2010年11月6日更新(2010年11月14日ページ移動。2014年9月23日一部写真削除)
■11月6日(土) やや手抜きの方法ながら、CDプレーヤーをひとまずメンテナンスしました
予定通り、古いCDプレーヤーのトレーを駆動するゴムベルトを、今週購入した新しいものと交換することにしました。
まずはとにかく、本体を解体。10本くらいのネジで強固に締め付けてある底面を外して、底面側から撮影したのが右の写真。
写真の下側がCDプレーヤーの前面になります。右半分がメカ部分で、上のの茶色く銅メッキされた部分は電源部。電源トランスが乗っています。
トランスからの磁気による悪影響を減らすための銅メッキ。これでもか、というほど、コストをかけています。短期的な経済効率が重視される現在では、とても考えられません。
問題の、トレーを出し入れするのメカは黄色い枠内に配置されています。(ゴムベルト交換作業のためにベルトを保護する鉄製のカバーをすでに外していますし、電源トランス部分も一時的に分解しています。)
2枚目の写真は、上の黄色い枠内を、左下から右上方向にかけて見たもの。
写真右上に緑色の長方形のものがありますが、これは小さな基盤(回路)の裏側。
この背後にトレーを駆動するモーターがあります。このモーターの回転を、写真中央の茶色のプーリー──「滑車」のこと──および左下のプーリーを介して減速し、トレーを直接駆動するワイヤーを動かす仕組みです。
モーターおよび各プーリーを結んでいるゴムベルトは、いずれもかなりヘタっています。
経年変化で弾力性を失い、プーリーが空回りしたためにトレーが上手く動かなくなっていたものと推測されます。2本のベルトは、長さも太さも全然異なります。困ったことに、交換用に購入したゴムベルトとも違います。
どちらを置換すればいいのだろう。太さは右上のものに近かったので、きっとこちらだろうと思ってモーター部分を分解して古いベルトを外したのですが、何と、長さがまったく違います。
残念、太さが違う左下のベルトが正解のようです。モーター部分を組み立てていったん外したベルトを再装着し、改めてもう一つのゴムベルトを外したところが3枚目の写真。
1枚目の写真の黄色い部分を右下から左上にかけて見ている格好になります。ご覧のように電源トランスを持ち上げないと作業できません。購入した新しいベルトは古いものよりずいぶん細く、また少し小さいのですが、ピンセットと指を使って二つのプーリーにかけるときちんと嵌ります。
やはりこちらだったんですね。古いものは少し伸びて、ゆるんでしまっているようです。保護用のカバーを再装着し、電源トランスをきちんと固定して、正常に動作するかをチェック。問題ありません。
重い底板を再びネジで締め上げて、今回のメンテナンスは無事に終了。DAコンバーターと接続して電源を投入後、再度トレーの出し入れを確認した後にゴールドベルクをかけます。
四半世紀(!!)以上も前の製品とは思えないきびきびした動きです。当時のCDプレーヤーは、現在の最高級BDレコーダーくらいの位置づけだと思います。センセイは今年中にそのBDレコーダーを買う必要があります。
でも正直なところ、1990年代以降の製品は、国産品のフラグシップモデルだって10年持てば御の字なのではないでしょうか。別に旗艦モデルでなくていいんです。
しっかりとした製品を長く使いたいユーザーだって存在するし、むしろ本当は、そういう需要の方が多いのではないかと思うのですけど。
■11月5日(金) あまり天気が良くないのに、船とヘリコプターが見えると思ったら...
今日は外せない所用があったので午後、仕事に区切りをつけて新潟の自宅へ戻りました。今回は車での移動。新潟県に入り、糸魚川市内を走っていると、あれ?!
遠くの日本海海上に、微かに白いものが見えるのです。よく見ると、二つ。一つは洋上の白い漁船か何かなのですが、もう一つは空中に浮かぶ動きの遅い、葉巻状の白い物体。
何だろう。パラグライダーのようにも見えますが、今日はかなり風が強いし、そもそも海岸からかなり離れた海の上ですから、あり得ない。(写真は車を止めて撮影しています)
経路の関係で二つの物体との距離はどんどん縮まり、ご覧のようにそれが海上保安庁の巡視艇(左)とヘリコプター(右)であることがわかりました。
運転しながらチラチラ海を見ていると、巡視艇もヘリも頻繁に位置を変えています。最初は水難救助訓練かなぁーと思ったのですが、今日の荒れた天気や、新潟市松浜の航空基地から150km以上という距離を考えると、それは考えにくい。
気になったので、帰宅してから地元『新潟日報』紙の夕刊で知ったですが、今朝、糸魚川市の姫川港から佐渡に向けて出航した貨物船の乗組員が行方不明とのこと。
現時点ではまだWeb上では報道されていないようです。洋上に転落したのではないか、ということで捜索中だったんですね。
このところいろいろ話題──というより非難、でしょうか──の対象になる海上保安庁。
現場の隊員は、こんな悪条件の中で働いていらっしゃるんですね。肉眼では気づかなかったのですが、この強風下、ヘリは左横のドアを開けて行方不明者を捜索しています。
もしかすると、我が身を乗り出して遭難者を捜していらっしゃるのかもしれません。もちろん、海に転落してしまったかもしれない船員だって、ふだんは大変な仕事をコツコツとしっかりこなしていらっしゃったんだろうと思います。
幸いにも海水温はまだある程度高いので、早く無事に発見、救助されるといいのですが。
■11月4日(木) “UP, UP, UP!!” ──病み上がりの講義は、やっぱり大変──
今日は見たままのお話を短く。写真は先日開かれた大学祭(「工大祭」)の時に撮影したもの。
先生方も出展するので、講義棟内でその準備をしていたのですが、建物の外側ではどこかのサークル(?)が慣れない手つきでテントを組み立てていました。
学友会本部から赤いジャンパーの女性がやって来て指導していたのですが......え"?!
手前の男性、頭部に模様のようなものが......。最初は何だか良くわからなかったのですが、やがてそれが文字であること、頭部、左側頭部→後頭部→右側頭部と、“UP UP UP”と書かれて──正確には「剃られて」ですね──いることがわかりました。
今回の工大祭のテーマ“UP, UP, UP!!”を文字通り「体現」しているんですね。よく見ると上着の背中にもテーマが。きっと学友会の学生なんでしょう。
さて今日は午後に講義があったのですが、やはり病み上がり。頭と身体の動きがΛoネラバラ。
それでも何とか講義を乗り切ることができました。受講生の皆さんのおかげです。
■11月3日(水:祝日) “4-908-591-01” ──CDプレーヤー用修理部品は、一部入手不可──
病み上がりの西村センセイ、今朝はゆっくり休んで、10時前にアパートを車で出発。ただし向かったのは大学とは逆の方向。大型電気店「100満ボルト」です。
以前、ずっと前に購入したCDプレーヤー“CDP-502ES”の不具合を直すことに成功し、音質がとても良くなったことをご紹介しました。もちろんその後も元気に稼働しています。
ただしこのマシン、何しろ26年も前に製造されたもの。15年くらい前からディスクのトレーが上手く出てこなくなりました。なぜか最近は絶好調なのですが、いつこの持病が再発してもおかしくはありません。
このシリーズは同じ症状が多発していて、その原因もよく知られています。トレーを駆動するためのゴムベルト2本が劣化してしまうのです。詳細については、学部生の時からの知り合いで、現在は大学院2年、そして無事に就職が内定したS氏──いつもお世話になっています──のサイトに同じシリーズのモデルを修理した記録が載っていますので、ぜひご覧ください。
彼は本当にたくさんのマシンを修理しています。たいしたものだ。先日、たまたま学食でS氏と同席したのでこの話をすると、修理用の部品はまだ入手可能とのこと。
100満ボルトなどでごく普通に注文できると教えてもらいました。これはもう、行くしかない。さっそく“4-908-591-01”および“3-671-077-00”という部品を注文したのですが、すぐに連絡があって、前者は製造を完了しており、代替品を含めてもう在庫はないとのこと。
存在しないものはどうしようもありません。数日後に残りの部品が入荷したというので今日、受け取りに行ったわけです。代金は315円。
安いですねぇー。仮に、在庫がなかった分が手に入れば、日本中で動かなくなっているこのシリーズの、たぶん数千台を回復させることができるんでしょうけどねぇ。
適応機種を読むと、センセイのシリーズに加えて、数世代後のマシンや、最高級機種の名前も。驚いたことに、βビデオデッキの古いモデルも記載されています。
汎用品として製作され、あちこちで使われていたんですね。完全に修理、とはいきませんでしたが、それでもリスクは半減。今週末に自宅に戻ったら、この部品を交換しようと思います。
■11月2日(火) お陰様で、素うどんを食べられるまでに回復しました
ご心配をおかけしましたが、風邪は昨日がピークだったようで、今日はかなり良くなりました。
今回の風邪は、いわゆる「お腹の風邪」。医学的に適当な表現かどうかはわかりませんが、実際にそうだったのですからしょうがない。最初の異変は一昨日の日曜日。
早めにお昼を食べてから少し休み──その前が強行軍だったため──午後2時頃に車で自宅を出発したのですが、どうもお腹の具合がいつもと違う。昼食は久しぶりに柏崎市内のあるお店で取ったのですが、「このお店、こんなに美味しかったかな」と、ほくほくした顔で車を運転。でも......お腹の中に、食べたものがずっとそのまま残っている感じ。
実際、その後、井の中で消化されずにほぼ原型のまま残されていた(!!)ことが判明しました。(状況をお察しください。なお、お店の料理ではなく、センセイの体調が問題だったんだと思います。念のため。)日曜の夕方は、状況の深刻さをまだ良く理解していなかったので、身体に違和感を感じながらも、何人かの保護者に電話したりして仕事に区切りをつけてから、いつものようにスーパーで惣菜を買ってアパートへ。
お腹の奇妙な感じはずっと続いていたのですが、「とにかく食べなきゃ」といつものように夕食を取り始めました。
でもその結果は惨憺(さんたん)たるもの。結局、日曜の晩から今朝、つまり火曜の朝までの約40時間、何も食べることができませんでした。お腹が空かないし、無理に食べても......(以下省略)。
ここまでひどかったのは初めてです。60Kgちょっとのセンセイですが、一時的に50Kg台に体重が落ちたんじゃないだろうか。
それでも昨日は授業だけは頑張って、その後はゆっくり休んだためか、今日になると状況がかなり改善しました。
お昼頃になって、やっと少しだけですが空腹感を覚えるまでに回復しました。でも気をつけなくてはいけません。この間、お刺身など、少しでも油っ気のあるものを食べようとすると、とんでもないことになることを学習したからです。
というわけで、お昼は食堂の素うどん+おにぎり。おにぎりは写真のたらこしか残っていませんでしたし、白状すると、うどんはともかく、おにぎりは完食されない運命にあるのですが......。農家+たらこを作った漁業関係者の皆様、ゴメンナサイ。
うどんの効果か、その後は順調に調子を取り戻しております。仕事が遅れた分は明日の休日に出勤してどうにかできると思いますので、関係する皆様、もう少々お待ちを。
■11月1日(月) 新潟市で夜更かしして遊んでいたら、ドッカーン!! ──オレンジ色のローソン──
西村センセイ、創立記念式典に出席した後は、新潟市内へ移動して元同僚と飲んでいました。
場所は古町。金沢でいうなら片町みたいなところで、かつては社用族のためのお店が並んでいたのですが、不景気でそういう需要も減少し、また繁華街も新潟駅前付近へ移りつつあるため、ちょっと勢いがなくなっています。
それでも知り合いのお店で10年ぶりに楽しい時間を過ごすことができました。お店へ行く途中、割と大きなビルの1階でコンビニを見つけました。ローソンです。でも、どこかちょっと違いますよね。
そう、看板が本来のイメージカラーの空色ではなく、オレンジ色。コンビニが入っているビルはもともと一般の商業用ビルとして開発されたもの。
低層階にはファッションのお店や飲食店、上の階には映画館──入ったことがある──や本屋さん──こちらは少しバイトした──が入っていました。でもこの地域の地盤沈下にともなって店舗が次々と撤退。最終的にはビルの経営が破綻してしまいました。
それを買い取ったのがNSGグループ。多数の専門学校を運営していることで有名ですが、傘下に4年制大学や専門職大学院をも擁しています。
このビルはNSGの教室として用いられているのですが、NSGは新潟に本拠地を置くJ1サーカーチーム「アルビレックス」のサポートカンパニーなので、彼らを応援すべくこのカラーになったようです。さてこの日はとても寒く、雨がち。もちろんパーカーを持参したのですが、夜は相当冷えたようです。また酔っぱらっていたようで、新潟駅前のホテルでは暖房を入れずに寝込んでしまいました。
翌朝から調子がイマイチだったのですが、車で金沢へ来るころには様子がおかしい。アパート内の複数の温度計は20℃を指してるのですが、ガタガタするほど寒いし、お昼に食べたものがそのままお腹の中に残っているし、無理して晩ご飯を食べると悪寒が......。
お察しの通り、夜更かしが祟ってあまり軽くない風邪をひいてしまいました。今日はその点を断ってから講義を始めたのですが、話し始めると、意外にもずいぶんハイテンション。徹夜明けの興奮した状態に似ていて、今後がちょっと心配です。
■10月31日(日) いろいろあっても、やはり「成人式」はおめでたいものなのです
この週末、センセイは新潟県北部にあるセンセイの前任校、敬和学園大学へ行っていました。創立20周年の記念式典が開かれ、元教員として招待されたのです。
国際基督教大学(ICU)の助手を経て、センセイが最年少の教員として赴任したのは1991年春。33歳のことでした。先日、初期の卒業生何人かと話す機会がありました。大学には皆、18歳以上で入学しますから、1期生だと20年後の現在○○歳。
その中の一人、初めての学園祭実行委員長はこの話を聞いて、「えっ、今の私より若かったんですかぁ」。はい、そうです。
その彼女も今では一児の母。社会の中でしっかりと頑張っています。国会議員も出席した式典は前奏、賛美歌から始まり、式辞、祝辞と続きます。
そして今回は、20周年を記念して制定された校歌が、作曲家自身の指揮によって披露されました。日本学士院院長の記念講演の後は披露宴。お世話になった理事長にご挨拶し、かつての同僚と懇談します。
現役当時はいろいろあったけど、今では距離を適当な置いて、熱すぎもせず、かといって見放すこともなくお付き合い。帰り道にふと、学生諸君や大学という組織はこうやって、自分の力で育っていくんだろうなぁ、と思えてきたのでした。