2008年5月3日更新(2008年5月11日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)

──2008年4月第5週〜5月第1週のニュース──

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5月3日(土:祝日) ポイントは、どれだけお客さんの視点に立てるか。 ──こどもの時代館、リニューアルオープン!! ──

 世間はともかく、センセイにとってはやっと連休初日。今日は娘にせがまれて、午後から市内の「こどもの時代館」へ行ってみました。

 柏崎市西部の国道8号線沿いの青海川を中心とした地区には、「柏崎コレクションロード」という愛称を与えられたコレクション館が9館あります
 「こどもの時代館」はその一つで、もともと市が郷土玩具展示館として開設されたものが母体。

 その後、ゴジラやウルトラマンなどの展示物が中心となり、まぁそれなりにお客は入っていたのですが、昨年夏の中越沖地震で被災。
 約1ヶ月で再オープンしたものの、客離れが進んでしましました。
 そこでコンセプトを昭和40年代の「昭和懐物
(かいぶつ)ランド」に変更して、先月末リニューアルオープンにこぎ着けたのです。

 センセイと娘は数年前、「ゴジラ」と「ウルトラマン」の時代にここを訪問したことがあるのですが、お客はセンセイらともう一組だけ。
 ところが今日はたくさんの人が押し寄せています。駐車場には関東ナンバーの車もありました。

 柏崎の地方紙や新潟県の有力紙(後者は共同通信を介して全国配信)で報道されたからかもしれません。

 期待して館内にはいると、確かにセンセイの世代が小学生だった時代の懐かしい物がたくさん置かれています。大きなつまみをガチャガチャ回すテレビだとか、ブリキのおもちゃだとか。

 一角には当時の小学校の教室も再現されていて、すべて木製の机や椅子だとか、アルマイト製の食器+「先割れスプーン」(!!)も展示されています。
 当時の駄菓子屋──さすがに「駄菓子屋」という表現は消えつつあった──も、天地真理や南沙織のポスターもあったりします。おまけに今日は、テレビ局の撮影も入っていました。

 とにかくたくさんの物が展示されているのですが、でも、見終えて帰る時には「あれ、何を見たんだっけー」という感じ。この感覚、実は前回の「ゴジラ」と「ウルトラマン」の時にも経験しています。

 ブリキ製の手動殺虫剤噴霧器など、「あったよねぇー」という物もあるのですが、正直なところ「とにかく集めて展示したよ」という感覚。
 中年のオジさんおばさんが久しぶりの同級会で懐かしがっているのならともかく、ちょっと冷静になると、何を伝えたいのか良くわからない......。

 要するに、お客さんの視点が欠けているんですね。

 アピールしやすい客層──前述の中年層──もあれば、その後に生まれた人たちもいれば、団塊世代を育てて苦労した人たち、あるいはターゲットの世代でも優雅な都会暮らしをしていた人もいるでしょう。
 お客さんの視点に立った時、そして館を出る時に「あぁ、ホントに懐かしかった.....」とか「今まで気がつかなかったけど、親の世代は......」と考えてもらえるような、そんなコンセプトと実際の展示物に絞り込む過程が不足しているんだとお思います。

 ただし偉そうなことを言っていても、このページをご覧になればわかるように、センセイ自身はこれが最も苦手ですから、決して偉そうなことは言えないのです。



5月2日(金) 学生の後ろ姿を見送る ──連休ならではの、嬉しい出来事がありました!! ──

 今日はとても嬉しいことがありました。数年前に講義を手伝ってくれていたOさんが研究室へ遊びに来てくださったのです。

 彼女は当時、建築学科の上級生。

 SA(スチューデント・アシスタント)としてこのサイト運営の基本となる講義の記録を献身的に入力してくださり、また提出されたたくさんの課題類を、不平も言わずに整理してくださりました。
 このサイトを当たり前のように更新できるのは、本当に彼女のような歴代のアシスタントのおかげですし、金沢工大は学生が多いので、彼女のような人なしには、良い授業を運営することができないのです。

 その後彼女は大学院へ進学され、修了後は都内で建築会社に勤務されています。もともとご実家が金沢市内なので、連休を利用して帰省し、大学に遊びに来たとのこと。
 西村センセイ、連休なんて関係ないやと思っていましたが、前言撤回、もう連休様々です。

 2年ぶりの彼女は、すっかり大人の女性。大学院生の頃でも、まだどこか幼さを残していたのですが。

 遊びに来てくれたのは本当に嬉しいんだけど、センセイが一番嬉しいのは、こうやって、かつての学生が成長したことをこの目で確かめられること。(ただし、そのためには遊びに来てもらう必要がある。)

 老人期に入り、いよいよボトボトし始めたセンセイを残して、ご縁のあった若い人がどんどん成長していきます。
 何ものにも代え難い倖せです。

 彼女が去った後、所用でちょっとキャンパスの外へ出たら、おぉ、そこを行くのはセンセイの受け持ちの学生諸君ではないか。
 というわけで記念に、後ろ姿をパチリ。

 彼らはまだ大学に入ったばかりだけど、この後ろ姿もどんどん成長していくんでしょうね。



5月1日(木) 砂漠は今でも井戸を隠しているだろうか

 予定通りに仕事が進まない──関係者の皆様、ゴメンナサイ──ので、西村センセイ、今日も朝早くからご出勤。

 いつもは自転車通勤なので通用門から入ります。だから普段と違って車で出勤し、慣れない正面玄関から館内に入るあたりはとても新鮮に感じられます。

 若葉がどんどん元気になっています。何故か紅葉の色も存在するので、ちょっと記念にパチリ。

 センセイの母親のように植物に詳しかったらいろいろご説明できるのでしょうが、理科の免許状を何通も持っているはずの息子は、目の前に宝の山があっても、歯がゆい思いをするだけ。
 ダメですねぇー。

 ところで以前から気づいていたことがあります。この時間帯、鳥たちががとても活発に活動しているのです。
 もうちょっとすると人間が活動し始めて、無機的な音が増えるため、鳥の鳴き声が目立たなくなるという面はあります。

 でも、それだけではありません。
 明らかに夜明けからこの時間帯に書けて鳥は最も活発に歌い、動いているのです。

 その中に、ウグイスがいます。

 春の初め、まだ寒かった頃は音程をちゃんと保てず、場合によっては途中でコケてしまう(!!)ことすらあったのですが、4月に入ってからは朗々と謡っています。
 たいしたものです。短い命に生命の連鎖を感じます。

 聴き惚れていると、前しか見ずに道路を急ぐ車がどんどん増えてきます。
 そして鉄の車の数を数えるかのように、そして自分たちはまるであたかも存在しなかったかのように、鳥たちはどこかへ消えてしまいます。

 砂漠は確かに、井戸を隠しているんですね。



4月30日(水) 『最長片道切符の旅』≒『用心棒日月抄』?! ──宮脇俊三は、いかに「捨てた」のか──

 紀伊国屋書店が、先日ご紹介した『「最長片道切符の旅」取材ノート』を届けてくれました。すぐに読んでみたいのですが、今日は休憩時間がまったく存在しません。

 朝イチから講義が二つ続いた後は、手伝いの学生さんの管理が入ってお昼休みもなし。午後はそのまま2時間連続で大学院。(今日だけですが)6名の面接が入り、大急ぎで書類を作成して夕方の会議。
 先週のように「意識が吹っ飛ぶ」ということはありませんでしたが、かように金沢工大は忙しい......。

 アパートに戻ってやっと読み始めることができたのですが、これが理屈抜きに面白い。一気呵成(いっきかせい)に読める勢いがあります。

 前回も少しお伝えしましたが、余所(よそ)様が読む文章を書くツボは、「いかに捨てるか」です。
 書きたいこと、伝えたいことはたくさんあるでしょうが、それが表に出れば出るほど、読みづらい文章になります。

 他人に意識を集中して読んでもらうためには、押すのではなく、「引く」勇気が必要です。恋愛と同じですね。
 見えるものの向こうにある見えないもの──これも、ツボ──を基準にして、余分なものをひたすら捨てます。

 今回の『取材ノート』は公開を前提としない全くのメモなので、現場の様子がそのまま記録されています。
 金沢のアパートには刊行された『最長片道切符の旅』は置いてないのですが、内容は暗記しているので、「あぁ、ここはこうやって...」ということが手に取るようにわかります。

 現場でたくさんのものを見聞きし、そして感じ、考えながらも、基準に従って冷徹に贅肉をそぎ落としています。
 見事な捨てっぷりです。

 実は宮脇氏の文章、『最長片道切符の旅』を分水嶺として、その後は少しずつ、しかし確実に変化していきます。
 加齢もあるのでしょうが、感覚が少しずつ衰え、しかも「捨てる」ことが難しくなっていきます。(本人もそのような意味の発言をしている。)

 筆が鈍っていくのです。

 『最長片道切符の旅』は宮脇氏にとって、最も微妙なバランスの上に成り立った唯一無二の傑作。

 センセイには、現実世界での暗さ(破滅)をひたすら描き続けることによってしか、そしてそこから逆照射することによってしか、魂の救済を描くことができなかった藤沢周平が、赤穂浪士討ち入りを背景とした『用心棒日月抄』の中で、現実社会の中でも救いを描くことができた時の、あの絶妙な「バランス」に通じているように思われてならないのです。



4月29日(火:祝日) 金沢工大の痛い階段 ──今日こそ本当にお休み──

 今日こそ本当にお休み。週の半ばの休日なので、センセイは金沢に残っています。

 昼間アパートにいても、することがない──珍しく掃除したけど──ので、当然のように大学へ。

 忙しい金沢工大のことですから、いつもなら日曜・休日でもどこかで誰かが働いたり勉強したりしています。

 けれども今日は本当に誰もません......人の気配がまったく感じられないのです。

 で、ちょっと遊んで撮影したのが右の写真。
 本館(1号館)の吹き抜け部分を見下ろしたものですが、何だか歩くのが痛そうな階段ですね。

 え"、わからないって。

 そんな人はいないと思いますが、どうしてもだめだったら逆立ちして見てください。
 こんなことばっかりやっていたので、仕事は全然進まず、明日も早朝出勤しなければなりません。

 トホホ。



4月28日(月) ...世の中、連休だったのね。

 今日の授業は午後の一つだけ。

 割と優雅な1日となるはずなのですが、急ぎの原稿を送らなければならないのと、午後に面接、夕方には別な仕事があるので、昇るお日様と競争しながらのご出勤。
 夜半に雨が降ったらしく、道路はまだ濡れていました。

 それでも頑張った甲斐あって、1週間遅れ──関係者の皆様、ゴメンナサイ──の原稿を送り、大急ぎでお昼を済ませるために外へ出て......あ"。

 どこか変だなとは思っていたのです。

 いつもより学生は少ないし、真面目な人が多い教職員用の駐車場(右手)に空きがあります!!
 いつもなら混んでいる来客用駐車場(左手)はガラガラ。

 ......世の中は連休だったんですねぇ。



4月27日(日) 日本海からの風がもたらした造形 ──旅の途中でセンセイが見たもの──

 今日の午後、久しぶりに車で金沢へ移動しました。この機会に、ちょっと気になっていたことを確かめました。

 その一つが右の写真なのですが、これだけでは何が何だかわかりませんねぇ。

 センセイが住む柏崎市を出発し、海沿いに国道8号線を進むと、上越市柿崎区──平成の大合併前は西頸城郡柿崎町──に入ります。

 柏崎市と柿崎区の境目は、北側の日本海から見ると谷のような格好になっているので、冬場は風の通り道となります。
 ここは同じような地形の糸魚川(姫川沿い)と並んで、冬場は強風が吹き荒れ、しばしば鉄道が不通になります。

 それくらい風が強い場所なのですが、ここではあちこちに、赤線で示したように右側(=北側=日本海側)に向かって頭を下げたような格好の木々が目立ちます。
 1本1本がそうなっているだけでなく、数本がまとまって、そして木々全体がまとまって日本海側に向かって頭を下げているのです。

 もちろんこれは人間が人為的に加工したものではなく、自然にそうなったもの。意識していれば、柿崎−米山間の電車の中からもこれらの木々を見ることができます。

 草木ですから、何か意志があって形を変えたのではなく、例えば強い風が当たる部分の枝は折れてしまったり、あまりに揺らされすぎて成長できなかったりして結果的に、強い北風から自分(たち)の身を守る形に落ち着いたのでしょう。

 撮影テクニックがないので迫力に欠ける写真ですが、近くから実物を見ると、何だか地獄の1丁目を見てしまったような、そんな気分になってしまいます。
 それくらい迫力があります。

 今度は車を止めてちゃんと撮影してみたいと思っています。

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