2007年9月1日更新(2007年9月9日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
というわけで西村センセイ、週末ですが珍しく金沢に滞在しています。昨日お伝えした保護者会に参加しているのです。
ちなみに今月は、来週末の群馬(高崎)から始まって東京と、週末に出張が続きます。本当はその次の週に北海道での学会に参加したいんだけど......体力的に無理かなぁー。
さて金沢工大では、春──新入生にとっては入学直後──に「拯友(しょうゆう)会」という保護者会の総会を金沢で開き、秋には教職員が手分けをして、全国50箇所くらいで地区の会を開きます。
学生さんが日本中から集まっていますからね。春、秋とも、会の後半には保護者との個人面談が用意されています......というか、保護者にとって参加のお目当ては個人面談の方なのです。
息子/娘の成績とか、出席状況とか、将来のこととか。今日は二名の保護者と相談させていただいたのですが、学生を見ていて何となく感じていたことを、保護者との会話の中でお互いにはっきりと認識する瞬間があります。(具体的な内容は書けません。悪しからず。)
たいていの場合は、「なるほどなぁー」とか「あぁ、そういうことだったんだ」という感じ。
保護者もセンセイとほぼ同年齢になり、相談しながらふと、相手の立場にずいぶん入り込んでいることに気づく、今日の西村センセイなのでした。
■8月31日(金) よぉーく見ると、ちょっと曲がってる ──柏崎市ごみ焼却場の修理が本格化しています──
西村センセイ、実は昨晩から新潟の自宅に戻っています。
金沢工大は秋の週末に全国で保護者会を開きます。
例えば今週末は金沢というように、センセイも保護者会のいくつかに参加し、国内各地を行脚(あんぎゃ)しますから、休暇を自分で管理する必要があるのです。昨日は遅くまで講義があったので、夕方の6時過ぎに車が溢れる金沢を出発して、9時半過ぎにやっと自宅へ戻りました。
そのため、サイトの更新は日が変わってからになってしまいましたし、今期、新たに担当する科目については明日以降にページを新設せざるを得ません。
受講生の皆様、もう少々お待ちください。で、今日は、用を済ませるために県内を車で走っていたのですが、柏崎に戻ってあることに気づきました。
柏崎市のゴミ処理施設「クリーンセンター」の修復工事が本格化しているのです。
テレビ・新聞報道でご記憶の方も多いと思いますが、クリーンセンターの排気煙突は新潟県中越沖地震で座屈屈折してしまいました。
そのためセンターの処理機能は完全に停止し、市内から出されるゴミは近隣市町村で処理していただいていますし、粗大ゴミの一部については遠く離れた川崎市で処理してもらっているのだそうです。
被災した煙突はいつ倒れるかわからず、とても危険なので処理に困ったようですが、とにかく崩れた部分に大量のコンクリートを流し込み、崩壊を免れました。
写真でお分かりのように、今日は遠くから見ただけですが、超大型クレーンが持ち込まれて、上部から煙突の解体作業が始まっているようです。さすがに同じ物を造るというわけにはいかないでしょうが、数ヶ月で処理センターの機能も回復すると思います。その時(それだけじゃないけど)こそ、この地域が自立に向けて確かな一歩を踏み出した瞬間になるのだと思います。
あ"、そうそう。
例の煙突、割と最近に建設されたばかり。実物はと巨大です。折れ曲がるなんて信じられないくらい。
で、よぉーく見ると、ちょっとですが傾いています。間近で見ると、自分の方へ傾いてきそうで、ホントに恐いですよ。
■8月30日(木) ワーイ!! もうイッパイ、飲めるぞぉー!?
胃ガン予防検診の朝。
何も食べたり飲んだりできず不便なので、朝イチに診察場所へ向かいます。開始時刻の20分前に到着したのですが、すでに20番目くらいでした。
恐るべし、「金沢工大時間」。例のバスに乗って衣服を脱ぎ、順番を待ちます。
「ゲップをしたくなりますけど、我慢してくださいね」と言われながら、発泡剤とシロップ状の液体をもらって一気に飲み、続いてバリウムを飲みます。
う〜ん、バリウムも昔よりは飲みやすくなったなぁー。でも、何だかいつもと様子が違う......。ゲップの気配が、まったくない。
「ま、いっかー」と気を取り直して撮影室へ入り、スピーカーから聞こえてくる係員の指示通りに動き始めたのですが......再び、何かが違う。
自分の体も違うけど、部屋の外で指示を出している係員の様子が全然違うのです。やがて係員曰(いわ)く、「胃の中に食べ物がたくさん残ってるんですけど、昨晩は何時に食べたんですかぁ?」
撮影時にX線を照射するだけでなく、ずっと弱いX線を当てて透視しているんですね。
「遅くとも9時までには食べ終えろ」という指示だったのですが、そもそも帰宅が遅かったし、カード入力後に食事をして寝たので、食事は10時頃だったはず。
そのように答えると今度は、「何か、しつこいもの食べたんですか」とのご質問。
「電子レンジで茹でたナスのおひたしとお刺身少々」と答えようとして、これって、しつこい食べ物なのかなぁー。でも確かに、今朝は「お腹がすいた!!」という感じはなかった......。(実は、いつも、ないんだけど。)
こういう経験は初めてなのですが、どうも胃腸の方もお年を召してきたようです。
バリウムは1週間くらい胃に残ることがあるそうで、時間を置いてから再び検診を受けることになりました。いっぱいビールを飲めるようになったのではなくて、もう一杯、バリウムを飲まざるを得なくなったわけです。
......バリウムって、その後が大変なんだよなぁ。
■8月29日(水) BGMにオフコースを流したら、友竹正則氏に怒られた ──西村センセイ、16年前も働く──
...と言っても、これじゃ何のことかわかりませんね。
1991(平成3)年の夏のこと。
西村センセイは当時、その年の4月に開学したばかり(!!)新設大学の、それも最年少教員(33歳)でした。(この間の事情は、こちらをご参照)
初めての夏休みが終わろうとした時、当時の学長がボソッと、「1週間後にコンサートを開きたい......」。
最初は何のことかわからなかったのですが、地元のある人物のツテで、中高年にはとても有名──ただしセンセイは知らなかった──な友竹正則氏を大学に招き、地元市民のためにコンサートを開きたい、というのです。
正確には、もう決めてしまったとのこと。もちろん教職員のほとんどは寝耳に水。さぁ、それからはもう大変!!
だって、開学したばかりの大学は1年生しか存在せず、それに見合った教職員しかいません。合わせても25名くらいじゃなかったでしょうか。
しかも教員の多くは国立大を定年退官された方々......。候補を職員まで広げても、センセイ以外にコンサートや演劇の仕事をした人なんかいないので、で、西村センセイ、お客や出演者の移動などの基本的な段取りから始まって、トラックの荷台で歌ってもらう(!!)という原案を諦めさせて学内の食堂を使うことにし、市内の楽器屋をまわってPA(最近はSRという)を手配。
でも原案は照明を考えていなかった(!!)ので、教育長(その後、村長)をしていた義父を頼ってある村(現在は新潟市)まで照明器具を借りに大学のバスを走らます。
ところが照明を確保したまでは良かったものの、コンセントの端子が民生用と違うので、全部を交換──たぶん本当は資格が必要なはず──し......。今から思い出すと大学を建設した時に作成した配線図を倉庫から持ち出させ、ポスターをデザインしたし、ボランティアの学生確保などまで、ごく少数の人間でやってしまいましたね。
オマケに前日は新潟市内の(現在は倒産して存在しない)ホテルでお客様の接待......。さて、このところ出鱈目に忙しいのですが、15年くらい前に購入した機器が故障した──寿命だから──のをきっかけに、再度これまでの録音、録画した資産をパソコンやDVDに残す作業を再開しています。
本来の自分のペースを取り戻そうと思っているのかもしれません。作業そのものはかなり進んでいて、例えばデジタル録音テープ(DAT)に関していえば、残っているのは、あまりに貴重な講演か、あるいは逆にあまり価値のないCDやLDのコピーくらい。
その中にこのデジタルテープがあったのですが、とても聴き直す根性が無かったので、そのまま今日に至っていました。
覚悟を決めてMac miniを立ち上げ、各種機器(DAT〔写真下〕→改造DACでコピー解除〔写真なし〕→MD〔DATの上〕でサンプリング周波数変換)を立ち上げてMacで読み込みます。16年前のあの時間と空間がまったくその通りに再現されます。ホントに目の前に、手に取るように様子が浮かびます。
食堂を埋め尽くす(本当)市民のお客様の真ん中にPAがあって、センセイはそこで音響と照明をすべてコントロールしています。
しかも同時に、自宅から持ち込んだデジタルテープレコーダ用に別系統で同時録音をしています。食堂の奥には舞台──食堂のテーブルの上に暑いベニヤ板を置いただけ!! ──があり、舞台袖には衝立(ついたて=実は保健室のカーテン)の奥から友竹氏が階段(=図書館の移動式踏み台)を踏んで舞台に立とうとしています。
クラシックの演奏会なんかだと録音は意外に楽で、丁寧に仕込み(=事前の調整)をしておけば、後はレコーダーを廻すだけ。でも今回は拡声用のマイクも数本使うし、そもそも詳細なプログラム内容を知らされていないし......。
ちょっとでも事情知っている人が読んだら、絶句するはずの状況です。ステージ上の友竹氏の人気はすさまじく、大学開学以来最大の拍手の中、コンサートは進みます。友竹氏のカリスマ性、市民の熱狂、そして伴奏者の叡智がほぼ完璧な状態で記録されています。
繰り返しますが、お客様に合わせた音声調整を優先しながら西村センセイ、同時に神業のようにほぼまったく別な録音調整をしています。(信じられないことに、フルビットを使い切っている!!)
ふと気づくと、ステージは休憩に入っていました。
西村センセイ、やっと我に返って──録音を聴くと、気づくまでに数分を要している──別系統で用意してあったBGMのソースを、ごくごく小さな音量で流し始めます。
当時流行っていた「オフコース」の、鈴木氏の書いた「ロンド」という曲でした。BGMに使った機材については覚えていません。想像するに、私物のナカミチのカセットデッキを使ったんじゃないかな。
でもそのこのBGMを流した途端に、ステージ脇で控えていた友竹氏からボランティア学生の伝令(「インカム」という通信装置は用意できなかった)が飛んできて、「BGMを消せ!!」。
確かに、一応クラッシックのコンサートですから、当たり前なんですけどね。コンサートは無事に再開され、ベニヤ板のステージの上で友竹氏がダンスをして(!!)コンサートは絶頂へ。
今となっては、記録したテープが存在しなければ、思い出すことすら難しい記憶です。
デジタルテープの内容をMacに移しながらずっと聴いていたのですが、録音はほぼパーフェクト、98点くらいの出来です。
マイナスの2点はというと、録音にはセンセイが所有していたコンデンサー型マイクロフォンを使ったので、残念ながら音質が最高ではないのです。
本来は一桁か二桁違う値段のマイクロフォンを使わなくてはならないのです。でも初めて使うヤマハの業務用のミキサーとパワーアンプ、スピーカー、そして実用化段階に入ったばかりのデジタル録音機を自分の手足のように使って、無事にコンサートと録音を終えています。
当時33歳の西村センセイ、とんでもない存在だったんですねぇー。今では冴えない、ただの中年のオジさん。
当時の周囲は、何でも仕事をバンバン進めてしまうセンセイを持て余していたんだろうなぁー。制御のしようもない──いろいろな意味で制御する才能がない──から、全然クレームはつけられなかったけど。ずいぶんぼんやりした人間になった今の西村センセイ。でも昔に戻りたいとは思いません。今日、初めての科目の授業をしたのですが、やはりそう感じました。
何かを捨て、何かを得たのです。ゆっくりとだけど、進んでいると思うので、懐かしいとは思うけど、「戻りたい」と思ったことはないですね。
そして昔の自分を思い出すと、最近の若い先生方や学生さんの評価もちょっとだけど、でも確実に違って見えます。例えば「もうちょっと、我慢しようかな」って。
最近の西村センセイ、ちょっとボーッとしていて、その大半は体調不調と健忘症によるものなのだけど、「これもいいかな」って思うのです。明日は特別な日だし。
そうそう、実はテープの中の友竹氏はすでに重い内臓疾患を患っており、その2年後に亡くなられます。正直なところ、声の張りもずいぶん衰えているなーという感じです。
でもそれでも、その人が現実に存在する(/存在した)ことに意味があると思います。
コンサートの時間がずいぶん長いため、CD化を諦めていたのですが、今回改めて聴いてみると、編集すればたぶん80分以内に収まると思います。
著作権の問題があるので一般には公開しませんが、友竹氏のご遺族を含めて、CDができたら当時の関係者にはお届けしようかなと思っています。
■8月28日(火) 朝の仄暗い研究室から ──新学期の授業が始まりました!!
──
前線の通過に伴って日本海側は昨晩から荒れた天気。新潟市は未明、豪雨に襲われて床上・床下浸水が発生したようです。金沢市も昨晩ちょっと風が出て雨が降りました。
今朝は風が吹いていただけだったのですが、6時半に出勤する頃になると低い雲が出てきてどんどん暗くなり、7頃から1時間ほど多数の雷を伴った嵐となりました。
写真は朝の研究室。日が出ている時刻なのにまるで夜のような暗さです。
大荒れなのは、もう一つ。
研究室の書類が分類不能になって堆(うずたか)く積み上げられたままになってしまい、今にも崩れそうな状況です。
いつもなら夏休みか学期が始まる前に整理するのですが、今年の夏は地震に襲われたため、整理が終わらないまま新学期に突入してしまったのです。書類など、形のあるものだけではありません。
今学期は大学の事情で初めての科目を急に担当することになり、その準備がホントに大変!!
でも、そのために学生時代に習った教科書──あちこちに赤線が引かれ、書き込みがある──を丁寧に読み返してみると、ずいぶんいろんなことを考えさせられます。
当時は周りがよく見えないまま教科書(だけ)を読んでいたのですが、30年後になるとそれがどのような意味合いなのかが理解できます。他の人よりはずっと歩みが遅いけど、でもちょっとは進歩しているってことなんでしょう。
今日から始まった授業だって、立場は逆だけど、同じようなことが起きているのかもしれません。
センセイらは学生に内在する成長の目を刺激し、自分の力で歩き始める手伝いをするだけのように思われます(もちろんとても重要なことなんだけど)。
厳しい仕事だけど「だから教師はやめられない」と感じる時が、確かにあります。
■8月27日(月) インターンシップ報告会に参加しました ──いよいよ秋学期!!
──
いよいよ秋学期開始。
と言っても今日は初日なので授業はまだなく、各学年のオリエンテーションが行われただけなのですが、それでもセンセイには大きな一日となってしまいました。
正面玄関が開く6時半に出勤したのですが、もう先に仕事をしていらっしゃるF先生がいらっしゃいます!!
8時過ぎにはオリエンテーションの教室へ移動して、8:40には本番開始。その後は提出物やら、学生の各種相談やらで、何が何だかわからないことになってしまい、気がついたら......もう夕方。
でもこの間、意識して参加した会があります。インターンシップの報告会です。
大学生が実社会での経験を踏むために、企業や役所などの組織で仕事を体験させていただく「インターンシップ」。
もちろん、本学でも行われています。知り合いの学生がこのプログラムに参加していたので、先生も全体の半分ほどだけですが、参加させていただきました。
報告する学生──特に男子学生──はずいぶん緊張していらっしゃいましたが、それでも大学での経験とは相当違うことがわかります。
大学とは違って、視点は外向き。圧巻はある女子学生の報告。レベルが、まるで違います。
報告を聴いていた参加者はもちろん、たぶん派遣先の社員の方々も圧倒されたんじゃないでしょうか。でもインターンシップで学んだのは大学や学生だけでしょうか? たぶんそうじゃないだと思います。
派遣先の企業の方々、つまり上層部も、中堅社員も、現場の労働者も「ヘンなヤツ」の闖入(ちんにゅう)によって日々の平穏な日々がかき乱され、イライラし、そして少し間を置いてから「う〜ん、でもそう言えば、彼ら/彼女らの言うことにも、ちょっと......」という感じ。
各企業に派遣された学生の報告に続いて、派遣先企業からのコメントがあったのですが、言葉の端々に、きっと派遣先も驚いたんだろうな、と感じた今日の西村センセイなのでした。
■8月26日(日) これってやっぱり、フツーってことかな...。 ──被災粗大ゴミ仮置き場、その後──
明日から秋学期の授業が始まる──正確に言うと、明日はオリエンテーション──ので、今日はお昼前に車で金沢へ移動しました。
新潟県中越地震発生後はずっと、金沢へも、そして新潟県内も車で移動しています。
慣れから事故を起こしそうなので、少なくとも長距離を走る金沢への移動に関しては早く電車を利用したいのですが、残念ながら代行バスはとても不便。
正直、なかなか利用しにくい。今日は柏崎を離れる前に、自宅そばにある被災粗大ゴミの仮置き場へ立ち寄ってみました。(というか、金沢までの途中にあるから、絶対通るんだけど。)
新潟県中越沖地震発生直後、この場所は粗大ゴミの仮置き場と定められました。ところがその途端、各家庭からゴミが出鱈目に持ち込まれ、収拾がつかなくなってしまいました。
オマケにゴミを搬入する車で、この付近は激しい渋滞が発生し、緊急を要する復旧活動すら阻害される始末。仕方ないので町内会ごとに収集日を定め、業者による粗大ゴミ回収を始めたのですが、今度は地震とは関係のない便乗ゴミがたくさん持ち込まれてしまいました!!(......悲しい)
特にテレビ、洗濯機、冷蔵庫など、家電リサイクル法などでユーザーが処理費用を負担しなければならないものが目立ちました。はっきり言えば、みんな処理費用をケチったのです。
その後どうなったのかなぁーと思って、陸橋の上、ちょっと高い場所から撮影したのが右の写真。
写真中央奥、3軒のちょっと高いホテルの辺りがJR柏崎駅です。
その近くに撤退した工場跡地が広がっています。写真左手前から大きなプラスチックゴミ、その奥に、壊れた家屋の残骸、右へ順に冷蔵庫、パソコンのモニタ、テレビ、洗濯機、そして最も右の大きな山は分別不能のゴミです。
中央に重機があるので、その大きさと比べていただきたいのですが、それぞれの山(?)の高さは、場所によって数メートルもあります。
平日にここを通ると、重機でゴミを分別しています。しばらくの間、粗大ゴミをボーッと見ていたのですが、確かにパソコンのモニタなどは便乗ゴミと思われるものがありますが、以前よりはずっと減っていると思います。
考えさせられたのが、右端の分別不能な粗大ゴミ。やはりどうにもこうにも分類できないのです。
でもよく考えてみると、これってまるで人生の縮図。センセイが死んだら、書斎に存在する正体不明のモロモロの物体は、まず間違いなくこの右端へ行くんだろうなぁー。
もう一つ。
被災直後の柏崎市民は善人が、そして粗大ゴミ搬出の段になったら悪人(?)が目立ちました。
でもこれって、よく考えてみると「善人か悪人か」という、センセイの(稚拙な)問いの立て方そのものの限界を示しているように思えるのです。
この仮置き場が示しているのは、フツーの人のフツーの反応(の結果)というわけです。(改めて、深く反省)写真左側の外にはロープが張られ、被災家屋の残骸を一時的に置いておくスペースがあるのですが、まだ現物(?)はあまり運び込まれていません。
道路にはみ出していて迷惑になる場合などを除き、被災家屋の撤去作業は本格的には始まっていないのですね。よぉーく考えてみると、市の中心となる駅の近くにこれだけ広い未利用の敷地が広がっている──実は線路の反対側にも同じくらいの面積が存在する──ってこと自体が、柏崎地方の衰退を示しているのかもしれません。
残念ながら今回の新潟県中越沖地震は、安楽死のようなその衰退に、「ブチリ」と、とどめを刺したという面があるように思われるのです。