2010年9月11日更新(2010年9月19日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)
■9月11日(土) 幼稚園と大学だけの、「学校」 ――西村センセイ、高千穂大学で働く――
センセイらが深く関係する学会が、今日、開会しました。
この日のために、ずいぶん働いたような気もしますが、センセイの歳になると片っ端からどんどん忘れてしまうので、実は意外と働いていなかったのかも知れない。
それはともかく、今回の大会会場は、杉並区の高千穂大学。ちょっと前の世代の方には「高千穂商科大学」という名前の方が分りやすいと思います。
お伝えしたように昨日、大会に先立って重要な会議があり、センセイらはそ準備のために午後、もらった地図を頼りに、最寄の京王井の頭線西永福駅から高千穂大学キャンパスへ。
写真の校門へ到着しようとして、あれ?自転車が、小さな子供を乗せて走っています。
たまたまかな、と思って校門脇の標識を読むと、そこには確かに高千穂大学と、そして幼稚園。
校門右脇の園から、児童の賑やかな声が聞こえてきます。大学も幼稚園も同じ「学校」――学校教育法に定められた学校。現在の法律では、保育園は「学校」ではない――だから当たり前のように思われるかもしれませんが、これはとても稀なことです。
大会実行委員長のお話によると、かつては中学校や高校もあったようですが、時代の要請に応じて、現在の形に落ちついたようです。幼稚園を過ぎると、狭いながらも使いやすそうなキャンパス。経済系だったので意外だったのですが、女子学生もかなりいます。
ここでセンセイがどう働いた――あるいは失敗したか――は、明日以降に。(現在進行形なので)ところで、ずっと新潟県内の高校教師として働き、約20年前に病気で亡くなった叔父が、センセイにしみじみと語ったのは「先生になるなら小学校か大学の先生だな」。
中学や高校は、人格形成が中途半端――もちろんそれはそれでとても重要――だと言うのです。ある程度歳を取り、いつの間にか、逝去した時の叔父の年齢に近づいた西村センセイ。賛成するかどうかは別にして、叔父の感覚そのものは良く分ります。
でもこの、大学と幼稚園だけのキャンパスを見ていると、「叔父さん、確かに半分はその通りなんですけどね、でもね...」と、まるで叔父に話しかけているような、そんな感覚を覚えます。
それだけ考えさせられる高千穂大学のキャンパスです。
■9月10日(金) 旧「ガクショク」最後の食事は、センセイにも意外な選択
学会の重要な会議を終えて、夜、都内のホテルに戻ってきました。でも今日は昨日の金沢工大のお話。
昨日は、お昼過ぎに金沢を離れて都内へ移動しました。
旧学食最後の営業日――新厚生棟は本日供用開始――なので、お別れの昼食を取るために......あれ?!
ご覧のようにもう営業していません。日程を確かめなかったセンセイが悪いのですが、旧学食の営業終了翌日に新食堂をオープンさせるのではなく、1日の空白を置いたんですね。
このところ、ずっと暑いか雨かのどちらかだったし、学会の仕事で忙しかったので、お昼はほとんどこの学食。
結果的には一昨日が最後となりました。「いつもとは違うものを食べたいなぁー」と思って選んだのは、カツ丼。
肉をあまり食べない西村センセイ、金沢工大に赴任してからの8年間で、数回しか食べたことがないんじゃないだろうか。
「明日の最終営業日は、いかにもヴァルカン(学食の名称)らしいものを...」と考えていたのです。
もっとも、センセイにとって「ヴァルカンらしい」ものが何なのか、良く分らないのですが。ちなみに、学食のメニュー全体にいえることですが、伸び盛りの学生、特に男子学生向けにとにかく盛りがすごい。とても全部は食べられません。ずいぶんご飯を減らしていただきました。
それでもセンセイはカツの方を残してしまいましたけど。学食のホームページによると、新厚生棟は今日、無事にオープンしたようです。大学のニュースでも紹介されています。
早く入ってみたいのですが、明日から2日間、学会の大会でびっちり働かなくてはなりません。またその後はもう一つ、研究会。というわけで、新しい学食に入るのは水曜日。
そのころにはもう、学生が言う「ガクショクのオバちゃん」たちは、もうすっかり慣れているんだろうなぁー。
■9月9日(木) へぇー、Macって、そんなに売れているんだぁ...。(ほんの一瞬でしたが)
今朝は早起き。雨は降っていません。良かった、自転車が使える。颱風は去り、澄み切った空が頭の上に広がります。やはり、少し涼しい。
重要な会議のための文書を作成し、ちょっと暑さの残る印刷でプリントしてホッチキスで留め。それを大きな箱に詰めて郵便局から発送。チト重かったので汗をかいてしまいました。
でもこれで、目の前の仕事は一区切り。明朝からの研究会、会議、センセイらが主催する学会、そしてもう一つの研究会と、センセイは今日の午後から5泊6日のツアー。でもまだ発表用のスライドはできていない!!
データを提供していただいたO先生、ゴメンなさい。目的地に着いて荷を解き、Web上でニュースに目を通していると、へぇー。「マック、8月の売上高過去最高」。((c)朝日新聞社)
Mac、売れているんだぁー、特別な新製品もないのに。「8月の売上高」なんて、毎月のデータを公表していたっけ。
「猛暑」とか「ドリンク」って......頭の中ではすでに、文字列がゲシュタルト崩壊状態。おわかりですよね。「マック」と言ってもアップルコンピュータのMacintoshではなく日本マクドナルドのマック。
やはり、疲れが溜まっていたんでしょう。ところで「マックからマックへ」。
ご存じの方も多いと思います。日本マクドナルドCEO原田泳幸(永幸)氏の前職は、アップルコンピュータ代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ社副社長。
彼、ドラムが上手いんですよね。さて、センセイのツアーは明日からが本番です。気を取り直して、(かつ、きちんと休んで)頑張りましょう。
■9月8日(水) 夏の終わり ──颱風9号はたぶん、季節の交代を促すはず──
目が覚めると雨の音。しかもかなり強い。
昨日の天気予報は雨だと伝えていたし、昨晩から細い雨が降り始めてはいたのですが、白状すると西村センセイ、これだけ晴れて暑い日が続くと、本当に雨が降るんだろうかという気分になっていました。
ちょっと濡れながらのご出勤。センセイらが関係する学会が近づいているため、かなり忙しかったのですが、ふとニュースを見ると、颱風がお昼に隣の福井県敦賀市付近に上陸とのこと。
颱風が北陸地方に直接上陸する──再上陸ではなく──のは極めて珍しいと思います。センセイの記憶にはありません。写真は今日午後、気象庁が発表した台風情報(15時40分発表)を一部加工(トリミングおよび縮小)したもの。((c)気象庁)
この颱風9号、もともとはこの前の颱風のように日本海を横切って東北地方ないしは北海道に接近すると予想されていました。
実際にはずいぶん南側を通ったことになります。この時期の颱風は、太平洋高気圧に行く手を阻まれて、その縁をまわるような進路を取ります。
その颱風が予想よりも南側へ向かったということは、この暑さをもたらしていた高気圧がかなり弱まっている──特に東日本では──ことを示すと思います。実はこの週末、新潟は今までほどには暑くありませんでした。
特に土曜日は割と過ごしやすくて、アメダスで見る限り、久しぶりに30℃を越えずに終わりました。そもそも、お気づきだと思いますが、日暮れがずいぶん早くなっています。太陽から受け取るエネルギーはずいぶん減っているはず。
「颱風一過」の言葉がありますから、今週後半は晴れて、西日本を中心にまた暑くなるのでしょうが、その後は秋の移動性高気圧が存在感を増すんじゃないかと思います。
今回の颱風は結果的に、季節の変化を促すことになるんじゃないでしょうか。......と、高校で習った地学の知識で推測してみましたが、実際にはどうなるのでしょう。
今晩の天気予報ではお天気キャスターが今後の予想を伝えることになると思うのですが、どれだけ当たっている(あるいは外れている)のかなぁ。
■9月7日(火) 26年間の苦労は何だったんだ...。 ──センセイが秋葉原で買ったもの。価格は15円──
先日の秋葉原でのお買い物。センセイの本命は実は小さな電子部品1個。コンデンサーです。
事の起こりはefu氏のサイトを見ている時に出くわした記述。このページの存在は以前から知っていました。
自宅書斎のDAT(デジタル・オーディオ・テープ)デッキが寿命を迎え、後継機を探していた時に、パソコンのデータバックアップ用の機器をDATデッキとして使えることが紹介されていたのです。
DATに関しては結果的に、中古の業務用機器“PCM-2300”を購入し、自宅で使用することになったのですが。久しぶりにefu氏のサイトを訪問していて、ある記事に目が止まりました。
CD-Rを使って自分で音楽CDを製作すると、思い通りの音質を実現できないことがあります。パソコン上のデータならきれい――センセイは現在、そのための専用機器も使っている――のに。
efu氏はその最大の原因が、「ジッタ」という時間軸上の信号の揺らぎであることを発見します。そのジッタを検出するためにefu氏はある回路を設計・製作するのですが、それを組み込むマシンが問題なのです。「ジッタ検出回路の製作(CDP編)」の最後の方で、「信号の引き出し」→「(1)CDP-502ESの場合」という部分があります。 何とそこには、センセイがずっと使ってきたソニー製CDプレーヤー“CDP-502ES”が。
びっくりしたことにこのマシン、「・・・PLL回路のループフィルタの高域の特性が適当でなく、VCO自身のジッタがかなり多くて、メディアによる差がほとんど出ない・・・」。なるほど、そういうことだったのか。
コンパクトディスク(CD)が世に出たのは1982年。初期のマシンは音質、使い勝手ともにイマイチで、センセイは1984年に初めてこのCDP-502ESを購入しました。
定価は150,000円。とにかく高かった。それまでのプレーヤーとは一線を画する性能で、とにかく使いやすい(現在でもトップクラスです)。ただし唯一の欠点があって、どうにもこうにも、音が悪い。
寸が詰まった、天井の低い音で、長く聴いていられない......。ディスクに重しを載せたり、CDのエッジに特殊な塗料を塗ったり――いずれも当時流行していた――したのですが、全然良くなりません。
そこで1990年頃に、デジタル出力を設計製作して付加したのですが、それでもブルーレイレコーダ“BVZ-V9”のデジタル出力には負けてしまいます。
でもそのBVZ-V9は、ファンの音が気になります。書斎で静かにCDを聴きたい時もあるので、お伝えしたようにケンブリッジ・オーディオのユニバーサル・プレーヤー“Azur 650BD”を購入しました。
このマシン、音質は良いのですが、メカ音(シーク音)がしてしまいます。結局、スピーカーで聞く時は、ちょっとイマイチだなぁーと思いながらも、音をほとんど立てないCDP-502ES+DAコンバータ“D-500”という組み合わせ。
ところがこのefu氏の情報からすると、コンデンサーを1個つけるだけで音質が激変するかもしれないのです。
部品を探したのですが、手持ちのストックには100pFがありませんでした。秋葉原駅前の部品店ですぐに見つけたのですが、価格は15円。量産時には1銭もしないと思います。
自宅に戻り、まずは開腹作業。写真左側が電源およびメカ部分で、右手前がサーボやデジタル処理回路で、その奥がアナログ回路。
ちょこんと乗っている部分は、センセイが設計製作したデジタル出力回路です。問題の部分は、中央部の円で囲んだ箇所。
efu氏はICのピンにコンデンサーを直接半田付けしていますが、普通はあまり用いない方法です。
そこでひっくり返して底板を外します。すると3枚目の写真のように、ハンダ面が一目瞭然。(ただしこちらからだと部品が見えない。)
場所を間違えないようにしてコンデンサーをハンダ付けするのですが、白状するとこの時が最大のピンチでした。
まず、見えない!!最後の写真では大きく感じられるかもしれませんが、ピンの実際の間隔は2.54mmしかありません。
お伝えしているように、センセイはこのところ視力が急激に低下しているのです。センセイは眼鏡を4本(老眼鏡×2本、遠近両用、近視用)を持っているのですが、その時は読書用の軽い老眼鏡しか持っていなかったのです。
写真はとてもはっきりと写っていますが、実際にはぼやけた状態で作業していたのです。そしてもう一つ。左手の微妙な震えが止まらない......。う〜ん。
かなり大変だったし、おまけに一度場所を間違えた(コンデンサの左手前)のですが、とにかく作業完了。
もちろんこのままではショートしてしまいますから、余分な部分は切り取り、再度組み立てて動作を確認します。
ついでにもう一つ。このマシンはアナログの出力部分に「カチン」と音を立てるリレーを使っています。
でもこれからはデジタル専用機として使うので、リレーへの電源を切り離して動作しないようにしました。さて、いよいよCDを再生します。
グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」をセットすると、まず今まで耳障りだったリレーの音がしません。
再生ボタンを押して――実は不要だと思ってリモコンを捨ててしまった――出た音は......まるで別物。センセイのシステムはヘッドホン用に構成しているので、アンプ(DENONのPMA-390)やスピーカー(TEACのS-300)は、いずれも名機として知られているものの、特に高級品というわけではありません。
それでも聴いた瞬間に違いが分ります。次にヘッドホン(イヤースピーカー)に切り替えて、BVZ-V9のデジタル出力と比べてみたのですが、CDP-502ESの方が良い。
今まで26年間の苦労は何だったんだ......。
CDP-502ES+D-500とAzur 650BDのアナログ出力を比べてみると、一長一短。
こちらは互角の戦いです。前者がとにかく芯のある「正確な音」で、高音部は節度を持っているのに対して、後者は「難しいことは言わず、音楽って、楽しいよね」と、ニコニコと語りかけてくるような印象。
例えて言うなら、CDP-502ES+D-500はMM型のレコード針、Azur 650BDはMC型、という感じでしょうか(若い人にはかえってわかりづらいかも)。Azur 650BDそのものに基本的な不満はない――ただし輸入品なので、日本の実情とは合わない部分もある――のですが、そもそもはCDを良い音で聴くために購入したもの。
15円のコンデンサー1個でこれだけの音になると分っていれば、買わなかったかもしれない。最後にちょっと理屈と、作業していて感じたことを。
この種の機器は部品をきちんと動かすためにVCO(voltage controlled oscillator:電圧制御発振器)という回路を使います。
その制御のためにPLL(Phase-locked loop:位相同期回路)を組み合わせるのですが、その時定数が不適切だったため、本来なら排除すべき不要な信号に振り回されて信号が時間軸方向に揺らいでいた、つまり「ジッタ(jitter)」が発生していたのです。
要するに設計ミス、ということなのです。もう一つ。
CDP-502ESを捨てられなかったのには理由がいくつかあって、もちろん苦労して買ったという愛着が一番なのですが、それを差し置いても、とにかくコストをかけて丁寧に造られています。
昨日壊れたDV・VHSデッキ“WV-D9000”の状況を確認しようとして蓋を外したら、ホントにがっかりしました。DVデッキは堅牢に造られていますが、VHSはまるでおもちゃ。
以前の堅実なモデルとは別物です。バブル期だったということもあるのでしょうが、1990年頃までのマシンはきちんと造られていますが、その後はコストを過度に重視したため、製品のレベルが落ちている印象を強く持ちます。
実際、すぐに壊れてしまいます。センセイの現在のシステムの最古参はTEACの“A-6100 MkII”2Tr 38.1cm/sテープデッキですが、購入は1979年。製造はたぶん1977年頃だろうと思います。もう30年以上前。
次がナカミチのカセットデッキ“ZX-7”で1981年購入(現在は修理され、完動状態)。さすがにこれらは古すぎるとしても、最近のマシンやメディア――8mmビデオとかMDとか――の状況を考えると、できるだけ早く長く生き残る形で残した方が......と思えてしまうのです。
■9月6日(月) 接続ケーブルを自作して、録画済VHSテープの再生を完璧にしたら......ドッカーン!!
先々週に東大での学会に参加を終えてから湘南工科大学へ移動する際、ちょっと遠回りして秋葉原に立ち寄り、小物を買いました。買ったものは二種類。その一つが写真のXLRタイプコネクター、通称「キャノンコネクター」。(コピー機で有名なキャノンとは無関係です。)
カラオケで皆さんが握るマイク──センセイはカラオケへ行かないけど──のお尻についている、あの、部品です。金沢市内のどこかでも売っているんだろうし、通信販売でも購入可能なのですが、やはりここは自分の目で確かめて買いたい。駅前の部品屋さんで、1個460円で購入しました。
帰宅してからバラしたのが、写真右側。接続する時にキャノンはその構造上、まず電位の基準となるグラウンド(アース)から接触するようになっているので、繋ぐ時に「バチン」とか「ビーン」という音を避けられるようになっています。
エレキギターだとかキーボードを繋ぐ時、「バチッ!!」と凄い音がすること、あるでしょ?またロックがかかるので、少しくらいマイクを振り回しても断線しない限り抜けません。だから民生用を含めて、マイクの標準的なコネクターとして用いられています。他にもスピーカーへの信号供給用、機器への電源供給用などに使用されています。
でも、本当の特徴は、ちょっと違います。ご覧のように端子が3本見えますよね。
ギターやキーボード、あるいはモノラルのイヤホンの端子を思い出してください。いずれも外側の部分と中心の、二つからなっていますよね。
「でもステレオのヘッドホンは三つじゃないか」、と気づいた方は偉い。ステレオヘッドホンは、外側(グラウンド)を基準に、同じケーブルの中に左右2チャンネル分の信号を同居させているからなのです。
実際には2チャンネルで4本のうち、グラウンドを共用しているので、1本少ない3本となりますが、基本的には、1チャンネルあたり2本。じゃぁキャノンはどうして1チャンネルの信号伝送に3本も使う──ずいぶん無駄ですよね──かというと、1番ピン(グラウンド)を基準に、他の2本を使って、大きさは同じで向きが正反対の信号を送るため。
これをバランス接続といいます。こんなややこしいことをするのには、もちろん理由があります。たとえばマイクロホンが拾う電気信号は、空気の僅かな振動を電気に変えたものですからものすごく微弱。
その脇で電気のスイッチをON/Offしたり照明装置から出電気的な雑音にすぐに負けてしまいます。要するに周囲は雑音だらけ。でもここで、逆相の信号も送っておけば、二つの信号の差を取る──トランスや差動入力のOPアンプを使う──ことによって、雑音を打ち消すことができます。
それでこのキャノンはマイクロホンを中心にして、業務用のコネクタとして広く使われるようになったのです。これまでのセンセイの経験からすると、キャノンを用いたバランス伝送は素直で「太い」音がします。信頼できる生の、あるいは実際の音、という感じ。
民生用で用いられている、フォーンやピン(RCAピン)を使用した音は、美人ではあるものの、線が細い印象が......と蘊蓄(うんちく)を垂れたところで、今日のメインの作業、つまりハンダ付けの準備ができました。最初の2枚を比べるとわかりますが、黒い筒は、信号線が外側の金属と接触しないようにするためのものです。
割と大きなハンダごてを使ってハンダ付け。今回は使わなくなっていたRCAピンケーブルと接続します。
こちらは線が2本。外側を覆っていたものをまとめた銅色の部分(捩ってある)と、中心のケーブル(まだ心線を出していない)。なぜ3本が2本になるのか、というと、業務用機器の信号を民生用の機器に繋ぐため。
逆の場合はインピーダンスというものを考えなければならないのですが、この場合はグラウンドと信号線1本を繋げば何とかなるのです。
それが最後の写真。以前購入し、この夏に再編成した自宅AVシステムに組み込んだ業務用VHSプレーヤー“SVP-5600”(写真中央最下段)に繋げたところです。
業務用機器は奥行きが深いので、奥行きが550mmもあるセンセイのラックですら、ご覧のように端子が飛び出してしまいます。普通の棚では絶対に収まりません。
SVP-5600からの音声信号は、そのままブルーレイ・レコーダ“BVZ-V9”へ繋ぎます。業務用の機器は、バランス/アンバランスの違いだけでなく、基準となる音声レベルが民生用と異なります。
補正のために別な機器を挟むつもりだったのですが、実際に繋いでみると写真中央奥のレベル切替スイッチで対応できる──というか、最近の放送は音声レベルの管理が杜撰(ずさん)──ことがわかったからです。というわけで、これでもう、映像、音声ともにVHSテープをほぼ最高の状態でブルーレイに落とすことができます。
心地良い疲労感を味わっていると......あれ?!従来のVHS+DVレコーダー“WV-D9000”(写真左側、下から2段目)でVHSテープを巻き戻そうとして......おかしい。
それでも、1本目は何とかなったのですが、2本目はVHSテープを排出しない。よく知られた「Macのやきもち」──持ち主が新しいMacintoshを「買おうかな」と思うとこれまで使用してきたMacが急に不調になる──に似て、急に故障してしまったのです。(実話)
今回整備したマシンは再生だけが可能で、録画機能はありません。VHSへの録画はもうほとんどありませんが、教材の作成や他の方へのコピーなど、それができないとなると、やはり不便。
だからいわれのない誤解だったのですが、彼女(?)には通じなかったようです。というわけで昨日、金沢へ移動する前の慌ただしい時間に急遽、VHS/DVレコーダーをジョーシンへ運んだセンセイなのでした。
■9月5日(日) 柏崎駅前、一等地にある宝飾店が廃業してしまった
お昼に外出したついでに、市内でもう一カ所、気になっていた場所へ行ってみました。
柏崎駅前、柏崎郵便局や大きなスーパー、新潟県中越沖地震の復興住宅がある一等地。市を代表する「ベル・セイコー」という宝飾店が先月末に閉店してしまったというのです。
入り口には確かに、廃業の告知が。文面に無念さと地域への思いがあふれています。隣に弁護士名の文書がありますから、どうやら負債を抱えての廃業のようです。15年ほど前、柏崎市内に自宅を新築して戻ってきたころ、ちゃんとした時計──それがどんなものだったか覚えていないのだけど──が欲しくて、久しぶりにこのお店入ったことがあります。
でも......ない。店内に選択するほどの商品がないのです。時計の電池交換などで、市内の時計店を年に何度か訪れるのですが、どのお店もどんどん寂れていきます。
中には、しばらく行かないうちに廃業してしまったお店も。都市部はともかく、田舎の場合、時計の購入やメンテナンスはホームセンターが主体になっています。
ユーザからすればお店が変わっただけでさほど不便はないのでしょう。でも、サービスを提供する(/し続けてきた)お店の側からすれば事態は深刻。実はこの場所にはもともと、映画館がありました。
若い方には想像するのが難しいでしょうが、今から30〜40年位前の高度成長期には、田舎の小さな駅前にも映画館が存在しました。
テレビが家庭に普及する前は、娯楽の主役だったんですね。センセイも高校生の時にここで、細野晴臣が初めて音楽を担当した映画「宵待草」を観た──抱き合わせの映画は、ユーゴスラビアの英雄チトー大統領の活躍を描いたもの(!!)──を観たことがあります。
確かその後はパチンコ屋になって、しかもそれがかなり長く続いたはず。その頃は、娯楽の対象が変化しても、とにかくお客さんはいたということです。
この地域の中心だというのに、今、この場所を走る車はまばら。人の姿もありません。もっとも人出については、今日も暑かったということを勘案しなければなりませんが。
公共のお金で箱モノを整備しても、もう追いつけるような状況ではないんですね。