2008年4月19日更新(2008年4月27日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■4月19日(土) 大阪からの特急サンダーバード号は、かつて富山県の私鉄に乗り入れていた!!
自宅へ戻るために、直江津駅で特急「はくたか」から各駅停車に乗り換えようとして、一枚の地図に目が止まりました。
出入口の近くにトイレと公衆電話──携帯電話全盛の現在、あまり使われなくなった──が設置されているのですが、その隣に通話可能区間を示した地図が掲出されているのです。
降りる直前の短い時間に撮影した写真なので、よく写っていませんが悪しからず。この電話は無線電話なので、トンネル区間では通話できません※。
そこでこの地図で、通話できる区間を赤色で、不能区間を白で示しているいるのです。
JR西日本の特急電車で、時々見かけます。この地図、よく見ると、面白いことがわかります。
鉄道ファンは良くご存じだと思いますが、流線型の優美な特急「はくたか」および同系(681/683系)の「サンダーバード」「しらさぎ」は、全車両が金沢を基地として運用されています。
地図のほぼ真ん中ですね。特急「はくたか」は、上越新幹線との接続駅である越後湯沢まで北越急行と共同で運行されています。
でも実際は、直江津より東の区間は、JR東日本の運転手と車掌はJR東日本区間(信越本線および上越線)と北越急行区間(犀潟−六日町)を運転しているだけで、北越急行の社員は乗務すらしていません。
車両の整備その他は一括して金沢総合車両所で行われているのです。さて、地図をよぉーく見てみると、通話(不)可能区間は、直江津駅から信越本線を南下し、何と長野まで続いています。たぶん実際にはこのように運用されたことはないと思うのですが。
その西側(左側)を見ると、富山駅から路線が南下して、宇奈月(うなづき)温泉駅まで続いています。もちろんここにJR線は存在していません。
どういうことかというと、ここには私鉄の富山地方鉄道が走っており、関西方面からJRの特急「サンダーバード」号その他の一部が、実際に乗り入れていたんですね。(現在では廃止)地図の南西(左下)を見てみると、関西空港や南紀まで乗り入れていますし、地図から外れています──ゴメンナサイ──が、北(右上)は何と、新潟まで続いています。
大雪の時などの非常時でも「はくたか」は長岡止まり。681/683系が営業運転で新潟に入ったことはないはずなのですが......。(ただし北越急行所有の683系および681系一部は新潟トランシス〔旧新潟鐵工所〕製で、新潟市の北隣の聖籠町で製作されたので、新潟市近辺の白新線や信越本線を走っています。)
たぶんこの681系を企画した1990年代半ばは、この地図にある地区を「こうありたい」という守備範囲として考えてたんだと思います。
結果的には大阪−北陸の「サンダーバード」、名古屋−北陸の「しらさぎ」、そして北陸−越後湯沢の「はくたか」と収斂することになりますが、結果的にはとても合理的だったんじゃないかと思います。
※ただしこれは乗客の通話の場合。新しい施設(「漏洩同軸ケーブル」)を備えていれば、トンネル内でも運転手等が運転指令と電話連絡を取ることができます。
■4月18日(金) Mac互換機は初恋の味 ──“OpenMac”はあえなく消滅か?!
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今日が何曜日だかわからなくなるほど忙しかった一週間も、やっと一息。......実際には、溜まっている仕事はどんどん増えている(!!)のですが。
さてこの1週間、Macユーザーの間で話題となっていたニュースがあります。
新しいMacの登場であり、しかし同時にApple社のMacではないという、ちょっとややこしいコンピュータのお話です。
この1週間、横目でチラチラ見ながら仕事をしていたのですが今日、事の経緯経過を少しばかり調べてみました。このコンピュータの存在を最初に伝えたのは今週14日のMacRumors.comの報道で、それによると米Psystar社がMac OS X(10.5)をインストールできる“OpenMac”(399ドル〜)を販売を開始したというものです。
つまりApple社以外の会社がMac互換(可能)機を販売したというのですが、現時点でこれは、Mac OSの許諾への明白な違反となります。
西村センセイ、今日は4月1日じゃないよなぁーとか思いながら経過を見ていました。この間、さすがに“OpenMac”という名称は“Open Computer”に変わっていました。
またその後、日本でもCNET Japanが16日付第一報および17日の7枚の写真入り記事(写真)で伝えています。((c)CNET Networks, Inc. )でもどう考えたってAppleが販売を許すはずがなく......Psystar社のサイトにアクセスしても、“Sorry”の画面。(その後「サーバーに接続できません」との表示が......あ"、また繋がった。)
古いMacユーザーにとってMac互換機には甘酸っぱい初恋のような思い出があります。
10年ちょっと前のごく短い期間、日本のパイオニア社を含めた数社から純正のMac互換機が販売されたものの、スティーブ・ジョブスのApple復帰に伴い一瞬で潰されてしまったという、あの事件です。(この間の事情は、前社長のギル・アメリオ、『アップル薄氷の500日』、ソフトバンククリエイティブ、1988に詳しい)
“OpenMac”が現実になればそれ以来というわけですが、
サイトが消滅したところをみると、やっぱり幻だったんだろうなぁー。
■4月17日(木) 「お昼休み」がなくなって、学食の混雑が少し緩和されたのはいいのだけれど......
改革を続けることで世間に広く知られるようになった金沢工業大学。もちろんこの4月からも、大小いくつかのことが変わりました。
その中で、一番小さい部類に属すると思われる改革が、「時間割」の変更。
といっても、センセイの担当科目が○曜から△曜に変わったというようなことではなく、1校時(通称「1限」)が何時何分から始まり......という「校時」そのものが変更されたのです。もちろんここに至るまでにはいろんな理由、種々の経過があったのですが、そちらは省略。(ゴメンナサイ)
で、学生と教職員にとって最も大きな変化は、何といっても昼休みがなくなったこと。
誤解されると困るのですが、お昼ご飯を食べる時間がなくなったのではありません。
全学共通のお昼休みの時間帯が解体されて、お昼の時間帯に、誰かは授業を受け、どなたかは昼食を取り、センセイはお昼を済ませて午後の講義の準備......という具合に昼食時間が分散されたのです。変更理由の一つは、学食の混雑です。
先日も少しお伝えしたように、大学および大学院の学生8,000人弱と教職員、加えて高専の生徒が「せぇーの」で学食に殺到すると滅茶苦茶なことになります。
実際、新しい校時では、全員共通の昼食時間はなくなるので、写真(本日正午頃撮影)のように、混雑はかなり分散されています。センセイらお年寄りは「○限は○時から○時」という体内時計を無理矢理矯正しなければならないので大変ですが、若い人はそれほどでもないようです。
でも「とにかく、みんなご苦労さん」というような昼休みがなくなって、お昼に、どこかで誰かが勉強して/働いているのを見ると、言い換えれば誰かが積極的に動いているのを見ると西村センセイ、何だか「申し訳ない」、と思ってしまうのです。
■4月16日(水) セキュリティシステムの感度が、場所によってずいぶん違うのです
今日は朝イチから、しかも連続での講義。
まだ学期の始まりで、講義の最初の一週間が一巡していませんから特に注意しなければというわけで、今朝は早くに出勤したのですが......建物のドアが開かない。
金沢工大はセキュリティシステムがしっかりしていて、所定の時刻にならないと建物に自由に出入りすることができないのです。じゃあ朝早い職員や、昼夜が逆転している教員はどうするかというと、写真のIDカードを使って入館します。
身分証明書に、SUICA(JR東日本。西日本ならICOCA)のようなICチップが内蔵されていて、自動ドア脇のセンサーにカードを近づけて本人であることを確認できると、初めてドアが開くのです。
ところが、この非接触型ICカードとセンサーの相性が、場所によってずいぶん違うんですね。
エレベーター脇のセンサーは、カードをぴったりとくっつけて、しかもしばらくそのまま保持しないとICチップを認識しません。
荷物を持っていたりすると、かなり不便です。センセイが使う場所の中で一番太っ腹──わざとかなぁー──なのは、意外にもセキュリティを管理する守衛室(「中央防災室」)の、その脇にあるセンサー。
かざすスピードが大きかろうが、鞄の中にカードがあろうが、たいてい入館を許してもらえます。もっとも、ここから入館すると必ず、(生身の)守衛さんに挨拶しなければなりませんけど。
とにもかくにも入館して講義の準備を始め、講義そのものは順調に進みました。
続く2時間はアシスタントに仕事をお願いし、2時間連続で大学院の講義があって、(会議の開始時刻を間違えたので、研究室で1時間片づけものをしてから、)最後は2時間の会議。
しかもその間に、3名の学生と面談。気がつくと建物の周りはすっかり真っ暗です。
金沢工大の勢いの秘密はこんなところにあったりするのだろうけど、50過ぎのおじ(い)さまが、こんな調子で大丈夫かなぁー......。
■4月15日(火) どうにもこうにも、うまくいかない...。
いえいえ、誰かに怒っているわけではありませんので、ご安心ください。
以前お伝えしたことがありますが、センセイは国から通称「科研費」(科学研究費補助金)というお金をもらって、このサイトに関する研究を進めています。
頂戴した研究費はパソコンなどのハードや、アクセス解析など、一種のソフトウェアに充てられています。前者の一つに、エプソン製カラープリンタがあるのですが、どうもこのマシンの調子が悪い......。
割と小ぶりながらA3まで使え、しかも両面印刷ができるというスグレモノなのですが、最初は絶好調だったものの、最初の夏を過ぎると、何故か紙詰まりを起こしてしまうようになりました。症状はどんどん悪化して、本来の内蔵トレーから給紙するとほぼ完全に紙詰まりするようになりました。
現在は写真のように毎回手差しで給紙しているのですが、それでも3回に2回くらい(!!)の高率で紙詰まりを起こしてしまいます。これまでの不具合から対応策を学び、紙を一枚ずつ手でそっと押してあげても、打率(?)はわずか3割という状態。
放っておいたら手差しでもまともに給紙しません。おまけに、どうやら失敗した印刷のトナーはドラムからはがして「廃トナーボックス」というところに押し込むようで、たいして印刷していないのに「廃トナーボックスを交換してください」という表示が出て動かなくなります。
そんな予算は用意していないのに......トホホ。最初は機械の故障だとか、日本海側の湿気──紙が水分を吸収する──だとか静電気だとか考えたのですが、いろいろ試したり、調べてみると、どうもそうではないようなのです。
学内で使用する紙は100%の再生紙──偽装されていなかったとして──なのですが、どうもこの再生紙が苦手なようなのです。再生紙は文字通り、使用済の紙を再生したもの。
あまり知られていませんが種々の処理過程で大量の薬品とエネルギーを使用するので、実はあまりエコではありません。そして残念ながら、出来上がった再生紙はどうしても問題を起こしがちなのです。
良かれと思って紙を分別し、再生させているのに。仕方がないので今日、昼食で外へ出たついでに文房具店に寄ってちょっと厚手の普通紙を買ってきました。仕事に使うものを私費で購入するのですから一種の公私混同なのですが、この際しかたない。
さっそく紙をセッティングして出力してみたのですが......再生紙の時より頻度は下がったものの、それでもある程度紙詰まりを起こします。
う〜ん、これってやっぱり、不具合ってことかぁ。何だか今日は救いようがありませんが、まぁ、こういう日もありますよ。
■4月14日(月) 金沢工大にはその昔、幼稚園が存在した!! ──しだれ桜の下の記念碑──
お伝えしたように、センセイが担当する講義は先週金曜から始まったのですが、金沢工大では基本的には週に何回か講義があるので、今日までに大学院を除くすべての講義が始まりました。
最初の講義はその後を決定づけるのでとても緊張します。
でも今日は比較的人数が少ないこともあり、そして何よりも受講生が積極的に参加してくれたおかげで、とても順調に講義を始めることができました。片づけを終え、やれやれと思って昼食に出かけると、いつもの学食は1年生で大混雑。
学内には食堂が3カ所あるのですが、1年生はまだ勝手が良くわからないので、特定の食堂に集中してしまうのです。
かといって、売店のお弁当は食べ盛りの男の子向けでセンセイらには多すぎる。というわけで今日は、めったに行かない離れた場所にある学食へ。
キャンパスのソメイヨシノはもうかなり散ってしまったのですが、食堂のある建物前のしだれ桜はご覧のように満開です。
ピンク色も濃くて、通る人がみんな振り返っています。ふと気づくと、桜の木の右下に記念碑があることに気づきました。小さな男の子と女の子の銅像です。
台座には「扇が丘幼稚園のうた」と銘打たれた歌詞が刻まれています。「扇が丘」は本学園、すなわち金沢工大学園がある場所。
調べてみると学園の初期には幼稚園を擁していたのだそうな。現在は県内の他学校法人に移籍されたそうですが。
詳しい資料を持ちあわせないのですが、学園創立当時の指導者達は自らの理想を実現させるために、初等教育(幼稚園)から高等教育までの一貫教育を思い描いていたんでしょうねぇー。
ところで、この銅像の児童※達。
身なりは小さいのですが、顔立ちは最近の金沢工大生よりずっと大人っぽい?!ホントかどうかは、ぜひご自分の目で確かめてください。
※学校教育法によれば、幼稚園児および小学生は「児童」。ちなみに大学生は「学生」であって「生徒」ではありません。
新潟・北陸地方はこのところ、天気が急ぎ足で変化しています。一昨日から昨日は雨だったのですが、今日の日中までは何とか天気が持ちました。
所用でお昼に外出したついでに、自宅近くの気になっている場所へ行ってみました。ご覧のように見事な桜です。
実はこの場所、本来はテニスコートなのです。その証拠に緑色のフェンスが見えます。
「本来は...」というのは、フェンスの奥、テニスコートであるべき場所に、何故か自動車が置かれ、建物もあるのです。(お分かりになりますでしょうか。)
お察しの通り、ここにも新潟県中越沖地震被災者のために仮設住宅が建設されているのです。もちろん仮設撤去後はテニスコートに戻されるのでしょうが。
柏崎市内のあちこちにはこのように仮設住宅が建設されています。1km強しかない自宅―柏崎駅間にも3カ所、ざっと100戸ほどが建設されています。
この週末、車を走らせながら、桜の色に誘われてあちこちを見ていると、国道沿いの建物の陰、「こんな所にも」という場所に仮設住宅が開設されているのを見つけました。今日は早めに電車で金沢へ移動したのですが、新潟県内〜富山県東部はこの週末が桜の見頃。
車窓から、柏崎市内と同じように、桜とその向こうの風景を改めて確かめていると、見落としていたものがずいぶんたくさんあることを思い知らされます。
毎週の往復で、もう見飽きていたはずの風景なのに。ちょっと謙虚にならないといけないなぁ、と反省した今日の西村センセイなのでした。