2005年8月13日更新(2005年8月22日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■8月13日(土) 自宅から遠く離れて、今年のお盆を迎える人たち
......と言っても、西村センセイのことではありません。
右の写真は今月上旬に上京した際、新幹線の車窓から撮影した仮設住宅群です。
お察しの通り、昨年の新潟県中越地震の被災者が暮らしている家です。上りの上越新幹線に乗って、長岡を発車するとすぐに右手、旧操車場跡に延々と広がっています。
下りの新幹線だと遮る壁が見えないのでものすごい迫力で迫ってきます。
新幹線が初めて脱線した現場の、割と近くです。有名になった旧山古志村(その後長岡市に吸収合併)の被災者は、ここから少し離れた丘陵地にまとまって住んでいます。
人々の繋がりを保ちたいという希望からです。昨年から今年の新潟県は災害続きで、7月13日の大水害に始まり、地震、大雪と、もう踏んだり蹴ったりの状態でした。
センセイの住む柏崎市は今年も水害に襲われました。地震の被災者は初めてのお盆を迎えることになります。田舎の人間にとってはとても大切な行事。
でも、実家を出た子供たちが今年帰省するのはこの仮設住宅です。新潟県の場合、特に郡部ではこの旧盆に墓参するのですが、そのお墓は今年、とても遠くにあります。
昨年夏の水害被災者が住んでいる仮設住宅で、先日、老人の孤独死がありました。亡くなってから約1週間後に発見されたのだそうです。
目の前から、あるいはブラウン管から見えなくなると、つい存在を忘れがちになるものがあります。心のどこかに実は、「見たくない」という気持ちがあるのかもしれません。
■8月12日(金) 大ニュース!! チャンカレ、本店を工大近くへ移転か?!
明日はお盆。でもセンセイは明日の午前中まで金沢に滞在して仕事を続けるつもりです。
さすがに10代目ご当主様がお盆にいないというのはまずい──特に今年は墓を移転した──ので、お昼前には金沢を離れ、自宅を経由して実家へ行くつもりです。
この一週間、研究室に閉じこもり状態だったので、ずいぶん仕事は捗った......はずなのですが、世の中そんなに甘くない。(関係者の皆様、ゴメンナサイ。)
他の人はどうか知りませんが、センセイにとってそれなりの原稿を書くという作業は、ほとんど苦行に近い。まぁ、商売ですから頑張るしかないですね。で、お昼頃になると気分転換を兼ねて外へ出ます。コンビニで弁当を買うこともあれば、飲食店に入ることもあります。
大学近くの有名飲食店の中で、明らかに意識してしばらく行っていないのが、チャンカレことカレーのチャンピオン。
当地では超有名店なのですが、センセイも歳でエネルギー消費量が落ちていて、そんなに食べられないし、胃腸が弱って──この頃特に実感する──いるので、油分を多く含むカレーはかなりキツイのです。(カレーを食べると必ず胃腸薬を服用する必要がある。)
決して、チャンカレがまずくなったとか、そう言うわけではありませんので、念のため。半年くらい行ってないなぁーと思って大学に戻ろうとしたら、大学のすぐそば閉店した薬局の前に、大きな黄色い看板が......。
何と、チャンカレ本店が移転するとのこと!!
写真左手に現在の本店があり、写真のすぐ右側に高橋川を挟んで金沢工大があるのですが、この看板の様子だと、どうも薬局跡に入るらしい......。
確かに、広いお店だからカレー工場も持つチャンカレにはぴったりだ。これはもう、地域と金沢工大の大ニュース。
さっそくチャンカレファンのTセンセイに知らせようと思ったら......彼は現在、インターネットの使えない外国に滞在しているんだった。帰国したらびっくりするだろうな。
それにそもそも、夏休みが終わったら学生も教職員も顔を合わせては「ねぇ、知ってる? チャンカレのお店が...」とか言ってるんだろうなぁー。
■8月11日(木) 子供の声で起こされる朝 ──隣の家のおじいさんが開発したラジオ体操──
昨日は雨だったので違ったのですが、今週は子供の声と彼らの子供用自転車の音で起こされます。すぐ近くの公園で朝のラジオ体操が行われているのです。
西村センセイ、いつもなら体操の放送が始まる6時半には出勤途中だったり、まさにアパートを出るところだったりします。
けれども夏休みは夜更かしが過ぎて、さすがの西村センセイもこのころ起き出します。今日はゴミ出しの日だったので、そのついでに様子をちょっと見てきました。
大人のリーダーと思しき老人が二人。他に当番と思われるPTAが少々。
上級生が前に出て、他の子供たちを指導するような格好で体操しているのですが、どうもみんなあまりやる気がなさそう。こういう時、大人、特に老人は張り切るような気がするのだけど、そんな気配はありません。
ラジオ体操第一の前に他の体操があって、やっと第一が終わったと思ったら、もうお終い。
第二は現在使われていないようです。第一が終わるやいなや、子供たちはきれいに一列になって、出席のハンコをもらいます。このへんの動作はきわめて素早い。
もちろんセンセイが子供の時もラジオ体操はあって、実は実家の隣のおじいさんがラジオ体操第二を開発した人──実話です──で、その人がやたら張り切るものだから、毎日最後までつきあわされたのですが、もう、時代はずいぶん変わってしまったんですね。
そのおじいさんもセンセイが中学に入り、体操に出席しなくなった途端に亡くなってしまったし。
■8月10日(水) 休みの日の大学 ──静かな研究室で仕事が捗る?!──
気象の世界では「腐ってもタイ」という言葉があります。タイは魚の鯛ではなく、颱風のことです。
颱風は基本的に大きな低気圧、正確には、赤道近くで生まれた大きな熱帯低気圧です。ですから勢力が衰えるとただの低気圧になってしまいます。
けれど、もともとの規模が大きいので、颱風くずれの低気圧はしばしば大きな被害を出します。そこで颱風のなれの果ての低気圧に気をつけるようにと、冒頭の言葉が生まれました。
先週末、沖縄地方に大きな被害をもたらした颱風は、その後低気圧になりましたが、今日、それが日本を通過しました。
金沢の今日の予報は晴れだったのですが、今朝は烈しい雨の音で起こされ、何だか出勤する気力が失せてしまいました。金沢は、昼間にもう一度雨が降っただけだったのですが、新潟県下越地域などは局地的に豪雨となったようです。というわけで、いつもよりゆっくり出勤したのですが、誰もいないと思っていた大学も、休日の二日目ともなるとポツリポツリと先生の人影を見ます。
一番多いパターンは、家で仕事をしていて、資料など必要なものを取りに来るケースのようです。職員も完全休暇なのですが、事務室も多少出入りがあるし、キャンパス見学のために広報関係の人は交代で出勤しているようです。
ご覧のように、時間を決めて案内しており、駐車場には県外ナンバーの車がかなり駐車されています。
さて一仕事......と思うのですが、ほとんど誰もいないのに気が散ってしまって、なかなか捗りません。
他人がいたっていなくたって同じということでしょうか。それにそもそも、休日労働は決して自慢できることではなく、所定の時間に終わらせれば、今ごろは自宅で悠々自適の休暇を過ごしているはずなのですから、何だか何重の意味で情けない限りです......トホホ。
大学は今日から一斉休暇に入りました。いつも多くの人が忙しく勉強し、働いている金沢工大が、嘘のように静まりかえっています。
というわけでセンセイもお休み......といきたいところなのですが、出張やら私用やらで仕事が溜まっており、お盆までの数日間、研究室に閉じこもってお仕事です。
ところで今日は月2回の分別ゴミ(資源ゴミ)の日。
たいした量はなかったのですが、出がけに発泡スチロールのトレーを捨てに、ゴミ収集場所へ行きました。金沢ではゴミ出しの方法と時間が、とても厳しく管理されているのです。ゴミ収集場所には人が立っています。町内で、順番に立っているのだそうです。ゴミの分別──とても細分化されている──を間違えると、相当怒られます(実話)。
センセイの町内だけかと思ったらそうではなく、金沢市全市をでそういう仕組みになっているのだそうです。仕事を持っている人は出勤を遅らせて見張るのだそうな。
確かに中には無茶苦茶なゴミの出し方をする人がいて、ある時など、アパートの前の駐車場全体が特定の人物のゴミの山で一杯になっていたことがありました。
3月のことで、学生──明らかに某工業大学の学生──がゴミを放置したまま引っ越してしまったのです。でもまぁそれは例外で、たいていの人はそれなりにゴミを分けて出します。だから見張りの必要があるとは思えないのですが......。
お昼過ぎ、食事を兼ねて自宅近くの医院へ行ったのですが、十字路を過ぎて、え"っ?!
朝しか集めないはずのゴミがそのまま。それもご覧のように山になっていて、車のすれ違いすらできません。
もちろん見張りなんかいませんから、不適切なゴミも捨て放題です。あの見張りは何だったんだろう。
そもそも金沢市のゴミ捨てには奇妙なところがあります。
例えば発泡スチロール。
スーパーの店頭にある回収箱では、きれいに洗ったものだけ、それも色や絵柄などの種類毎に分けて回収しています。当然といえば当然なのですが、金沢市の場合、汚れをざっと落とすだけでよく、樹脂の種類や絵柄などもいっさい配慮しません。
値札やシールなどの異物がくっついていてもかまいません。ですからゴミの回収後に、ほとんどゼロから人力で再分別したり、シール類をはがしたりすることになります。
金沢ではしばしば、妙な所にこだわる割に、全体の合理性はどうなのかなぁーと感じさせられることがあります。
住んでもう4年目なのに、まだよくわからない。
■8月8日(月) 気温37℃の日の教室 ──中国人留学生で思い出したこと──
北海道の自然をボーッと眺めながら、先週の集中講義のことを思い出していました。
すでにお伝えしたように、集中講義には約20人の中国人留学生が参加していて、その反応がとても良かったのです。こちらがメッセージを送ると、即座に彼らなりの反応があります。
言葉にもお金にも苦労しているのだろうけど、そんなことは微塵も感じさせません。外の気温は37℃。でも教室の中はもっと白熱しています。(もちろん冷房は入っています。念のため。)
どこかとても懐かしい感じがします。
そうなのです。何のことはない、30年前のセンセイらの姿そっくりなのです。
時代は1970年代後半。
高校から大学へ進学する頃のセンセイらは、60年安保や70年安保は知らず、政治的にはノンポリ。
そんなことよりも、自分たちに似合った音楽や行動にふけっていました。ちなみにCDはまだ登場しておらずLPレコード。それもとても高かったので、FM放送を録音して聴くのが主......。一番違ったのが、希望があったということ。
センセイを含めて貧乏だったけど、昨日より今日、そして明日は良くなるはずと信じられたし。
大学の先生になってもうすぐ20年(つい最近まで知らなかった)。
この間、教師の立場から学生を見ていて、彼らの夢や希望がどんどん遠くに去り、そして霞みつつあるしまうようです。でもね、ホントのことを言うと、あの頃の「一生懸命勉強すればいい大学、いい会社...」というのはあの時点ですでに幻想だったし、今だって良い耳と良い目を持っている学生には大きなチャンスが用意されているのです。
自分を見つけたり、励ましたりするのが難しい時代だけど、学生の皆さん、前向きに考えましょう!! (もちろん中国人留学生の皆さんも頑張って下さい。)
■8月7日(日) 最果ての地の「旅館
さいはて」 ──稚内へ行って来ました!! ──
3日ほどページを更新できず、申し訳ありませんでした。予定通り、新潟県内での集中講義に続き、この週末、娘と稚内へ旅行していたのです。
やっと新潟に戻ったところです。今回の旅の目的の最大の目的は北北海道を初めて訪れること。
これまで石北本線(旭川−網走)に乗ったことはあるのですが、それ以北はありません。
そこで今回は稚内まで行ってみることにしたのです。それにしても札幌から最も速い列車で約5時間。稚内は本当に遠かった。
やっと着いた稚内駅構内にはご覧のような表示があります。その昔は、さらに北の港、有名な防波堤の所まで線路が延びていました。
西村センセイ、いつもなら目的地の駅で旅を終わらせてしまいます。
紀伊半島を一周した時も、本州最南端付近まで行きながら、面倒くさくて潮岬(しおのみさき)をパスしてしまいました。残された人生が段々少なくなったせいか、これじゃマズいかなぁーと反省し始め、今回は路線バスに1時間ほど揺られて宗谷岬を訪問しました。
この日はとても天気が良く、対岸のサハリンを見ることができました。
写真中、水平線上の細長い島影なのですが、おわかりになりますでしょうか。まぁ、新潟−佐渡島くらいの距離しかないので、当然と言えば当然なのですが。(写真中央の老人は何の関係もありません。)
天気が良かったおかげで、「なかなか見ることができない」と言われている「利尻富士」こと利尻島もはっきり見ることができました。
写真は午後に列車内から撮影したもので、逆光状態になっていますが、午前中だと順光なのでとても良く見えます。
帰路に気づいたのですが、北海道北部のかなり広い地域からこの利尻富士──確かに美しい──を見ることができるんですね。稚内はこぢんまりとした街でした。
最北端の観光地、利尻島および礼文(れぶん)島への玄関口、漁港、そして自衛隊基地ですべて、といった感じです。
駅周辺にはホテルや旅館がたくさんあるのですが、ギスギスした感じはなく、何となくのんびりしています(全日空ホテルを除く)。
その中の一つに、「旅館 さいはて」というのがあったのですが......う〜ん、凄くインパクトのある名前だ。
他にもホテル「サハリン」などというのもあって、こちらは何だか、スパイ映画の舞台となりそうな感じ。ところで、なぜ稚内だろうかと自問していたのですが、鉄道とか最北とかということとは別に、大学時代の同級生に、稚内出身の女子学生──特別な関係ではない、念のため──がいて、どんな所なんだろうと思っていたのが原因の一つだと気がつきました。
遠いところではもう一人、奄美大島出身の男子学生がいたのですが、興味はあるものの、こちらは鉄道と無縁なので、う〜ん、可能性は低いかなぁー。いろいろあったけれど、小学校最後の娘との旅行としては、まぁ、良かったかなと思っています(来年は一人旅だろうなぁー)。
しっかり遊んだ分、明日からは休暇に入る大学でしっかりお仕事です。メールのお返事をお待ちの皆様、明日以降、順次お返事をお送りします。悪しからず。