2001年7月11日更新(2001年7月31日ページ移動。2002年9月22日、11月17日および2003年12月21日一部写真削除)
7月11日(水) 出勤途中で見つけたもの −−そのまま放置された火災現場−−関東甲信地方で梅雨が明けた今日、センセイは車で出勤しました。
車で出勤する場合、たいてい西蒲原郡弥彦村を通ります。
弥彦村には越後一宮である弥彦神社があり、その手前には日本で最も大きな鳥居が建てられています。鳥居の奥が弥彦山、右手が角田山です。
で鳥居の右側の建物にご注目。平屋建てのかなり大きな建物があります。
真ん中の写真は、近づいてその建物を撮影したものです。
ずっと閉店したままなのですが、どうやらレストランだったようです。センセイがこの道を使うようになってからずっとこのままです。
センセイは不景気その他の理由で閉店してしまったのだろうと考えていました。ところが......。
ある日、逆方向に走っていて、お店の裏が焼け落ちている(!!)ことに気づきました。右の写真がその様子なのですが、厨房があったと思われる部分が激しく焼け、壁面の一部が崩れ落ちています。近づいてみるとすさまじいものがあります。
火事の発生を皆無にすることはできないかもしれません。けれど不幸にしてそうなった場合は当然後片づけをします。
このレストランの場合は資金や何かの問題で片づけられなかったのでしょうね。放置されたままの火災現場。何か救われないものを感じます。 ......合掌。
7月10日(火) 悲劇のPowerMac G4 Cube が製造「休止」に!!もうご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、Appleは7月4日、PowerMac G4 Cubeの製造を「休止」しました。実質的には製造中止です。詳細についてはこちら<http://www.apple.co.jp/news/2001/jul/04cube.html>から。
とても小さな框体に強力なG4 CPUを搭載し、とても静かなファンレスを実現したG4 Cubeですが、期待に反して一般的な顧客はiMacとG4に流れ、オマケに電源関係やモールドの問題も加わって、短命でラインから消えることになってしまいました。
センセイは現在、G4 Cubeを2台所有しています。センセイのような使い方をするには何の問題もないのですが、多くの顧客には利用しにくいと映ったようです。センセイとしてはまだまだ使ってあげたいと考えています。
皆さんは週末をどのように過ごされたのでしょうか。
センセイは一昨日午後に上京して友人と痛飲し、昨7日(土)は先日講演いただいた(こちら)師匠に面会してから、八王子市の大学セミナーハウスで大学教員の研修に参加していました。
大学セミナーハウスは大学生や一般社会人が研修できる施設で、前から知ってはいたのですが、これまで訪問する機会に恵まれませんでした。今回、初めて逆台形(建物の1階よりも4階の方が大きい)の特徴的な施設を実際に見ることができました。(残念ながら、予備を含めて電池が切れてしまったので写真はありません。)帰途は「乗ったことのない新幹線に乗ろう!!」のテーマを守って、北陸新幹線(通称長野新幹線)に乗りました。東北新幹線は架線切断事故でダイヤが滅茶苦茶になっていましたが、上越、長野新幹線はほぼ定刻通りの運行でした。
長野新幹線に乗車するのは、実は初めてではありません。友人宅への訪問の際に利用したことがあるのですが、佐久平〜長野間はについてはまだ未乗車だったのです。
東京から軽井沢までの自由席はとても混雑していました(センセイは指定席)。夏休み直前の週末のせいか、車窓から見た軽井沢にはとても沢山の人が出ていました。車で来た人が多かったようです。
長野新幹線の乗り心地は上越新幹線よりずっといいのですが、かなりの部分がトンネルで、期待したほどの楽しみはありませんでした。6日の山形新幹線の印象が強すぎたのかもしれません。廃線となった信越線旧碓氷(うすい)峠のアーチ橋も木の枝と葉が伸びてほとんど見ることができませんでした。
長野からは信越線の各駅停車でのんびり移動したのですが、どうもこちらのペースの方がセンセイには似合っているようです。さて、明日からまた仕事や勉強が始まります。前期の講義は最後ですので、皆さんがんばりましょう。
7月6日(金) 西村センセイ、初めての山形新幹線を満喫する!!何だかとても暑い日が続いていますが、皆さん大丈夫でしょうか。昨日(5日)の授業ではダウンしている方がずいぶんいらっしゃいましたよ。
さて、西村センセイは東京への出張にかこつけて、今朝からツアーに出かけています。今回の旅のテーマは「乗ったことのない新幹線に乗ろう!!」です。
昨晩は新潟に一泊。
東京へ向かうのに、まず今朝は白新線−羽越線での北上から始まりました。
大学を横目に見ながら新発田を通過し、笹川流れを楽しんでから山形県へ。鶴岡と酒田の中間にある余目駅で下車し、陸羽西線の快速列車で新庄へ出ました。陸羽西線は最上川に沿って走るのですが、今日は雨がひどく、また道路もあってよく見えませんでした。残念。それでもずいぶんゆっくりと流れる河だなぁーと思いました。
最初の写真は改築された新庄駅です。
新庄駅は福島と青森を結ぶ奥羽本線の駅なのですが、実は山形新幹線の登場によって本線としての機能を果たさなくなっているのです。
というのは山形新幹線は東北新幹線に乗り入れるために幅の広いレールの上を走ります。そのため在来線のこれまでの列車はまったく走ることができません。奥羽本線経由の夜行列車や貨物列車はなくなってしまいました。
最初の写真は新幹線ホームからなのですが、手前が山形新幹線、コンクリート壁の向こうが奥羽本線となり、見事に断ち切られています。ホームにはあちこちに「温泉新幹線」の垂れ幕が下がっていました。温泉が多いのですね。
今回乗った新幹線は最新型のものでした(2枚目の写真)。在来線を改修した路線の上を走るので車体は在来線の特急と同じ大きさで、車内も2列掛けとなっています(3枚目の写真)。何年か前、高校訪問で山形県に入った時に山形新幹線の勇姿を見ました。踏切のある線路を走る姿がとてもかっこよくて、いつか乗ってみたいと思っていたのです。これまでチャンスがなかったのですが、新庄までの延伸もあったので今回思い切って乗ってみました。
やはり在来線の手直しなので、急なカーブもあればものすごい勾配もあります。
特に山形から米沢などの置賜(おいたま)地区へ抜ける箇所や、福島県境などはとんでもない勾配をよっこらしょと登っていくのでビックリしてしまいました。
それに単線区間の多いこと。単線の新幹線!!ですよぉ。特に新庄〜米沢間はほとんどが単線。右側の席に座ったので列車のすれ違いにハラハラ、ドキドキしました。
それに引き換え、福島との県境はものすごい山間(やまあい)を行くのに、かなりの部分が複線化されています。国鉄時代の奥羽本線への意気込みを感じました。山形県内はとても風景がきれいで、また自動車で走った時の風景がそのまま残っていて、やはり山形新幹線に乗ってよかったです。福島からは、皆さん良くご存じの通り「やまびこ」と連結されて東北新幹線を走りました(4枚目の写真)。
さて、今回ぜひチェックしたかったことがあります。
すでに述べたように、山形新幹線は従来の路線のレールの幅を広げて使用しています。ここで問題となるのが在来線との乗り入れなのです。通常は(1)最初の写真のように、接続を断ち切るか、(2)新幹線用の線路と在来線の線路を−−兼ねるのではなく−−並べて別々に敷く、という方法を採ります。
しかし前回山形を訪問した際、ごく一部の区間だけですが、貨物列車を走らせるためにレールを3本引いて(!!)新幹線と在来線が同じ路線の上を走る所を見た覚えがあるのです。これは技術的にはとても難しいことなのです。で、目を凝らしていたのですが、やはりありました。というか、なくなっていました。最後の写真がそれなのですが、山形駅からしばらくの間、やはりレールを3本敷いていました。ただし現在は在来線の分のレールは切れに外されて、枕木にその跡だけが残っています。これは飼料工場まで続いていました。つまりやはり手のかかる方法なのできれいに廃止してしまい、トラックでの輸送に切り換えたのですね。
3本の線路を見れなくなったのは残念ですが、ここまで努力した人たちには本当に頭が下がります。
明日から都内で研修がありますので、明晩ページを更新できるかどうかはわかりません。悪しからず。西村センセイ、次はどの新幹線に乗るのか???? (答は簡単ですね。)
7月4日(水) 西村センセイ、生まれて初めて電車を乗り過ごしそうになる!!西村センセイ、最近は何だか体調がイマイチで、特に午前中は冴えない日が続いています。お医者さんに行っても−−肝臓を除き−−特に問題はなく、「(夜更かしの)習慣のせいでしょう」とのお言葉......。まぁ、病気ではないのですから、喜ぶべきなのですが。
II限からの授業のために7時過ぎに自宅を出発。柏崎駅から特急電車に乗りました。長岡駅まではかろうじて起きていたのですが、見附、東三条、加茂駅の記憶はなく、新津駅を経てあっという間に新潟駅に到着。何とか白新線に乗り込みました。
信越線の中で眠ったのでよもやと思ったのですが、大形あたりから記憶が......ない......。それでも下車駅の一つ手前、黒山駅では「あぁ、もうすぐ下車だな」と思ったのですが......気がつくと佐々木駅。それももうすぐ発車の状況。すんでの差で飛び降りました。本当にヤバかった。センセイ、どんなに酔っても、どんなに忘れ物をしても電車に乗り過ごしたことはないのです。この栄光の記録(?)がもう少しで途切れてしまうところでした。
......オマケ。で、もし佐々木駅で降りられなかったらどうなっていたでしょう? 実は次の駅(西新発田)で上り列車と交換するので、それに乗れば佐々木駅前で待っている学バスに定刻に乗れるのでした。チャンチャン!!
7月3日(火) 柏崎市街地の循環バス「かざぐるま」が走り始めました柏崎駅前で新しいバスを見ました。普通のものより小型で塗装も違っています。
表示をお読みいただければ分かりますが、この新しいバスは市街地中心部を循環するバスなのです。くるくると循環することから「かざぐるま」と名づけられました。
主に、自分で車を運転できない人や老人を念頭においての運行です。経路は柏崎市中心部の要所(市役所、福祉施設「元気館」、柏崎温泉、プールなど)と柏崎駅を結びます。
料金は区間にかかわらず100円と低価格に設定されています。右回り、左回りがありますが、1時間に1本と運行密度も高くして、利用しやすくなっています。そしてこのバスは右の写真のように低床型なのです。しかも車椅子等で乗り降りする時は床がさらにさらに下がるそうです。写真に写っている人は全員が越後交通の関係者なのですが、珍しそうに見ていました。
利用実績が良ければ運行密度を上げたり、もう一台導入することも検討するとか.......。
現在のルートには大きな病院が入っていないので、経路の見直しを含めて、良い方向に動いてほしいものだと思います。
7月2日(月) 柏崎市の日本石油加工(株)が操業を完全に停止したようです新潟は雨の日が続いていたのですが、今日は久しぶりに晴れました。午後からの授業のために、電車で出勤しました。
柏崎駅までの通勤路に日本石油加工の柏崎工場があります。......というか程なく「ありました」という過去形になってしまうでしょう。
工場の機械は完全に停止し、写真おくのゲートも閉じられたままです。「それがどうしたの?」と思われるかもしれません。実はこの場所は、日本の石油産業の発祥の地の一つであり、日本石油創業の地なのです。
もちろんかつての栄光はなく、最近は特殊な石油製品を細々と生産していただけなのですが、やはり時代の大きな変化を感じずにはいられません。
7月1日(日) 西村センセイの先生が大学にお越しになりました!!昨6月30日(土)午後、敬和学園大学初の研究所「人文社会科学研究所」開所を記念して、科学史の分野の大家である東京大学名誉教授渡邊正雄先生をお招きして「敬和フォーラム」が開かれました。当日は大学内外から約50名もの参加者をお迎えすることができました。写真は講演終了後の質疑応答の時間の様子です。
講演のテーマは「日本人の自然観 −−西洋との比較−−」......アレッ?って思いませんでしたか? 何だか西村センセイの授業に似ているぞぉーっ。
そうなのです。西村センセイには複数の大学の現役学長など数人の「師匠」−−この業界のキーワード−−がいるのですが、中でも渡邊先生は最大の師匠なのです。ずっと昔、新潟大学でプラプラしていた時、東京大学を定年で退官されて新潟大学にお越しになっていた渡邊先生と出逢い、意気投合。それどころか科学史上の世界初の発見をする始末!! ......で、渡邊先生が東京に戻られるのと同時にセンセイは国際基督教大学の大学院へ進み、渡邊先生がその教授に、センセイは助手に、といった具合なのです。
渡邊先生が敬和にお越しになるのは、実は初めてではありません。先生は敬和の設立にも深く関係されたため、1991年4月の開学式にお越しになり、キャンパス内にニュートンのりんごの木を後宮理事長とともに植樹されました。
とても大きく育ったニュートンのりんごの木と10年ぶりに再会し、渡邊先生はとても感慨深げでした。そうそう、講演を終えた最初の質問は何と、「先生、先生はいったいおいくつなのですか?」という市民の方からのものでした。それほど精神的には若く、気迫に満ちたものだったのです。先生のお答えは「81歳と6カ月」。とてもそんな年齢には見えません。
そしてもう一つ。先生は講演の最後に「これからは若い皆さんに」と結んでいらっしゃいました。今日は多くの一般市民の方と若干の他大学の学生、そして10名強の西村センセイのゼミ生もその場を体験することができました。この貴重な体験はいつか皆さんの血となり肉となるだろうと思っています。
後から先生からうかがったのですが、ゼミ生の皆さんにとても好感を感じたそうですよ。(ちょっとお歳をとったけど)一流を体験すると、きっと新しい自分を見つけられるものなのです。「来るといいことがあるよ。きっと」と言った先生の言葉の意味がお分かりになりましたか?
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