2012年8月11日更新(2012年8月19日ページ移動。2015年11月3日写真削除)
■8月11日(土) このキャンパスでは、学生諸君が「ゆっくりと」育っています
集中講義を無事に終えて、夜、自宅に戻りました。
毎日4コマの講義を4日間連続ですから、さすがにヘトヘト。そうなることはわかっているので、あらかじめ朝、昼、そして晩(+ビール)ともに、意識してしっかりと食事を取ります。
おかげで(?)、自宅でヘルスメーターに乗ったら、体重が1.5kgほど増えていました。この4日間、時間があれば古巣をあちこちへ。
学生諸君のくつろいでいる様子を確かめてから、20年来の元同僚にご挨拶をしたり、成長した桃の木の様子を確かめたり、グラウンドや体育館が一般市民に貸し出されていることに気づいたり。
開学してから22年目、センセイがこの場所を去ってから10年。当然ですが、いろいろなことが変わっています。センセイの印象としては、以前よりも、自分らしさを楽しんでいる学生が増えているように思います。
各種の掲示類もチェック。学内の様子や学生さんの現状がわかるからなのですが......。キャリア(就職)関係の前で、ふと、あることに気づきました。
昨年のまま、なのです。比較的最近のプリントアウトだし、文章がまったく同一であるかどうかがわかりませんが、去年気になった点はそのまま。
さすがに教えてあげた方がいいのだろうか。金沢での講義もかなり配慮して話しているのですが、今回も別な意味で気を使います。この大学の学生諸君の表情はとても正直なのです。
へぇー、今どきの大学生はここで反応するんだなぁー、といった具合。教育のしわ寄せが大学に集中しているかのようなこの時代。
少なくともこの大学の学生諸君は他とちょっと違って、いろいろ戸惑い、傷つきながらもゆっくりと成長しているという印象を受けます。
講義中も、そういう場面がたくさんありました。というか、そういう場面を、そしてそこにいるセンセイ自身を確かめるために講義していたようなもの。
教師冥利に尽きます。受講生諸君のおかげです。ただし残念ながら、もう一方の当事者である教職員がどうかは、ちょっと別なようです。
■8月10日(金) 大学の休憩時間に階下から聞こえてきたのは......民謡!?
早いもので、前任校での集中講義もあと1日を残すだけ。
お陰さまで、熱心な学生諸君に恵まれた――昼食後にはうとうとしてしまう人もいますが――ので、予定を上回るスピードで講義が進みます。
その代わり、というわけではないのですが、普通は絶対にお話しない情報や映像をサービスしちゃいます。この大学では90分の講義の後に10分休憩するのですが......その休憩時間、何だか様子が変。センセイが講義をしているのは2階なのですが、階下から音楽が聞こえてくるのです。
それも、民謡が。あぁ、この季節になったんだぁ。
お察しの通り、新発田(しばた)の夏祭り「城下町新発田まつり」(8月26日〜29日)での民謡流し(27日)の練習です。
音がする場所へ行ってみると、学外の専門家を先生にして、学生と教職員が特訓中。予想ではもっと多いだろうと思ったのですが、よく考えてみると、参加する教職員の大半は既に踊りをマスター済。
上級生も同様です。つまりここで練習しているのは初心者チーム。本番ではずっと多くの人が参加します。
その証拠に、近くでは数十人分の雪駄が虫干しされていました。この大学は日本基督教団立の唯一の大学。全国のプロテスタント系キリスト教徒の想いがこの大学を設立しました。しかし彼ら彼女らだけでこの大学ができたわけではありません。
校地と使用するために貴重な農地を提供してくださった地元の方々。厳しい財政状況の中で資金など見える部分はもちろん、見えないところで支援してくださった――センセイはその現場を何度も目撃しています――新発田市と聖籠(せいろう)町、そして新潟県。
そのおかげがあったからこそ、この大学は開学することができたのです。そんな自治体と、所属する人々のご恩に少しでも報いるべく、この大学は開学当初から新発田まつりに積極的に参加している......はずなのですが、正直なところ、最近はどうなんだろう。
いえ、踊りをマスターしている人達は全然問題ないのです。でもセンセイがこの場所を去った後にこのコミュニティーに加わった人達の様子を見ていると、彼ら彼女らにはどうやら、基礎を築いた人々のことは眼中にないようなのです。
冷たいようですが、それもまた一つの真実なのでしょう。
■8月9日(木) 「親はいなくなっても子は育つだなぁ」と、少ししみじみしていたら...
いくら休憩を挟むといっても、1日に1時間半の講義を4コマ、つまり6時間の講義というのはかなり辛い。いやセンセイではなく、受講生諸君が、です。
意外に思われるかもしれません。講義をしている方は――肉体的にはともかく――ツボを理解しているので、負担はそれほどでもないのです。
それにそもそも、実は密かに楽しみにしていた講義だし。今日のメインメニューは物理学の歴史。
昨日の最後に古代ギリシアのお話をして、今日は中世イギリスのマートン学派――オックスフォード大学最古のカレッジ――から、ガリレオ・ガリレイ、ルネ・デカルト、そしてアイザック・ニュートン。
おぉ、関係者なら思わず仰け反ってしまいそう。センセイしか知らない秘話を含めて講義します。だから逆に、ちょっと想いが入り込みすぎていたかもしれない。
ちょっと反省。ニュートンに関するレアなビデオ映像――ホント――を学生諸君と一緒に観ながら、ふと、今回まだ確認していないことがあることに気づきました。
1991年の大学開学を記念して植樹したニュートンのりんごの木はその後、どうなっているんだろう。学部長予定者だった師匠とセンセイがいろいろ苦労して開学記念式典の日に校舎正面に植えたニュートンのりんごの木です。
もちろん、ひとまず無事であることは確認しているのです。ご覧のように、この地に堂々――年々、迫力が増していると思う――と構え、逞しく育っています。
実は6月ころになります。年によって差が激しいのですが、多く生(な)る年もあれば、そうでない年も。
今年はどうなんだろうと見てみると、なかなか見つからない。センセイが見つけたのは、僅かに写真の2個だけ。色が極端に違うのは、たぶん片方が鳥に食べられて傷ついているからでしょう。
それでもこのニュートンのりんごの木は、ここに居場所を見つけてそれなりにしっかりと生き延びています。
親(?)がこの地を離れても、しっかりと。いろいろ考えながらホテルに戻り、パソコンをセットしてメールを確認すると、いきなり現実に引き戻されます。金沢を離れる前に片付けておいたはずの仕事が未了だというのです。
急いで返事を打ちます。もちろん、それはそれで関係する人が多い仕事――だからこそ早めに片付け、確認した――なのだけど、長い目で見ると、どうなんだろう。
昨日、今日と講義をしながら感じたことでもあるのですが、(いろいろご不満はあるでしょうが)我々古い世代は、次や、その次の世代をもっと信用に足るものとして考えるべきではないのでしょうか。
古い世代にば、実はそれ以外の選択肢は残されていないのだし。
■8月8日(水) 西村センセイ、古巣の大学で歴史学の講義をする
というわけでセンセイは、金沢工大から特別な許可をもらい、今日から4日間、前任校で歴史学の講義をしています。現在は今日の予定を全て終え、近くのスーパーで晩御飯を買い求めてホテルに戻ったところ。
年に一度の講義なので、受講生の大半が交代してしまいます。
どうなることかと思ったのですが、人数は少ないものの、反応の良い学生さんたちに恵まれたので、何とか順調にスタートを切ることができました。
やれやれ。センセイはいくつかの学問的背景を持っているのですが、その一つ、歴史学については現在、金沢工大での講義を持っていません。
金沢関係ではわずかに、数年に一度、放送大学の面接授業で社会人を相手に講義する程度。だから隔年で半分ずつ開講しているこの講義はセンセイにとってはとても大切なのです。
昨日はかなり遅くまで金沢工大にいたので、自宅到着は深夜。少し休んだだけで早起きし、教材を揃えてから車で出勤。
大学到着後も準備をして、90分×4コマの講義。だからかなり疲れてしまったのですが、金沢工大とはちょっと違った充実感があります。秋を予感させる、比較的涼しい一日だったからかもしれませんが。
大学がある新発田市は、新潟市の北に位置するのですが、この地域の中心としてどんどん変わっていく感じがします。
学生諸君の表情や、そんな街の様子など、チャンスがあったらお伝えしたいと思っています。
■8月7日(火) 西村センセイ、芝生の散水を見て、虹が存在する場所について考える
明日から再び出張で、今日の夕方には金沢を離れてしまうというのに、仕事が全然終わらない。大学のシステムの関係上、今日中に、ある重要なデータをアップロードする必要があるのです。
だから例によって早朝からご出勤。大学前のパン屋さんが開店する時刻になったので、校舎を出ました。早朝なので、庭園を管理する委託業者が穴の空いたビニールホースを使って芝生に水を遣ってます。
.......虹が見えるはず。
太陽を背にして回り込むと、もちろんくっきりと見えます。でも撮影が難しい。
虹は、空気中に浮かんだ水滴内で太陽光線が2回──他の回数もあり──屈折し、その際に波長による屈折率の違いで形成されるので、要するに位置関係が決まっています。
何とかはっきりと写そうとして近づいたり、遠ざかったり。結局、最後までうまく撮影できませんでした。一つ気づいたことがあります。どこにピントを合わせるべきなのでしょう。
ご存じのように虹はぼんやりとしています。デジカメの自動モードではピントを合わせることはできません。
そこで虹が見える場所の芝にピントを合わせて撮影し始めたのですが......よく考えると、これでいいのでしょうか。
確かに虹は「そこ」に見えます。でもよく考えてみると、虹は太陽からの光が前述したメカニズムにより、芝生の上で「折り曲がっている」だけ。
だとするとピントは光源である太陽が存在する無限遠方に合わせるべき?......というのがセンセイのひとまずの結論なですが、さて、本当はどうなのでしょう。
ま、半分以上はちゃんと撮影できなかった言い訳なので、あまり深く考えていただかなくてもいいのですが。
■8月6日(月) こういう「卒業記念」は残さないでね ──立つ鳥跡を濁さず──
そもそも、学期末なので採点など期限の迫った仕事が山積みなのに、週末は出張だったので、どうも疲れが取れない。
振り返ってみると、日程もさることながら、今回の保護者会がかなり気を遣う内容だったからのようです。食欲はないけど、実質的には明日から別な出張なので、お昼はとにかく何かを食べるために外へ。
行き先を決めないまま校舎を出ると、新講義棟の立ち入り制限が撤去されていることに気づきました。惹かれるようにその脇を抜けると、あれ?!
センセイの前に出現したのは、自転車の山。右側には2人の男子学生。最初はふざけているのかと思ったのです。
でも実は、彼らは仕事中。緑色のランニングシャツの学生が何かを読み上げ、隣の学生がそれを記録しています。
これらは大学構内に放置された学生の自転車なのです。
金沢工大近辺は比較的平坦なので、かなりの新入生がそれまで使っていた自転車を持ち込みます。
それらにはたいてい、「○○高校」、場合によっては「△△中学」というシールが張られています。でも重宝していたはずのその自転車、彼ら彼女らが卒業する時になるとどうやら、お荷物になるらしい。
そのまま「卒業記念」として残す場合があるのです。でもそれって、本当の卒業記念じゃないからね。「立つ鳥跡を濁さず」だからね。
それはともかく何かお昼を......と思ったその時、「これもセンセイの現在の立場上の仕事でしょ」という声(?)が聞こえてきました。ま、確かにその通り。
でも、やっぱり何か食べなきゃ。
■8月5日(日) 北日本放送のマスコットキャラクター「ゆっちゅ・めっぴ」って、実は...
保護者会ツアー2日目。宿泊地の長岡から全員で大型バスに乗って次の会場である富山市へ。お昼前に会場到着。先生方は面談に備えて昼食に出かけます。
センセイはと言うと、ちょっと特別な用があるので、近くのコンビニでお弁当を買って戻ります。でもそれだけでは味気ないので、ちょっと寄り道をしました。保護者会の会場は富山駅の北側。すぐ目の前にKNB北日本放送(日テレ系)の局舎があるのです。
ご存じのようにセンセイは自宅のある新潟と金沢を10年間往復しています。その1/4くらいは移動に自動車を利用するのですが、石川、新潟県内も含めてたいていこのKNBのラジオ放送を聴きながら運転しているのです。移動は朝早くか夕方が主。
その時間帯はたいてい、ここのスタジオから生放送中。最初はニュースや交通情報を知りたかっただけなのですが、ずっとこれらの生番組を聴いているうちに、富山の人の考え方や風習が良くわかるようになってきました。
たとえば県内でも東部と西部ではずいぶん雰囲気が違うとか、慶事には立派なかまぼこ──知らない人はちょっと調べてね──を贈るとか。お世話になっている(?)ので、チャンスがあればぜひ覗いてみたいと思っていたのです。今日の最高気温34.9℃を記録したまさにその時刻に、正面玄関到着。
日曜日なので中央のドアは閉まっています。その左右に置かれた等身大の人物の写真は、テレビやラジオのキャスター達。
彼らの上に描かれているのは、開局50周年を記念して2002年に登場した小鳥のキャラクター「ゆっちゅ」(黄色)と「めっぴ」(空色)。
左右の犬(?)は「エチュー」です。ゆっちゅ・めっぴという名前は「夢」に、エチュー後者は「越中」にに由来するのでしょう。
いずれにせよ路線バスの車体に描かれるなど、あちこちで使われており、富山ではよく見かけます。ゆっちゅ・めっぴは普通、バラバラに用いられるので今まで気づかなかったのですが、こうやって並べてみると、それが人間の目、あるいは眼鏡を表しているということがわかります。
つまり目を瞑って「夢」を見ている、というわけです。知らなかった。