2005年7月30日更新(2005年8月8日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2005年7月第5週──

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7月30日(土) 蕎麦屋の出前状態 ──約35年ぶりに奈良を訪問してきました──

 昨日は三重県(四日市市)、そして奈良県と移動し、今日の夜中にやっと金沢へ戻ってきました。

 昨日はJRなら駅前の日航ホテル奈良(右の写真右奥)に宿泊したのですが、インターネットが使えず(!!)、ページの更新ができませんでした。悪しからず。
 日航ホテルといっても、最近まで別会社だったものを日航が買ったようで、まだ設備の更新が十分できていないようです。

 ご存じのように西村センセイ、日本国内をいろいろ旅していますが、行ったことのある都道府県の中で、再訪していない最も古い県が、この奈良県なのです。
 中学1年の時、大阪の伯母さんに連れていってもらったのが最初で最後ですから、約35年ぶり(!!)の訪問となります。

 その時JR線で行ったのか、近鉄で行ったのか覚えていないのですが、写真右手手前のJR奈良駅は微かに記憶に残っています。

 そのJR奈良駅は付近一帯を高架化して再開発するらしく、現在は使用されていません。左手奥の仮駅舎で営業しています。
 普通なら旧駅舎は取り壊すのですが、ご覧のように歴史的な建造物なので、そのまま残し、その背後に新駅舎を建設するようです。

 さて、センセイら一行は昨日の夜に奈良入りしたのですが、食事を兼ねてホテルの外へ出ました。
 ところが奈良市内は飲食店がとても少なく(実話)、JR奈良駅から近鉄奈良駅まで歩き、それでも適当な店がなかったので、駅前交番でお店を紹介してもらうことになってしまいました。
 奈良の人は夜飲んだり、外食したりしないのでしょうか。

 でもその途中で、市内の寺院などがライトアップされていることを教えてもらい、食事の後に少し散歩しました。
 右の写真は五重塔ですが、ホントに見事なものでした。それに改めて見ると、とても重く、巨大な構造物です。

 その後東大寺に移動したのですが、着いた途端に照明が落とされてしまいました。10:00になってしまったのです。

 今回は仕事だったので、これ以上の観光はできなかったのですが、記憶にある奈良と違って、再訪した奈良市はこぢんまりとした街で、ちゃんと見る気があれば、1日でだいたいの所は見ることができるのではないかと思いました。

 ネットを使えなかったので、どっとメールが溜まってしまいましたが、明日は新潟に移動しながらお返事を書きます。
 もう少々お待ちを......すでに蕎麦屋の出前状態になってますが。

註:蕎麦屋の出前
 お客の多いお昼時に蕎麦屋に出前を頼むのだけれど、これがなかなか届かない。もう一度電話すると「今出たところですから...。」
 けれど、店員は電話を受けながら、配達分の蕎麦をやっと鍋に入れてたりする......。



7月28日(木) 西村センセイ、名古屋に出現!! ――月の半分以上はご出張中?!――

 西村センセイは現在、名古屋市内に滞在しています。

 気がつけば今月から来月にかけては出張だらけ。特に7月下旬から8月上旬にかけては月の半分以上出張しており、大学に出てきたのは本の数日だけ!! まぁ、授業がないからできることなんですけど。
 その影響でいろんな方へのお返事が遅れていますが、皆様、もう少々お待ちください。

 さて今回の出張、名古屋までは大型バスでの移動となりました。

 センセイは石川県内しか高速道路を使ったことがないので、福井県、滋賀県、そして愛知県の高速道路を初めて乗りました。

 旧北陸本線を知っている人が「杉津(すいづ)の眺めは良かった」と話すことがあります。現在は北陸トンネルで抜ける山中―杉津間はかつて急勾配の難所だったのです。
 その峠越えの旧線跡を利用して北陸自動車道が開通しているので、実は、車でかつての杉津駅跡付近(地図)から敦賀湾を望むことができるのです。

 本当に絶景でした。タイミングを逸してしまったので写真は撮れませんでした。次の機会にはぜひ、と思っています。
 (なお、この辺は、北陸事情車道の上り線と下り線の位置関係が逆転しており、自分の車の左側を対向車が走ります。)

 さて西村センセイ、実はちゃんと名古屋で降りるのは初めてなのです。

 初めてなので、何もかもが不思議。(おまけに、無茶苦茶に暑い!!)
 なぜ街角に観覧車があるのかとか......よくわからない。

 今日の宿所は歓楽街の中にあって、各種の飲食店にも近いので、仕事を終えてからさっそく名古屋名物きしめんを頂戴しました。
 センセイの文化圏にはない食べ物なので、どのように表現したらよいのかちょっとわかりません。(わりと関東風の味付けだった)。

 不思議と言えば、右下の写真はごく普通の小さな交差点なのですが、車道の両脇に線が引かれていて広いスペースが確保されており、車の駐車場となっています。

 交差点部分はその延長上にポールが立っているので、交差点として使用可能な部分はずいぶん狭くなっています。
 駐車スペース確保するためなのでしょうが、何だかよくわからない......。
 いずれにせよ、センセイにとって不思議の国であることは確かなようです。

 さて明日は三重へ、翌日は奈良へと移動します。旅の続きはまた明日!!(続かないかもしれません。悪しからず。)


7月27日(水) ノリと楽しみ方は、こちらの方がずっと上?! ──ぎおん柏崎祭が開かれました──

 西村センセイ、今回はオランダから戻ってもすぐに金沢へは行かず、休暇を取って柏崎にいました。毎年恒例の「ぎおん柏崎祭」が開かれ、町内からの出し物に家族全員で参加するためです(来年は娘が中学生なので参加しなくなるはず)。

 幼稚園児と小学校児童のマーチング──こちらも参加した──から始まって、二日目はたる仁和賀(にわか)と民謡流し、三日目は花火大会となります。
 金沢に行かなければならないので、センセイは初日と二日目にだけ参加しました。

 二日目の晩のこと。子供たちと一緒に町内の山車(だし)を牽いて市内中心部を練り歩きました。

 祭が盛り上がってくると、観客も山車を牽いたりして参加するようになります。

 最近はヨサコイが増えているのですが、東南アジア系の女性が数人、それにあわせて見よう見まねで一緒に踊り始めました!!
 もちろん複雑な踊りなのですぐに覚えられるわけではないのですが、ノリと、祭の楽しみ方は彼女たちの方が一枚上手だったようです。

 う〜ん、でもあれは、観光で来日した雰囲気じゃなかったなぁー。



7月25日(月) オランダの特急が定刻に発車する、ホントの理由

 今回の目的地オランダ・デルフト市は、スキポール国際空港からちょっと離れた場所にあります。今回はその間の移動に、往復とも鉄道を利用しました。
 しかも泊まったホテルが駅の真ん前なので、今回は電車をたくさん見ることができました。

 センセイが移動に乗ったのは、ヨーロッパで主要都市間を結ぶ「インターシティ」。日本で言う特急ですが、普通乗車券で乗れるので、快速列車といったところでしょうか (でも1、2等の区別はある)。

 でも、日本のJR在来特急をイメージすると、これがちょっと違う。

 明治に開国した時、日本はヨーロッパの鉄道の規格をそのまま取り入れたのではなく、植民地用のランクの低い規格を押しつけられました。
 その象徴が軌道(レール)幅です。

 一部私鉄を除く日本の在来線は、世界的には「狭軌」に分類される軌道幅。日本の新幹線の規格が世界的には「標準軌」なのです。この違いに、どれだけ日本が悩まされたことか。

 ですからヨーロッパの列車ホームで、各駅停車や快速だと甘く思って待っていると、新幹線の大きさの列車がやって来ます!! おぉ、それも二階建新幹線!!

 日本のほとんどの新幹線のように床下にモーターが配置されているのではなく、二階建車両の一部、一階席の部分にモーターが集中的に配置されています(日本の一部新幹線にもにた構造のものがある)。

 いよいよ乗車。

 車両の幅は新幹線とほぼ同じなのに、車両断面が相当丸っこく造られているので、内部はかなり手狭ですが、座席は4列の配置なので、座ってみればかなり広い。
 座席の前後左右は欧米人にあわせてかなりゆったり造られています。

 軌道幅が広く、速度も日本の特急と同じくらいなので、あまり揺れず乗り心地は上等です。
 欧州車──車の話です──の乗り心地に通じる「線の太さ」のようなものがあって、日本の新幹線や在来線の線が細い感じとずいぶん違います。

 駅での改札はなく、車掌が検札にやって来るので、駅に着いたらそのまま外へ出ます。

 駅で見ていると、ホントにたくさんの種類の電車や列車が走っています。一番速いのは、もちろん、フランスまで運行されているTGV。こちらは一階建てです。

 その次がインターシティ、その次が各駅停車ですが、日本の列車に比較的近いものもあれば、日本にはほとんど存在しないコンパートメント型──車両の片側に通路があり、個室のように座席が配置されている──もたくさん走っています。
 電車が主力ですが、電気機関車+客車も走っていますし、「電気機関車+客車」の客車の端に運転席がついていて(!!)、行きは機関車が引っ張り、帰りは機関車が押す(!!)などというものもあります。

 さて、デルフトとと目的地スキポール国際空港の間には直通列車は走っていません。1回だけですが乗り換える必要があります。

 帰りは一人なので、飛行機に乗り遅れないように時刻と乗り換える駅を確認することにしました。
 オランダは鉄道網が網の目のように張り巡らされているので、間違えるととんでもないことになるのです(...そうなってみたい気も、ちょっとあったのだけれど)。

 で、駅の窓口で説明すると、駅員は端末をたたくだけ......こちらはちゃんと説明して欲しいのに。

 と思っていたら、端末から打ち出したのが、日本の普通のものよりちょっと細長の切符(写真下半分)と、A5サイズくらいの印字された紙(その背後)。

 え"っ......何?!

 よく見ると左側は上から乗車駅、乗換駅、そして下車駅(スキポール空港)の駅名が。
 その右(写真中央部)には到着/出発時刻が書かれています。

 センセイはオランダ語を知らない──すみません──が、それ以外の語も、ドイツ語とフランス語の中間のような感じで、意味は何となくわかります。

 時刻の右、"SPOOR"はプラットホームでしょう。念のために駅員に尋ねると、その通りだとのこと。
 日本だとこれくらいのサービスは可能──ただしプラットホームのサービスは見たことない──でしょうが、窓口の端末で、ここまでのサービスを経験したことはありません。

 というわけで、この通りのスケジュールで、無事にスキポール空港に到着したのでした。

 と言うか、出発駅も乗換駅も、本来の時刻の数分前──ホント──に電車は到着していて、定刻になるのをまって出発するのですから、定刻出発は当然なのです。

 実は今日(7月25日)は、JR西日本福知山線事故が起きてからちょうと3ヶ月になります。

 欧州の鉄道にもかなり乗りましたが、時刻表より何よりも、安全が確認されない限り絶対発車しないヨーロッパの鉄道で、あの種の事故は絶対に発生しないように思えます。
 その代わり、無茶苦茶な遅れに文句を言えないのだけれど。

 う〜ん。それにしてもあの駅員、なんでセンセイに口頭で説明しなかったのだろう......。「英語が通じなさそうなコイツには、口で説明するより紙で渡した方が確実だ......。」だったりして。



7月24日(日) 地図とそっくりな街 ──新潟市上空を通過しました──

 ヨーロッパ便は、日本へ帰る時に金沢上空を飛ぶ、と聞いていました。

 でも路線図を見るまでもなく、相当遠回り。本当のところはどうなのだろうと思って、帰路は窓の外を注意していました。
 西村センセイ、これまでヨーロッパから帰国する時は、アラスカのアンカレッジ経由だったり、アメリカ経由だったりして、シベリア上空から帰国したことがなかったのです。

 すでにお伝えしたように、日本発のヨーロッパ便は新潟市西部(西蒲原郡巻町付近)付近を通過します。

 たぶん同じような場所を、と思っていたら、案の定、佐渡島の東北端をかすめるように南下し、新潟市上空に達しました。
 たぶん新潟空港の真上を通過したのだと思います。

 写真はその際に撮影したものの一部ですが、新潟市中心部上空から西部を見ています(上がほぼ北)。

 右下の池のようなものは鳥屋野潟、そのすぐ下に白いサッカー場「ビッグスワン」が見えます。その左にY字状に流れるのは信濃川と関屋分水です。
 以前にも感じたのですが、ホントに地図の通りで、不思議な感じがします。

 この写真は縮小していますが、元の画像にはとても細かいところまで写っています。

 あそことあそこに自分が住んでいて、そして今も多くの知り合いが住んでいる街をボーッと見ていると、ヨーロッパへ向かう便が、一瞬キラリと機体を輝かせながら、ほぼ同高度の西側を飛んでいきました。

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