2011年4月2日更新(2011年4月10日ページ移動。2014年9月23日)
■4月2日(土) 新年度2日目。大学院の入学式を初めて見ることができました
今日から新入生のオリエンテーション開始。
授業が始まる1時間ほど前にはすでに、気の早い学生が登校し始めました。朝イチに英語と数学のクラス分け試験があるので、遅刻を心配しているのでしょう。
もちろんこういう学生はほとんど問題ありません。去年までは自分のクラスの指導に追われていたのですが、今年から普通のクラスは担当しないので、校門に立って立哨指導。よく小中学校の校門で「おはようございます」と声をかけているやつです。
試験開始時刻が迫ってくると、血相を変えて「自転車をどこに止めれば...」とか「○○号館はどこですか」、「○○学科なんですが...」と質問してくる学生ばかり。
ちょっと心配だなぁー、これからが。最後の最後は職員の方に任せて、英語の試験を手伝います。でもリスニングの試験が始まってしまえば、お手伝いであるセンセイの出番はありません。
そこで構内のホールへ。大学院の入学式が開かれているのです。修了式(大学院学位授与式)には参加したことがありますが、大学院の入学式を見るのは初めて。
サボっていたわけではなく、学部新入生のオリエンテーションと並行して開催されるので、学部のクラス担任は参加できないのです。
式典はすでに始まっており、学長が新入生諸君へ語りかけています。学長のお話、昨日の学部入学式とは内容もレベルも異なります(当たり前ですね)。
でも、一番違うのは新入生の後ろ姿。背筋の伸びた、その様子が実に良い。
来週木曜日にはこの院生の半数くらいを相手に必修科目を講義することになるのですが、大いに期待が持てます。
ずっと見ていたかったのですが、学部新入生の試験の終了時刻が迫ってきたので会場を後にします。でも、学部新入生の幼い表情や、院生の成長した後ろ姿をいろいろ考えているとリズムが戻ってくるのは、う〜ん、やっぱり教師の性(さが)なんだろうか。
■4月1日(金) お母さん方にとってセンセイは、とても話しかけやすい存在らしい ──入学式が挙行されました──
本日、平成23年度金沢工業大学入学式が挙行されました。
例年通り、センセイが見たことをお伝えするのですが、今年はちょっと違う点があります。
今までは一教員として入学式や卒業式に参加していました。でも今年度からは学内の立場がちょっと変わったので、いざという時のために、式の一部始終を見学することにしたのです。
もっとも、用意周到な事前準備までを確認したわけではありませんが。受付開始の8:30前にはすでに、新入生と保護者が集まってきています。会場入口では、式の看板の前で記念撮影。
正確に言うと、式典終了後に撮影したものですが。受付で新入生と保護者は分かれて、学生諸君は式典会場の前の方へ移動し、順に着席します。
席の80%くらいが埋まったところで撮影したのが右の写真。
当たり前ですが、写真はいずれも式典の開始前と終了後に撮影していますので、誤解なきよう。
保護者はというと、式典会場の体育館2階のギャラリーや1階学生席の後ろで入学式の開始を待っています。
最近の入学式では新入生1人に1〜2人の保護者同伴が普通なので、保護者席は溢れんばかり。
たくさんの方が席を見つけられずに、階段に立っています。でも式典は2時間以上続くので、後半になると半分くらいの人が座り込んでしまいました。
この会場に入ることができなかった保護者のために、別室を用意しており、そこでは大きなスクリーンで入学式の様子を見ることができるようになっています。
でも、そちらはあまり人気がありません。やはり我が子の晴れ姿を自分の目で見たい、ということなんでしょう。
一つ気づいたことがあって、年々祖父母の参加が増えています。中にはご両親は仕事なのか、新入生と祖父あるいは祖母という組み合わせもありました。
遅刻してきた新入生を席の最後尾に座らせて、いよいよ入学式へ。東日本大震災で犠牲になった方々への黙祷から始まります。
長い入学式と全体オリエンテーションを終えると、まず教員が退出します。センセイも今までは、ここで会場を後にしていたわけです。
学生諸君はこのまま式典会場に残り、学友会からのオリエンテーションを受けます。本当はこちらも見てみたかったのですが、センセイは保護者と一緒に隣接する古い体育館へ移動。保護者会の説明があるのです。
大人数なので移動や着席に時間がかかります。写真は、学生部長が生活上の要点を説明しているところ。
何人くらいだろうと数えてみると、椅子は2,000席ほどが用意されていて、空席はごく僅か。
保護者の大半はすでにセンセイより年下。年々若返っているような感じがしますが、もちろんこれはセンセイが歳を取ったためです。ところでセンセイは会場の脇に立って進行を見ていたのですが、会が始まるまでの間、たくさんのお母さん方──父親からの質問はなかった──から質問を受けました。
「○○へ行くにはどうしたいいのか」とか「○○はどこでもらえるのか」といった簡単な質問ばかりですが。でも考えてみると、ちょっと不思議。
会場内で案内をしている職員と学生スタッフは目立つ腕章をしているのですが、センセイは着用していません。
一見しただけでは関係者とはわからないはずなのです。お母さん方にとってセンセイは、どうも話しかけやすい存在らしい。「安心して訊ねられる」という感じ(?)。
会が始まる寸前、座っていたお母さんが席を立ってセンセイの方へやって来ました。トイレへ行くためです。今朝の金沢はかなり寒くて、女性陣の利用が多かったのです。
それはそれでわかるのですが、そのお母さん、センセイに断りながら脇を通り過ぎました。まるで小学校の女子児童が担任に話しかけるように、「トイレ」、と。
あのお母さん、センセイに話したことを覚えていないんじゃないだろうか。
午後、研究室で急ぎの仕事をしていたら連絡があって、急遽保護者と電話で相談することになりました。電話の向こうはかなり緊張した様子です。
でも約30分後、電話を切る頃になると、「ありがとうございました。先生のご説明で安心しました」とのこと。う〜ん。
「モテる」というのとは、ちょっと違うんですね。もしそうだったら、センセイの人生はずいぶん変わっていただろうし。
■3月31日(木) まさに季節の変わり目 ──来る人、去るもの、新しい生活に入る人──
今日は見たままのお話。
年度末なのに2日も休暇を頂戴したためもあり、今日は一日中仕事がぎっしり。
午後も仕事がいくつか入っていたため、早めに学内の食堂へ。外へ出ている時間なんて全然ありません。新厚生棟に近づくと、ずいぶん雰囲気が違います。食堂の外には新しい自転車がずらっと並べられていて、何だか華やかな雰囲気。
もちろん新入生に買ってもらうためです。周囲を良く見渡すとあちこちに新入生と保護者。ほとんどは母親でしたが。
食堂の中にはご覧のように、転入届を受け入れる臨時の出張所が設けられています。
金沢工大は野々市町と金沢市の境界にあるので、両自治体が共同でお店を開いて(?)います。幼い顔の息子より、母親の方がニコニコしているような気がします。
手早く軽い昼食を済ませ、ちょっと隣の講義棟へ寄り道。学生生活に必要な教科書や教材などを販売しているのです。
写真は製図台の紹介。建築系の学生なんでしょうね。台の前の男子学生はどうやら一人きりで、ちょっと心細そうでしたが、手前の女子学生は堂々としたもの。
お母さん譲りなんでしょうか。別な部屋を覗いてみると、スーツを着た若者がニコニコして寄ってきました。誰かと思ったら、おぉ、以前の受け持った学生さん。
「学生スタッフ」の名札をつけています。今日は先輩の立場で新入生にいろいろなことを紹介するのが仕事だそうです。
たった2日間キャンパスを不在にしていただけなのですが、まるで別な場所のような印象を受けます。
でも来る人がいれば去るものもあります。
写真は昨日、柏崎駅で撮影したもの。
ホームで電車を待っていると、駅裏に大型トレーラーが入ってきて、クレーンを延ばし始めました。
その先にある、赤と黄色の物体は、この冬に活躍した除雪車(モーターカー)の、除雪する羽根の部分です。冬が終わったのでここに集めてどこかへ運び出すところなんですね。この冬はずいぶん大雪でしたが、それももうずいぶん昔という感じ。
柏崎駅に来る途中、駅裏のスーパーで夕食の食材を買い求めたのですが、レジを済ませるとちょっと見かけない感じの老女がいることに気づきました。
それも数人。聞こえてきた言葉はまさに、福島の言葉。
避難か知己を頼っての疎開かはわかりませんが、地震と原発事故で柏崎にやってきて、この地で生活を立て直そうとしている方々なんですね。
幸いにも険しい表情ではなかったので、もうある程度は落ち着き、改めて生活に必要な品々を買い求めてるのでしょう。今日は年度末。センセイ自身を含めて、本当にいろいろなことが節目を迎えているという感じがします。
■3月30日(水) 倒産した工場の駐車場跡は、坪単価約16万円の住宅地として売り出し中
数週間前、自宅書斎にいると、解体、整地中――現在も工事は継続中――の工場とは違う方向から工事音がしてきました。重機を使っているらしく、かなり揺れます。
その時は確かめなかったのですが、今回帰宅して、そこが住宅地として売り出し中であることを知りました。地元紙に折り込み広告が入っていたのです。工場の従業員用駐車場として使っていた広い場所、その1/3程が、すでに整地を終えており、ガスや上下水道が整備されて4区画として売りに出されています。
工場跡地とは違う不動産屋が扱っています。地主が違うんでしょう。チラシによると広さはいずれも55坪。肝心の価格はというと、道路に面した写真手前が一番高くて 坪単価18万円。
写真の奥には川が流れているのですが、その手前が一番安くて12万円。平均すると16万円ということになります。奥の2区画はすでに、予約済ないしは商談中とのこと。
全国的には人口の一局集中が急速に進行しており、で地方住民の数は減っています。
柏崎市も例外ではありません。需要が低下すれば一般に、商品の価格も低下します。地方はどこも地価の低落傾向が続いています。
しかも柏崎市の場合、新潟県中越沖地震とその際の原子力発電所のトラブルで地価は激しく下落しました。センセイの自宅、実は親の土地の上に建っています。都会の人には信じられないような価格で住宅地を取得できるわけですが、う〜ん、素直に喜んでいいんだろうか。
原子力発電所もすぐそばだし。
■3月29日(火) まさに「そびえ立つ」という感じ ──北アルプスの山々が富山の人々を育てる──
昨日は割と早くに大学を離れました。アパートに戻って荷物をまとめ、自宅へ向けて車で再出発。県境を超えて富山県に入った頃はまだかなり明るさが残っていました。
富山は、そのかなりの地域から北アルプスを望むことができるのですが、特に、県中央の呉羽山を越えて県の東部に入ると、目の前に剣岳(写真)をはじめとする山々が迫ってきます。
実は、北アルプス全体を見ることができる日は限られているのです。雲で全然見えない日も多いし。
でも昨日はご覧のように、多少雲がかかっているもの、まさに「そびえ立つ」という感じ。地元AMラジオ局の放送をずっと聴いていたのですが、地元で生まれ育った方もそう感じられたようで、何度も「今日の立山は...」と繰り返していました。
特に朝は素晴らしかったそうですが、センセイが富山を通った時も凄い迫力でした。写真は富山市内にある道の駅に車を止めて撮影したものですが、やはり呉羽山から見た北アルプスが一番という感じがします※。
眼前に富山の市街地が広がり、その奥に北アルプスが視界を奪い尽くすのです。その様子を見ているとつくづく、北アルプスの山々がこの富山の大地を、そして人々を育んでいるんだなぁ、と思い知らされます。
写真右下奥には北陸新幹線の工事現場──クレーンも新幹線の工事用──が見えます。もちろんそれはそれでこの地域にとっては重要なこと。でもセンセイには、私たちが直面する困難は、目先の利益に目がくらんで、根本的で大切なものを見失ってしまったことへの強烈なしっぺ返しであるように思えるのです。
※すみません、撮影していません。仮に撮影していたとしても、センセイのテクニックでは上手く撮れなかったに違いありません。
■3月28日(月) 送りと迎えの間 ──西村センセイ、池の波紋を見ながらいろいろ考える──
全教員が参加しての、新学期を迎えるための長時間に渡る会議を終え、いくつかの仕事を片付け、残りのいくつかを先送りにしてキャンパスを後にします。
この週末に戻らなかったので、今日は車で自宅へ帰るのです。北陸地方も今日はよい天気。朝はかなり寒かったものの、綺麗に晴れ上がっており、気温もかなり上昇しています。
ただし風は少し強く、駐車場へ向かって歩いていると、図書館前の池の水面が万華鏡のように煌(きら)めきます。春休みなのでキャンパス内に学生の姿はほとんどありません。特に卒業式を終えた今日は皆無という状況。
入学式が迫ると新生活に必要な品々を揃えるために、初々しい新入生と保護者──最近はたいてい両親(+α)──が広いキャンパス内をやや迷子になりながら行き来するのですが、それもまだ。
キャンパス内は見事なまでに掃き清められています。まるで何かを清めているかのよう。考えてみると、ここで何年間か生きた卒業生や修了生を送り出し、新しい生活を経験する人を迎えるためには、キャンパスですら清めの手順と時間が必要なんだと思います。
高等教育機関で学ぶ学生諸君の新旧交替は、映画館の観客の入れ替えとは違うんですね。その節目を迎えるたび、センセイはまた一つ、歳を重ねていくのです。
■3月27日(日) 京都のホテルはどこも満室!? ──西村センセイ、関西に出現──
昨日はサイトを更新できず、申し訳ありませんでした。センセイが関係する学会の役員会──ただしセンセイは役員ではない──に出席するため、京都市内へ出張していたのです。
もともとは都内虎ノ門にある金沢工大の施設で開かれるはずだったのですが、東日本大震災による計画停電や、建物の管理上の問題から急遽、会場を同志社大学に変更して開催されたのです。
日帰りも可能だったのですが、この機会を利用して夜、関係者で飲むことになりました。ということは、どこかに泊まらなければならないのですが......ホテルの空室がない!!
都内にある外資系企業などが、地震と原発事故の影響を避けて、活動の拠点を一時的に関西へ移しているらしく、普通のホテルはどこも満室なのです。いざとなったら夜行寝台急行「きたぐに」で自宅へ戻ろうと覚悟を決めると、意外にも、駅前に空室を確保することができました。
特急「サンダーバード」で京都に到着したのは正午。ホテルで荷物を預かってもらい、地下鉄に乗るために再び京都駅へ。雪が降った昨日の京都ですが、この時にはご覧のように晴れています。
強い北風の寒いこと。地震直後に米原を通過した時は、緊張感一杯の都内と、どこかしら他人事という関西の違い──責めているのではありません──に困惑させられました。
でもやはり、状況の厳しさは全国へ伝わったようで、温度差はかなり小さくなっています。都内の切羽詰まった感じとは違いますが、ここでもコンビニから水のペットボトルがなくなるなど、いろんなことが長期戦に入りつつあります。
役員会終了後、関係者で「現状はどうで、今後どのように展開し......」などと議論していたら、いつの間にか日付が変わっていたのでした。さすがに飲み過ぎてしまった。