2009年9月12日更新(2009年9月21日ページ移動。2013年9月17日一部写真削除)
■9月12日(土) 非存在の存在が主張するもの ──教室脇の、古い机──
センセイ「ら」はこの週末、いくつかのグループに分かれて全国各地に出張しています。
センセイを含むグループは現在、新潟県内に滞在しているのですが、今日は、その出発前のお話。
金沢工大の中を歩いていて、ある教室の入口に、写真の机が置いてあることに気づきました。
パソコンか何かを置いていたのでしょうか、古くて重そうな机です。変だなと思って別な教室へ行ってみると、そこにも、同じ種類の机が。
こうやって机を見ていると、いかにも何かを載せたくなります。気持ちがこの上に載せられるべき何かを探して.......。
結果は、お察しの通り。(別ウィンドウが開きます)【削除】
今回の出張の様子については、明日お伝えできると思います。
■9月11日(金) 先人の知恵と努力に対する畏敬の念 ──旅の終わりに問われたもの──
東北・北海道ツアーのご報告最終回の今日は、ちょっと違った観点から。もう飽きてしまった方は、どうぞ読み飛ばしてください。
当たり前ですが、東北地方でも拠点となる都市や町は平野や盆地にあって、それらを鉄道が川や峠を越えて結んでいます。
橋の工事跡などでも感じるのですが、険しい峠越えなどでは特に、重機も十分使えなかった昔に、どうやって工事を続けたんだろうと感じる場所がたくさんあります。
ご紹介した慰霊碑だけでなく、それほど長くはないトンネルの入口脇にやはり慰霊碑と、その前に置かれた飲み物の缶──たぶん保線の人が置いた──を見かけることもありました。やはり相当な難工事だったのでしょう。
「地域のために、何としてでも鉄道を...」という熱意をひしひしと感じます。でもその想いと努力は、決して過去だけのものではなく、意外と現代にも連綿と引き継がれているように思えます。
例えば山形・秋田新幹線。
前者は山形や新庄、鶴岡を、後者は秋田や大曲(現在は大仙市)をそれぞれ、東北新幹線に繋いでいます。
この二つの路線はそれぞれ奥羽本線の一部、田沢湖線および奥羽本線の一部を新幹線の規格に改めることによって可能となりました。
でもこれらは、決して一筋縄ではいかなかったはずなのです。写真は、秋田駅から大曲駅に向かって南下する奥羽本線各駅停車の中から、前方を撮影したもの。
この区間はもともと狭軌の複線区間だったのですが、左側(=東側)の上り線を新幹線用の標準軌に改めています(左側の方が広い)。その結果、新幹線用(東側)、在来用(西側)の単線が平行し、日本では珍しく、上りの在来線(および下りの新幹線)は、進行方向右側の線路を通行することになります。
センセイが乗車していた時も、各駅停車の左側(!!)を、上り始発の秋田新幹線がゆっくりと追い抜いて行きました。長い単線は列車の行き違いが問題になるので、秋田新幹線でも一部区間では、新幹線と在来線の線路を3本並べて──「三線軌条」──両方走行できるようにしています。
しかしこれも単純にレールを3本置けばよいというものではなく、レール幅を管理する「ポイント」を、在来線、新幹線それぞれにあわせて管理する必要があります。
さらに在来線と新幹線では電源電圧が違うため、その区間に乗り入れている列車にあわせて、電源を細かく切り替えているはず......。要するに、決して「簡単」ではないのです。
新幹線と在来線を、地域のためにともにどう生かすかが問題になる場合もあります。
例えば新庄駅付近の場合、小牛田(こごた)駅から西進してきた陸羽東線が、南新庄駅付近で奥羽本線と平行に走るようになります。(かつては合流していた)
平行して走るだけなら問題ないのですが、保守清掃などのために新庄駅構内で山形新幹線が陸羽東線を「またぐ」格好になりますから、列車やポイントの管理は大変でしょう。
陸羽東線は非電化なので、幸いにも電源電圧差の問題はありませんが。写真は、奥羽本線羽前千歳駅(標準軌)を北から南に通り過ぎたところで撮影したもの。
左側(東側)、仙台から山寺を越えて合流してきたのは仙山線(電化狭軌)です。ここでは、上の写真のように平行させるのではなく、在来線と新幹線(奥羽本線)を、完全に交差させています。
この先の北山形駅で、右側(西側)から非電化在来線の左沢(あてらざわ)線が合流してくるので、いずれにせよどこかで交差させなければならないのですね。写真のように、両方の架線がしっかり見えますから、やはり電源の切り替えを必要とするはず......。
今回は山形新幹線も利用したのですが、奥羽本線の難所、板谷峠や、峠付近にある保守管理の人たちの宿所もしっかりと確認できました。
本当に先人の、そして今現在の関係者の、智慧と努力に感謝の気持ちを表すしかありません。そしてそれは、列車に乗せてもらった自分に対する問いとなります。何のことはなく、歴史は現在に対する問いかけなのです。
さて、先週後半に金沢を離れてから、今週火曜日の午後に金沢に戻るまでの乗車距離を計算すると、3,967.7km。要するに約4,000kmです。青森−東京−博多間(1,902.8km)のざっと倍。
もちろんこの間、新幹線や特急に乗って距離を稼いでいますから、それらを除いて、いわゆるローカル線の各駅停車に限ってみると、1,140.5km。
これは、東京−博多間(1,174.9km)と同じくらいの距離。「我ながら、よく乗ったなぁー」と思いつつ、でも、乗り残した区間が悔しくて、次の乗車の機会と乗り継ぎ時刻を調べているセンセイって、いったい......。
■9月10日(木) 「我田引鉄」の地 ──男鹿線・大船渡線・気仙沼線・陸羽東線・左沢線──
鉄道ファン以外の方は、もう飽きがきているでしょうから、大急ぎで今回のツアーの残りの部分を、概ね北から順に。従って、乗車順ではありません。
羽越本線、奥羽本線に乗っていて、いつも分かれていく線路に悔しい思いをしていたのが、追分駅から男鹿(おが)駅に至る男鹿線。
文字通り男鹿半島の南部を西へ進みます。秋田に泊まった翌朝、始発列車に乗車しました。
八郎潟干拓地そのものは見えなかった──たぶん──と思いますが、途中で大きな水路を越える時に、八郎潟南部に広がる調整池を確認できます。
センセイの世代だと、八郎潟といえば干拓と龍伝説ですが、若い人はわからないだろうなぁー。男鹿線は県庁所在地の秋田駅から下ることになるので、ずっとガラガラだろうと予想していました。
でも意外なことに、途中から通勤通学客がかなり乗り込んでくるし、終点近くになると、沿線にはかなり大きな工場群が出現します。
不勉強で申し訳なかったのですが、男鹿市はそれなりの規模なんですね。駅舎の左側には、この地域のシンボル「なまなげ」が見えます。
次は、一ノ関と盛間を結び、「我田引水」をもじった「我田引鉄」で知られる大船渡線。
ただし今回は乗り換えの関係で、途中の気仙沼(写真)までの乗車となります。時刻表の地図などでは判然としませんが、正確な地図を見るとこの大船渡線は途中で、見事に「コ」の字型に北へ寄り道しています。(平行する道路はほぼ最短ルート)。
当時の政治家の事情によるもののようで、一般的にマイナス面ばかりが伝えられています。センセイもそう思い込んでいたのですが、でも途中で、突然、猊鼻渓(げいびけい)──一関市および観光業者による紹介(こちらやこちら)──という絶景に出くわしました。
車内から見ているだけでも凄い場所です。乗換駅の気仙沼(気仙沼市)は漁業で知られていますが、駅そのものは市街地の外れにあって、海を直接見ることはできませんでした。
でも乗り換え後、南に向けて走る気仙沼線は海に沿い、気仙沼の街を南側から一望できます。本当にきれいな街です。気仙沼線、最初(北側)はいかにもローカル線という感じなのですが、途中から路線は直線的になり、ずいぶん高い盛り土や直線的なトンネルが増えてきます。
変だなと思って調べてみるとこれは、この区間が昭和のほぼ最後に建設されたためのようです。だれもいない田圃の向こうから、静かに2本のレールが近づいてきて──意識していないと絶対にわからない──無人の前谷地(まえやち)駅から石巻線に合流。
いかにも新興住宅地という感じの場所を快走します。終着は東北本線小牛田(こごた)駅。東北新架線のルートからは外れていますが、かつては東北本線の拠点として栄えていたんだろうなぁということがひしひしと伝わってきます。
センセイは接続の良い陸羽東線に乗り換えたのですが、新幹線と接続する古川駅でずいぶん待たされます。この先は鳴子温泉などの観光地で、新幹線からの乗り換え客を待っているようです。
実際センセイの向かいの席などには、いかにも首都圏から来たという感じの親子(母親と娘)や夫婦などが乗り込んできて、自分達だけのの世界に入り込んでいます。でもセンセイが気にしているのは、やっと出発したディーゼルカーの車窓。
風景はもちろんなのですが、この地域、そして今日ご紹介した地域は、去年の6月14日に大きな地震(岩手・宮城内陸地震)に襲われているのです。
陸羽東線も1ヶ月以上徐行運転を続けていました。センセイが気づいた限りでは、小さな無人の倉庫が地震の被害を受けていたように思えましたが、これは地震のせいではなく、ただ朽ちただけなのかもしれません。
結果的に地震の直接の影響を見ることはできませんでした。いずれにせよ向かいの母子は、地震のことなんてこれっぽっちも関心ないようで、頭の中は娘の仕事の愚痴と今日の温泉のことばかり。秋田美人とはずいぶん違います。
鳴子温泉駅やその手前で観光客はみな下車したので、ここから先は数人の客を乗せて新庄を目指します。
いかにも「ローカル線」という感じ。新庄からは各駅停車で南下したのですが、山形の一つ前、北山形駅で下車します。
左沢(あてらざわ)線に乗り換えるためです。夕方の下校、退社時間帯だったので、乗り換えた4両編成のキハ100系は満席。
本当は窓の外をよく見たかったのですが、ロングシート席だったし、まだ6時前だというのに、かなり暗くなっているので、だんだん外が見えなくなります。
う〜ん、残念。寒河江(さがえ)駅でほとんどが下車した後、意外にもトンネルを二つくぐって終点、左沢駅へ。
その先に何もないことを確かめてから駅舎を撮影したのが写真。改めて写真を振り返ると、何だか女子高生を撮影するために旅したようですが、もちろんそんなことはありませんので、念のため。
■9月9日(水) 「秋田美人」、いろんな意味で本当です ──北上線・花輪線──
「あれ?」と思ったのは、北上線への乗換駅、奥羽本線横手駅に向かって走り始めた早朝の各駅停車。
ご存じのように、地方ローカル線のお得意様は、他に通学手段を持たない高校生。その生徒諸君が例外なしに、とても節度を守って行動しているのです。
隣の友達と何だかんだと話しながらも、本を開いてきちんと勉強している向かいの女子生徒は、恐らく有名な進学校、横手高校の生徒さん。
制服の違う別の彼女は携帯電話に夢中ですが、意外と、周囲にはきちんと気を使っています。良好なコミュニケーションも取れています。もちろん床に座ったりなんか、絶対にしません。一番驚いたのは横手駅に到着した時。
たくさんの生徒が跨線橋の階段を登っていたのですが、どんなに混雑しても、生徒──いくつかの高校の生徒が渾然一体となっている──は空いている下り階段を使おうとしません。
たくさんの生徒が階段の手前できちんと列を作って順番を待っています。効率だけを考えれば、下り階段も使った方が良いのに。再び「あれ?」と感じたのは花輪線に乗り、始発の大館駅の次、東大館駅から生徒さんが乗り込んできた時。
センセイのそばに立った女子生徒はずいぶん遠距離を通学しているようで、結局、鹿角花輪(かづのはなわ)駅までの約1時間、立ちっぱなし。
特に混んでいたというわけではありません。
センセイは当初、空いていた座席に重い荷物を置いていて、生徒さんが乗り込んできたため網棚に片づけたのですが、座ろうとはしませんでした。その彼女、隣に立った友達と時々話しながらも、ずっと本を読んでいます。五能線の一部乗客のように羽目を外すなんてことはありえません。
もちろん彼女としては、中年のオジさんと向かい合わせという状況は避けたかったのでしょうが。ここでやっと気づいたのですが、横手高校の生徒にせよ、東大館から乗り込んだ彼女にせよ、美人なのです。
ホントに。お化粧で化けた「ジビン」はあちこちに存在するでしょうが、それとは違って──高校生ですからお化粧なんかしていません──素性の良さが伝わってきます。
どこが美しいんだろうといろいろ考えたのですが、最後の決め手は内面の美しさではないかと思うようになりました。一言で言えば「清楚(せいそ)」という感じ。
正直なところ、秋田の一部を除けばこの言葉、ほとんど死語に近いんじゃないかと思います。......なぜ横手や大館ではこんな奇跡が可能なんだろう。
■9月8日(火) 東北北部は観光資源の宝庫!! ──五能線・大湊線──
昨日ご紹介した津軽線は陸奥湾に面していますが、津軽山脈を挟んでその反対側、つまり日本海側を五能線が走っています。秋田県北部の能代と青森県の五所川原を結ぶ全長約150kmのかなり長い路線です。
これまで何度か行ってみようと計画したのですが、今回、初めて乗ることができました。秋田側、青森側どちらからでも利用できるのですが、朝到着したということもあって、秋田側の東能代駅から乗車しました。朝は太陽が東にあるので、海岸線や日本海は順光となるからです。
3両編成の各駅停車の最後が割と空いていたので乗り込んだのですが、車掌さんが旅行客に何やら説明しています。どうやら別の車両に移るようにと説明しているのですが......聴き取れない。
大学時代、五所川原近く(木造)出身の友達がいて、ふだんはさほど問題はないものの、彼と彼のお母さんが話している会話はまったく理解できませんでした。
その時と同じです。とにかく車両を移り無事に出発したのですが、ここで先ほどの車掌さんが改めてアナウンス。ゆっくり喋っているということもあって、今度はかなり理解できます。
これから先、ホームの短い駅がたくさんあって、列車の一部がホームをはみ出てしまうため、途中の鰺ヶ沢駅まで3両目を使わないというのです。なるほど。能代を過ぎると五能線は海岸沿いを走ります。
風景がどんどん変化してきて、最初は山側(東側)の白神山地が、県境では海岸沿いの漁村が、そして有名な「千畳敷」をはじめとして数カ所では奇岩が目の前に迫ってきます。
写真はその一つですが、実際にはもっと生々しい赤色。
それがものすごいボリューム感で迫ってくるため、一瞬「ここは本当に地球上なんだろうか」と思ったほどです。途中、「ウェスパ椿山」という良くわからないテーマパークのような所を経て、鰺ヶ沢駅へ。
ここまでの海とつき合う生き方と違って、これから先は農民の世界です。異質な二つの世界が接しているんですね。五所川原を経て、列車は林檎畑の中を快走し、五能線の終点である川辺駅へ。
列車はここで向きを変えて奥羽本線を南下し、津軽地方の拠点、弘前に到着します。この間、青森県内では津軽富士こと岩木山──写真は川辺−撫牛子(ないじょうし)間で撮影──をぐるっと一周する格好になります。
実際、姿や大きさを変えながらも津軽富士がずっと見守っている、という感じ。五能線は白神山地、砂浜や奇岩などの海岸線、漁村、林檎畑、岩木山、弘前の太宰治など、たくさんの観光資源に恵まれています。
JR東日本もこの特徴に注目して、「リゾートしらかみ」なる観光用の快速列車を運行しています。ターゲットは明らかに首都圏の中高年齢者。
実際、お伝えしたようにグループや夫婦でキャーキャー(標準語で)言いながら─カメラのシャッターを切っています。まぁ、それはそれで五能線を維持するためにはいいことなんでしょう。
でも彼ら彼女らは、かつてここを、林檎箱を満載した貨物列車が首都圏その他に向けて走っていた......なんて、想像してもらえないんだろうなぁー。あ、そうそう。
五能線に乗っていて気づいたのですが、北側に位置する低い津軽山脈の向こうに、かなり高い山地が見えました。最初は何だろうと思ったのですが、北海道(松前付近)が見えているんですね。
さて、今回のツアーでもう一つ、観光地なんだぁーと思い知らされたのが大湊線。
センセイは八戸駅から始発を乗り継いで大湊線に乗ったのですが、野辺地(のへじ)駅で各駅停車の出発を待っていたら、JTBのバッチを着けた団体客がどどどと乗り込んできました。
五能線同様、こちらも中高年ばかり。大湊線に乗ってみて初めてわかったのですが、この線は、沿線の風景を楽しむというより、下北半島への入口という性格が強いようです。
終点の大湊駅(写真)の一つ前にある下北駅──JR東日本の最北の駅──はその拠点、という感じ。
かつてはここから北に、国鉄大畑線が走っていたのですが、今回はその痕跡を確認することはできませんでした。ところで野辺地駅を出発してしばらくすると、右手(東側)に巨大な風力発電機群が迫ってきます。
2カ所に分かれて20基くらいはあったと思います 後で調べてみると、エコ・パワー株式会社の施設の一部なんだそうです。新潟や北陸でも1基ないしは2、3基のものはみかけますが、これだけの数、それも目の前をグルグル回る姿は壮観で、五能線の奇岩同様、ホントに圧倒されてしまいます。
いずれにせよ東北北部は、それが地に足を降ろしているかどうかはともかく、観光資産に恵まれているんだなぁーと感じたのでした。
■9月7日(月) 今回のツアー、そもそもの発端は... ──津軽線──
「とにかく北海道へ行きたい」とか、「全てのJR東日本線が乗り放題になる切符が使える」などの理由とは別に、今日は、今回の東北・北海道ツアーを実行した直接の理由を。
「言い訳」という方がより適切なのでしょうが。本州から列車で北海道へ行く場合、青森を出て蟹田、中小国を過ぎ、左に向かう津軽線と別れて津軽海峡線の高架とトンネルに入ります。
「さあ、いよいよ青函トンネルか!!」と期待すると、2本のトンネルを抜けたところで不意に、かなり長い地上区間に出瑠だけでなく、先ほど分かれたはずの津軽線が再び左手(西側)の低い場所から出現して「津軽二股」駅に至ります。
写真※1は北海道(右側:北側)から戻った時に撮影したもので、左上の建物が津軽二股駅舎に隣接する建物です。一方、津軽海峡線にも津軽二股駅のすぐそばに「津軽今別」駅があります。
時刻表にも「津軽二股駅と津軽今別駅は隣接しています」と記載されており、要するにその気になればここで乗り換えることができるのです!!
もっとも中小国−木古内区間には各駅停車が存在しないため列車は通過※2してしまいますが。津軽線はその後、写真手前の津軽海峡線(左側が青函トンネル方向)の下を東側に抜けて行きます(写真中央、下から上方向)。
行ってみたい!! 乗ってみたい!!
要するにそれが本当の理由だったのです。
それに蟹田−三厩(終点)間の津軽線は1日に5往復しかなく、当然、利用客も少ないでしょうから、今日、明日とは言わないまでもいつ廃止になってもおかしくない......。
そこで今回のツアーはこの津軽線完全乗車をメインに据えて、計画を練りました。というわけで昨日は、まず別な未乗区間を乗り終えてとにかく青森駅で蟹田行き津軽線各駅停車に乗車。
後続の特急電車に乗っても、実は最後に同じ結果になるのですが、わざと各駅停車に乗ります。特急は東京方面から始発の新幹線と接続しており、三厩方面に向かうにはとても便利。だから、もしかするとたくさんの方が降りてくるかもしれません。
でも乗換駅となる蟹田駅──ご覧のようにとても小さな駅です──には、各駅停車の方が数分先に到着します。
蟹田駅で待っているはずの、たぶん1両、良くて2両編成の列車に先に乗り込むことができるのです。蟹田行きの各駅停車は3両編成ということもあり、乗客は1両あたり15名程度。地元の方と鉄道ファンが半々という感じです。
地元の方が櫛の歯が欠けるように下車して、予想通り、乗客は半分の状態で蟹田駅到着。
でも予想に反して三厩行きの各駅停車は入線していません。アナウンスによると、後続の特急白鳥が到着、出発してから同じホームを使って三厩行きが出るとのこと。
計画としては完璧だったのですが、残念ながら結果的に、振り出しに戻ってしまいました。でも......ちょっと、おかしい。
青森からの各駅停車に乗っていた鉄道ファン──多くは「青春18きっぷ」の利用客のはず──が、ご覧のようにぞろぞとホームの端に集まってきます。
青春18きっぷに年齢制限はないのですが、それにしてもご高齢の方がかなりいらっしゃいます。実はこの方々、到着する函館行きの特急に乗って北海道を目指しているのです。
前述したように中小国(乗換駅としてはこの蟹田)−木古内間は普通列車が運行されていないため、この区間は例外として青春18きっぷで特急の自由席に乗ることができます。
ということは逆に、三厩を目指している人はそんなに多くないということになります。2分遅れで特急が到着し、ほぼ満席の自由席に彼ら彼女らを乗せて、出発。
するとどこからか40人くらいの方々──リュックを担いでいる人が多い──が現れてきて、肝心の三厩行きディーゼルカー2両も車庫から出てきました。
これくらいなら希望の場所に座ることができます。冷房設備がないので窓を開けたのですが、「くれぐれも手や頭を出さないように」とのアナウンスが繰り返されます。夏なので草木がずいぶん伸びていて危険なのだそうです。
蟹田駅を時刻通りに出発。乗客は1割くらいが地元の方で、それ以外は旅行客か鉄道ファン。JR東日本最後となる中小国駅──かつての夜行寝台はここで乗務員が交替していた──を過ぎると、JR北海道との境界標が立っています。
ここから先、右側(北側)の新中小国信号場からはJR北海道となります。津軽線はそのまままっすぐ進み、大平駅に停車します。
ここから津軽線は進路を北に変えるだけでなく、ずいぶんと険しい峠を登ります。峠のトンネル入口脇に慰霊碑があったので、殉職された方もいらしたんですね。それくらいの難所です。
峠を乗り切り、しばらく徐行を続けると、右手(東側)から津軽海峡線が見えてきて、津軽二股駅到着。
写真は津軽二股駅から津軽今別駅を見上げたもので、この上に複線の津軽海峡線とホームがあります。
津軽海峡線から見ていた時はわからなかったのですが、津軽今別駅には、右の写真のように路線の保守管理をする設備があります。
現在は青函トンネルに新幹線を走らせるための3線化の工事にも従事しているのかもしれません。また最初の写真でも見る(写真右側)ことができますが、津軽今別駅は乗客の乗降だけでなく、いろいろな車両が出入りできる設備が計画されているようです。
未確認情報によると、ここを新幹線の駅として使うことも計画されているようです。いずれにせよ、津軽線に実際に乗ってみないとわからないことがたくさんありました。
津軽線に戻りましょう。
津軽海峡線の高架を左(西側)に見ながら、ディーゼルカーはマイペースで北へ進みます。
今別駅を過ぎると左に曲がり、三厩湾に出て今別の町をぐるっと回ります。
とても美しい町です。津軽線そのものは今別の町を通り過ぎてからやや迷走気味に三厩駅に到着します。
ご覧のようにもう線路はなく、奥に車庫があるだけ。
駅に降り立つと、迎えのマイクロバスやタクシーが数台並んでいました。
各駅停車の乗客は、地元の方を除くと、どうやら、1/3は龍飛(たっぴ)岬などの観光宿泊客で、残り2/3くらいが鉄道ファンだったようです。
三厩駅付近もとても素敵な場所で、本当ならゆっくりしたいところ。でも戻らなくてはなりません。
蟹田へ戻ってから木古内を経て江差に向かったことは昨日お伝えした通りです。津軽海峡線に乗りながら改めて確認すると、青函トンネルに入る前に、トンネルの間から今別町と三厩湾を見ることができることを知りました。
これでこの区間に関しては完璧に行動できたので、もう思い残すことはない、となるはずだったのですが※2......。
※1使用した写真はすべて今回撮影したものですが、使用する順番と撮影した順番は一致していません。また撮影条件が良くないため(+撮影テクニックがないため)、少々見苦しい写真もあります。悪しからずご了承ください。
※2時刻表を確認していて、1日に上下2本ずつの特急が津軽今別駅に停車することを知りました。実際に乗り換えができるわけですから、これをあらかじめ知っていたら、今回のツアーの組み方もかなり変わったと思います。
■9月6日(日) 西村センセイ、(ほんの数時間だけですが)北海道上陸!!
今日の西村センセイは、予定していた路線全線をほぼ無事に乗ることができました。現在は秋田駅前のホテルに入ったところです。
今回のツアー、特に今日走破した路線はかなり複雑。とても一晩ではお伝えできないので、今晩はツアーの最終目的地、というか、金沢や新潟から最も遠い場所のご報告を。
わずか、3時間ちょっとですが、北海道南部に上陸(?)して、江差線に完乗したのです。昼過ぎには三厩(みんまや)までの津軽線を乗り終えて、蟹田駅へ戻ったのですが、ここで津軽海峡線の特急に乗り換え、青函トンネルを通って木古内(きこない)駅へ。
久しぶりに北海道特有の、窓の小さなディーゼルカー――エアコンはないので、窓は全開!! ――に乗り、江差線の実乗区間に入ります。
1両の車両に乗客は12名ほど。
行動を見ていると、本来のお客、つまり地元の方々は1/3くらい。
リュックを担ぎ、「とにかく北海道を旅したい」という感じのアベック――北海道限定のサッポロビールをずいぶん飲んでいた――以外は全員、センセイを含めて鉄道ファン。
ま、いいんですけど。まだ青春18きっぷの有効期間なので、若者でもっと混雑しているかと覚悟していたのですが、ちょっと予想外です。
ディーゼルカーは津軽海峡線から離れて、川沿いにゆっくりと峠を目指します。
函館側(渡島〔おしま〕支庁)は田圃もあり、本州と近い雰囲気ですが、牧場や、発酵させるために丸めてラップされた飼料を見ると、あぁ、やっぱり北海道だぁー。
人家は少なく、人影を見ることはほとんどありませんし、車もまばら。道路は立派なのですが。ディーゼルカーは二つ目の駅を過ぎると急勾配を登り、力尽きようか、というところでちょっと長いトンネルを越えて日本海側(檜山支庁)に入りました。
急勾配を注意しながら降りた駅では何と、約35年ぶりに見るタブレット交換!!(写真を撮り損ねてしまいました。)
タブレットというのは列車の衝突を防ぐための進行許可証のようなもので、これを持った車両だけがその区間(「閉塞区間」)に入ることが許されるのです。
まばらだった人家も徐々に増えてきたのですが、函館側とはどこか違う。
稚内へ行った時にも感じたのですが、まるで西部劇の舞台にでもなりそうな雰囲気で、いわゆる「日本的な」という感覚と、ちょっと違うところがあります。
やはり日本は広いんですねぇ。木古内駅から70分ほどの乗車で江差駅到着。
昔はたくさんの人が利用したんだろうなぁーという雰囲気の立派な駅です。
でも残念ながら、駅前には2台のタクシー以外、何も存在しません。本当は江差ならではのお土産が欲しかったんだけど。地元の方2名と、近くの温泉(?)から戻る老夫婦と、そして先ほどの鉄道ファンを一同を乗せて、ディーゼルカーは木古内へ。
すぐに特急に乗り換えて青森駅に到着しました。実はここからが問題。
秋田まで行く特急はすでに、最終列車が発車してしまっています。(そもそも奥羽本線の弘前以南は運転本数が非常に少ないのです。)
でも県都間の移動ですから利用客はかなり存在します。どうするかというと、青森発大阪行きの夜行寝台特急「日本海」の一部車両をベッドにせず、秋田まで座席のまま運用するのです。
秋田駅到着直前に係員が順次寝台に変換して、乗車するお客様を迎えていました。今回、初めてその指定券を入手しました。
結果的に夜行寝台特急に乗ってしまったわけですが、1部屋(?)に6名が向かい合って数時間座るというのは、なかなか不思議な光景。まぁ、ヨーロッパの伝統的な客車と同じだと考えると、個人的には妙に納得してしまうのですが。
明日はちょっと早起きをしますが、午後には新潟の自宅に戻ることができるはず。
今回は気合を入れて東北地方(+北海道)を旅したので、順次訪問先をご紹介させていただきたいと思っています。