2007年6月8日更新(2007年6月17日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■6月8日(金) 会社の受付嬢 ──高校のキャンパスに、歴史の重みを感じました──
というわけで西村センセイ、またまた教育実習校へのご挨拶。この日は富山県内の高校を訪問させていただきました。
写真を見た途端、富山県出身の方は「あぁ、あそこの高校ね」という感じなのでしょうが、センセイにとっては初めての訪問。
この高校は交差点に面しています。
向かいには交番なんかがあって、別に悪いことをしているわけではないのに、妙に緊張してしまいます。
校門前で撮影しながら気づいたのですが、緑の様子からすると、昨日今日の新設校ではありません。
また教職員玄関の脇(左側の白い像)には女性のモニュメントもあります。男子学生が多い工業高校・大学とはずいぶん雰囲気が違い、センセイにはとても懐かしい感じがします。
玄関で靴を脱いでいると、夏服の女子生徒数人がちょっと「こんにちは」と声を掛けてきます。
返事をしようとしたその途端、恥ずかしそうに小走りに逃げていって(?)しまいました。時計を20年くらい巻き戻したような感じがします。
事務室で用件を伝えて校長先生に取り次いでいただき、その間、事務室と、校長室前の廊下をしばらく拝見させていただいたのですが、やはり違います。
明らかに何十年もの歴史が目の前に重層的に折り重なっていて、その一番上に、今の女子高生がいるのです。センセイを含めて、今、ここに存在するものは、よく考えてみると「それだけ」で他と切り離されて存在しているのではなく、歴史的に、あるいは空間的──その他も、あり──に関係づけられて存在しています。
今の私たちは歴史的な存在であり、このキャンパスが、女子校としての古い伝統が、彼女たちを形づくっているのですね。現在は男女共学のこの高校ですが、キャンパスに入った瞬間に、歴史の重みを感じました。「受付嬢でその会社がわかる」という、あの感じです。(最近はアウトソーシングで、状況が変わってきているのですが。)
わからなかったら「お箸の持ち方でお里が知れる(=育った環境がわかる)」。
......え"? もっとわからないって?
■6月6日(水) 100年以上も働いてきた場所 ──日本石油産業発祥の地は現在、「土壌浄化」中──
お伝えしたように、センセイはあちこちを行ったり来たりしながら、その途中で新潟の自宅に立ち寄るという行動を今月半ばまで続けています。
そのため、見慣れたはずの場所を、いつもとは違う時間帯に通ることがあります。前から気づいていたのですが、JR柏崎駅とセンセイの自宅の途中にある日本石油(現新日本石油)の石油精製工場跡地で大規模な工事が行われています。(写真奥が柏崎駅。その奥の山が「米山」)
普段は夜に通るのですが、昼間に見ると印象がずいぶん違う。ここ──その名もズバリ日石町!! ──は日本の石油産業発祥の地と呼んでもおかしくない場所で、明治32年(1899年)から石油精製所がありました。
旧日本石油の本社も、東京移転前までは柏崎市内(旧西山町町内)にあったんですよ。数年前に工場は閉鎖され、建物や施設も一部を除いて撤去、整地されたのですが、今年の3月、この場所が有害物質に汚染されていることが判明しました。
現在進められているのは、その土壌浄化工事なのですが、表面の土だけを取り去るのかなと思ったらそうではなく、どんどん掘り下げています。
上手く撮影できなかったのでわかりにくいかもしれませんが、右手の大型重機が土を掘り起こしています。その左に作業員が立っている──わかるかな──のですが、点のようにしか見えません。
身長から判断すると、6m以上も掘り下げているのではないかと思われます。石油精製施設を撤去してから随分経つのに、周囲を歩いていると石油の臭いがしてきます。
やはり100年以上も操業するというのは、いろいろな意味で大変なことなんでしょうねぇ。
■6月5日(火) 隣の生身の人間、実はとてもその姿が見えにくい。 ──県境海岸の、3脚の椅子──
新潟に電車で帰る時、「あれ」と気づいたことがあって、それ以来、そこを通る時は注意しているものがあります。
場所は新潟県と富山県の県境海岸。
電車に乗って、県境の小さな川を越えると、そこは富山県。左手(山側)に旧北国街道沿いの民家が並び、右手(海側)には日本海が迫ります。
山と海の隙間が少しだけ広がる場所があって、海岸には小さな掘っ建て小屋が軒を並べています。
で、その切れ間の護岸の上に、え"?!右の写真左上のように、パイプ椅子が三脚、日本海に向かって並べられているのです!!
最初に気づいた時はこの時だけ置いているのかなと思ったのですが、どうもそうではないらしい.....。
写真をよぉーく見てみると、護岸のこの部分は階段状に整備されているようです。
ここから観る夕陽はきれいだろうなあー。(ちなみにこの場所、夕陽は日本海にではなく能登半島に沈みます。)写真でもう一つ気づいたことがあって、お分かりのように、手前に休憩中の男女三人が写っています。
手前は線路ですから、その脇での作業なのですが、電車の乗客から農民の姿が「見えない」ように、農民の側からも乗客が「見えない」のでしょう。
特急電車の轟音すら「聞こえていない」ようです。こういうことの積み重ねから意志疎通がずれてしまうのかもしれません。
■6月4日(月) 「御利用のお客様は\15でご購入していただけませんか...。」
夜更かしの学生諸君はご存じないでしょうが、この時期、朝3時半を過ぎると明るくなります。
西村センセイもそれにあわせてのご出勤。締切を過ぎた仕事が全然片づいていないのです。(トホホ)
したがって、8:40からの朝イチの授業──センセイにとっては起床後ずいぶん経っています──を終え、学生の質問に答えていると、もうお昼が近い......。
午後イチも授業なのでお昼を早めに済ませておく必要があります。今日は時間がないので、学食へ。
そのカフェテリアで、いつものように会計を済ませようとして、何か違和感を感じました。
違和感を抱えたままサラダにドレッシングをかけようとして、その原因を理解しました。今日からマヨネーズの無料提供をやめて、実費──といっても15円──での提供に切り替えるというのです。
手書きの文字に、人間らしさを感じます。個人的にはマヨネーズはまったく使わないのですが、マヨネーズの愛好者──「マヨラー」でしたっけ──も多い。
灯油価格の急上昇や、バイオ燃料へのシフトによる原材料価格の上昇といった、いわば客観的な情報は承知していたのですが、このように具体的になってくると、受け止め方がずいぶん違ってきます。
でも近くのスーパーで買う「冷やし中華」には、個別包装のマヨネーズがついたままだし、センセイが食べないチャーシューもついているし......。(申し訳ないのですが、センセイはすべて廃棄しています。)
う〜んこれって、現時点ではみんな無駄、ってことかぁ。
■6月3日(日) 北陸鉄道石川線からだけ見える小さな看板 ──ここを通るんだぁー──
先週お伝えしたように、このところセンセイは出張や移動を続けています。たいていは電車での移動です。
大学からJRに乗るのに一番確実なのは、キャンパスから10分弱歩いて「野々市工大前」駅から北陸鉄道石川線に乗り、三つ目の「新西金沢」駅へで下車後、隣接するJR西日本「西金沢駅」でJR線に乗り換える方法。
バスの方が便利だし少し安いのですが、大学発は便数が少ないのと夕方は渋滞が心配なのです。で、北陸鉄道に乗って乗換の新西金沢駅に近づき大きなカーブをゆっくりと曲がると、左手にJR北陸本線が見えてきます。
先日、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、写真の看板が立てられていることに気づきました。(写真奥はJR西金沢駅ホーム)
急いでいたので上手く撮影できていませんが、上から「北陸新幹線」、一つ置いて「鉄道・運輸機構」(独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構〔旧鉄建公団他〕)と描かれています。
つまり建設中の北陸新幹線がこの場所を通るんですね。ちなみに、西金沢駅の真上になります。西金沢駅のホームから見てみたのですが、看板の裏しか見えず、そこには文字はまったく書かれていませんでした。
看板の表側はというと、写真手前は西金沢駅構内なので道路もなく、もちろん普通の人は立ち入ることができません。
要するに北陸鉄道に乗っている人にしか見えない看板なのです。(誰に向けた看板なのだろう?)北陸新幹線は金沢までの着工していますが、車両整備のために必要な車両基地が西隣の白山市(松任)に置かれることになっており、そのためにここを新幹線が通るのですね。
金沢以西の延伸については未定なので、当分の間、ここを乗客を乗せた新幹線が通ることはないわけです。北陸新幹線の全通は金沢だけでなく、北陸地方、また通過となる新潟・長野県にも大きな影響を与えます。(金沢工大に勤務していたならば)個人的にも生活が大きく変わります。
でも金沢の人は、新幹線による正負の影響、特に負の面についての認識がやや甘いように思える時があります。
ところでこの写真、去年買ったパナソニックのデジカメで撮影しているのですが、特に逆光の時などの色がちょっと人工的(今回はかなり補正しています)。
使い込むほど、やはりフジなど写真メーカーのものとはずいぶん違うな、という印象を受けます。