2005年7月16日更新(2005年7月25日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
センセイが金沢のアパートを借りたのは2001年の冬。それ以降、3年半ほどずっと同じ木造アパートを借りています。
大学からそれなりに近いのと、幹線道路に近いのに予想外に静かだし、階上の部屋を除けば雑音も入ってこないので好都合なのです。同じ敷地の中に大家さんの家がある関係で、センセイのアパートは4戸しかありません。
アパートですから住人はどんどん変わります。一番短かった若夫婦は1ヶ月もいなかったんじゃないかな。
でもセンセイの上の部屋の独身サラリーマンだけは変わりません。センセイより前から住んでいます。
7時に目覚ましが鳴って慌てて起きだし、あっという間にキューブに乗って出勤します。帰宅は決まって9時半。食事は外で取るらしいし、洗濯している様子もありません。
こちらとしては他人に干渉する気はないので、自然とわかってしまうこと以外は勘ぐらないようにしています。
基本的には静かな人なので、正直なところ助かっています。ところが今週に入ってから、そのサラリーマンが帰ってこないことに気づきました。
最初はアレッ?と思っただけなのですが、週の半ばになっても帰ってこない。
ちょっと気になって、今朝、出かけに外から見てみると、写真右側のアパート2階の部屋にカーテンがない!!
窓の奥に、左の家の壁が見えます。引っ越してしまった......。
まぁ、仕事の都合とかなんでしょうが、センセイにとってはありがたい人だったので、ちょっと残念です。
やがて入居する人がうるさい人だったりすると、センセイの方が引っ越さなければならなくなるかもしれないですからね。
今日は梅雨の晴れ間。
朝早く、「雨が降らないうちに」と思って自転車を急がせていると、大学の入口で「ギィー」という甲高(かんだか)く、機械が壊れたような鳴き声が聞こえました。
雉(きじ)です。
鳴き声はよく聴くのですが、雉の姿を見ることは滅多にありません。
どうせ今朝も...と思って自転車を走らせていると、キャンパスのすぐ外で、羽ばたきの音が聞こえます。
そう、雉がいるのです。どこだろうと探してみると、空き地の中の、塚のような所に凛々(りり)しく立っています。
センセイの存在に気づいているようですが、どうやら無害な存在と判断しているようで、そのままじっとしています。センセイはキャンパスの中で雉を見たことがあるのですが、朝早く、人間がまだ本格的に活動を始めていない時間は、雉の絶好の活動時間のようです。
雉の食習慣について詳しくは知りませんが、もしかするとカラスのように、ふだんは人間と離れた所で暮らし、食事の時間──ただし人間が少なく安全な時間──に、人里へ降りているのでしょうか。
本当のところはどうなんだろうと思うのですが、残念ながら西村センセイ、雉語を話せない。
■7月14日(木) 面白〜い!! これはもう、世界旅行だ!! ──Google
マップはすごいぞぉー──
ネット上で「グーグル、「Google Earth」と連動した地域検索サービスを日本でも提供」というニュースを見つけました。
どんなサービスだろうと思ってGoogleマップ にアクセスしてみると、これが本当に面白い!!
実際に体験していただくのが一番なのですが、世界中の地図が提供されているのです。特に凄いのが、地図と衛星から撮影した写真を切り替えることができること(出てくる画面の右上にボタンがあります)。
衛星写真は粗いものなら非常に広い範囲で提供されていますが、一部の地域(例えば都内)については右の写真のように大変詳細なものまで提供されています。 (c)Google
右の写真はディズニーシーの中心部を撮影したものですが、走行している自動車1台まで見分けることができます。
写真をよぉーく見ると、お客から見えない位置に、業務用の施設や大きな道路、ショーに使う船の格納庫などがあることもわかります。(写真中、左上のスライダのようなものはコントローラです。)へぇー、こうなってるんだぁー。
右の写真は原寸の1/2に縮小しています。原寸大をご希望の方はこちら[削除]をご覧ください。ただしちょっと重い(123KB)ので、悪しからず。
それだけではありません。この地図と衛星写真は、日本以外の地域のものも提供されているのです。
例えばロンドンやケンブリッジは右の写真と同じくらい(たぶん)の精度で提供されています。
国会議事堂もトラファルガー広場もトリニティ・カレッジも見ることができます。イギリスは緯度が高く、そのために影が長くなっているのもわかります。ケンブリッジは高解像度なのに、オックスフォードは何故かまだ低解像度です。日本国内についても同じですから、順次高精度化されるのでしょう。
国内も国外も、行ったことのある場所なら「あぁ、あそこだ」という感じで見分けることができます。都内については一部を除き高解像度なので、家一軒一軒までわかりますよ。
小さなものを見分けるのでなく、逆にふだんは絶対に見ることのできない大きなもの、例えば新潟県全体とか、その中のある地域を見ても、必ず新しい発見があって全然飽きません。
騙されたつもりで、ぜひ一度!!
そうそう、ちなみにこのサービス、古いMac OS 9ではブラウザの関係で利用することができません。残念ですけど。OS Xのサファリなら利用可能です。
センセイが新潟の自宅からJR柏崎駅に向かう途中、写真の古ぼけた煉瓦造りの建物脇を通ります(地図はこちら)。
写真ではよくわかりませんが、ここは精油所跡、それも日本最古の精油所跡なのです。
この建物の周囲には近代的な製油施設があります。柏崎市図書館「ソフィア・センター」──凄い名前だ──を拠点として活動する、高齢者によるふるさと情報システム「陽だまり」というサイトの記述によると、内藤久寛が明治21年(1888年)、日本石油──あの大会社です──を創始。
明治32(1899)年には、この地──その名もずばり「日石町」──に日本最古の製油所を建設したのですが、構内には現在も明治、大正期に建設された写真の倉庫や分留室などが残っています。
その後日石は東京に本社を移し、会社そのものも合併等によって変わっていくことになります。
それでもこの地には製油施設が残っていたのですが、それも数年前に操業を停止してしまい、そして工場の解体話が持ち上がりました。
地元では、このような歴史的背景から、柏崎市の石油産業および機械金属産業の隆盛の遺産として、せめて煉瓦の建物だけでも残すことが検討されたのですが、費用がかかりすぎ、また有効な活用策も見つけられなかったため、すべて解体撤去されることになりました。
現在は他施設から解体が進んでおり、煉瓦の建物については記録調査を終えた後、最後に撤去するそうです。跡地は更地になるそうな。ところでその「陽だまり」には、
我が国で最初に建設された「製油所」は、嘉永五年(1852年)に妙法寺村(現在の西山町【註:現在は合併して柏崎市に編入】)の庄屋西村輝一が、実兄である柏崎市半田村の庄屋安部新左ェ門の宅地内に創設した焼酎蒸留法利用の「原油蒸留所」です。
このことから半田村は、石油発祥の地といわれ、柏崎市の史跡として指定を受けていま す。という記述がありますが、この西村輝一なる人物はセンセイの祖先に当たるのです。正確には、センセイの家は庄屋が隠居して作った家──だからセンセイの家の屋号は「インキョ」──なのですが。
石油産業と西村センセイ、まんざら無縁ではなかったのです。
■7月12日(火) 弁当屋「どんきぃ」は復活するのだろうか...
このところ日本海側は大雨が続いています。当地、石川県と富山県では、昨日からの雨で浸水などの被害が出ました。
その雨の晴れ間を縫って自転車で帰ろうとして、大学のすぐ裏で家の取り壊し工事が進んでいることに気づきました。
ちょっと気になったので、寄り道してみると、弁当屋さんの「どんきぃ」です。
工大生向けにサンドイッチやお弁当を売っているのですが、どうしたのでしょう?よく見ると、奥の住居部分には手をつけていないようなので、手前の店舗部分だけを改装するのでしょうか。
あるいは、もしかすると弁当屋さんをやめてしまうのかもしれません。大学にはたくさん学生がいますから、その周囲には「門前町」と言われる学生相手のお店ができます。
けれど大学が「営業」しているのは、1年のうちわずか7ヶ月程度。商売できる期間は意外と短いのです。
それに金沢工大の場合、授業が目一杯入っていることもあって、お昼は学内の学食か売店の弁当で済ます学生が多いようです。
はっきりとはわかりませんが、どんきぃの客も減っていたようで、その対策か、最近は100円のサンドイッチ(!!)を売り出していたくらいです。
ちょっと商売への「欲」が薄れてきていたような......。大学の売店のお弁当は種類が限られているので、個人的にはどんきぃが復活すると嬉しいのですが。
この週末、家族でちょっと買い物に出ました。
娘が修学旅行で登山する──修学旅行も変わったものだ──ので必要な衣類を買う必要があったのです。ユニクロの前に車を止め、中に入ろうとして、白いウェディング・ドレスが目に入りました。
小さいから子供用でしょう。でも、何でウェディングドレスなんだろう。
それも一着だけ...と思ってよく見ると、ご覧のように傘のビニールカバー。
あれ、まぁ。上の方でちょっと束ねてあるので、ドレスのように見えたのですね。
まぁ、視力が落ちているのが最大の原因ではあるのですが。
■7月10日(日) 「杉の木と男の子は育たない。」 ――2011年問題の奥底――
金沢以北の北陸地方を車で走っていると、しばしば写真のような工事現場に出くわします。橋脚の左右が繋がっていません。建設中の北陸新幹線です。
金沢までの建設が事実上決定した北陸新幹線。石川県は諸手を挙げての万々歳。けれど他県は反応が微妙に違います。
ある程度わかりやすいのは福井県。「何で福井まで来ないのぉー」。
でもこれは正確には県北部「嶺北」地区だけの反応で、南部「嶺南」の目は関西を向いていますから、「私たちに何のメリットがあるの」という感じで醒めています。複雑なのは富山県と新潟県。
富山県は新幹線の恩恵を蒙るので、基本的には賛成の立場なのですが、新幹線の開通と引き換えに並行する在来線の北陸本線が通勤通学の足である第三セクター化され、その負担を全県民が背負(しょ)わないといけなくなるので、不満が鬱積しています。
金沢工大赴任当時は「生活の足を奪う新幹線反対!!」という看板を見たことがあります(現在は撤去)。新潟県はもっと複雑というか、ちょっと情けない。
まず、北陸新幹線は新潟県をかすめるような形の路線なので、糸魚川──このあたりは、もともとは越中藩──など一部地域を除き、恩恵は少ない。
メリットは少ないのに、並行する在来線の直江津以西のみならず、長野―直江津間の信越本線も第三セクター化せざるを得ないと予測されています。大きな問題は、新潟県の六日町と犀潟(さいがた:直江津近く)を結ぶ「北越急行」の採算性と、そしてそもそも上越新幹線自体の存在意義です。
北越急行は北陸新幹線未通の現在は、首都圏と北陸地方を結ぶ最短で結ぶ鉄道としての役割を果たしていますが、新幹線開通後の存在意義はとなると......????
だって、現在はかろうじて黒字ですが、その収益の90%は首都圏と北陸を結ぶ特急「はくたか」が稼ぎ出していて、実は大幅な赤字路線なのです。
単純計算で、北陸新幹線が開通し、「はくたか」が廃止されれば、稼ぎが10%になってしまう?!もっと深刻なのは、上越新幹線の存在意義そのものです。
いろいろ異論はあるでしょうが、東海道・山陽新幹線はその開通によって日本を大きく変えました。人の動きのみならず、人の心をも。
で、「次」となれば東北・北海道、そしてちょっと落ちて北陸か九州でしょう。ところが現実は違いました。着工したのは東北新幹線とともに、何故か、上越新幹線。
当時の宰相、新潟県出身の田中角栄氏(故人)の影響と言われています。ちなみに、センセイの祖母(故人)と角栄氏の母親(故人)はお友達でした。それでも開通当初は新潟県のみならず、長岡経由で北陸地方、そして新潟以北の山形(庄内)および秋田地方への存在意義を果たしていました。
けれども山形・秋田両新幹線開通で状況は一変。当該地域の利用客は新しい新幹線に奪われて行きます。そして今度は北陸新幹線。乗客の激減は起きることは手に取るよう。
ここに至ってやっと慌て始めたのが新潟県。
今頃になって初めて、北陸新幹線が開通すると予測される2011年以降の問題を考え始めました。このままでは上越新幹線が日本初の「ローカル新幹線」になりかねないと、やっと悟ったのです。
......余りに遅すぎる。新潟では「杉の木と男の子は育たない」と言われます。
杉の木の理由は良く分からないのですが、男の子の件は良く分かるような気がします。でもすぐに反論が。「田中角榮は?」
祖母の件は別にして、確かに角榮氏は異質です。しかし、よぉーく考えてみると、彼が歴史的視点を踏まえて将来を提言していたかとそれは相当疑問。
彼に歴史的な発想はないでしょう。(近現代史を除く)で、センセイの前の大学(新潟県内)でこの話題が出ると、和歌山県出身の教授がいつも仰られたのが「そうだけど、例外は〔新潟県出身の〕西村先生」。
でもこのごろ、「例外じゃないんじゃないかなぁー。むしろ...」と考え始めている、そんな西村センセイなのでした。