2010年3月13日更新(2010年3月21日ページ移動。2014年3月16日写真削除)
■3月13日(土) 昨日の金沢駅は、凄かったんだろうなぁ ──夜行「北陸」「能登」引退──
アメリカ出張の前がとにかく忙しくて、西村センセイ、かなり無理をしていたのと、到着したシンシナティがとても寒かったためでしょう、センセイはアメリカ到着後に風邪をひいてしまいました。
到着初日は喉の痛み以外は何ともなかったものの、2日目になると鼻水が止まらない。その時は持病のアレルギー──発熱しなければ見かけの症状は同じ──だと思ったのですが、翌朝になると熱はないのに、関節がとにかく痛くて立つことができない!!
少し休んで楽になったので、その翌日は予定通りに口頭発表をこなしたのですが、緊張が解けた反動からか、その翌日は再度ダウン気味。帰国後もどこかイマイチ。
苦手な時差ボケの影響もあったのかもしれません。一昨日、仕事を終えてから特急列車で自宅へ移動したのですが、今度は声がうまく出ない。
休暇をもらった昨日は、実家から両親と同居する大学生の甥っ子を乗せ、安全運転に気を使って親戚を回ったのですが、夕方自宅に戻るとやはり何だか変。
腹痛はないのですが、おなかの具合がおかしい。結局、風邪が完治していないようで、喉→鼻→関節→喉→お腹とぐるぐる回っているようで、昨日は夕食を取らず──ビールも飲まず!! ──に、休んでしまいました。
というわけで、本当は昨晩お伝えするだったはずの話題。以前お伝えしたように、本日JR各社はダイヤ改正を実施しました。
センセイに関係するところでは、北陸地方と首都圏を結んできた夜行寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」が廃止になり、大糸線のキハ52形式車両が廃止となりました。
「能登」については今後もJR東日本新潟支社の485系──要するに特急「北越」「いなほ」や快速「くびき野」──を用いた臨時列車として運行されるそうですが、鼻が突き出た(ロングノーズ)の489系は完全に消滅しました。当然、各列車最後の運行となる昨晩は鉄道ファンで大変なことになるだろうなぁーと予想されたのですが、実際、各種報道がなされているように、大変な人出だったようです。
センセイが金沢を離れたのはその前日(一昨日)だったのですが、金沢駅に到着すると明らかに鉄道ファンが多い。
カメラを抱えて、あちこちをパチパチしています。まぁいいや、と思って特急「北越」を待っていると、入線してきたのは、おぉ何と、ファンの間ではよく知られているはずの国鉄色T-18編成!!
JR東日本がファンのためにサービスしたのかどうかはわかりませんが。(まず間違いなく、違う)でも「ファン」の動きを見ているとどうもちんぷんかん。
乗り込もうと待っていた北越が、マニア垂涎の車両だというのに全然気づいていないのです。それでもやがて、事の重要性に気づきだしたようで、ファンが徐々に、こちらもよく知られた先頭車両に集まり始めています。
その皆さんを、逆の立場から撮影したものが右の写真。プロ用の機材を抱え、年季の入ったファンと俄ファンが入り乱れていますね。もちろん、いつものセンセイは向こうの立場に属しているのでしょうが。
それでも彼らは可愛い方で、出発時刻になるとおとなしく安全な場所に戻ったので、特急「北越」は何事もなかったかのように出発します。
車内はいつものようにガラガラ。ただしセンセイの前後に鉄道ファンが2名乗っているということを除けば。ま、いっかぁー、と思って車窓を眺めていると、前方の、やや挙動不審の男の子が動き出しました。
最初は何をしているのかわからなかったのですが、彼、写真の右上のスピーカーから発車直後の車内放送を録音しているのですね。でも機材をよく見ると、どうやらマイクロフォンではなく普通の携帯電話らしい。それにこの少年、隣の高岡駅で下車してしまったし。
ま、いっかぁー。
■3月11日(木) 西村センセイ、シンシナティ市の広場で3種類の「馬」をめぐって考える
学会の会場となったホテル(ヒルトン)は、シンシナティ市の中心の広場を囲んだその一角にあります。到着直後、またお昼──周囲に飲食店がある──などにその周囲を少し歩いてみました。
広場に到着して驚かされたのは、雪。それほどの量ではないものの、広場全体が雪で覆われていて、そこで数人で何か作業をしているのです。
シンシナティを含めて、アメリカのこの辺から北東部は先々週に大雪に見舞われました。
空港近くにも、数階建てのビルの高さに相当する雪の山が残っていたほど。最初はこの広場も雪捨て場になっていていたのかなぁーなどと思ったのですが、どうもそうではないらしい。
撤去中の広告を見ると、この場所に冬期間、雪を積んで大きなステージを作り、広い面積をカバーする冷却装置を置いてスケートリンクとして使っていたようなのです。
営業を終えて、ちょうど解体していたところだったんですね。その雪の広場を背景に凛々(りり)しく立つのが騎馬警官。初めて見ました。
近代的な高層建築──柱は細いのに本当に高層──と、前近代を感じさせる乗り物としての馬が対照的です。もちろん観光客のためにポーズを取っているのではなく、お仕事、つまり警邏(けいら)中です。
馬の背は相当高いので、警官の目線はさらにその上ということになり、近くで見るとものすごい迫力です。
滞在期間中に何度も見かけたので、騎馬警官というのはごく普通の存在のようです。
はやり開拓の国なんですね。ちなみに馬が駆けたり、警官が何か警告している場面──拡声器は積んでいるんだろうか──には出くわしませんでした。
市内では信号を無視する歩行者が多いのですが、それくらいでは何もしません。雪を挟んだ反対側にはご覧のような馬車が。撮影した時は2両でしたが、週末には3両に増えていました。
もちろん観光用なのでしょうが、この寒さですから観光客は皆無(全然見ていない)。
したがってお客さんを乗せている場面を見る機会もありませんでした。ふと気づくと、広場の一角にペイントされた車が1台。
最初は落書きされた車が放置されているのかなぁーと思ったのですが、ちょっと様子が違います。
近づいてみると、“TOYOTA IN OHIO”と大書され、その下には「[地元]オハイオ州に[総額?]約7,000億円を投資し、7,600名の直接・間接雇用を創出し、70社以上の地元関連企業を抱え、約160億円の寄付...」とあります。
どうやらトヨタの地元ディーラーが、例のリコール問題とそれに伴う公聴会──ちょうどこの時期だった──に対抗して、トヨタの地元貢献をアピールすべく展示しているようです。
この他に説明の類は一切なく、ホントに米国用カムリが1台、ポツンと置かれているだけなのですが。アメリカは物理・地理的にも、そして精神的にもとても広く、日本のように「○○だ」と決めつけるのがとても難しい国。(と、断定してしまっているけれど。)
ある主張が存在すると、反論や異なった意見も尊重されます。
そのぶつかり合いの中から、何か新しく、より適切なものを産みだそう──少なくとも、生み出すことができるかもしれない──という考え方があるように思われます。もちろん手間がかかり、過ちも避けられない方法ですが、しかしきっと、この国の懐の深さはこういうところにあるんだろうと思います。
あ"、再び、ほぼ断言しちゃってますね。
■3月10日(水) アメリカの大学生はとにかく、議論の鍛え方が違う!!
学会のお話をもう一つだけ。学会の様子なんて、関係者以外には興味の対象にはなりませんからね。
写真は学会の関連行事、学生による「エシックス・ボール」の一コマ。
今回の学会は応用倫理・専門職倫理──深く気にする必要はありません──に関するものです。日本ではあまり知られていませんが、アメリカでは学問分野と一つとして確立されています。
学会など、広く集団は、次世代をどうやって教育し、いかに自分たちのテリトリー(領域)を拡大していくかが課題。
本筋からちょっと離れている気もしますが、当初の目的の達成度ははともかく、ひとたび形成された組織は、次第に組織の拡大ないしは温存が自己目的化してしまうのですね。そこでこの学会が考え出したのがこの分野に関して、「ディベート」の手法を使い、学部学生のチームで議論の能力を競い合ってもらうという方法。
写真は予選の様子で、中央に審判団がいるのですが、左の海軍士官学校チームも、右の一般の大学生も丁々発止(ちょうちょうはっし)でやり合っています。
言葉だけで戦っているんですよ。あまりに早口なのでセンセイには聴き取れなかったのですが、後で英語に慣れた人に聞いても「速すぎて...」とのこと。
皆が皆、とは申しませんが、アメリカの大学生がとにかく鍛えられている様子が良くわかります。背筋がピンと伸びているし、それに何てったって表情が良い。
実はセンセイの両隣がとにかくにぎやか...というか、夜のある時刻までとてもうるさかったのですが、後で考えると彼ら彼女らはまず間違いなく、このイベントの参加者だったんでしょうね。
日本ではほとんど見られなくなった「よく遊び、よく学ぶ」その姿。アメリカの大学生のその一部だとしても、やはり学ぶべきことは多いように思われます。
■3月9日(火) 星条旗の国から、26時間かけて戻ってきました
飛行機は7時半過ぎに滞在していたシンシナティを出発するので、今朝は6時前(日本時間の昨晩8時)にホテルのフロントに集合。周囲はまだ真っ暗です。
予約しておいたシャトル便──日本の「ジャンボタクシー」みたいなもの──に乗り込み、いつまでたっても慣れない右側通行の道路を走行して空港到着。
そういえば運転手は「ここから空港まで17分」と、何故か概数ではない所要時間を述べていたのですが、最終的にはきっちり17分。やはり慣れているんでしょうね。待っている客は少ないように思えたのですが、シカゴ行きのエアバスA319に乗り込むとほぼ満席。定刻に離陸したのは良かったのですが、シカゴ・オヘア空港は深い霧で視界はほとんどゼロ。
どうするんだろうと思ってたら、いきなり地面が見えてたと思った瞬間、スムースに着陸。たいしたものです。日が昇るにつれ霧も薄くなり、その後の乗り継ぎも問題なく、雨の成田を経由して今晩、無事に金沢へ到着しました。
春だというのに、寒気が入ったそうで、雪が積もっています!!アパートに着いたのが10時過ぎでしたから、ホテルでの集合時刻からすると約26時間の旅となります。
飛行機の登場時間は合計15時間ほどなのですが、空港前後の移動や、乗り換え時間がかかるのです。アパートに戻ってとにかく荷をほどき、最初にシャワーを浴びたのですが、う〜ん、これって36時間ぶり?
写真は今回の学会での一コマ。普通の発表はだいたいこんな感じで行われます。
6日(土)のセンセイらの発表も、たまたまこの部屋だったのですが、こちらはペーパーを読む立場なので残念ながら、その写真はありません。
悪しからず。今回の学会の会場は、シンシナティ中心部に位置するヒルトンホテル。正確には写真の中央より右側の部分です。
ここに数日宿泊しながら、議論を交わすのです。センセイが宿所として割り当てられた部屋は18階の北西向きの角部屋。
とても見晴らしが良い場所でした。湿度が低いからだと思いますが、空がとても澄んでいて、それだけでここが異国なんだということを思い知らされます。
センセイの部屋の窓の外には、ちょうど米国国旗が掲揚されており、風に吹かれてそれが突然バタついたりします。
その様子を見ていると、ヨーロッパ諸国や日本など、それなりに歴史のある国々と違って、この国がこの星条旗の下に成り立っている特別な国家なのだということを思い知らされます。
それは長所であるとともに、致命的な弱点かもしれません。あんまり難しいことを言わなくても、「この旗を見つめながら育ったら、そりゃきっと、違うよなぁー」などと考えていたのでした。
というわけで、発表内容はともかく、できることは為したつもりで帰国した西村センセイ、明日からは──時差ボケに耐えながら──平常営業に戻ります。