2015年6月13日更新(2015年6月21日ページ移動。2018年1月6日一部写真削除)

──2015年6月第2週のニュース──

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6月13日(土) な、なんで海の上に電柱が?! ──西村センセイ、九州・東京ツアーから戻る──

 センセイは東京での研修会に参加して、夜遅くに新潟の自宅へ9日ぶりに戻りました。というわけで九州のお話をもう1日だけ。

 以前も述べましたが、日本はとても広く、「行ってみなければわからない」というのがセンセイの実感です。今回の九州ツアーで最初に気づいたのが干満の差。

 三角線が走る島原湾(「有明湾」とも言う)も長崎へ行く途中で見た有明湾も、とにかく干満の差が大きい。センセイはたまたま、訪れた地区の干潮の時間帯に通過したらしいのです。
 橋桁などに満潮時の跡が残っていて、どう見てもその差は2.5m以上。

 日本海はいわば内海のような格好になっていて干満の差は30cmくらいしかありません。だから我が目を疑う、というのが正直なところ。
 写真は三角線車内から撮影した島原湾。

 一番手前がその時の海岸線です。海岸部は遠浅で、高低差がごく僅か。ずっとずっと向こうまで干潟が続いています。
 そして何と、海の上には電柱が!!

 様子からして電力を供給しているようです。有明湾は海苔で有名。確かに筏らしきものが見えました。
 海苔の養殖に必要なのか、あるいは別な用途なのかはわかりませんが、海の上の電柱って、相当シュールな光景です。

 ツアー後半の日南線も、小内海駅付近の「鬼の洗濯岩」(波状岩)や大堂津海岸からの奇岩など、見所に溢れています。
 でも今回は雨の中での訪問。できれば晴れた日に再訪したい。

 ......センセイの場合いよいよ、その機会まで物理的に存在しているかどうかが問題になってきたのですが。



6月12日(金) 問われているのは、想像力 ――肥薩線大隅横川駅ホーム、屋根を支える柱に空いた穴――

 ご存知の方も多いと思いますが、昨11日、九州中部および南部は梅雨の豪雨に襲われました。いつもなら「九州はは集中豪雨が多いよなぁ」とか、「鹿児島はシラス台地だから、大雨になると地滑りが心配だよね...」という感じ。
 でも現場はまさに、センセイが数日前に訪れた場所。

 一度でもいいから実際に経験する――この場合は列車で訪れただけだけど――と、事前の印象はまったく違うことが多い。センセイ個人にとって女川がその典型。
 その時は温泉施設が併設された女川駅を出て、人通りのないさびれた市街地を通り抜け、女川港まで歩きました。

 そこには観光施設があって、年老いた両親や伯母その他のために海産物のお土産を買って、駅に戻ったのです。今でも人々の表情を良く覚えています。
 その数ヶ月後、東日本大震災が発生しました。

 観光施設その他は津波で壊滅。津波の威力は凄まじく、きちんと基礎工事を行った数階建てのビルが横倒しになったほどです。もちろん女川駅や「鈍足」ディーゼルカーも流されてしまいました。
 残念ながら、センセイが観光施設の中で逢った方々の中にも、命を奪われてしまった人がいるはず。

 話が飛ぶようですが、今回の九州もそれに似ている部分があります。ご説明したように、現在の肥薩線はかつての鹿児島本線そのもの。
 線路や駅の風格は、普通のローカル線とはまったく違います。

 最も有名なのは、登録有形文化財に登録されている嘉例川(かれいがわ)駅駅舎。普通列車の中から見ただけで、駅の外には出ていません。
 でも「格が違う」というのが本音。二つ隣の大隅横川駅も同様。

 いずれも現在は無人駅ですが、地元支援者の手によるものでしょう、よきちんと手入れがされていました。
 写真の大隅横川駅舎内(右側)では、地元の方が何かの会議を開いていました。

 ところでその手前、ホームの屋根を支えている柱には、表示が。第二次世界大戦中にこの駅が米軍機の機銃掃射を受けて、屋根とこの柱に空いた穴とのこと。
 たしかにその上には機銃の貫通痕が。

 おそらく米海軍の空母艦載機F6F「ヘルキャット」が撃った12.7mm機銃によるものと思われますが、少なくともここには、それ以上の説明はありません。
 字面
(じづら)だけを読むのか、行間を読むのか。

 問われているのは、想像力だと思います。



6月11日(木) 西村センセイ、JR宮崎駅で列車を乗り換えようとして、改札口で戸惑う

 九州ツアーの終盤、センセイは宮崎付近の盲腸線に乗っていました。宮崎駅で特急から各駅停車に乗り換えようとして......え"っ?!

  翌朝撮影したのが写真。センセイは宮崎駅の1番線に到着して、3番線の列車に乗りかえるため、階段で写真の地上1階へ降りました。写真の左端です。
 でもそこには改札口が。そして3・4番線側(少年の背後)にも──つまりホームごとに──改札口があるのです。

 写真の中央部は誰でも利用できる通路ですから、乗客からすると「駅の外」ということになります。列車を乗り換えるだけなのに、公共の場に出るのです。

 駅員に乗り換えだと説明すると、乗車券も確かめずに2カ所の改札を通していただきました。だからこちらに実害はないのです。
 改札口が二つだと倍の駅員が必要ですから、効率は悪い......。

 この不思議な構造、良く考えてみると北海道の帯広駅と同じ──ただし帯広駅の方が規模は大きい──であることに気づきました。

 帯広駅の場合、もともとは写真中央部に相当する場所に、普通の改札口があったんだそうです。
 でも(乗客ではなく)駅ビルを利用したり、駅を通り抜ける人からすると、改札口で流れが遮られる格好になります。

 写真の宮崎駅も、奥と手前にいろいろなお店が出店しています。写真は朝撮影したのでシャッターが降りていますが。
 その利便と、駅ビル全体の経済効果を考えて、このような構造にしたんでしょうね。

 もう一つ気づいたことがあって、新鳥栖駅で新幹線と在来線を乗り換える場合は、宮崎駅と同じように一回完全に公共の場へ出ます。北陸新幹線の上越妙高駅も同じ構造です。
 これらの駅は、たぶん建設費用を押さえるためにそのような、そしてやや不便な構造にしたんだろうと思います。



6月10日(水) 熊本駅近くの車両基地で、(黄色ではなく)金色の新幹線に出くわしました!!

 今回のツアー、久留米以南は九州新幹線が開業してから初めて訪れます。熊本駅の南側、在来線の脇に新幹線の車両基地がありました。へぇーと思って見ていると、え"っ!?
 初めて見る新幹線です。

 黄色い新幹線はJR東海および西日本の軌道試験車、通称「ドクターイエロー」です。でもこちらは何と、赤帯が入った金色!!
 すぐに状況を理解しました。

 フリーゲージトレイン(Free Guage Train: FGT〔ただし和製英語〕)第三次試験車(こちらこちら)です。
 車両先頭部側面に“FGT”と描かれています。

 フリーゲージトレインというのは、車輪の横方向の位置を変えることによって、レール幅が異なる新幹線と在来線の双方での走行を可能にする夢のような車両。
 スペインの鉄道で実用化されています。

 この技術を九州新幹線(長崎ルート)および北陸新幹線(敦賀以西で在来線乗り入れ)で、実際に用いるための試験車両です。
 ただし多額の資金が投入されているにもかかわらず技術はまだ未確立で、問題は山積したまま。

 それでも第三次試験車まで漕ぎ着けました。前の試験車が山陰や四国、九州で試験走行をしていることは知っていたのですが、こんな所で最新の車両に出くわすとは予想していませんでした。
 前の試験車両に比べると、ずいぶん洗練されているという印象を受けます。

 ただしこれが車体の色に相応(ふさわ)しく本当に輝くのか、あるいは実用化されないままに終わってしまうのか、正直なところ、非常に微妙なところです。



6月9日(火) 「青いソニック」も、ぐいぐいとカーブを駆け抜けます ──JR九州の考え方は良くわからない──

 仕事と私用を兼ねた九州の旅を終え、予定通りに金沢へ戻りました。

 この間、一番心配だったのが雨。九州も梅雨入りし、出発の数日前には大雨でJR線が不通になるほどだったのです。幸いにも、志布志駅を除けば直接の影響はありませんでした。
 そもそも列車の中にいる限り、(視界の悪化を除けば)雨はあまり関係しないし。

 昨日までが相当ヘビーだったので、今日は余裕のある旅程。ゆっくり起床し、宮崎駅構内のうどん店で地元のうどんを頂きました。残念ながらセンセイの好みではなかったのですが
 ちなみに、トッピングの「てんぷら」は薩摩揚げのことでした。さすがは南九州。

 特急787系「にちりん」でひとまず大分まで出て、写真の883系「青いソニック」で小倉まで。そこで山陽新幹線に乗り換え、新大阪から「サンダーバード」で金沢へ移動しました。
 初めて訪れた時から感じていたのですが、JR九州は非常に特徴があります。

 他社と比べて列車がユニークなだけでなく、どこか考え方が違うのです。写真の883系は博多と大分を結んでいるのですが、日豊本線は全般に路線の状況(「線形」)があまり良くありません。
 たとえばきついカーブが多い。

 その厳しい状況の中を、青いソニックは「これでもか」というほど、車体を内側に傾けながらぐいぐいと駆け抜けます。
 883系は885形同様、振り子型電車なのです。

 JR時代の381系は、カーブに差し掛かっても車体が傾くまでに少し遅れがあって、少し違和感がありました。
 センセイはまだ良い方で、酔う人もかなりいます。

 883系および885系では、個人的には気分が悪くなるようなことはなかったのですが、それでも「ここまでしなくても...」というのが実感。
 揺れやスピード、傾き加減から、かなり無理をしている感じがするのです。

 実際、線路には相当無理がかかっているはず。振り子型車両のメンテナンスも大変で、他社はすべて手を引いており、新規に開発する列車はすべて通常型。
 JR北海道は、不祥事が連続したこともあって、振り子機能を停止して運行しています。

 車両だけではありません。西村センセイ、今回の九州行きでは、可能な限り指定券を確保しました。車体中央部の、揺れが少なく見晴らしの良い席を確保するためです。
 しかしこれが大外れ。ほとんどの列車で自由席に乗車することになりました。

 車両中央に出入り口があったり──これは知っていたし、JR北海道にも同様の列車がある──荷物置き場があったりするのです。
 例えば写真。「青いソニック」自由席の一部です。

 ここは車両の中央部なのですが、右側の座席のピッチと、左の座席のものが異なります。後者が断然広いのです。
 ここだけグリーン車のようなもの。

 何故かというと、かつてここには「センターブース」という対面式の固定座席とテーブルが設置されていたのだそうです。
 少なくともセンセイが乗車した車両では、普通の座席に戻されていました。

 何が問題かというと、例えば座席指定システムや、補修部品の管理、トラブルが発生した時の対処など、不都合が強く予想されるのです。
 JR九州の特徴は、要するに少量多品種。採算性を重視したJR東海の真逆です。

 JR東日本・西日本と比べるとJR九州の財務は相当厳しいはず。観光列車などはともかく、普通の車両(やその運行、各種管理システム)については、できるだけ種類を減らしてコストを低減させるべきだと思うのですが......。
 でも運転手や車掌、駅員の表情を見ていてるとどこか、経済性などとは無縁な、のんびりした印象を受けます。

 オマケを二つほど。JR東海の列車は、移動の手段と割り切られているので、乗っていても全然楽しくありません。国産大衆車(軽自動車を含む)に似ています。
 そしてもう一つ。

 指宿枕崎線や志布志線、漢字の駅名は何となくわかるのですが、読み方は難解です。興味があったら時刻表で調べてみてください。



6月8日(月) これらの路線を維持できるんだろうか ――九州のJR線に完全乗車しました――

 目覚ましを5時25分にセットしていたのですが、その10分前に目が覚めました。西村センセイ、寝坊して朝の列車に乗り遅れたことは一度もありません。
 センセイが昨晩泊ったのは鹿児島県南部、温泉で有名な指宿
(いぶすき)市。温泉には入っていませんが。

 今回目指した九州JR線完全乗車は、計画の段階から非常に難しいものでした。

 未乗車区間は、概ね北から三角(みすみ)線(熊本県)、肥薩本線の一部(鹿児島県)、宮崎空港線、日南線(宮崎県および鹿児島県)、そして指宿枕崎線(鹿児島県)。いくつもの県の、しかも広い地域にまたがっています。
 そもそも広い九州を「南部」でひとくくりにすること自体が無謀なのです。

 そしてもう一つ問題が。終点の先が存在しない、いわゆる「盲腸線」が複数あるのです。長い時間をかけて終点まで行ったら、同じ時間をかけて始発まで戻るしかない。
 非常に効率が悪いのです。

 指宿枕崎線の場合は、かつて「終点」の枕崎から鹿児島本線の伊集院駅まで私鉄の「鹿児島交通枕崎線」が運行されていたので、これを利用する方法もあったのですが、1984年に廃止。
 その後、この区間をバスが走っているのですが、接続が悪い。

 というわけで今回は、旅程の前半でまず肥薩線と三角線に完乗。昨日からの後半戦はもう一工夫します。盲腸線だと考えるから、「行って、戻る」という発想に陥るのです。
 終点を当面の目的地と考え、そこで(あるいはその近くで)宿泊すれば、翌日はいわば「新しい」路線。

 というわけで今回は指宿で一泊し、未乗区間の山川―枕崎間を乗車、鹿児島から宮崎へ移動し、空港線と日南線に初めて乗ることにしました。おかげさまで各線を順調に乗り終え、今日の目的地である宮崎に到着しました。
 昨日までと違って今日は平日。

 ある程度覚悟していたことがあるのです。それは通学に列車を利用する高校生。というか、ローカル線の利用者の主体は現在、高校生なのです。
 朝晩だけ、猛烈に混みます。

 6時前に指宿駅のホームへ出ると、まだ列車は入線していませんでした。その代わり(?)、立っていた坊主頭の男子高校生が「お早うございます!!」
 もちろん挨拶しましたが、うれしいような、これから車内で起こる事態を予感させるような......。

 1両編成のディーゼルカーが入線し、高校生とともに乗り込んだのですが、「混雑」というほどではありません。
 4人掛けのボックスは、最後までセンセイ一人。

 終点枕崎駅の一つ手前、薩摩板敷(さつまいたしき)駅で高校生は下車。枕崎駅まで乗っていたのはセンセイを含めて数人だけでした。写真は駅舎。
 かつてはもっと立派なものが存在したようです。

 左手の銅像は、「かつお節行商の像」。枕崎はかつお節で有名ですが、明治28年の台風でかつお漁に出ていた漁民が411名犠牲になったのだそうです。
 地元の住職が、残された寡婦
(かふ)とその子供たちの生活を維持するために「かつお節バラ売り行商」を考え、関係するお寺に援助を頼んだのだそうな。その結果、県内外にかつお節行商が知られることに。

 元枕崎市長がこの逸話をもとに像を制作され、そちらは現在も市内の別な場所にあります。駅構内に設置されているのは、その像を参考にして作られたブロンズ像。
 わずかの乗客を乗せて、ディーゼルカーは再び鹿児島方面へ。

 鹿児島中央駅からは特急に乗り、南宮崎駅で宮崎空港線に乗り換えます。数分で到着するので、乗ってきた列車で折り返し、今度は日南線へ。
 宮崎はプロ野球のキャンプ場所にも選ばれる温暖な気候。

 だから日南線はそれにふさわしく、風光明美な海岸線に沿ってゆっくりと......とイメージしていたのですが、全く甘かった。
 日南市や串間市、終点の志布志市(鹿児島県)などは川が海にそそぐ平野にあります。

 でもそれらはかなり高い山々が隔てられており、拠点都市を結ぶ日南線は平野部を走ったかと思うと、表情を変えて山岳線に変身。
 どうやって鉄道を敷設したんだろうと思うような、絶壁の上を走ることも。(実話)

 2時間半ほどかけて、終点の志布志に到着しました。最後まで乗車していたのは、地元の女性とセンセイだけ。
 運転手さんの表情からすると、いつもこんな感じらしい。

 本当は駅前のスーパーで何か食べ物(+祝杯のビール?)を買おうかと思ったのです。でもこの時は激しい雨で、帰りの列車が時刻通りに運転されるかどうか心配になるほど。
 というわけで、おとなしくそのまま南宮崎へ戻って列車を乗り換、宮崎へたどり着きました。

 心配なことがいくつかあります。まず乗客が異常に少ない。日南線はごく一部の区間を除くと、高校生すらわずかでした。平行する道路はいずれも立派に整備されています。
 廃止の声が出てもやむを得ないのではないだろうか。

 そしてもう一つ。路線にもよるのですが、線路の保守状況が良くありません。一部区間を除き日南線はとてもよかったのですが、伊豆枕崎線は、脱線するじゃないだろうかと思うような揺れ方をしながらビュンビュン走ります。かつて乗車した豊肥(ほうひ)本線もそうでした。
 JR東日本・西日本では絶対にない揺れ方です。

 というわけで無事、九州のJR線(JR九州および西日本)をこれで完全乗車したことになります。久しぶりの充実感を感じているのですが、それと同時に、いろんな意味で「だいじょうぶかなぁ」と感じてしまいます。
 もちろんセンセイの健康のことではないですよ。

 センセイが患ったのは、溶血性貧血。それに対して、鉄分は十分補給しましたから。



6月7日(日) 「白いかもめ」に初めて乗車しました ――鉄分補給の旅は後半へ――

 今日も早くから長崎大学へ「出勤」し、学会に参加しました。特に午後は自分の発表があっただけでなく、もう一人の先生と部会の司会もしていたので、本当に大変。
 でも関係者のおかげで、無事に仕事を終えることができました。

 長崎大学―長崎駅付近の移動は、路面電車が便利。今日は昭和36年製造の電車――センセイと同じような年齢――に乗車しました。センセイはこんな所でも鉄分補給。
 でも鉄道の旅はこれからが本番。

 長崎から特急「かもめ」に乗って新鳥栖(とす)駅まで移動し、九州新幹線で再び九州南部へ戻るのです。お土産を買って頭端(とうたん)式の長崎駅ホームへ出ると、待っていたのは、おぉ、「白いかもめ」。
 885系振り子型特急電車です。

 西村センセイ、九州は何度も訪れていますが、乗車するのはたぶん初めて。せっかくの機会なので、写真右側の多種多様な列車とともに記念撮影。

 海側の席を指定したはずなのですが、その車両だけなぜか山側(北側)だったので、自由席へ移動しました。
 空席が多かったので、何の問題もありません。

 長崎本線の肥前鹿島―諫早間は紀勢本線に似て、入り組んだ海岸沿いの、台地と海に挟まれた狭い場所を急カーブで連続して曲がります。
 こればっかりは実際に乗ってみないとわからない。

 風景は非常に良い――だから海側の座席を指定した――のですが、そこを走る列車は本当に大変。
 そこで振り子型の登場となったわけです。

 国鉄時代に製造された381系は何だか変な感じで揺れるようであまり好きではなかったのですが、885系では違和感を感じませんでした。
 ただしJR九州の車両はいずれも、デザインや使い勝手に独特の特徴があり、 不器用な東
(あずま)男のセンセイとしては、あまり好きになれそうにない。

 それはともかく、少し遅れたものの新鳥栖駅に到着し、新幹線に乗り換えて鹿児島中央駅へ。周囲は真っ暗ですが、ここでさらに在来線に乗り換えて、今日の目的地に無事到着しました。
 今回のツアー、計画はほぼ完璧。センセイの旅行計画の中でも、最も良くできたものの一つです。

 ただしいくつかウィークポイントが。大半はこれまでにクリアしたのですが、最難関が残っています。明日、早起きして始発列車に乗車しなくてはならない。

 というわけで、今日はお休みなさい。

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