2004年10月29日更新(2004年11月7日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2004年10月第5週──

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10月29日(金) 新聞やテレビで報道されていないこと

 震源地近くの弟の家へ連絡を取ったのですが、「絶対来るな」とのこと。

 試験通水した水道はまだ濁っていて使えないものの、いざとなれば井戸があるし、被災数日後には電気が使えるようになったので、プロパンガスでお風呂も沸かせるだろうと言うのです。

 他の家と同じように被災したのですが、たまたま地盤がしっかりした河岸段丘の上にあるので被害は比較的少なかったことが幸いしたようで、しばらく畳を敷いて避難していた車庫から母屋に戻ったそうです。

 また被災地に余計な車が入ることも懸念しているようです。

 「生活が大変だろう」というと、周りの人もみんな同じように苦労しているので、特別な感じはしないとのこと。そりゃ確かにそうだ。

 でも地震発生からこれまでの披露が、もうずいぶんたまっていると思うのだけれど......。

 ちなみに弟夫婦は県立病院の勤務。

 弟は現在、被害の大きかった小出病院の臨床検査技師、その連れ合いは十日町病院の看護士なのですが、このような場合、弟は「被災者」で、いつまでかは知らないけれど出勤は免除。
 一方、奥さんの方は通常通りの勤務なのだそうです。

 で、地震の日は、たまたま二人とも自宅にいたとのこと。

 この週末に行くかどうかは関係者で相談して決めますが、このようなわけで、今日は自宅と実家を往復していくつかの用を片付けました。

 車で15分くらいの実家へはいくつかのルートがあるのですが、金沢への交通が心配だったので、今日はJR信越本線に沿った最も山側のルートにしました。この地域の中では最も震源地に近いルートになります。

 走り出してすぐに状況が一変しました。屋根の壊れた家が多いのですが、何よりも道路の壊れ方が半端でないのです。

 例えば右の写真。歩道が少し凹んでいるように見えますが、実は、道路全体が大きく流されて陥没し、土と砂利で道路を仮設しているのです。

 片側の車線がなくなっていたり、アスファルトの下が空洞になっていたりするのはもう当たり前!?

 もう少し進んでギョッとしました。路側に直径60cmくらいのコンクリートの筒が立っているのです。

 一瞬何だかわからなかったのですが、お察しの通り、本来は道路の下にあるべきマンホールが数10cmも浮き出ているのです。

 脇を走る信越線の線路は大きく波打っています。

 越後広田駅付近では、あちこちの道路が普通になってしまいました。

 肝心の信越線はというと、路床が大きく崩れて線路が宙ぶらりんに垂れ下がっています。

 ご覧のように架線を支える電柱も大きく傾いています。

 ここは川の流れが集まる場所で地盤が軟らかい上に、線路は盛り土になっていたので地震で大きく崩れて閉まったようです。


 数百m走って、え"っ!?

 電車が止まっているのです。誰も乗っていません。

 走行方向を確かめると上り列車。長岡発直江津行きの、西村センセイがいつも金沢に戻る時に使っている列車です。

 地震で電力が切断されて急停車したものだと思いますが、列車は止まるまでにかなりの距離を必要とするので、ほんの少しタイミングがずれただけでも、脱線転覆していたことは確かです。

 新潟に戻ってから、自宅で購読している2紙の新聞をざっと読んだのですが、どこにもこの列車のことも、越後広田駅のことも書かれていませんでした(センセイは昨日、この辺の被害が大きいことを柏崎駅員から聞いた)。

 大手メディアは新幹線のことは伝えても、こういうローカルなことはなかなか伝えてくれません。

 重要な話題を取捨選択して報道するしかないので止むを得ないことなのですが、同じように埋もれてしまった話はきっとたくさんあるのでしょうね。



10月28日(木) 西村センセイ、新潟へ戻る

 というわけで西村センセイ、やっと新潟県柏崎市の自宅に戻ってきました。

 車を走らせていると、富山県や新潟県西部は何の変化もありません。強いて言えばパトカーやスピード違反の取り締まり(ネズミ取り)が少なくなったことくらいです。

 新潟県の上越と中越──京都に近かった方から上/中/下越と呼ぶ──の境界にある柏崎市に無事に到着。やはり8年前に新築した我が家が気がかりです。

 家人は所用で外出していたのですが、まず外観は無事。

 で、外まわりをよぉーく見てみると、基礎のコンクリートに数カ所、ひび割れが見られます。

 センセイは全体の重量バランスを考慮して、自宅をMacで設計した(こちら)のですが、その時気になっていた重い書斎の下と、力がかかりやすい四隅にひびが集中しています。

 でも、こんなこともあろうかと、これらの基礎の下に実ははパイルが打ち込んでありますし、基礎の鉄筋も切れていないようなので、実際のところは問題ないと思います。

 基礎と、例えば駐車場のような構造は基本的に別物として作られているので、その境目にもひびがありますが、これも問題なし(ただし気分はあまり良くない)。

 母親が趣味で置いた庭の石灯籠が倒れていますが、まぁ、こんなもんでしょう。

 中へ入ります。

 内部の被害もほとんどなかったそうなのですが、2階のセンセイの書斎だけは別で、書棚(こちら)の本と書類は崩れ、スピーカーは床に落ち、そしてMacのCRTは机の上を移動してあらぬ方向を向いておりました。

 それでも、あらかじめあちこちの配線類を固定しておいたので被害は最小限度で済んだようです。

 自宅の次は、10Kmほど離れた実家へ向かいました。

 センセイが居をかまえる柏崎市中心部──震源地からかなり遠い──はたいした被害はないようなのですが、一歩外へ出るとずいぶん様子が変わってきます。

 実は柏崎市はかなりの面積を有しており、震源地に近い側では全壊3棟を含めて、かなりの被害が出ています。

 まず、道路の段差が多い。

 一番多いのは、相対的に軽い道路下のU字管やマンホール類が浮いている現象です。10cm程度の段差があり、高速で走行するとパンクしてしまいます。

 もちろん今日は応急修理が行われていてパンクするようなことはなかったのですが、かなりのショックを受けます。

 このような場所では、道路脇の電柱も何となく不揃いです。

 実家に到着。

 不思議なことに、まったく被害はありません。

 周囲を見渡すと、屋根の瓦を損傷したために応急処置として青いシートをかぶせたり、門柱が見事に倒れていたりします。
 緑色凝灰岩の塀もあちこちで崩れています。人が近くにいなかったのが不幸中の幸いです。

 注意深く観察すると、右の写真のような路面の損傷も見つかりました。

 高さとしては僅か数cm──それでも車にはかなりのショック──なのですが、見事なまでに断層と平行になっています。
 まぎれもなく今回の地震に関係した構造上の「しわ」の一つが地表に表れているのです。

 実家の無事は、僥倖(ぎょうこう)としか言いようがありません。
 ちなみに、センセイはまだ見ていませんが、西村家のお墓は壊れてしまったようです。

 この際ですし、実際に少し用があったので、長岡市方面へ向かいました。と言っても、長岡市中心部の手前までです。

 とにかくパトカーと警官が多い。車体には「長野県警察」とか「群馬県警察」と書いてあるので、応援部隊なのでしょうね。県名書いてないのですが、明らかに各県からのレスキュー隊を乗せたバスも多数行き交っています。

 屋根を損傷した家がどんどん増えてきます。瓦が飛び散った家もあります。

 奇妙なことに、被害は明らかに特定の場所に集中しています。こちらはおそらく地質などの問題でしょう。

 もう一つ。新しい家の損傷は僅かです。

 と言うか、建築基準法が(たしか)1981年に改正されていて、それ以降は耐震性がずっと向上しています。

 で、被害を受けた家は、明らかにそれ以前に建築されたものが多いのです。やはり人間の智慧はそれなりに働いているのですね。

 目的地で用を済ませていると、突然、「ドォーン」。

 下から予兆なしに突き上げてきます。

 そのお店は地震の際に机の上のコンピュータが吹っ飛んで、全然仕事にならなかったのだそうです(それにずっと停電していたし)。

 今回の地震は余震があまりに多すぎて、多少の地震──今回は震度3位──には慣れっこになっています。

 復興への動きも始まっています。

 今週末に予定していた東京出張の乗車券類をキャンセルするために柏崎駅に寄ったのですが、各駅停車に限って運行されていました。

 ご存じのように新幹線はボロボロですが、在来の信越本線も大きな被害を受けており、駅員さんの説明によると「線路がうねっている」状態だそうです。
 どうやら復旧の見通しは立たないようです。

 しかしいち早く復旧した越後線をバイパスに使って、新潟─長野間の快速列車も運転され始めました。

 これから数日間、西村センセイの目で見た、新潟県中越地震の様子をお伝えします。



10月27日(水) 新潟へは、明日の朝帰ることにしました

 西村センセイ、今日も早朝出勤をしてよく働き、片付けるべき仕事を終えました。

 で、いよいよ出発と思ったのですが、家人から、夕方出発すると夜に到着することになるため、明日にしてほしいとの連絡がありました。

 というわけで今晩、新潟からの中継(?)はありません。

 それでは、また明日。



10月26日(火) 出産に立ち会えなかったお父さん ──西村センセイ、新潟へ帰る──

 このページの読者の皆さんは、大きな地震があったのに、西村センセイはなぜ新潟に戻らないのか不思議に思っている方もいらっしゃると思います。

 まぁ、要するに忙しかったのです。

 センセイらは来月、金沢工業大学を会場として学会(こちら)を開催します。

 で、関係者が手分けをしてその準備作業をしているのですが、今、ちょうどそのピークの一つを迎えているのです。しかも外部の方とのやりとりもあって、身動きできなかったというわけです。

 しかしそれも明日で山を越えるので、西村センセイ、今週後半は休暇を取って、新潟へ戻ります。

 特急電車はまだまったく走っていない(各駅停車は柏崎まで運行中)のですが、たまたま、今週は車で金沢へ来ているので、明日の勤務を終えたら、その日のうちに移動しようと思っています。

 そうそう、家族とも話していたら、柏崎─金沢間のJR回数券を落とした(こちら)のも不思議な一致(シンクロニシティ)だったのかな、ということになりました。

 「虫の知らせ」というわけです。

 でも、今回は地震の時にいなかったので、出産の時に病院に駆けつけなかったお父さんのような感じがするんだろうなぁー。

 というわけで、明日は新潟の自宅からお送りする予定です。



10月25日(月) 新潟県で生まれ、新潟県に帰ってきたもの

 ご存じかと思いますが、現在、チャンネルを教育テレビに合わせると、ご覧のような安否情報を流しています。〔補足:10月25日で放送終了〕

 実はこのような放送の使い方は、40年前の新潟地震から始まったのです。

 それまでの放送(テレビ・ラジオ)は、公共性を最優先して、個人的な情報は一切流しませんでした。

 大きな被害を出した新潟地震の際に、福島県から修学旅行で来県していた生徒が被災し、家族らに連絡が取れなくなったのです。

 この時、NHK新潟放送局──新潟駅前にあった──とBSN新潟放送の担当者が勇断して、安否情報を初めて放送しました。
 福島の保護者や居残りの先生方は生徒の無事を知って、本当にこの放送を感謝していました。

 これをきっかけとして、安否のわからない人への情報をラジオで繰り返し繰り返し流すことになったのです。
 休みも取れずに安否を伝え続けるスタッフ(特にアナウンサー)の苦労は筆舌に尽くしがたいものだったそうですが、最後まで努めを果たしました。

 この安否情報が放送されるということは、その場所で災害が起きたことを意味します。

 だから正直なところ、帰ってきて嬉しいものではないかもしれませんが、放送がこうやって人々の役に立っているということを確認する場面であることも確かですね。



10月24日(日) 新潟県中越地震、センセイ関係者の被害状況は...

 昨日は久しぶりの休肝日。もちろん、望んでというわけではなく、新潟との連絡が取れなかったからです。

 万一に備えて、車にガソリンを補給して待機していたのですが、昨晩は連絡がありませんでした。

 で、ひとまず休んでいたところ、未明に自宅から電話があり、幸いにも被害は少ないことが判明しました。

 娘は初めて大きな地震を体験した──新潟地震を含め、センセイは何回か経験している──ので、本当に大変だったようです。

 明るくなってからあちこち確認すると、震源地に近く、犠牲者も出ている十日町の弟の家では、窓ガラスの落下に加えて、1階の廊下のガラスが割れて散乱し、また台所はメチャクチャになったそうです。
 昨日は余震が続いて危険なのと、暖が取れなかったので、一家揃って、車庫の車の中で寝たそうです。

 というわけで、センセイの関係者には大きな被害は出なかったのですが、もちろんそれで良し、というわけではありません。

 ニュースが伝える山古志村の状況は想像を超えるものです。小千谷市や十日町市の状況もひどいものです。知っている場所がグチャグチャに崩れているのですから。

 今週末は都内へ出張の予定だったのですが、ちょっとこれじゃぁ無理かなぁーという感じです。

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