2015年3月21日更新(2015年3月29日ページ移動。2017年7月15日一部写真削除)

──2015年3月第3週のニュース──

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3月21日(土:祝日) 旅は自分の選択そのもの ──寝台特急「トワイライトエクスプレス」のBDを購入しました──

 すみません。今日もある種、約束違反。

 発注していたブルーレイディスクが届いたのでです。お許しを。ご覧のように、廃止された夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」を紹介するディスクです。((c)TEICHIKU)
 センセイは時々列車の写真をこのページに載せています。

 もしかするとご覧頂いている方の中にはセンセイを「撮り鉄」だと理解していらっしゃる方がいるかもしれません。でもセンセイが撮影する写真はあくまで、メモ用(+このページ用)。
 実際、望遠レンズのついた大きなカメラは持っていません。

 世の中の区分に従うならば、センセイは「乗り鉄」あるいは「スジ鉄」──市販の時刻表を「読む」──に分類されるんだろうと思います。
 つまり、実はあまり写真を撮っていないのです。

 そこでこのブルーレイディスクを少し前に予約したのです。大きく見ると、昨年ご紹介したディスクのシリーズ。
 ただし決定的な違いがあります。

 以前ご紹介したディスクは、列車全貌の風景をただ撮影するという、考えようによっては信じられない内容なのに対して、今回のディスクは割と一般的なもの。
 出発前のシーンから始まり、車両の紹介や、沿線の見所など。

 確かに見落としていた場所や、「へぇ、そうだったんだー」という場面も多い。だから内容や、購入したという行為そのものについての不平不満はありません。
 でも、どこか違和感が残ります。

 ビデオを視聴した直後は、「センセイがへそ曲がりだから」と考えたのですが、それではどうも収まりがつかない。
 最初に気づいたのが、着目点の違い。

 映像は日暮れまでと、夜明け以降がメイン。もちろん撮影という技術的な問題を考えれば当然だと思います。でも、乗車して初めて分かるのですが、夜行列車の醍醐味は夜間の風景。
 夜間に自動車を運転する時に似て、室内灯を消すと、意外に風景が見えるのです。(信じてもらえないかもしれない)

 さらに考えると、違和感の正体は着目点を強制されているかどうかだということに至りました。

 実際に乗車してみると、例えば子供がよくそうするように車両前方を注視するとか、何らかの選択を迫られます。見方を変えると、何かを選択するということは、それ以外のものを捨てるということ。
 だからその代償として、見えなかったもの、経験できなかったものが残ります。

 旅は、選択。そして人生そのもの。

 でも一般的には、このディスク──その価値を減じたり否定しているのではありません──を含めて当たり障りのない内容になりがちです。もちろん、ふだんはほとんど問題にならない。
 でも、イザという時には微妙な差が、しかし決定的な違いになります。

 自己の経験を踏まえた、そして立場上、若者のそのような場面に立ち会うことが多い者の実感です。



3月20日(金) う〜ん、この時刻でも帰ることができてしまう... ──特急「しらゆき」に乗車しました──

 すみません。前言に相違して今日は鉄道ネタです。それなりの理由があるので、悪しからず。

 今日はJRダイヤ「大」改正後、初めての普通の週末。要するに、センセイはこれからこのような週末が金沢工大退職/離職まで続くことになります。その意味では大きな一日。
 ただし今日はその典型ではありません。

 国公立を問わず、大学は常勤の教員だけではすべての授業をこなすことができません。あまりに広い分野の講義を開講しているからです。それを補ってくださるのが非常勤教員。
 大手の大学などでは、経営効率化のために多数の非常勤教員を運用しているケースも見られます。

 これに対して金沢工大は教育重視。ほとんどの講義を常勤教員が担当しています。ただしそれでもやはり、芸術など特殊な分野は専門の先生にお願いするしかありません。
 そこで今晩、そのような非常勤教員をねぎらう会が金沢駅前のホテルで開かれたのです。

 立場上、そして実際お世話になっているので、センセイも出席させていただきました。会は18時から20時までの予定。でもいろいろ事情があって、今晩は新潟の自宅へ戻りたい。
 会場は金沢駅のすぐ近く。今までだったら18時45分くらいに会場を離れ、54分発の特急「北越9号」に飛び乗っていたはず。

 ただし今晩は約1時間後の19時半過ぎまで会場にいました。もちろん北陸新幹線開業によるものです。

 45分発の「はくたか」に乗車すると、上越妙高駅で新潟行最終の特急「しらゆき9号」(写真)に接続するのです。在来線ホームで、初めてご対面。
 これから数年間、お世話になります。(ペコリ)

 照明のナトリウム灯の影響かもしれませんが、公表されたイラストや直江津駅で見かけた真っ白な姿より、少しばかり落ち着いたイメージ。
 それでもやはり、地に着いた塗装という感じではありません。

 また、車体前面中央の光り輝く部分──実は車体後部も同様──の意味は......正直なところ、よくわかりません。
 車内はというと、ほぼ同世代の681/683系と同じような構造。

 でも決定的に違う点があって、こちらは鉄道車両としては初めてのダブルスキン構造。要するにアルミニウム製の段ボールです。
 だから700系新幹線に似て、車内は静かだし、広い。

 ただしボルスタレス台車からか、乗り心地は最近の新幹線に似て、何となく安っぽい。ドイツ車と国産車の差に似ています。

 でも、まぁ、これに慣れるしかないのかなぁ。



3月19日(木) 駐車場のアスファルトの割れ目から、土筆が顔を出しています

 もともと春休みなのと、北陸新幹線開業などの特別なイベントが重なったため、今ページはこのごろ、長くなりがち。というわけで、今日は見たままの話題を手短に。

 気がつくと炊いて冷凍庫に保存したご飯の在庫が少なくなっていました。お米はあるので、ご飯を炊けばいいのですが、そのためにはお米を研いで水に浸す必要があります。
 つまり、少し時間がかかる。

 というわけで昨日はいつもより1時間ほど早く帰宅しました。日脚が伸びているのでまだ明るさが残っています(実際はかなり暗い)。
 大学近く──写真奥は6号館LC──の階段を降りている時、痩せた土筆
(つくし)に気づきました。

 階段脇が駐車場になっていて、その斜面がひとまずアスファルトで舗装されているのですが、その割れ目から頭を出しているのです。
 よく見ると周囲にもう数本。

 金沢はここ数日、かなり暖かい日が続いていて、冬用の防寒具を着ている──それしか持ってきていない──と、かなり暑く感じます。
 今日は校舎の脇で白梅が花をつけ始めていました。

 1ヶ月半前に上京した時、放送大学近くの公園では紅梅が見事に咲いていました。かなり遅れましたが、北陸にも春は近づいています。
 もっとも来週半ばは雪の予報。

 3歩進んで2歩下がる、という感じでしょうか。



3月18日(水) 種子と種を蒔く人 ──未来の過去のために、結婚式の映像を編集しました──

 ここ数日のセンセイは少し夜更かし。姪の結婚式の映像を編集して、ブルーレイディスクに焼いていたのです。

 結婚式そのものの映像は撮影できなかったのですが、続く約2時間半の披露宴の様子を撮影しました。60分テープを2本持参したのですが、録画したのは55分ほど。
 最初から編集する時を意識して撮影しました。

 その日の晩は近くのホテルに泊まったのですが、テープを隅から隅まで──つまり約1時間かけて──チェック。翌日自宅に戻ってからもう1回チェック。頭の中でシナリオを書きます。
 一昨日、飲み会から戻った後でテープをMac miniに読み込みました。

 撮影ミスなどを飛ばすため、この作業に1時間以上かかります。その上でざっと編集。気がついたらそのまま、椅子に座ってMacの前で寝ていました。う〜ん、飲みながらの作業は止めよう。
 この段階で、編集後の長さは約30分。

 テープ式のビデオを撮影する時は、安定した画像を得るため、カメラを回す前後に「伸びしろ」を撮ります。でもこれは、視聴者には不要。冗長な印象を与えます。
 昨晩はこれを1カットごとに丁寧にダイエット。

 不必要なカットも捨てたので、カット数は140くらいから70ほどに減りました。これでひとまず完成。再生時間は23分。
 編集後のデータを直接ブルーレイレコーダに戻そうとしたのですが、機器を認識しません。

 そこでビデオカメラ内のHDVに書き出すと同時に、そのHDMI出力を特殊な装置でHDV信号に再変換し、ブルーレイレコーダへ。
 アパートの機器を総動員しての作業です。

 昨晩遅く、マスターディスクが出来上がりました。配付先の中にはブルーレイを持っていない可能性があるので、DVDディスクも作成。
 焼き増しは簡単なものです。

 なぜここまでして編集するのか。

 配付先はまず現在の新郎新婦。そして親族。後者の中には病気で参加できなかった人もいますから、ひとまず喜んでくださるでしょう。でも本当の配付先は、未来の新郎新婦やその従兄弟など、要するに次の世代。
 自分の子供の頃のアルバムを見た時をイメージしてみましょう。

 小さな自分はそれなりに可愛いかもしれない。でも視線は自分よりもむしろ、若い時の親や、亡くなった祖父母、あるいは昔の自宅や風景などに向かうはず。
 センセイを含めて、結婚式の参加者はやがて、櫛の歯が抜けるように退場していきます。

 続く世代が過去を知ることができるように、今のうちに誰かが種子を蒔かなければならない。そしていつの間にか、自分がそういう役回りになっていました。
 若い人には何のことだか良くわからないと思いますが。



3月17日(火) これが「四校」(しこう)かぁ ──石川四高記念文化交流館に初めて入ってみました──

 今日も見たままのお話。ただしいつもとはちょっと違います。いわば滅多にない金沢ネタ。

 昨日は午前中に大学院の学位授与式が行われたのですが、その終了後、大学に届を出してから金沢市へ移動しました。市内中心部で研究会が開かれたのです。
 会場は「石川四高記念文化交流館」(写真の左側)。

 「四高」は「しこう」と読みます。

 旧制第四高等学校の意味で、写真の建物とその奥に、学校は存在していました。「旧制高校」と言っても若い方の中にはご存じない方もいらっしゃるのではないかと思います。
 現在の大学教養部に相当するのですが、昔は進学率が極めて低かったので、ここに入学するのは超エリート。

 しかも「第○」と数字が付された旧制高校は「ナンバースクール」と呼ばれ、最精鋭が学ぶ学校でした。西村センセイ、ここを訪れるのは初めてです。
 写真の建物が建設されたのは1891年。今から120年以上前のことです。

 学制改革に伴う閉校の後は、金沢大学理学部、金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館として使用されました。
 カメラを構えていたら初老の男性が「撮ってあげましょうか」。

 北陸新幹線でやって来た旅行客だと思われたのかも。「四高」はこの奥、金沢城の手前まで広がっていたのですが、現在は公園として利用されています。
 西村センセイ、そちらを見るのも初めて。

 施設の1階には「四高」の歴史を紹介する4室があり、写真や実物などが展示されています。
 やはり超エリート校だったイギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学に通じるノリがあります。

 2階は多目的利用室となっており、有料ですが一般に開放されています。その中の1室は、かつての旧制高校の教室を再現しています。
 研究会の会場はまさにその部屋。

 部屋は予想外に狭く、机と椅子が一体化されたものが30人分用意されています。センセイが学んだ学校より二まわり小さい。
 意外だったのが、廊下側に窓がないこと。ドアにも窓がないので、廊下から室内の様子を見ることはできません。

 夏の暑さに対処するためだと思いますが、天井は非常に高い。こんなに高い木造の部屋は初めてです。
 ただしその分、どうやら耐震性に難があるようで、廊下や室内で人が歩くと、揺れを感じました。

 さて、肝心の研究会はというと、参加者は多くなかったのですが、刺激的な発表と討議が行われました。
 そしてその後は皆で近くの飲み屋へ。

 教室の中も、そしてその後も、かつての「四高」生が蘇ったかのようでした。この目で「四高」生を見たわけではありませんが。



3月16日(月) 3月13日に引退した特急「北越」の、特製栞をもらいました

 今日は見たままのお話を手短に。北陸新幹線開業と、それに伴う在来線移管の関係でずっと続いた鉄道ネタですが、今日でたぶん一区切りになると思います。
 週末に帰宅したら、写真の栞
(しおり)をもらいました。

 文庫本に挟むのに適したサイズ。非常に小振りです。上が表面、下がその裏面です。

 8日(月)に特急「北越」に乗車したところ、乗務員が車内で希望者に配布していたのとこと。
 ところが、受け取ったその人は鉄道ファンではないため、巡りめぐってセンセイのところへ。

 実はセンセイも車内でそのアナウンスを聴いたのですが、下車するまでに車掌さんは来ず、もらい損ねてしまいました。
 願いはいつか通じる。

 表面の列車は何度かご紹介した485系T-18編成。裏面の列車は北越急行所属の618系。
 運転手はJR東日本、中央の黄色い帽子をかぶった人は北越急行の運転手、最後尾の車掌さんはJR西日本の制服。

 実は裏面のデザイン、センセイがもらったカードと基本的には同一。良く考えると、北越急行は「北越」の運行と無関係なのですが、深く追究することは避けましょう。
 485系を「はくたか」として運用していた(こちらこちら)歴史もあるので。

 いずれにせよ、もう戻れない曲がり角を一つ、後にしたことだけは確かです。



3月15日(日) 季節の替わり目に立ち会う ──上越妙高駅から「はくたか」に乗車しました──

 お台場にある式場で、姪の結婚式が始まったのは午後6時。今風の式と披露宴は9時過ぎに終わり、出席した娘とホテルに戻ったのは10時半頃でした。

 いろいろ考えるところがあって、今回は6年半前に購入したHDビデオカメラを持参し、専属カメラマンとともにいろいろ撮影しました。その映像を確かめていたら、おぉ、もう1時過ぎ。
 とにかく寝て、6時半過ぎには起床します。ひとまず新潟の自宅へ戻るのです。

 今回のJRダイヤ改正、いろいろ感じることはあるのですが、その一つが北陸新幹線と上越新幹線の差別化。今日は、東京発7時48分の上越新幹線に乗らないと、非常に効率が悪い。
 これには二つの意味があります。

 まず、従来は上越新幹線が首都圏と新潟・庄内地方を結ぶだけでなく、北陸地方への輸送にも大きな役目を果たしてきました。ところが北陸新幹線の開業で、後者は意味をなさなくなっています。

 そこで上越新幹線は、便数こそほぼ現状が維持されましたが、よく見ると「各駅停車」という位置づけに格下げされています。速達タイプの「かがやき」を除いても、北陸新幹線「はくたか」との差は明らか。
 「走らせてやるだけでもありがたいと思え」と、ダイヤの行間にそう書いてあるかのよう。短編成の列車も多い。

 そしてもう一つ。旅客列車に関する限り、もはや「日本海縦貫線」などは存在しないのです。「上越・北陸新幹線で最寄りの駅まで運ぶから、後は何とかしろ」というわけです。
 今日、駅で乗降するたびに、このメッセージを繰り返し噛みしめました。

 自宅で最低限の片づけをして休息してから金沢へ向かうべく、午後の各駅停車に乗車します。さし当たりの目的地は、北陸新幹線と接続する「上越妙高」駅。
 昨日は猛スピードで通過してしまいました。

 乗客は、何だかいつもと違う。学生が多いのですが、「青春18きっぷ」の乗客とも違います。直江津から先の第三セクターには乗車できない──一部例外区間あり──ことが関係しているものと思われます。
 直江津駅で“JR”のシールが残されたままのE127系「えちごトキめき鉄道」に乗り換えます。

 こちらも乗客は不揃い。普通の地元利用客がいて、大きな荷物を抱えた普通の新幹線利用客がいて、普通の──たいていは小太りで望遠レンズのついたカメラを持っている──撮り鉄と乗り鉄がいて......でも、そうじゃないお客さんが。
 北陸新幹線および第三セクター線の開通を喜ぶ、「いつもとは違う」鉄道ファンのようです。

 こちらは子供連れの家族客と、老人が主体。現場を目撃した人によると、ダイヤ改正の昨日は、第三セクターの車両はお祝いする地元民で溢れ、お祭り騒ぎだったそうです。
 記録によると、三陸鉄道開業日もまさにそう。

 乗車するかどうかはともかく、人間が少ない地域のはずなのに人々が押しかけたため、安全を確保するために列車は定時に運行できなかったとのこと。三陸鉄道のその後はご紹介した通り。
 全貌が見えていないんだろうなぁ。

 2両編成のE127系は、上越妙高駅新幹線高架の下に滑り込むようにして到着。たくさんの人が列車を迎えています。センセイ個人にとっては、ここからが本題。

 金沢工大に残る──あるいは「残していただける」──として、センセイはもう数年、この上越妙高駅を利用することになります。
 乗り換え方法や使い勝手は非常に重要なのです。

 在来線のホームは極めて簡素。要するに、何もないので、とにかく2階へ上ります。新幹線への乗り換え口を探したのですが...ない!!
 有人改札口を通るしかありません。

 えちごトキめき鉄道はワンマン運転が原則。しかも大半が無人駅ですから、ここで切符を丁寧にチェックするしかないようです。
 繁忙期に対応できるんだろうか。

 改札口を出たら、そこは公共の空間。出札窓口やら土産物店などが並んでいますが、いずれも小規模。
 直江津駅前のホテルが経営している駅弁店もオープンしていました。

 ホームで「今日は捌けねぇえーの」と語っていた男性が、店の奥に立っています。直江津駅での商売はやめたんでしょうね。

 改札口(写真中央奥)へ向かいます。上越コンベンション協会のわかてが揃いのジャンパーで乗客を見送っているのですが、内輪で「それじゃぁ、皆さん、2列か3列に並んで、お客さんに...」。
 昨日の金沢駅と、組織力とスケールが違いすぎる。

 上越妙高駅は駅舎全体も、そして新幹線ホームも極めて簡素なもの。ホームに出てもなにもありません。
 一緒に乗ってきたえちごトキめき鉄道の乗客は、大半は東京へ向かうようで、隣のホームはかなり混雑しています。

 でも金沢行のホームはまばら。到着した「はくたか」から下車したのも5人だったのですが、車内はほぼ満席。
 ディズニーランド帰りの家族客や、いつもは見ない老人など。

 でも良く考えてみると、これまでの上越新幹線+在来特急「はくたか」の乗客もこんなものだったのかもしれない。

 実際、糸魚川駅ではほとんど下車しなかったものの、お客は魚津市最寄りの「黒部宇奈月温泉駅」、富山駅、新高岡駅と次々とお客は降りて、終着駅まで残った乗客は2割くらい。
 ご祝儀客を除けば、今までと本質的には変わっていない、ということです。

 ただしそれは一般論。上越地域に限ってみれば、駅弁販売の有無はともかく、直江津はもう、鉄道の主要駅ではなくなった、ということを意味します。
 その代わり(?)の上越妙高駅も、これからは田舎の小さな乗換駅に過ぎない。

 センセイ個人はというと、そもそも発想を変える必要があるようです。これまでは運営会社(JR東西)はともかく、移動の枠組みを在来線のネットーワークで考えてきました。
 でもこれからは新幹線を主体に、「そこからどう移動するか」という発想で考える必要があります。

 しかも実際問題として、新幹線と在来線の乗り換えの接続が悪く、しかも実際の費用がこれまでの倍くらいになります。とても新幹線を毎週利用するわけにはいきません。
 でも高速道路「北陸自動車道」は、「日本海縦貫線」──かつての北前船──の役割をそのまま果たしています。

 センセイはこれまで、毎週の新潟−金沢間の移動についてはJR線が主体で、月に1度くらい車を使っていました。北陸新幹線開業の影響を考えた時の予想は、半々くらい。
 でも実際に改正後の路線を走ってみると、今後は自動車での移動が主体になりそうです。

 長くなってしまいましたが要するに、いろいろな意味で季節の替わり目に立ち会っている、ということです。

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