2007年10月27日更新(2007年11月4日ページ移動。2012年9月19日一部写真削除)

──2007年10月第4週のニュース──

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10月27日(土) 新型2階建て新幹線は、車椅子専用(!!)エレベーターを装備していました

 西村センセイ、あらかじめ出張の予定がわかっている場合は、ホテルはもちろんのこと、JRの指定券も1ヶ月(+1週間)前に、あらかじめJR東日本の「えきねっと」で予約しておきます。
 でもこのところ、センセイやその周囲はとにかく忙しくて、気がついたら、昨日の出張の乗車券類を用意していない!!

 慌ててネットから申し込んだのですが、なかなか希望する席が取れません。というか、そもそもほとんど席が残っていないのです。

 確保できたのは2階建て上越新幹線8両編成8号車の1階席。
 1階というより「地下」と呼ぶべきで、外が何も見えないんですよね(でも、まぁ、取れただけでも良しとしましょう)。

 目的地に到着して車両を降りようとして、あれ?

 出入り口付近に、目立たないようにエレベーターが設置されているのです。

 以前、どこかで聞いたことがあったのですが、センセイが乗ったJR東日本の新型2階建て車両(E4系)は、8号車に車椅子を載せるためのエレベーターが設置されているのです。
 そういえば西村センセイ、E4系は何度も乗ったけど、8号車に乗るのは初めてだ。

 中を覗き込むと、狭いながらもエレベーターが、1階席(普通席)にも、2階席にも行けるようになっているようです。
 E4系8(16)号車の2階席はグリーン席ですし、JR東日本のホームページによると6号車にも車椅子対応座席があるようですから、グリーン席と普通席の両方に対応できることになります。

 以前ご紹介したことがありますが、初期の2階建て新幹線(E1系)にも車椅子対応設備があるのですが、駅の階段にあるようなエスカレータ式で目立つし、それに相当大きなスペースを取ってしまいます。

 将来の西村センセイを含めて、心身にハンディを負った人が難しいことを意識せずに、必要な設備をごく普通に利用できるという点では、このエレベーターはずいぶん進歩していると思いました。



10月26日(金) 東京駅のエキナカ“GranSta”、オープン!!

 西村センセイ、今日は時々激しい雨が降る東京へご出張。日本海側は良い天気だったのですが。

 雨の中、東京駅へ到着すると、どうも人の動きがいつもと違う......。

 丸の内と八重洲口を繋ぐ中央通路に出ると、え"!?

 通路中央の、お土産を売っていた場所に見慣れないエスカレータができています。
 そういえば前回来た時には大規模な工事が始まっていたっけ。

 新しいもの好きの西村センセイ、もちろん写真のエスカレーターに乗ってみました。
 地下には大きな待合室があるはず。

 地下に降りてみると、もう、とんでもない人の数。「いったい、ここはどこなんだ?」という感じです。

 ここでやっと思い出したのが、東京駅地下待合室のシンボルだった「銀の鈴」が代替わりしたという昨日のニュース。

 記事の中にもありますが、東京駅のエキナカ“GranSta(グランスタ)”がオープンしたんですねぇ。

 今日は仕事の途中で時間がなかったため、ちゃんと見てはいないのですが、これまで見た大宮などとはずいぶん違う感じでした。

 今度改めてちゃんと見てみようと思います。



10月25日(木) 「サクラサク/チル」 ──西村センセイ、今どきの合格発表で考える──

 金沢工大の正門を入ると、左手に大きな掲示板コーナーがあります。

 他大学だったら休講通知などがベタベタ張ってあるのでしょうが、金沢工大は教職員はもちろん、学生もイントラネットでほぼすべての業務を処理してしまうので、そのテの掲示はまったく存在しません。
 したがって、掲示板は常にスカスカ。

 一番手前には各種入学試験の合格発表コーナーがあって、秋になると時々、合格者──といっても受験番号だけ──のリストがここに張り出されています。

 今日、たまたま正門を通ったらご覧の大きな看板とともに、「AO入試合格者発表は○○時から」という掲示が出ていました。
 センセイのアパートは裏口の側にあるので、センセイはこの正門をあまり利用しないため、赴任して初めて見ました。

 センセイが以前、他大学でずっと入試実務を担当していました。
 教授会で合格者を決めると、夜遅くまで合格者のリストを作り、何度も確認して翌日の発表に備えます。

 所定の時刻が迫ると、どこからともなく受験生や保護者が集まってきて......のはずが、誰もいない!!(ホントに)

 発表の時刻には入試事務担当の次長がどこからかお越しになって、さりげなく合格者を記したボードをガラス扉の中に収めたのですが......やはり誰もいない。
 しばらくして、やっと写真の女性二人がお越しになっただけです。

 たぶん同時刻にWeb上で発表するなどしているのでしょうが、センセイら古い世代には、とても不思議な感じがします。

 団塊世代〜センセイらが受験した時代、合格発表は大学での掲示だけでした。
 そこで、それを直接確かめることができない地方の受験生などのために、学生が勝手に「合否電報」なるものを売っていました。小遣い稼ぎです。
 合格なら「サクラサク」、不合格の時は「サクラチル」といった具合。センセイも予備校の寮で何通か受け取りました。

 昨日、今日と教職の授業があって、受験競争が激しかった時代のことをちょっとだけ紹介したのですが、やはりあまりうまく伝わらなかったようです。

 残念だと言いたいのではなくて、現在の若い人には、やはり縁のない話なのでしょう。

 「今どきの若い者は...」と嘆くよりも、彼ら彼女らにとって直面する大切な問題を一緒に考えてあげることの方がやっぱり大切なんだと思います。
 彼ら彼女らだって、いろいろ感じ、たくさん悩み、そして建設的に考えているのは間違いないのですから。

 前の世代がかつて──少なくとも主観的には──そうであったように。

※古代ギリシアの文献の中にもこの嘆きが存在するそうです



10月24日(水) 「これで、完璧に覚えました!!」 ──問いを立てることの大切さ──

 今日も講義は午後からなので、早めにお昼を済ませます。

 学食へ行ってみたのですが、予想通りに油っぽいものばかりだし、お弁当は大盛り過ぎるし。目的地が決まらないまま構外へ出ると、同一法人内の高専の生徒とすれ違います。 あれ?

 彼らの表情がいつもとちょっと違います。

 彼らに誘われるように高専の前まで行ってみると、おぉ、写真のようにたくさんのテントが。
 それにしても、まるで「アビーロード」のような生徒の歩き方......。

 今週末は高専祭なので、その準備をしているようです。(でもなぜ今日から?)

 よく見ると写真奥やテント内に私服の学生がいます。
 高専の4、5年生って、年齢的には大学の1、2年生相当ですからもう制服を着ないのでしょうか。

 いずれにせよ、どの学生、生徒も表情がいつもと違う。

 大学側の事情で、西村センセイは今学期だけ教職科目を担当しています。今日は「問いの立て方の重要性」が一つのテーマ。

 いろいろ考えたのですが、言語学者の金田一京助がアイヌ語を調査した時のエピソードを質問に仕立てて学生に訊(き)いてみました。想定外の質問に、教室内の雰囲気が一変します。
 半分眠っていた学生がムクッと起き上がるし、「先生、知ってますっ!!」って顔があるし、普段なら絶対にあり得ない自発的な挙手──工大生の皆さん、考えられます?──まであるし。

 表情がまったく違う......。

 問いを立てた瞬間に答は決まります。 正確に言うと、少なくとも答の範囲が決まります。

 自分(たち)が掘ったタコツボの中で傷口をなめ(あっ)て自己満足に浸りたいのならともかく、本当に新しい自分を発見したいのなら、想像力が及ぶ限りの遠くの果てまで問いを投げる必要があります。
 ただし問いを実力以上に遠くまで投げてしまうと、答が見つけられなくるので、問うことの意味がなくなります。この辺の力加減はとても難しい......。

 こいういう場面では実力がはっきり出ます。

 今回の問いは、受講生の解答そのものが興味深いだけでなく、先生になりたいと考えている受講生に、「問いの重要性」を理解してもらう点でも意味があったのかな、と思います。
 ある学生は「これで完璧に覚えました!!」とコメントを残してくれました。

 でもね、(やや無責任な)問いを投げかけたのは確かにセンセイですが、「覚えた」のはセンセイではなく、貴方なのですよ。今日の講義のメインテーマである「学び」の重要性を発見したのはセンセイではなく、学生の皆さんなのです。

 とにかく忙しい金沢工大ですから、受講した学生さんも講義の細かい部分など、すぐに忘れられてしまうでしょう。でも、今日の驚きは忘れようと思っても忘れられないんじゃないかな。
 もちろん皆が皆、とは言わないけれど。

 だからこそ、この科目の受講生である皆さんには、ぜひ頑張って教師をめざしていただきたいのです。

 もちろんセンセイのような、いい加減なセンセイではなく、立派な教師に、ね。



10月23日(火) 「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」 ──キャンパスの秋に、一人取り残されて──

 火曜日は午後から授業なので、早めにお昼を食べておく必要があります。

 いつもならある程度行き先を考えてから行動するのですが、溜まっている仕事と同様、今日は全然展望が持てなかったので、とにかく外へ。
 周囲には誰もいないので、広いキャンパスに一人取り残されたような感じです。

 ふと気づくと紅葉がずいぶん進んでいます。

 もちろん高原の澄んだ色ではありませんが、それでも見事なものです。
 毎日の生活が忙しすぎて、秋が深まっていることをすっかり忘れていました。

 何故か、高校1年の漢文の時間に習った──つまり33年前!! ──論語の一節「(子曰、)歳寒然後知松柏之後凋也」(しいわく、としさむくしてしかるのちしょうはくのしぼむにおくるるをしるなり:子罕第九)を思い出します。

 本来は真冬の描写ですが、確かに写真右端と中央奥──ここからは見えない──の松の緑は変わりません。
 センセイの研究室は写真中央奥にあるので、窓からそれら松の木の様子がとても良く見えるのです。

 この松の木のようにありたいものだけれど、日々を振り返ってみると......う〜ん、反省。



10月22日(月) 「富山港線」と「富山高専」 ──先生の顔と学生の顔は、似てくるのかもしれない──

 「秋の夜は釣瓶(つるべ)落とし」──「釣瓶」なんて最近の若い人がわかるかなぁ──くらいで、日暮れがどんどん早くなっています。

 昨日も夕方いつもの電車に乗ったのですが、柏崎駅のホームはもう相当暗い。

 センセイが日曜日の夕方に金沢へ移動する時は通常、5本の列車を乗り継ぎます。
 本数は多いのですが、待ち時間は長くても10分くらいなので、とても便利なのです。

 昨日は列車故障の関係でダイヤが乱れ──つまり2週連続──て、高岡駅で金沢行の各駅停車に乗り換えました。

 日曜夜の電車なので通常、富山−石川の県境付近は乗客がグッと減るのですが、どうも周りの乗客が動こうとしない。

 不思議に思っていると、会話の中に、昨春廃止された「富山港線」などと挟まるので、廃線めぐりの鉄道ファンかなと思ったのですが......どうも「鉄分」が少ない。

 よくわからないのでますます注意が向くようになり、やがて彼らが、大学(?)の先生4名と引率された学生であることがわかってきました。
 しかも「ロボカップ」とか「金沢高専」などという言葉も!! ......でも、金沢工大関係者にしては存じ上げない人ばかり。リーダー格の学生はオトナっぽいので、う〜ん、この方向だと金沢大学かぁ?!

 結論から言うと、彼らは愛知県の国立豊田高専の先生と学生で、(「富山港線」ではなく)国立富山高専でのロボカップ大会(?)を終えて戻るところ。
 一部教員と学生が当初予定していたバスを変更してこの電車に乗っているのでした。この各駅停車は金沢駅で米原行の特急に接続しているのです。

 どうも、優勝したか上位に入ったらしく、残りの学生は閉会式まで参加して、深夜のバスで帰るようです。

 センセイが彼らに気づいた理由は、顔、です。
 大人っぽいと思った学生も、仮に高専の上級生だとしても大学なら学部の1年生ないしは2年生。それにしてはしっかりした顔立ちです(ちなみに行動も言葉づかいもしっかりしていた)。

 もう一つ気づいた点があって、引率の先生の顔が工大の先生と、どこか違う。

 いろいろ考えたのですが、どうもせっぱ詰まったような感じがないのです(かといって、あまり浮世離れした顔でもない)。もちろん、ロボコンチームという学校の看板となる優秀な学生を引率しているせいかもしれませんが。

 先生の顔と学生の顔って、似てくるものなのかもしれない、と、ふと感じた昨日の西村センセイなのでした。



10月21日(日) お別れは、つらいけど...。 ──カラーモニタのリサイクルを申し込みました(2)──

 自宅へ戻ると先日予想した通り、カラーモニタのリサイクルに必要な「エコゆうパック」伝票が届いていました。

 右の写真中央部1/3が本体で、その上下は発送主(センセイ)や運搬業者(郵便局)の控えその他となっています。

 担当の郵便局──今回は柏崎郵便局──に電話して日程を調整し、自宅まで引き取りに来てもらえるのですが、平日は不在となるので、局へ直接持ち込むことにしました。

 添付の指示文書によると「三辺の合計が1.7m以内の『ダンボール箱』に入れるかもしくは『破れにくい袋』に入れてください」とのこと。

 でも本来の段ボール箱が保存されているならともかく、カラーモニタは意外とでかい──子供が小さい時は空箱の中(!!)で遊んでいた──ので、入る箱なんて簡単に見つかりそうにありません。
 ナナオのカラーモニタは滅茶苦茶に重いので、その重さに耐える「破れにくいビニール袋」なんぞ、存在するのかしら。

 ところで、「ビニール袋」の文書を読むと、どうも破れさえしなければ中の製品が傷ついてもかまわないように受け取れる書き方です。
 要するに「廃棄物」なんですね。

 ホームセンターへ行ってみると、入りそうな段ボールもあったのですが、今回は写真のように「プチプチ」で包むことにしました。

 1.2m×3.0mで240円。
 これで中の製品もある程度きちんと保護できますし、運搬に携わる人もまぁ危険度は下がるでしょう。

 日曜日も「ゆうパック」を受け付けることは確認しておいたので、局へ持ち込みます。
 手続きを済ませて局舎を出ようとした時、やはり予想以上に重たかったのでしょう、背後で局員が「うわっ」と声を立てていました。

 これで13年間おつきあいしたT560i-Jとのご縁が終わったわけですが、気分としては葬儀もして、お骨まできちんと拾ったような感じ。

 実はWeb上から処理状況を確認できるのだそうですが、それじゃまるで法事のようなものなので、そこまではしないつもりです。

 合掌

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