2004年12月25日更新(2005年1月3日ページ移動。2011年5月4日写真削除)

──2004年12月第4週──

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12月25日(土) 富山県の人はいいなぁー ──金沢での年内の勤務を終えました──

 金沢工大は今日で年内の営業(?)を終え、学生、教職員共々明日から冬休みに入ります。

 センセイはまだ終えていない仕事がたくさんあるのですが、大学にとどまる理由もないので、未採点の答案やいろんな資料を車に積んで、お昼に金沢を発ちました。

 今日の日中、北陸地方はとても良い天気。

 富山県に入り、富山市付近に差し掛かると、南東方向にご覧のように雄大な立山連峰が広がります。(呉羽PAにて撮影。3枚の合成写真)


 「写真が小さくって、ちっとも雄大じゃない」って? そういう方のために、こちらに別ウィンドウで用意しました。(60KB:Windowsの場合は、右上の「最大」ボタンをクリックしてください。横幅1024Pixcelのウィンドウに収まります)[削除]

 でも、この写真でも立山連峰の魅力はとても伝えきれないのです。

 立山連峰はとても精神性を感じさせる山々で、それが目の前一杯に広がるので、こちらは圧倒されてしまいます。車を運転していて、何だか吸い込まれるような感じすらします。

 県内のどこから見ても魅力的です。魚津(うおづ)市付近は、山々が眼前に迫ってきます。しかし、連峰がパノラマ写真のように広がるという点では、やはり富山市付近が一番でしょう。

 富山県の人々にとって立山は精神的な拠り所で、何げない会話にも登場します。ローカル放送を聴いていても、しばしば「今日の立山は...」という具合です。

 200回(往復)くらい富山県を通過して、「だから富山県っていいよなぁー」と思う西村センセイは単純すぎるのでしょうか。

 立山連峰、ぜひ、ご自身の目でご覧になってください。



12月24日(金) 仮設住宅のクリスマスツリー

 今日はクリスマス・イブ。

 西村センセイ、どうも昔からあまりご縁がない夜なのですが、今年はついに金沢のアパートで一人っきりのイブとなってしまいました(新潟へは明日帰る予定)。

 先日、自宅近くの、今回の地震で被災した方のための仮設住宅(こちら)の脇を通っていたら、ちょっと大きな木が植えられていることに気づきました。
 もちろんクリスマス・ツリーに使うのでしょう。

 昨23日、金沢へ移動する時に立ち寄ってみると、ご覧のようにきれいな装飾が取り付けられていました。

 昼間だったせいか、仮設住宅にはあまり人の気配がありません。
 祝日だったので、買い物に出かけているか、被災した自宅に行っているのだと思います。

 たぶん今ごろ(これを書いているのは夜)はイルミネーションが仮設住宅を照らしているのでしょう。

 復興に向けた希望の象徴になってもらいたいものです。



12月23日(木) 西村センセイ、死亡告知欄に登場!?

 今日は国民の祝日なので、センセイは新潟の自宅にいました。

 で、ゆっくりと起きて新聞を読みながら朝食を食べていると...え"っ!?

 その理由はご覧の通り。

 センセイの同姓同名の方──長岡市内の鉄工所の会長だそうな──が亡くなられたのです。

 センセイの名字も、名前もそれぞれ、それほど特殊なものではないので、こういうこともあるのですが、それにしても不思議な気分です。

 試しに、YAHOO!などの検索サイトで、自分の名前などを入れてみると、同姓同名の方がいかに多いかがわかります。
 センセイの場合、演劇のプロデューサーや京都大学の先生などと同じだそうです。

 どこかでご縁が......と思いたいのですが、やはり死亡告知となると、やっぱりちょっとね。

 故人のご冥福をお祈りします。



12月22日(水) 懐かしの「国鉄色」復活!! されど......

 母校ICU図書館での調べものが終わって、センセイは帰途についています。

 何回か図書館にこもってある人物の著作を調べていたのですが、なかなか埒(らち)があきませんでした。
 ところが今回、意外にあっさりと目的の部分を発見したので、気分はとても軽いのです。

 さて今回のツアー中、北陸本線糸魚川(いといがわ)駅の車両整備地区で、写真のディーゼルカーを見ました。

 ある程度の年齢の人にとってはとても懐かしい色です。

 このデザインは通称「国鉄色」と呼ばれる塗装で、ご覧のものは急行、準急──現在は死語──用のものです。

 実はこのところ、この国鉄色が人気で、この列車を走らせると鉄道マニアが全国から集まってくるのです。
 JR西日本金沢支社はこのテのイベントが大好きなようで、大糸線には国鉄色の各駅停車も走らせています。

 たぶんこの車両も、ディーゼルカーをふだんから整備している糸魚川駅で整備して、大糸線か七尾線あたりを走らせるのだと思います。

 で、個人的にはなつかしく、そして大好きな国鉄色なのですが、でも、どうかなぁーと思っています。

 今だに未解決の労働問題──若い方はご存じないと思います──などを抱えながら、国鉄は民営化されました。
 その後のJR各社は努力して今日を築きました。国鉄時代の殿様商売を知っている人間にとっては隔世の感があります。

 塗装はその象徴の一つで、「う〜ん、いかがなものか」というものも含めて、各社の努力が感じられます。

 その努力と、(懐かしいけど)この国鉄色は、ちょっと不釣り合いに思えるのですが......どうでしょう?



12月21日(火) 新潟―群馬県境はようやく冬景色

 西村センセイ、今日はちょっと早起きをしてほくほく線経由の特急に乗り込みました。都内の大学で研究会があるのと、母校の図書館でちょっと調べ物をするのです。

 この時間帯の特急「はくたか」に乗るのはめずらしい――いつもはお昼過ぎに乗ることが多い――のですが、お客さんの動きを見ていると、金沢―富山間は通勤電車としても使われているようです。

 早起きをしたのでうとうとしていると、もう直江津。
 ほくほく線に入ると「はくたか」は猛烈にスピードを上げて、在来線国内最速の160km/hで走ります。ほくほく線や、小出以南の上越線についてはもう地震の影響はないようです。

 新幹線乗換駅の越後湯沢に近づくと、ご覧のようにうっすらと雪化粧。

 いつもならこの場所は数十cmくらいの雪が積もって、場所によってはスキー場もオープンしているのですが、今日見た限りではごく一部のスキー場が人工降雪機を使ってゲレンデを整備しているものの、まだオープンはしていないようでした。
 駅近くの標高がやや低いスキー場は雪がまったくありません。

 不思議なもので、冬の間は「もう雪はいいや」と思うくせに、この時期だけは雪を期待したりします。
 もっとも、今年は地震があったので、被災者のためにはあまり降らないで欲しいと思うのですが......。

 上越トンネルを越えると、例によって雲一つない青空。何だか時差ぼけのような不思議な感じがします。

 それでは研究会に行ってきま〜す。


12月20日(月) 西村センセイ、毎朝水道水を持参する

 センセイが金沢工大に赴任したのは、ほぼ3年前。それまで会議室として使っていた──「あまり使っていなかった」と言うべきか──部屋を研究室としてお借りすることになりました。

 とてもびっくりしたのが、水です。

 小さな洗い場があるのですが、蛇口をひねって出てきたのは、赤黒い(!?)液体。最初はホントに何だろうと思いました。
 使っていなかったので、パイプが錆びてしまっていたのです。

 水を流してもあまり変わりません。ちょっと薄くなったかなぁーと思っても、翌朝には真っ茶色。もちろん飲めたものではありません。

 それでも数ヶ月で色もわからなくなったのですが......やはり味がする。

 鉄の臭いだけじゃないなぁーと思っていたのですが、ある時、野々市キャンパスの水は地下水を使っていると聞きました。
 不思議な味の理由はわかったのですが、もうこのころには慣れてしまい、特にポットで涌かしてからなら割と普通に飲めるようになったので、そのまま飲んでいました。

 ところがそのうち、ポットの内側、底の方に何か白いものがたまっていくことに気づきました。
 水に溶けているカルシウム分のようです。

 で、最近、思い立ってアパートからペットボトルで水を運び始めたのですが、こちらは無色無臭、強いて言えば水道水の味がする(当たり前ですけど)。

 一番変わったのがお茶──といってもインスタント──で、味がとても丸くなりました。
 コーヒーもかなり違います。ポットの内側もカルシウムが着かなくなりました。

 というわけで、西村センセイ、ただの水道水を毎日自転車で運んでいるのです。



12月19日(日) やはり大きかった地震の被害

 昨日のこと。所用があったので、いつもとは違う経路で新潟県中越地方(三島郡出雲崎町)を車で走っていました。

 道路沿いの崖があちこちで崩れています。
 これは自宅や実家近くでも同じで、今回の地震では、地震の前に颱風が来たので地盤がかなり緩んでおり、そこに加わった揺れで崖崩れが多数発生したのです。

 あるカーブを曲がって、ギョッとしました。山の頂上から崖が崩れているのです。

 杉の高さ――手入れの行き届いた相当立派な杉です――と比較して、被害の規模の大きさがお分かりになりますでしょうか。

 正直なところ、小さな崖崩れにはもう慣れっこになっていたのですが、度肝を抜かれてしまいました。
 現場の上には旧国道が走っているはずなのですが......。

 しかし大規模な崖崩れはこれだけではありませんでした。現場から200mくらいの間、道路の両脇のあちこちが崩れてしまっています。
 巻き込まれたら、ひとたまりもなかったでしょう。

 今日は今日で、実家近くの伯母を見舞った――次期ご当主様はこういう義務が多い――のですが、隣の、娘(センセイの従姉)の家は屋根を全部やられてしまい、伯母の家も外壁が崩れてしまって、大変だったのだそうです。

 さらに困ったことに、揺れが激しかったためにしばらく車の中で避難生活したのだそうですが、それ以来、伯母は体調を崩してしまったとのこと。

 老人などの災害弱者が、続く避難生活で具合を悪くする話をよく聞きます。地震による死者は、間接的なものも含めるとずっと多く、しかも瞬間も確実に進行中なのだと思います。(伯母は健在ですので、念のため。)

 地震は崖崩れだけじゃなく、人々の体と心をこうやって、ボディ・ブローのように傷つけていくんですね。

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