2005年5月7日更新(2005年5月16日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2005年5月第1週──

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5月7日(土) 新潟市に新しい駅が誕生しました

 この連休はあちこちに出かけることになりました。と言っても、レジャーには全然出かけていないのですが。

 その中の一つ、所用で新潟市内へ家族と出かけました。

 目的地が別だったので、この春JR越後線にできた新しい駅「内野西が丘」駅に最終的に集合することにしました。車を止めやすかったからです。

 内野西が丘は新潟市の西部、内野駅と越後赤塚駅の中間に新設されました。

 周囲は新興住宅街ですし、すぐそばに新潟西高校もあって駅の必要性は高かったのですが、何故かこれまで造られなかったのです。
 地域住民や高校生は、内野駅までバスに乗り、そこからJRに乗り換えていました。

 今回、線路脇に団地を造ったので、それにあわせて、住民請願駅として市のお金で新設されました。

 駅の東西をつなぐ自由通路(エレベーター設置)もあります。

 越後線は単線ですが、新潟−内野間は頻繁に列車が走っています。

 その一つ先になる内野西が丘駅には、将来を見越してでしょう、右の写真のように引き込み線も設置されています。(今気づいたのですが、架線が張られていませんね。)

 このさらに先にもいくつか団地があるのですが、新潟市により近い場所で農地転用と宅地化が進んでおり、遠い団地には人気がありません。

 この内野西が丘駅は、ちょっと運賃が高くなるけど市街地にも割と近いので、たぶんかなり発展することになると思います。

 けれど現在の駅はまだ利用者も少なく、女子高校生がアイスクリームを食べながら電車を待っているだけです。

 現在と将来とが、同時に二重に存在しているような、そんな駅でした。



5月6日(金) 忘れられること。忘れ得ぬこと。 ──特別な日に──

 皆さんは新潟県で発生した少女誘拐監禁事件をご存知でしょうか。若い男性が小学生の女の子を三条市内で誘拐して、10年近くにわたって監禁し、2000年1月に発覚した事件です。

 以前お伝えしたように(こちらこちら)、その犯行現場はセンセイの自宅のすぐそばです。

 発覚当時は街中が、というより日本中が大騒ぎになり、また裁判の際などにもそれなりに話題になった場所ですが、5年過ぎた現場は何事もなかったかのように静まりかえっています。

 犯人は服役中で刑務所内にいるはずです。

 一人で住んでいたはずのお母さんも、最近は姿を見ません。ガスも止まっているようですから、もうここには住んでいらっしゃらないようです。

 地域の住民は、まるで何事もなかったかのように暮らしています。
 というか、ホントはもう、完全に忘れています。

 けれど、今24歳くらいになったはずの被害者やその関係者の立場に立ったらどうでしょう? 言うまでもありませんよね。

 この事件の場合は最悪の(あるいはそれに近い)ケースですが、逆だってあります。

 実はごく最近、センセイは学問的にも個人的にも極めて近い人を失いました。亡くなられたのです。

 関係者がたくさん集まってお通夜と告別式を行いました。しかし残念ながら、ご縁の薄かった人は徐々にその人のことを忘れていくでしょう。それは仕方ないことです。責めてはいけません。

 けれども、その人が存在したことによって、人生を大きく、あるは劇的に変えた──もちろん良い方向に──人がたくさんいることも事実です。
 理屈ではわかっていたのですが、お葬式の準備を進めていて、改めて実感しました。

 その人たちがいる限り、ある意味で、影響を与えた人はずっと生きているのです。何てったって、影響を受けた人たちはずっと自分を向上させるという(難しい)宿題を与えられているのですから。

 ......軟弱な西村センセイには、とてもこなせそうにない宿題です。トホホ。



5月5日(木) 状況によっては便利な、高速SAの出入り口

 連休ということもあって、高速道路を車で移動する機会が増えています。

 先日、金沢から新潟に戻る際、新潟―富山県境近くの入善サービスエリアで休憩したとことろ、写真のようなETC専用の出入り口があることに気づきました。
 話には聞いていたし、工事中のところは見たことがあるのですが、運用しているところを見たのは初めてです。

 使い始めたばかりとあってか、ジャンパーを着た係員がアンケートを配っていました。

 めずらしかったので近づくと、近くの建物から別な係員が出てきていろいろ説明してくれました。
 彼によると、この場所は出口専用で入ることはできないのだそうです。反対のSAには入口があって、つまりこの地域から富山方面への通勤専用出入口なのです。
 ここから新潟方面には乗れないのですね。

 新潟県内の別なSAには出入できる場所があって、要するにインターチェンジが増えるわけですから、こちらはとても便利です。

 道路公団は期限を切った「実験」といっていますが、進入路も作っているし、このまま続けるんだろうなぁー。

 まぁ、便利になるならそれでいいんですけど。


5月4日(水) 西村家最後の米作は順調に進んでいます

 連休に入ると、農作業が本格化します。
 今年の連休後半は好天に恵まれており、センセイの実家でも写真のように耕運機を利用して「代かき」をしています。

 「田圃ぶち」(耕起:こちら)は冬の間に固くなった田圃の土をひっくり返して空気を送り込むのですが、代かきはさらに土を細かくして、表面をならす作業です。

 実際の作業は弟が担当したのですが、回転する歯のついた耕運機でひとまず耕した後、ロープで重い棒を引いて、田圃をならします。

 それでも多少のデコボコは残ってしまうので、最終的には、写真左上のように、野球のグランドを整備する「トンボ」のような器具(木製)を使ってならします。
 いずれもかなりの重労働です。

 仕事はつらいけど、これはこれで楽しく、また作業を終えた時の充実感はすばらしいのですが......寄る年波は如何ともしがたく、センセイの家の米作は今年が最後になりそうです。

 柏崎市内など、早いところでは田植えが始まっていますが、西村家の田植えは今週末になりそうです。雨が降らないといいのですが......。

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 所用により明日以降数日間、ページの更新が多少滞るかもしれません。悪しからず。



5月3日(火) 生まれ育った町が、合併でなくなってしまった...

 金沢工大では暦通りに授業があるので、昨日(5月1日)は金沢で講義。

 連休ですので、夜の電車で新潟に戻ったのですが、特急自由席、隣のシートの男の子が、どうも金沢工大の学生らしい。北陸交通の電車も一緒だったし、金沢駅構内も並んで走ったし、乗る車両も同じ。

 金沢を出発してから、専門課程の教科書を取り出して勉強しています。もう、間違いない。

 富山あたりで降りるのかなぁーと思ったら、そのまま新潟県へ。じゃぁ、長岡か新潟へ行くのかなと思ったら、何と、センセイと同じ柏崎駅で下車。

 駅構内を一緒に歩く格好になったのでちょっと訊いてみると、金沢工大の2年生だそうです。出身はセンセイと同じ西山町(柏崎市の隣)。センセイの中学の後輩ということになります。

 柏崎から金沢だと、毎週実家に戻るのはきついのですが、やはりふだんは帰らないとのこと。翌日(3日)に成人式があるために戻ったのだそうです。

 でも、西山町の成人式は若者が集まりやすいお盆だったはず......と思って、気がつきました。この5月1日に西山町と高柳町は柏崎市に吸収合併されたので、今年から成人式は、旧柏崎市の日程に従い合同で行われるのです。
 合併を実感した西村センセイでした。

 改札口にはお兄さんと思しき人物が迎えに来ていました。工大生も、そのお兄さんもなかなかの好人物でしたよ。



5月2日(月) 言葉が、足りない

 高速道路のトンネルを抜けて、ドキッとしました。命の色の、緑色......う〜ん、これだけじゃ、何のことだか全然わかりませんね。

 センセイが住む場所は自然に恵まれた所です。そして今は、山々の木々も、身近な草花も、本当にすばらしい色をしています。

 もちろんみんな「緑色」なのですが、色も、深さも、輝きも、みんな違います。
 共通するのは「澄んでいる」ということでしょうか。

 所々に満開の山桜のピンクが入ったりしているので、もう、それは大変!!
 「命の色」。そんな感じです。ドキッとします。

 でも、センセイのボキャブラリー(語彙)はあまりに貧しくて、表現するのに「緑色」しか思いつかない。
 百歩譲って「新緑」......自分の無能さが悲しい。

 でも、言葉が足りないのはセンセイだけじゃなくって、デジカメもお友達らしい。

 連休の谷間の出勤途中で撮影した右の写真、本当は緑がみんな違うんだけど......う〜ん。

 わかったつもりになっていても、ホンモノにはかなわないってことですね。

 自分の目で視ることを大切にしたいものです。



5月1日(日) 老女の眼差しの先

 昨日の墓地移転の続きを、ちょっと。

 西村一族の墓地をめぐる今回の件は、実家の父(西村家9代目当主)が仕切る形になったので、センセイもいろいろ手伝うことになりました。
 まぁ、要するに雑用係です。

 写真撮影もその一つ。久しぶりに銀塩(フィルム)カメラを使って、各家の墓の前でお坊さんがお経を読むたびに、その様子を撮影しました。

 いつもの液晶画面とは違うファインダー越しに構図を探して、一人の老女の眼差しに釘付けになりました。

 実家の近所に住む彼女は、センセイの小・中学校の同級生のお母さんでもあります。同級生の女の子――同い年だからもう47歳――は、首都圏で結婚していて、子供も何人かいるそうです。中学校卒業以来会っていませんが。

 お母さんはお経の間、数珠を手にして、お墓を食い入るようにじっと見つめています。

 実は去年、長年連れ添ったご主人を亡くされたのです。現在は息子さん(同級生の兄)と二人暮し。

 真面目を絵に描いたような、本当に実直なご夫婦なのですが、必ずしも幸せばかりではなかったはずです。
 センセイが赤ん坊の頃、ご夫婦の長男が友達と近くの川で遊んでいて流され、亡くなってしまいました。「(岸に)あがりてぇー(上がりたい)」と叫びながら流されたのだそうな。

 久しぶりに見るお母さんはすっかり年老いていらっしゃいました。若い頃はもちろん、ほんの数年前、最後に会った時と比べてもまるで別人のようです。実は最初、誰だかわからなかったのです。

 彼女の視線の先にあるのがご主人の姿なのか、早世した息子の姿なのかはわかりませんが、厳しいのに、何かを懐かしんでいるような、そして心ここにあらずといった、表現しがたい眼差しを初めて見ました。

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