2009年12月19日更新(2009年12月27日ページ移動。2013年9月17日写真削除)
新潟の自宅へ戻りました。10月からずっと変則的な日程であちこち移動していたので新潟の自宅は、約2ヶ月ぶりに帰ったような感じ。
この間、自宅へ週に1回程度立ち寄っているのですが、基本的には夜遅くに戻って翌朝には出発するパターン。珍しく昼間に自宅に滞在することがあっても、家族や実家の所用で行ったり来たり。
要するに、ゆっくりする時間なんて全然ないのです。センセイの頭の中では、秋から冬の季節が吹っ飛んでしまっています。「静かな」理由は、もう一つ。文字通り、自宅周囲が物理的に静かなのです。
お伝えしているように、数日前から日本海側は大雪となっています。
新潟市は一昨日、昨日と「ドカ雪」──地元の表現。ちなみに昨日の積雪は47cm──に襲われましたし、今日は中越地方の山沿いで激しい降りとなっています。
先ほど確認したら、上越線は大雪のために不通になっていました。北陸地方の交通は全般に相当混乱しており、自宅に戻るためにセンセイが乗った特急電車も、雪と強風で65分遅れて柏崎駅に到着。
センセイが車窓から確認した限りでは意外に、石川、富山、新潟県上・中越地方の平野部は、大した雪ではありませんでした。ただし富山市付近はかなり積雪。幅員のない道ですれ違おうとして側溝に脱輪させてしまった車を見ました。
雪で道路の端がわからなくなっていたんでしょうね。写真は先月もお伝えした自宅庭。積雪は6cmほどですが、気温は日中でも0℃にとどまっています。
この時期としてはかつてないほどの冷え込みです。この低温だからなのか不景気だからなのか、周囲は人々の行き交いや交通量が減ってとにかく静か。
雪で騒音が吸収されますし。この機会に、頭を冷やしながら、ふだんなかなかできない仕事を片付けます。
本当は昨日のうちに片付けたかった仕事があったのですが、もう期限を過ぎてしまったので、来週月曜日、世の中が動き出す前までに仕上げることにします。お返事をお待ちの皆様、明日中にはメールをお届けしますので、もう少々お待ちを。
火曜日に東京から金沢へ移動したのですが、金沢駅から路線バスに乗って不思議に思ったことがあります。
年輩の運転手さんはとても慎重な運転。
好感が持てるなぁーと、自分が運転手になったようなつもりで、その運転ぶりをぼんやり見ていました。「武蔵が辻」で乗客が乗降する間にマスクを着用したので、何の気なしにそちらを見ると......あれっ?!
着用している制帽の鍔(つば)の先端部分に何かがついているのです。
レンズのような透明なものが五つ横に並び、それを樹脂製のクリップのようなもので鍔に止めています。最初は視線の動きを記録するためのカメラかなぁーとか、照明器具かなぁーと思ったのですが、信号や電力をやり取りする配線はないようですから、独立した何からしい。
電池駆動も考えてみたのですが、とても小型ですし、鍔の先につけるものなので軽量さが求められますから、要するに大きさ重さともに無理。
それじゃぁアクセサリーの類(たぐい)かというと、彼の運転ぶりからして、それはあり得ない。
ホントに何なんだろう。
■12月17日(木) 新潟市は、意外と雪に弱いのです ──新潟市では30cmの降雪で交通がマヒしてしまいました──
仕事が溜まっているので今日は早起きしようと思っていました。
新聞配達の足音で目覚めたのですが、まず何より「足音」がするのと、外が異様に静まりかえっています。仲間を呼び合うカラスの鳴き声だけが響いています。
もしやと思って窓を開けると、外がかなり白くなっています。未明に少し降ったんですね。写真は出がけに撮影したもの。まだ正面奥の家を除いて電灯は見えません。よく見ると右上部分、電線にたくさんの鳥が止まっています。大きさからするとやはりカラスでしょうか。
金沢は今日一日ずっとこんな調子。雷を伴いながら激しく雪が降ったかと思えば、晴れ間ものぞいて路面の雪が融けたり。
でも後から知ったのですが、報道によると、新潟市は30cmもの大雪になり、交通が大混乱したそうです。
「雪国なんだから30cmで『大雪』はオーバーなのでは?」とお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。
でも新潟市、意外と雪が降らないのです。冬に東京から新幹線に乗ると越後湯沢で新潟県側に出ます。
車窓に広がる銀世界を見て「雪国だなぁー」とびっくりしていると、長岡や燕三条を過ぎたあたりから雪が少なくなり、新潟市に到着する時は無雪になってもう一度驚かされます。日本海側で雪が降るメカニズムには2パターンあります。
大陸からの寒気は冷たく、乾燥しています。そのままではあまり雪を降らせることはできません。
ところがその寒気が暖かい日本海を渡る過程で水蒸気を多く含むようになります。冬の衛星写真で日本海上に広がる白く、厚い雲です。西高東低の強い冬型の時に、この湿った空気が高い山にぶつかると、山沿いで大雪となります(山岳で遮られた空気が上昇して温度が低下し、飽和水蒸気量を超えた分が雪になる)。
これが山雪型。北風が比較的弱く、上空を低気圧ゆっくり通過するような場合は、地形に余り関係なく雪が降ります。里雪型です。
北風が強い山雪型の場合、湿った寒気はまず佐渡の山に雪を降らせるため、その陰になる新潟市付近だけあまり雪が降らないのです。上空、あるいは弥彦山の上から見ると一目瞭然です。
そのために新潟市内は県内の他地域より除雪態勢が弱く、今日のような大混乱になるんですね。同紙によると「12月としては24年ぶりの大雪」だそうな。今日の授業で、金沢の雪を初めて見た1年生が「北陸の冬をなめてました」などと感想を書いていましたが、いえいえ、金沢だって降る時は同じように降ります。
大丈夫、最初は戸惑いますが一冬で慣れます。ご安心ください。
■12月16日(水) やって来たのは、本格的な冬の始まりと...え"っ!?
東京への出張を終えたセンセイ、昨日金沢へ移動しました。
上空に寒気が入っているという情報があったので上越新幹線の車窓に注意してると、乗換駅の越後湯沢では予想外に無雪。でも標高が低い新潟県中越地方ではかなりの雪となっています。
屋根に雪を乗せたまま、車が走っています。事が溜まっているので、今朝は早めに出勤しようと暗いうちに起床。雨も降っていなかったので、日の出前に出勤しようとしたその時、「ズザザザザッ!!」
雨ではなく霙(みぞれ)の音です。今日は自転車で出勤するつもりだったのですが、天気が回復するまで1時間ほどアパートで待機していました。
出勤途中で撮影したのが右の写真。たいした量の雪ではありませんが、本格的な冬の到来を告げています。
雑務をこなして授業をし、二つの会議を乗り切ってから部屋(研究室)へ戻り、SA(学生助手)とともに仕事を片づけていると、滅多に鳴らない携帯電話に着信。
誰だろうと訝って発信者を確かめると、おぉ、一緒に仕事をしている先生ではないですか。
受話器の向こう、デジタル電話特有の雑音の中から聞こえてきたのは「インフル......」。今朝会った先生の調子が万全でないことは表情から感じていたのですが、どうやら新型インフルエンザに罹患されたようです。
もちろん代わりに授業をすることを承知して受話器を置いたのですが、良く考えると西村センセイ、一昨日はその先生とずっと一緒に行動していたのです。
しかも至近距離で。改めて思い出してみると、お客様の中にマスクをして、コンコンと咳をしていらっしゃる方が......。(現場でもちょっと気になった)
冗談抜きで、新型インフルエンザは至近距離まで迫っていて、いつ感染(済で)、発症してもおかしくない状況のセンセイなのです。
■12月15日(火) そういえば、福井名物「ソースかつ丼」を食べ損ねてしまった
このところ食意地とお腹のふくよかさが目立ち気味の西村センセイ。
今回の福井のように滅多に行く機会がない場所──福井県は何度も通ったけど泊まったのは敦賀に次いで、二度目──では、できるだけその地の名物に挑戦するようにしています。
といってもセンセイのことですから高級品ではなく、地元に愛されている「B級グルメ」を試してみるだけなのですが。福井でのB級代表は、ソースがかかったかつ丼+キャベツの「ソースかつ丼」。「かつ」は比較的歴史の浅い食べ物だということもあって各地、バラエティーに富んだ「かつ丼」に恵まれています。
実は今回のツアー中、大谷大学の前のお店で「かつ丼を」食べました。お昼の混雑時で、他のお店が混んでいたからです。
センセイが頼んだのは「卵とじかつ丼」。京都でのスタンダードと区別すべく、わざわざ「卵とじ」という断りつきです。
新潟なんかだと、この卵とじが常識。トンカツをそのまま乗せている新潟大学前の「かねこ」などは例外なんですね。福井の「ソースかつ丼」は、北陸地方ではある程度認識されていて、金沢工大の学食や周囲のかつ丼のお店でも見かけることがあります。
最近はそれを売り物とする新しいお店もできたし。今回の福井大学訪問でもちょっと楽しみにしていたのですが、公の出張ですから、仕事──およびそれに続く飲み会──優先で今回、昼食は学内の生協食堂で済ませました。
飲み会を終えて福井駅前を歩いていると写真のようなお店に出くわしたのですが、う〜ん、残念。もうこちらは酔っぱらっています。「福井名物」の旗にゴメンナサイをしてその晩はホテルに戻りました。
今度チャンスがあったら、ぜひ行ってみようと思っています。福井の名誉のために申しますと、お魚はとても美味しくって、地物の小エビ(新潟で言う「南蛮エビ」)やメダイ、ヒラメなど、信じられないほどの素材の「甘さ」を堪能させていただきました。
いつになるかはわかりませんが、次回の福井訪問の際は、昼はソースかつ丼、夜は日本海の幸?!
■12月14日(月) 年末強行軍ツアーに一区切り。今日は都内での会議に参加しました
お伝えしたように、昨日の出張を終えてから新幹線で都内へ移動し、今日は朝から関係する会議に出席しました。
今日の会議はちょっと特殊で、いくつかの学会の緩やかな連合体。新しい問題に対処するために結成されたものですが、こういう場合はそもそも、理念や理想、実際に議論する内容など、大きな枠組みそのものを考える必要があります。
そう簡単な会議ではないのですね。そしてもう一つ。運営組織がはっきりしていないことが多い。要するに、誰が何をやるのか、よくわからない。
過渡期の組織によく見られる現象です。というわけで、今日は東京在住のチームも含めて、金沢工大のスタッフが裏方を務めました。(皆様、ご苦労様でした。)
お陰様でこれまでで最多となる100名以上のお客様を迎えることができましたし、そして何より、極めて興味深い議論が交わされました。意外に思われるかもしれませんが、議論が盛り上がれば盛り上がるほど、センセイらはクールに、しかし同時に満足感を味わせていただきます。今日の頑張りが、明日以降へ繋がっているということを確信できるからです。
金沢へは明日戻るのですが、今週もポジティブな気持ちで仕事に取り組めそうです。あ、そうそう。昨晩、京都から乗った「のぞみ40号」はN700系。初めて乗りました。
東海道新幹線はあまり利用しないので西村センセイ、これまでチャンスに恵まれなかったのです。先代の700系は壁が薄くて安っぽい感じがするし、騒音がするなど、実はかなりネガティブな印象を持っていたのですが、N700系は格段に良くできています。
静かだし、乗り心地がいいし。日本の科学技術の成果を良い意味で集積したような印象を受けました。窓側の席にはパソコン用のACコンセントも用意されているし。(東京−新大阪間は無線LANも使えます!!)
N700系、これで窓がもうちょっと大きければ、申し分ないんだけどな(実は窓が旧700系より少し小さくなっているのです)。
■12月13日(日) 少しご縁がある大谷大学に、初めて入ってみました
西村センセイは現在、東京都内に滞在しています。明日開催される、センセイらが深く関係する会議があるからです。
でも今日の日中、センセイが存在していたのは京都。大谷大学での研修会に参加させていただいたのです。
高校時代、当時は常識だった京都への修学旅行を個人的にサボった祟り(?)か、西村センセイ、個人的には京都にあまりご縁がありませんでした。でも結婚してからはちょっと別。
義理の伯父(故人)が長きに渡って大徳寺の管長だった――センセイも訪問させていただいたことがある――のと、やはり義理の関係者がこの大谷大学の学長だったのです。(両人とも義理の関係ですので、念のため。)だからぜひ一度、という気持ちはあったのですが、同じ京都でも同志社大学などはしばしば訪問しているものの、大谷大学へ来る機会には恵まれませんでした。
地下鉄の駅を出ると、目の前に大谷大学。でも、意外と小ぢんまりとしたキャンパスです。
日曜日なのに、勉強好きそうな、でもちょっと大学生というには年齢が高い人が......と訝っていると、今日はここで京都検定の試験が実施されているのだそうで、彼ら彼女らはその受験生なんですね。ポツリポツリと、いかにも「大学関係者」という感じの人が集まってきて、いよいよ研修会の始まり。
今日は会場に300人弱の聴衆を迎えて、山形大学――学長に二度お目にかかったことがある――の興味深い報告がありました。半分は以前、別な場所で報告された内容なのですが、同じ学会の同じ時間帯にセンセイの発表があったので、聞くことができませんでした。
そこでこの機会に参加させていただいた、というわけです。実はセンセイ、別に隠しているわけではないのですが、履歴書に載っていない履歴(?)があります。
前の前の大学で教員として正式に就職する前、短期間ながら事務職員(秘書)として勤務していたのです。普通の、そして優秀な先生方は、学生からそのまま教員になります。
でも、それとは対照的に、ネジがちょっと外れて気味の不器用なセンセイはそれにふさわしく(?)、幸か不幸か、経歴だけでなく、ちょっと余計な視点が加わっているのですね。その頃にいろいろ感じたことや、直接の上司だった師匠(故人)から教わったこと。それらは前の大学でのセンセイや、現在のセンセイに強く影響を与えています。
参加者の半分は事務職員だったということもあってか、今日は大学の教員/事務という難しい垣根を超えた問題を久しぶりに考えることができました。職員時代に感じ、「こうすればもっと...」ということを、若手の才気に溢れた先生や事務職員のプレゼンテーションを見ていると、あの時の、そしてその後のセンセイの判断や行動はさほど間違っていなかったんだなということを、センセイとは全然関係のない若い方から認めてもらったような気持ちになります。
そして、そうであればあるほど、今を一生懸命生きている若い人の才能を潰してはいけないんだな、という今の自分が置かれた立場を再確認することになるのです。