2010年9月18日更新(2010年9月26日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)
■9月18日(土) 金沢駅の外れに、キハ52型気動車が留置されているのですが...
先月末から気づいていたのですが、金沢駅の外れに、写真の古ぼけたディーゼルカーが止められたまま。
この3月12日まで、「キハ52」型最後の定期列車として大糸線で走っていた3両の中の1両です。
翌13日のダイヤ改正後はひとまず富山の運転センターに置かれていたのですが、イベントで姿を見せた後、岡山県の津山運転区に転属したそうです。
もちろん津山も風光明媚な場所ですが、やはり旧型車両には大糸線が似合うらしく、春以降も数回大糸線に戻ってきました(こちらやこちら)。
夏最後のイベントを終えて津山へ行くのかと思っていると......なかなか移動しません。実はこの場所、正確にはJR西日本ではなく、JR貨物の敷地。
津山へ移動する時には客車として自走するのではなく、機関車が引く「貨物」扱いで「配給輸送」されるので、JR貨物の構内に置かれているんだと思います。
いつまでその見ることができるかは分かりません。金沢駅から富山方面へ電車に乗るチャンスがあったら、左側(=西側)に注意してみてください。
■9月17日(金) 大型クレーンが居並ぶ場所 ──富山市付近で新幹線工事が本格化しています──
今日は所用があったので、早めに仕事を済ませて午後に帰宅。
金沢から特急列車に乗ったのですが、富山県や新潟県内では、通るたびに風景がどんどん変わっていく場所があります。それは北陸新幹線の工事現場。
当たり前ですが、在来の北陸本線と新幹線は多くの区間、特に主要駅付近では平行して走ります。工事に時間がかかるトンネル区間を別にすると、高架区間は概ね新潟、金沢側から着手するような格好。
現在は富山市付近の工事がピークになっています。写真は今日、射水(いみず)市内を走行中に車内から撮影したもの(右上に、反対側の窓が写っています)。
冷たい雨の中、大きなクレーンで何かの作業をしているところですが、向こうにはオレンジ色のアームを伸ばした別なクレーン。
さらによく見ると──わかりますでしょうか──その奥に別なクレーンも。ある場所ではこのように、大型の重機が何台も列になって高架橋を組み立てています。
現場の特性に合わせて、いろんなが用いられていることがわかります。意外にも、トンネルや高架に比べると駅舎の建設は相対的に短期間で済むらしく、富山駅は工事に着手したばかり。
現在は、在来線がすべて仮設線に移動した状態ですし、新黒部駅(仮)や糸魚川駅に至っては、まだ駅舎の工事に着手していません。それでも4年後の2014年末にはこれらの工事がすべて完了し、北陸新幹線が開通するはず。
現場を目の当たりにすると、何年後かの政治・経済的な、そして文化面での大きな変化を実感します。影響は抽象的なものだけではありません。物理的な問題もあります。
左側に民家が見えますが、ここは住宅地を新幹線が横切ることになるのです。在来線と違って新幹線は重いので、いくら改良されたとはいえ、沿線は激しい騒音や振動に曝されます。
こればかりは、経験しないとわからないのではないかと思います。そもそも、肝心な経済面でも、いわゆる「ストロー効果」や地域的な影響の片寄りなどが懸念されます。
もちろん、いろんな面でプラスがあることは承知していますが、いよいよ開業が迫っているのですから、その影の部分についても冷静に考える必要があると思うのですが。
■9月16日(木) 乗り換え駅。その駅前食堂でセンセイが出くわしたのは!?
新厚生棟の続きをお伝えすべき──今日、ひとまず各階を歩いてみました──のでしょうが、食堂繋がりということで今日は、週末にセンセイが出くわした駅前食堂のお話。
センセイは新幹線よりも在来線の方が好きなので、今回も帰途は途中で新幹線を降りてしまいました。経路にもよりますがこの場合たいてい、柏崎市の自宅に戻るために長岡駅の隣、信越本線宮内駅で乗り換えることになります。
センセイが宮内駅に降り立ったのは、ちょうどお昼。乗り換え時間は30分弱。微妙な長さです。柏崎に戻ってから昼食を取ってもいいのですが、寂(さび)れたとはいえ、ここは上越本線との接続駅。鉄道の要衝です。
「駅前にはきっと1軒は食堂があるはず」と思って、外へ出ることにしました。駅前は本来ロータリーになっているのですが、駅の利用客が少ないらしく、そのほぼ全面が駐車場として使用されています。
その「ロータリー」を囲む歩道を歩いていると期待通り、かすかに「食堂」の文字(写真右)が読み取れました......あれ?
外に数人が立っていて、何をしているんだろうとよく見ると、歩道上(!!)、つまりお店の外に券売機が。
改めて店内を見渡すと細長いお店にお客さんがかなり入っています。お店をよく見ると「青島」長岡ラーメンを代表する「青島食堂」に違いありません。
センセイの自宅からは35Kmくらい離れているし、来にくい場所にあるので、今まで訪問するチャンスがなく、名前しか聞いたことがなかったのです。
食券機の前に並んでいる人数と、空いている座席を考えると、幸いにも空きがありそう。暑かったので本当は駅前食堂で冷たい蕎麦か何かを、と思っていたのですが、そんなこと、もうすっかりどこへやら。券売機で「ラーメン」を購入します。
店内に入った瞬間、緊張感を感じます。お客さんの期待感がひしひしと伝わってきます。作っている方は必ずしもそうではなくて、中年の女性が、茹でる方を担当している若手を叱りながら指図(さしず)しています。まったく初めてのお店なので、どうなるのかなぁーとやや心配しながら店内を観察.。
まず、清潔とはちょっと距離があります。お店の名誉のためにも、決して汚くはないのですが、何もかもがちょっと油っぽい感じ。これから提供されるであろうラーメンに、一抹の不安を覚えずにはいられません。それでいて──こちらもお店の名誉のために明言しますが──お客さんがこのお店を愛していることも伝わってきます。評判が高いお店ですが、明らかにそれだけで集まっているのではありません。
10分くらい待って、そのラーメンが到着。お客さんの出入りを考えても、時間についてはちょっと改善の余地があるかな、という感じ。見た目はスープが濃いので、第一印象は東日本の蕎麦や饂飩と共通するイメージがあります。
海苔とほうれん草が載っていますが、トッピングについては券売機でかなり選ぶことができます(ということを、後から入ってきたお客さんの行動から学習しました)。
スープの色が濃いので、麺は見えません。どうなるんだろう、と、やや心配しながらスープを一口。最初に気づいたのが生姜。かなり意識して入れています。
次に感じたのはベースの醤油味。やはり。この感覚、西日本の人にはちょっと辛いかもしれない。
肝心の麺はというと、細麺のストレートで、最近流行りの荒っぽい感じはなく、肌理細かい感触です。
人によっては「茹ですぎ」と感じるかもしれませんが、その一歩手前で、意識して止めています。スープの表面には油が浮いていますが、印象よりも淡泊です。ただし丼──事前にお湯で暖めている──その他は油っぽく、持とうとすると油で滑ってしまいますが。
今回はまったく予想外の出逢いだったので、センセイとしても心の準備ができていなかったという面は否めないのですが、有名かどうか、流行っているかどうかは別にして、ひとつの拘り、あるいは敷衍(ふえん)して哲学を感じる部分があります。
アニメっぽく──センセイは全然読まないけど──書くと「オレは、これしかできない。それをどう考えるか(/受け止めるか)は、お前しだいだ」という具合でしょうか。帰宅してから調べるとこの青島食堂、宮内駅前だけではなく、今では県内数カ所、そして秋葉原にまで出店しているんですね。知らなかった。
ちなみに宮内駅前、(本来は)ロータリーのかなりの部分は、この青島食堂の駐車場として使われているようです。西村センセイ、車の点検修理などで長岡そのものへは行く機会も多いので、もしかすると続編があるかもしれません。
■9月15日(水) 完成した新厚生棟に、初めて入ってみました!!
今日はまったく、見たままのお話。
約1週間ぶりに大学へ戻った西村センセイが最初に向かったのはもちろん、先週末に供用を開始した新厚生棟。
1階、センセイの研究室から見える側は、ご覧のように広い食堂。実は座席数そのものは、従来とあまり違わないらしいのですが、通路の幅がぐっと広がって動きやすい。
しかも採光窓のある天井がずいぶん高いので、広々とした印象を受けます。最初に気づいたのは、お客さんが戸惑っていること。
今日はたまたま隣の建物で学会が開かれていたようで学外の利用者も多かったのですが、明らかに本学学生ですら、迷っています。
「どこへ行けば...」とか「どうすればいいのぉ...」という声を何度か耳にしました。従来の学食との一番大きな違いは、従来の食券式から、原則としてカフェテリア方式になったこと。
最近の学生食堂でも見るように、最後に会計(写真省略)を済ませる方式です。次に気づいたのは、什器備品はもちろんですが、食器類も新しくなっているようです。(全部確かめたわけではありません。)
肝心の味はというと、初めて食べる側の問題もあるのでしょうが、ちょっと不安定な感じ。
そりゃそうでしょうね。オープンしたばかりですから。この点についてはまた後日。
食堂の奥はご覧のように、パンなどの売店。今まではなかった冷蔵庫も用意されています。
ここで初めて気づいたのですが、職員の方は真新しい制服に身を包んでいらっしゃいます。
ずいぶん印象が違います。食堂の真ん中にエスカレーターがあって、ここからは学食を俯瞰するような格好になります。
2階の左手には文房具のお店。その右手には書籍コーナー。やはり通路が広く取られているので、スッキリした印象を受けます。
奥にはあまり広くはないものの、イタメシコーナーがあります。そもそもこの新厚生棟、テーマはイタリアらしいのです(確かめてないけど)。
振り返ると総じて、進学などで初めてのアパートに入居した時のような、そんな感じがします。まだ落ち着いていません。
センセイはもちろん、学生も、職員も、そして建物そのものも。でも授業が始まって学生が本格的に利用するようになると、徐々に──物理的には忙しいけど──馴染んで、利用しやすい施設に成長していくんでしょうね。
ところで、その後同僚に指摘されたのですが、センセイは2階以上へは行っていません。
今日はとても忙しくて余裕がなく、そんな発想すら思い浮かばなかったのです。というわけで、続きはまた今度。(たぶん)
■9月14日(火) もしかして、センセイは晴れ男!? ──東北大学での研究会に参加しました──
西村センセイ、長かったツアーの全日程を終えて、予定通りに自宅へ戻りました。実はこれがけっこう大変で、北陸および東北地方はここ数日ものすごい大雨。
たぶん、センセイよりも皆さんの方が良くご存じなのでしょうけど。最後の目的地は東北大学川内キャンパス。3週間前に訪問したばかりのキャンパスです。あの時は燃えるような暑さだったのですが、今回はご覧のような雨の中。
半袖シャツの上に背広を持参したのですが、重ね着すべきかどうか迷うような、微妙な気温と湿度。研究会そのものはとても興味深いものでした。
実は発表者および参加者のお一人は、前日までの学会に一緒に参加していた方々。
関西にお住まいなので、ひとまず学会会場の東京から自宅へ戻り、今朝出直していらしたそうな。もちろん新潟に自宅があるセンセイにはできません。仙台を起点に「時間距離」で考えると、新潟(柏崎市)は関西よりも遠いんですね。
それはともかく、今回は結果的に、大雨の間隙を縫うかのような行動となりました。今朝、自宅へ戻ろうとして乗り込んだディーゼルカーは、雨で車輪がスリップ──初めて経験しました──して、約40分遅れで乗換駅に到着。
その先もダイヤが乱れていたのですが、幸いにもセンセイ個人への影響はその程度。でも帰宅してみると、自宅は被災を免れたものの、その近辺や実家周辺では雨で大きな被害が出ていました。
センセイは何か大きな自然災害を経験しています──次の世代に伝える義務があると思っています──が、自然の力を決して侮ってはいけないと、冗談抜きで実感しています。
■9月12日(日) 「申し訳ありませんでした」 ――西村センセイ、学会の総会でゴメンなさいをする――
学会を終えたセンセイは現在、東北地方に滞在しています。
ものすごい雨ですし、「寒い」――この感覚、覚えていらっしゃるでしょうか――です。傘を持ってこなかったので、駅のコンビニで生まれて初めて透明のビニール傘を購入しました(実話)。
それでもかなり濡れてしまいました。センセイは二日間の学会(+前日の重要な会議)をとにかく乗り切りました。直接・間接に関係する方々のおかげだと実感しています。
組織としての学会(およびセンセイが務める事務局)にとって最も重要なのが、学会開会の機会を利用して開かれる「総会」。学会の最高意思決定機関であり、前年度の決算や新年度の予算、それに裏付けられた事業その他を審議します。
前日の会議はそのためのもの、と言ってもいいくらいなのですが、夜遅くまで議論したのでセンセイは疲労困憊。おまけに個人としての発表や共同での企画――立場を考えるとやらざるをえない――もあって、記憶はやや吹っ飛び気味。その日は風呂にも入らずとにかく寝て、翌朝総会の資料を作成しつつ、自分の発表のスライドを作成しつつ、事務局のブースを構築し......。
さすがこれでは、どこかで無理が来ますよね。総会が佳境に入り、事務方としてはこの案件さえ、と思ったまさにその時、某理事から至急の連絡。
ひとまず審議を一時中断します。センセイが作成した資料の一部に、見逃せない問題が見つかったのです。
基本的には、要するに「間違い」なのでセンセイ、壇上で会員の皆様に「申し訳ありませんでした」。
実害はなかったものの、ミスを発見できなかったら、大変なことになっていました。かなり疲れていたんですね。午後、再びゴメンなさいをしながら自分の発表を乗り切り、夜は懇親会でいろんな人に謝り......。
翌日、つまり今日は、たくさんの人に頭を下げて企画を乗り切り、お弁当でとにかくおなかを膨らませて午後の発表の司会......。もう、勘弁してよぉ。頭を下げるのが仕事であるかのように、反省すべき点ばかりだったのですが、それでも実は、得るものや教えていただくことの方が多かったように思います。
別に損得勘定をしているわけではないのですが。ところで、総会でゴメンなさいをした時のこと。
頭を下げた――従って学会会員の姿は見えない――瞬間、「しょうがないな。単純なミスだし、ま、いっかー」という言葉にならないメッセージが、ビビビと身体に伝わってきました。
そしてこれは初めての経験なのですが、センセイへの赦しの気持ちとともに、「じゃ、オレ/ワタシもちょっと参加してみようかな」という「吹き出し」のようなものすら見えてきます。(参加の度合いには当然、大きな差があります。)次の世代への種を蒔く、という意味では、これで最低限の役目を果たすことができたのかな、と思うようにしています。
ここは前向きに考えましょう。