2005年6月18日更新(2005年6月27日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
去年の夏のある日のこと。
たまたまサイトを検索していて、ある人物に出会いました。その人は30年以上も昔、「四人囃子」という当時は有名だったロックバンドの関係者。
CD(当時はLPレコード)でしか知らなかった人物が、ご健在であること――ただし当時は療養中――であることを知り、思わずメールをお送りしてしまいました。
相手からすれば、まったく見も知らぬ人間からメールを受け取ることになります。四人囃子を聴いていた頃、西村センセイはダメ学生で、いろんなことに迷っていました。そんな状況だったせいか、センセイは四人囃子に強く影響されているのですが、まさにその人物と連絡を取ったのです。
メールにはすぐにお返事が届きました。当時ご療養中だったこともあるのか、センセイの存在に大変喜ばれ、そして大変励まされ(ご本人談)、そして何と重病を克服されたのです。
いつかはお目にかかろうということになっていたのですが、新潟県中越地震があったりして、なかなかお会いすることができませんでした。
しかしついに昨晩、吉祥寺でお目にかかることができました。初めて出会うのに、もう何年もの知り合いのような感じがします。河豚料理を食べながらいろんな話をしました。その中の一つ、もともとは前衛音楽家ジョンケージ(故人)が言ったことなのですが、人間と言う存在はキノコや胞子のような存在で、すぐにはなかなか影響を与えられないけれど、その胞子が風に乗って飛ばされ、ずっと後になって、そしてとんでもない所で然るべき相手に出遭って影響を与える、そんな話をしました。
先生という職業にもそんな部分があるのかもしれません。
■6月17日(金) 柏崎市から映画館が無くなってしまう...
自宅に戻っていた時、家人がちょっと気がかりなことを言っていました。
市内に唯一の映画館があって、会員になると特典があるのですが、今年はその更新が無料だったというのです。
センセイの家では、娘がコナンやドラえもんなどの映画を見るので、妻と娘が会員になっています。変だなと思っていろいろ調べてみると、どうも映画館そのものを廃業するらしい。正式な決定がまだなので、公表できないようです。
もともと柏崎市内には映画館がいくつもあったのですが、映画の斜陽化で数年前に最後の1館「柏盛座」が廃業してしまいました。
しかしちょうどその頃、市街地の再開発が進んでいたこともあって、市内の商店主たちが再開発地区の一角この「柏崎シネマ」を開いたのです。儲かる商売ではありませんが、お客は子供たちを中心に、まぁそれなりに入っていたので、今回の廃業は「ナシテ?」という感じです。
調べてみると廃業の意外な理由がわかりました。
この柏崎シネマ、実は完全なフィルム映画館ではないのだそうで、フィルムを高解像度の専用ビデオに変換して映写していたのだそうです(どうりで、ちょっと変だなと思っていた)。
ところがその変換作業を一手に引き受けていたソニーの子会社が解散してしまい、それでこの形態の映画館は止めざるを得ないのだそうな。
フィルム映画館への改造は、建物の構造上、無理なのだそうです。たいした映画はやっていないし、小津とかマニアックな映画はDVDで見られるから、センセイ個人としてはたいした影響はないのですが、子供たちは困るだろうなぁー。
数十km圏内に映画館が一つもなくなるんだから。
■6月16日(木) 鳥海山を初めてちゃんと見ることができました ――西村センセイは出張中!!――
今日は山形県内(酒田市)へ行ってきました。金沢工業大学の学生が現在、酒田市内の母校で教育実習中で、その彼を指導に行ったのです。
「どんなに遠くても教育実習生を指導に行く」のが本学の方針で、関係する先生方が手分けをして全国各地を訪問しています。センセイは昨日の夕方に金沢を出発しました。無理をして昨日のうちに坂田に着いても良かったのですが、深夜の到着になるので昨晩は新潟市内に一泊しました。
昼間に走る特急としては日本最長の「白鳥」が廃止されたので、いずれにせよ新潟で特急を乗り換える必要があるのです。今朝、朝イチの特急で海岸沿いを北上しました。
新潟―山形県境はとても険しくて、山と海の僅かな隙間をJR羽越線と国道が走っています。
見どころは村上以北の「笹川流れ」で絶景が続きます(トンネルが多いのでうまく写真が撮れませんでした)。
特急は、小さな湾と漁村を一つ一つ丁寧に慈しむかのように、ゆっくりと進みます。岩ばかりの海岸なのですが、その昔、溶岩が海底か地表に出て急速に冷却された「柱状節理」を見ることができます。
夜行寝台でこの場所を通過することは多いのですが、明るい時に笹川流れを見る機会は、西村センセイ、意外と少ないのです。今日は天気も良く、遠くに粟島を見ることもできました。
山形県内に入り、海岸部から内陸部の庄内地方に入ると、今度は鳥海山がお出迎えです。
センセイがここを通る日はたいてい曇っていて、こんなにはっきり見るのは初めてです。まだ残雪が残っています。
もちろん仕事はちゃんとしたのですが、センセイにとっては(仕事以上に?)大変なご褒美をもらったような、そんな一日でした。
明日は都内からお送りする予定ですが、事情により更新できないかもしれません。
その際は悪しからず。
■6月15日(水) 行列のできるたこ焼き屋さん ──えんま市の不思議──
西村センセイ、昨日は新潟にいましたが、18時間ほど金沢に滞在しただけで、現在、自宅脇を電車で通過し、日本海側を北上中です。
行き先や用件は明日お伝えできると思います。で、昨日の、新潟県柏崎市の「えんま市」の続きをちょっとだけ。
えんま市のようなお祭りの場合、屋台の場所は売り上げを大きく左右します。
そのため、郵便局が自局の前で絵はがきを売ったりする場合を除き、屋台の場所は籤で決まると聞いています。
つまり、毎年出店しても場所がどこになるか分からない、というわけです。でも、去年気付いたのですが、右の写真のたこ焼き屋さんだけ、いつも同じ場所なのです。
娘にも確認した──子供の方が記憶力が良い──ので間違いありません。どうして(忘れっぽい)西村センセイが覚えているかというと、このたこ焼き屋さんだけ、やたら長い行列ができるのです。
前から(右上の写真)だとよく分かりませんが、お店の後ろに延々と行列が続いているのです。
それも毎年。並ぶ根性がないので食べたことはないのですが、やはり美味しいのでしょうか。
そして、なぜこのお店だけ、ここなんだろう?
■6月14日(火) 季節の変わり目 ──地元のお祭りに行ってきました──
今日は普通の平日なのですが、西村センセイ、有給休暇をもらって新潟の自宅にいます。
地域の初夏の大イベント「えんま市」が今晩から3日間開かれるからです。このえんま市、もともとは数百年前に馬の市として始まったものですが、田植え後の農閑期の憩いの行事として、この地域の人々にとても親しまれています。
いつもは閑散とした旧市街地なのですが、この日ばかりは、地域の約10万人が全員集まったのではないかと思わせるくらいの人出となります。
市の中心部に「閻魔(えんま)堂」(右の写真奥)という土着の信仰対象──といってもこの時期だけなのだけど──があって、老若男女が集まります。
どれだけ地域に根ざしているか、よくわかります。
屋台はこの閻魔堂を中心に、延々と1Kmほど続きます。
センセイが高校生の頃までは、陶器の店や反物の屋台などが出ていたのですが、現在はご覧のように子供向けの食べ物やおもちゃなどの屋台ばかり。
大人向けには、外れに植木市があるくらいです。で、今日は小学6年生の娘と出かけたのですが、さすがに高学年になると、子供だましの屋台には、もう興味なさそうです。
ドラえもんの清涼飲料水も、サンリオのアルミ風船も、500円出せば必ず当たる籤(くじ)──これで籤と言えるんだろうか?──も、急に熱が冷めています。彼女は今、大人への入口に立っているんですね。もちろんまだ、自覚してはいないけど。
来年になれば彼女は中学生。
クラブ活動で来られないかもしれないし、それにそもそも、「お父さんと一緒に行く!!」などとはもう言わなくなるでしょう。
ちょっとずつ、しかし確実に親離れ、子離れが進んでいきます。うれしいような、ちょっと寂しいような。
というわけで西村センセイ、季節の変わり目を確かめるために、大学をお休みしたのでした。
オトナにとって、家族サービスだって大切な仕事なのです。
■6月13日(月) 西村センセイ、地域にちょっとだけ貢献する?!
出勤途中、写真のようなビニールシートに出くわしました。シートの上には、ネットも被(かぶ)せられています。
実はこれ、燃えるゴミの回収場所なのです。
そしてビニールシートは西村センセイのせいなのです。「せい」というのはちょっと曖昧な言い方ですけど。
半年ほど前、たまたま見たNHKのテレビで、カラスにゴミを食い荒らされないための決定打として、黄色いゴミ袋の使用が推薦されていました。
専門家の研究によると、波長による目の感度は人間とカラスで異なり、黄色の半透明の袋だと人間には中身が見えるのに、カラスには(いわば白く)輝いて、中が見えないのだそうです。
カラスは見かけによらず(?)、神経質な動物で、中身を確認しない限り、手を、じゃない嘴(くちばし)を出さないそうな。
この地域もカラスの害に困っていたのですが、ある朝、老女とゴミ出しが一緒になってこの話をしたら、もう翌週にはビニールシートが被されていました。
残念ながら黄色ではなく、よくある青色ですが。まぁ、見えないことに変わりはなく、確かに害は減っています。
■6月12日(日) 「わたるな!!」 ──センセイが京都で見たもの──
京都での学会を終えて金沢に戻りました。
今回は我ながらよく働いたと思うのですが、その分、京都市内を見学する時間は全然ありませんでした。
わずかに、会場とホテルの往復の際に街並みを見るくらい(写真は鴨川)。実は西村センセイ、京都をちゃんと観光したことがないのです。
学会や会合もあったし、義理の伯父が大徳寺の管長をしていたので、観光ルートから外れて奥まで会いに行ったり、もう何度も来ているのですが...。そうそう、昨日お伝えした歩行者の横断の件ですが、ちゃんと道路には「わたるな」と標識が出ていました。
それだけ横断する人が多いということなんでしょうね。さて、西村センセイが今回不思議に思ったこと。
お昼にお蕎麦屋さんに入ったのですが、割り箸を取ろうとして、箸立への入れ方が普通と逆であることに気づきました。
センセイが経験している限り、割り箸は、太く手で持つ方をにする(食べ物をつまむ方が下)と思うのですが、写真の箸立では逆になっています。
家庭などではより良く乾燥させるためにこのようにすることもある──センセイの自宅もそう──と思うのですが、飲食店で見たのは初めてです。
このお店だけなのか、京都ではこうなのか、あるいは関西では......と、本当のところはどうなんでしょう?