2003年12月26日更新(2004年1月5日ページ移動。2004年3月8日一部写真削除)
クリスマスの昨日は夜に金沢から自宅のある新潟に戻ってきました。
お昼近く、所用で郵便局に出かけた−−まだ年賀状は手つかず−−ついでに、FAXの感熱紙を買ってきました。自宅のFAXのものが切れかかっていたからです。
ロールを交換して蓋を閉めようとしたのですが、閉まらない。
何度やってもダメだったので、本体を引きずり出して、点検を始めると......完全にどこかおかしい。部品がつかえてしまって、蓋が閉まりません。 丁寧に確認してみると、部品の破片が内部に落ちています。先ほど蓋を閉めた際に損傷させてしまったようです。
ひとまず部品をつけ直して、ごまかせるかと思ったのですが、今度は感熱紙を排出しない。
紙送りの部分が完全に壊れてしまいました。日本電気製のこのFAX、10年以上前に、高校訪問手当70,000をそのまま充てて買ったもの。
数年前から原稿を読み取らなくなって受信専用となったものの、それでもだましだまし使っていたのですが......。この種の機械の部品の保存期間は5年くらいのはずなので修理は不可能です。この際、と思って歳末商戦たけなわ−−平日のためか意外に閑散としていた−−の電気量販店で代替品を購入しました。
普通紙タイプ−−と言っても要するにインクジェット−−が主力で、感熱紙はごく僅かに低価格商品で残っているだけでしたが、松下のものを先代の半額以下で購入しました。先代はよく働いてくれました。その突然の死を悼(いた)むかのように、今晩の新潟は静かに雪が降り続いています。
12月25日(木) 蟹の文化 −−今宵はクリスマス・イブ−−昨日はクリスマス・イブ。
といっても寡婦(やもめ)暮らしの西村センセイにとって、特別に素敵な夜、という訳にはいきません。
で、いつものように件(くだん)のスーパーに寄って今晩の夕食のお買い物。翌日−−つまり今日−−は新潟の自宅に帰るので、今晩の分だけです。
売り場で、ゆでた蟹に目がとまりました。
実は、新潟ではあまり蟹を食べません。
もちろんスーパーはもちろんのこと、安売りで有名な寺泊に行けばゆでた蟹が山盛り。
でも平均的な新潟県人にとって、蟹は他の魚介類の中の一つであって、特別な食べ物とは言えないのです。金沢の人々にとって、蟹は冬を告げる特別な存在。
蟹は一つの文化を成しているのですね。特に新潟では食べる機会がなかった小型の雌蟹「香箱(こうばこ)蟹」は味が締まっていて確かに美味しい。
金沢で初めてその美味しさを知りました(西日本の日本海側では割と一般的なのかもしれませんけど)。で、半額になっていた香箱蟹とズワイ蟹を買って、仕事に一区切りをつけたお祝いをしたのでした。
......う〜ん、でもズワイ蟹の味はやっぱり大ざっぱ。
あ"っ、いけない。ズワイ蟹が睨(にら)んでるぅーっ!!
12月24日(水) あたかもそこにいるのが当然のように...一昨日は電車での帰宅だったので、重いPowerBook G4ではなく、Windowsノート機だけを持って帰りました。
何てったって軽いし、愛用の小型の鞄に楽々入るからです。このように、新潟へWindowsだけ持って帰る機会が増えたので、写真のように、自宅専用のキーボードを購入しました。
これまでPowerBookが収まっていた場所に、そのままWindows機を置きました。
PowerBook用の大型のカラーモニタや周辺機器をそのまま繋ぐことができて、とても便利です。
インターネットや自宅内のMac2台とは無線LANで繋がっています。う〜ん、でもこれじゃぁ、PowerBookの出番がますます減ることになるんじゃないだろうか。
危うし、主力の(はずの)PowerBook G4!!
12月23日(火:祝日) 追い越される快感 −−教師冥利(みょうり)−−先週末は忘年会で自宅に帰られなかったので、昨晩だけ新潟の自宅に戻りました。
届いていたいくつかの郵便物の中に、母校−−といっても大学院だけなのですが−−国際基督教大学(ICU)からの同窓会誌が届いていました。
ページをめくっていて、とあるページで目が釘付けになってしまいました。かつて教えた矢野創(はじめ)君が4ページに渡って取り上げられていたのです。
話は数年前に遡ります。
獅子座流星雨が話題になった時のこと。
NASA(アメリカ航空宇宙局)が獅子座流星雨の観測のために特別機を飛ばしました。
センセイはNHKのTVニュースを流しながらMacで仕事をしていたのですが、その特別機に一人の日本人が乗っていて、その人へのインタビューが始まりました。
映像を見ずに仕事を続けていた西村センセイ、その日本人の声を聞いて、手が止まってしまいました。しゃべり方が知っている人にとてもよく似ていたのです。
まさかねぇ、と思いながらテレビの方を向くと、え"っ!! まさにその人、矢野創君だったのです。
ICUで助手をしている時、一人の小柄な学生が講義に参加していました。
とても優秀で、何度か研究室にやってきて、師匠(東大名誉教授)と対応したのですが、センセイは「この子にはかなわないなぁー」(決して悪い意味ではありません)と感じていました。その後は音沙汰がなかったのですが、後で聞くと、イギリスで博士号を取って、NASAで研究していたとのこと。
テレビに出たのはそのためだったのです。かけっこをしていて追い抜かれたのなら悔しいだろうけれど、こういう時って、不思議なほどにうれしくなってしまいます。教師冥利(みょうり)に尽きる、その一言です。
親や教師は追い越されるために存在しています。
かつての教え子から、職場の愚痴を聞かされたり、ハラハラしながらその仕事場の様子を読んだりしながら、しかしどこかで彼ら、彼女らの成長を確かめています。
それが自分のエネルギーにもなるのですね。ちなみに同窓会誌の記事にはしっかりとその時の授業の話が載っていて、「専門以外で特に面白かった」とのこと!!
......これだから先生稼業はやめられない。
仕事を終えてからアパート近くのスーパーへ出かけました。
このスーパー、夜のニュースの頃になると、生鮮食料品がぐっと安くなるのです。余分な支出は抑えたい西村センセイにとっては強い味方。自転車を止め、中に入ろうとすると、出入り口の様子がいつもと違います。
果物類が山積みされているはずの場所に、お正月の飾り物が置かれています。クリスマスもまだなのに、世の中はもうお正月の準備なのですねぇ。
ちなみに西村センセイは、このところ無茶苦茶に忙しく、年が明けた途端に国際会議を開くことになっているので、一休みできるのはいつになるのかさっぱり分かりません。クリスマスも新年もまだ他人事といった感じです。
まぁ、仕事が回ってくるだけでも、ありがたいことではあるのですが。
12月21日(日) こんな時でもしっかり探訪!! −−七尾線に完乗しました−−昨晩開かれた忘年会は、参加者約400名(!!)というものすごいもので、大広間をすべて借り切ってもまだ足りないほどでした。
朝4時過ぎ(!!)までの二次会もあったので、正直なところ疲れ果てましたが、年に一度の忘年会、参加しただけの価値はありました。
これだけの人数になると、もちろん会場までの無料直通バスが運行されます。
で、センセイもそのバスで行こうかと思ったのですが、バスはあまり得意でないこともあって、この機会にJR七尾線に乗ることにしました。七尾線は一部区間には乗車したことがあるのですが、完乗したことはないのです。直通の特急列車に乗るために金沢駅に着くと、かなり混雑しています。年末なので空いているのかな、と思ったのですが、とんでもない。
ホームには人が溢れています。ほとんどの人が和倉温泉へ行くようです。列車はいつもの3両から6両へ臨時に増結されていましたが、自由席は1両だけだったので、出発間際には乗り切れないほどの列になってしまいました。
幸い、早くから並んでいたので、良い席に座ることができ、いよいよ出発。
地元の方の話では、北陸本線と七尾線が分岐する津幡(つばた)あたりからはすでに能登なのだそうです。
確かに家の造りも金沢(加賀)とはかなり違います。その軒先をかすめるように特急列車はゆっくりと進みます。七尾線は単線なので、途中、宇ノ気(うのけ)駅で停止します。
宇ノ気には一度来たことがあるのですが、こおは哲学者西田幾多郎が生まれた場所で、駅前には銅像も建っています。宝達山を右手に見ながら起伏の穏やかな平地を進むと、この地域の拠点都市、七尾市に出ます。
七尾線にとってもここは車両基地となっているようで、構内も広く、整備工場もあります。七尾から一駅、約5分で目的地の和倉温泉に到着しました。
駅そのものはホーム2面の簡素なものですが、ここより先の、第3セクター能登鉄道との接続駅でもあります。大阪・今日と方面からの直通列車ですから、温泉客がどっと降ります。
日本式の旅館は斜陽だと聞いていたのですが、それでも週末、しかも年末の週末となるとさすがに違うんですね。駅と温泉は2Kmほど離れています。
で、ご覧のように駅前には各温泉の送迎車が列をなしています。西村センセイ、本当は歩くつもりだったのですが、雪も舞っていたので歩く根性をなくし、ちょうど迎えに来ていたホテルのバスに乗せてもらいました。
今年は仕事が忙しくて時間がなかったのですが、次の機会には、まず能登鉄道で終点の蛸島(たこじま)駅まで探訪し、それから和倉温泉に向かおうかと思っています。
能登鉄道は経営不振で、いつ廃止、バス路線に転換されてもおかしくないもので。