2006年6月24日更新(2006年7月2日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)
この週末も新潟の自宅へ戻ったのですが、帰途、センセイが乗った特急「北越」がちょっとした事故──でも状況によっては大惨事になりかねない事故──に出くわしました。
富山駅手前を走行中、線路上にあった置き石を跳ねたのです。センセイは先頭車両に乗っていたのですが、富山駅一つ手前の呉羽駅を定刻に通過し、緩やかなカーブを過ぎて住宅街に入ったところ、呉羽トンネルの手間で、車体が大きなものとぶつかった──冬場などは、結構いろいろなものにぶつかる──のではなく、車輪が、小さいけど固いものにぶつかった音がしました。
たぶん左側の車輪だと思います。大きくはなかったものの、衝撃も確実にありました。
乗客のほとんどは何も感じていなかったようですが、運転手はすぐに列車を停止させました。
急停車と言うほどではなく、落ち着いた対処だったと思います。停車するまでの間、車内は落ち着いていました(だって、大多数の乗客はまだ事故だと知らないから)。
停車後すぐに、運転手と車掌が車内電話でやり取りし始めました。
先頭車両なので、具体的な通話内容こそわからないものの、様子が手に取るように伝わってきます。程なく車掌から、「何かにぶつかったらしいので急停車した」との車内放送。
その後も列車内および運転指令との間で連絡、調整で忙しいのに、できるだけ多く車内放送をして、乗客に無用な心配をかけないように、また混乱させないように配慮しているのがわかります。
おかげで、車内は平穏なままです。気がつくと、写真のように運転士は列車外に出て先頭から点検を始めました。携帯電話で運転指令と状況を確認しあっています。
運転手の点検と前後するようにアナウンスがあって、2名の車掌のうちの一人が、二つ手前の踏切を点検に行くとのこと。
列車は住宅街に停車したままで、何事かと、住民が興味深そうに集まってきます。
たぶん置き石だから被害はたいしたことないだろうとと思ったものの、この調子だと運転再開まで時間がかかりそうだなぁーと覚悟し始めたら、意外に早く車掌が戻り、またその後はすぐに出発して、16分遅れで運転を再開しました。
その後、車内放送で状況説明があり、やはり置き石だったとのこと。たぶん、子供のいたずらでしょう。
小さな石などだと、列車は重いですからすぐに踏みつぶしてしまいます。逆に、ある程度以上の大きさになると、車輪の前に設置された排障器(はいしょうき)、通称「スカート」で跳ね飛ばしてしまいます。
けれども実は、この間の大きさで微妙な形状のものが線路上に存在すると、脱線転覆の可能性がかなりあるのです。石を置いた子供はそこまで考えは及ばなかったでしょうが。
今回、置かれた石はたぶん小さく、実質的に人的、物的被害はありませんでした。また事故後の、JR西日本の対応も見事なものでした。
けれども、遅れは遅れ。他の乗客はともかく、長岡駅でぎりぎりの接続ダイヤで運行されている新幹線に乗り継ぐはずだった乗客にとっては、大変な迷惑となったのでした。
■6月23日(金) 紫陽花(あじさい)の6月 ──坂の町、金沢──
何回かお伝えしているように、センセイが平日を過ごしている金沢市は、加賀の山々と日本海に囲まれた狭い場所に位置しています。
海岸部は沖積平野でほぼ海抜0m。平らな場所が続いています。ずっと湿地か沼地だったはずの所を排水、干拓して、今では県庁や免許センターが立ち、国道と高速道路が走っています。
しかしちょっと山側に寄るとすぐに、土地が微妙に傾斜し始めることに気づきます。武家屋敷とか、武蔵が辻だとか、あるいは繁華街(香林坊・片町)のすぐ下だとか。
今でこそ人間は、平野部にも扇状地(あるいはもっと山側)にも暮らしています。
人間が生きるためには、まず何といっても水が必要ですが、かといって沼地に住むこともできないので、昔は今と違って、この扇状地と沼地の境目あたり、あるいは川沿いに暮らしていたはずです。金沢工大やセンセイのアパートがある場所は扇状地の上。
だから山から扇状地に出たばかりの川は、かなり急な角度で平野部に出ることになります。
写真の川はセンセイの家の近く、伏見川の支流なのですが、ふだんはあまり水がないにもかかわらず、堤防はかなりの高さです。
神田川が23区内に入ったような感じです。(あそこまで深くないけど。)雨が降ると、傾斜が急なので大量の水が注ぎ込むので、その対策なのですね。
アパートを選ぶ時、水害に合わないように、場所には気をつけました。
今住んでいるのは昔は田圃だった場所です。
だから完全ではないですけど、川よりはかなり高いので、まず問題はないと思います。でも落ち着いて市内をよく見ると、場所によってはいざという時にすぐ水が溢れそうな場所に新築の家が立っていたりします。
それも盛り土がないので、堤防と同じ高さに1階があったりします。溢水(いっすい)した途端に床上浸水してしまう、というわけです。
こういう場所ほど土地の値段が安いので、仕方がない面もあるのですが、よく考えたらこれだって危機管理の一つ、長い目で見たら、きちんと対処した方が結局は得だろうと思うのですが。
■6月22日(木) 西村センセイ、再び車に轢(ひ)かれそうになる
朝早くから出勤して採点と成績処理を続けているのですが、これが、なかなか終わらない。
でも今日は、夜の8時までにJR西金沢駅へ行く必要がある──小さな駅だから8時を過ぎると無人になる──ので、いつもよりちょっと早く大学を後にしました。
いったんアパートに立ち寄って鞄を残し、再び自転車をこぎ出しました。いくつかのルートがあるのですが、信号機があって最も安全と思われるコースにします。
途中、幹線国道を横切るのです。
車が通らない時に信号機のない場所で横切ってもいいのですが、事故が怖いので、信号機で待つことにしました。ちょっと遠回りなんですけど。
国道側の信号(車の信号)がやっと赤になった直後、信号を無視した4輪駆動車が目の前を通り抜けました。
金沢では良くあることです。
一瞬間があり、歩行者用の信号が青になって自転車を走らせようとした途端、不意に右側、電柱の陰から「グワー......」。
センセイの目と鼻の先を、大型の4輪駆動車が走り抜けました。運転席には若い男性、助手席には青い上衣の若い女性が座っていてます。二人ともニコニコしていて、前しか見ていません。
たぶんセンセイには気づいていなかったんだと思います。
車は80km/hくらいで走っていましたから、自転車の位置がほんの数センチ違っていたら、再び大変なことになっていたと思います。
実はこのところ、けっこう危ない場面が多かったのです。
今日ほどではないにせよ、信号無視の車が突っ込んできたり、日曜の夜には宅急便の車に轢かれそうになったり......。(さすがにこちらは抗議しましたが。)
石川県の県都とセンセイが住む地方都市をそのまま比べるのは無理かもしれませんが、正直なところ、金沢の運転マナーは相当悪いと思います。
顔が、悪いのです。ホント。
別に醜い顔をしているのではなくって、慢心(まんしん)が顔に出ているのです。今日のアベックも。(夫婦かもしれませんが。)
決して、偉そうなことを言える立場ではないのですが、車を運転する側に立った途端、つまり強い側に立った途端に、自らの弱点をさらけ出す人があまりに多いように思われます。
自らの弱点こそ、秘めておくべきことだと思うのですが......。
■6月21日(水) 学生の顔がどんどん変わっていく...。 ──今学期の授業がもうすぐ終わります──
何回かご紹介しているように、金沢工大は3学期制です。ICU(国際基督教大学)と同じですが、わかりにくければ、高校までの3学期を考えてください。(最近は高校以下でも2学期制が増えているのですが。)
春学期(1学期)は6月末で終了。7月に入ったら、学生は1ヶ月半の夏休みです。
もうちょっと正確に言うと、今日あたりは期末試験が終わりつつあるところなので、学生の顔が日ごとにどんどん明るく変わっていきます。
考えてみると今学期は、新しい科目なんかがあって、ホントに大変でした。苦労しながらも、実際に科目を開発したのは3人の若手の先生です。(先生方、ありがとうございました。)
今回は授業しながら不具合を直していくという感じで、受講生はいろいろ苦労があったと思います。
でも「一方的に迷惑をかけた」という感じではなくって、こちらの内情もお話ししつつ、学生と教師陣が一緒になって授業を作っていく、というそんな感じでした。
そう思いませんでした? 受講生の皆さん。こういう経験ってとても貴重で、センセイとしては金沢工大に赴任した時と、今回の2回しかないように思えるのです。
好意的な評価も厳しい批判も含めて、学生の反応は貴重な経験。皆さんに支えられてこそ成立した科目だったと思います。
ところで、明るくなっていく学生と対照的に、この時期、どんどん暗くなる顔があります。
お察しの通り、教師陣です。
だって、試験を実施したら、レポートを提出させたら、それをきちんと読まなければならない!!
目が弱くなって小さい字が読めなくなっているのに。特に今回は倫理に関する科目で、「評価が難しいよなぁー」とか言いながら、採点を後へ後へと送っていた某センセイは、答案とレポートと提出物の山に囲まれて、ヒーヒー泣いているのでした。
折しも学内は、あちこちに写真のような通路が出現してアスベスト対策工事の真っ最中。
仮設通路なので、背の低い女性でも腰をかがめて通らなければなりません。
この通路の先に夜間出入り口があるので、西村センセイ、腰を深く折って、ボトボトと家路につくのです。
■6月20日(火) 今年はもう、富山産のホタルイカを食べられない?!
すみません。2日続けて富山のお話です。
富山には美味しいものがホントにたくさんあります。
その一つがホタルイカ。以前ご紹介したように、西村センセイ、今はこれが大好き。
今年も2月頃からホタルイカの季節になって、スーパーに並ぶと他県産のものには目もくれずに、富山産(富山湾内で獲れる)のものを、せっせと食べていたのですが......4月の後半から何だか様子がおかしい。
パタッと、富山産のホタルイカが並ばなくなったのです。
仕方ないので、兵庫産だとか、石川産──県民の皆様には申し訳ないけど、味は相当落ちる──のものを買っていたのですが、あまり美味しくない。(再び、両県の皆様、ゴメンナサイ。)
そのうちに、兵庫、石川産すら店頭からきれいに消えてしまいました。
現在、新潟および金沢のスーパーの店先に、生のホタルイカは並んでいません。変だなぁー、と思っていたら、事情がわかりました。
記録的な不漁なんだそうです。
6月2日付富山新聞および本日付の読売新聞によると、今回の不漁は20年ぶりで、例年の1/3くらいの水揚げなんだとか。((c)読売新聞社)
不漁のホントの原因はまだ良くわかっていないようです。でも、富山湾は神秘に満ち、しかも不思議な生命力を宿した湾です。
今年はダメでも、来年は絶対大丈夫。そう言わせるだけの「力」を秘めた富山湾なのです。ホント。
昨日は夕方、電車で金沢へ移動したのですが、思いついて富山県内は各駅停車を利用しました。このところ疲れ気味だったので、特急ばかり利用していたのです。
特急は乗車時間が短くて、その分は楽だけど、乗客は──たぶんセンセイを含めて──みんな気難しそうな顔をしているので、こっちの気分まで滅入ってきます。
新幹線なんか特にそうで、とにかく「早く着かないかな」という感じ。でも各駅停車には、みんな普段着で乗ってくるので、こっちも気が楽です。まぁ、普段着過ぎて、高校生や若い人の一部は(精神的に)パジャマ着用状態になることもあるのですが。
魚津付近から、右側の座席に乗った乗客が、みんな揃って同じ方向を向き始めました。
夕日に見とれています。
よく見ると、水平線上に能登半島が見えます。画面左から伸びて、右側1/3くらいまでがそうです。地球は丸いので、高さの低い半島先端部は見えておらず、ホントはもうちょっと先まで続いているはずです。
センセイの座席から夕陽を見ていると、隣の席の中年女性──彼女もずーと夕陽を見てた──を見るような格好になるのですが、その女性、お召し物や持ち物など、最新流行と言うにはちょっと......難がある。
割と古風な出で立ちなのです。けれど、目先のものに振り回されない落ち着いた感じがあります。
大学教師をやっていると、「最新の学説」とかいうものに振り回されがちなのですけど、ホントはそうじゃなくって、ずっと長持ちするようなものの方がずっと大切だと思うんだけど。
たとえば「教養」(「哲学」)だとか。
どうでしょう。
7月の出張の予定がいくつか入ったので、JR東日本の「えきねっと」で指定券を予約しました。
切符はJR東日本の駅で受け取るのですが、一部予定が変更になったりしたので、予約していないものも含めて今日(18日)、柏崎駅で購入しました。そのうちの1枚が右の特急券。
一見すると、ごく普通の自由席特急券ですが、実はこれ、とても貴重(?)なものなのです。
どこが問題なのか、お分かりになりますか?上野から熊谷へ移動するのですが、新幹線に適当な時刻のものがなかったので、在来線の特急券を買うつもりだったのです。
でも、今日起きた信越線での人身事故の関係で窓口がバタバタしていたのと、センセイも説明不足だったので、駅員さんが間違えて新幹線を手配してくださったのです。で、訂正してもらうためにもう一度駅へ行ったところ、あれあれ、変なことになってしまいました。
気づかなかったのですが、この特急券、7月21日の乗車ですから、1ヶ月以上前の切符。
普通は販売しない、したがって存在し得ない切符なのです。
団体券など3ヶ月前から販売するものもあるので、チェックはかかるものの、たぶんJR社内での発券は可能なんだと思います。
で、これを今訂正するとさらにややこしいことになるので、数日後、1ヶ月以内になってから、改めて訂正してもらうことになったのでした。