2008年2月26日更新

掲載雑誌記事他

※ 各記事・番組等の著作権はそれぞれの著作権者に帰属します

掲載雑誌記事(判明分) ※ 掲載基準:謝礼が発生したもの

「CDプレーヤの中の怪獣たち」, 『ラジオ技術』, Vol.43, No. 6, ラジオ技術社, 1989, pp.205-206.

「テレビの"音"聴こえますか」, 『ラジオ技術』, Vol.43, No. 8, ラジオ技術社, 1989, pp.215-216.

「DAC外付けCを変えてみる」, 『ラジオ技術』, Vol.45, No. 4, ラジオ技術社, 1991, pp.185-186.

「PCMプロセッサをデジアウト付に改造」, 『ラジオ技術』, Vol.46, No. 1, ラジオ技術社, 1992, pp.180-181.

「ドラえもんとQuicktime 4」, 『MacFan』, 毎日コミュニケーションズ, 1999年9月1日号, p.181.

「私は、Macでお家を建てました」, 『MacFan』,毎日コミュニケーションズ, 2000年3月1日号, p.194.

執筆記事(一般にはあまり知られていないもの)

「押入と抽斗(ひきだし)」2000年3月

※ 新潟県立高校最後の保育科の一つである県立柏崎常盤高校保育科の閉科と付属幼稚園の閉園記念誌への寄稿文
※ ダウンロードはこちらから(PDFファイル6KB)

「押入と抽斗(ひきだし)」2000年10月

※ 敬和学園大学図書館の広報誌「図書館便り」(2000年10月)の巻頭エッセイ
※ ダウンロードはこちらから(PDFファイル7KB)

「扉を開く時」2002年4月

※ 敬和学園大学広報誌『KEIWA COLLEGE REPORT』第30号(2002年4月)の退職のご挨拶
※ ダウンロードはこちらから(PDFファイル195KB)、またはこちら(テキスト1.5KB)から

このページのトップへ戻る
トップページへ戻る

掲載新聞記事(判明分)

※ 掲載基準:執筆またはコメントしたもの。または制作に深く関与したもの。
※ PDFファイルを閲覧するためには専用のビューワー(Acrobat Reader)が必要です。

執筆

「意気込みを強く実感」, 『キリスト教学校教育』, 1991年9月15日号(第352号), p.4.

「研究室から」, 『新潟日報』(文化欄), 1994年3月〜4月.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル297kB)

「JRダイヤ改正で不便に」, 『新潟日報』(「窓」欄), 2001年12月1日.
  ダウンロードはこちらから(PDFファイル200kB)

コメント

青鉛筆, 『朝日新聞』(社会面、全国版), 1997年7月1日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル61kB)

「引力証明お預け? 植樹6年で結実 台風で大半落下」, 『新潟日報』(社会面), 1997年7月1日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル132kB)

「第2のニュートン現われて! ゆかりのリンゴに木の実」, 『産経新聞』(地方版), 1997年7月1日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル251kB)

「"知恵の実"なり難し ニュートンリンゴ初結実」, 『読売新聞』(地方版), 1997年7月12日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル304kB)

「『いつ落ちるか』にらめっこの毎日 新潟・敬和学園大に実った『ニュートンのリンゴ』5個」, 『日刊スポーツ』(社会面, 全国版), 1997年7月14日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル562kB)

「柏高探究コースでようこそ西村先輩 ドラえもんや特製傘も登場し」, 『柏新時報』, 2002年8月30日.
  ダウンロードはこちらから(
PDFファイル440kB

「『文』の象徴としてがんばれ 柏高でニュートンのリンゴの木を植樹」, 『柏新時報』, 2003年1月11日.
  ダウンロードはこちらから(
PDFファイル56kB

「眠れる才能呼び起こす」, 『北國新聞』, 2007年4月10日.
  ダウンロードはこちらから(PDFファイル524kB)

「【シリーズ現場】限りある資源 有効に エネルギー・環境フォーラム in 金沢工大」, 『中日新聞』, 2007年11月28日.
 ダウンロードはこちらから(PDFファイル666kB

[参考]関連記事(コメントなし)

「ニュートンのリンゴの木、敬和学園大学で実を結ぶ」, 『広報しばた』, 1997年8月1日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル192kB)

「ニュートンのリンゴ結実」, 『朝日新聞』(地方版), 1998年7月18日.
  ダウンロードは
こちらから(PDFファイル229kB)

このページのトップへ戻る
トップページへ戻る


出演テレビ(判明分のみ:出演番組のご紹介はまだまだ続きます。)

※ 掲載基準:出演またはコメントしたもの。または制作に深く関与したもの。
※ 以下でご紹介しているものは録画が残っているものに限られます。出演TVは合計約20本程度、制作に深く関与したものはその他に30本程度と考えられます。

出演・コメント

「TVムック謎学の旅 追跡! 隠れキリシタンと魔鏡の謎」, 日本テレビ放送網(全国放送), 1988年6月3日放送.(30分)

 西村センセイ衝撃のTVデビュー作品。一見すると普通の古い鏡、しかし光を当てると十字架にかけられたキリスト像が浮かび上がるという謎の「魔鏡」。江戸時代、弾圧を受けた隠れキリシタンの中には、この鏡を信仰の対象にしていた人たちがいました。
 番組では魔鏡のメカニズムや、魔鏡と隠れキリシタンの謎を俳優の児玉清さんが島原まで追いかけました。

 番組の一部は東京都三鷹市の国際基督教大学で撮影されました。当日はまずキャンパス内で導入部分(写真上)が、続いて西村センセイが製作した実験器具を用いて、魔鏡現象の再現とメカニズムの説明が撮影されました(写真下)。
 下の写真中、左から師匠の渡邊正雄東京大学名誉教授、児玉清さん、西村センセイ−−若い!!−−です......照明を全部落としているので分かりにくいですけれど。

 児玉清さんとは長時間に渡っていろんなお話をさせていただきましたが、もう、本当にカッコイイ。とても豊富な知識をお持ちで、また人間性も豊かで、とても素敵な方でしたよ。

 新潟には誰も知らせていたのですが、「アニキィー、見たよ。」という弟をはじめ、何人かの方がご覧になっていたようです。



フジテレビニュース「スーパータイム」, フジテレビ(関東ローカル), 1990年3月29日放送.

 関東ローカルでしたが、何と、フジテレビの看板番組「スーパータイム」の制作に深く関与しました。
 魔鏡のメカニズムが松下電器産業の最先端のハイテク技術に応用されているという話題。フジ、松下、国際基督教大学を巻き込んでの番組でした。
 フジの担当ディレクターNさんは、その後廃棄寸前だったエノラ・ゲイ号(分かりますか?)を再発見したり、ロンドン特派員になったりとエリートコースをお歩みのようです。

 一方西村センセイはといえば、当時まだよく認知されていなかった携帯電話(自動車電話)を見て、「あのぅー、この030-XXXXXを押すと本当に繋がるのですか?」などと訊いているのでした......アハハ。

 テレビの制作を手伝うとお礼に粗品をいただくことが多いのですが、当時のフジは絶頂期で、腕時計やバスタオル等々、もらっていいのかなぁーとちょっと思うくらいでした。



日本テレビニュース「ニュースプラス1 特集サイエンスアイ」, 日本テレビ放送網(関東ローカル), 1990年放送(放送日等詳細不明).

 魔鏡現象の謎をめぐって、日本テレビの夕方のニュースにも関与しました。

 「サイエンスアイ」は夕方のニュースの曜日別企画(木曜)で、身の回りの現象を科学の目で解明しようというものでした。

 担当のK記者(写真上中の左)は北大の出身、立派な体躯の持ち主で、思考もスマートでした。

 番組の収録は四番町の日本テレビ本社内で行われ、小金井の自宅から黒塗りのハイヤーで送迎付でした。......やっぱりバブルの時代だったからでしょうか。(でも、ホントは中央線を利用した方がよっぽど早い。)


「ウィークエンド経済」, NHK(全国放送), 1990年放送(放送日等詳細不明).

 西村センセイ、NHKにも進出。

 魔鏡現象の原理が半導体の製造に役立っているという話を経済の面から取り上げたものです。

 市ヶ谷の私学会館(現:アルカディア市ヶ谷)で開かれた「魔鏡フォーラム」にお招きして情報を提供するなど、いろいろ担当ディレクターのお手伝いをしたのですが、彼が放送日の連絡を失念していて、番組を録画し損ねてしまいました(半分ほど現存)。......そりゃ、ないよ。

 そういえば私学会館ではいろんなことがあって、センセイにとってはとても思い出深い場所です。


BSNニュース「BSN NEWS WIDE」, 「敬和学園大学 出前入試」, BSN新潟放送(県内ローカル), 1993年2月12日放送.(3分10秒)

 西村センセイが県内ニュースに初登場。

 開学当初、敬和学園大学の志願者数が伸び悩んだため、急遽広報活動を充実させ、また県内に試験会場を新設するなどの対策をとました。これらの努力を報道した貴重な記録です。

 試験制度の変更などの入試改革により、この年を境にして翌年は志願者数の増加率が日本一を記録するという快挙を達成することになるのでした。

 西村センセイのコメントは適切で、今日をきわめて正確に予測した上で、希望の持てる対策と見通しを提示しています。我ながら、とても今から7年前のものとは思えません。

 それにしても西村センセイのお若いこと。そして......ほとんど別人。こちらと比べてみましょう。


BSNニュース「BSN NEWS WIDE」, 特集「県内5大学模試」, BSN新潟放送(県内ローカル), 1993年11月23日放送.(5分00秒)

 新潟駅南の、その後実質的に廃業した大学受験予備校信濃学園が、1993年に新潟5大学模試を実施しました。

 この機会をお借りして、新潟産業大学と本学が大学および入試について説明会を会場内でひらかせていただきました(写真中)。

 この番組では3大学1学部の新設を翌年に控えての見通しと、敬和学園大学の入試方針をコメントしています。コメント中で述べている今後の見通しと、提示した対策はとても1993年のものとは思えないほど適切で、自分でびっくりするくらいです。

 インタビューワーはなんと高坂元巳キャスターご自身。実際の取材は1時間以上に渡り、本当にいろいろなことをお話しました。
 高坂キャスターはテレビで見るよりずっと華奢な方で、とても繊細な、そして本当に素敵な方でした。

 実際の取材は、事前に担当記者の方と何回も何回も情報交換を重ねた上で行われているのですが、高坂キャスターと話し合う中で新しい発見もあり、西村センセイにとってはとても貴重な経験でした。
 またこの番組の中で初めてお顔を拝見した他組織の方と、その後親しくお付き合いさせていただくことになりました。その意味でも思い出深い番組です。


TNNニュース「新潟プラス1」, 特集「大学間競争激化」, TNNテレビ新潟(県内ローカル), 1993年11月26日放送.(5分30秒)

 西村センセイがTNN(現TeNY)に初登場。

 翌春の3大学1学部新設の影響を、既存の大学、新設大学、専門学校、高校、受験産業(予備校)の立場から考えています。

 かなりの長時間に渡って大学内で授業の様子を取材しています(番組中ではなつかしい学生の顔を見ることができます)。
 西村センセイへのインタビューは大学内で行われました。コメントは的確で、このころになるとずいぶんテレビに慣れてきたという印象を持ちます。


BSNニュース「BSN NEWS WIDE」, 特集「始動'94 (2)4校開校へ 変わる大学事情」, BSN新潟放送(県内ローカル), 1994年1月11日放送.(6分30秒)

 西村センセイ、またまたテレビニュース、それも特集番組に登場。

 1994年春、新潟県内に新潟国際情報大学、新潟経営大学、長岡造形大学、新潟県立看護短大、新潟産業大学(人文学部環日本海文化学科)が新設され、県内の大学事情は激変しました。
 先見の明があった敬和学園大学は適切に対処することによってこの年、志願者を倍増させます。その状況をリアルタイムで収録した貴重な記録です。

 当方の取材はBSN本社内で行われました。インタビュー終了後、一連の番組を実質的に担当されたS記者と2時間近くに渡って話し合いました。
 一つの番組が放送される背後にはとても多くの取材と裏付けがあります。そしてそれら大量の情報の意味を見抜く才能が求められます。カメラマンが退出した後のこの2時間、とてもとても濃密な時間でした。

 報道内容全体とと西村センセイのコメントはポイントを押さえています。さすが、という感じです。
 ただし西村センセイは1年前(1993年2月12日付BSNニュース《こちら》)よりはお痩せになったようですが......やっぱりぃー......。

※ 6月23日更新のこの項目で、一部記憶違いがありました。上記が正確な情報です。訂正させていただきます。

BSNニュース「BSN NEWS WIDE」, 特集「予想外の人気 県内私立大学」, BSN新潟放送(県内ローカル), 1994年2月2日放送.(5分5秒)

 いよいよ、新潟県内3大学1学部の新設を受けた入試が開始されました。
 蓋を開けてみると既存、新設の各大学とも多くの志願者を集めることができました。
 本学については入試制度および実施体制の抜本的な見直しが奏功し、志願者数が倍増して、志願者増加率全国1位を記録するという快挙を成し遂げました。

 実際の取材は長時間に渡って担当のK記者との間で電話で行われました。K記者とはその後、いくつかの番組で一緒にお仕事させていただきました。

 本学の撮影・取材は新発田キャンパスで行われました。写真の試験室はS31教室です。西村センセイは他の人数の多い会場で試験を実施していたので、インタビューには道重助教授(当時)が対応しています。コメントはきわめて適切です。

 なおキャスターの伊藤(旧姓:早川)麻子さんとは何度かお話ししたことがありますが、小柄のとてもとても華奢な、そして素敵な方でした。


BSNニュース「BSN NEWS WIDE」, 「私立5大学入試結果説明会」, BSN新潟放送(県内ローカル), 1994年6月24日放送.(1分00秒)

 その後実質的に廃業した大学受験予備校信濃学園が主催して、新潟県内文系私立大学の入試結果説明会が高校の先生を対象に、新潟市内のホテルで開催されました。
 1994年度、とても多くの志願者を集めた各大学ですが、新設校は特に開学直後ということもあり入試に関する情報が不足気味でした。

 そこで説明会の開催ということになったのですが、新設校の中には翌年の入試の情報が混乱していて、説明者と質問者の間で信じられないようなやり取りがあるという場面も見られました。



TeNYニュース「新潟一番」, TeNYテレビ新潟(県内ローカル), 1997年2月放送.(6分00秒)

 1997年の入学試験から、多くの大学で合格発表を受験番号のみで行うようになりました。
 以前は合格者の氏名、出身高校も公表することが多かったのですが、受験者・合格者のプライバシーに配慮するための措置です。
 これによって合格者が自分の氏名を『新潟日報』などで見る機会はなくなったわけですから、人によっては残念に思われた方もいるかもしれません。

 敬和学園大学もこの入試から受験番号のみ公表することにしました。下の写真は合格者のリストを背景にその事情を説明している西村センセイです。

 それにしてもずいぶんスリムになって、こちらとはまるで別人のようですね。


NSTニュース「ニュートンのりんごの木」, NST新潟総合テレビ(県内ローカル), 1997年7月放送.(1分20秒)

 キャンパス内のニュートンのりんごの木が初めて実を結んだ1997年の貴重な映像です。実はずっと存在は確認されていたものの、大学のVTRの不具合のために記録状態が良くなく、とてもお見せできるような状態ではなかったのです。

 右の写真は白黒ですが、本当は色がついています。このニュースの中でセンセイは初めて実ったりんごの実を本当に慈しむように撫でています。

 放送後、ゼミ生を含めてかなりの方から反応をいただきました。「ニュートンのりんごの木」シリーズの最初のものです。

 実はこの他にも何回か出演しているのですが、記録できなかったり、テープが行方不明だったりします。ご存じの方はぜひ情報をご提供ください(2000年9月現在)。



NSTニュース「昔ながらの手刈り」, NST新潟総合テレビ(県内ローカル), 1997年8月29日放送.(1分00秒)

 庄屋のご隠居である西村家−−そのため屋号は「インキョ」−−では、現在でも手植え、手刈り、ハサ掛けの天日乾燥でお米を作っています。(こちらもご覧ください)

 時々、記録のために作業の様子を写真に撮ったりはしているのですが、なにしろ仕事が最優先。それもかなりの重労働ですから作業しながらの記録には無理があります。
(2枚目の写真は稲を刈る西村センセイとそれを藁で束ねる母です。)

 そこで、後世への記録のためにもと思い(?)、テレビ局に取材していただいたのが、このニュース。
 やはりプロのカメラマンはすごい。助手の方とともに湿田の中へ入って撮影してくださりました。
(3枚目の写真は刈り取った稲をハサ掛けする父と西村センセイです。)

 当日はとても暑くて困りました。撮影の合間にはカメラマン、助手の方とともに川で冷やした採れたての西瓜を食べました。
 後日、テレビを見た方々から異口同音に「......センセイ、似合ってる。」とのことでした。


NSTニュース「ニュートンのリンゴ」, NST新潟総合テレビ(県内ローカル), 1999年7月15日.(1分50秒)

 1991年の敬和学園大学開学記念に植樹したニュートンのりんごの木が、1997年夏に初めて実を結びました。97年および98年は颱風のためなどにより、結局すべて落果してしまいましたが、1999年はかなり遅くまで実がついていました。取材・放送はまだ実がたくさんついていた時のものです。

 しかしこの年は9月の頭までには結局すべて落下してしまいました。今年はネットをかけて風や鳥(や人間)から守ることになっています。ご期待ください。
 撮影前日は古町で日付が変わるまで飲んでいたので、酔いが抜けておらず結構たいへんでした。
 りんごの最新状況はこちらへ。





TeNYニュース「ニュートンのりんごに実」, TeNYテレビ新潟(県内ローカル), 2000年7月10日.(45秒《昼》, 1分10秒《夕方》)

 敬和学園大学の開学記念に植えたニュートンのりんごの木が、今年は30個以上もの実を結びました。

 7月8日に大型の台風第3号が日本に接近し、被害が心配されたのですが、幸い数個が落下しただけですみました。ネットのおかげですね。

 TeNYの記者の方には落下したりんごの実を差し上げました。キャスターの方の手の大きさと比べると、ずいぶん小さいことがわかります。

 今回は記者の方が落下したりんごの実を試食する、というオマケ付でした。何とか食べられたそうですよ、おいしくはなかったそうですが。(ジャム用の原種に近い品種なので、甘くはありません。決して食べないように。)




NSTニュース「ニュートンのりんごの木」, NST新潟総合テレビ(県内ローカル), 2000年7月12日.(1分秒)

 開学10周年目のニュートンのりんごの木が、今度はNST新潟総合テレビに登場。
 キャスターは北村さん。テレビで拝見する印象とはちょっと違っていらっしゃいました。カメラマンの方はりんごの木の下にまで潜り込んで撮影してらっしゃいました。(こちら

 撮影中に学生が通りかかったので、撮影に協力してもらいました。ありがとうございました。

 西村センセイは授業を終わったばかりで疲れていたので、少し早口になっていましたね。



[参考]

敬和学園大学のニュートンのりんごの木に関してはこれまで、上記の他にもBSN新潟放送、TeNYテレビ新潟、NST新潟総合テレビの各ニュースでコメント付で放送されていますが、録画が存在しなかったり、テープが所在不明になっているためご紹介することができません。

このページのトップへ戻る
トップページへ戻る