2002年3月30日更新(2002年4月12日ページ移動。2003年3月16日一部写真削除)

最近のニュース(バックナンバー)

−−2002年3月第5週−−

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3月30日(土) 立つ鳥、跡を......片づけられない!! −−西村センセイ、最後の出勤−−

 予想通り(?)、昨晩はページを更新できませんでした。申し訳ありません。

 話には聞いていましたが、今年のインフルエンザは強力です。「特効薬」−−と書いてあった−−ならばケロッと治るのかなぁーなどと密かに期待したのですが、やはり世の中、そんなに甘くはありませんでした。それでも早めの治療が奏功して、関節の痛みは残るものの、ずいぶん良くなってきました。

 さて、一昨日敬和に出勤した(こちら)理由の一つが、研究室や機器備品類の返却です。


 写真はその際のものですが、全然片づいていません。今年に入ってから滅茶苦茶に忙しくなって、片づけている時間がなかったのです。それでもコンピュータや一部の図書類だけは持ち出したのですが。

 実は来年度もゼミの指導があるので、このまま研究室を借用することになっています。その意味では片づけなくてもいいのですが、やはりけじめが付きません。時間を作って早く片づけてしまいたいと思っています。

 最後の出勤の日に、全然「立つ鳥、跡を濁さず......」とはいかないなぁーと、やや自己嫌悪気味の西村センセイでした。



3月28日(木) 西村センセイ、「しんさつけん」をもらう!!

 先週末に出先で寒い思いをしていた−−気温の変化を読めずに出張した−−ので、「もしかするとヤバイかな」と覚悟していたのですが、やはり昨晩から様子がおかしくなってきました。夜中には関節が痛みだして、悪寒(おかん)もします。

 風邪かインフルエンザになり始めているようです。

 今朝起きて体温を測ると36.9℃。今日はどうしてもやっておかなければならない仕事が昼間にあったので、何とかなるだろうと出かけました。

 午後になるといよいよ様子がおかしくなってきます。医者に行きたいのですが、かかりつけの同級生の医院は午後はお休み。

 というわけで、一家でお付き合いさせていただいている近くの小児科に出かけました。
 娘をよく連れていくので、ドクターともすっかり顔なじみ。「いよいよ最後にお父さん(=センセイ)が......」と言って診察していただきました。
 体温は38.5℃。しかし本人としてはそれほどの感じはしません。

 鼻の粘膜を取って検査してみると、B型インフルエンザの疑いがあります。今は特効薬があるので、それをもらって帰宅しました。
 この冬の前半に流行したのはA型。現在はB型が流行しているのだそうです。

 というわけで、今日はおとなしく寝ることにします。それにしてもこの歳でネコの絵の描かれた「しんさつけん」を貰うことになるとは思わなかった......。



3月27日(水) 北陸新幹線の「夢」と「生活」 −−厳しい環境の在来線−−

 北陸本線に乗ったり、高速北陸道を走っていると工事中の北陸新幹線を見ることができます。また沿線のあちこちに一刻も早い開通を待ち望む看板が立てられています。
 けれどよく見ると、必ずしも歓迎一色ではなく、ずいぶん地域差があることに気がつきます。

 右の写真は新潟・富山県境近くの泊駅(朝日町)構内の看板ですが、新幹線の開通による在来線への影響を懸念している様子がよくわかります。
 すでに撤去されましたが、魚津では新幹線建設反対の看板を見たことがあります。

 北陸本線は日本海側の人や物流に大きな役割を果たしてきましたが、自動車運送の隆盛、特に北陸自動車道の全通と完全複線化によって大きく影響を受けています。
 現在の利用客の多くは北陸地方−関東間の利用客で、特急は多数運行されているものの、各駅停車の本数はどんどん減っています。
 このような状態の中で新幹線が開通すると、在来線は切り捨てに近い状態になります。

 長野県のしなの鉄道(旧信越本線:軽井沢−篠ノ井間)も同じような状況に立たされています。長野新幹線(通称)の開通によって在来線は第三セクターへ移管されたのですが、累積赤字に悩まされています。しなの鉄道の場合、貨物の輸送量が少ないこともマイナス材料です。
 北陸本線は、北海道−関西間の貨物輸送があるため、簡単には廃止されないでしょうが、第三セクターへの移行と地元の経済的負担は避けられないでしょう。

 新幹線の駅ができて便利になる地域と、あまり利益を受けず、むしろマイナス面の目立つ地域。各駅停車でそれらの地域を移動しながら、西村センセイはいろいろ考えさせられるのでした。



3月26日(火) 金沢は不思議がいっぱい!!(2) −−交差点の番号編−−

 金沢の郊外を歩いていて気づいたことがあります。交差点についてです。

 右の写真はセンセイのアパートのすぐ近くの交差点です。ごくありふれた狭い交差点です。

 で、よく見ると一時停止のための白線の手前に番号が書いてあるのです。
 反対側には続き番号がふってあるので、どうやら交差点の番号ではなく、白線の番号のようです。

 他の地域でもあるのかもしれませんが、センセイが見るのは初めてです。まぁ、あれば管理のために少しは便利かなぁーとは思うのですが、ホントに必要?
 それともそれくらい金沢はきっちりさせる所なのでしょうか????



3月25日(月) 金沢は不思議がいっぱい!! −−バスの運転手さん編−−

 金沢駅からバスに乗りました。

 バスの運転手のアナウンスを聞いていて、最初ちょっとだけ違和感を感じました。よく聞き取れなかったので気にせずにいたのですが、市内中心部の香林坊を出発する時、今度ははっきりと聞きました。

じゃ、発車します。」

 バス停を出る時に「発車しまぁーす」とか言うのはよくあることですが、「じゃ、発車します」というのは初めてです。センセイの表現力不足もあり、文字にするとその不自然さがなかなか伝わらないと思いますが、ぜひ「じゃ、発車します」と口にしてみてください。
 実際、車内では乗客一同お互いに顔を見合わせて、一挙に異様な雰囲気に突入しました。隣の連れ合いとクスクス笑う人もいます。

 けれど、事件(?)はこれで終わらなかったのです。細川俊之さん−−でしたっけ。すみません女性にもてそうな俳優さんです−−そっくりの声と口調で、運転手さんはゆっくりと噛みしめるように続けます。

「今朝は寒かったそうですね。雪も降ったそうですね。私は遅く起きたので見れませんでしたけれど。寒いので朝起きられませんね。」

「急ぎたい気持ちになることもありますけど、ゆっくりと安全運転です。」

「昨日から加賀百万石物語博が開かれているそうですね。来年の1月まで開かれているそうですね。」

......この調子で、延々としゃべり続けるのです。観光案内が大好きで、特急で延々と説明して顰蹙を買っていた−−ただし本人はそれがわからない−−車掌さんに出会ったことがありますが、バスの運転手さんというのは初めてです。

 それにしても......不思議な運転手さんでした。



3月24日(日) 西村センセイ、『山椒大夫』の地を旅する −−「天橋立」も見ました−−

 いやぁー、いろいろ大変だったのですが、何とか無事金沢に戻ってきました。

 昨日は高校卒業後26年ぶりに再会した知り合いと痛飲。おかげで、今朝はちゃんと起きられず、指定券を買っておいた列車に乗り遅れそうになりました。旅の朝に遅刻したことがないという記録(こちら)も危なかったわけです......それでもちゃんと乗るところがすごい。

 今回の旅の目的地は丹後半島と若狭湾(舞鶴地方)です。

 大阪市内から初めての福知山線、山陰本線と乗り継いで、旧宮津線(現在は北近畿タンゴ鉄道)に乗り換えました。
 丹後地方は険しい山が多く、その山がすぐストンと海に落ちてしまいます。その間のわずかな平地を縫うように、1両編成のディーゼルカーは進みます。
 空席が目立ちます。ある駅ではセンセイ一人っきりになったこともあります。乗客は老人や中高生が主。生活密着路線で、赤字が大変なんだろうなぁーと想いました。でも車窓からの眺めは格別で、何度でも乗りたくなる路線です。

 北近畿タンゴ鉄道にはとても有名な場所があります。日本三景の一つ、天橋立(あまのはしだて)です。駅名にもなっています。北近畿タンゴ鉄道からは天橋立を表と裏から見ることができます。ただし、細く棒状に見える(はずの)場所にはいろいろな建物が建っていて、車窓から見ることはできませんでした。
 念のため外側から撮影した証拠写真を掲載します。何がなんだか分からないのですが、写真中央部の松の帯が正真正銘、天橋立です。


 東舞鶴、西舞鶴で列車を乗り換えて小浜線に入りました。小浜線は若狭湾沿いに舞鶴と敦賀を結ぶ路線で、ディーゼルカーでのんびりと走ります。

 その小浜線、現在地域の期待を担って電化工事中。途中駅でJRがチャーターした臨時代行バスに乗り換えました。

 代行バスに乗れること自体が珍しいことですし、センセイが今回使用した「青春18キップ」はJR在来線の鈍行・快速に自由に乗れるものの、本来バスには乗れないので貴重な体験です。これはバスではなく、あくまで列車の代わりなのです。

 電化の完成には時間がかかりそうですが、完成したらもう一度乗ってみたいなぁと思わせる小浜線でした。

 さて、今回の経路の中に「東雲」(しののめ)という駅がありました。むかし藁や茅で小屋を造って暮らしていた時代に、日の出を見るために東側の藁や茅の一部を縛って一種の窓にしたことから東雲(しののめ)と呼ぶのだそうです。

 で、森鴎外の作品に、『安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)』があります。伝説を小説化したものだったと記憶していますが、ご存じ、新潟県直江津−−碑があるはず−−で誘拐された厨子王と姉の安寿姫の物語です。安寿は自分が犠牲になって弟を逃すのですが、その安寿姫を祀ったほこらがこの東雲駅の近くにあるのです。直江津から能登半島、若狭湾を越えてはるばる丹後にまで連れてこられたのですねぇー。当時の人にとっては絶望的な距離だったでしょう。

 センセイの高校の同級生にも誘拐されたと考えられている人がいます(こちら)。誘拐した人たちにも彼らなりの理由はあるのでしょうが、残念ながら、基本的な人権を踏みにじる人間は確かに存在するのですね。



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