2007年8月4日更新(2007年8月12日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2007年7月第5週〜8月第1週のニュース──

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8月4日(土) 「あぁ、合格したんだな」と確信した時 ──都内で学会に参加しています──

 昨日から都内で開かれている学会に参加しています。会場は千代田区神田駿河台の日本大学理工学部。

 都内に住んでいた頃はよく来ていたのですが、考えてみたらずいぶん久しぶりの駿河台。
 日大の校舎はピカピカのモダンな建物に建て替えられていて、昔──といっても数年前に来ているはずなのだけど──の面影はありません。

 日大の向かいにあるのが写真の建物。
 現在は中央大学駿河台記念館になっていますが、かつてここには、中央大学法学部がありました(入り口は反対側だった)。

 30年ほど前のこと。

 その校舎の最上階にあった講義室でセンセイは入学試験を受けていました。
 当時はたくさんの大学を受けるのが当たり前で、センセイもいくつか受験していました。

 すぐ隣にあった明治大学や早稲田なども受けたのですが、どうも試験後の感触がイマイチ。
 何となく達成感がありません(実際、どちらも不合格)。

 中央の試験は最後の方だったのですが、心身ともに充実していて、「やることはやった」と感じるとともに、「あぁ、これで合格するんだな」と確信(?)しました。

 その後、地元の新潟大学にも合格したので、結局、そちらに進学したのですが、他大学や大学院の受験、あるいは採用試験なんかを含めて、「合格したんだな」とリアルに感じたのはこの時だけです。

 中央大学に入っていたらその後はずいぶん変わったんだろうけれど、正直なところ、あまり興味も未練もありません。

 けれども、あの確信だけは昨日のことのようによく覚えています。

 自分が感じたことの意味を大切にしようと決めたその瞬間でした。



8月3日(金) いくら何でも、ちょっとこれは...。 ──被災粗大ゴミの回収が始まりました──

 颱風の接近でテントや車両に被害が出る可能性があるため、何と自衛隊が一時的に撤収してしまいました。しばらく避難所での避難所での炊き出しはできないとのこと......。
 う〜ん、伯母の避難所はどうなっているんだろうか。

 けれども被災地は全体としてはそれなりに落ち着いてきました。

 平日に不足していたボランティアも、写真のようにたくさんの人が参加してくださっています。

 一昨日は、集中講義をしていたセンセイと入れ違いに、前任校のボランティアがマイクロバスでやって来たとのこと。
 たまたまその場に居合わせた家人は、学生を率いていた新井明学長にお目にかかったそうです。

 落ち着いてきたといえば、被災で発生した粗大ゴミの回収が町内会単位で始まりました。
 当初は個人で仮集積所に持参し始めたのですが、地震とは無関係な粗大ゴミが持ち込まれ、またゴミを持ち込む車で周囲の道路が渋滞して付近の幹線国道の通行を麻痺させてしまったため、町内会ごとに集めることになったものです。

 この地域も指定日の朝にはたくさんの粗大ゴミが出されました。

 でも、中身をよぉーく見ると......う〜ん。

 写真ではよく分かりませんが、右奥には麻袋などに入って、割れた食器やガラスなどが入っています。
 被害が軽かったこの地域でも、窓ガラスが破損した家があったんですね。

 その手前はスーパーの袋にいろいろなものが入っていますが、う〜ん、ふつうの粗大ゴミも結構多い。
 まぁ、これらは通常の粗大ゴミ回収の日にも出せるものですが、大掃除を兼ねてこの機会にということでしょう。

 写真中央には家電製品、特にテレビがたくさん出されています。

 ちょっとわかりにくいのですが、左手に液晶テレビが置いてありました。
 伝え聞くところによると、薄型テレビは落下などの衝撃に弱いそうで、実際、画面は剥がれたような感じで明らかにおかしくなっていました。
 修理するという選択もあったと思うけど、まぁ、これは仕方ない。

 ブラウン管テレビはというと、地震時の落下で筐体の前後が割れてしまったものなどもありますが、でも、その他のテレビは何ともないようです。
 残念ながら、震災のどさくさに紛れてリサイクル費用を払わずに処分してしまおうということでしょう。また、リサイクル法の対象である冷蔵庫も2台置いてありました。

 センセイは見ていないのですが、家人によると、他人のことを考えずに、残り少なくなった救援物資をたくさん持って行く人もいるそうです。
 地震直後はみんなで助け合ったのに、ちょっと落ち着いてくると人間が持っている負の面が出てくる、そんな感じです。

 ちなみに、センセイの家にはブラウン管式のテレビが2台あるのですが、居間のものは落下して塗装が少し剥がれたものの、問題はなかったのでそのまま使用しています。
 先日調整したばかりの書斎のカラーモニタは被害甚大で、落下して筐体が前後に割れただけでなく、画面の一部に変な色がつき、またいくつかある入力系統の中で、S端子(YC分離)の回路がおかしくなってしまいました。(モニタの落下で、とても堅い床なのに一部傷んでしまった。)

 一時は廃棄も考えたのですが、大切なモニタなので現在修理を検討中です。この件については後日お知らせできると思います。



8月2日(木) 地震の風評被害で、寺泊「魚のアメ横」は危機的な状況に

 4日間の集中講義を終えて、ひとまず自宅へ戻りました。

 今日の新潟はとにかく暑い!!
 車外温度計は37.5℃を示しており、梅雨明けしても涼しかった昨日より11℃以上も暑い!! ニュースを聞いていたら、県内の最高気温は上越市の38℃(!!)で、被災地柏崎市も37℃近くまで上昇したそうです。

 伯母の避難所はクーラーがないので、大変だっただろうなぁー。(その後、伯母のいる避難所から、13歳女子中学生が熱中症の疑いで病院に運ばれたことが判明。)

 都合で帰路は海岸の道路を走りました。
 カーブや坂道は続くものの、信号が少ないので、318iを運転していて楽しいルートです。

 この経路は途中、「魚のアメ横」こと寺泊の魚市場(写真)を通るのですが......お客が全然いない。
 平日の遅い時間とはいえ、夏休み期間中ですよぉ。

 中にはシャッターを降ろしたお店もあります。いつもなら関東方面から大型バスでやって来た観光客で溢れているのに。

 やはり新潟県中越地震のせいでしょう。
 正確には地震によるこの地域の物理的な被害は皆無なのですが、風評被害でお客が離れてしまっているのです。

 決定的だったのは東京電力柏崎刈羽原子力発電所からの放射性物質流出。
 客観的には、漏れた放射性物質の量はごく僅かなのですが、例えば寺泊への大型バスに乗ろうとしている関東の人が、「原子力発電所で放射性物質が......」と耳にした時、そのままバスのタラップを登りますか?

 どうも東京電力には、特に社長さんには、フツーの人のこの感覚をわかってもらえないようなのです。



8月1日(水) ICカード乗車券“Suica”の小規模駅用自動改札機を利用しました

 お伝えしているように、センセイは集中講義期間中、新潟駅前のホテルに宿泊して、前任校へ電車と連絡バスで出勤しています。

 その乗り換え駅がJR白新線佐々木駅。数年ぶりで利用しました。

 さて、首都圏ではかなり前から始まっていたJR東日本のICカード“Suica”。数年前から新潟市近郊にも導入されました。

 導入当初は主要駅だけの対応で、無人駅や小さな駅は未対応だったのですが、最近、佐々木駅を含めて“Suica”自動改札機が導入されました。
 現物を見るのは初めてだったので、「どんな機械だろう」と思っていたら、ご覧のようにずいぶん小ぶり。
 ゲートはありません。

 ホームへの入場用と出場用(写真)が別々に存在し、それぞれ利用時に軽くタッチします。
 写真の女性はパス・ケースに入れたまま利用していらっしゃいました。

 面白かったのが精算方法の違い。

 首都圏などでは、入場の際にまず最低運賃が引かれ、出場時に精算されます。

 でも新潟地区では入場時、改札を通ったことだけをチェックして料金は引きません。出場時にすべての乗車料金を引きます。

 便利だし面白いのですが、ご覧のように奥で駅員さんが他の乗車券とともに全部チェックしているから、あんまり効率化には貢献していないと思うのだけれど......。



7月31日(火) 『リンゴの木は残った』 ──久しぶりに中国人学生を教えてみて──

 今週前半、センセイは金沢工業大学の特別な許可を得て、前任校で集中講義を実施しています。

 前任校に到着して事務室によると、職員はまるで昨日別れたばかりかのように接してきます。
 実際には1年ぶりの訪問なのですが、世の中の動きに対する感度を含めて、すべてが昔のまま。(もちろん、分かっている先生はわかっているけど。)

 気を取り直して教室へ向かいます。

 企業秘密だけど、その学期の授業がうまくいくかどうかは、学生諸君と最初に出会った、その瞬間が勝負。4月の始まりだったり、学期の始まりだったりしますが、どこの大学でも、どの講義でもこれは同じ。
 今回は入室がちょっと早すぎたようで、センセイが入った時は何かの作業中の女子学生一人しかいなかったので、センセイの気持ちはやや空振り気味だったのですが。

 今回の受講生は日本人学生と中国人留学生が半々(今回は他国籍の学生はいなかった)。留学生のために、話す言葉や速さなどを考慮する必要があります。
 そういう問題もあるけれど、これまでの経験からすると、外国人留学生に対する授業は、とても得るものがあります。

 一見すると講義は、こちらが話しているだけなんだけど、実際の講義は日本人を含めた受講生との双方向での格闘技。こちらがかけた技に対する留学生の反応が、日本人学生のものと全然違って、これが本当に刺激的なのです。

 中国人留学生の反応は基本的に、アメリカ人学生のそれに似ていると思っています。
 わからない点があったらズバズバ質問してきて、そしてその後の成長は日本人学生とは比較にならないくらい......という感じ。

 そして成長しつつある自分たちの母国に自信を持ち、「現在の中国は、確かにいろいろ問題はあるけど、俺たちこそが...」という気概が溢れています。
 日本人学生が30年くらい前に忘れた感覚です。

 で、今年の中国人留学生。

 最初は誰が日本人か中国人留学生か、よくわからない......。ちょっと見ただけでは、違いがわからないほど身だしなみなどの感覚が似てきています。

 授業が始まってしまえば、まぁ、いつもの調子。
 たとえばこちらが、「中国は4,000年の歴史があって...」と発言すると、すぐに「違います。5,000年です!!」──本当にそうかどうかはわからない──という反論が来るなど。

 でも、一部学生の授業のさぼり方が妙に日本人に似てきている(!!)など、「ちょっと留学生の気質が変わってきたのかなぁー」という感じも受けます。
 彼ら、彼女らに何が起きているのでしょう。

 日本人学生の印象もお話ししておきましょう。

 地方の私立単科大学が学生の確保や経営面で厳しい状況に置かれていることは周知の事実です。

 前任校も同様で、西村センセイ、「どういう学生が受講してくるのかなー」心配していました。
 というのはここ数年、元気な外国人留学生とは対照的に、一部学生を除くと反応が鈍く、おそらく何も考えていないような日本人学生が、「壁の花」状態で教室の隅に溜まっていたのです。

 ところが少なくとも今回は、こちらからの働きかけに、多くの日本人学生が積極的に応えてきます。決して「壁の花」ではありません。

 例によって、講義の中でいろんな質問を投げかけるのですが、例年とは比較にならないほどレベルの高い反応が返ってきます。
 お世辞ではありません。

 日本人学生にも、何か本質的な変化が起きているのでしょうか......。

 今回は新潟県中越沖地震で鉄道が完全に復旧していないこともあり、月曜日に318iで出勤した後、新潟市内のホテルと大学を電車と大学の連絡バスを使って通勤しています。

 玄関前で連絡バスを待っていると、否が応でも1991年の開学式に植えた「ニュートンのリンゴの木」(上の写真)が目に入ってきます。
 前任校と縁が深く、しかし残念ながら一昨年亡くなったセンセイの先生とセンセイが、秋田県果樹試験場から分けていただいたリンゴの木です。

 周りに誰もおらず、そばに立ってもらうこともできなかったので、この写真だけではちょっとわかりにくいと思いますが、幹はとても太くなり、この県北の地にずっしりとその根を下ろしています。

 その割に今年は実が少なく、センセイが数えた限りでは10個くらいしかなかったようです。
 でも、まぁ、これは今年がそういう年だということと考えましょう。

 センセイはこの場所を去ったけど、樅ノ木ならぬ「リンゴの木は(それなりに)残った」というわけです。

 帰り際、数年ぶりで出会った老教授に「あ、集中講義で来たの。ご苦労」と、お声をかけていただきました。

 ありがたいことではありますし、少なくともご本人にとっては、ある意味で幸せなのでしょう。
 間違いなく彼/彼女は、何が起きたのか、長い歴史の中で自分が何をしてしまったのか、まったく理解できないまま、その一生を終えつつあるるのですから。

 今回の受講生諸君は、個人的にとても興味深い人たちが多く、残された講義がとても楽しみです。そして、諸君の人生は本当にこれからの心がけ次第だということをひしひしと感じます。

 だから今回は、単に受動的にそう感じるだけでなく、こちらからもそういうメッセージを何回もはっきりと発しています。すると、彼ら/彼女らから反応が期待以上にビシバシ戻ってくるのです!!

 だから、授業はやめられない。



7月30日(月) 被災地では、ガスと下水道の復旧が大幅に遅れています

 西村センセイ、実は自宅を離れて新潟県北部へ出張中です。その様子は後でお伝えすることにして、今日はもう少し柏崎市の被災・復旧状況を。

 何度もお伝えしているように、都市ガスの復旧が大幅に遅れています。

 センセイの自宅はガス供給所に近く、また実際、自宅近くでは被災後わずか数日で東京や横浜の業者による復旧工事が始まりした。(遠くから、本当にご苦労さまです。)
 で、その時は「これだったらたぶん数日で......」と考えたのですが、これが実に甘かった。

 復旧作業はまず、ガス管の中に入り込んでいる地下水や上・下水道水の排水から始めるのだそうです。
 新潟県中越地震の時も同じようにガス管の被害を受けましたが、この時は被災地の多くが山間地。
 水は低い方に流れるのでこの排水作業は比較的簡単だったとのこと。

 けれども柏崎市の場合は平野部なのでみんな同じような高さ、しかもどこも水が多いので、排水作業がとても困難なのだそうです。

 排水後は、管の中へ試験用の気体を入れて周囲のガス漏れを検知し、破談箇所を特定するのだそうですが、今度は管があちこちで破断していて作業が全然進まない......。

 実際、自宅近辺でも破断箇所の特定と修繕作業が進んでいて、検知用の気体の臭い──プロパンガスに似た臭い──もするのですが、「終わったかな」と思うと、近くの、でも別な箇所を掘り返しています。

 工事の様子を見ていて「これだったらみんな掘り返せば...」などとイライラしてくる──関係者の皆様、ゴメンナサイ──と、おぉ何と、本当に全部掘り返しています!!

 これじゃあ、進むわけないって。(もっとも恵まれた部類のセンセイですらこういう状況なのですよ。)

 もう一つ。

 上水道が復旧した時に、確かに「復旧したら下水道も使って良い」という市からの文章を読みました。

 上水道と下水道は別ラインだから、万一下水道が被害を受けていたら──というか、ほぼ確実に被害を受けている──下水路に流された水はどこかに溜まってしまうはず......と思ったら、実際にあちこちで下水が溜まってしまっているのだそうです。
 変な臭いや出水
(しゅっすい)があったらその箇所を掘り返して、溜まっている下水をバキュームカーでくみ出してから修理......といういたちごっこ。

 しかも下水道を完全に修理するためには、(万一の際に下水が入り込まないように)下水管の上を通っている上水道やガス管を全部露出、供給停止させて工事する必要があるのだそうです。

 市は地上に仮下水管を敷設する方針のようですが、このような事情で、下水道の完全な復旧までには何と、2〜3年かかる見込みだそうです。



7月29日(日) 選挙カーが走らない場所 ──JR信越線宮内−柏崎間は明日開通!! ──  

 今日も、実家近くの避難所にいる伯母を見舞いに行きました。昼間の避難所に残っているのは老人と子供ばかり。

 この地域も、やっと上水道が復旧しました。まだ濁っていて飲食には使えないのですが、若手は被災した自宅へ戻り、後片づけや洗濯などをしているのです。

 また被害が比較的軽い家は、この通水を機に自宅へ戻る場合も多いようです。
 これからは同じ被災者の中でも、比較的恵まれている人とそうでない人の格差が目立っていくことになるでしょう。

 さて今日の避難所は、写真のように一角が仕切られていました。参議院選挙の投票会場に使われているのです。
 被災地域ではこのように避難所の一部を使ったり、施設を変更して投票している場所がいくつかあります。

 そして今回の選挙、実は被災地はとても静か。
 選挙が燃えていないというのではなく、物理的に静かなのです。候補者全員が被災者に遠慮して、選挙カーでの街頭宣伝活動を自粛しているのですね。

 うるさくないのは正直、ありがたいのですが、選挙本来の趣旨を考えると、う〜ん、という感じもしますが......。

 ひとまず自宅へ戻り、家族で買い物に出かけると、信越線の線路脇を通った時に娘が「あっ」と声をあげました。
 白くきれいで、珍しい形の電車がゆっくり走っていたからです。

 以前ご紹介したことがあるJR東日本のE491系“Easti-E”交直流電気・軌道総合試験車両(詳しくはこちらから)です。

 センセイが実車を見るのは3回目ですが、娘らは窓の少ない変な電車を見るのが初めてだったのでビックリしたようです。

 踏切を横切るような形になったのですが、通常の列車信号や踏切の制御装置がまだ働いていないようで、係員が手動で踏切を制御するとともに、何と、試験車も踏切手前で一時停止!!
 小さく警笛を鳴らしてから踏切をゆっくりと通り過ぎました。

 中越沖地震以来ずっと普通になっていた信越線は、柏崎市と東京方面を結ぶ宮内−柏崎間で明日の始発から臨時ダイヤでの運行を開始します。
 残る不通区間は柏崎−柿崎間のみとなりますが、青海川駅近くで大きな土砂崩壊があるので、こちらの復旧、つまり日本海縦貫線の全通は、もうちょっと先になりそうです。

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