2009年1月3日更新(2009年1月11日ページ移動。2012年12月23日一部写真削除)
■1月3日(土) 富士山がとても近くに見えた日 ──師匠のご葬儀に参加しました──
都内で開かれた師匠のご葬儀に参列させていただき、夜、新潟の自宅へ戻りました。
帰省のUターンのピークと重なり、午前8時過ぎの新幹線しか指定席を取れなかったので、今朝はちょっと早起き。もっともセンセイも歳で、自然と早起きになっているのですでに目は覚めていたのですが。
米山駅の護岸決壊は応急修理が終わり、若干の遅れはあるものの、昨日の夕方から信越線は復旧しています。
各駅停車に乗って長岡駅に到着し、自由席はどうだろうと目を凝らしながらホームに滑り込む新幹線を見てみると、意外にも自由席はガラガラ。
指定席の方がずっと混んでいます。出発する時間がちょっと早いだけで、混雑は全然違うんですね。ターミナル駅を除けば、都内は閑散としています。もちろん初売りのデパートなんかは違うんでしょう。帰りの列車内でも初売りの福袋を抱えた家族連れをたくさん見かけました。
そういえば、JR西日本の乗車券を持っている家族もいらしゃったのですが、どこからお越しになったんでしょう。京都や大阪から都内へ福袋目当てに家族で来るかなぁ。さて都内、特に西部に住んだことがある方はお分かりでしょうが、天気が良くて見晴らしが利く日には、ビルの谷間から富士山がひょこっと顔をのぞかせることがあります。
それも小さな富士山ではなくって、「え、こんなに大きかったの?」と驚くような。ご葬儀までに時間があったので、師匠のご縁のあった、そしてしばらく訪れていない場所を歩きました。本当はどこかの喫茶店で仕事をすればよいのでしょうが。
武蔵境から西武多摩川線で新小金井に出て、それから徒歩でICUのキャンパスに入ります。
年末年始の休暇で建物がロックされていたので、昨年亡くなられた指導教授の部屋と師匠の部屋、そしてセンセイが師匠の下で働いていた部屋──師匠は一時期、センセイの直属の上司だった──を外から確かめながら、正門へ抜けます。
ICUの食堂棟は改築のため撤去されていましたし、キャンパスに隣接する富士重工の建物もずいぶん変わって、同社の販売店も開設されていました。勢いに乗って、家人と結婚する前、一人で住んでいたアパートを訪ねてみました。グーグルマップで見る限り、どうも存在しなくなっているようなのです。
記憶を辿ってその場所へ行ってみると、名字の違う医院が建っていました。お世話になった大家さん──おそらく戦争未亡人──はやはり、亡くなられたのでしょう。近くの、昔は存在していなかったファミリーレストランで昼食を取ってから吉祥寺行きのバスに乗り、京王井の頭線に乗り換えて久我山教会に到着。
こちらもお世話になった奥様にお悔やみを申し上げてご葬儀に参加させていただきました。先日の親戚の葬儀は2時間以上かかりましたが、今回はキリスト教式ですし、親族によるお通夜だけでなく、31日には火葬前式も行われていたために参列者の多くはそちらに参加されたようで、ご葬儀そのものは30分強で終了。
予約していた新幹線より早い列車に乗ることができました。自由席に乗ったのですが、こちらはガラガラ。しかも熊谷や高崎でほとんどの方が下車してしまいました。
お仕事や初売りの帰りだったようです。
もちろん東京へ戻る新幹線は、自由席はもちろん、指定席でも立っている人がかなりいらっしゃいます。東北・上越新幹線の西側の席に座ると、再び富士山を見ることができます。
写真は大宮駅の手前、戸田市内から撮影したもの──写真下部は東京外環自動車道──ですが、都内西部からちょっと離れただけなのに、ずいぶんこぢんまりと感じられます。亡くなられた師匠には全然かなわないけど、でもまぁ、やるべきこと、やらなければならないことを着実に進めるしかないんだろうなぁー、と、富士山を何度となく眺めながら、ごくごく当たり前のことを再確認していた今日の西村センセイなのでした。
さて、明日の午後には金沢へ移動します。営業再開です。
■1月2日(金) 父親を次々と失っていくような感じがする ──今年の年賀状のデザイン──
写真は今年の年賀状で使ったもの。
ご記憶のある方もいらっしゃるかもしれませんが、昨年4月中旬に撮影した自宅近くの市営テニスコートと周囲の桜です。
詳細についてはそちらをご参照いただきたいのですが、テニスコートは現在、仮設住宅の敷地として使用されています。
仮設住宅の入居期間は2年間が上限なので、今年夏までには全員退去し、元のテニスコートに戻されるんだろうと思います。写真左手には信越本線と越後線(写真)をまたぐ大きな跨線橋があり、先日お伝えしたように、大規模な復旧工事が行われています。
応急で補修はされているものの、橋にかなり大きな段差ができているので、車が通過する時にとても大きな音を立てます。センセイを含めて運転している方はほとんど何も感じないのですが、橋の近くにいるとその音の大きさに驚かされます。
ましてここの仮設住宅で暮らす方は本当に大変だと思います。カーステレオを鳴らして通り過ぎる、いわば「強い人」には、なかなか見えにくい光景なんでしょうね。
もちろん自戒の念を込めてです。そのため復興への希望と反省とを込めて、ちょっと季節外れでしたが、今年はこの桜を使わせていただきました。さて、実家に郵便物が届いていて、自宅に戻ってから開封すると、何と大学院の時の指導教授が昨年11月に逝去されていたとのこと。知りませんでした(年賀状を出してしまった......)。
ここ数年で、師匠の多くが鬼籍に入ってしまわれました。何だか父親を失うような感じで、どうにもこうにもなりません。明日は師匠のお葬式に行かなければならないのですが、夕方になって、海が荒れて護岸が流されたため、信越本線が朝から不通になっていると報道されました。
帰省ラッシュと重なりますが、長岡からの新幹線は確保したので、何とかして長岡までたどり着かねば。昨日、実家からの帰りにジョーシンで買った4Gのmicro SDのメモリが、センセイのパナソニック製品(携帯電話とデジカメ)では使えなかった──後で調べると説明書に明記されていた──し、どうも今年の始まりは本調子ではありません。
でも、まぁ、ここで焦ってもしょうがないので、着実に参りましょう。
■1月1日(木) えーいこの際、みんなまとめて... ──明けましておめでとうございます──
皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さてセンセイは昨日、つまり大晦日の午後から実家へ移動していました。もちろん次期ご当主様として、年末年始の行事を仕切るためです。
でも白状すると、最大の仕事は酒癖の悪い9代目当主──つまり父親──の面倒を見ること。こちらもつきあってたくさんのお酒を飲んだので、心身ともに疲れ果ててしまいました。(ホントに情けない)ところで今年は、いつもとちょっと違う仕事が待っていました。
県内に住む甥が、この4月から実家近くの工業大学へ進学することになったのですが、大学近くにアパートを借りるのかと思ったら、何と、この祖父母の家に居候するというのです。
しかもセンセイが使っていた10畳の洋室に寝泊まりするとのこと!!もちろん大学進学はおめでたい話だし、実家に寄宿する話もそれ自体は問題ありません。
でも、この話はまったく想定外だったので、洋室に残されたたくさんのセンセイの私物をどうにかしなければなりません。都会と違って田舎の家は大きく、広いので、不要になったものでもなかなか捨てずに、ついついそのままにしてしまいがちなのです。というわけで、昨日と今日、それらを一斉に整理。つまりセンセイの2009年は、大掃除とともに始まったのでした。
別な倉庫にあったものとあわせて、燃えないものを集めたのがこの写真。壊れて使えないオーディオ機器類が中心です。
工業高校の教師だった叔父の形見のテープレコーダーなどもあるのですが、この際、覚悟を決めて捨てることにします。
ソニーの初期CDプレーヤーの傑作“CDP-502ES”もあるのですが、これも捨てます。
あ、このマシンはデジタルアウトができるように改造してある──自分でもよく作ったと思う──のですが、キーとなる“CX-23033”ICのみを記念に抜き出して、やっぱり捨てます。手前にあるレコードもかなり処分することにします。
右の写真はセンセイが最初の大学生だったころに設計、製作した機器。
上から卒論用に製作したアナログ・ディレイ。その下は空箱で、3、4段目はやはりディレイの一種。
一番下はスプリングを使ったアナログ・リバーブ──要するにエコー・マシン──です。
別にカラオケ用ではなく、バンド用のエフェクター(特殊効果機器)なのです。空箱を除き、すべてセンセイが設計、製作しました。
例えば一番上のマシン内部は、こんな感じ。
右端に電源があって、左端に二層のメイン基盤。
ちょっとわかりにくいと思いますが、中央部には5層のサブ基盤が立っています。安物に見えるかもしれませんが、よく見ると、基盤は紙エポキシ、電解コンデンサーは高価なタンタルコンデンサーを多用しています。
よくまぁ、こんなものを作ったなぁー。51歳の現在のセンセイには、まったく考えられないパワーです。
こちらは真空管式のアンプ。
センセイではなく、20年ほど前に亡くなった叔父が若い時に作ったものです。歪みの少ない柔らかい音をしていました。
でも、捨てます。
最後は何故か、エレキギター。
信じてもらえないかもしれませんが、実はこれ、センセイが最初の大学に入る前に作ったのです。
本当です。当時あこがれていたバンドが使っていたギブソンのレスポール・ジュニア(ショートスケールモデル)というのが欲しかったのです。
でもお金がないし、そもそもこの「ショートスケール」は、世界中を探してもほとんど存在しないレアモデルだったのです。そこで、部品を集めて母校である高校の理科室を借りて、1ヶ月位で作りました。
はい。最大の問題はネック──左半分──だったのですが、これは国内楽器メーカーから補修用のものを実費で分けていただきました。「セットネック」と言って、ボディとネックは一体化されています。
ボディの材質はマホガニーの単板。これも普通は手に入らないものです。ボディーのカーブは、つきあいのあった楽器屋で同系統の機種のカーブを鉛筆でなぞらせてもらいました。
ピックガードという傷を保護するプラスチック板やその他の部品がいくつもなくなっています。何故なんだろう。それでも手にすると、ピッタリとくる独特の感覚があるのですが......これも捨てます。
あ、ちなみに、ケースはギブソンのセミアコ“ES-335”用のものなので、ブカブカです。とにかくこの機会に何でもかんでも捨てます。
「あれもやりたい、これもやりたい」という気持ちはあるのですが、やはりセンセイの歳になると、後に続く人たちの邪魔をしてはいけないと思うのです。
叔父もきっとわかってくれるでしょう。でも、「どうしてそこまで?」という気持ちを抱かれる方もいらっしゃるかもしれません。
実は......続きは、また明晩。(たぶん)
いよいよ大晦日。
今年一年、良いことや悲しいことなど、いろいろなことがありました。それでも皆様のお陰で、何とか乗り切ることができたように思われます。(仕事の一部は積み残したままですが。)
これから実家へ移動し新年を迎えることにします。
良い年をお迎えください。
■12月30日(火) 【追伸】年末年始はちょっと、荒れそうです ──同年齢の方の葬儀に参加しました──
昨日は天気が良かったものの、今日の新潟は荒れた天気に戻りました。どうやら年末年始は、この調子で大荒れになりそうです。
電話では「朝8時までに来てくれ」というので、準備を整えて──でも、急いでいたので数珠(じゅず)を忘れた──実家に到着すると、十日町市での式典は3時間も先の午前11時からだそうで、両親はまだ支度を整えていません。
目的地までは1時間もあれば到着できるので、結局、実家でぼんやりと1時間ほど過ごしてから、やっと出発しました。県の中部に位置する十日町市は、「十日町雪まつり」で知られる豪雪地帯。
血縁はないものの、かなり近い親戚が急に亡くなられ、今日、葬儀が行われることになったのです。
一族を代表して9代目の父が参列する必要があるのですが、高齢で雪道の運転に自信がないため、次期ご当主様も運転手として参加させていただくことになりました。十日町市は谷間(たにあい)にあり、柏崎市からだと峠を二つ越えます。
峠付近はかなりの雪だったのですが、目的地に着いてみると、意外にも海岸部の柏崎市と大差ありません。
この地域、本当に雪が降ると、こんなもんじゃないんですよ。さて、亡くなられたのは会社を経営する享年51歳──センセイと同年齢で同学年──のご主人。
脳の血管の病気で、あっという間だったそうです。そもそも人が亡くなることは辛いことですが、特に若い方の急逝(きゅうせい)は痛々しいばかり。
しかも今日は葬儀が重なり(!!)、父母とセンセイ、そしてセンセイの二人の弟が手分けをして、さらに、いずれも働き盛りの若い方の葬儀に参加するという異常事態。
たとえ少雪であっても、やっぱりどこか荒れ模様なのです。
【追伸】
師匠のお一人である讃岐和家元国際基督教大学(ICU)教授(元金城学院大学長、元泉水短期大学長)が29日に逝去されました。虫の知らせは......実は、あったのです。[業務連絡]
関係者の皆様、西村は3日の葬儀に参列したいと思いますので、一部のお仕事をお願いすることになるかもしれません。悪しからずご了承ください
■12月29日(月) 「山雪型」と「里雪型」 ──ちょっと移動しただけで、ずいぶん違います──
今日は平日ですが、世の中は完全に年末休みモード(もちろん今日も働いている方もいらっしゃいます。ご苦労様です)。スーパーへ行っても、お正月用品ばかり。
まぁ、当然なのですが。
自宅近くの、でもちょっと山側のお店に行ってみたら、ご覧のような雪の山に出くわしました。海岸部には何も雪がないのに。
先日降雪があった際に、駐車場の雪を除雪したものなんですね。このように、山が割と迫っている日本海側の海岸部では、ちょっとだけ、例えば1kmくらい移動するだけで、積雪が大きく違うことがあります。
「山雪型」という言葉を昨日ご紹介しました。「里雪型」とともに、日本海側に雪を降らせるメカニズムの一つです。
日本海側の雪は「北風が吹くから雪が降る」というような単純なものではありません。
北風、つまりシベリア高気圧からの空気ははとても冷たいものの、意外に、かなり乾いているので、それだけで大雪を降らせることはできないのです。そのシベリア高気圧が、相対的に暖かい日本海上空を通過する間に海水から水分を補給されて冷たくて湿った状態になり、本州付近まで到達します。
ここでもし、本州付近に低気圧がなく、この冷たく湿った空気が本州の高い山に直接ぶつかる──天気図に気圧の線が東西方向に密に並ぶ──場合、この空気は山岳地方を中心に雪を降らせます。
これが「山雪型」。
海を渡った寒気は山岳にぶつかって上昇するのですが、上昇すると100mあたり0.5℃の割合(飽和している場合)で気温が低下します。
そして温度が低下すると、空気に含まれる水蒸気量(「飽和水蒸気量」)も低下するため、抱えきれなくなった水分が、空気から雪となっていわば「追い出される」のです。
従って、山岳部、あるいはそれに近い地域では大雪となります。でも平野部では強風が吹き荒れて気温は低下するものの、雪はあまり降りません。
これに対して、日本海側の海岸付近に低気圧があって、しかも上空に寒気があると「里雪型」。こちらは要するに低気圧の雨なのですが、冷たいのでそれが雪になります。
しかも上空の寒気は相対的に重たいので大気が非常に不安定──熱いお風呂の水をさまそうと、冷たい水道水を上から静かに入れた状態──になって、上下の空気の入れ替わりが発生します。
またそれに伴う空気の摩擦で「雪起こし」と呼ばれる雷が多発します。この場合は、あまり地形に依存しないので、平野部でも大雪となることがあります。「○○豪雪」というのはたいていこのパターン。
もうおわかりのように、ここ数日の荒れた天気は典型的な「山雪型」です。
このスーパーのように、ほんのわずかな位置の差なのに、ちょっと小高い山の前面にある──空気は流体なので、剛体と違って山にぶつかる前から動きが変化する──だけで、雪の量がまったく違ってくるんですね。ところで西村センセイ、明日、急な用で、両親を連れて大雪で有名な新潟県十日町市へ行くことになりました。FF車と比べて相対的に雪道に弱いFR車での移動、果たしてどうなるのでしょう。
■12月28日(日) コンピュータ・シミュレーションって、本当に信頼できるものなんだろうか...
センセイが新潟に戻ってから、ずっと荒れた元気が続いています。
こういう時、頼りになるのが気象庁の「レーダー・降水ナウキャスト」。((c)気象庁)
新潟では車を使えるので、それほど雨雲を気にする必要はないのですが、金沢では、本当に重宝しています。約1時間先までの雨雲情報をかなり正確に予測してくれるので、自転車で通勤しているセンセイにとっては、とてもありがたいのです。
でも今回、雨雲が本州の山脈にぶつかる様子を見ていて、妙なことに気づきました。この雨雲予測システムは要するに、大気の動きのコンピュータ・シミュレーション。
いつもの雨雲はかなり的確に予測してくれるものの、どうも今回のような西高東低の「山雪型」の気象現象を、うまく解析、予測できていないようなのです。雨雲の情報は「パラパラマンガ」に似た疑似動画情報でも提供されているのでご自分で試してみるのが一番です。
「レーダー・降水ナウキャスト」から北日本の適当な地域を選び、メイン画面の上にある「動画再生」ボタンを押すと、デフォルトで1時間前からの実測データと今後1時間の予測を表示します。注意してみていると実測データでは雨雲、つまり大気がちゃんと動いているのに対して、予測画面に入った途端、雨雲がほぼ同じ場所に滞留してしまうのです。
つまり空気が山岳部で「溜まっている」状態──もちろんあり得ない──になるのです。念のため、昨夕の新潟市付近の実測と予測をMotion Gif画面(144kB:別画面【削除】)にしてみました(技術的な理由で動いていないように見えるフレームがあります。また一部の色調が変化しています)。
ある場所での降雨の有無とその量に関してはあまり問題ないのかもしれませんが、大気の流れをうまくシミュレートできていないことはほぼ確かです。今日の話題、別に気象庁を責めようというのではありません。
実は昨今大きく騒がれている「地球温暖化」仮説も、実はこのようなコンピュータシミュレーションに依存しています。
温暖化の予測にはもっとずっと高性能のコンピュータが使われていますが、それでもパラメータを適切に選択している必要があるのは今回と同じ。ところが実際は......ということを、今回の雨雲が警告しているように思えるのです。