2006年4月15日更新(2006年4月24日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)
■4月15日(土) 兵庫県の皆さん、ゴメンナサイ ──西村センセイの倖せ(2)──
新潟と金沢を往復する生活を始めて、改めてこの地域のお魚は美味しいなぁーと思うようになりました。新潟で手に入るお魚も美味しいのですが、富山、金沢では種類や食べ方がちょっと違うので、その幅がずいぶん広がるのです。
その中の一つがホタルイカ。
蟹と違って、ホタルイカは新潟でも食べますが、スーパーで目にする機会が違う。ボイルしてあるものはそのままビールのつまみになるので、西村センセイ、良く買うようになりました。
で、だんだんわかってきたことがあります。
主な産地は富山湾と兵庫県なのです──輸送時間の違いなんかも関係しているのかもしれません──が、味がかなり違う。
富山産の方がずっと甘いのです。それにまるまると太っている!!両者が並んでいる時は、値段も違います。
先日、たまたまNHKが、NHK富山放送局制作の1時間番組を放送していました。
ご存じのように富山では、日本の屋根アルプスの最北端、北アルプスが急角度で富山湾に落ちています。
富山湾は、その大きさは小さいのに、深さ1,000m以上もあり、なおかつ年々深くなっている(!!)そうです。そのため、北アルプスのミネラル分を含んだ水が、地表を川となって富山湾に流れ込むだけでなく、地下水としても富山湾にそそぎ、魚介類に栄養分を与えているのだそうです。
場所によっては、湾内の海底(!!)から地下水が湧き出ているのだそうな。この立山からの栄養分でお魚が美味しいのだそうです。
さて実は、金沢のスーパーではなかなか富山産のホタルイカが手に入らないのです。もしかすると普通に並んでいるのかもしれませんが、センセイが立ち寄る閉店間際だともう兵庫産だけ。
兵庫産もそれなりに美味しいので、たいてい買って帰るのですが、やっぱり富山産を食べたい!!
金沢と違って、新潟では何故か、富山産も兵庫産も扱っていることが多いので、スーパーのチラシ(c)マルイに「富山湾内産」が載り、そしてセンセイが新潟に帰る晩は、家人が自転車※で富山産のホタルイカを買ってきてくれるのです。
産地にこだわるセンセイに、半ば、呆れながら。ホタルイカの旬は、ちょうど今頃。スーパーのパックにはからし酢みそがついてくるのですが、全然使わず、そのままいただきます。
(再び)美味しいご飯と富山湾内産のホタルイカ、そしてサッポロビール......西村センセイ、倖せ!!
※家人は自動車を運転できないので自転車なのです。ただし、センセイの318iは長岡ナンバーにするため家人の名義!!
■4月14日(金) たった一人のオリエンテーション ──教師にとって、何が一番大切か──
午前中、重要な授業の準備をしていたら、修学相談室(多くの大学の「学生係」「厚生係」に相当)から電話がありました。今日の午後、ある学生と会ってもらえないか、という内容でした。
実はその学生、本学の新入生で、センセイのアドヴァイジーです。(要するに受け持ちの新入生)
彼は本学への入学が決まっていて、希望に燃えて準備していたのですが、何と、入学式直前にかなり重い病気にかかってしまいました。緊急入院して、その時点では退院まで1ヶ月はかかるのではないかと思われるくらいの病気でした。
ところが、若さは、やはり強い!!
完治ではないものの、通学できるくらいまでに回復──おめでとう!! ──して、今日登校してきた、というわけです。
金沢工大は1週間に何回かの同じ授業があって、どんどん先に進むので、1ヶ月の欠席となるととても難しい状況になるのですが、ホントに不幸中の幸いで、授業の欠席は今週1週間ですみました。
これなら何とかなります。......良かった、で、研究室に来てもらっていろいろ説明を始めたのですが......予想外にこれがとても困難。
あ"、彼の問題ではありません。
本学の場合、新入生は入学式の翌日とその数日後に、アドヴァイザー(クラス担任)からの説明を、合計6時間程度受けています。でも彼はその両方を欠席しています。
70余名への説明と、たった一人への説明。その手間は、実はほとんど同じ......。
ホントは今日の午後、テレビ会議システムを使った会議に参加するはずだったのですが、結局、そちらは全く出ずに、一人の学生へのオリエンテーションに徹しました。(関係者の皆さん、ゴメンナサイ)
普通なら問題にならない教科書や作業着の購入だとかあって、センセイがキャンパスを案内する?! ことになってしまいました。恩を売っているのではありません。やっぱり、これが教師にとってとても大切なことの一つだと思うのです。
彼は新入生で何も分かりません。友達と一緒なら何だか良くわからないままに行動して、自然と要領を覚えていったと思います。
でも彼にとって大学生活はまだ始まったばかり。
しばしば「西村センセイは優しすぎる」と言われますが、「自己責任」とか言って、ここで彼を見放すことができますか?
やはりここは、1週──あるいは一周──遅れで始まった彼のペースの安定を最優先させるべきでしょう。実際には、授業がすでに始まっているので、関係する先生とのやりとりなどいろいろあったのですが、それはいいです。
たぶん彼はもうすぐ普通の学生として、何事もなかったのように行動できると思います。
そしてそのうち、学年が進み、そして社会に出れば、センセイのことなんか忘れてしまうでしょう。ちょうど私たちが世話になった人のことを、きれいさっぱり忘れているように。
でも、それでいいのです。それころむしろ、教師冥利に尽きる喜びではないでしょうか。「追い越される喜び」です。
少なくともセンセイは、そう考えます。
■4月13日(木) ソクラテス曰く...。 ──教師にできること、できないこと──
今朝の金沢はちょっと曇っていたものの、ずいぶん暖か。
ずっとこの調子かな、と期待したのですが、お昼前に弱い寒冷前線が通過したらしく、気温は逆に下がってしまいました。
報道によると金沢市内の桜、例えば兼六園は満開なのだそうですが、金沢工大近辺の桜は、ホントにもうちょっと。
ずっと寒い日が続いているので、満開になる時のあの勢いが感じられないのです。「勢い」といえば授業にも勢いが必要です。
その学期(あるいはその年)の授業がうまく行くかどうかは、最初の時間、教師と学生が対面する瞬間に決まります。(ご同業の皆さん、そう思いませんか?)
学期によっては教室を間違えるなどというハプニングが起きることもありますけど。
で、この春は新規科目を含めて、4つのクラスが始まったのですが、今のところ何とかなっているようです。
これ、実は、教師の力というより、学生の「学びたい」──そこまで高尚なものじゃないかもしれないけど──という欲望の力なんですよね。
教師はただ、それを手助けしているだけなんです。
ソクラテスが言う「産婆」(助産婦)なんです。それ以上じゃありません。教師は決して、妊婦さんになれないのです。(なお、助産婦さんの仕事はとても大切です。念のため。)
金沢工大近辺の桜の見頃は、授業が一回りした今週末になりそうです。
■4月12日(水) とっても美味しい魚屋さんを発見!! ──西村センセイの倖せ──
このごろ、帰宅時の西村センセイの行動パターンがちょっと変化しています。
センセイは単身赴任なので、帰宅にスーパーによって野菜や魚、惣菜を帰ります。コンビニやファミリー・レストランはほぼまったく利用しません。
で、今までは大学からアパートのへの経路上にある二つのお店の、そのどちらかを利用していました。今でも帰宅が遅くなる時は、一店を利用しています。
けれど時間がある時は、いったんアパートに戻り、鞄などを置いて市内中心部に向かって自転車を走らせます。長崎屋があるのです。
この辺では一番大きなスーパーなので、他の店にないものを買う時に利用し始めたのですが、ある時、店内に鮮魚店があることに気づきました。
たまたま閉店間際で値引きしていたお刺身を買ったのですが、これがホントに美味しい!!
理由は分からないけれど、とにかく美味しいので、刺身に限らずお店で調理した饅(ぬた)なんかも試してみました。
いろいろ考えてみたのですが、このお店のお魚が美味しい理由は、扱っているもののほとんどが地場ものだからのようです。
金沢には橋立港という漁港があるらしいのですが、そこで水揚げされたものを中心に、富山や福井の魚を並べています。
ちょっと高いのですが、他では味わえない美味しさなので、早く帰られてしかも天気が良い日や、車で金沢へ来ていて移動が苦じゃない日など、かなり利用しています。
美味しいご飯と地場もののお魚、そしてサッポロビール......西村センセイ、倖せ!!
■4月11日(火) 1日で3クラスの更新は、無理だぁー ──センセイの授業が始まりました!!
──
金沢はこのところ雨がちです。
ご覧のようにキャンパス内でも桜が咲き始め、もうすぐ見頃となるのですが、授業のページで受講生が嘆いているように、雨で花見というわけにはいきません。
まぁ、雨の桜も風情があると思うのですが、寒いのでちょっと花見気分にはなれないのです。さて、センセイの授業が今日から始まりました。
その様子は授業のページから......というのが本来の姿なのですが、今学期からちょっと困ったことになりました。
金沢工大は基本的に、講義は6限までなのですが、今日は何と、そのうちの4限が講義!!
特に3つは人数もそれなりの講義です。で、今までは、ご存じのように授業の記録を毎回アップロードすることができたのですが、さすがに1日3コマとなると、きつい。
特に、ここ2〜3年は、単純な文字入力はSA(スチューデント・アシスタント)にお願いしていたのですが、学期の初めで、システムがまだうまく機能していません。というわけで、すべての講義を終え、外部の方との打合せを終えてからカードを入力し始めたのですが、数時間かかってもすべての授業にコメントをつけるまでに至っていません。(センセイのキー入力は速いです。念のため)
いくつもの新しいファイルを作り、リンクを張る必要があるし......。う〜ん、特に「科学技術者倫理」を受講している3年生の皆さん、何か良いアイディアありませんか?
このままだと低学年向けの「科学技術と社会」だけの運用になってしまいますよ。ホントに。
■4月10日(月) 西村センセイ、名誉の負傷で考える ──センセイの授業が明日から始まります!!
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ずっとかかっていた歯科治療にようやくメドがつきました。考えてみると、治療を始めてからほぼ半年になります。
その時にも書いたのですが、以前は半年に1回程度かかりつけの歯科医──実は高校の1年後輩──に点検していただいていたのですが、金沢に移ってからチェックを怠っていました。
見かけより虫歯の具合は相当悪く、臼歯(きゅうし:奥歯のこと)を中心とした5本(!!)は大治療となりました。
......痛かった。
治療していて気づいたことがあります。患部をドリルで削るのですが、その時の感じが若い時と違うのです。
若い時は、患部を削る時の音が「シャーッ」という柔軟な感じで、さらに、歯の中に含まれるタンパク質成分が摩擦熱で燃える匂いがしたのですが、今回は、ドリルを当てるとカリエスは「ボロッ、ボロッ」という感じ──さすがに実際にはそこまで行かない──で壊れ、しかもタンパク質の匂いがしません。
歯、つまり骨が、老化してしまっているのです。考えてみると、このごろ体のあちこちが悪くなっていて、新潟−金沢間を移動する時は、常に写真の薬を持ち歩いています。
内胚葉、中胚葉、そして外胚葉、みんなどこか具合が悪い。最近飲み始めた薬の中にはかなり副作用が強いものがあって、猛烈な眠気に襲われることがあります。
時差ボケの、あの眠気に似た感じで、抵抗するのは不可能。
何てったって、その薬を服用したところ、娘の卒業式の最中に寝てしまい、大顰蹙を買ったほどです。
もちろん車の運転は大変危険です。考えてみると、金沢工大へ移籍して5年目に入ることになります。
工大への移籍自体は決して間違った判断ではなかったと考えていますが、予想外に、体の方はかなり無理を重ねているようですし、老化も進んでいるようです。
今回の虫歯や病気は、いわばこのところ無理を重ねた結果の、名誉の負傷なのでしょう。(そう考えよう。)
それはそれでしょうがないけれど、学生さんのためにも、理解のある同僚のためにも、大学のためにも、家族その他のためにも、そしてセンセイ自身のためにも、つまりみんなのために、ちょっと無理せずに仕事しようかな、と思っているのでした。
だって授業は楽しいし、それを待っていてくれる学生さんがいるのですから。
大学の講義は今日から始まったのですが、センセイのクラスは明日からです。
さて、どうなるか......。
■4月9日(日) 「草生水献上場(くそうずおんじょうば)」 ──ここが日本最初の石油生産地──
西村センセイ、新潟の自宅にいる時は時々実家へ行きます。西村家次期ご当主様(第10代)には、いろいろとやらなければならないことがあるのです。
センセイは現在、新潟県柏崎市内、中心部近くに家を建てて住んでいますが、実家はそこから10kmちょっと東側(長岡方向)の、西山町(にしやままち)妙法寺(みょうほうじ)という場所にあります。
なお、西山町は昨年柏崎市に吸収合併され、柏崎市西山町(にしやまちょう)となりました。妙法寺は、旧北国街道の一部──現在の国道8号線あるいは北陸自動車道に相当──に属し、柏崎と長岡のほぼ中間に位置する小さな宿場町でした。
旅人の多くは日中に通過するものの、状況によっては妙法寺に泊まる、そんな感じだったようです。センセイの先祖、西村家は庄屋で、ある代で家督を譲って隠居しました。
で、偉い人がこの妙法寺に泊まるとなると、家督を継いだ方が本陣となり、センセイの家が脇本陣となったのだそうな。で、今回実家へ寄ったついでに、この時期でないとできないことに挑戦してみました。
旧街道を辿ってみたのです。
昔の道はもう使われていないので、荒れ果てています。普通は、相当苦労しないと歩くことができません。でも冬の間に雪で草木が倒されているので、雪解け直後の今だけは灌木を気にせず歩くことができるのです。
子供の頃何回か辿ったことのある道ですし、15年くらい前に弟と歩いたことがあります。けれどその時は、地滑りで一部道が途切れていました。
実家での用を済ませて、318iで集落の奥へと向かいました。318iで行ける所まで行ってみるつもりです。
右上の写真は1975年に撮影されたもの((c)国土交通省)なので棚田が広がっていますが、今ではほとんど耕作は放棄され、養鯉(ようり)池を除くと荒れ果てています。
けれど意外にも、道路は細いながらも舗装、整備されていました。本当は途中で戻るつもりだったのですが、えーい、前へ進め!!
峠に近づいているので山が険しくなってきたところで、急に視野が開け、平らな場所に出ました。(ご覧の環境によって、地図の縮尺が異なります。必要に応じて縮小してください)
何と、かなり大きな駐車場もあります!! もちろん完全舗装済。
大字(おおあざ)妙法寺、字(あざ)草生水(くそうず)1072番地──ちゃんと番地がついている──です。
すぐに補足が必要ですね。
日本の歴史書『日本書紀』(720)の中に、天智天皇(626-671)時代の668年に「越の燃土・燃水とを献ず」とあります。
「燃土」とはアスファルト、「燃水」とは原油のことだと考えられており、その原油を産出したのがこの場所、草生水(/草水/臭水)だと考えられているのです。もっとも新潟県内には、同じ音「くそうず」で、しかも実際に石油を産出する場所が数カ所ありますから、ここだとは断言できないのですが、西山町そして現在の柏崎市は、こここそがその献上(おんじょう)場所だとして、文化財に指定するだけでなく、夏にはそのお祭りを開いています。
西村センセイ、この辺に草生水があることは知っていたし、何回か通っていた──センセイの実家は集落の入口なのであまりこの辺には来なかった──のですが、その頃はこの「草生水」の話はそんなに盛り上がっていなかったのです。
2枚目の写真奥には小さな池があり、今でも実際に原油が湧出(ようしゅつ/ゆうしゅつ)しています。
たいした量ではありませんが。湧出といっても濃い原油が吹き出しているわけではありませんので、昔の人は「かやの穂先」ですくい取り、灯り──おお、当時としては何と贅沢な!!──や、防腐剤として利用していたのだそうです。
天智天皇へ献上した原油の産出場所の件は、たぶん永遠に決着はつかないでしょうが、この地域はそれから約1,300年後、再び石油で盛り上がります。
国内最大の西山油田として原油を生産することになるのです。センセイが物心ついた頃にはもうその命を終えようとしていましたが、それでも原油を掘り出す鉄塔がまだまだたくさん残っていました。
さすがにこれ以上、318iを進めるのはためらわれた──倒木などで傷が付く可能性があるし、谷に滑り落ちたらシャレにならない!!──ので、318iを止め、峠まで歩いてみることにしました。
あちこちに雪が残っていましたが、うまく唄えない鶯(うぐいす)──この時期の鶯はまだうまく唄えない(知ってました?)──の鳴き声、春独特の匂いを味わうことができました。
何よりも枯れた草木の薄茶の中に、所々、淡い緑や新芽の紅色をつけた山々に慰められました。意外にも妙法寺峠より先の地滑り跡も修復、舗装されていて、結果的には318iで旧街道を長岡側に出ることも可能だったようです。峠近くは急カーブなので切り返しが必要ですが、軽自動車なら何の問題もないと思います。
現在はこの地下を沖見峠トンネルが通っています。北陸自動車道新地蔵トンネルもすぐそばです。車まで戻り、所用で長岡へ抜けるために沖見峠トンネルを通ったのですが、ホントにアッという間に通り抜けてしまいました。
目の前にあるものだけにとらわれるのではなく、目と、耳と、そして心を澄ますことができれば、何十年、何百年と続いてきたものを識(し)ることができるのだと思います。
鶯も、草木も短命だけど、山々がそうであるように、ずっと生き続けています。でも残念ながら、私たちはふだん、目の前のことしか見えていないのでしょう。間違いなく、センセイ自身を含めて。