2004年12月4日更新(2004年12月13日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■12月4日(土) 「ジャズやるべぇ!!」 ――西村センセイ、約10年ぶりに米坂線に乗る――
西村センセイは現在、東京都内に出張中です。立教大学で開催される学会に出席するためです。と言っても、今日は移動に時間がかかっているので、都内へたどり着くだけで終わってしまったのですが。
西村センセイ、昨日の午後に新潟へ移動し、午前中は新発田の前任校で講義。終わるのは正午過ぎです。
これから都内へ移動しようとする時に立ちはだかるのが新潟県中越地震。上越新幹線はまだ県内で不通のまま。飛行機を使わず、JRで都内へ向かうルートとしては、北の方から、(1)羽越本線―米坂線―山形新幹線を乗り継ぐ、(2)新潟へ戻り、信越本線―磐越西線―東北新幹線を乗り継ぐ、(3)長岡まで新幹線を利用し、代行バスで湯沢に出て、そこから上越新幹線、(4)いったん自宅まで戻り、直江津―ほくほく線―上越新幹線、(5)信越本線で長野まで出て長野新幹線、という5つの選択肢があります。
公務出張なので、最も合理的なルートを選ばなければなりません。で、最も早く東京に着く(出張を申請した時点)ために今回、新発田から特急に乗って東京とは反対方向に向かい、坂町という小さな駅で米坂線に乗換え、2時間以上かけて米沢にたどり着き、山形新幹線に乗ることになったのです。
米坂線、センセイは3回目のはずなのですが、毎回受ける印象が違います。
坂町近くはのんびりした平野部なのですが、すぐに県境付近に達して、険しい山岳ルートのようになります。スピードも落ちて、自転車で競争しても十分勝てるような気がしてきます。
山形県に入るとそこは小国(おぐに)という地域なのですが、経済的には新潟と結びつきが強く、「新潟県小国町」という感じ。しかもまだ分水嶺を越えていません。
短いトンネルを抜けて、初めて川の流れが変わりました。分水嶺を越えたのです。ここからがホントの山形県置賜(おきたま)地域。
中心地は米沢ですが、新潟を本拠地としていた上杉家がここへ移ったこともあり、新潟との繋がりが深い地域です。前の大学の営業でこの地域を回った時、ホントにそう感じました。
米沢の近く、今泉で第三セクターの山形鉄道(旧国鉄路線)と接続しているのですが、何とそのディーゼルカーに映画Swing Girls.の宣伝のペイントが!!(短い停車時間だったのでうまく撮影できませんでした。)
よぉーく見ると、車両全体がペイントされていて、最前部のドアや左端の運転席にも絵が描かれています。
この映画の舞台となったのは山形県で、しかも実際の撮影は今泉の隣、長井市で行われたんですね。そのご縁で、ペイント広告となったようです。
こんなところ――ゴメンナサイ――で出くわすとは思っていなかったので、びっくりしてしまったのですが、でもこの広告、ディーゼルカーや本物の高校生と案外似合っているように思えました。
久しぶりの米坂線、堪能させていただきました。はい。
今朝の金沢は文字通り、雲一つない晴天。おかげで放射冷却現象が起こり、とても冷え込みました。
センセイは自転車で出勤するのですが、ハンドルを握る手が痛いほど冷たい。しかたないので、片手ずつ引っ込めて、暖めながら走りました。
日が昇るのもどんどん遅くなっていて、センセイが大学に到着した時はまだ日の出前。
夜の青空と、朝の赤い日光が微妙なグラデーションなのですが......jpegフォーマットはこういう画像が苦手なのと、何よりもテクニックのせいであまりよく分かりませんねぇ。
路上駐車の車のフロントガラスは、夜露が凍ってガチガチになっています。
授業に行く時、車で通勤している同僚に聞いたら、「そんなことありませんでしたよ」との答。
同じ金沢なのに変だなぁーと思ったら、彼は夜に仕事をするタイプで、朝はゆっくり──と言っても普通の人並み──出勤するので、その頃までには氷も融けてしまったらしい。
夜が最も長い冬至は今月の下旬ですが、日の出はその後も遅くなり、来年1月上旬に最も遅くなります。
一方、日没は今月上旬、最も早く沈みます。今日なんか、天気はいいのに、4時を過ぎたらすぐに暗くなっちゃいましたからね。
昨日の会議でちょっと消耗してから、西村センセイ調子がイマイチ。
クリーニング店への用もあったので、今日は早めに引き上げることにしました。
アパート途中へのスーパーでクリーニングを預け、レジの方を向くと、アレッ?
店員さんがサンタの帽子をかぶっています。
あぁ、もうそんな季節なんだぁー......。
考えてみれば、今日クリーニング店に寄ったのも誕生月の割引券をからなんだけど、すっかり忘れていた。
ちょっと忙しすぎるのかなぁーなどと、赤い帽子を見ながら考える西村センセイなのでした。
■12月1日(水) これって、どう考えても......。 ──怪しいメール、西村センセイに届く──
このごろ西村センセイに怪しいメールが届きます。
例えば右のHTMLメール。
アメリカの銀行からのものなのですが、銀行がコンピュータシステムの更新を予定しているため、指定のページにアクセスして、顧客情報を確かめて欲しいとのこと......。
思いっきり、アヤシイ......。
そう。
これってどう考えても、欧米で流行している「フィッシング詐欺」そのもの。
銀行やクレジット会社を騙(かた)って悪意のあるページにアクセスさせ、クレジットカードの情報などを入力させることによってその人になりすまし、犯罪を行おうというものです。
日本ではまだ一般的ではないようですが、欧米では猛威を振るっているようです。
もちろん西村センセイ、この銀行にはご縁はありません。
じゃ、何で西村センセイに? と思ってメールアドレス(宛先)を確かめると、大学内の、似たアドレス先生に送られたもの!! その先生は国際派。世界中で活躍されてきた方です。
それが何で国内派の西村センセイに届くんだろう?
......ワカラナイ。
西村センセイは今年度、大学の特別な許可をもらって、毎週末に前任校である新潟県新発田(しばた)市の大学で教えています。
先月のこと、新発田市内で所用があったので、数年ぶりで市内をふらついていると、いきなりお城に出くわしました。
新発田はもともと城下町ですから、お城があって当然のように思われるかもしれないのですが、実は、オリジナルのお城は明治期に破壊されてしまい、石垣と一部の門だけが残されていたのです。
やはり城下町にとってお城や地名(鉄砲鍛冶がいたことから「鍛冶町」など)は精神的なよりどころのようで、15年くらい前に、いったん廃止された旧町名を正式な呼称ではないものの復活させたりしていました。
センセイがまだ在籍している時もお城を再興しようという動きはあったのですが、なかなか具体化しませんでした。
ところが市長が交代してからその動きが急速に具体化し、今年の7月にご覧のようにお城を再建したのだそうです(金沢にいたので、詳しいことまでは知らない)。
実物を見てみると、それなりの風情があり、周囲と上手くマッチしているように思えます。
再建された金沢城もそうであるように、近くで見ると印象がまた違ってくるのかもしれませんが。金沢にせよ、新発田にせよ、ものすごい思い入れがあるんだなぁーと圧倒された西村センセイなのでした。
P.S. 本当はもっと早くにご紹介するはずだったのですが、直後に発生した新潟県中越地震で機会を逸していました。悪しからず。
午前中の授業を終えた西村センセイ、事務所にだけ行き先を告げて外出。それも詳しくは伝えません。
まずは学内の郵便局へ。
あらかじめ今日の午後に訪問することで調整しておいたので、快く迎えていただきました。
何しに行ったのかって?
西村センセイ、最初の勤務先(国際基督教大学)の給料の受け取り先を学内郵便局にしておいた関係で、それ以来、メインバンクは、ずっと郵便局なのです。
で、今度車を買い換える(こちら)ことになって、今月中に銀行の指定口座へ代金を振り込まなくてはならない。そのためにはまず、郵便局の自分の口座から現金を引き出さなければならないのです。
先週、学内郵便局に問い合わせたところ、やはり普段はそんなに多くの現金は置いていないとのこと。防犯上の理由もあるのでしょう。
そこで事前に打ち合わせて、今日の午後、お客の少ない時間に引き出すことで調整していたのです。郵便局の場合、引き出し額や預金額が200万円を超えると本人確認をすることになっているそうで、誰がどう見ても金沢工大の西村センセイなのですが、規則通り、運転免許証で確認していただきました。
家を建てた時以来の札束にお目にかかったのですが、感動している時間はありません。こういう時が一番危ないのです。
去年だったか、新車を買うために若い男性が銀行から300万円を引き出したところ、出たばかりの所で強奪されるという事件がありました。
だから余韻に浸る間もなく、局員以外の誰にも気づかれないように、いつもならWindowsノートが入っている場所にお金を収めて、すぐに近くの銀行へ移動。
この間、わずか5分。必要な書類を書いてから、お金をカウンターに置いたのですが、銀行の受付嬢は書類には手を伸ばしたものの、何と、お金には気づかない。
一瞬間があってから、あぁ、という素振りでお金を奥へしまいました。待つ時間の長いこと。
お店の奥で、機械でお金の枚数を数えている音がします。束になっているので、何枚数えたのかわかります。誤差なし──もちろん、あったら困る──で計数終了!!
名前を呼ばれて返されたのは、一枚の紙と、手数料のお釣りだけ。
これで一件落着したのですが、もうちょっと味わっておけば良かったなぁー。何てったって11年間分の退職金だったんだもん。
家族で外出して、自宅前に戻って来た時、後部座席の娘が小さく「あっ」と声を上げました。自宅裏の信越本線を特急電車が走っているのです。とてもとてもゆっくりと。
実は明日11月29日の始発から、地震で不通になっていた信越本線長岡―柏崎間が開通するので、試運転の列車を走らせているのです。
この区間の乗客はそれほど多くないのですが、実は、北陸本線と信越本線、羽越本線、奥羽本線は北海道と関西を結ぶ大動脈で、客車以上に貨物列車が走っています。
だから利用客と同じように、あるいは少なくとも経済的にはそれ以上に、この区間の復旧が待たれていたのです。金沢に戻るために柏崎駅へ到着すると、1ヶ月に渡り、不通区間を列車の代わりに結んでいた代行バスがお客を待っていました。
代行バスの運転も今日が最後です。代行バスはやはり不便なので、乗客はごく僅か。
ちなみにバスの脇に立っているのはバス会社──田中金脈で有名な越後交通──の社員ではなく、JR東日本の社員です。運転再開区間は当分の間徐行運転するので、列車が大幅に遅れます。
センセイの場合、実は金沢へ移動する時にはかえって不便になるのですが、それはそれ、こうやって少しずつ普通の生活に戻っていけることを喜びたいと思います。復旧から取り残されている人も、まだまだたくさんいらっしゃるのですから。