2007年3月16日更新(2007年4月1日ページ移動。2011年5月3日および4日一部写真削除)

──2007年3月第4週のニュース──

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3月24日(土) 怪獣「タルカス」、現代に復活!!

 最近たまたま、黒田亜樹さんの「タルカス&展覧会の絵」というCDを見つけました。
 大学の購買に注文して届いたのが右の写真(CDケースを開いた状態)。

 それこそ「展覧会の絵」状態ですが、表面に当たる右側には鍵盤の上のアルマジロ(?)が描かれているし、左側には、本来絵が入ってるはずの部分に文字──実際は曲名──が入っています。
 実はこれ、今から30年以上も前にリリースされた、エマーソン・レイク&パーマー(EL&P)というロックグループが発表した2枚のLPレコードを踏まえているのです。

 右の写真がEL&Pの名前を知らしめた「展覧会の絵」。

 ロシアのムソルグスキーが作曲した同名のピアノ曲を、当時実用化されたばかりのモーグ・シンセサイザーを活用してアレンジしたものです。
 正確にはラベルの編曲によるオーケストラ版のロック版とでも言うべきものでしょうが。 

 絵の中に描かれているアルマジロは、EL&Pが発表した2枚目のアルバム「タルカス」を踏まえています。

 タルカスというのは、火山の噴火で生まれ、地上のあらゆるものを破壊し、宿敵マンティコアーと戦って水の中に帰るという空想上の怪物です。
 アルバムとしては「展覧会の絵」の方が有名ですが、彼らの才能を最も良く表しているのはこちらでしょう。

 これらのアルバムはピアノ、ハモンド・オルガン、シンセサイザー類を駆使し、当時「プログレシブ・ロック」と呼ばれた音楽ですが、クラシック畑の黒田さんはこれをクラシックの編成で演奏しています。
 ジミー・ヘンドリックスの「紫の煙」をクロノス・カルテットが演奏したようなものですね。

 というわけで何十年も前の話なので若い人がご存じない名前がたくさん出てきましたが、興味があったらちょっと調べてみてください。

 あ"、個人的にはやっぱり、申し訳ないけどオリジナル版の方が好きだな。



3月23日(金) 再燃!! 柏崎市の家電量販店競争 ──ヤマダ電機も進出へ──

 西村センセイ、今週末は新潟の自宅に戻っています。有給休暇を全然消化していないのです。(仕事はまだ残っているんだけど)

 金沢では新聞を購入していない──時間もないし、一人暮らしでは、溜まるだけの新聞紙を整理できない──ので、自宅での休日はまず、1週間分の新聞(2紙)をまとめて読むことから始まります。

 先日のこと。

 読み終えた新聞を戻そうとして、新聞の山の隣にある、家人によって整理された折り込みチラシに目がとまりました。
 否が応でも「説明会開催」、「ヤマダ電機」などの文字が目に入ってしまいます。

 ご覧のようにヤマダ電機が当地に進出するようです。

 センセイの自宅がある柏崎市にはかつて、家電の小さな小売店はたくさんあったものの、量販店はあまり存在していませんでした。
 けれどもジョーシン(旧店舗)や地元資本の真電の開店をきっかけに、勢力地図は急変化。

 特にケーズデンキが進出し、それを迎え撃つかのように、ジョーシンが一昨年新店舗を開いてからは力関係が激変してしまいました。
 取り残された小売店と真電については、すでにお伝えした通りです。

 田舎の狭いマーケット。これで一段落したのかと思っていたところに......このチラシ。

 数日後。

 チラシにあった、建設予定地を見てみたのですが、ご覧のようにすでに基礎工事が始まっていました。
 もちろんヤマダ電機の進出計画を疑ってなんかいないのですけど。(ちなみに、写真中央奥の工事現場は、家庭用ファンヒーターで有名なコロナの研究所です)

 センセイが直接関係する限りにおいては、ヤマダ電機はパソコン関係に強い──特にMac関係や小物類──ので助かるのと、ジョーシン、ケーズデンキ、そしてこのヤマダ電機の店舗はいずれもセンセイ宅のすぐそばなので、別な意味でも助かります。

 従って、個人的にはありがたいのですが......。

 真電柏崎店のやる気のなさは事前にこの情報を得ていたからなんだろうし、そして報道すらされない、小規模小売店はどうなるんだろうと考えてしまいます。



3月22日(木) 操作性は◎、画質は△。 ──DVDレコーダーを、もう一台買いました──

 昨日、入れ替えの衣類などともに金沢へ車で運んだのは、自宅近くのジョーシンで買ったHDD・DVDレコーダーです。

 先日、自宅居間用に買ったHD・DVDレコーダーの使い勝手が良く、しかも格安だったので、金沢のアパート用にもう一台、同じ物を購入したのです。
 在庫はなかったので、取り寄せてもらいました。金沢のジョーシンで購入するなどしても良かったのですが、配達時に在室する必要があるので、自分で運んだ方が簡単だったのです。

 西村センセイ、存在する時間は金沢の方が長いので、AVシステムについては、機器の半分くらいを金沢のアパートに置いています。特にオーディオやビデオ(DVD)の編集・オーサリング機器はほとんどこちらに移っています。

 機器の配置や接続の変更がいろいろ大変だったのですが、2時間ほどかけて写真のように機器を再配置しました。
 可哀想にPCMプロセッサはβデッキ(写真には入っていない)の上に、またDATは業務用カラーモニタの上へお引っ越しです。

 準備ができたところで、新規購入のHD・DVDレコーダー(SONY RDZ-D700)、さっそく本格的に使ってみました。

 まず画質。

 自宅居間でも気づいていたのですが、今までのアナログ放送の時代と絵造りがずいぶん違います。
 録再しなくても、アナログ地上波を受信しただけでもずいぶん違うのです。

 色のノリは良いのですが、ノイズと区別がつかなくなるような絵の細部はかなり情報が削られています。
 のっぺりとして奥行きがない感じ。

 今までの放送やデッキが高い周波数成分まで出そうとするβデッキに似ているとしたら、DVDレコーダーは解像度ではなく色のノリに訴えるVHSのような絵造りです。(βを知らない人にはうまく感覚をお伝えできないと思います。ゴメンナサイ。)
 HDで録再しても同じ印象を受けます。たぶんMpeg特有のエッジのノイズを避けるために、意図的にそういう絵造りをしているのでしょう。

 以前もお伝えしたように、普通の民生用テレビ──ただしトリニトロン管──で見ている限り、アスペクト比の問題を除けばアナログ放送とデジタル放送はほとんど区別つきません。
 しかし自宅書斎と金沢のアパートにある高品位のモニターだと話は別。

 昨晩たまたま、BSアナログ(アナログFM変調)とデジタル(Mpeg)で、「寅さん」こと俳優の渥美清さんを追悼する番組を同時に放送していたのですが、静止画に近い画面では違いが少ないか、むしろデジタルの方が上。
 何よりアナログ特有のゴーストも色相のズレ(色がおかしくなる)もありません。またリンギング(エッジが波打つ状態)も少ないので、とても綺麗に見えます。

 ただし、寅さんの顔がアップになってパンニングした途端にデジタルはMpeg特有の破綻があります。絵をごまかしているのです。(両放送はまったく同じ条件ではありませんので、念のため)

 もとの映像も、またDVテープで記録した場合もも1/60秒のフィールド単位で管理しているので、そういうことはないのですが......。
 逆に言うと、だからこそ、ごまかしが目立たないように高周波成分を抑えた絵造りになっているんですね。

 また技術的なことはともかく、全体として遠近感が少なく、遠景の「ボケ」のようなものに弱いことが良くわかります。CGを駆使してエッジがはっきりした最近のアニメなんかだったら全然問題ないのでしょう。

 さて、今回購入したHD・DVDレコーダーは地上波アナログ、地上波デジタルおよびBS・CSデジタルを受信できます。(つまりBSアナログは受信不可)

 各デジタル波を受信して最初に感じるのが16:9とか4:3とかのアスペクト比の問題です。
 最近のテレビは自動的に何とかしてしまうのですが、センセイが使っているモニタはそういうことが一切できないので、もともと4:3で制作された番組をデジタル放送用に変換して受信すると、上の写真のように画面の周囲すべてに黒い部分ができてしまいます。

 その分、画像が精細に表示されれば問題ないのですが、情報を捨てているだけなので絵も悪くなっています。正直なところ、ちょっと救いようがありません。

 けれども、使い勝手に関しての評価はまるで違ってきます。

 今回購入した機種の場合、とにかく何も考えずにWindowsのマウスと右クリックを使う感じで何でも管理できてしまいます。これまで使っていたパイオニアとは雲泥の差です。(ただし画質についてはパイオニアがずっと上)

 たとえば今までタイム・シフト用にVHSデッキを使っていたような人には全然問題ないと思います。
 またセンセイのように、アナログデッキで昔録画した映画その他をDVD化したい──特に2時間をちょっと越えたものを何とかしたい──という人にもちょうどよいと思います。

 時間がないのでまだ試していませんが、それなりの高品位で記録するだけならひとまず外部入力からHDにコピーして、簡単な編集後にDVDにコピーする──この場合はDVDを何枚でも作成可能──ことができます。(たぶん)

 正直なところ、予想外ずいぶん使えるなぁーという感じなので、書斎用にも同程度の安価な機種を買おうか、それとも本格的にブルーレイ・レコーダーを買おうか、そんな迷える子羊状態の西村センセイなのでした。



3月21日(水) 2月と3月が入れ替わって...。 ──車で金沢へ移動しました──

 今日は昼過ぎに新潟の自宅を出発して、車で金沢へ移動しました。荷物──近日中にご紹介できると思います──を運んだのです。

 昨日爆発事故のあった信越化学(株)直江津工場──国道からは被害の様子はわかりませんでした──の近くを通り、海沿いに車を走らせます。

 3月に入ってからの北陸地方は、とにかく寒い日が続き、特に先週は真冬並みに冷え込みました。
 2月までが「暑かった」と表現したいくらい、異常に暖かかったので、まるで2月と3月が入れ替わったかのような感じです。

 写真は糸魚川(いといがわ)付近で北アルプスを見たものですが、山々は再び真っ白になってしまいました。
 しかし「暑さ寒さも彼岸まで」の諺通り、今日以降は暖かくなりそうです。

 写真の鉄橋はJR北陸線のものですが、その奥に工事中の高架(グレーの部分。一部は覆いで囲われている)が見えます。北陸新幹線の工事現場で、今日のルートの至る所で見ることができます。
 それも、いつの間にかずいぶん進捗しています。

 毎日忙しくて、その日のことに追われているのですが、季節を含めていろいろなものが、静かに、しかし確実に変わっているんですね。



3月20日(火) 「Dからコンポーネント、10m。ある?」 ──さすがは秋葉原の電気店街!! ──

 日曜日、家族を見送ってからまだ時間があったので、秋葉原へ行っていました。

 これがもの凄い人出で、しかも道路は久しく見ていない歩行者天国。西村センセイ、たぶん20年くらい、秋葉原には平日にしか来なかったので、歩行者天国を忘れていたのです。

 いくつかのお店でお目当てのソフトを見たのですが、メーカー直販の方がずっと安かったので、購入を断念。

 秋葉原駅前の電子部品専門店街に入りました。
 すれ違いに苦労する狭い通路を挟んで、1間
(けん)くらいの間口のお店がずっと並んでいるのです。
 いずれのお店も専門分野があります。

 電気コードのお店があって、ボォーッと眺めていたら声をかけられてしまい、背中を押されるようについ、「Dからコンポーネント、10m。ある?」

 通じるかな、とホントは不安だったのですが、もっそりとした店主、無言で、しかし迷うことなく写真のケーブルを奥から取り出しました。

 このケーブル、ハイビジョン用の電子機器とモニタを繋ぐもので、日本で(だけ)一般的な「D端子」(右側の黒い端子)を左側のY/Pb/Prの3本に分けるものです。

 ケーブルそのものは特別なものではないのですが、国内での需要は極めて少ないので、ほとんどが長さ2mどまり。
 センセイの自宅書斎は床下をケーブル敷設用の配管が走っていて、ぐるっと一回りするように機器とモニタを結ぶので、10mくらいの長さが必要なのです。
 メーカー製では松下のカタログに載っているだけ。

 今すぐ必要なわけではないのですが、試しに先日買ったDVDレコーダーを接続してハイビジョン放送を受信し、もし実用に耐えるなら書斎用に同程度のものをもう一台か、さもなくばハイビジョンをそのまま記録できるブルーレイ・レコーダを買おうかなどと考えています。(もし後者なら年末か、それ以降になるでしょうが。)

 やっぱりさすがに秋葉原だ。ここに来れば何でもある!!



3月19日(月) 望遠鏡はどこへ消えたんだろう ──国立科学博物館再訪──

 家族で上京したものの、娘は人混みが苦手。

 そこで昨日は、上野駅から家人とともに新幹線に乗せて帰宅させました。(センセイはそのまま都内に残ってお仕事です)

 なぜ上野駅かというと、同駅の新幹線ホームは東京駅と違って全然混んでいないから。東北・上越新幹線が上野駅発着だった頃とは様変わりです。

 事情があって昨日の午後は、家人と、センセイ+娘は別行動だったので、待つ側は必然的に、待ち合わせ場所の上野駅近辺をふらふらすることになります。

 こういう場合、今までは上野動物園へ行くことが多かったのですが、今回はちょっと趣向を変えて、科学博物館へ行ってみました。

 仕事柄、何回も訪問していますが、しばらく行っていない......。もちろん娘にとっては初めての訪問となります。

 動物園へ向かう道を、途中で右に曲がると......あれ?

 写真のように工事中で、本来の玄関から入ることができません。威厳のある玄関だったのに。

 玄関手前で地下に潜り、そこから入館するのですが、どうもこの違和感、どこかで経験したことがある......。
 再訪した時の、ロンドンの科学博物館です。

 センセイはロンドンの科学博物館を1989年と2002年に訪問しているのですが、この間に科学博物館は民営化されました。入場料が無料になったのは良かったのかもしれませんが、全体として博物館は完全にレジャーランド化してしまいました。
 変わっていなかったのは、イギリスの誇りである蒸気機関──入ったばかりのところにある──くらいだと思います。

 というわけで、いやな予感がしたのですが、残念ながらその予感は的中。

 「日本館」と改名された本館は工事中で中に入れません。
 新館(「地球館」)に展示が集中しているのですが、内容はすべて更新されています。微生物から動植物、生態系などの展示──剥製
(はくせい)が多い──には圧倒的な迫力があります。
 夜警の人はギョッとするだろうな。

 また、アメリカの博物館に倣ったのでしょう、ボランティア参加型の体験コーナーも新しい試みとして、それ自身は評価できると思います。

 けれど、(センセイにとって)大切だった、昔からの展示物は全く見ることができませんでした......。廃棄してしまったのでしょうか。

 単独での採算性の重視、体験型の展示内容、貴重な資料の撤去(廃棄?)。

 近年の政府が採ってきた政策の当然の結果ですが、少なくとも1つだけ、確実に抜け落ちていることがあります。

 それは歴史性。もっと普遍化すれば、自分を超越した存在への畏敬の念です。(多くの場合は宗教性と表現されると思います。)

 私たちがここに今、こうやって存在するということ自体が歴史の結果(!!)であり、私たちはそのことに対して、ある種の畏敬の念を払うべきだと思うのですが、近年のオトナはそのことをまるで理解できないようです。

 教育課程を改竄(かいざん)して「世界史は勉強しなくても良い」と考えた「偉い人」──しかし実は教養が全くない人──が出現するのは、このような流れの必然的な結末でしょう。
 だって何をしてしまったのか理解できないし、そもそも「理解できていない」ことすら理解できないから。 

 短期的には採算性の向上などは見込むことができるでしょうが、このように器の小さな「オトナ」が再生産することができるのは、さらに器の小さな者たちだけでしょう。
 もちろん、ほんのわずかな例外はあるでしょうけれど。

 自分以外の存在への畏敬(いけい)の念、あるいはそのような存在への謙虚さを失ってしまえば、実はもう、後には何も残らないと思います。
 思いこみの「ジブン」以外には。 

 「日本館」(旧本館)──なぜ「日本館」なんだろう?──を入ったたばかりのところにガリレオ・ガリレイが製作した望遠鏡のレプリカがあったのですが、少なくとも今回は見ることができませんでした。

 棄てられたのかな、望遠鏡は。歴史性とともに。



3月18日(日) 旧ウルトラマンシリーズの制作現場を訪問しました 

 初めて出席した大学院修了式(一昨日)、卒業式(昨日)を終えて、昨日から家族で上京しています。来週前半に都内で研究会があるのと、春休みを利用して師匠宅などを訪問するためです。

 今日は比較的時間に余裕があったので、娘が希望する場所を訪問することにしました。

 娘は今までも日本全国、あちこちへ行っているのですが、基本的に田舎育ちなので人混みは苦手。相談した結果、たどり着いたのが、「ウルトラマンが生まれた場所へ行ってみたい」。

 娘は小さいときからウルトラシリーズを見て育ったのでとても親しみを覚えているようです。
 また最近学校から借りた、故実相寺昭雄の『ウルトラマンの東京』(筑摩書房。現在は大幅に改訂されて同社から同名で文庫化)の影響もあるようです。

 というわけで、ウルトラマンを生んだ円谷プロがあった、世田谷区砧(きぬた)へいくことになったのです。(過去形なのは、円谷プロは最近移転したため。)

 というわけで、とにかく最寄りの小田急祖師ヶ谷大蔵駅へ。
 祖師ヶ谷大蔵駅の列車到着音はウルトラマンの主題歌......おぉ、すでにウルトラマンワールドだ。

 そして祖師ヶ谷大蔵駅に立つと、おぉ、ウルトラマンがお出迎え。

 足下に主題歌を記したレリーフが埋め込まれたこのウルトラ像、正時になると、両目とカラータイマーが光ります。さすがにカラータイマー、黄色や赤ではなく、ふつうの白色でしたが。

 駅そばを南北に走る商店街は現在、「ウルトラマン商店街」と呼ばれています。

 先ほどのウルトラ像が建っているのは駅北口なのですが、商店街を南に下ります。

 道路は狭く、ちょっと前までは小金井あたりと同じような雰囲気だったんだろうなぁーという感じです。

 「ごく普通の駅前商店街」という印象のウルトラマン商店街は数百mであっさりと終わってしまい、後は敷地の狭い住宅街が続きます。

 実相寺監督の本によると、制作当時はもっとのんびりしていた場所だそうで、萱(かや)ぶき屋根の民家なんかもあったそうです。(ウルトラマンの「ジャミラ」の回に出てくる。)

 商店がまったくなくなり、「ホントにこの先に円谷プロが...」と思っていると上空に、空を飛ぶウルトラマンが!!(ホントです。)
 何にもない小さな交差点の上空(?)を飛んでいます。

 よぉーく見る──この写真での判別はほぼ不能──と、赤と銀の境界が二本線なので、「帰ってきたウルトラマン」こと「ジャック」であることがわかります。
 もっとも西村センセイ、この頃にはもうウルトラシリーズを見なくなっていたのですが。

 ここまでくれば円谷プロはもうすぐ!! ほら、見えてきました。ウルトラマンたちがお出迎えです。

 聞いてはいたのですが、ずいぶん狭い場所です。

 ここにウルトラマンの「科学特捜隊本部」があったり、特撮のスタジオがあったとは思えないくらいです。
 それでも昭和のウルトラシリーズ、そして平成のティガとかダイナくらいまではここで撮影していたとのこと。

 もともと一般の見学コースなどのない、ホントの仕事場なので、長居はせずに退散することにします。

 従姉妹や友達にウルトラマングッズをあげたいらしいのですがここにはないので、とにかく東京駅へ移動。

 八重洲地下口を出ると東京駅一番街で、その中にウルトラマングッズのお店があるので、そこで品定め。

 ちなみに右隣はトトロのお店。斜向かいはNHKのキャラクターショップ、またすぐ近くにフジテレビグッズのお店もあるので、子供向けのおみやげを用意するには便利な場所です。

 というわけで、冬が戻ったかのような今日の東京を、あちこちウルトラマンの影を求めて移動しました。

 鬼才と呼ばれ、惜しまれながら昨年暮れに亡くなった実相寺監督。

 著書を読むと、とてもしっかりした考えをお持ちの方であることが分かりますし、当時の時代状況も丁寧に記されています。

 故人の記述を再確認するような格好になった今回の旅ですが、実相寺監督の感性の豊かさ、円谷プロのスタッフや俳優他のエネルギーを肌身で感じた──しかしこの場所にはほとんど誰もいない──今日の西村センセイなのでした。

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