2007年10月20日更新(2007年10月28日ページ移動。2012年9月19日一部写真削除)
■10月20日(土) 西村センセイ、ホントに久しぶりに新潟市中心部へ!!
西村センセイ、今日の日中は新潟市内に存在していました。
新潟駅前のホテルで、新潟県下越、中越地方にお住まいの保護者を対象とした保護者会が開かれていたのです。(新潟は広いので、上越地方は別途開催)センセイにとっては「庭」のような場所のはずが、どうも様子が違う......。
よく考えてみると、ずいぶん久しぶりに新潟市中心部へ来ているのです。
2週に1回くらいは新潟市に来ているのですが、目的地はたいてい、比較的郊外の親戚や床屋さん、あるいは中心部からちょっと外れた新潟大学。
8月上旬には新潟駅前にも滞在したのですが、その時は電車で行き来したので、動いたのは駅近辺だけ。古町や万代、県庁付近などの新潟市中心部はずいぶんご無沙汰してしまっています。
今日は公用なのでずっと大型バスで移動したのですが、車窓から望む──むしろ「臨む」か・・・──新潟市は、どこか知らぬ街のよう。
ずいぶんお店が入れ替わっていたし、東中通りの農協のビルは無くなっていたし。ビルの隙間から一瞬姿をみせる水道タワーや新NTTビル。
それはそれで当時を皮膚感覚で思い出すのだけど、逆に言えばそれくらい思い出になってしまったということなのでしょうか......。そういえば、会場となったホテル裏の飲み屋(複数)で、よく、前の大学の出入りしていた大手一流企業の営業マンたちと、ベロンベロンになりながら、今後の大学のあり方について語り明かしたっけ。(毎回、完全割り勘でしたので、念のため。)
保護者会は大変有益で、保護者「1組」──最近は両親でお越しになることも多い──あたり15分のところを3倍近く御相談させてケースもありましたが、お陰様で無事に説明を終えました。
さすがに疲れて帰りのバスに乗ったのですが、センセイは途中にある高速道路のバス停で降ろしてもらいます。もちろん柏崎市の自宅に戻るためです。
今日は寒気が入ったので午後から急に寒くなり、また風雨もかなり強くなりました。
誰もいないバス停で乗り換えの路線バスを待ちながら、漆黒の闇をキャンパスにして、今日見たものを一つ一つ確認します。
「もう終わってしまった話なんだな」と、掌(たなごころ)の隙間から砂がこぼれ落ちるような感覚を再確認しながら、でも、ふと、変わらないものも存在することに驚かされ、そして励まされるのでした。
“Noli foras ire, in te redi in interiore homine habitat veritas.”
■10月19日(金) 新Mac
OS X 10.5 “Leopard”は、Classic環境をサポートしない模様です
ご存じの方も多いと思いますが、アップルは新Mac OS X 10.5“Leopard”の発売を今月26日から開始すると発表し、アップルストアではすでに予約を受け付けています。
本来ならばもっと早くに発売されているはずの“Leopard”ですが、アップルが“iPhone”の開発に注力したために、販売開始が遅れていたものです。期待の新OS“Leopard”、MacFixitによると、予想通り、Classic環境(Mac OS 9)をサポートしない模様です。((c)) CNET Networks, Inc.(一部加工)
旧Mac OSの終焉です。
CPUがインテルに替わった機種ではすでにClassic環境が使えなくなっていますが、「困った」という声はあまり聞こえてきません。
また、PowerPCを使った機種でもClassic環境はほとんど使わないという記事をどこかで読んだことがあります。そうなんだろうなぁー。
でもセンセイ自身はこの瞬間もMac OS 9を使っていますし、印刷業界は現在でも半分くらい(たぶん半分以上)はOS 9で仕事をしているはず。
頭を使って考える時──パソコンはただの使いやすい道具に徹する──には、「これしかない」という感じなのですが。かつて「親指シフトキーボード」というものがありました。
センセイ自身は使ったことはないのですが、ユーザーは皆、使いやすさを絶賛していました。
それと似たような部分があるのかもしれません。センセイは事務的な文章ならWindows XPで打ちます。
Mac OS Xはブラウジングなどにだけ用いていて、仕事のタイプごとに、OS 9(/OS X)/Windowsを切り替えるという感じ。これからもOS Xで「考える」なんてイメージできない......。(むしろWindows XPならあり得る)こうやって静かに、しかし確実に、Mac OSとのご縁が消えていくんだろうなぁー。
■10月18日(木) 大切なものは、やっぱり大切。 ──カラーモニタのリサイクルを申し込みました(1)──
右の写真は新潟県中越沖地震の直前に天寿を全うした、金沢のアパート用カラーモニタ“T560i-J”。
歴史に名を残すナナオの名機です。現在は新潟の自宅書斎の隅に鎮座していらっしゃいます。先日金沢へ車で往復した際に運んだのです。
故障直後に代替機種を検討して、ちょうど良いと思われるものを発注したものの、直後に地震に襲われ自宅のAVシステムがメチャクチャになった関係で、アパート用の購入直後の液晶モニタはハードオフに引き取られ、HDTVモニタ兼用機種に変更となったという長〜い事情があります。
そのT560i-J、すでに一度点検に出して「もう次はダメですからね」と宣告されているので、廃棄するしかありません。
しかし現在は法律で勝手に捨ててはならないことになっているため、今回初めて所定の手順で廃棄を申し込んでみました。
手続きはまずメーカーで処理を申し込みます。
このモニタのメーカーであるナナオの場合は、ホームページから情報機器リサイクルセンターでの処理を申し込むこともできます。重いモニタを引き取ってもらう(こちらから郵便局に持ち込むことも可能)必要があるので、センセイは金沢ではなく、自宅のある新潟市の住所で申し込みました(だから新潟へ移送した)。
数日して、右の写真の請求書(下部)と振込用紙(上部)が送られてきました。センセイの場合、リサイクル料金は4,200円でした。
郵便局振込(ないしはコンビニ)での支払いを終えて、どうなるのかなと思っていたら、今週、リサイクルを担当する会社から「振込を確認した」旨のメールが届きました。
たぶん週末に自宅へ戻ると、モニタ送付用の「エコゆうパック伝票」が届いているはずです。この後は、モニタを壊さないように簡単に荷造りし、その伝票を貼付して郵便局に都合の良い日時を連絡して引き取りに来てもらう(あるいはこちらから郵便局に持ち込む)ことでこちらの作業を終え、一連の過程をWeb上から確認できるはず......なのですが、後半はまだ実際にはやっていないのでよくわかりません。
というわけで、続きはまたいつか。(続きはないかもしれない)あ、そうそう。
実はセンセイの場合、地震とは無関係に故障したモニタを地震で被災した粗大ゴミとして偽って申告し、市のお金で処分してもらうこともできたのです。
白状すると、もしかすると他の機器だったら、そうやって処分したかもしれません。でもこのT560i-Jの場合、1994年の購入以来、有能な部下とともに13年間も死線を越えてつきあってくれた盟友なので、西村センセイには、とてもそんなことはできないのです。
大切な人や大切なモノは、どうなろうと、やっぱり大切なのです。
今日はホントによく働いた。
何てったって、日の出前から大学に存在していて、しかもずっと働きづめだったのですから......まぁ、普段、何だかんだと理屈をこねて仕事を先送りしたからこのような事態に陥るわけで、要するに自業自得ではあるのですが。
夜になり、残りの仕事をアパートに持ち帰る──だって、センセイの食料庫であるスーパーが閉店してしまう!! ──ことにして、パソコンを片づけ始め......あ"っ!?
さっき起動したばかりのWindowsノートの画面が、目を離した僅かな間にブルー一色になり、何やら深刻そうな警告が表示されています。
西村センセイ、仕事のかなりの部分を旧Mac OSの上で行いますが、でもあちこち移動する関係で、データの保管は基本的にWindowsマシンだけ。
万一、マシンの中のデータが失われるようなことがあったら、目も当てられない事態に陥ります。
そういえば、このところ忙しすぎてバックアップを取っていない......。本能的に電源ボタンを押して再起動させ──焦っていたので、証拠写真を取り忘れた──様子を見守ると、何とか無事に起動します。
まぁ、さっきも起動時は普通だったのですが。今は写真のように、何とかだましだまし使っているのですが、う〜ん、何か深刻な問題が進行中なんだろうか。
そう言えば最近、大学のICカードを認証しなくなったし......。
■10月16日(火) もう一つの「逆さ仏」 ──デジタル録音テープのコピーをひとまず終えました──
以前、地震で中断していたデジタル録音テープのコピーを再開したことをお伝えしましたが、本日、ハードディスクへのコピー作業をひとまず終えました。
残っているのは試験問題の作成に使ったテープだとか、入学式の記録だとか、あるいは再生不能のテープ。関係者の皆様は「この忙しい状況の中、何で西村先生ばっかり優雅に...」とお思いかもしれませんが、残念ながらそうではありません。
機器をセッティングすれば、後は、機械が勝手にコピー──例えば3時間とか──してくれるのでその間、Macで仕事をしながら異常がないかヘッドホンでモニターしているだけなのです。本来はハードディスクにコピーするだけでなく、編集した上でCD化する必要があるのですが、何より時間がない。
それに生録音の貴重な音源が多いので1枚のCD(約80分)に収まらないものが多く、またCDは初期のフォーマットなので音楽ファイルを物理的に切断する必要があります。そこで当面は、編集およびCD化は、まとまった時間に恵まれた時──そんな時が来るんだろうか──に短い録音のものから始めようと思っています。
今回、デジタルコピーした音源は2種類。
25年〜20年くらい前に、当時最新鋭のPCMプロセッサを使ってβのビデオテープ(右から2番目)に録音した古い音源と、その代替として20年くらい前から数年前まで使っていたDAT(デジタル・オーディオ・テープ:右から3番目)です。
その左右は大きさを比較していただくためのVHSテープ(右)およびホームビデオ用miniDV(左)テープです。ところが今回、古い録音のβビデオの音源は問題なく再生できたのに、新しいDAT機器で録音したものの中の数本を再生することができませんでした。
この中には、センセイの師匠の講演だとか、センセイが前の大学ででっち上げた「新入生歓迎コンサート」における、責任を取ってのセンセイ自身のピアノ演奏だとか、個人的には貴重なものが含まれています。
センセイはこれまで、5台のDATを使ってきたのですが、何台かが引退し、さらにはメインのマシンが修理された現在、過去の録音テープの互換性が保てなくなってしまっています。
新しい規格の機器は、より厳しい状況でたくさんの情報をやりとりしますから、いったんトラブルが発生すると、もうまったく対処できなくなるんですね。
30年くらい前にオープンリールテープで録音したものは何の問題もなく再生できるのに。「逆さ仏」という言葉があります。
親より子供の方が先になくなってしまう不条理を表した言葉ですが、今世紀に入ってから長寿だったはずの沖縄県でこの逆さ仏が多発しています。
都道府県別で1位だった沖縄県の男性の平均寿命が、1990年代に徐々に低下し、2000年には一気に全国26位まで急落したために、「26ショック」と呼ばれることもあるようです。
若い人の食生活が急速に欧米風になったため──だから決して皆さんと無縁ではない──と言われています。AV機器にも似たような事情があって、今回のような互換性や記録メディアの寿命、そして何より記録フォーマットそのものの寿命(!!)によって、最近の記録ほど再生できないという事態が発生しつつあります。
嘘だと思う貴方/貴女、“JAZZ”だとか“SCSI”だとか“MO”だとか、現在お使いのパソコンに繋げます?
センセイの場合、重要なフォーマットについては複数の機器を用意していることもあって、子供の成長を記録したビデオテープなんかは、現在のところは問題ありません。
でもこれだって、いつどうなるか──特に8mmビデオテープ──わからないので、できるだけはやくBD化を進めようと思っています。う〜ん、でもこれって、ごく近い将来に金沢のアパートにもBDレコーダーを導入するってことかぁ!?
■10月15日(月) “memento
mori”(「死を忘れるな」) ──北陸本線は、富山県内で二日続けて人身事故──
昨日は夕方、いつも通り電車に乗って金沢へ移動しました。日暮れがずいぶん早くなって、柏崎駅を発つとすぐに、太陽が海へ沈みます。
何も考えずに撮影したのが右の写真。使うつもりはなかったのです。
順調に走っていたはずの電車は富山駅の一つ前、東富山駅で静かに停車してしまいました。
信号待ちにしては奇妙な停車の仕方です。「少し待つことになるからね」という運転手のメッセージが感じられます。案の定、車掌から「富山駅の向こうで人身事故が発生し...」とのアナウンス。
新聞でよく見る「人身事故」の文字ですが、実態はもっと悲惨なはず。それでも10分おきくらいに車掌から説明が入り、「警察の現場検証が入ったので、○○時○○分には運転再開の見込み」。
ところが予定時刻を30分以上過ぎても全然動かない......。さすがに通りがかった車掌に関西方面への列車へ乗り継ぐ乗客からクレームが入ります。彼ら彼女らにとっては、最終列車に乗れるかどうかの瀬戸際なのです。
で、車掌が説明するには「○○が散乱していたりすると」。......現場は凄惨な状況らしい。
それでも1時間半遅れで何とか運転再開。
事故現場──テレビカメラが入っていた──を徐行運転で通り過ぎたのですが、警察車両は見あたりません。テレビカメラに気がつかなければ、どこで何が起こったか全然わからなかったと思います。
北陸本線は平行する新幹線がないので、「特急銀座」と呼ばれるほどたくさんの優等列車が走っており、その合間に各駅停車と貨物──非常に多い──が走っています。
速度が違う優等列車、各駅停車、そして貨物列車までが走っているため、高岡駅や金沢駅などのターミナル駅に近づくと、事故の影響でホームが不足して列車は再び遅れ始め、降車駅には所定の時刻より2時間以上も遅れて到着。
列車が大好きなセンセイでも、さすがにヘロヘロです。それでもセンセイはまだ良い方で、乗り継ぎ客はもう大変。大阪行き最終「サンダーバード」は疲れ切った乗客を乗せてやっと出発しました。
昨日の人身事故は、今日が月曜日──新聞の地方面はお休み──ということもあってか、センセイが把握している限り、現在はまだ報道されていません。
ところが報道によると、今日も富山市内で人身事故が発生したようです。((c))KNB
このように、ひとたび人身事故が起きるとたくさんの人が影響を受けるのですが、当人は視野狭窄に陥っている──はずな──ので、そんなことに思いは及びません。(たぶん)
責めているのではなく、少しでも影響を考えられる状態の時なら、問題行動は取れないでしょうから、それくらい追いつめられているのです。
まるで、同行してくれる誰かを求めるかのように。穿った見方をすると、(程度はともかく)影響を考えられるからこそ、つまり、場合によっては事後に自分の存在理由を確かめる──その時には自分は存在していないんだけど──ために行動を起こすのかもしれません。
やはり自分の存在を肯定してくれる「誰か」を求めているのです。昨日、今日と人身事故が続いたのはまったくの偶然でしょう。
でもその背後で起きている社会の地殻変動に、細心の注意を払う必要があると思います。彼ら/彼女らをそこまで追いつめたのは誰/何なのか。物理的な影響の責を彼ら/彼女らに帰すのは簡単です。でも問題はそれほど簡単ではありません。
私たち自身の中に存在する、人間存在の本質的な暗部への問い、中世ヨーロッパなら“memento mori”(「死を忘れるな」)と表現された問いなのです。人間に関する学問を扱っている人には明らかに二種類あって、人間存在の暗部を識った上で自分が行動できること/すべきことを考えている人と、そうでない人と。
正直なところ、センセイは後者を全然信用できそうにありません。だってとにかく、「言葉」が軽い。
彼らは、人間の核心部分に関しては、ホントに何にも知らないようなのです。その分、ある意味ではとても倖せとも言えるのかもしれませんけど。
(そんな彼らにではなく、人身事故の犠牲者に対して心から)合掌
■10月14日(日) 人の心は、難しい。 ──新潟県中越沖地震から3ヶ月(2)──
柏崎市旧市街中心部に「東本町」があります。かつては市内の繁華街、そして現在(地震前)は「シャッター通り商店街」という、地方都市でよく見られるパターン。
商店街の2/3くらいは巨費を投じて再開発が行われ、残りの通称「えんま通り商店街」──地域のシンボル「焔魔堂」にちなんだ──は再開発に参加しませんでした。
前者は数年前、資金的に破綻し、他方、後者は新潟県中越沖地震で壊滅的な被害を受けてしまいました。なお、えんま通り商店街のサイトは地震前から更新されていませんが、その代わり、被災前の様子を知ることができます。
今回の地震では地盤の崩壊もあって、木造建物はもちろん、コンクリート製のビルですら、古い建物を中心に大きな被害を受けています。
右の写真はもともと地域初のスーパーマーケットだったところ。
40年以上前に建てられましたが、その頃は本当にたくさんの買い物客を集めてごった返していました。
その後スーパーは倒産し、いくつかテナントが替わった後に、カラオケ店を最後に空き家となっていました。写真をよくご覧になると、1階部分が押しつぶされて、道路側に傾いているのがお分かりになると思います。
1階天井部分の側面も外にはみ出ています。地震後ずっと放置されていたのですが、昨日見たら足場が組まれていましたから、やっと解体・撤去工事が始まるようです。
中を覗くと太い鉄筋コンクリートの柱が圧壊しています。
センセイはカラオケをしないのですが、小・中学校の同級会の二次会で、まさにこの柱の上の部屋に入ったことがあります......。
他のお店はほとんど撤去され、どこに何のお店があったのか、だんだんわからなくなってしまっています。
明るい話題もあります。
右の写真、右手の空き地には女性向け衣料品店が2軒あったのですが、2軒とも全壊し、たまたま通りかかった老女が倒れた家屋の下敷きになって亡くなってしまいました。
地震直後に撮影した5枚目の写真の場所です。左のお店も古くからある婦人服のお店「タガワ」ですが、こちらも大きな被害を受けました。
近くに分店があったのですが、そちらは全壊してしまい、現在は更地となっています。ご主人と息子さんはえんま通り商店街のリーダー。
それもあってか、お店が大きな痛手を被ったにもかかわらず、昨日(13日)から営業再開にこぎ着けました。
地域の老婦人にとっては大切なお店なので、センセイが前を通った時もすでに何人かのお客さんがいらっしゃいました。でも被害が大きかったこの地区で開店にこぎ着けた(/間近)なのはこのお店だけ。道路を挟んだ反対側は比較的被害が軽いのですが、それでも営業しているのは1/4くらいでしょうか。
とても気になるのが、人々の表情です。
タガワのご主人はそうではなかったものの、ふと気づくと、お客のいないお店で、あるいはガラス戸を閉ざしたその向こうで、生気を失った老人──何故か皆、男性──が、道路をただボォーッと見ています。
地震直後にはあちこちで似たような光景を見かけましたが、その時は「茫然自失で何も考えられない」という一時的な思考停止状態。
でも最近、明らかに増加しているのは「自分だけが復旧に取り残されている...」とか「何で自分だけがこんな目に...」という、底の見えない暗い目なのです。
それもあちこちで。場合によってはいらだちをストレートに表現する場合もあります。
地震保険など、ふだんからの備えがあればそれなりに行動を取れるのでしょうが、そうでない場合──自営業などでは特に多いはず──は相当厳しい状況に置かれているはずです。
木造なら自宅の解体・撤去費用はほぼ全額公費で負担してもらえますが、たとえば自己所有のビルが大規模に被災した場合など、保険に入っていなければ解体すらできないと思います。
実際、解体されずに残されたままのビルもあるのです。老人だけの家庭や、(なかなか見えてこないけど)心身にハンディを負っている人やその家族だって同じです。
瓦礫が撤去され、物理的な傷跡が減っていく一方で、とても見えにくいのですが、弱い立場に追いつめられた人たちの心の傷が、明らかにどんどん広がっています。
またそうなればなるほど、自分自身をより一層追いつめてしまい、もっと苦しい立場になると予想されます。じゃぁ何ができるか、と問われると返答に窮するのですが、少なくともこういう事態が進行していることだけは忘れたくないものです。