2010年2月5日更新(2010年2月14日ページ移動。2014年3月16日写真削除)

──2010年1月第6週〜2月第1週のニュース──

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2月6日(土) 「夕刊は明日の朝刊と同時配達...」 ──新潟県内は雪と強い風に襲われています──

 JR東日本および西日本は昨晩、降り続く雪が里雪から山雪型に変わるだけでなく、風が強くなって大荒れの天気になることが予想されたため、北陸と新潟・首都圏を結ぶ今日の午前中の特急を運休すると発表しました。
 やはり昨日、がんばって金沢を離れるというセンセイの判断は、ひとまず正解だったことになります。

 電車に今日乗っていたら、まったく身動きが取れなくなっていました。でもやっとたどり着いた自宅も、実はかなり大変。

 雪はそれほどでもない──新潟県内では現在、最も雪が少ない地域だと思う──のですが、とにかく日本海からの風が強い。風の音で夜中に何度も目が覚めました。
 そんなに安普請ではないはずの自宅も、風で揺れるし。

 日中も強風が続き、鉄道は断続的にストップ。JR東日本だけでなく、西日本管内の糸魚川付近で強風が続いているため、北陸本線も日中の運転を見合わせ。
 特急「はくたか」も結局、全滅です。

 道路はどうかというと、他の地域では雪も降っているので、除雪が間に合わないらしく、県内の高速道路はほとんど不通になってしまいました。
 高速道路から降ろされた大型トラックなどで、柏崎市内の幹線道路は激しい渋滞になっています。

 それでもまだ当地は、雪とそれに伴う混乱が少ない方です。

 国土交通省のサイトによると、新潟市に入る幹線道路(国道116号田島付近)で大きな交通事故が発生したらしく、ずっと通行止めになっています。
 残る幹線は、国道8号線のみ。

 もちろんセンセイは周囲の迂回道路をよく知っていますが、この雪で道幅も狭くなっているだろうし、路面状況も最悪のはず。

 特に大型トラックは細い生活道路に入れず迂回できないので、新潟市近辺では何十Kmかの渋滞が起きているに違いありません。
 要するに物流がストップしてしまっているのです。

 夕方になって自宅ポストで何か音がしたので行ってみると、夕刊ではなくご覧の手紙。

 センセイは自宅で全国紙と地方紙『新潟日報』を購読しているのですが、後者の夕刊を配達できないというのです。
 家人によると、たぶん初めての事態。

 『新潟日報』紙は新潟市内(旧黒埼町)の本社工場で印刷されているはずなので、新潟市から出ることも難しくなっているのでしょう。
 市内の混乱ぶりを皮膚感覚で感じます。

 夜になって、少しは風がおとなしくなってきました。予報によると、明日午後になると移動性の高気圧に覆われ始めるとのこと。
 でも今日の鉄道、道路の混乱ぶりを見ていると、果たして本当に金沢へ移動できるのかどうか、そして無理して週末に自宅へ戻ったのが適当だったのかどうか、ちょっと自信がなくなってきます。

※追記

 その後の報道によるとどうも、交通事故ではなく、視界不良による通行止めだったようです。
 ただし、その通行止めにともない、(きっとセンセイのように)周囲の道路に迂回した車が100台以上立ち往生しているとのこと。しかも、雪国育ちのセンセイも初めて聞く「臨時避難所」が設けられ、76人が避難している(!!)とのこと。

 雪が降らない/少ない地域の方にはちょっと想像が難しいかも知れませんが、これは強風によって、降雪とともに、地面の雪が舞い上がって視界が一面真っ白になる現象、「地吹雪」が発生したに違いありません。
 道路とそれ以外の区別は不可能。

 センセイが子供の頃には年に何回かあって、その度に集団下校していました。大学生になっても、あるいは社会人になり車を運転するようになっても時々出くわしていました。
 雪国で暮らす人なら、最低限の情報は知っているはずのできごと。

 現地は地吹雪がとても起きやすい場所です。国道は強風を弱める可動式の防風壁の設置など、それなりの対策が取られているのですが、周囲の迂回路はそうではありません。
 地吹雪になると、道路とそれ以外の区別がほとんどつかなくなるため、安易に迂回路へ回った車が吹きだまりに突っ込んで動けなくなるか、道路から外れて脱輪したんだと思います。

 こういう時は絶対に無理をしてはいけないのです。(以上の文章を書いておきながら、ではありますが。)

 やはりこのところの暖冬少雪傾向が、いつの間にか地域住民にも慢心をもたらしていたのかもしれません。もちろん、自省の念を込めて、です。



2月5日(金) 特急電車に乗ったはずが、何故か最後はバスだった?! ──新潟市が26年ぶりの大雪に!! ──

 本当はポメラの話題を続けるつもりだった──まだまだお伝えしたいことがたくさん!! ──のですが、急遽、今日は予定を変更させてください。(飽きた人も多いだろうし。)
 新潟が記録的な大雪で、大変なことになったのです。いわゆる「ドカ雪」です。

 北陸地方は週の半ばから大雪になっていました。上空にかなり強力な寒気が入っています。
 いつもと違うのは、気圧勾配はそれほどきつくないために、あまり強い北西の風は吹いていないこと。

 その代わり、小型の低気圧が能登半島から富山ー新潟県境、そして新潟県の平野部を通過しています。
 そしてその雪雲の下では「里雪型」の大雪になっているのです。

 西村センセイ、週末で自宅に戻れるかどうかがかかっているので、未明からアメダスの状況をチェックしていました。
 右の表がそのアメダス情報。

 暦の上では春の初日となる立春の昨日が大雪で、雪がそのまま多く残っていたこと加えて、未明からのわずか数時間に、30cmくらいの雪が積もったことがわかります。
 気温も新潟市としては記録的な低さです。
((c)気象庁)

 アメダスおよび写真の新聞報道によると朝7時頃、26年ぶりとなる積雪81cmを記録したとのこと。((c)新潟日報社)

 積雪だけをみると先日自宅付近の雪と同じくらいですし、十日町市や津南町などの豪雪地に比べれば1/4から1/3でしかありません。
 でも以前お伝えしたように、新潟市は雪に弱いのでこうなるともう完全にお手上げです。

 気になるJR線はというと、朝の7時頃は各線とも「遅れが...」という表示。
 しかし8時頃になると、新潟市を中心とする県内の鉄道は、新幹線を除いてほぼすべて「運行見合わせ」に。

 要するに、昨晩から警戒していた人は早めに自宅を出ても、途中の電車の中か路上で何時間も足止め。
 たとえ新潟駅に到着してもついても、除雪が間に合わないために路線バスは全く走っておらず、遠い目的地まで足場の悪い道を歩かなければならなかったはず。

 もちろん、ちょっとのんびりしている人が自宅近くの駅に着いても、電車はまったく走っておらず、車で幹線道路に乗ろうとしても今度は激しい渋滞に巻き込まれて......。
 しかもこれが通勤時間帯だけでなく、程度の差こそあれ、終日続いたと推測されるのです。(市内在住のSさん、実際のところはどうだったのでしょう?)

 さて、西村センセイ、どうしましょう。この週末の帰宅を諦めて、来週の平日に戻るという選択もあるのですが、来週以降の日程が混んでいるため、やはりここは戻りたい。

 しかしそうこうするうちに、新潟行きの特急「北越」は全列車運休になってしまいました。
 新潟市付近の運行のメドが立たないからです。

 下越地方のJR在来線は壊滅状態に違いありません。たぶんほとんど終日運休となるでしょう(実際、その通りになった)。

 でも直江津経由で北陸と首都圏を結ぶ「はくたか」は運行しています。
 その先にある柏崎駅に電話で確認したところ、直江津−柏崎−長岡間の各駅停車は遅れながらも走っているとのこと。

 そこで今日は、多少無理してでも帰宅することにしました。
 最悪の場合、直江津駅からタクシー──この天気の中、存在するかどうかは別にして──に乗ればいいのです。

 石川県や富山県西部は、場所によって雪は多いものの、天気は薄曇りか晴れ。
 でも県東部、魚津市(左手にミラージュランドの観覧車と魚津水族館)に来ると、日本海上空に、見たこともない分厚い雲がズンズンと迫ってきました。

 新潟県に大雪をもたらした雪雲に違いありません。実際、その先は凄いことになっています。

 ふだんならあまり雪の積もらない富山ー新潟の県境付近でも70cm位の雪があります。
 少し先の糸魚川市内では、ご覧のように、車がすっぽりと雪に埋もれています。

 とにかく直江津駅には着いたのですが、そこから先が問題。改札で様子を尋ねると「除雪のために運転を見合わせ...」と言うのです。
 でも幸いなことに、夕方までには代行バスを出してくれるとのころ。

 よく考えたら今日は平日。これから通勤通学客が多数帰宅するので、その足をどうにかしなければならないのですね。

 しばらく待合室で待ってほしいとのことだったので、ポメラを取り出して以上の顛末を打ち始めた時、アナウンスがありました。

 予想外に早く、センセイの自宅がある柏崎市まで乗客を送る代行バス(写真)が到着したというのです。
 ご覧のように、屋根の上には20cmくらいの雪。しかもこれが時々、走行中に落ちるんです。

 乗客は地域の老人およびセンセイら旅行客がそれぞれ数人と、個人的に早帰りするらしい女子高校生が一人。
 大荒れの天気の中、バスは信越線に平行する国道8号線を走り始めました。

 前を走る大型トラックをよく見ると、強い西風(左側からの風)のために、車体上部が右側に少し傾いていますねぇ。
 この写真だけなら、新潟県内だとは思えないだろうなぁー。

 駅に一つひとつ丁寧に止まって、乗降客──実はほとんどいない──を確認します。
 運転手さんの誠実さが感じられる運転です。

 途中の柿崎駅では買い物帰りの老人が数名が下車し、替わって生徒が20人ほど乗車してきました。
 近くに高校があるのです。

 柿崎駅を出発すると、急に雪が少なくなります。柏崎市内も、今日の金沢と同様、たいした雪はありません。

 結局、特急に乗ったのに5時間半かけて帰宅したことになります。しかも最後は何故かバス。
 ま、いっかー。

 心配なのは明日からの天気で、今年最強の寒気が入っているし西高東低の気圧配置になるそうで、明日の新潟県内は「暴風雨」との予報。

 授業(テスト)その他があるので、明後日には何としてでも金沢へ移動しなければならないのですが...。



2月4日(木) ポメラがやって来た!!(3) ──WindowsやMacintoshとの連携はいかに?! ──

 ワープロとしてのポメラ、ずいぶん慣れてきました。

 マウスを使うGUIに慣れきってしまっているので、どうすれば指定範囲を選択できるのか──「正解」はシフト+矢印キー・・・懐かしいですね──とか、コピー・ペーストの方法はプルダウンメニューだけなのか──こちらはCtrl+C/Vキー──とかわからない。
 あるいは、印刷出版でよく使う「〓
(げた)」など特殊文字の辞書登録方法も不明だったのですが、いずれも何とか問題解決。

 うまく使えるようになって、それはそれで面白いのだけど、でもこれだけだったらセンセイは購入しなかったでしょう。

 最大のポイントは、パソコンやその他機器との連携です。

 ポメラが取り扱えるのはプレーンなテキスト(“.TXT”ファイル)だけ。作成したファイルをパソコンとやりとりする必要があります。

 そのたびに、たとえば何か特殊な器具を媒介するとか、メモリーカードを抜き差しするようなら、正直なところとても実用にはならない──要するに、何となくポメラを使わなくなる──と思います。
 開発陣はそんなこと、もちろんよく承知しています。

 まずパソコンとの連携はよく考慮されており、要するにUSBケーブルで結ぶだけ!!
 そのケーブルも、デジカメなどに使われるごく一般的なもので、センセイの鞄の中にはすでに、同等品が入っています。

 さて、電源の入っていないポメラとWindowsマシンをUSBケーブルで繋ぐと、ポメラ側に写真のような表示が出ます。
 パソコンと接続しているので勝手にケーブルを抜くなという警告です。

 しばらくするとWindowsは写真左手の枠内のように、ポメラをリムーバブル・ディスクとして認識します。
 こうなればもう、両機の間でファイルをやり取りするだけ。

 Macユーザーなら、かつての「SCSIディスク・モード」や最近の「ターゲット・ディスク・モード」を思い出さずにいられませんね。
 なお、起動している時も接続は可能だそうです。試していませんが。

 センセイのポメラは現在、内蔵メモリだけなのですが、Windowsから見ると一つのボリュームは10MB弱、もう一つは90MB弱ほどの容量を示します。
 ずいぶん大きいんですね。テキストだったら、いくらでも入ります。

 さて、この機能を使うと、PCの各種ファイルを「ポメラの中で」保存することが可能になります。

 センセイはあちこちで複数のマシンを使うので、よく使う最新データはPCだけでなくUSBメモリ上にも置いて、常に最新の状態を保つようにしています。

 試しにブラウザソフトSafariの「ブックマーク」ファイル──WindowsおよびMacで共有できるのため、とても便利──や住所録、電話帳そして電話帳を、ポメラにコピー。
 ケーブルを抜いてポメラを起動します。

 メモリ内容を確かめると、ご覧のように、確かにファイルが存在していることがわかります(削除は可能ですが、開くことはできません)。
 よく調べると、拡張子と隠しフィルは見えなくなっています。

 これでポメラさえあれば、いつでもどこでも最新のデータを持ち運ぶことが可能になりますし、しかもこの技、さらに拡張させることができます。

 ポメラはメモリ・カード(microSD/SDHC)を利用できるのですが、その容量、最大で16GB!!
 これならもう、何でも入ります。そしてこれこそ、かつてセンセイがiPodで使っていた方法なのです!!

 ただしiPodの時と違って、ポメラから起動するなんてことはできませんけどね。

 さて残された問題はMacとの接続。サイトや説明書等には「MacOSには非対応」と明記されているのです。

 というわけで右の写真。ポメラをMacBook(White)に繋げたところです。

 反応がないのでダメかなぁーと半分あきらめかけたら、ご覧のようにしっかり認識しました。
 もちろん読み書きも自由自在。

 MacBook Proも問題なく認識しましたが、同じOS(Mac OS 10.4.11)を使っているMac miniやPowerBook 12”(アルミ)は認識しませんでした。
 理由はわかりません。

 同じOSといっても、後者はCPUにPowerPCを使っており、細部で異なるのかもしれません。

 なお、古いMac OS(Mac OS 9.2.2)も認識しませんでした。
 最近のデジカメの中には、旧Mac OSをサポートしないものがあるくらいですから、まぁ、仕方ありませんね。
 それにそもそも、センセイはMacBook(White)をほとんどWindowsマシンとして使っているんだし。

 これでその気になれば、ポメラの中にiTunesのファイルを置き、外部のPCから接続して音楽を聴くなんてことも可能になるはず。

 良いです、ポメラ。



2月3日(水) ポメラがやって来た!!(2) ──テキストエディタとしての使い方──

 ポメラはきわめてシンプルなテキストエディタ。要するにワープロです。下線を引くことはもちろん、書体やフォントの大きさを変えることすらできません。
 できるのは、ただ、文字を書く──実際には「打つ」──ことだけ。

 現行のパソコンのソフトでこれに相当するのは、WindowsならOS付属の「メモ帳」、旧Mac OSなら”SimpleText”だけなのではないでしょうか。
 Windows標準装備の「ワードパッド」、あるいは新Mac OSの「テキストエディット」だって、もっとずっと高機能です。もっとも、センセイはそのいずれもほとんど使っていませんけど。

 でもよく考えてみると、手紙(メール)を書く時、最初から書式まで考えるでしょうか。本気でレポートを書く気があるのなら、まずは内容が大切なのではないでしょうか。

 文字を書き始めるまでのプロセスも重要です。

 例えば、「もっとテレビを見ていたいけど、明日締め切りのレポートがあるから、嫌々ながらパソコンを立ち上げ、少し待ってからパスワードを入れて、コーヒーを入った頃には完全に起動しているので、Wordを立ち上げようと思ったけど、IEでちょっとお気に入りのサイトを覗いたら......。」
 これじゃぁ、いつになっても作業に取りかかれませんよね。

 白状すると、センセイだって同じです。

 WindowsもMacも、最近のパソコンはとにかく高機能だし、インターネットの利用を前提としています。
 でも、それがすべてなのでしょうか? 一見すると便利そうで、でも実は、シンプルな仕事をしにくくなっているのではないでしょうか。

 西村センセイ、MacBook(White)をふだんはWindowsマシンとして利用しているのですが、実は前述の「メモ帳」が大活躍。
 WordやExcel、IE、Safariといったソフトからテキストを取り出してペーストし、余分な書式データを取り除くのです。

 それだけではありません。

 ひらめいたアイディアや懸念事項、やり残した仕事などは「メモ帳」を使って残しておきます。
 文字は乱れますが、新旧のMac OSからもきちんと読み取れます。これらは内容が重要ですからね。

 でもそのためだけにパソコンの入った保護ケースを鞄から取り出し......というのはかなりつらい。
 でも、こんな時こそ、ポメラは大活躍。

 鞄から取り出す手間は同じようなものですが、起動は瞬時。あっと言う間に前回の仕事の最終段階に戻ることができます。
 写真はMacの標準キーボードと並べて撮影したもの──液晶画面はほぼ垂直に立っている──ですが、ちょっと小振りのキーボードに慣れさえすれば、どうってことはありません。

 何しろ、今日のこの日記の原稿をすべて、購入したばかりのポメラで打ってしまった(!!)くらいなのですから。



2月2日(火) 名機“PowerBook 2400c”が、1/4のサイズになって戻ってきた!? ──ポメラを買いました──

 今日はホントに見たままのお話。

 発注していたデジタルメモ「ポメラ」──センセイが買ったのはDM20というモデル──が届きました。
 わーい!!(皆さんの予想は当たっていましたでしょうか。)

 これがとにかく面白い。

 写真は全体を上から見たものですが、普通の小型デジカメより2回り大きいくらい。
 質量は電池を入れても400g弱。軽い、軽い。

 でも、ご覧のように厚みはかなりあります。

 これからご覧いただくように、キーボードが2段重ねで収納されているからなのですね。
 でも感覚的には、33mmというスペックほどの厚みを感じません。

 軽いからでしょうか、それともデザインが貢献しているのでしょうか。

 一番面白いのが、この小さな框体から、ほぼ普通サイズのキーボードが出てくるところ。

 特殊なメカを使っているので、画面の部分を立ち上げるとご覧のように、無理に押さえないよう大きな警告が見えてきます。
 この段階ではまだ電源は入っていません。

 本体左手にある留め具を外すと、キーボードがやや左へ移動し始め、警告のあった上部が、ご覧のようにひっくり返ります。

 さらに開いていくと、左側がスルスルと伸び、右側もキーボードらしくなってきました。

 キーボードを完全に展開したのが右の写真。

 このようなメカニズムだと、どうしてもキーボード右側がブカブカしがちなので、揺れを押さえるメカも装備されています。
 予想外にしっかりした造りです。

 写真は起動後に撮影したものですが、起動は瞬時。ホントです。対照的に、終了には数秒かかります。

 “iPad”──まだ販売されていないので、当然ですね──でなく、“Kindle DX”でもなく、そして一時期購入を真剣に検討した“ipod touch”ですらなくて、なぜ「ポメラ」なのか。
 そして、なぜ今日の表題に
“PowerBook 2400c”の文字が登場しているのか。

 その謎解きは次回以降。

 面白いし、便利ですよ。ポメラ。



2月1日(月) “iPad”や“Kindle DX”という新しい文化。果たして、日本に根づくのか?

 それをセンセイが間近で初めて見たのは去年の暮。

 ある研究会で知り合いの先生が、自慢そうげに何か薄い本のようなものを取り出しました。茶色の表紙(?)を開くとそこには、薄い象牙色の板。
 何だろうと思っていると、おぉ何と、音もなくそこに新聞が浮き出てきました。“NewYork Times”です!!

 西村センセイようやくここで、この見慣れぬ物体が、欧米でヒットしている“Amazon Kindle DX”(アマゾン・キンドル・DX:約500ドル)、すなわち、紙ではなく画面上で本や新聞をよもうという電子ブックリーダーであることを理解しました。

 その先生によると、携帯電話網を通じてデータがかなり高速で入ってくるとのこと。
 もちろん新聞社との契約は必要ですが、少なくとも英字新聞に関する限り便利になるでしょうね。

 ご存じのようにアップルは良く似た形状のタブレット型コンピュータ“iPad”を発表しました。((c)アップル)

 “iPod”で音楽媒体とビジネスモデルを激変させたように、アマゾンやアップルは、出版分野でもリーダーシップを取ろうとしてます。
 文化の違いもありますから、これがこのまま日本でうまく行くかどうかは別。

 でも彼らの、未来とお客の潜在的なニーズを読んで実現させようとする努力と企画力、提案力には脱帽させられます。
 要するに、新しい時代を切り開こうとする力です。

 「まだ明確に意識していないけど、何かをしたいんだ...」を形にしてしまうんですね。それもグローバルな視点から。

 実は西村センセイ、この種の新しいガジェットを購入しようと思っています。

 果たしてそれは、iPadなのか、Amazon Kindle DXなのか、それとも......。



1月31日(日) 三鷹駅前のラーメン店「江ぐち」が今日、閉店しました

 国際基督教大学(ICU)の大学院に進学し、東京都西部の三鷹市にセンセイが住み始めたのは、1995年の春。

 ご縁がなかった地域なので、最初は西も東もわからない。(実際には、そこまでひどくなかったけど)
 それでも割とすぐに、三鷹を中心に吉祥寺、調布、そして小金井なんかを大家さんからもらったママチャリで走るようになりました。自動車なんて持てる身分じゃなかったのです。

 その頃のJR三鷹駅前、特に南口は、再開発が完了した現在とはまったく様子が異なりました。ロータリーがあって、駅の反対側には由緒正しそうな名曲喫茶「第九茶房」。
 その隣は、こちらも風格のある書店。(かなり狭かった)

 そこから先はいかにも「文化人」が住んでいそうな街並みが続きます。最初の交差点の左手には東急ストア。2階にはこちらはかなり広い書店。三省堂だったかな。
 もうちょっと行くと美味しいパン屋さんがあって、その向かいにはこちらも何回か行ったお寿司屋さんがあって。

 玉川上水が流れているため、直交ではなく斜めに交差してしたこの交差点、他はそれなりのビルが建っているのに、ある一区画だけが低く、そこに木造の長屋のような小さな家が建っていました。

 これが中華そば屋「江ぐち」。いつも白い暖簾が掛かっていて、ラーメンを食べている人の背中が見えます。

 10人くらいでいっぱいになる小さなお店ですが、なぜかお店の向こうに、狭いながらも「ドラえもん」に出てくるような空き地が広がっていました(実話)。
 何故なんだろう。

 ラーメン店ですから一杯300円弱のラーメンが出てきます。当時すでに隣の吉祥寺やちょっと離れた荻窪では、新しい味のラーメンで有名になっていました。
 でもこの「江ぐち」のものは、そんな派手なものではなく、昔ながらの醤油ラーメン。

 白状すると、「江ぐち」のラーメン、ラーメンというよりほとんど日本蕎麦。ラーメンが普及しだした頃にお店を開いたようで、その頃の味をそのまま引き継いでいたんですね。
 トッピングは「竹の子」という名前のメンマとナルト、そして「チャシュー」(「チャーシュー」ではない)。ゆで卵もあったかな。これがいずれも人気で、メンマをつまみにビールを飲んでいる人がたくさんいました(実話)。

 なぜセンセイが「江ぐち」のことを覚えているかというと、センセイがB級グルメ好きだということを除いて、理由が二つ。

 まず、センセイが関係する分野の、このすぐそばにお宅がある──自転車に乗って、書類を届けにいったことがある。一度だけだけど──大家が、当時小学生だった息子さんとともにここにいらっしゃることで有名だったのです。
 現場を目撃することはありませんでしたが。

 どう見ても古すぎるお店が残っていたのは、この地域全体の再開発計画が進行していたためのようです。

 1987年頃だと思いますが、「江ぐち」はあっさりと取り壊され、仮設店舗を経て、同じ場所に建設されたビルの地下に再建されました。
 「味が変わるのかな」と心配したのですが、それは杞憂。日によって味が結構ふらふらするのに、でも「やっぱり江ぐちだよね」という感じ。

 でも西村センセイ、よく考えてみると、ここ数年、下手をすると10年くらいご無沙汰しているんじゃないだろうか。

 つい先日、ICU卒の先生が衝撃的なニュースを教えて下さいました。つまりそれくらい、地域の人間や関係者にはよく知られていたのです。(T先生、深謝、深謝)

 お察しの通り、「江ぐち」が閉店するとのこと。

 第一報では詳細がわからなかったのですが、朝日新聞多摩版によると、何度か見かけたご主人が昨年末に急逝されたのだそうです。((c))朝日新聞社

 「江ぐち」を覚えているもう一つの理由、というか、「江ぐち」が有名になった別な理由が存在します。

 ここを取り上げた久住昌之氏のエッセイ『小説 中華そば「江ぐち」──アクマとタクヤのラーメン店──』が2001年に新潮社から出版されたのです。
 残念ながら同書は絶版となっており、現在では入手困難です。

 久住氏は当時この近くに住んでいました。しかもセンセイとほぼ同年齢。要するにほぼ同じ時代を同じ場所で過ごしたわけです。
 センセイが移り住む前からの「江ぐち」の様子を克明に記録し、古いお店の最後のところで、センセイの経験と重なっています。

 『小説 「江ぐち」・・・』は、江ぐちという舞台を借りながら、当時の時代を軽妙洒脱に描いています。
 でも、その、「あって当たり前」だった舞台がなくなるなんて、考えてもいませんでした。
 久住氏もセンセイも、です。

 三鷹駅南口、現在ではロータリーの上が広い歩道になり、エスカレーターで「江ぐち」があった場所の近くまで行くことができます。

 良く考えてみると、センセイにとっての三鷹駅前はいつの間にか、綺麗だけど、どこかの見知らぬ街に戻っていたんでしょうね。

 当たり前といえば、当たり前なのですが。


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