2004年3月27日更新(2004年4月5日ページ移動。5月3日一部写真削除)
東京に来て ― と言っても、2週間前にも存在した(こちら)のですが ― で気がついたこと。
その一。
警官がやたらと多い。
写真は品川駅で撮影したものなのですが、アジア系の外国人が警官二人に何かを尋ねています。
警官の緊張していること。外国語ができない、という理由かもしれませんが。よぉーく周りを見渡すと、あちこちに制服姿の警官を認めることができます。
もちろんテロ対策なのですが、犯罪の少ない古き良き日本はもう終わった、というわけです。誰のせいなのでしょう?
その二。地下鉄銀座線に乗ったのですが、ドアの上の表示を見ると、例えば浅草は「G-19」といった表示が。
報道でご存知の方も多いでしょうが、これらは路線と駅を表しています。
外国人にとって日本語(漢字やひらがななどの文字)はとても難しいですからね。外国ではよく見かける表示なのですが、やっと東京でも採用されるようになったわけです。
他の交通機関を含めた全体としてはまだまだ日本語ばかりの表示が多く、センセイは「外国からのお客にとって大変だろうなぁー」と思っているので、こちらは素直に評価してあげましょう。
3月26日(金) 人生を急いでいない人、専用 ――常磐線で都内へ移動しました――
昨晩は仙台市内にいた西村センセイ、予定通りに都内へ移動しました。夕方からお仕事があるのです。
今朝はちょっと早起きをして、まず、北へ向かいました。少しだけですが。
鉄道には支線があることがります。ちゃんと名前のついているものもあれば、ないものもあります。
東北本線の場合、後者の、仙台―利府(りふ)間があります。本線と分かれてから僅か二駅だけの路線です。以前から少し気になっていたのと、後でご説明するように、折り返して利府駅から出発するととても便利だったので、行ってみることにしました。
ディズニーランドから夜行で戻ったらしい乗客を乗せて東北本線から分かれると、在来線や新幹線の車両基地の脇を通ります。
専用線というより、どうやら車両基地への配線を利用したもののようです。東北新幹線は初期の車両――例えば食堂車や初期の2階建て車両――を廃止したのですが、廃車・解体の運命にあるそれらが哀れな姿をさらしています。塗装もボロボロです。
それらの奥には新幹線開発のための試作列車、STAR21の姿も見えました。すでに一部は解体されたようです。程なく利府駅に到着。
実はこの列車、折り返して仙台へ戻るだけでなく、そのまま常磐線に乗り入れて、いわき駅まで行くのです。通勤にはまだ早いのですが、利府駅からまじめそうな人たちがたくさん乗り込んできました。
彼らを仙台駅で降ろすと、電車はそのまま常磐線へ。この地域の中心地、相馬駅で乗客の大半が降車すると、とたんにローカル線の雰囲気になってきました。
いわき駅での接続はよく、再び各駅停車で目的地、上野へ。
つまり今回は、利府ないしは仙台から乗り換え1回で上野まで到達したのです。
最初は曇っていたのですが、そのうち天気も回復し、東北地方では静かな太平洋を見ることができました。ビルがどんどん増えてきて、上野到着。
所要時間は、利府―上野間で約7時間。昨日と同様、経費は2,300円のみ。人生を急いでいない人には、お勧めです。
3月25日(木) 只見線。列車通学の謎 ――西村センセイ、またまたツアー中!!――金沢から戻ったばかりの西村センセイ、またまた旅に出ています。
今日は大学から休暇をいただいて、福島経由で仙台市内に到着しました。今日の主目的は、久しく乗っていない只見線に乗ること。
実は只見線は3回目――2回目の様子はこちら――なのですが、これまではいずれも福島(会津若松)側から新潟入りしたのと、座る位置の関係で会津柳津など北側を良く見ていないのです。暇を見つけて時刻表を読むと、何と、尋常な時間に自宅を出発してまず長野市へ行き、こちらも久しく乗っていない飯山線を全線乗車後に只見線、磐越西線、東北本線を使って夜の9時前に仙台に到着できることがわかりました。
でもこれだと、列車に乗ることだけが目的になりそうだった――実際、そういうお子ちゃま系マニアも多い――ので、結局ポイントを只見線乗車に絞りました。新潟側から奥会津を経て会津若松へ至るのは、他人の家をお邪魔するのに、勝手口から入るようなものなのですが、今回は大目に見てもらいましょう。
小出町でゆっくりとお昼を食べてから、いざ乗車。
時刻表を開いていただくとわかりますが、全線を走る只見線は1日に3本しかありません!! 乗客は下校途中の高校生や近所の買い物客もいますが、(センセイを含めて)半数近くは鉄道マニアです。年齢や性別は面白いほどバラバラ。
今日気がついたのですが、そういうマニアは、見るからに人の関心を引きそうな車窓の風景には車内をあちこち移動して身を乗り出して(場合によっては寒いのに窓から首を出して)写真を撮ったりするのですが、何気ない民家の様子や、そろそろ始まった農作業の様子などにはまるで無関心。
大人でも、マンガ本を取り出してそちらに夢中になっています。センセイもマニアの一員には違いありませんが、正直なところ、もったいないなぁーと思います。
県境付近、特に新潟側はまだまだ雪が深く、場所によっては2mくらいもあります。
並行する道路もまったく除雪されていませんでしたが、それ以外の場所は雪もかなり融け、冬の厳しさは感じることができませんでした。福島側の最初の駅、只見で、まともな乗客はほとんど下車。
さて、只見線は単線なので、途中駅で列車交換を行います。列車が3本ですから、1日3回限りの交換です。
時間があったので、駅前に出て、空のペットボトルに水道水―――美味しかったです―――を補給して列車に戻ると、ホームに下校途中の高校生がいます。
夕方にはまだ早いのですが、今日は終業式か、クラブか何かだったのでしょう。でも、よぉ〜く考えてみると、これ、とても不思議な光景なのです。
何故かって?
列車は朝、昼、晩(午後3時ごろ)の3本だけでしょ?
朝と昼は、まぁ良いとして、夕方遅くに普通に授業を終えると、もう、乗るべき列車が存在しないのです!! 本当にどうしているんでしょう????
でも定期券だったし、乗り慣れた様子だったし......わからない。謎を残したまま、2両編成の列車は会津若松駅に到着。すぐに磐越西線の快速に乗り換えます。
電車はディーゼルの只見線と違って、ぐいぐい山道を登ります。猪苗代湖は、すぐそこ。
前回ここを通過した時は、新しくできた高速道路で猪苗代湖が見えなくなったと思ったのですが、それはセンセイの勘違い。
夕方でかなり暗くなっていましたが、郡山との峠(中山峠)近くで、猪苗代湖がしっかり見えました。もうすぐお札に登場する野口英世の生家は、湖のちょうど反対になります。ところで、猪苗代湖は会津盆地や郡山よりより約300mも高い場所にあるんですね。今日は地図を持ってきて良かった。
真っ暗闇の中を無事に仙台到着。明日は夕方から都内でお仕事なので、常磐線を使って上京することにします。 それでは、また、明日(たぶん)。
P.S. 今日の移動にかかった運賃は2,300円だけです。「青春18きっぷ」を使っているのです。
昨晩仕事を終えて、いつものようにスーパーへ立ち寄りました。でも店内がちょっと殺気立っているのです。店員の数も多いし。
どうしたんだろうと店内を見渡すと、値札張替えのために今日は早じまいをするとのこと。将来の消費税引き上げのために、こうやって庶民は理不尽に振り回されるわけです。
総菜コーナーをふらついていると、大量に積み上げられた――ホントに――香箱蟹(こうばこがに:他の字をあてることもある)が目に入りました。早じまいなので、店員は少々焦っています。
蟹のシーズンもそろそろ終わり。しかも1ハイ180円と安かったので2ハイお願いすることにしました。
包装の間、ぼぉーと蟹の山を見ていたら、その中の1匹がビクッと動きました。しかもそれを合図とするかのように、あちこちで蟹が動き始めました。
え"っ。
ぼんやりしていたので気づかなかったのですが、いつもと違って、今日の蟹は生蟹なのです!! 西村センセイ、茹でたことがない。
でも茹でてから時間がたち、パサパサして干からびた蟹よりは美味しいはず。えーい、この際だ!!
アパートに着いて、さて、どうしよう。
確か、海水程度の濃度の塩水で15分くらい茹でるはず......。
といっても、正確な海水濃度はわからない――後で『理化学辞典』で調べたら3.3〜3.8%――ので、できるだけたくさんのお湯を沸かし、味見しながら少しずつ塩を足しました。いよいよ蟹の投入。途端に、甲羅があざやかな赤色に変わります(右の写真よりきれいな色です)。
最初のうち、お湯は澄んでいたのですが、最後には写真のように、かなり色がついてきました。
さて、ビールを用意して、蟹をいただくことにします。
香箱蟹は小型のズワイガニ(メス)で、足にはほとんど身がありません。主に甲羅の中を食べます。
確かに茹でたては美味しい。ただし、今回は塩の量――これがポイントなのだそうです――が少し多かったようで、蟹の甘みも出た反面、塩のあのキツイ味も少し感じます。これは次回(たぶん半年後)の教訓としましょう。
後で調べたら、蟹を並べたり茹でたりするときは、必ず裏返しにしなければならないのだそうです。また蟹が浮き上がる時は、落とし蓋をするそうです。写真は良くない例、というわけです。ご参考まで。
3月23日(火) 売れ残った、野球のボール ――3月はお別れの季節――3月はお別れの季節。
というわけで、このところ区切りの仕事が続いています。
その一つ。
お借りしていたものをお返しするにあたって、何かいいプレゼントはないかと、売店(「ペパ」)のKITグッズコーナーをふらついていたら、奇妙な丸い玉を見つけました。
プラスチック製で、大きさは直径5.5cm。見かけは野球ボールのような形をしていますが、左側を見るとわかるように、切れ目が入っています。
よぉーく見ると、ボール(?)の下に紐(ひも)が見えます。
実はこれ、ヨーヨーなのです。
他にもサッカーボールとかゴルフボールとかあったらしいのですが、皆売り切れてしまっていました。
「余り物に福あり」というわけで、最後の1個を購入しました。自分では遊ばないけれど、お礼のプレゼントです。
このヨーヨーをつけて、もうすぐお返ししますからねぇー。ちょっと待っててね。
3月22日(月) Macの雑誌は今、面白いか? ――西村センセイ、ボケる――西村センセイ、この週末は新潟の自宅にいたのですが、娘の買い物のために近くの本屋へ出かけました。
目的の雑誌を買って店内をフラフラしていたら、Mac Fan誌があったので、4月号であることを確かめてから買い求めました。何となく違和感を感じたのですが。
自宅に戻ってからパラパラめくると、どうも初めてではないような気が......あれ?!
そうなのです。すでに同じ本を買っていたのです。
3月末に出るはずだったのは4月号ではなく5月号なのです。ポイントは二つ。
一つは西村センセイが大ボケしてしまったということ。情けない。
もう一つ――こちらの方がより重要――は、Mac関連の諸雑誌がこのごろ全然面白くないこと。ひいては、最近Macが全然面白くなく、先進性が感じられないことです。
このところMac関係ではドキドキするようなニュースがありません。
かつては、新しいOSやMac、周辺機器が出るたびに「これで何か新しいことができそうだ」とか「これでずっと楽になる」と感じられる時代があったのですが、Mac OS Xが出るあたりからそのドキドキ感が急速になくなってしまいました。
パソコン業界全体にもそういう傾向があるのですが、なんだか閉塞(へいそく)状態にあるように思われます。
Macが面白くない―>Mac雑誌が面白くない―>Mac雑誌を買わなくなるし、買ってもちゃんと読まなくなる―>買ったかどうかも忘れてしまう......というわけで、この論理、ちょっと自己弁護のためのこじつけに過ぎるでしょうか?
3月21日(日) 東京まで続く道 ――家族で山に登ってみました――昨日の夜はページを更新できませんでした。家族(父母と娘)サービスのために、実家へ行っていたのです。
その実家の正面には右の写真のような風景が広がっています。
奥には小高い山(「丘」と言うべき?)があり、その頂上付近には高い鉄塔が2基そびえ立っています。
これらの鉄塔は、実は、実家近くの柏崎刈羽原子力発電所と関東方面を結ぶ高圧送電線の鉄塔なのです。実家では今頃から田植えの頃にかけて、ふきのとうや山菜を採るためにこの近辺に行くことがあります。
他の季節は雑草が生い茂ってとても行くことができないのですが、この雪解け後の時期だけは、雑草はみな枯れて、しかも押し固められているために、比較的自由に歩くことができるのです。幸い、昨日と今日は好天に恵まれたので、娘と高齢の父とともに、30年ぶりくらいで行ってみることにしました。
目的地まで直線距離にすれば1.5Km、標高差は250mくらい。ハイキングよりはちょっときついくらいです。
鉄塔の下に実家の田んぼがあるので、いつもならそこまで父の自動車を使うのですが、今回は最初から最後まで徒歩で通しました。目標の送電線は関東地方の電力を担う重要な役目を果たしているので、時々係員が点検していますし、そのための細い山道もあります。
今回は娘にとって初めての山登りなので、無理せずにそのルートを使用することにしました。田んぼで働く母を残して、いざ出発。
しかし山道はかなり厳しいので、娘はすぐにネを上げてしまいました。父も、「昔なら、どうってこと、なかったんだけどなぁー」と言ってダウン。
仕方ないので、100mほど上った場所でしばらく休憩。
「お前たち先に行ってくれ。行けたら、行くから」と父が言うので、へこたれそうになる娘を励まして出発。
ゆっくりと進むと、後ろから父が這うように――時々、実際に這っていた――登ってくるのが見えます。出発(実家の田んぼ)から約40分で目的地に到着しました。
この周囲では一番高いので、360度視界がききます。
日本海はもちろん(薄曇りで佐渡は見えなかった)、西山町全域、長岡市の一部、柏崎の平野部と米山、黒姫山等々が眼下に広がります。程なく父も到着。さて、この鉄塔を近くで見るのは初めてなのですが、本当に巨大な大きさで、右の写真のように、奥に何基も続いています(当たり前か)。電圧は確か100万ボルトのはず。
不祥事が続く柏崎刈羽原発ですが、1基だけは運転を続けているので、ジーという送電線独特の音がします。平野部にある鉄塔と違って、基礎部分に囲いはありません。この電線が関東を、ひいては日本を動かしているのですが、その役目や苦労、それが引き起こした種々の軋轢は、消費する側にはなかなか理解してもらえないのでしょうね。
本当は、もっと向こうまで言ってみたかったのですが、子連れ、老人連れなので、今回はここで引き返すことにします。
すぐ近くの地所の境界を確認しようかと思った――センセイの家は山林地主である――のですが、それも次の機会、おそらくはセンセイの代に代わってからにすることにします。帰りは下るだけなので、30分弱で相変わらず働いている母親のところに到着。歓迎の言葉は「もう帰ってきたのかぁ」。後で聞くと、父は山歩きをドクターストップされているとのこと。おや、まあ。
というわけで、家族サービスに励んだ今日の西村センセイなのでした。