはドクターストップなので、豊栄市から駆けつけた弟が代わって耕してくれました。
代かきも主に耕運機で行い、今日は十日町に住むもう一人の弟にお願いしました。
しかし機械での代かきには限度があるので、上の写真の後ろのように、最後は野球のグラウンドを整備するトンボのような農機具を使って人力で代をかきます。農作業もやはり最後は人力というわけです。
この間、小さい子供達は実家で留守番。そして少し大きい子供達は農作業を手伝ったり、近くで遊んだりします。
今回は、小学生の子供達が、大人の監視の下で近くの小川で遊んだり、越年したゴミを燃したりしていました。センセイの娘も従兄弟と一緒になって暗くなるまで一生懸命遊んでいました。農家にとって子供達は貴重な労働力です。小学校の高学年ともなれば、量はともかく、大人と同じ仕事を課されます。小2のセンセイの娘も、「今年は田植えをする」と張り切っています。
......で、昨日は家に戻るはずだったのですが、娘の要求で急遽実家に泊まって今日も農作業を手伝うことになったというわけです。一家総出での農作業や、子供達の遊び、そして年齢を越えた遊びの中で年長者が年少者を教育していく姿。......30年くらい前なら田舎のどこでも見られた光景なのですが、今ではとても貴重なものとなっています。そもそもセンセイの田圃の近くもほとんどが耕作放棄で荒れ果てています。田圃を継ぐ人がいないのです。
農業がすべてなどと言う気は毛頭ありませんが、農林漁業の基礎の上に鉱工業があり、そして第三次産業があります。これは単なる経済の問題ではなく、ご覧いただいたように教育や社会の問題でもあるのです。
センセイの田圃、あるいは近所でもあと10年で農業や集落は崩壊すると考えられます。そしてこれまでこの国を支えてきた「地方」は、それに代わる新しい原理を見いだせずにいます。趣味の農業、と言われればそれまでなのですが、センセイはできるだけ自分の家の農業は続けていきたいと考えています......今回は何も仕事をしていないので説得力に欠けるのですが。トホホ。
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