2002年8月17日更新(2002年8月29日ページ移動。2003年3月16日および2004年4月16日一部写真削除)
暦まわりの関係で、今年は今週一週間がお盆、という感じですね。
今日もそんな話題。週の後半はカミさんの実家のある西蒲原郡潟東村へ移動しました。といってもセンセイは仕事を抱えて平常営業なので、双方の実家に一晩ずつ泊まり、あとは柏崎の自宅でお仕事です......トホホ。
潟東村ではちょうどお祭りが開かれていました。お祭りといってもお盆にあわせて村やその関係者が開いたものなのですが。
それでも会場には村中の人が出てきたのではないかと思わせるほど、沢山の人が繰り出していました。知った顔、と思ったら、亡くなった義父を継いだ新村長。
金魚すくいや食べ物などの屋台や、ゲームコーナーもあります。「社会を明るくする運動」という団扇も配られています。
最も混んでいたのは無料の「ジャンボカレー」コーナー。(写真)ホントに数百人の人が列を作っていました。「ジャンボ」という割には盛りは少な目だったのですが。さて、このお祭りで最も有名なのが写真の「どろんこカップ」です。要するに田圃の中でのバレーボールです。
足元がしっかりしないので、思うように動けず、すぐ転んでしまいます。写真のように滑り込んでレシーブする猛者(もさ)もいました。男性チームだけではなく、女性チームもあるのですが、こちらはあまり転ばないように気を使っているようでした。
このどろんこカップは新潟県内では比較的有名なので、プレスも多数取材に来ていました。夕方のニュースでご覧になった方も多いと思います。
知り合いの小野教育長とお部屋でちょっとお話ししたのですが、人手を増やすのも苦労だそうですが、増えたら増えたでまたいろいろたいへんなんだそうです。
というわけで今週末でお盆も終わり。来週からはみんな平常営業ですね......それにしても仕事が片づかないのは何故なんだろう?
8月15日(木) お盆の柏崎市中心部 −−それにしても世間は狭い!!−−お盆の最終日、そして終戦記念日をどのようにお過ごしでしょうか。
仕事は山のようにたまっているのです−−関係者の皆さんごめんなさい!!−−が、所用もあったのでちょっと気分転換に柏崎市街中心部へ出かけました。
人口8万人、世界最大の原子力発電所をかかえる柏崎市......といっても市街中心部はすっかりさびれています。生活様式が変わり、郊外に大規模小売店が続々と出店しているためです。
かつては人混みで歩道の通り抜けができないほどだった中心部のバス停も、お盆だというのにご覧の通り。食肉店の店主も手持ち無沙汰のご様子......。ちなみに、このような柏崎市でも東京電力管内の発電施設のある場所では最も拓けているのだそうです。場所によっては「島流し」なのだとか!?
このような中でも、新しい動きも見られます。中には現状を正確に把握できずに時代錯誤の計画を官民共同で立案し、そして多額の負債を抱えて破綻したフォンジェのような例もありますが。
今日はもうちょっと地についた試みのご紹介。
柏崎市に接して高柳町があります。能の源流とも言われる綾子舞で知られる場所で、古い歴史を誇りますが、現在は激しい過疎に悩まされています。
その高柳町が、柏崎市街の空店舗を使って特産品を売り出しました(右の写真)。残念ながらお盆期間限定なのですが、これなら出費は最低限で済みますね。中心部商店街もお盆の機会をとらえて活性化に努めています。昨日と今日の二日間、夕方の市街地を歩行者に開放して「ふるさとまつり」が開かれています。カラオケステージやゲーム、大画面ビデオや若干の屋台が出ています。
帰省客が本来のターゲットなのでしょうが、こちらも残念ながら人出は少なく、それも近所の人が夕涼みで出かけている、という感じでした。正直なところ、このような状況での失地回復は極めて困難でしょう。しかし、それでも地道に活性化を試みる人々の努力には頭が下がる思いがします。
......といろいろ考えながら娘と歩いていると「あのぉーう、もしかして、西村先生ですかぁ?」!!!! おぉ、何と敬和の学生さんとそのご両親!! やっぱり世間は狭い。
やっと時差ボケが治ったと思ったら、今度は田舎のメインイベントの一つ、お盆。
西村家10代目(予定)のセンセイもお盆パワーに振り回されています。昨日から実家へ移動したのですが、一族を迎える母の気合いの入れ方は尋常ではありません......もう高齢なので、体の方がなかなかついていかないのがちょっと悲しい。
いつもはガラガラ−−ごめんなさい−−のスーパーも大混雑。日本海が近いので、海へ遊びに行くお客もかなりいるようです。一族そろってのお墓参りの後は大宴会です。
ここで、大人より先に子供たちに食べさせるのがコツ。みんな欠食児童(ご存じ?)のように平らげます。とはいっても、実はこんな光景もすっかり珍しくなりました。
団塊の世代が上京し、その子供たちとともに帰省していた15〜20年前くらいがお盆のピーク(?)で、それ以降は田舎の両親も少なくなり、団塊の世代も高齢化し、そのJrは家庭を持つようになって帰省しなくなっています。
それはとりもなおさず田舎の活力の低下に繋がるわけで、廃屋や荒廃した田畑を見る度に、いろいろ考えさせられる西村センセイなのでした。世の中は先週末からすっかりお盆モード。所用で郵便局へ行ったのですが、普通に勤務していらっしゃる方と帰省客とがグチャグチャ状態でした。
というわけで(?)、今日もちょっと世間ズレしたお話を日本から欧州へ向かう場合、直行便−−昔々はアンカレッジ経由だった−−だとすると、最短の経路はどうなるでしょうか?
地球儀があるとよく分かるのですが、地球は丸いので、実は日本からロシアの上空を通ってバルト海諸国を経てヨーロッパに入るのが最短経路なのですね。
日本国内については、成田から福島県(田子倉湖上空)を経て新潟県に入り、加茂市〜白根市〜新潟市西部上空〜佐渡島北端を経て北上します。写真は新潟市上空から西方を見ているところです。
最初に直行便に乗った時にはまったく気づかず、同行したカミさんと「どこの街だろうね? もしかして滋賀県?」などと、今考えると無茶苦茶なことを言っていたのですが......。
自分が関係する町を上空から見るのは不思議なものです。山深くダムの多い福島県から新潟県に入り、新潟平野や町々を眺めます。
地図の通りなのが何故か不思議な感じ(?)がします......当たり前か。上空からだと最初に山々(写真では弥彦山や米山)、大規模河川(信濃川と大河津分水)、高速道路と鉄道が目に入ります。慣れ親しんだ場所だと一般の道路も分かるようになります。
写真をよく見ていると、上(南西)から長岡市、見附市、分水町、吉田町、弥彦村、岩室村などがわかります。もちろん長岡市や三条市、燕市の写真もあります。Fさん、Iさん、ご入用ですか?
国内線だと飛行距離が短く、したがって飛行高度も比較的低いので、ここまで広い地域を見ることはできません。日本本土を離れる時にはセンセイが住む柏崎市がよく見えます......という話を実家でしたら、「じゃ、この家を見せて」と言ったセンセイの両親って、いったい......。
8月11日(日) 西村センセイ、イギリスに夏をもたらす!? −−イギリス車のエアコン事情−−世の中はすっかりお盆モードですが、世間からちょっとずれてしまった西村センセイ、今晩はイギリスのちょっとしたお話を。
ご存じの方も多いと思いますが、実はイギリス、かなりの高緯度地方に位置します。日本近辺だと樺太くらいのはずです。それほどの高緯度にもかかわらず比較的温暖なのは大西洋の暖流のせい......と中学校くらいで習ったような気がしますねぇー。
感覚的には北海道(札幌)くらいの気候の感覚なのです。夏も意外と暑くならない。というわけで、ロンドンっ子は短い夏を本当に心待ちにしているようです(実感)。
しかもこの夏(前半)、イギリスは冷夏が続いたそうで、上着が手放せなかったとのこと......もともとヨーロッパではTシャツの隣をコートが歩いているなど、着ているものはバラバラなのですが。で、そんな20〜23℃最高気温(!!)が続いていたロンドンに西村センセイが到着した途端、なぜか最高気温は30℃以上に!! 西村センセイは夏男だったのでしょうか?
ところが喜んでばかりもいられません。「札幌くらいの気候」ということは世の中もそれくらいの備えしかないということなのです。
ロンドンでレンタカーを借りて驚いたのは、何と、エアコンがない!!!! 「ここは札幌!!」と思えば無理からぬことですし、それに当初はレンタカーだけなのかもしれないなぁーと思っていたのです。
でも高速道路−−無料で広い−−をレンタカーで走っていて気づいたのは、みんな窓を開けていること。一部のドイツ製の高級車を除けば、本当にエアコンは備えていないようです。で、このような状況で、「もし」激しい渋滞に巻き込まれてしまったとすると......お察しの通りの惨憺たる状況に至るのでした......それにしても暑かった。
......で、日本に戻ってくると、この間、相当暑かったらしい......。ということは他にも夏男が????
P.S. ちなみにセンセイがイギリスを離れた途端、また寒くなり、しかも局地的な豪雨があったりしたようですよ。
8月10日(土) 外国で自分のホームページを覗いてみる......ちょっとアメリカでのお話を。
今回のツアーでは初めて海外からのインターネット接続に挑戦しました。
センセイのプロバイダーは海外での接続拠点を提供する「ローミング」というサービスを提供しています。たいていのプロバイダーにはあるようです。
センセイのプロバイダーの場合、海外からメールの送受信はできても、ホームページのアップロード(FTP接続)はできないのです。もしどうしても、というのなら日本のアクセスポイントへ電話をかけるしかありません。で、いざとなったらそのテで......と勇んで出発したのですが、イギリスでは問題なく同国内のポイントに接続できたものの、アメリカでは技術的な理由で電話線そのものを利用することができませんでした。ホテルなら問題なかったのでしょうが、今回は大学の寮に寄宿したので......。
というわけでアメリカでの10日間は、まったくメールのやり取りをせずに過ごしました。その分(?)、本来の仕事に専念できたので良かったのかもしれませんが。それでも、会場は工科大学(イリノイ工科大学)ですからインターネット環境は充実しており、ウェブの閲覧や与えられたアドレスでのメール送受信−−結局使いませんでしたが−−は自由にできます。
で、試しに、自分のホームページを覗いてみました。
コンピュータはもともと1バイト文字を扱うように設計されているのに対して、日本語は2バイト。しかも平仮名や漢字のフォントを必要とするので、文字化けの嵐だろうなぁーと思っていたところ、意外にも多くの機械でほぼ正常にページを見ることができました。海外、特にアジアからの学生が多いため、それに対応しているようです。
海の向こう、日本人がまったくいない(ただし中国・台湾人、韓国人は多く、しかも勉強熱心)環境で、ずっと更新されていない自分のホームページを見るのは、何だか天国から自分のお葬式を見ているようで、とても不思議な気分でした。
8月9日(金) 西村センセイ、海の向こうでしっかり働く!! −−無事に帰国しました−−すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 西村センセイ、無事に昨晩帰国しました!!
今回の出張ではホームページが更新できず、またアメリカではインターネットそのものが使えない(!!)という事態に至ったため、メールその他を頂戴しながらお返事ができませんでした。
またセンセイは現在京都市に滞在しているのですが、まだ新潟の自宅には戻っていないため、頂戴したお手紙−−かなりたまっているとのこと−−には目を通しておりません。こちらも順次お返事いたしますので、悪しからずご了解ください。というわけで、今回は出張の簡単なご紹介を。
今回の出張はアメリカでのワークショップへの参加が主目的だったのですが、その前にイギリス(イングランド)へ立ち寄り、科学史に関係した調査を行いました。
その成果は講義の中で順次ご紹介しますが、今回は滞在期間が限られていたので特にニュートンに焦点を絞って、ウールスソープの彼の生家(写真)や彼が在籍したケンブリッジ大学を訪問しました。
彼の生家は田舎にあるので、今回は取得したばかりの国際運転免許証でレンタカーを運転しました......時差ボケが残っていたのでかなりヤバかったのですが。後半はシカゴ市へ移動し、イリノイ工科大学で開催されたワークショップ(写真)に参加しました。11年間開かれているワークショップなのですが、カナダ以外の国外からの参加者は今回が初めてなのだそうです。
会議はもちろん完全な英語。しかもディスカッションがメインですからやはりかなり大変でした。何てったって参加者は全員大学の教授なのですから。
後半には各自のプレゼンテーション。もちろんセンセイも発表しました。自分では「うまくいかないなぁー」と思っていたのですが、何人もの方から"good presentation!!"とのお言葉をいただいたので、まぁ何とか及第点の評価を頂いたのかなぁーと思っています。
というわけで、今日はとりあえずの帰国報告を。.......それにしても世界を一周したので、時差ボケがキツイ!!
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