2003年3月15日更新(2003年3月23日ページ移動。2003年9月8日および2004年4月16日写真削除)
センセイ一家はこの冬最後のスキーへ出かけました。アメリカ行きや親子での旅行があったので、一ヶ月ぶりとなります。
出かけたのはいつもの栃尾ファミリースキー場(こちら)。母親方の伯母を訪問する必要もあったのです。都市の人が「スキー場」と聞けば、大規模なものを思い浮かべるでしょう。当たり前のことですが、それらは採算性を重視しています。
栃尾ファミリースキー場はそれと比較するのが無理なほど小さな施設です。
採算目的ではなく、地域住民の福利厚生が最大の目的です。大きな赤字を作らなければいいのです。
したがって利用料金は割安。食堂も自動販売機もあるのですが、価格設定はごく普通。
利用者は近くの小・中学生やその保護者が主体。場合によっては、親は車で送迎し、子供だけで滑っている場合もあります。で、このようなスキー場はどこも、更衣室やトイレ、ストーブ、ロッカー、自由に使えるポットなどが備えたファミリー向けの無料休憩施設があります。
今日は孫の女の子を連れてきたおじいちゃんがストーブで暖をとっていました。休憩に戻るとセンセイの両親と世間話に話がはずんでいました。その傍らでは男の子の小学生兄弟が、二人でカップ麺にお湯を注いでいました。
センセイ一家もおばあちゃんが作ったごちそうを食べました。ちょっと移動すればレストランもあるのですが、これも親孝行。娘にも記憶は大切ですからね。
こういう田舎暮らしにもそれなりに良い一面があると思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
センセイが平日を過ごす金沢は歴史と伝統の街です。といっても、金沢城や兼六園に代表されるようなりっぱなものだけでなく、ちょっとしたところで、ふと、歴史を感じることがあります。
センセイのアパートは大学の近くにあります。歩いても20分くらいですから、できるだけ歩いたり自転車を使うようにしています。
途中には品揃えの悪いパン屋さんと、交通渋滞の元凶となっている保育所と、一度も行ったことのないお弁当屋さんと、この場所には不釣り合いなほど大きなCDショップと、地方銀行の支店と、何となく的はずれなジョナサン(ファミレス:業績は良い)と、そしてサークルK(コンビニ)があります。一人で暮らすには便利だと思っています。
で、その北國銀行横川支店(緑の看板)の隣には冴えない倉庫があります(写真はその後ろ姿)。
最初は気づかなかったのですが、この倉庫は山蓄というCDショップの倉庫なのです。
金沢で"SOUND YAMACHIKU"として知られる山蓄。
家族経営の小さな会社だと思っていたのですが、実は意外にも、金沢に何店舗もお店を構える最大手の老舗だったのです。しかも倉庫の正体は何と本社!! 「石川三田会(慶応大学の同窓会)事務局」などといういう勇ましい看板もかかげられています。で、その本社兼倉庫を見ていて、ふと気づきました。
犬がいるのです!!
年長の方はもうお分かりかと思いますが、この犬の置物はずっとビクターがロゴとして使っていた「亡きご主人の声を聴く犬」"HIS MASTER'S VOICE"( JVC, VICTOR)こと"Nipper"君です。
若い方には難しいかもしれませんが、ある日犬の飼い主が急死−−交通事故だったかな?−−してしまったのに、忠実な飼い犬はそれを理解できず、いつものように飼い主を迎えに行った犬なのだそうです。レコードの普及期のお話です。
その姿を不憫(ふびん)に思った人々がレコードに収められた飼い主の声をスピーカーから流したところ、その声に聴き入っていたという逸話が生まれ、忠犬ハチ公−−これも諸説ある−−のようなこの話がレコードの宣伝のために利用されたのが、"HIS MASTER'S VOICE"(「亡きご主人の声を聴く犬」)なのです。
かつてはたいていの家に、瀬戸物でできたこの置物がありました。センセイの実家にもあったのですが、いつの間にかなくなってしまいました。
記憶のどこか残っていたその姿に、窓越しながらも約40年ぶりに再開した西村センセイでした。
う〜ん、でも今日のこのネタ、やっぱり40歳以上じゃないと理解できないだろうなぁー。「ワカラナイッ!!」という方は、ぜひぜひお父さん、お母さんに訊いてみてください。ずいぶんびっくりされると思いますよ。
3月13日(木) おぉ、これがOS Xのカーネル・パニックかぁー!!このところずっとある原稿を校正しているのですが、どんどん手が入ってしまい、もはや「校正」の域を逸脱してしまいました。
その分、確かに前よりは良くなってはいるのですが、いったいいつになったら終わるんだろう、というわけで、気分転換にPowerMacに手を触れたところ......ある作業の途中で画面が急にスクロールし始め、制御不能になってしまいました。
見た目は美しいMac OS Xの画面が一変して、文字だらけになってしまいました。OS XのベースになっているUNIXそのものです。「おぉ、これが話に聞いていたカーネル・パニックかぁー」と、最初は余裕。何だかこれで一人前の Mac OS Xユーザーになったような気分です。
実際、画面の左下には「(カーネル)パニック」と表示されています。
画面上部にはフランス語とドイツ語、そして日本語で再起動を指示しています。英語その他はスクロールされてしまって見えません。
バックには電源ボタンのマークが透かしで入っています。
うん、さすがはアップル。かつてのマックでは、不具合を表すサッドマックとともに、それ専用の音楽が流れた−−本当−−のと似ています。証拠写真も撮ったし、それじゃぁ、と再起動させたところ......起動しない。
電源は入り、ハードディスクやグラフィックボードも動き始めたのですが、システムが起動しないのです。
まっ、いっかーと思って再起動させると、今度はハードディスクもグラフィックも作動しない!! 何回か繰り返したのですが状況は同じです。ハード的なリセットボタンを探したのですが、センセイのPowerMacにはついていないようです(内部のロジックボード上にはあるかもしれない)。
仕方ないので電源コードを外してしばらく放っておいてコンデンサを完全に放電させ、それから再起動させたのですが、やはりうまく動きません。どうやらセンセイのPowerMac G4、完全に壊れてしまったようです。
やはりこれもMac OS Xのやきもち(こちら)!?
春休みのはずなのに、会議と、慣れない書き物が続いており、ちょっと疲れてしまいました。メールをお待ちの皆様、明日午後までお待ちください。
気分転換に、アパートに戻ってからお料理をすることにしました。こう見えても西村センセイ、学生時代は中華料理屋でコックをして生計を立てていたのです。えっへん!!
炒め物をしようとして、暗がりで義理の叔母からもらったタマネギをさぐっていたら......フニャ!?
あ"っ、と焦って取り上げると、すっかり芽が出ています。一瞬で時間が20年前に戻りました。
何をやってもうまくいかなかったある日−−ちょうどこれくらいの季節−−のこと、今日と同じように芽が大きくなったタマネギと出会いました。
地中に植えられているわけではないので、放っておけば程なく枯れてしまう運命にあるわけですが、それでもタマネギは芽を伸ばしています。上へ、上へ。
しばらくの間、そのタマネギを見つめていました。
で、どうしたかって?
もちろん、今日もその日も食べられるところだけ料理しました。でもすっかり薹が立ってしまっていて、やっぱり美味しくはなかったんですけどね。
朝起きると、外は雪。どうりで静かだったわけです。
「そんなに簡単に春にはさせないぞ」とでも言いたそうな寒さでした。会議に向かうために学内を歩いていると、食堂の一角に新入生のための家具類が展示されていました。特別価格で提供されるのです。
まだ新入生を見ることはほとんどないのですが、やはり4月に向けて世の中は春に向けて動いているんですねぇ。
そういえば、センセイも去年は「新入生」。長いようで短かった1年が一巡りすることになります。
う〜ん、と、ちょっと考える西村センセイでした。
3月10日(月) 西村センセイ、有り金全部が入った財布を落とす...いつかはやるだろうなぁー、と思っていたのですが......。
青森から柏崎の自宅へ戻った時には、やはりかなり疲れていました。寝台列車は好きなのですが、ついつい張り切ってしまうのと、子連れの旅で眠りが浅かったのです。
書斎でひとまず荷物を片付けてから、そのままちょっと休憩しようかとも思ったのですが、そのまま夜まで眠ってしまいそうだったので、その前に近くのカメラ屋さんにフィルムを現像に出すことにしました。
で、運転免許証が入った財布を取ろうとすると......ない。いつもの場所にありません。コートに入れたままなのかなぁーと思って階下に降りてみても、ない。鞄の中にもない。もう一度自宅を一周しても、さらにもう一度一周しても、ない。
財布を落としてしまった!!
センセイはそんなに現金を入れておかないのですが、会計年度末で、旅行前に立替金が戻ってきていたのです。それもかなりの金額。カード類もすべて入っています。
記憶を辿るのですが、やはり疲れていたようで定かではありません。
それでも、よぉーく考えてみるとタクシーの中に落としてしまったようです。タクシーを降りてから、もう30分近くたっています。
柏崎駅からセンセイの自宅はそれほど遠くなく、自分一人なら歩きますし、バスも使えるのですが、昨日は疲れていたのでタクシーに乗ったのです。さて、どこのタクシー会社だったかしら......思い出せない。ヤバイ。
柏崎のタクシー会社は限られていますし、タクシーの色は覚えているので捜し出すことは可能でしょう。でも後部座席に落としたはずなので、運転手ではなく次の乗客が拾ったとしたら......。で、もう一度、行動を思い出してみました。
センセイの自宅は道路に面しているのではなく、進入路を入ったところにあります。もしかしたらそこに落としたのかもしれません。
う〜ん、と思いながら自宅玄関を出てみると、おぉ、路上にセンセイの財布が!! それも進入路ではなく、道路のど真ん中に!!
確かめるまでもなく、中身は無事。
それにしても、それなりに人通りのある道路に30分も残されていたとは......。
3月9日(日) 『旅の終わりは個室寝台車』 −−青森駅は追慕の雪の中−−先日、柏崎駅で金沢までの切符を買っていたら「JR東日本パス」のチラシが目に入りました。
3月の特定の週末に限ってJR東日本の列車を新幹線や特急を含めて格安の料金で乗り放題。JR東日本完全民営化記念だそうです。東北新幹線が八戸まで延伸した機会をとらえて、北東北を売り出したいというねらいもあるのでしょう。この種の乗車券は今までにも何回か売り出されたことがあるのですが、これまでと違って、回数に制限があるものの座席を指定できるのです。
チラシを見ながら、いいなぁーとは思ったのですが、たぶん関東の人が東北を一周するという単純なコースに集中して大混雑になると思ったので、その場では見送ることにしました。でも、ふと「みんなと違うコースならそれほど混まないのでは」と思いついて、昨日の夜は小三の娘とともに青森駅のプラットホームに立っていたのでした。寝台特急「あけぼの」のA寝台個室に乗るためです。
予想は大当たり。
当日は大型のカメラと時刻表を手にした一夜漬けの鉄道マニアや旅行ファンが激増。
新幹線などは輸送力に余裕があるからいいのですが、乗り継ぎに都合のよい特定のローカル特急に乗客が集中し、指定席まで立たせても乗り切れないほどの大混雑。昔と違って、今のJRには車両を臨時に増結するだけの余力はもうないのです。駅員があまり焦っていないところが、ちょっと、悲しい......。オマケに、昨日は東北地方の太平洋側の大雪もあって東北本線と青函連絡線は大混乱。時刻表の表面だけを見て乗り換えスケジュールを組んだ人は大変なことになっていたでしょう。実際、みんな殺気だって駅員に不満を訴えています。
センセイの場合は青森から上野までただ乗っているだけなので、多少の遅延は問題ありません。青森駅を10分遅れで出発しました。
寒気が入っているために青森駅はとても寒く、新たな降雪が10cmくらいあったようです。窓の外が凍り付いています。
県境のトンネルを越えて秋田県にに入ると寒さも和らぎ、積雪量も少なくなります。秋田市付近ではすっかり穏やか。とても隣の県とは思えません。目が覚めると何となく車窓に見覚えがあります。駅舎もすべて照明を落としているので、正確にはわからないのですが、新潟県の中越地方であることは確か。予想通り、列車はほどなく長岡駅に停車しました。
夜行列車は混雑する終着駅に正確に到着しなければならないのと、長距離の運転で乗務員を交代させなければならないので、客の乗降はできなくても大きな駅では長く停まります。列車の遅れを修正できるのですね。長岡駅には30分近くも停まっていました。長岡から群馬(渋川あたり)までは上越線のハイライトです。本当は東京に向かって右側の車窓の方がループ線や谷川を見ることができて楽しいのですが、寝台列車の場合は自由がききません。今回は左側だったので、いつの間にかまた眠り込んでしまいました。
翌朝は娘も早起きをして関東の朝を満喫しました。
平日なら多くの人が働き出す時間なのですが、今日は日曜日なので出だしは遅め。そうこうしているうちに車両は上野駅に到着しました。到着してみると、思っていたより乗客は多く、センセイ親子を含めて、やはりJR東日本パスの利用客が目立ちました、JRのねらいは当たったというわけです。記念写真を撮っている人も多かったです。
今回の個室寝台旅行にはちょっとした思い入れがありました。
最大の理由はしばらく寝台に乗っていなかったために禁断症状が出たという単純な理由なのですが、加えて、旅行紀行作家でセンセイ夫妻が大好きな宮脇俊三氏がセンセイの渡米中に亡くなられたからなのです。
『旅の終わりは個室寝台車』は氏の作品の一つです。ご冥福をお祈りいたします。
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