2007年7月21日更新(2007年7月29日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2007年7月第3週のニュース──

バックナンバーはこちら


7月21日(土) 西村センセイも地震に負けず、働く。 ──新潟大学での学会に参加しました──

 今日は新潟大学で開かれた日本物理教育学会の新潟支部大会に参加しました。

 新潟支部は毎月勉強会を開いていて、夏と冬(クリスマス講演会)には大きな会を開くので、それに参加、発表してきたのです。

 参加を申し込んだのは1ヶ月前。

 地震でそれなりに影響を受けた──繰り返しますが、避難所の方々に比べればはるかに軽微──し、発表用の資料も金沢に残したままだったので、一時は辞退しようかと思いました。

 でも避難所の人たちの苦労を考えたら、ここで辞退するとセンセイが地震に負ける(?)ような感じがしてきました。
 そこで金沢に一度戻って準備し、予定通り参加、発表しました。

 右の写真は県内の中学校の先生が音波の共鳴の演示実験をしているところ。
 とても興味深かったです。

 自分の娘や金沢工大の新入生などを見ていると、中学・高校で物理の実験を全然していないのが手に取るようにわかる。
 物理と現実世界が結びついているという認識も弱い。

 こういう先生に教えてもらうことができる生徒は幸せだろうなぁー。

 そうそう。

 大学に早く着いたので、構内をフラフラ──だって2回分の母校だから──していたら、図書館の近くにローソンを見つけました!!

 新潟大学の図書館は昼間しか開いていません。生活協同組合もあるのですが、こちらも同様です。
 そこで、勉学両面で学生の利便を考えて新潟大学が新規に導入したものです。
 右手には学生なら誰でも使える喫茶・勉強スペースが確保されています。

 少し前までは、一私企業に独占的な利便を与えるなんて考えられなかったこと。
 独法化で国立大学もこれほど劇的に変わった、と印象づけたいのかもしれません。

 夜には自宅へ戻りました。

 幸いにも、今回の地震は余震が比較的少ないので、途中の出雲崎町、旧西山町──センセイの出身地であり、震源に一番近く、被害も最大──、刈羽村、そして柏崎市と少しずつショックから立ち直り、これからようやく本格的な回復に向けて動き出そうとしている。

 道すがら、そんな感じを受けました。



7月20日(金) 金沢のアパート用の、液晶モニタが届いていました

 一晩だけ金沢に泊まって最低限の仕事をこなし、再び新潟の自宅へ戻りました。

 昨晩はシャワーを浴びてからビールを飲んだのですが、ビールのまわり方の速いこと。やはり相当疲れているようです。

 被災者としては最も恵まれたセンセイですらそうなのですから、他の方々、特に避難所暮らしを続けている方の苦労は、想像すら難しいものがあります。
 しかも災害弱者が多い......。

 さて昨日、金沢に到着してジョーシンに立ち寄ると、ナナオの液晶モニタが届いていました。
 大学での仕事を終えてから、ざっとセッティングだけして撮影したのが右の写真。
 ソースはMac miniです。

 写真は外側に色を合わせているので、右側のApple CinemaDisplayともに画面が青っぽく見えるはず。
 異常ではなく、この状態で画面を見るときちんとグレーに見えます(多少色温度の違いは残る)。

 昨晩は動作を確かめるくらいしかできなかったのですが、それでもCinemaDisplayより格段に優れています。(CinemaDisplayも出た時は最も美しい画面でした。念のため。)

 もう一つ気づいたことがあって、ナナオ製品の中では廉価品なのに、ベゼル(外側の枠)が狭く、とても使いやすい。その他の使い勝手も、やっぱり造り込みが違うなぁー、という感じ。

 やはりナナオは他メーカーと違うな、と実感します。もちろん何より、画質が違う。

 安っぽい「グローバル化」とそれに伴うデフレの今の時代、安物やマニュアル通りの「シゴト」はありふれていますが、こういうオトナのシブい「仕事」を、それもきちんとこなすのはとても難しい。

 センセイが実際に知っている限りで、ナナオに似た印象を持つ会社として例えば、BMWやアキュフェーズ、中小企業のSTAXくらいじゃないかしら(もっとオタクな会社ならいくつかあるけど)。

 今回の地震で有名になったリケン──そもそもは、理化学研究所に由来します──も、そういうシブい会社の一つだったんですねぇ。



7月19日(木) お風呂には入れない時は、福祉用品コーナーへ!! ──強い人、弱い人── 

 予定通り、午後に金沢へ移動しました。もちろん車でです。

 高速道路は、昨日夜にようやく全通したのですが、被災地の近くは、あちこちで路面が波打ったり、段差があったりします。一部区間は片側車線を使っての対面通行です。
 柏崎を離れると被害は減少するのですが、なぜか震源からかなり離れた上越市西部の道路が大きな被害を受けていたりします。

 被災地、柏崎のセンセイが住む地域の水道とガスは止まったままです。

 水道に関しては、浄水場の位置と、近くに基幹病院(テレビに出る柏崎刈羽郡病院)がある関係で、近日中に復旧できるようですが、ガスの復旧はお盆前になるのではないかと言われています。
 やはり危険ですからね。

 センセイの家のガスメーターも栓を閉じられています。(よく見ると、メーターが少し曲がっているなぁ。)

 電気は通じているので簡単な料理は何とかなります。
 また、比較的順調に給水できるようになったので、トイレもまぁ、何とかなっています。

 被災4日目で最も困るのがお風呂。水を大量に使うし、ガスが来ていないからお湯を沸かせないし。
 そこで昨日は、水のいらないシャンプーその他を買い出しに、被災地の外の長岡へ行きました。

 長岡のホームセンターに到着してシャンプーの件を訊ねると、係の人が出てきて、「ない」。被災地柏崎市に全量を送り出しているのだそうです。なるほど、もっともな理由だ。
 もう一つ。センセイのように被災地の外に出られる人は想定されていないんですね。

 そこで、一昨日に続き水を入れるポリタンクを買って給水した後に、近くの大規模スーパー、ジャスコへ。
 店員にシャンプーを訊ねると、一度奥に籠もって、しばらく出てこない......。

 かなり時間が経って出てきた店員、「福祉用品のコーナーにあるんです」とのこと。(こちらも)なるほど。
 海外旅行用のものなどを考えていたセンセイは甘かった。

 案内された福祉用品コーナーで購入したのが右のもの。
 左から入浴できない人のための体拭き、スプレー式のもの、そして右がシャンプーです。

 撮影時に比較用のメジャーを置き忘れたので、例えば左のものなどはウエット・ティッシュのように感じられるかもしれませんが、実際はかなり大きく、雑巾くらいの大きさがあります。

 昨晩、「次にこれを使う時は、センセイが文字通りの老人になった、いわば本番かなぁー」などと思いながら実際に使ってみたのですが、う〜ん、みんなどうもイマイチ。
 もちろん効果があるのはわかるのですけど、やはりお風呂にはかないません。

 というわけで、家族には申し訳ないのですが、今晩、金沢で一足先にシャワーを使わせていただきました。家族は土曜日に被災地の外でお風呂に入る予定です。

 さて、もうお気づきだと思いますが、たまたま夏休み期間でセンセイが自宅にいたこともあって、拙宅の被害は最低限で住んでいます。

 そもそも自宅の被害は軽微だし、電気も来ています。無事だった車を使って、必要なものを被災地の外に買いに行くこともできます。道路が渋滞していれば、裏道を使ってスイスイ......。

 けれども、自宅に住めなくなって避難している人は、生活の最低限の基盤を失った人ばかり。それも老人と子供が主体です。彼ら彼女らはセンセイのように車を使ったり、裏道をスイスイ抜けたりなんかできません。

 そして実は、このことは救援のために来ていらっしゃる方々にも当てはまります。市や県の職員、公務員の働きぶりはたいしたものです(自衛隊員を除き、皆、身分証明書を着用している)。市職員の多くは、自分だって被災しているはずなのに。
 応援の人たちはというと、渋滞して全然動かない幹線道路でじっと耐えています。

 団体のボランティアの中には何となく胡散臭さを感じるものもあるのですが、彼らだって自分の寝食に関しては相当状況は厳しいはず。

 もちろんセンセイ一家も近所の家、特に老人だけの家を世話しているし、センセイはいろいろ実家の面倒を見ています。しかしそれでも、こういう場面ではどうしても弱者と強者の差が際だってしまい、本当に心苦しいところです。

 センセイだって被災者なのですが......。



7月18日(水) 明日はひとまず金沢へ移動します ──自宅近くの状況は...──

 地震から3日目。

 センセイは被災者ぶりがすっかり板についてきました。髯も剃らず髪の毛はペタッとしていて、半ズボンにサンダル姿で救護所近くをフラフラしている......。

 というわけで、今日は自宅近くの様子を。

 センセイが住む地区は、連日テレビで報道されている被災地(主に市内東本町)のすぐ近く。
 松の木の家や、倒壊したアパートは小学校の学区内です。

 センセイの家はそこから低い方へちょっと下がっただけのところにあるのですが、砂丘の上とは対照的に被害は全体的に軽微。
 でもやはり、200mくらい離れただけでご覧のような被害(たぶん両方とも車庫)があったりします。

 市内の被害は、まだら模様のように存在しています。(その場所では被害が集中的に発生している。)

 自宅の目の前には「柏崎市総合福祉センター」という施設があります。
 避難所の一つであると同時に、文字通り救援活動、特にボランティアの中心拠点となっています。

 今朝からボランティアの方が集まり始めました。右の写真は彼らに対する説明の様子です。
 写真右端、円柱の前には外国人の方もいらっしゃいます(テレビでもインタビューされていました)。

 ただし被災地は現在、まだ本格的な復興活動には入っておらず、瓦礫の除去など、ボランティアに頼らなければならない仕事は今後本格化するはず。

 水道とガスは相変わらず止まっており、復旧の見通しは立っていません。
 特にガスは復旧までに相当期間を要するようですです。

 そこで給水車のお世話になります。

 意外にも水はドバッと出るのではなく「じょー」という感じ。
 それに、ミリタリー・ファンには申し訳ないけど、水栓は普通のものだし......。

 ポリタンクを一杯にするのにずいぶん時間がかかります。
 でも逆に、20Lくらいのポリタンクは婦女子や老人には重すぎで運べない......。

 午後は奈良県の宗教団体布教部の車が給水していました。
 現時点では、個人的なボランティアの方もいらっしゃるのですが、宗教団体などグループでお越しになる方の方が多いと思います。

 こちらは仮設トイレ。

 左の3基は普通のもので、右の自動車のようなものは国土交通省が開発した仮設水洗トイレの試験機だそうです。
 畏れ多くて、使っていません。

 どうやら水道とガスの復旧に相当手間取りそうなので、今日、もう一度長岡市へ行っていろいろなものを購入し、再び、水ももらってきました。

 高速道路の様子を確かめたかったのと、現在、長岡JCTと(柏崎をはさんで)米山ICは無料で通行できるので、長岡へ行く時は高速道路を使いました。

 大きな段差もあるし、ひび割れもたくさんあります。もちろん1車線に制限されていますが、やはり一般道よりはスムースに移動できます。

 ところが反対車線、つまり新潟・首都圏から柏崎へ向かう方向はご覧のような大渋滞。
 しかも実は、全然動いていません。さらにこれが、西山ICから長岡JCTまで約12km続いています。

 なぜ渋滞の先頭が西山ICかというと、柏崎ICは渋滞を防ぐために緊急車両のみ流出可能となっており、一般車両は西山ICで降りるよう指示されているのです。
 その先も、柏崎市内までの13kmくらい──実は柏崎市内も──は激しい渋滞となっており、長岡JCTから柏崎市内まで、数時間かかるんじゃないかと思います。

 そこで西村センセイ、帰路は裏道、あるいは裏道の裏道を使って移動。

 一部渋滞に巻き込まれましたが、長岡から立ち寄った実家まで1時間弱。実家から柏崎の自宅まで20分くらいで移動しました。
 地元だから地理に詳しいだけで、阿漕
(あこぎ)な手を使っているわけではないので、念のため。もちろん映画「ダイ・ハード」のような真似をしているわけでもありません。

 避難所なんかは大変なんでしょうが、人口を考えると避難所に避難しているのは市民の約1/10です。センセイおよび家族、そして関係者もほとんど避難していません。

 そういう、不自由ながらも自宅で生活する人は徐々に落ち着いてきて、何をどうすればよいのかわかるようになってきました。
 また、このままボォーッとしていると(そうでもないんだけど)、心身ともにホントの被災者になりそうなので、明日の午後にひとまず金沢へ移動します。
 形式的には火曜日から無断欠勤状態だし。(電話もしたし、メールも送ったんだけど、返事が来ない。)

 ......そうか。

 明日の晩は(センセイだけだけど)、シャワーを浴びることができる!!

 今の被災地でトイレ、洗濯とともに、もっとも欲しいものがお風呂なのです。



7月17日(火) 被災地には無情の雨が降っています。

 大学にお休みをもらう連絡を入れ──関係者の皆様、ゴメンナサイ──、ちょっと新潟の自宅にとどまることにしました。

 自宅は水の確保を除けば家人に任せておけるので、今日は実家その他の片付け。

 途中の道路にはひび割れや段差がたくさん発生しています。写真の段差は20cmくらい。
 注意していますが、センセイも何度か318iのお腹をこすりました。

 写真中央は橋で、まったく落ちていないのですが、周囲の土砂が振動で沈下し、橋が相対的に浮き上がって段差となっています。

 通れない橋はたくさんあり、細い道を相当迂回しなければなりません。
 生まれ育った場所ですから、センセイは裏道を良く知っており何とかなりますが、救援などの車は幹線道路に集中し、激しい渋滞となっています。

 今回の地震では、建物はあまり壊れていなくても、屋根に大きな被害を受けている場合が多数見られます。
 感覚的には半数近くの家の屋根が壊れ、10%くらいが大きな被害を、そして3〜5%くらいが全壊、という感じ。

 実は今日、被災地は雨となっていて、本当はシートをかける必要があるのですが、人出も資材も足りないのです。

 センセイの実家を最初見た時は、玄関以外の外まわりは大丈夫かな、と思ったのですが、よぉーく見ると、全体に少しねじれています。

 また実家は傾斜地にあるのですが、どうも低い方へ土砂が動いたようで、地面にはひび割れが多数見られ、その部分の家屋(玄関を含む)もその方向へ少し動いています。

 写真は玄関柱と一番下の部分と、そのさらに下の土台を上から見たものなのですが、柱を基準にすると土台が4cmほど低い方(右下方向)へ動いています。

 玄関は全体的に歪んでしまっていて、ガラスは割れ、引き戸も梁と土台に挟まれて固定されています。
 ビクともしません。

 仕方がないので、青いビニールシートを釘で打ち付けて、玄関はこれでオシマイ。

 家の内部は壁が崩れ落ちたり、表面の漆喰が剥がれて床一面に広がったりしていますが、こちらは母親に任せます。

 被災地では水が不足しているので、実家から長岡へ抜けて水を入れるポリタンクをいくつか買うことにしました。

 実家からは峠を一つ越えるだけの長岡市は、まるで何事もなかったかのよう──実際は柏崎市に近い地区で被害が出ている──に平穏です。

 大きなホームセンターでポリタンクを買って、会計の時に店員と少し話したのですが、まるでどこかで起きた他人事のような感じ。(責める気はありません)

 このホームセンター、ご覧のように自由に給水して良いとのこと。困っている側からすると、ホントにありがたい限りです。
 ついでに被災地で不足しているトイレも、お店のをお借りしました。

 この時は思いつかなかったのですが、被災地ではお風呂にはいることができません。
 明日も来てみて、食料とともに、海外旅行用の「水のいらないシャンプー」なんかを探してみようかと考えています。



7月16日(月) 新潟県中越沖地震、我が家はひとまず無事です。

 関係の皆様にご心配をおかけしております。

 たくさんのメールを頂戴しておりますが、個別の対応が遅れております。ここはまず、センセイをめぐる現状をWeb上でご報告させていただきます。

 皆様良くご存じの通り、本日10時13分に新潟県中越沖地震が発生しました。

 地震発生時、センセイら一家は所用で自宅を出たばかりのところで、激しい揺れは分かりましたが、所用を済ませてからセンセイの実家経由で自宅に戻りました。

 中越地方は相当な揺れ(自宅および実家は震度6強)で、路面に段差や陥没、液状化現象に伴うマンホールの突起──最大約60cmくらい──で交通が渋滞し、やっとで自宅に戻りました。

 センセイの自宅は地盤があまり良くないため、深いパイルを打ち込む等の地震対策を取っております。
 そのためか、地盤および家屋にはあまり被害は出ておりませんでした。

 自宅は電気が来ているものの、水道とガスはダウンしています。

 で、自宅内部はというと、こんな感じ

 ここは2階の物置ですが、他の部屋も似たようなもの。

 こちらは自宅二階のセンセイの書斎に入ったところ。

 何だか散らかっていますが、もちろんほとんどは地震のためです。

 中央右のMac用カラーモニタはたくさんのケーブルで拘束されているので何とか机の上にとどまっています。

 手前右側、昨日、あれだけ調整したカラーモニタは床に転落してしまいました。
 それなりの対策をほどこしていたので、3年前の新潟県中越地震は乗り切ったのに......。

 カラーモニタの写真をよぉーく見ると...。(涙の続きは、後日)

 上の写真中央のオーディオラックは、今では製作されていない幅約1,800mm、高さ約1,400mmのとても大きく重いもの。

 ラックの重量および上部の機器機器重量を合わせると、重さ数百kgもあるもので、実際、センセイは全体をずらすことができません(ホントに、ビクともしない。少しだけなら方向くらいは変えられるのですが)。

 ところがそのラックが数十センチ動いているのです!!

 床を見ると、端が動いた傷跡(軌跡)がありました。(黄色い線はそれをなぞったもの)
 その長さは40cmくらいでしょうか。

 ラックを何とか少し動かした後なので、ラックの現在位置と傷が少しずれています。
 でも下部左側、周波数の高い成分を含む動きから始まって右方向および左方向へのゆっくりとした動きで終わっているのがわかります。

 正直なところ、とんでもないエネルギーです。センセイのパワーをはるかに越えているんですよ。

 現場からお伝えしたいことはたくさんあるのですが、とにかく自宅に一区切りつきました。

 電気が来ていない被災者や、そもそも自宅を(一時的にせよ)離れざるを得ない被災者には申し訳ないのですが、センセイ一家はとても恵まれている方だと思います。
 ここで次に何をすべきかを考えたところ、一般市民の目から見たら、この地震の被害はどのようなものかを記録すべきだと考えました。

 で、水と食糧確保も兼ねて、もう日も暮れようとしていた市内を走ってみました。(以下は写真が主体です)

 まずは柏崎駅。

 途中の道路はあちこち陥没し、歩道は波打っています。

 到着した柏崎駅、越後線の先頭車両が脱線、転覆しています。
 モーターを積んでいない軽い車両だったのでしょうか。

 駅から砂丘を登ると、道路に面した商店街や東京電力関連のビルの被害は、たいしたことありません、(相変わらず道路は波打っているけど)

 でも、旧商店街に入ると中心街はこんな感じ。

 写真の二つの建物──右もあるんですよ──は1階が潰れて、二階が地面まで下がっています。

 写真は夕方の撮影、つまり地震発生後約時間後のものですが、実は住民は少なく、目立つのは「何かないか」という目──ホント──をしているマスコミ関係者ばかりです。

 上の写真から少し離れたところに、メディアが集中的に伝える家屋倒壊現場があります。
 やはり絵になりやすいんでしょうね。

 でもこの周囲には、同じようなところがいくらでもあるのです。

 たとえばこんな具合。

 手前や右だけでなく、中央奥の白い建物も、実は1階が潰れ、2階が傾いています。

 完全に倒壊した家屋は目立ちますが、そうでなければ「無事に立っている」と思うのは、甘い。

 被害の多い地域では、この写真のように、上部は何とかなっていても、下部が完全に壊れてしまっている家も多いのです。
 残念ながら全壊、壊すしかありません。(写真奥には全壊した全壊した家の屋根が見えています)

 今回の地震では古い建物の被害が目立ちます。

 例えばこの写真、大正期に建てられたと思われる旧柏崎市東本町郵便局(写真左。1軒おいて、現局舎)は完全に崩壊しています。

 でも、移動の間によぉーく見ていると、新建築設計基準の建物でも、さすがに目立つ損傷はないものの、屋根瓦が吹っ飛んでいる家なんかはたくさんあります。

 実際、出先から戻るまでの間、センセイらは実家と自宅の屋根を特に心配していたのです。

 単に「新しいから」というわけではないのですね。

 一般論はともかく、この地域、柏崎・刈羽地域にとって建造物も大きな被害を受けています。
 逆に言うと、ここ数百年くらい、こんな地震がなかったんだということでしょう。

 まず、現時点ではまったく報道されていませんが、地域のより所である「えんま堂」の手前の屋根が崩壊しています。
 手前の白線は、立ち入り禁止を示す手作りの線です。

 保存運動が活発化していた日石の煉瓦造りの建物も完全に崩壊してしましました。(屋根が残っている左手建物の右続き)

 家人らが参加している読み書き絵本の「サバト」も全壊です。

 センセイが乗る越後線、隣接する家屋が倒壊しているだけでなく、線路が至るところで崩壊/歪んでしまっています。
 数日での運行再開は、無理。

 自宅のすぐそばでは、主要幹線の国道8号線が通行止め。 被害は大きいのですが、物流の大動脈なので

 ご覧のように跨線橋が浮き上がってしまっているのです。
 ここだけの問題ではなく市内あちこちで、通行不能、あるいはそれに近い状態になっています。

 というわけで、西村センセイの自宅は何とかなっております。

 ただし、地震の被害は惨憺たるもので、例えば市内のセンセイの実家は、壁は落ち、ガラスは割れ、戸は歪み......という具合で、詳細はまた後日。

 また、今晩はいろいろあって、メールを頂戴した方へのお返事は明朝以降にになります。

 悪しからずご了承ください。



7月15日(日) カラーモニタを「サービスモード」で調整しました

 ちょっと前から気づいていたのだけれど、自宅書斎のカラーモニタ(テレビ)の色バランスが少し崩れてきている......。暗い部分、特に、黒と区別がつかなくなるくらいの暗い部分が、何となく緑っぽい。

 これは故障ではありません。経年変化──要するに劣化──です。購入してから、もう7年になりますからね。

 画面が明るい/暗いとか、赤っぽい/緑っぽいなどというのなら簡単に調整できるのですが、残念ながら、この現象はそう簡単には調整できません。
 普通の調整方法では対処できず、メーカーの技術者が調整する「サービスモード」で作業する必要があります。

 西村センセイ、もちろんのサービスモードについては知っていました。

 でも、失敗するとホントに回復不能になり、文字通りサービスの方を呼ばなければならなくなるので、今まで使わなかったのです。

 でも、春からHDTV(BD)を使うようになったら、この問題を無視できなくなり、今回初めてサービスモードで調整してみることにしました。

 リモコン付のソニー製品の場合、まず電源をリモコンから落としてスタンバイ状態にします。
 次にリモコンの特定のキーを順番に押すと起動し、右のような画面になります。

 画面の上の方に、緑色の暗号のようなものが出ているのですが......お分かりいただけるでしょうか?(写真は画面を直接撮影したものです。画質を画面に合わせているので、周囲の明るさや色バランスが崩れています)

 その部分を撮影したものが右の写真。う〜ん、これでもまだわかりにくいですねぁ。

 比較的わかりやすいところでは、右側に現在、HDTV(ハイビジョン)モードであることが表示されています。

 詳細は記しませんが、画面には制御IC(たぶん)の型番、調整項目と、現在の数値などが記されています。

 ざっと数えたら、一つの入力毎に約330項目(!!)もの調整項目があります。

 全部を調整できるわけではないし、また調整前の数値がどこかに記されているわけでもない──もちろんメーカーには標準値があるのだろうけど──ので、ホントに必要最低限だけ調整します。
 具体的にはSD(S端子)およびHDの緑と青のみ、暗い部分を調整しました。

 これだけで画質は格段に良くなって、もう不満な点はほとんどなくなりました。
 ただし暗い部分をちょっといじっただけなのに、中間的な明るさでの色バランスがかなり変わってしまい、かなり時間をかけて再調整する必要がありました。

 このサービスモード、ホントに何でもできるのですが、とても危険でもあります。検索すれば調整方法は見つかるでしょうが、試される場合は、あくまでも自己責任でお願いいたします。

 そうそう、アパートの業務用カラーモニタにはリモコンがないんだけど、こちらはどうやったらサービスモードに入れるんだろう......。(まだ調整の必要はないんだけど。)

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る