2015年5月30日更新(2015年6月9日ページ移動。2018年1月6日写真削除)

──2015年5月第5週のニュース──

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5月30日(土) 病室を出る日 ──西村センセイ、9日間の入院で数年分老ける──

 入院した翌日、病室の壁に掛けてあるカレンダーに書き込みがあることに気づきました。何度もお伝えしていますが、入院当日はそれどころではなかったのです。
 書き込んだのはどうやら、この部屋の前の使用者らしい。

 4月28日の「入院」だけははっきりとわかったのです。でも、日付の下に書かれた字も、そもそも日付を囲んでいる「○」も震える手で書いたように見えます。
 字体からたぶん高齢の男性ではないかと推測しているのですが。

 たとえば5月1日の記述は「○○と○○」なんだろうと思うのですが、肝心の文字が読み取れません。見舞客のリストなのか、検査や診断の内容なのか。
 ただしいずれにせよ6日で終わっているので最後の書き込みは「退院」だろう、と勝手に思い込んでいたのです。

 センセイ自身の退院が迫り、その準備を進めていた時、突然、6日の記述内容が理解できました。
 書かれていたのは「手術」あるいは「手術日/手術ひ」。

 自分自身は病気が完治して、めでたく退院となるのですが、皆が皆そうだとは限りません。
 いろいろな理由があって転院したり、関係者の努力も空しく、死亡したり。

 この方の場合はこの部屋で9日間、手術に向けた検査などの準備をこなし、手術日を迎えたはず。
 もちろんその後はICU(集中治療室)などこの病院の中のどこかで過ごされたのでしょう。

 3年前この病院に入院した時に気づいたことがあります。最初は深く考えずに、きっと資産に余裕のある人がこの立派な部屋を使うのだろうと思ったのです。
 もちろんそういう方もいらっしゃると思います。

 でも大半はその部屋を、最初は相部屋か今回のような個室を利用していたものの、残念ながら病状が深刻になり、いよいよ身内を集めて......という時に使ったはずなのです。
 照明を落としたベッドの中でそのことに気づいた時、非常に複雑な気持ちになりました。

 若い人は漠然と、「病気や怪我は治る」──怪我なんかは完治しないものもあるけど──と思い込んでいます。センセイも今回までそうだったと思います。
 でも、必ずしもそうではないこと、あるいはそうでない方がいらっしゃることを再認識させられた今回の入院なのでした。

 センセイは今回の発症から入院騒ぎで、身体的に数年分、急に老けたと実感しています。玉手箱を開けた浦島太郎のイメージです。明らかに不可逆的な老化。
 「ずっと寝ていて筋力が落ちたから、回復には時間が...」などという問題ではありません。メンタルな問題でもありません。

 この感覚、学生諸君はもちろん、若手の先生方にもわかってもらえないだろうなぁ。

 それはともかく、センセイは5月21日に無事退院し、その後の自宅静養を経て、昨29日から仕事に復帰しました。



5月29日(金) 退院が視野に入ってくると、大切になるのが身だしなみ

 入院したばかりの頃に一番辛かったのは、着替えができないこと。

 今回は入院直後から連続60時間ブドウ糖液の点滴を受けた──その後は抗生物質の点滴──のですが、その期間中は要するに腕と外部が繋がった状態。(わかるかな?)
 上半身の着替えができないのです。

 どのくらい発汗していたのか、客観的にはわかりませんが、体温が猛烈に高かったのでかなり汗をかいていたはず。パジャマはともかく、下着を替えたいのですが、それができない。
 アパートから2週間分の着替えを持参したのに。

 仕方がないので、少し落ち着いてから点滴を続けている状態のまま、熱いタオルで体を拭きました。着替えることができたのは、入院4日目から。やはり快適感が違います。
 この頃から1日数回の点滴になり、少しずつ余裕が出てきます。

 食事が始まったこともあり、病棟内を探検してみました。目に止まったのが写真の部屋。

 奥には脱衣所と浴室になっているのですが、手前には洗髪台(中央)、右にはコイン式の洗濯機と乾燥機があります。
 左側に少し見えているのが、自由使える大小のタオル類。

 6日目には、入浴許可はまだ出ていないものの、洗髪しても良いということになりました。
 勝手がわからない──当たり前ですよね──ので、若い看護師さんに連れられて、再びこの部屋へ。

 洗髪台に座ると、看護師さんがマント──と言うのかな──をかけてくださり、洗髪開始。床屋さんでのものとまったく同じです。
 しかも慣れた手つき。

 約1週間分の髪の汚れを綺麗に落としていただきました。後で尋ねると、洗髪の仕方も習うのだとか。
 おかげで、かなりイイ男(?)に戻ることができました。

 こうなると次の目標はお風呂に入ること。待望の入浴許可が出たのですが、指定された時刻になっても看護師さんは来ない......。
 他に優先すべき事項があったのでしょう。

 看護師さんの仕事は本当に大変。彼女たちの手を煩わすつもりはないので、脱衣所で着替え、写真の浴室へ。
 一見すると普通の浴室。

 でも浴槽にお湯を張りながら室内を観察すると、やはり普通の浴室ではありません。ご覧のように、至る所に掴まる場所が設置されています。
 それだけではありません。銭湯なんかでよく見る、椅子(?)がないのです。

 たぶん写真左側の少し高くなっている場所に、患者の状態に合わせて座り/体を横たえ、お湯をかけたりシャワーを使ったりするようにできているのです。
 我々が通常、物事を健常者の視点でしか考えていないことを思い知らされます。

 認識の甘さを苦く噛みしめながら、シャワーを使います。心身ともに、やはり汚れは多い(深く反省)。次の方のために室内を綺麗にして、たまたま通りかかった看護師さんにチェックしていただきました。
 問題ないとのこと。

 退院が迫っています。



5月28日(木) 「なんだ、ホテルと同じじゃん...」 ──病棟での毎日は、外の社会の縮図そのもの──

 入院直後はともかく、少し落ち着いてから気づいたことがあります。個室にいるとまるで、ホテルに滞在しているのと同じような場面に出くわすのです。
 病棟の消灯は夜9時半。

 その時刻が迫ると、廊下を中年男性の集団が親しそうに話しながら病室(相部屋)へ戻っていきます。それまで写真の談話室(兼食堂)で歓談していたのです。出張中のサラリーマンが、飲み屋からホテルに戻ってきた場面そのもの。
 違いは時刻と、アルコールが入っているかいないか、だけ。

 でも彼らは、入院後に知り合ったはず。たぶん糖尿病か腎臓の病気で、かなり長く滞在しているんだと思います。
 センセイを含めて、入院患者の性格の違いが最も目立つのが食事の場面。

 食器を指定された場所に持っていくと、この食堂を覗くような格好になります。

 写真左手前の場所に痩身の女性患者がいらしゃって、自分のポットを持参して食事をしていました。
 最初見た時は何も感じなかったのですが、翌日以降も寸分違
(たが)わぬ光景が繰り返されると、やはり感じるものがあります。

 そうかと思うと、件(くだん)の男性患者は、相部屋の中で椅子を向かい合わせに並べて給食を置き、片膝を立てながらバクバクとお食事中。
 よぉーく見ると、部屋の隅で老人が一人静かに、ゆっくりとご飯を食べています。

 そもそも、患者がバラエティに富んでいます。もちろん相対的には老人が多いのですが、しかし病気は、割と公平に人々を訪れます。
 要するに社会の縮図そのもの。

 ......と書きかけて、問いの立て方を誤っていたことに気づきました。(必ずしも間違いではないのだけど)

 「社会の縮図」は、個々の人間とは切り離された理想的な「社会」の存在を前提しています。もちろん概念、あるいは理想としてはそのことに何の問題もありません。
 でも現実に存在するのは、センセイと彼と彼女(......以下、続く)がいる、目の前のこの「社会」だけ。

 この議論を始めると2,000年以上前の哲学者プラトンとアリストテレスの話になってしまうので、今日は止めておきます(興味のある学生さんは声をかけてください)。
 言い換えると、遠くを見据える眼差しと、現実を認める力が必要だということです。(わかりにくくて、すみません)

 ちなみに、バラエティに富んでいるのはクランケ(患者)だけではありません。センセイくらいの年齢になってくると、医師や看護師さんの個性もよくわかります。
 というわけで、入院レポートも終盤に入っています。



5月27日(水) 西村センセイ、病院食で味覚を矯正される?!

 病気が深刻な状況を脱してからの患者の最大の関心事は、病院での食事。もちろん今回のセンセイも例外ではありません。

 もっとも入院直後は、高熱によるショックで胃が機能しておらず──センセイは時々こういうことがある──前日摂取した内容物がそのまま残されいる(!!)など、それどころではなかったのですが。
 そこで入院直後は絶食絶水の上で、ひたすら点滴。

 もちろん点滴液の中にはブドウ糖が含まれているので、栄養補給に関しては問題ないのです。そもそも当初は食欲もまったくなかったのですが、身体の回復に伴って、何となく食欲が出てきます。
 「お腹が空いた」という感じとはちょっと違うのですが。

 入院3日目からは待望のおもゆメニュー(写真は疑似固形物が含まれています)が始まりました。おもゆ、スープ、ヨーグルトと野菜ジュースだけです。
 これでも最初は、人間界に戻ったようでとても嬉しかったのです。

 でも翌日にはまったく同じメニューに戻ってしまいます。こうなるとさすがに、辛い。もちろん美味しいとは思うのですが。
 それでも食事内容は徐々に内容は改善されました。写真は退院直前のもの。

 野菜中心ですが、入院後半になると魚や鶏肉──豚や牛の肉はなかった──も提供されます。
 静養しているばかりでまったく運動していないため、正直なところかなり量は多い。

 看護師さんによる食後のチェックもあるし、そもそも食欲があったので毎回すべて頂いたのですが、退院時の体重は入院直前より3kg減。
 かなり食べてこの結果なので、一番酷い時は4kgくらい体重が減少していたんじゃないかと思います。

 退院してからは、意識して食べるようにしているのですが、一つに、身体が一定量以上を受け付けなくなっています。現在は退院時よりやっと1kg増加した程度。そしてもう一つ。
 味に関する感覚が鋭くなっているのです。

 以前なら何とも思わなかった毎日の食事の、柔らかさや味付けの違いを敏感に感じるようになりました。この感覚は現在も継続しているのですが、う〜ん、これって、これまでのいい加減な食事で味覚が鈍麻(どんま)していたことの裏返しかも。
 オマケをもう一つ。

 今回は血液の病気だったので、ほぼ毎日血液検査を受けました。本来必要なデータとは別に、センセイの関心事が。お酒の摂取による肝臓の壊れ具合を示す指標(γ-GTP)です。
 センセイは毎晩ビールを適量飲むので、γ-GTPの値はあまり良くないのですが、危険というほどでもない。

 当たり前ですが、入院期間中は絶酒。

 どうなるんだろうと興味津々(しんしん)だったのですが、結果は意外なものでした。多少の増減はあるものの、データに大きな変化はなかったのです。
 健康診断前の数日間絶酒して、見かけのデータを取り繕う......という俗説はたぶん、事実じゃないんでしょうね。



5月26日(火) 赤色のコンセント、初めて見ました ──病院はやはり、緊急時の設備が充実──

 たぶん「初めて見た」ではなく、「初めて気づいた」という方が正確なんだと思います。

 お伝えしたように、実は以前もは金沢赤十字病院に入院しているので。それはともかく、ちゃんと見たのは初めて。
 それがこの赤いコンセントです。

 今回の入院はある程度の日数が予想されたので、仕事関係では唯一、パソコンのみを持ち込みました。入院しているのですから、治療が最優先。
 でもこの間、誰かに仕事をお願いするためには連絡をしなければならない。

 入院初日は非常に厳しい状況だったので、とにかく入院するだけで精一杯でしたし、その後も60時間連続での点滴。
 少し寝て、少し目覚めての繰り返しが続きました。

 でも点滴の甲斐あって、溶血は2日目には止まりました。こうなると少しずつ余裕が出てきます。点滴を指しながら、病室内の荷物を片付けたり。
 目に留まったのが、写真の赤いコンセント。

 もちろん最初から、これはディーゼル発電機に繋がった非常用コンセントだろうな、と思っていたのです。

 たまたま17日(日)の午後に、受電設備の作業停電がありました。午前中から何回か館内放送があり、必要な機器を白色の通常のコンセントから赤色のコンセントに切り替えろ、との指示。
 接続する機器に制限などはないようでした。

 入院5日目ということもあり、体調も相対的にかなり回復。というわけで、日曜日の午後に大学や関係する学会にかなりメールを送りました。返ってきたのは、「病気療養中なのだから働くな!!」というお叱りのメールばかり。
 ......仰る通り。

 作業停電に関して言うと、午前中の非常用施設の点検──通常電源は繋がっている──の際に、計画外の設備まで停電し、関係者はかなりの混乱に陥りました。
 看護師さんに尋ねたら、医療情報を管理するサーバーも何らかの被害を受けたようです。

 教育も人の人生を預かる仕事ですが、病院は、まさに生命そのものを直接預かっています。関係者のおかげで、このようになかなか見えにくいところでも人々の安全が守られているんですね。
 大学に戻ったら、ぜひ学生諸君にお伝えしたいと思ったことの一つです。



5月25日(月) 最近の病院では、フルネームで繰り返して人物を確認しています

 今回の入院では、お昼過ぎまで内科外来と検査室を行き来して、診断と各種の検査を受けていました。だからずっと外来の待合室で待つことになります。
 その時に目に入ったのが、フルネームで患者本人であることを確認する告知。

 もちろん医療事故防止のためです。「その人だ」と思っていても、「あの薬だ」と思っていても、人間のやることにはミスがつき物。医療関係者も、そして患者もです。
 センセイも検査のたびにセンセイであることを確認していただきました。

 緊急の点滴を受けた後、午後から入院することになったのですが、看護師に「失礼します」と言われて右手に装着したのが写真のリング。要するに認識票ですね。
 見かけによらず頑丈な造りで、通常の力では外したり壊したりできません。

 今回の入院で、医療システムが大きく変化していることに驚かされました。その一つがIT化。

 例えば点滴の時刻になると、看護師はガラガラと作業用のテーブルを運んできます。手前には点滴のキット。
 そしてその奥には富士通のパソコンが。

 パソコンにはUSB経由でバーコードリーダーが接続されており、センセイの名前をフルネームで確認すると同時に、写真右側のバーコードを読み取ります。
 次に薬剤のコードを読み取り、すべてが予定と一致すると画面に大きな「○」が表示されます。

 これらのデータは医療情報を管理するサーバーにリアルタイムで送信されているはず。
 こうやって医療事故を防止しているんですね。

 実は入院期間中に、受電設備確認のための作業停電の日がありました。その時はけっこう大変で、要するにすべてが手作業。
 看護師さんも「いつも機械に頼っているので...」と仰っていました。

 今回入院したのは内科なのですが、病棟は、内科一般だけでなく、糖尿病や腎臓病、そしてなぜか産婦人科の患者が混在。だから食事時間の前になると、「インシュリン注射の方は...」という放送が流れます。
 ある時、若い看護師さんが来室して「血糖値を調べます」。

 でもセンセイは糖尿病ではありません。後で確認すると、1年目の看護師さんが、センセイの名字と1字違い──名前は全然違う──の糖尿病患者さんと混乱したようです。
 今回は実害はなかったものの、やはり確認は必要なんですね。

 ちなみにこの認識票、退院の際に切断、廃棄していただきました。もらっておけば良かったかなぁ。



5月24日(日) 見ているようで、何十年もの間、皆が見落としていたこと

 というわけで、今月13日(水)にセンセイが急遽入院したのがこの病室。ご覧の通り、個室です。

 血液検査の結果が悪くて入院することになったのですが、看護師さんが最初に尋ねたのが「病室、個室にします?」当時は体調が悪くて周囲に迷惑をかけることが明らかだったので、個室にしました。
 西村センセイ実は、金沢赤十字病院に入院するのは2回目

 3年前のちょうど今ごろ、内視鏡検査の結果、大腸のS字結腸に大きなポリープが見つかり、その場で切除。その晩だけ入院したのです。
 その時は空き部屋がなく、最上級の部屋。

 写真にも一部写っていますが、ベッドのある部屋と畳張りの部屋が繋がっており、トイレはもちろん浴槽までありました。差額は一泊12,000円くらいだったはず。
 夜行寝台特急ならロイヤル(SA1)クラスですね。 

 一晩だけならまだしも、今回は2週間程度入院する見込みだったので、さすがに前回のようには.....。標準クラスのお部屋を確保していただきました。
 こちらは差額約5,000円。

 シャワーはありませんが、2枚目の写真左奥にトイレがあります。再び夜行寝台ならシングルデラックス(A1)というところ。
 ......乗車したことがない方には、かえってわかりづらいかも。

 ドアの中央に避難経路を示した図が掲出されていました。

 入院直後から違和感があったのですが、翌14日(木)、窓から入り込んだ朝日の角度で疑いは確信に変わりました。
 建物の見取り図には間違いはないのですが、全体の方角が誤っているのです(北を示す記号の向きが誤っている)。

 印刷屋さんで刷ってもらった図なのですが、原稿を渡すまでの段階か、受け取ってからのどちらか(/その両方)で誤りが起きた(/見抜けなかった)ようです。
 内装はリニューアルされていますが、建物そのものは25年以上前に建築されたようです。

 歴史を調べると、現在の場所へは1969年(昭和44年)に移転したようですから、その時のままなのかもしれません。
 退色の具合からすると、少なくとも20年以上は放っておかれたようです。

 入院の後半になって、たまたま看護師長さんがお越しになったので、図の誤りをお伝えしました。翌日までには管財で調査をして、図の誤りを確認してくださりました。
 もちろん近いうちに訂正されたものに張り替えられることになると思います。

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