2007年3月3日更新(2007年3月11日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)
■3月3日(土) 連絡ミスで、仕事がどんどん増えてしまう...。
先日、夜中に電話が鳴って、誰かと思ったら、弟が、ちょっと頼み事があるので、3月中に寄ってほしいとのこと。でもその前に開口一番、「金沢のアパートに電話したけど通じなかったよ」。
忙しくてアパートの電話を廃止(休止)したことを弟に連絡していなかったのです。(ゴメン)翌日は研究室に偉い人──へへぇー(ぺこり)──がお越しになって、「西村君、ちょっとお願いが......」。どう考えても、断るわけにはいきそうにありません。(トホホ。あ、偉い方だから、ではなく、内容の問題です。)
週末なので新潟の自宅に戻ろうとすると、今度は「先週末にメールでお願いしたあの件、どうなりましたでしょう?」
え"、メールなんてもらってないよ。大学宛のメールが迷惑メール扱いされてしまったのかなと思って調べてみると、どうもそうではないらしい。
この方、このサイトに残存していたメールアドレス“@mac.com”にメールを送信されたのですね。
もう使っていないのですが、消し忘れが少し残っていたことがわかりました。(こちらもお詫びします。)というわけで、3件中2件の依頼には、センセイの連絡ミスが絡んでいて、それが事態を悪化させています。
関係者の皆様、ホントにゴメンナサイ。せめて春休みはまとまった時間休んで、ふだんできない仕事を、と思ったのですが、ちょっと無理なようです。トホホ。
所用でコンビニからキャンパスに戻ると、正門に会社説明会の看板が出ていることに気づきました。3年生および修士1年生を対象とした学内合同企業説明会です。
どうりで、卒業研究発表会を終えたはずなのに、背広姿が目立つわけだ。現在はまだ、4年生の卒業式を終えていないのですが、少なくとも、こと来年の就職活動に関しては鬼は笑わないようです。
■3月2日(金) 記録的不漁の汚名返上なるか?! ──富山産ホタルイカ、今季初水揚げ!!
──
数週間前からスーパーの店頭にホタルイカの並ぶようになりました。まだ本格的なシーズンではないので、大きさは小ぶりです。(写真は2005年に撮影した兵庫産)
新潟県ではホタルイカをあまり食べないのですが、それでも少しは富山産が入ってきます。
西村センセイ、金沢で暮らすようになってから、ホタルイカを食べる機会が格段に増えたのですが、正直なところ山陰地方のものより、富山湾内で獲れるものの方がずっと美味しい......。(関係者の方々、ゴメンナサイ)
特に、甘さが全然違うのです。「富山産はまだかなぁー」と待っていても全然並ばないのでちょっと調べてみると、富山湾内では3月1日から6月までが漁期だとのこと。
他の地域はいわばフライングで対抗しているんですね。実は去年の富山のホタルイカは記録的な不漁。冗談抜きで、ある時を境に店頭から姿を消してしまいました。
西村センセイ、「今年はダメでも、来年は絶対大丈夫」などと言ってみたのですが、今のホンネは「だいじょうぶかなぁー。今年は」。で、地元TV局の報道(ニュースの画面を観ることができます)によると、関係者が満を持して臨んだ解禁初日の漁、収穫はあの小さなホタルイカがわずか9匹!!
テレビでしか見たことはありませんが、ホタルイカの光で海面がうす明るくなるという定置網漁。
今年の漁を伝えるニュース映像にはたくさんの魚がかかっているように見えるのですが、肝心のホタルイカは、ほぼまったく存在しなかったのだそうです。専門家の解説によると、残念ながら不漁にはそれなりに理由はあるようです。
理屈はともかく何よりもまず個人的に、そして漁民の方々のためにも、今年は何とか回復してほしいと願っているのですが......。
一度に一つずつしか仕事を片づけられない西村センセイ。(我ながらちょっと悲しいけど。)
数日かかって僅かA4用紙2枚(!!)の原稿を昨日ようやく書き上げ、午後からは昨日締切── おぉ!! ──の別なお仕事......。
それなりに頑張ったんだけど、次から次へと問題が出てきて、結局、日付が変わるまでに仕事を終えることができませんでした。Windows版Wordは何度もフリーズするし。
でもセンセイの年齢くらいになると、「昨日締切ってことは、翌日に朝イチで出せばオッケーだよね」などと、自分に(だけ)都合良く考えるようになります。
明らかに「老害」ですねぇ。いつも以上に今朝は早起きして出勤し、大学が動き出し始める前に何とかその仕事を終えました。
ギリギリにならないと仕事をしないというセンセイのこの性格。自覚している限りでも、小学校4年生からずっと続いています。40年経っても全然直りません。
学生さんに偉そうなことは言えませんよね。それでも仕事は続きます。金沢工大はそれほど甘い職場ではありません(キッパリ)。
本日正午締切の、重要、かつ細心の注意を払う必要がある仕事を、締切20分前に完了させた西村センセイ、さすがにもうフラフラです。やることはやったので、今日のお昼は外食することにしました。これで疲れが取れるわけではないのですが、それでも気分はかなり軽くなります。
キャンパスに戻って歩きながら、「あれ?!」と気づき、数歩戻って撮影したのが右の写真。
窓越しに校舎が写っているだけの写真なのですが、センセイが戻った理由をお分かりいただけるでしょうか?そう、嵌(は)め殺しの大きな窓の、その中央部をご覧ください。
逆光なのでちょっとわかりにくいかもしれませんが、窓ガラス中央部から下部にかけて白い汚れがついています。
よぉーく見ると、おぉ、何とこれは、鳥が羽を広げた形!! しかも上部にも左翼の跡が残っています。「これは鳥の跡だ」と頭を切り換えて窓ガラスの汚れを見直すと、今度は中央部で白く輝いている部分が鳥の脚の部分──ちょっとバタバタさせたらしい──に見えてきます。
どうもこれ、鳩くらいの大きさの鳥が窓ガラスに気づかずに接近し、衝突直前で気づいて衝突を回避すべく、全力で羽ばたき、かつ脚でガラスを蹴って衝突を回避した──というか、実際には少しぶつかった──跡のようなのです。
それだけで、蝶や蛾の鱗粉のようにこんな立派な痕跡を残した拓本(?)ができるのかは疑問なのですが、どう考えても、それ以外の解釈はないように思えるのですが......。
■2月28日(水) 巣立ちの季節 ──卒業研究発表会に参加しました──
センセイらは相変わらず忙しい──メールをお待ちの皆様、もう少々お待ちを!! ──のですが、在学生、特に1年生は先週ですべての授業が終わったので、アパート組はほとんどが帰省してしまったようです。
おかげで学内は静かなもの。けれど、一昨日から今日まで、学内のある建物とその周囲だけは、異様なまでのハイテンション。
4年生の卒業研究発表会が行われているのです。お世話になった学生さんの発表が予定されていたので、センセイも午後、研究室を抜け出して、ちょっとだけですが発表の様子を見てきました。
建物の入口には数名が座った受付があって、おぉ何と、センセイらが本物の学会を開いた時よりもずっと立派。(ちょっと悲しいような...。)
学生だけでなく、オトナの方もいらっしゃるのですが、どうもその多くは予想していた保護者ではなく、企業からの見学者のようです。
採用云々(うんぬん)ではなく、共同研究の成果を確かめにいらしているようです。分厚い予稿集──これでも全体の数分の一のはず──を受け取って会場に入ると、とても不思議な感じ。
スーツを着て発表を待つ4年生の張りつめた緊張感と、来年度のために来ている3年生のだらけた感じが対照的なのです。しかも、よぉーく見ると、4年生の中にもずいぶん間延びした表情の学生がいます。
たぶん、すでに発表を終えたからなのでしょうが、しかしそれにしても顔が緩み過ぎている。発表直後なら普通、自分の不甲斐なさにイライラしているものなのに......。
なぜだろう。程なくお目当ての学生さんと、その友人らの発表になったのですが、こちらは期待以上。
「以上」というのは、発表内容と、その方々の成長に驚かされたという二重の意味があるのですが、はやり良い表情をしています。先日もお伝えしましたが、性別にかかわらず、ある年齢以上になったら、自分の顔は自分で作るんだと思います。
知り合いの俳優──大学時代の同級生で、舞台を何度か手伝った(ブログはこちら)──がプロになった時、自分の顔を写真家に毎月撮影してもらうと教えてもらいました。
彼女が今でもその通りにしているのかどうかはわかりませんが、今になるとその心は痛いほどわかります。金沢工大での4年間で自分自身の顔を作った皆さん、これからもぜひご自分の才能を伸ばして活躍して欲しいものだと思います。
■2月27日(火) 灰色の直江津駅に、まるで朱鷺が舞い降りたかのように...。 ──おぉ、E491系総合試験車両が!!
──
西村センセイ、移動の電車の中ではたいていボォーっとして窓の外を見ています。トンネルの中でもぼんやりと壁を見ていることが多いようです。(ちょっとアブないかも。)
一昨日乗った特急「北越8号」は割と混んでいて、お気に入りの窓側ではなく、山側の席に座りました。海側だとこの時期、日本海に沈む夕日を味わうことができるのですが。
20分くらい乗ってJR東日本直江津駅が近づき、かなりの乗客が降車準備を始めました。
センセイは相変わらずボォーっと左側の景色を......あ"!!夕方の、鉄色と灰色を混ぜたような鈍い色の駅構内に、白地に鮮やかな赤色の帯を引いた短い編成の列車が停車しています。
急いで鞄からデジカメを取り出し、やっとで撮影したのが右の写真。
右端にはJR東日本の普通列車(通称「上沼垂色」)が、そして中央から左にかけて、その美しい列車が見えているのですが......わかるかな。
この電車、実は線路や電気、信号系統が正常かどうかを検査する最新型の「総合試験車両」なのです。(詳しくはこちらから。JR東日本のサイトには載っていないようです。)
昔はボロボロの客車を改造した試験車が走っていたのですが、数年前に新造されました。これまでに一度だけ、やはり直江津駅に停車しているのを見たことがあります。
線路に歪みがないか、架線や信号系統の状態はどうか、1年中JR東日本管内を走り回っているのですね。
なお、今回のものは電車ですが、非電化区間のためのディーゼル車もありますし、そちらは毎年5月、JR北海道に貸し出す(!!)のだそうです。窓が少ないので、普通の電車じゃないってことはすぐにわかります。
それにその顔つきと配色が、どことなく朱鷺(とき)──ただし本物を見たことはない。祖母はよく見ていたそうな──に似ているので、くすんだ色の直江津駅に、絶滅したはずの朱鷺が、夕日の中を舞い降りてきたかのような印象を受けたのです。
一度でも出会ったら、ドキッとしますよ。
1〜2ヶ月に1回くらいの割合で自動車を使いますが、西村センセイ、このところずっと電車で新潟−金沢間を移動しています。
JRの最寄り駅は、実は柏崎駅ではなく、越後線で一つ隣の東柏崎(旧称比角〔ひすみ〕)駅。そこで越後線と信越線の接続が良い時はそちらを利用します。
昨日も夕方、比角駅へ向かったのですがその途中、写真の大きな家が夕日を一杯に浴びていました。
この家は、2000年1月に発覚した新潟少女監禁事件の現場です。
1990年11月に、新潟県中央部の三条市から当時9歳(小学4年生)の少女がこの家に住む青年に誘拐され、写真中央部の建物の2階で9年以上も監禁されました。
写真ではのっぺりとした印象を受ける建物ですが、内部はかなり複雑な構造になっており、狭い部屋の奥に閉じこめられていました。被害者は無事に自宅へ戻りましたが、心に深い傷を負ったままのようです。
加害者は懲役14年の判決を受け、現在も服役中です。
この家には事件発覚後もしばらく加害者の母親が住んでいて、センセイも時々その小柄な姿を見かけたのですが、今では誰も住んでいないようです。
ガスも電気も止められたままです。もともとご高齢だったので、どこか、あるいは誰かに引き取られたのかもしれません。
この事件、地元ですらすっかり忘れ去られてしまっています。
事件発覚時に新潟県警幹部が温泉で接待麻雀をしていたとか、NHKの幹部候補が報道で滞在した際、財布をマッサージ師に盗まれたと騒ぎ立て、本人の誤解であることが判明した後に左遷されたとかいろいろあったのですが、綺麗サッパリ忘れられています。
正直なところ、センセイもこの件を考えるのは、この場所を通る時だけです。けれども被害者やその家族にとって、時間はほとんど止まったままなのではないかと思います。
忘れてはいけないことを忘れ、忘れるべきことを怨念のように心の中に持ち続ける。やはりこれが人間の性(さが)なのでしょうか。
少なくとも、そのことだけは記憶しておきたいと思います。
■2月25日(日) 見事なまでに、三者三様。 ──回路の設計と実装技術は、その人の性格を良く表す?!──
先日、受講生の一人が研究室にやってきてくれたので、二人でいろんなことを話しました。
専門の電子回路設計に話が及んだ時にその学生さん、15年ほど前にセンセイが雑誌に書いた記事を読んだ(おぉ!!)と話してくれました。
デジタル録音機「PCMプロセッサ」のデジタル出力化の記事です。(写真は以前ご紹介した時の1枚)出身高校に戻って、わざわざバックナンバーを探してくれたのだそうな。
次の授業が控えていたので、その場はそれで終わったのですが、この週末、新潟に戻ってから、ふとこの改造のことが気になりました。
きっと他にも同じことを考えた人がいたんだろうなぁーと思ったのです。(それくらい必要性は高かった。)案の定、ちょっと調べてみただけでも、例えばこちらの方は、ソニーからデジタル入出力を備えた兄弟機種の回路図を取り寄せて、1988年にそのコピーを製作していらっしゃいます。
デジタル入力も備えているので基盤のサイズも大きくなっており、もはやセンセイのように「穴あき万能基盤」(写真)で済ますというわけには行かないので、基盤図を起こしています。
この方は、CDプレーヤーもデジタル出力化していらっしゃるのですが、回路規模と内容は、むしろこちらの方がセンセイのものに近い。(ただしセンセイと違って、PLL回路を含まない純粋なデジタル回路なので、設計、製作はずっと楽。)
別な方もセンセイとほぼ同内容の回路を設計、製作して、デジタル出力化していらっしゃいます。
回路の取り付け位置は同じですが、回路のサイズが2/3くらいに収まっています。
たぶんセンセイより10年くらい後の製作だと思われます。実装の仕方は明らかにデジタル技術者のもので、アナログ回路から出発したセンセイのものとはずいぶん雰囲気が異なります。センセイを含めた三人が製造した基盤は見事に三者三様。しかも製作者の思想や背景(経歴)の違いを驚くほど良く表しています。
共通しているのはセンセイを含めた全員が、明らかに一生懸命集中して設計、製作しているということ。(現在のセンセイはもはや、ここまで集中できそうにない。)
そうだからこそ、3人の違いが際だってくるんでしょうねぇー。