2010年4月3日更新(2010年4月11日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)
■4月3日(土) 2日間にわたる新入生オリエンテーションが、無事に終了しました
昨日に引き続き今日も、午前中ずっとオリエンテーション。ふだんの怠惰が響いて、かなりの準備が必要でした。
昨晩はアパートで遅くまで作業し、今朝も早起きしてプリントアウトや印刷。
それなりに頑張った甲斐あって、(センセイにしては珍しく)かなり余裕を持って1限からの説明に臨むことができました。入学式を終えて、その晩はたぶん、初めての一人暮らし。
そして昨日のオリエンテーションと、ここ数日ずいぶん緊張しているはず。「もしかすると今朝は寝坊する学生も...」と、やや不謹慎なことを考えたのですが、ほとんどの学生は、20分くらい前に続々と教室に入ってきます。
学部だけでも1,750名ほどの新入生が集まってくるのですから、凄い迫力です。写真はオリエンテーション開始5分前に撮影したもの。
もう学生はまばらです。右端の男子新入生は焦っているのでしょうか、走り始めています。教室へ戻るとクラスの全員がきちんと揃っていました。おかげで今日も、説明はとてもスムース。
学生諸君に助けられて、今年も何とか良いスタートを切ることができたようです。
■4月2日(金) 新入生に必要なのは、混乱と硬直の間の「程良い加減」?!
昨日の学部入学式を受けて、いよいよ今日からセンセイらの出番。
といっても、今はまだ学級担任として、「大学ってこういうところなんだよぉー」とか、「こうやって4年間勉強するんだよ」とか、「今の皆さんは、訪問販売業者のカモネギなんだから...」などと、少しずつ大学(/大学生)のことをわかってもらう「オリエンテーション」の最中です。
早起きして出勤し、資料の印刷から始まって、学生の誘導、あちこちとの連絡、オリエンテーションの実施──途中で英語の試験実施が入ったけど──と、気がつくとあっという間に、もう夕方。
「口から生まれた」西村センセイも、さすがに喉が枯れてしまいました。ところで、今日の新入生諸君にとって一番大切なのは──意外かもしれません──昼食。約1,800名の新入生が一斉に行動するので、食堂がパンクしてしまいかねないのです。
午前中の最後は英語のクラス分け試験だったのですが、センセイのクラスはその前から十分に説明したし、試験の後片づけも円滑に進んだ──英語のP先生、深謝、深謝──ので、学生諸君はすぐに食堂へ移動。
たぶん一番乗りのグループではないでしょうか。センセイはというと、新入生からの質問に対応し、オリエンテーションに使った機材や配付物を片づけ、かつそれを両手に抱えて、やっと学生食堂へ。
予想外に、カフェテリア「セレス」はガラガラだったので、とにかく食事。午後も説明が続きますからね。
食器を片づけて改めて入口(写真右側)に戻ると、おぉ、時間的には僅かの違いなのに、もうグチャグチャの混雑になっています。
写真右手は列を作っているのですが、奥や左手は何がどうなっているのか現状を把握していない新入生諸君。意外に思われるかもしれませんが、この段階でも写真の右側(写っていません)の「セレス」で食事中の学生はごくごく僅かなんですよ。
荷物を抱えて隣の「ヴァルカン」に移動すると、予想通り、左の券売機を先頭にして、学生諸君の長い列。
写真はそのごく一部で、列は建物の外まで続いています。(関係者にしかわからない表現で申し訳ありません)
最前列の学生の肩越しに、券売機に見入っている学生の表情が、凄い。ところがチケットを購入しても今日だけは、これからが大変。
写真の手前では、係員が「麺類の日人はこちらでーす」などと誘導してます。実際に食事が提供されるカウンターまでが長い、長い行列となっています。
要するに、今日は写真の数倍もの長さの行列が存在していたのです。申し訳ないのですが、一部の学生は昼食を取ることができなかったんじゃないかな。
午後の説明を開始する前に、「みんなお昼、ちゃんと食べた?」と尋ねたのですが、不満そうな表情は皆無。幸いにも、センセイのクラスは何とかなったようです。センセイは「順番を守らなくてもいい」などと主張しているのではありません。状況に応じて、耐えたり、より弱い人に権利を譲ったりすることも必要です。
でもね。良く考えると、お昼を食べるだけだったら、混雑を目の当たりにして通学途中で目にしたコンビニへ行くとか、「他に学食はないんだろうか」──存在します。こちらは余裕の状況だったようです──と考えてみるとか、そういう発想が必要なんじゃないでしょうか。
今日の新入生諸君にとって最も大切なことは、担当の先生からの説明をきちんと聞いて重要な事柄を把握すること。
この主目的を達するためには、昼食など、もしかすると重要ではないかもしれないイベントの位置をはっきりさせる、つまりメリハリをつける──今日の説明に参加した、先輩のOさんも同じことを新入生に助言していましたよね──必要があるのではないか、ということです。
昨日のような混乱でもなく、今日のような過度の硬直化でもなく、ものごとには「程良い加減」があるんでしょうね。偉そうなことを述べましたが、しかし、もう数日もすれば新入生諸君の多くはそれを自分自身で「発見」します。「知らないということを識る」という、そのことこそが、自分の力で大学生としての第一歩を無事に踏み出したという証拠なんです。
今日の彼ら彼女らはまだ、それを自覚していないけれど。
■4月1日(木) 一瞬だけ、既視感。 ──金沢工業大学の入学式が行われました──
本日、金沢工業大学の入学式が挙行されました。
以前だったら4日くらいに実施されていたのが、どんどん早くなって4月1日!! 文部科学省からの指示に従って、授業時間を確保するための止むを得ない措置なのですが。
それはともかく、今日の天気予報は下り坂。午後は雨が予想されています。
朝早くは曇りがちではあったものの穏やかな天気。両親が揃い息子を乗せた車──最近はこのパターンが多い──が、式典の2時間位前から次々とキャンパスに乗り入れてきます。
長い式典が終わった正午前、新入生が先に解放される頃には、ちょっと怪しい雲行き。残念ながら降雨との競争という感じです。式が行われた体育館の方からものすごい数の学生が歩いてくる──今年は予想を上回る入学者を迎えることができました──のを見ていると、一瞬、既視感に襲われます。
ほんの2週間前に、同じような光景を見ています。でもすぐ現実に引き戻されます。
卒業する学生と違って、新入生は資料が入った重そうな紙袋を抱えているし、表情が子供特有の丸っこさを残しているし。
そして、もう一つ違いが。
式から解放された卒業生はしっかりとした足取りで目的地へ向かう──各学科ごとに卒業証書などを受領する──のに、新入生は右往左往するだけ。
もちろん、どこに何があるのかがわかる(/わからない)から、そして何をどうしなければならないかがわかる(/わからない)からなのですが、それでもやはり、センセイには両者の違いを象徴しているように感じられます。
20歳前後の4年間、後から振り返ると僅かな期間なのに、同時に、とてつもなく長く、大きな時間なんでしょうね。「よくわかんないけどぉー、広場の真ん中のぉー、何かの塔の下」と、ゴールデン・イーグルに見守られながら両親に電話している新入生諸君と、センセイは明日の朝、改めて対面することになります。
何事も最初が肝心。今晩中にその準備を終えて、何とか明日の早朝に資料を印刷しなくては......。
■3月31日(水) 今日で一区切り。新入生は着々と入学の準備を進めています
今日で2009年度も最後。明日からは新年度に入ります。
旧年度のうちに仕事を片づけておこうと、今日は結構がんばったつもりだったんだけど、あれもこれも残っているし、資料のファイルは締切に間に合わなかったし......。
う〜ん。珍しくお腹が空いたので、お昼を食べようと校舎の外へ。
ここ数日、キャンパスには新入生とその保護者──まず間違いなく母親──の姿が目立ちます。
教科書など入学後に必要なものを買い求めに来ているのです。食欲はどこへやら、西村センセイの興味はそっちへ移ってしまい、足はフラフラと講義棟へ。
大きな建物の1階から3階を使って、教科書類以外にも白衣、作業着や体操着、果ては自転車なんかが用意されています。ここでも主役は母親。男子学生はおとなしいし、母親との仲も良さそう。今年の特徴でしょうか。
昔の話なので若い方にはまったく参考にならないでしょうが、センセイの時代は両親は来ず、全部自分で手配しました。
もちろん入学式も一人きり。もう一つ気づいたことがあって、母親がとにかく若い。
ここ数年でセンセイが学生諸君の両親の年齢──父親が40歳代後半、母親はその前半──を追い越してしまったので、そう感じるんですね。初めて気づいた──以前から存在していたのかもしれません──ことがあります。
何をしているか、わかります?金沢工大は金沢市と、隣接する野々市(ののいち)町の境界にあるのですが、両自治体が新入生の転入届を受け付けているんですね。
左奥のピンク色の旗が金沢市、右側が野々市町の受付です。学生は住民票を実家に残したままにする──センセイも、半分くらいの期間はそうだった──ことが多いので、入学というこの節目に、きっちりと住民票を移してもらおうというわけです。
住民票を移動しないと保険証の遠隔地証明を受けられなくなるので、転入届を出した方がいいのですが、自治体側には何のメリットがあるのでしょう?
成人ならともかく、学生は収入がないので市町村民税が入ってくるわけではありませんし。ところで左手前、写真の外側にブースがもう一つ用意されていました。NHK金沢放送局です。受信料の申込を受け付けているのですね。
そして皆さんの予想通り、こちらにはお客さんがいないのでした。
■3月30日(火) 久しぶりにWindows Vistaを起動したついでに、Safariを更新してみると...
明日で3月も終わるので、怠け者の西村センセイもさすがに、新学期の準備に取りかかります。入学式に続いて、すぐに新入生のオリエンテーション、講義と続くのです。
準備の一部として、大学のMacBook Pro上にインストールしているWindows Vistaを久しぶりに起動しました。
ウィルス対策ソフトの日付で前回の起動日がわかるのですが、何と2月上旬。いかに使っていないかがわかりますね。
Vistaは重いし、警告ばっかり出てくるので、何となく使わなくなってしまうのです。この間にたくさんのたくさんのファイルやシステムが更新されていたので、脇で別な仕事をしながらアップデートします。
一区切りついた時、ご覧のように“Apple Software Update”が起動し、問題のWindows版Safari 4.0.5(こちらやこちら)のインストールを勧めてきました。
さて、どうしよう。トラブルはwindows XPだけ(?)で発生するらしいし、それに何よりVistaはあまり使わないので、えいやとばかりに「インストール」をクリック。
どうなるんだろうと思いながらSafariを起動すると......動作はかなり重めながらもXPの時のような致命的なトラブルは発生しません。
ついでにIE──こちらも全然使わない──もVer.7から8へアップデートしました。何度使っていても、Vistaとはご縁がなさそうだなぁーという感じがします。
いっそのこと、Windows 7へアップデートしてしまおうか......。
■3月29日(月) キャンパスでは、しだれ桜がアベック(?)をお出迎え
今日は見たままのお話。
今日は午前、午後と長時間に渡って、教員全員が参加する会議がありました。このところ授業がなくて心身ともに春休みモード──仕事は多いんだけど──に入っているので程度の差こそあれ、みんなヘトヘト。
センセイも元気をつけるために、キャンパスの外でエネルギーになるものを食べることにして、とにかく外へ。校舎の自動ドアが開くと道路の反対側にアベックが見えてきました。とても仲良さそうです。
そしてその奥にはしだれ桜。1週間くらい前から咲き始めたのですが、このところの寒さ──今日も雪が降った!! ──で少しずつ見頃、という感じ。
これ以上になると花びらからピンクの色が抜けて白っぽくなるようなので、明日あたりが一番良い頃かもしれません。
北陸地方は明日、快晴になるらしいし。カメラを構えて近づくと、あれ?!
学生のカップルと思ったのが、実は新入生とそのお母さん。
センセイはこの頃視力がかなり低下しているので、はっきりと見えなかったのですね。
男の子が茶色の大きな紙袋を抱えています。新入生が学内で必要なものを買い求めたんですね。それにしても、ホントに仲良さそう。さて西村センセイ、元気をつけるために今日は本当に久しぶり──1年以上行ってないかも──にチャンカレへ。でもチャンカレの“Lジャン”はエネルギーがありすぎ。
とても全部を食べることはできなかったのです。
■3月28日(日) 糸魚川駅の煉瓦造りの車庫が、いよいよ取り壊されるようです
年度末で仕事が溜まっており、週明けにいろいろな仕事を片づける必要があるので、いつものように午後のうちに金沢へ移動。経費節約のため、例によって各駅停車を乗り継ぎます。
直江津を出発した北陸本線はいくつもの長いトンネルを通ります。車内は暖かいし、適度な揺れもあるし、(トンネルだから)車窓からは何も見えないし......うとうとしていると、もう糸魚川(いといがわ)駅。
特急「はくたか」に追い抜かれるので、ここでしばらく停車します。北陸新幹線の建設工事は、駅舎の工事こそまだ始まっていないものの、周辺では高架橋が8割方完成するなど、かなり進んでいます。
ずっと以前にご紹介したことがありますが、糸魚川駅には煉瓦造りの車庫があり、つい先日までは実際に使用されていました。
でも1週間ほど前のローカルニュースの中で、幼稚園児等によるお別れコンサートの様子が報道されました。
新糸魚川駅舎建設に伴って取り壊されることになっているのです。そこで今日確かめてみると、ご覧のようにレールが撤去されていました。
歴史のある煉瓦造りの建築物なので保存運動も起きたのですが、やはり耐震性等の理由でそのまま残すことは断念されました。柏崎市にも同様の建物があったのですが、新潟県中越沖地震で全壊してしまいました。
その様子を目の当たりにすると正直なところ、やっぱり無理だなぁと思います。それでも煉瓦の一部はモニュメントとして新駅舎の一部で使用されるそうですから、この建物を知っている人には、かろうじて思い出が引き継がれることになるのかな、という感じがします。