2003年5月16日更新(2003年5月29日ページ移動。2003年9月8日一部写真削除)

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−−2003年5月第3週−−

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5月16日(金) ガリレオな気分

 今日は、ふだんなかなか話をする機会の少ない専門教育の先生方と2時間ほど話をさせていただく機会がありました。

 話をうかがっていて思い出したのは、近代初頭の科学者ガリレオ・ガリレイのことです。

 現代とは違って、古代から中世、つまりガリレオの時代まで、学者(科学者)と職人(技術者)との間には交流はほとんどなく、別な集団として生活していました。
 しかしガリレオ(科学者)は若い頃から技術や技術者に理解を示し、造船所をのぞいて技術者からいろいろなことを学びます。
 新しい理論(仮説)にもとづいて実験を試み、本当にそうかどうかを確かめるという近代科学の基本的な方法論はこのガリレオの技術への造形の深さから生まれたのですね。

 今日お話しをうかがった専門課程の先生方は、ごく最近まで企業で活躍していらしたせいもあってか、言葉の一つ一つに説得力があります。そして何よりも新しいことにとても素直に反応されます。20歳くらい若いはずの先生よりもずっと、ずっとです。

 で、西村センセイ、(ガリレオのような才能はないにせよ)ガリレオが造船所で体験していたであろうアカデミックなドキドキ、ワクワクを堪能させていただいたのでした。深謝、深謝。



5月15日(木) 存在感...

 家に帰ってボタンダウンシャツを脱いだら、襟が折れていることに気づきました。今日一日中そうだったたようです。

 う〜ん。でも誰も教えてくれなかったぞ。

 確かに、大学ではIDカードを首からぶら下げていて、そのひもの影響で襟はよく見えない......誰も気づかなかったのかなぁー。

 いや、そういうことにしておこう。

 それにしても、西村センセイの存在感っていったい......。



5月13日(火) 金沢工大の朝

 金沢工大の朝。

 センセイは8:40−−他大学に比べるとずいぶん早い−−から始まる朝イチの講義をいくつか持っています。
 で、大学には7時前後に出勤して準備します。

 職員は8時前後に、それぞれ決まった時刻に出勤してきます。ギリギリの人は毎日ギリギリです。

 8時20分頃になると、たくさんの学生がどんどん出勤......じゃなかった、登校してきます。本当に大企業の出勤風景のようです。

 学生時代からあまり大きくない大学にいた西村センセイにとって、学生数8,000人の出勤の様子、実は、1年経つのに、何回見てもちょっと不思議な光景なのです。

 ......いえ、皆さん真面目ですよ。ホントに。



5月12日(月) 「今どきの大学生」

 昨日は予想外に田植えを早く終えることができたので、後片づけをしてみんなで近くの中華料理屋で打ち上げ(?)の昼食。その後は柏崎の自宅に戻っていろいろ片づけをしました。

 いつものように夕方の各駅停車で金沢へ戻ったのですが、連休も終わったためか、乗客も少な目です。

 ところが、入善駅でいつもよりたくさんの乗客が乗り込んできました。

 すぐ近くに大学生とおぼしき3人組が陣取りました。しっかりした若者だということがわかります。講演会か何かに参加した帰りのようです。

 年頃なのでけっこううるさくしゃべっていたのですが、何と、ある時からその3人が英語で(!!)しゃべり始めました(もちろん全員日本人)。

 残念ながら上手とは言えない日本語英語なのですが、それなりに会話しています。英語でコミュニケーションできるのがうれしくてたまらないようです。講演会(?)もそれに関連したもののようです。

 決して聞き耳を立てていたわけではないのですが、聞こえてくる話の断片から総合大学の学生のようです。で、富山で降りるのかなぁーと思っていたら金沢までのおつきあい。

 一見すると今どきの茶髪の学生さんなのですが、何だかとても昔の学生さんに出くわしたような、そんな西村センセイでした。



5月11日(日) 一家総出で(?)、田植えをしました

 今週末は絶好の田植え日和。西村センセイの実家でもほぼ一家総出で田植えをしました。

 農家にとって田植えは春の最大のイベントです。

 センセイは見たことはありませんが、本当にお祭りを兼ねて田植えをする地域もあったのだそうです。映画「七人の侍」の最後に田植え歌を歌っているシーンがありましたよね。
 今では田植えもほとんど機械化されたのでお祭り色は一掃されてしまいましたが、それでも緊張感が違います。
 ふだんは田圃の耕作を「今年やめようか、来年やめようかー」とか言っている母親も、すっかりその気になっています。打ち合わせで実家に電話すると耳元の受話器から顔が出てきそうなほど張り切っています。

 センセイの家はまだ手植えなので、耕起(こちら)、代かき(こちら)に続いて、田植えの前日ないしは当日に、苗を植える目標をつける「定規」をころがします。

 これは本来父親の仕事なのですが、子供の頃から甘やかされて育った彼はサボり癖が強く、腰が痛いこともあって、今年はその権利を母親に譲ってしまいました。
 まぁ、70歳を過ぎると農作業は難しい仕事でもあるのですが。

 今年は弟家族が来られかなったので、センセイの家族だけで大小2枚の田を植えました。主力のコシヒカリと越いぶき、それとモチの3品種。親子3代での田植え−−今ではすっかり見られなくなりました−−です。

 去年(こちら)に引き続き、小学4年生の娘も田圃に入りましたが、なかなか上手いものです。
 センセイが子供の頃は、両親や祖母に叱られながらの農作業。褒められた記憶はありません。当然イヤイヤながら仕事をしていました。
 でも子供は褒めてあげるとすぐその気になるもので、今回、娘はそれなりに頑張っていましたし、充実感も味わえたようです。

 これってやっぱり、教育現場でのコツと同じなのでは?

 「♪ピーヒョロロ♪」。まだうまくないウグイスの鳴き声に囲まれての田舎の田植えなのでした。

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