2004年10月23日更新(2004年11月1日ページ移動。2004年11月7日写真削除)

──2004年10月第4週──

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10月23日(土) 自宅で感じる不思議な気分 ──西村センセイは無事です──

 切符を落とした西村センセイ、経路を変更して、新潟の自宅を経由して都内を往復しました。

 自宅に戻ると、ある学会から、11月に開催する研究大会の案内とお金の振込票が入っていました。他ならぬ、センセイらが開催する学会(こちらから)の案内です。

 案内の文面はセンセイが作ったものだし、お金の振込先の名義は西村センセイの名前......。(昔は「大会実行委員会」とかで口座を作ることができたのですが、マネー・ロンダリング対策でできなくなったのです。)

 何だかとても不思議な気分だなぁーと思いながら、放送大学での講義があるので、今朝は早起きをして金沢へ戻りました。

 で、熱心な学生さんに囲まれて講義を終え、研究室に戻ると

新潟県中越地方、大地震!!

 震源地は、センセイや関係者が住む、まさにその場所なのです。

 お察しの通り、電話は着信規制でなかなか繋がりません。

 それでも実家と弟二人とは連絡が取れました。

 震源地近く、十日町に住む弟の家では、2階の窓が外れて落下したそうですが、人的な被害(!!)はなかったとのこと。実家での被害はないそうです。

 ところが、センセイの家のある柏崎市は全域で停電していて、電話がまったく繋がりません。(センセイの家はISDNなので、電源が落ちるとまったく繋がらない。)

 まぁ、たぶん大丈夫でしょう。



10月22日(金) 西村センセイ、落とした切符を買い直す

 西村センセイ、今朝はちゃんと大学に存在していたのですが、午後から都内へ移動し、研究会に参加していました。

 でも実は、週末の土日に放送大学石川学習センターでの面接授業があるので、どうしても明日朝までには金沢へ戻る必要があります。

 もちろん真面目な(?)西村センセイ、そのために一ヶ月近く前から乗車券類を買っておきました。
 特に、今日の研究会を終えてからは夜行寝台特急で未明の金沢へ到着――これはこれで相当キツイ――するように手筈を整えておきました。

 ところが先日の紛失事件(こちら)で全部パー...。(涙)

 改めて同じものを購入し直そうとしたのですが、夜行寝台「北陸」が満席で、諦めざるを得ませんでした。

 でも仕事は仕事なので、いろいろ工夫してかなりキツイ日程ではあるものの、新潟の自宅を利用して今日の出張と明日の放送大学の講義を両立させることにしました。

 で、今日は買い直した切符で長岡から東京まで新幹線に乗ったのですが、こういう紛失や盗難の場合、後で本当の切符が出てきた時のために特別な配慮をしてくれます。

 具体的には、ひとまず切符を普通に販売するものの、販売時に「紛失再(発券)」というハンコを押し、下車時にも「再収受証明(1箇年有効)」を押印してくれます(だから自動改札機を利用してはいけない)

 で、1年以内に本来の切符が発見されたなら、この使用済みの切符とあわせて窓口へ持参すると、僅かな手数料で払い戻してくれる、という仕組みなのです。

 今回のセンセイの場合、再発見はありえないのですが、今回の教訓を生かすべく、半ば記念のため(?)にこの手続きを取っていただきました。

 明日からの面接授業は、2時間15分のものを土曜日に3回、日曜日に2回やるという、講義する方にも、聴く方にも辛い――そして切符を落とした西村センセイのサイフにもキツイ――、そしてお互いに得るものの多い講義なのです。

 自分から積極的に学ぼうとする学生さんのために、頑張るぞぉー!!



10月21日(木) こんな所にも颱風の爪痕が...

 昨日の午後、颱風が大阪市付近に再上陸し、スピードを上げて中部地方に接近していることがわかると、学内も急に慌ただしくなりました。
 安全のため、学生はもちろんのこと、教職員も早めに帰宅せよとの通達が出ました。

 急ぎの仕事があったので、センセイはまだ少し残っていたのですが、6時前になると、雨に加えて風がとても強くなってきました。

 センセイも大学を出たのですが、風が強く、車のドアは風で動かされるし、買い物に入ったスーパーでは横から吹き込む雨でびしょ濡れになるし、もう散々でした。

 でもこういう時、洪水でもない限り、車は安全。

 で、濡れはしたものの、あまり怖い思いはせずに帰宅したのですが、帰ってからますます風が強くなりました。
 風向きの関係で、センセイのアパートは他の家の陰になっているのですが、それでも揺れているのがわかります。

 どうやら6時から7時頃、つまり颱風が再接近する2時間位前が風のピークだったようで、それ以降はずいぶん静かになりました。

 颱風が金沢を左に見て進んだ──こちら側は風が弱くなる──こともあって、たいした被害はなさそうだな、と思った西村センセイ、今朝も暗いうちにご出勤。

 出がけにコンビニ(大学そばのサンクス)へ寄ってみると、出入り口のドアが壊れています。

 恐らく、直接風で壊されたのではなく、風で飛ばされてきたものが当たったか何かなのでしょうが、やはり颱風に関係していることに違いはありません。

 みんなが出勤してくるころになって、一通のメールが届きました。

 昨日の大雨で、大学の、ある建物が雨漏りしたので、補修工事のために使用教室を大幅に変更するというものです。

 身近でもこれだけの被害が出るのですから、全国ニュースで伝える被害や、伝えない被害の重さはとてつもないものなのでしょうね。



10月20日(水) 西村センセイ、学者だったんだぁー

 昨日帰る時は会議があったので、事務室のメールボックスを覗くことができませんでした。

 今朝一番に開けてみると、大きな封筒が。

 審査を通過した論文の初校(初めての校正)が届いたのです。

 さっそく作業を始めたのですが、これがとても面白い。

 学会の開催を控えているので、このところ学者本来の仕事はさっぱりで、雑務──それはそれで重要なのだけれど──に追われていたためかもしれません。

 今回の文章はもともとかなり錬られたものなので、とてもコンパクト。
 いつもはこのホームページのようにだらだらした文章を書いているので、ちょっと自分の文章とは思えない感じすらします。

 あ、学者って面白いんだーと、今さらながら感じていた今日の西村センセイなのでした。



10月19日(火) 西村センセイ、めずらしくゲームを買う

 日曜日に娘と車で市内をフラフラしていたら、急に娘が「電器屋さんへ行きたい」と言い出しました。

 特別な目的はなかったようですが、パソコン(Mac)で遊べるゲームソフトを見たかったようです。

 で、彼女が持っているゲームボーイアドバンスのコーナーから、パソコンのソフトのコーナーへ移ったら、何と、昔懐かしい──ということは、若い人は全然知らない!!──「パックマン」を見つけたので、思わず買ってしまいました。価格は2,000円でした。((C)NAMCO)

 このソフトは、喫茶店にテレビを使ったゲーム機が入り始めた1980年ころヒットした作品で、ふだんは絶対ゲームなんかしない西村センセイもなぜかのめり込んでしまいました(上手ではなかったのですけど)。
 ルールはとても簡単で、誰でもすぐに理解できます。

 実は西村センセイ、このころ(こちら)、最初の大学──そもそもこれが珍しい──を卒業するところだったのですが、教員を養成するという大学(?)と最後まで肌が合わず、卒業したらどうしようか迷っていました。

 他学部への編入も断られた(昔の国立は定員厳守で難しかった)ので、卒業論文を書きながら共通一次試験(センター試験の前身)とその大学の入学試験を受験。

 ところが受験勉強は全然できなかったのになぜか合格......。

 本当に迷ったのは合格してからで、卒業を控えた友達とこのゲームを1時間弱し終えた時には、「入学しよう」と決めていました。

 ところが気がつくと、右手からは血が!!

 迷っていたので操作レバーに力が入りすぎて出血していたのです。

 そんなダメ人間だった西村センセイも、今ではずいぶん変わってしまいました。

 西村センセイにとってパックマンは、人生の曲がり角の証人なのです。

P.S. センセイのWindowsは公物なので、私物のMacintosh上のVirtual PC(Windows 2000)にインストールしたのですが、ちゃんと動作しています。
 Virtual PCって、やはりたいしたもんですよ。



10月18日(月) イヤな予感がしたんだ...。 ──怖い話、後日談──

 列車事故(こちらおよびこちら)の日の列車内は、やはり異常な雰囲気でした。
 何もなかったとわかっても、微妙に黒いものが澱物ののように車内の人々を支配していました。

 直江津駅から何も知らない乗客が乗り込んできたので、車内では陽気と陰気がまだら模様になっていました。

 どうやらセンセイも例外ではなかったようで、ずいぶんと調子が狂ってしまい、下車する際に、切符の束をガバッとかばんの外側のポケットに押し込みました。
 いつもならそんなこと、絶対にしないのに。

 で、昨日の夕方に車で金沢へ来て、かばんを見たら、

 ないっ!!

 その切符の束がないのです。窓口でもらう横長の封筒(?)に入れていたのですが。

 自宅に忘れたのかと思って連絡しても、ない。車の中にも落ちていない。かばんの中身を全部出しても、ない。

 夜が明けて、列車の終着駅新潟駅に問い合わせても、下車した柏崎駅にも、警察にも、ない。

 困った......。

 中に入っていたのは今週末の東京出張の切符、来週末の東京出張の切符、そして柏崎─金沢間の特別な回数券(こちら)が半分以上......。損害額は約5万円。
 電車の中で落としてしまったようです。

 金額もさることながら、手配した切符を失ったので、再度購入する必要があります。出張は仕事ですから、絶対に行かなければなりません。
 ところが今度は指定が取れない!!

 というわけで、ひとまず新潟の自宅に帰って、夜、4時間ほど滞在して、土曜日の朝に金沢へ戻るという無茶苦茶な行程になってしまったのでした。
 そうなると金沢─柏崎の移動手段は、車以外にはない。

 ......今度こそ事故りそう。祟りかなぁー。トホホ。



10月17日(日) 車掌さんが怯(おび)えていた理由 ──この話は実話です──

 一昨日お伝えしたJR西日本の事故(?)の件(こちら)、全く予想外の展開になってきました。

 西村センセイ、昨晩(16日)は所用で新潟県内の別な場所に停まったので、今朝、柏崎の自宅に戻ってきました。

 で、昨日と今日の新聞を改めて読み直していたところ、右の写真((c)新潟日報社)の記事を見つけました。

 それによると、センセイらが異音と衝撃を感じたその2時間ほど前、同じ糸魚川市内で人身事故があり、老人が亡くなられたとのこと。

 ところがこの糸魚川市中浜という場所、実はセンセイらが「ドゥン」という音を聞いた、まさにその場所なのです(今回は冗談抜き)。

 センセイを含めて、乗客のほとんどはこの事故のことを知らずに乗車したはず。
 けれど運転手や車掌は、午後5時過ぎの発車前にはそこで事故があったことを知り、そして経験上、どのような状態になっていたかを想像できていたはずです。

 列車はまさに事故現場で再び異音を聞き、そして車掌はその事故現場まで戻ったことになります。

 すでにお伝えしたように(こちら)、車掌さんは現場に行く前も緊張していましたが、戻ってからの方がはるかにおびえていました
 。声が裏返っていたくらいです。

 暗く、危険だっただけでなく、事故現場まで戻らされたのですから、心中、察するものがあります。

 それにしても、あの音と衝撃は何だったんでしょう。もしかして......。

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