2006年2月4日更新(2006年2月13日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)
■2月4日(土) すべって、転んで...。 ──風の街、柏崎──
週末なので新潟の自宅に戻ってきました。
北陸地方は昨日から強風が吹き荒れています。しかも直江津以東の信越線は海岸沿いを走るのでJR東日本の区間に入ってから徐行運転となり、30分以上遅れて柏崎駅に到着しました。
ホントにノロノロ運転で、ここまで徐行する必要はないと思われる場所や風でも徐行していました。お察しの通り、羽越本線の事故があったからなのでしょう。今年、新潟県は大雪に襲われています。
テレビで繰り返し流される映像を見て、新潟県全域があの大雪で......と思ってらっしゃる方も多い──実際、そのような見舞いの手紙を頂戴したりする──ようですが、報道されているような大雪は中越、上越の山間部で、平野部の雪はたいしたことありません。
新潟市に至っては、全くの無雪です(先週末の時点)。センセイの自宅がある柏崎市も、海に近いのであまり雪は降りません。50cmくらい降ったら大騒ぎになります。
そのかわり、日本海からの北風が直接吹き付けます。ホントに風の街という感じ。以前お伝えしたことがありますが、西村センセイ、中学生の時に2回吹き飛ばされたことがあります。(実話)
数年前に、当時寂れつつあった市街地中心部を再開発して第三セクタービルを建てた(その後倒産〔民事再生〕)のですが、そのビルの名前が「フォンジェ」。
中国語で、「風の街」という意味なんだそうです。今日の柏崎はその「風の街」で、猛吹雪で視界がききません。車の車外温度計は-2℃を上回ることはなく、真冬日だったようです。
路面はツルツル。車は駆動輪を空回りさせながら進んでいきます。
その鏡面の上に、少し新雪が降ったので、歩いていてもどこが滑る場所かわかりません。実際、家族でちょっと外出したら、進学を決めたばかりの娘が駐車場で滑って、見事に転んでしまいました。
発表前の先週だったら大変だった......。何十年も変わらない「風の街」柏崎の冬です。
P.S. ちなみに“The Windy City”(風の街)とは、シカゴのことです。どう見ても海以外の何ものでもない(!!)ミシガン湖に面しているので、強い風が吹くようです(センセイが滞在した期間にはそんなことなかったけど。)
■2月3日(金) 季節を分ける日 ――金沢はとても冷え込んできました――
金沢はこのところ、雨が降ることはあっても、暖かい日が続きました。
ところが今日は、午後から急に天気が悪くなってきて、雪が降ってきました。
そして、急激に冷え込み、とにかく寒い。夕方、所用でバスに乗ったのですが、その途中、バスの営業所から運手手に無線で指示が入り、路面が凍結し始めたので十分注意し、さらに万一危険を感じたら、チェーンを巻くようにとのこと!!
山沿いは大雪になるそうです。さて今日は、ご存知の通り、節分。
冬と春という季節の、その分かれ目の前の日を節分、翌日を立春とします。
春夏秋冬、季節は4つあるので、実は、節分は年に4回あるのです。あまり知られていませんが。節分。いつもの年なら、冬はもう終わりで、寒さのピークを過ぎるころなのですが......。
今年は年末年始の寒さといい、これから来る寒気といい、いつもの年とちょっと様子が違うようです。
西村センセイ、金沢へは時々車で来ることもありますが、たいていは電車で新潟─金沢を移動しています。
で、市内の移動は、自転車の範囲を超えたら、バス。毎週利用しています。
金沢は海岸に沿った断層の上にあります。衛星写真を見ると、能登半島から南西方向に直線状の大きな断層があるのがわかります。
その断層の上、海と山に囲まれた細長い扇状地と沖積平野の上に、金沢市は位置しています。こういう地理的な成約があるため、片町、香林坊、武蔵が辻というように、金沢の政治、経済、交通の要所はほぼ直線上に並んでいます。
だからどこへ行くにしても、バスは上記3箇所+金沢駅を結ぶ路線を走るような感じになり、この区間はやたら多くのバスが走っています。(でも、少し離れると途端に本数が少なくなる。)他の都市と比べて、金沢(の中心部)ではバスが重要な役割を果たしているのですが、やはり自家用車の普及と店舗の郊外移転によって利用客は減少傾向にあるようです。
そこで、国(国土交通省)と県、市は毎年、共同でバスの利用者増に取り組んでいます。今年も期間限定で路線を一部変更したりする交通実験を実施するそうです。
右の写真はその一つ。ファミリーでバスを利用してもらうため、通勤定期で買い物に出る時は家族の運賃を大幅に割り引く実験の告知です。
ミニバンでの一家揃っての買い出しに慣れたファミリーがどれだけ実際に利用するかはともかく、面白いアイディアだなぁーと思っていたら、誤植を見つけてしまいました。
平成18年なのに、「2005年」と併記されているのです。職業上、どうしてもこういうミスに目が行ってしまうのですが、ちょっと良い気分になっていただけに、小さなミスに振り回されてしまう自分が情けなくなってしまいました。
■2月1日(水) 「図」と「地」 ──西村センセイ、個人面接でいろいろ考える──
金沢工大はあと2週間くらいで冬学期が終わります。テスト期間を経て、学生さんは春休み。そしてこの時期、1年生はクラス担任(アドヴァイザー)の面接を受けます。
面接といっても10分くらいの簡単なものですが、アドヴァイザーが、勉強や生活の様子をチェックします。
研究室の前には椅子が並び、面接を待ちます。以前にも面接したし、それに毎週1回、授業で顔を会わせているので、そんなに新しい印象はないんだろうなと思ったら、これが大違い。
授業の時は、どうしても特定の少数派に注目しがちです。私語や落ち着きのない「困ったちゃん」だとか。
工業大学ですから女子学生も少数派。やはり相対的に目立ちます。でも、一人ひとり話を聞いてみると、多数派にもいろんな人がいる。
とても才能があるのに本人も周囲もまだ気づいていない隠れ秀才だとか、あまり目立たず、ゆっくり考えて、それから内容を順序立ててまとめて、ゆっくり話そうとした時にはもう話題が次に移っていて結果的に何も喋られないんだけど、その内容は凄い人だとか......。
授業の時の「図」と「地」が見事に逆転しています。
う〜ん、うちのクラス、思っていたよりずっとすごいクラスだぞ!!
■1月31日(火) もう、Macを買うことはないんだろうなぁー...
この週末、新潟の本屋で『Mac Fan』誌を買いました。
かつては10誌以上あったMacの雑誌ですが、今では『MAC POWER』誌と『Mac People』の3冊しか残っていません。
もうMacに勢いがないし、それにそもそもコンピュータが白モノ家電化してしまっていますからね。(だから、Windowsの本はもっと減っている。)で、白状すると、この『Mac Fan』も、巻末近くの「Macな人」というマンガのためだけに買っているようなもので、「Macな人」は単行本化されるたびに買っています(現在8巻まで刊行中)から、ホントはもう『Mac Fan』はいらないのです。
その『Mac Fan』。今号はもちろんインテル・マックの特集。
表紙には“Classic環境は?”と、これまでのOS 9ユーザーが思わず気になる見出しもあります。すでにお伝えした通り、Mac OS 9および“Classic環境は、もうサポートされないんですけどね。
本紙の冒頭近くには写真の記事が大きく掲載されています。
下半分はMac OS 9起動時の画面を模したイラストですが、中央の顔が涙を流しています。((c)毎日コミュニケーションズ)
OS 9がサポートされないことを意味しています。上の記事を読むと、やんわりとOS 9が終わったということをOS 9およびClassic環境ユーザーに伝えています。
この種の雑誌は、元になる商品(この場合はMacintoshコンピュータ)が売れて初めて商売になります。
ですから、商品やその会社を正面から批判することはまずありません。また、新商品が出た時は、それが良かろうと悪かろうと、新商品を持ち上げ、かつ、旧商品の評価を間接的な表現で下げます。
間違えても、前の商品の方が良かった、などという記事は載りません。世の中、そういうものなのです。毎コミを責めてはいけません。責めるなら世間を知らなかった自分を責めましょう。
で、アップルのサイトを見ると、先日まで英語の画面だった“Rosetta”のページが日本語化されていました。日本語に直しただけのもので、英語版と同一内容です。
そしてそこには、売れ筋商品のフォローについては掲載されていますが、Mac OS 9(Classic環境)に関する記述はまったくありません。要するに、もう知りません、ということです。
思えば1993年にLC-475を買ってからの長いつきあいですが、Mac OS 9(Classic環境)が使えないのなら、もうご縁はありません。
もちろん現在所有する10台のMac(内、1台は大学のもの)は大切に使いますが、次に買うとしたら、間違いなくWindowsになってしまうでしょう。別に欲しくはないけど。
富山ネタをもう一つだけ。それくらいインパクトが大きかったのです。
今回の出張は総勢10名以上もの大所帯だったのですが、その中に富山県出身のY先生がいらっしゃいました。
一行は富山駅と繁華街総曲輪(そうがわ)の中間くらいにあるホテルに宿泊したのですが、そのY先生、ホテルに到着すると「やっぱりここだ」。何のことだろうと思って訊ねると、ホテルのすぐ隣に鱒寿司屋さんがあって、子供の頃からいつもそこで買っていたと仰るのです。地元ネイティブ御用達のお店らしい.....。
他のお店と違って、デパートや駅、その他小売店には卸していないとのこと。ますます興味をそそられます。お店の名前は「高芳(たかよし)」。西村センセイ、結局、何回かこのお店に足を運ぶことになりました。
到着した日は何よりまずお仕事。で、その晩はみんなで食事をすることになったので、鱒寿司を食べるわけにはいきません。
それでも仕事の合間に、お店に入ってみると、絵に描いたような若夫婦がお仕事中。
開店時間を訊ねると6時過ぎには営業しているとのこと。もちろん朝です。そんなに早くから営業しているのなら、そうだ、2日目の朝食からいきなり鱒寿司!!
というわけで翌朝早く訪問すると、今度は見るからにご当主の老夫婦。全身から職人の気概が伝わってきます。正直なところ怖いくらいでした。
でもこちらはお客だから、気を取り直して売ってくれるようにお願いすると、意外にもご主人は、
「いつ食べるの?」
ぶっきらぼうな言葉遣いですが、一見(いちげん)の、そして事情に詳しくない客であることを見抜いています。
朝食べようと思っていることを告げると、これまたぶっきらぼうに、
「ダメだよ。」
最初は事情がわからなかったのですが、早朝に作ったばかりで、ネタとシャリ──でいいのかな?──が馴染むまでに時間がかかるようなのです。
で、西村センセイ、お店を追い出されてしまったのでした。ハイ。その間、お店の中を少し拝見させてもらったのですが、お店の奥に製造場があって、手前のお店では昔ながらの石を使った道具で重しをかけたり、これまた年代物の器具でゴムをかけるようになっています。
富山県内の高速道路売店では、製造から販売まで一貫している場所があって、製造工程を見ることができるのですが、かなり機械化されていて、ピカピカのステンレスのマシンがお寿司をどんどん生産しています。そこで働いているのは若いアルバイトの女性......。
それと正反対のこのお店。すべてが格式を表していて、ホントに食べてみたい!!というわけで、やっと仕事を終えたお昼過ぎに念願の高芳の鱒寿司をいただいたのですが、これがもう、ホント、他のものと比較にならない!!
意外にも、最初は印象が薄い。(もちろん味の話ですが、実は鱒の色も他メーカーより薄いです。)
というのは、他メーカーは濃厚な調味料を使っていて、それを食べているようなもの──それはそれで、まぁ、美味しい──なのですが、高芳のものは薄味。
もちろん素材の味を生かすためでしょう。そのため、いくらでも食べることができるし、食べれば食べるほど素材のとても微妙な味、ホントの美味しさがわかるようになる......そんな感じなのです。
もう一つ気づいたことがあって、製造後の時間によって味がどんどん変わってくるのです。
白状すると翌日も高芳で2個買って、1個は夕方自宅に戻る電車の車中で、そして最後は自宅に戻ってから家族で食べ、さらにその一部を翌朝食べたのですが、それぞれが違う味なのです。
ご当主が時間にこだわったのは当然でしょう。この高芳の鱒寿司、夏と冬は製造翌日まで、春と秋は翌々日までしか持たないそうです。普通に売っているものは数日間大丈夫だと言っています。
う〜ん、この違いは何なんだろう。富山にお越しの際は、センセイに騙されたつもりでぜひ一度ご賞味ください。富山駅前から路面電車で二駅。「桜橋」で下車すると目の前です。美味しさを増すために富山駅から歩いても、わずか15分くらいです。
■1月29日(日) さよなら。富山港線 ──歴史的感覚と想像力──
宮脇俊三氏(故人)が書いた『時刻表2万キロ』という本があります。
要するに全国の国鉄(当時)全路線に乗った、というそれだけ内容なのですが、このところブームの藤沢周平(こちらも故人)の『用心棒日月抄』とともに、名著であるだけでなく、著者自身にとっても節目となった作品です。間違いなく。(興味を持たれた方は両氏の作品をお読みください。いくつかちょっと読んでみて「おもしろくないな」と思ったら、きっとご縁がなかったのです。あきらめましょう)
で、その『時刻表2万キロ』の冒頭に、富山駅から海岸部までを結ぶ「富山港線」が出てきます。国鉄全線を踏破しようと意気込む著者がいきなりコケてしまう因縁の路線です。
西村センセイ、一昨日にお伝えしたように、富山は毎週通過するのに、北陸本線と高山本線以外のJR線、つまり富山港線、氷見(ひみ)線、そして城端(じょうはな)線に乗ったことがありません。
車を運転していて、それらの踏切を越えたことは数多いのですが、自由のきく週末は新潟にいるので、なかなか乗れなかったのです。
で、一昨日(27日)、前日と違って天気が悪かったのですが、公務を終えてから富山港線に乗ってみました。
実は「乗って...」とお伝えできるかどうか、怪しいくらいの路線です。とにかく、とても短い。全線乗っても200円!!
富山から20分の終点岩瀬浜駅は無人で、写真の、観光地でよく見るセットが置かれています。
「ありがとう富山港線」。そうなのです。この富山港線は間もなく廃線となるのです。この富山港線。どうも、もともとは臨海部への貨物主体の路線として敷設されたようです。
岩瀬浜駅の先はプッツリと切れていてとても不自然。『時刻表2万キロ』には、東京の奥多摩駅のように、その先に引き込み線の様子が描かれています。
その引き込み線は、おそらくトラックに荷を奪われて廃線となったようです。それに路盤をよぉーくみていると、普通の地図には載っていない、企業の引き込み線も多数あった模様です。実際、古い地図を見てみたら、北陸本線東富山駅付近からの引き込み線が載っていました。
新潟でいうなら、新潟鐵工所への引き込み線と、新潟東港への貨物線に客車を運行しているようなものなのです。(ちょっと難しかったかな。)で、その富山港線。
利用客が少なく(+本来の貨物がなくなった)、JR西日本が廃線を打ち出したところ、富山市が「ライト・レール」という、要するに路面電車の企画を出して、買い取ることになったようです。
現在、富山駅の北側でその工事が進んでおり、この富山港線は2月末でいったん廃止され、二ヶ月ほどの工事の後に、路面電車として復活するようです。
富山港線。日中はディーゼル1両だけの運転なのですが、通勤・通学時間帯は写真のような普通の電車も走ります(ちなみに北陸本線は交流60Hzなのに、富山港線も、そして七尾線も直流。ナシテ?!)
廃線にあわせて、JR西日本は写真のような「カラシ色」電車を走らせており、全国からマニアが集まっているんだそうです。
このカラシ色、かつての国鉄色なのだそうです。そうそう、肝心なことをお伝えしていませんでした。沿線の風景です。
富山港線沿線は、現在は新興住宅地と大きな工場群(+なぜか競輪場)が混在していますが、かつては荒れ地に工場が広がっていたはずです。
富山はもともとあまり裕福な地域ではない──富山県民の皆さんには失礼な部分があるかもしれません──ようで、その分、子供の教育と、水力発電からの電力を生かした工業化によって県民の生活水準向上をめざしてきました。
このことは富山県を車で走ってみると、ホントに良くわかります。それ自体にはとても敬意を表すのですが、その反面、例えばイタイイタイ病、すなわちカドミウム汚染を招き、そしてその問題解決を遅らせることになる遠因になったことも否めません。
僅か20分、200円の富山港線に乗って、富山の重みを実感していました。