2011年9月3日更新(2011年9月11日ページ移動。2015年2月11日写真削除)

──2011年8月第5週〜9月第1週のニュース──

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9月3日(土) 西村センセイ、颱風に負けて夜行寝台特急での帰宅を断念する

 自宅を離れてから明日でちょうど1週間。センセイはまだ、博多に滞在しています。「まだ」というのは、当初予定では仕事を済ませた後、ひとまず博多を離れるはずだったからです。
 予定を変更せざるを得なかった理由はもちろん、颱風。

 今日は午後からセンセイが関係するシンポジウムに参加しました。ここまでは当初予定通り。

 本来ならば会を終えたら新幹線に飛び乗り、ひとまず岡山へ移動。そこから高松に出て、夜行寝台特急「サンライズ瀬戸」のA個室で東京へでる手はずになっていたのです。
 もちろん寝台券は確保済。最上級の寝台券ですよ。

 ところが何と、颱風12号の動きが遅すぎて、11時過ぎには今晩のサンライズ号の運休が決定してしまいました。
 こうなると、乗車券類のキャンセルや乗車変更の必要があります。

 かなり複雑な乗車券だった――センセイ個人としてはそれほど難しくはなかったのだけど――ので、すべての処理が終わるまで、1時間近くかかってしまいまいた。

 タクシーに乗って会場へ駆けつけると、おぉ、ご覧のように会場はすでに、ほぼいっぱい。
 後で関係者にお話を伺うと、満席以上の参加者をお迎えしたんだそうです。

 シンポジウムの内容はとても興味深いものだったのですが、ま、こちらは仕事なので、省略。
 ひとまず関係者の打ち上げに参加して現在は、苦労の末に予約できたホテルに戻ったところです。

 明朝に博多を離れて、山陽東海道新幹線、上越新幹線、そして信越本線の特急を乗り継ぎ帰宅します。
 しかし到着は、本来の予定より6時間遅れの夕方。

 夜行寝台特急での帰宅を楽しみにしていたのですが、でもまぁ、颱風とあれば、しょうがありません。犠牲者も出ているほど大きな颱風なのですから。
 それに来週は、今度こそ往復ともに寝台特急で北海道へ行くことができるし。

 ここは前向きに考えましょう。



9月2日(金) 西村センセイ、迫りくる颱風の中、福岡での学会に参加する

 センセイは現在、博多市内に滞在しています。今日、明日と福岡大学で開催される学会に参加しているのです。

 ここ数日の福岡県はとても不安定なお天気。基本的には曇り。時々晴れ間ものぞいて暑くなるのですが、油断していると不意に驟雨(しゅうう)に襲われたりします。
 もちろん接近している颱風の影響です。

 こういう時は風が強いので、携帯用の華奢(きゃしゃ)な折り畳み傘を開くわけにはいきません。しばらくコンビニで雨宿り。

 学会は午後からなので、博多駅近くの天神南駅から地下鉄に乗車。

 途中、A新聞社のNさんと出くわしたり、地下鉄の出発を待っていると滋賀県内の大学関係者と一緒になったりと、要するに周囲は業界関係者だらけ。
 みんな、昨日までの学会に続いて参加しているのですね。

 15分ほどで「福岡大学前」駅から地上に出ると、おぉ、まさに正門前。道路を挟んでとても広いキャンパス。
 よく調べていなかったのですが、こちらはとても大きな大学のようです。

 強い横風――幸いにも雨は降っていなかった――の中、かなりの距離を歩いて会場の建物に移動。

 教育力で知られるフィンランドからのお客様の話を聞いて分科会場に入ると、あれ、まぁ、昨日までのメンバーが大半。
 お世話になったY先生もいらっしゃいます。

 結構考えさせられた学会を終えると、夜の部へのお誘いが......。

 もちろん本当はお付き合いしたいのですが、冗談抜きで颱風の影響でこれからどうなるか、さっぱりわかりません。
 西村センセイ、明日は博多市内で別な会議に出席することになっているのです。

 というわけで、今日はホテルで気象情報に注意しながら、おとなしくしているセンセイなのです。

 新潟の自宅へは、予定通りに戻れるんだろうか。



9月1日(木) 「またのお越しをお待ちしております」 ――もう訪れることがない場所で――

 学会も最終日なので、センセイは全プログラムに出席して、最寄り駅であるJR久大本線「久留米大学前」から、何人かの関係者とともに特急に乗車。
 大会会場の久留米大学を後にします。

 他の学会ならセンセイは「お客さん」なので、昼間のプログラムが終われば夜の部に突入するのが普通。

 でもこの学会の場合、センセイらは大会開催校ではないものの、学会と大会を事務サイドから支える立場なので、とても飲みに行くような状況ではありませんでした。
 実際、初日の仕事を片付けた時には、残っているのはセンセイらだけ。関係者はどこかで楽しい夜をすごしていたのでしょう。

 というわけで結果的に、この2日間は同僚のT先生とホテルのある西鉄久留米駅近辺に戻り、そこで解散するという、とてもシブイ行動となりました。

 センセイはというと、駅ビル内のスーパーでビール――久留米でサッポロは入手不能でした――とつまみを買ってホテルで個人的に打ち上げ。
 よく働いたよなぁー。

 ところでこの「西鉄ストア」は、良くも悪くもとても庶民的。価格も安く抑えられています。
 写真は今朝撮影したものですが、高齢の方を含めて、このお店が地域に根ざし、愛されているということを再確認させられます。

 そんな昨晩、売れ残っていた地元産の鯛のお刺身と2割引の小松菜の炒め物、そしてビールを買って会計を済ませます。
 ふいに店員が、「またのお越しをお待ちしております」。

 教えられた通りにしゃべっているのでしょうけど、でもセンセイには、その言葉がグッときます。
 申し訳ないのですが、センセイはたぶん、もう二度とこのお店に来ることはないのです。

 学会も同じです。関係する先生方のご尽力もたいしたものだったのですが、センセイが最も驚かされたのは、学会大会を補助している学生諸君。
 学部生が中心です。

 商売柄、いろんな大学の学生を見ているのですが、久留米大学の学生諸君は動きが良いのです。もちろん全員が全員、ではありませんが。(男子学生諸君はもうちょっとがんばろうね。)
 ポイントは、自分で判断し、最も適切と考えられる行動を取っていること。

 当たり前といえば当たり前なのですが、これは能力(ポテンシャル)がないとできないことなのです。

 それを可能にしているのはおそらく、それを許可、ないしは促進している指導者、つまり教師の考え方です。もしかすると、その背後にはさらに、学園全体の教育哲学があるのかもしれません。
 「今時の学生は...」と見下したり、「アルバイトなんだから、指示されたことをその通りだやっていれば...」という発想の、その真反対にある考え方。(研究発表の場では、参加者にはあまり受けなかったけれど。)

 学生諸君の才能にも驚かされたのですが、会場となった久留米大学の教育力も凄いなぁーと思い知らされたこの3日間だったのでした。

 西村センセイ、明日は福岡県内で開かれる別な学会に参加します。もちろんこちらは「単なるお客さん」です。



8月31日(水) 「思いつきにしては...」 ――西村センセイ、久留米大学での学会で働く――

 ヘトヘトになって西鉄久留米駅前のホテルに戻り、とにかくお風呂に入ってこのページを更新したところで昨晩はダウン。早起きをして自分の発表準備をするつもりだったのですが......目覚めると、6時過ぎ。
 何だ、いつもの時間じゃないか。どうも身についた行動パターンは変わりにくいらしい。

 ホテルで仕事をしようかと思ったのですが、そのまま学会の会場である久留米大学へ進学校として有名な付設高校の生徒諸君と一緒にバスで移動します。

 久留米大学御井学舎(キャンパス)は小高い丘の上にあるので、久留米市内はもちろん、かなり遠くまで見通すことができます。

 参加者の便を考えてちょっと遅めの日程を組んであるので、受付はまだ始まっていませんでした。
 センセイらは昨日のうちに受付を済ませているので、そのまま控え室に入ります。

 そのうちに参加者が参集してきて、研究発表の開始。センセイは、あちこちに挨拶を済ませた後は、控え室で黙々とお仕事。
 その甲斐あってか、正午前には何とか一区切り。

 お昼過ぎから打ち合わせと重い会議を乗り切り、勢いで研究発表を終わらせました。
 昨日の理事会、総会、研究発表(+小さな会議)を完了させたので、センセイの任務の大半は無事に終了。

 続く懇親会はもう、飲んで、食べて、たくさんの方とお話をするだけ......のはずが、「あの発表、思いつきにしては、面白かったよ」。
 あ〜ら、すっかり見抜かれていたのね。

 ま、いっかー。



8月30日(火) 6ヶ月前、まさにこの場所でこの時刻に... ――都内での研究会に参加しました――

 ツアー2日目。センセイはすでに九州入りし、学会が開かれる大学で関連行事を乗り切ったところ。ふぅ。

 でも今日お伝えするのは昨日のお話。

 お伝えしたようにセンセイは昨日、都心部にある金沢工大虎ノ門キャンパスでの研究会に参加しました。
 1時間以上前に会場到着。

 会場となった教室の、そ曇りガラスのドアを開ける時、一瞬だけですが躊躇(ちゅうちょ)しました。
 約6ヶ月前の3月11日、センセイはこの教室で東日本大震災に遭遇したのです。

 重いドアを開けてみると、そこはいつもの光景。でもやはり、あの時の様子がありありと目の前に浮かんできます。
 新潟地震、新潟件北部地震、新潟県中越地震、そして新潟県中越沖地震と、地震慣れ――あまり良い意味ではありません――したセンセイですらこうなのです。

 初めて大きな揺れを経験した人や、被災地で過酷な目に遭った方々は、ちょっとした揺れなど、ほんの小さなきっかけが、少し閉じかけた傷口が開いてしまうんだろうなぁー。
 さて、明日は学会本番。

 役員としての仕事と自分の発表があり、その後は飲まされる見込みなので......ページの更新はどうなるのでしょう。



8月29日(月) 国鉄色115系、新たに新潟に登場 ――秋の九州ツアー、テーマは鉄分補給!! ――

 本日より、一連の秋のツアー中最長の九州出張開始。

 といっても今日はまず、都内での研究会に参加します。節電の関係――消費電力一律15%削減を言い渡されたらしい――で、いつもなら1日の研究会が、今回は午後だけの開催。
 ちょっと遅めの電車で新幹線への乗換駅、長岡へ移動します。

 自宅最寄の柏崎駅まで歩いていると、センセイの脇をこの地域の標準型通勤電車115系が追い抜いていきます。走行音で115系だということはすぐにわかったのです。
 ところが、追い抜かれてみると、おぉ、旧国鉄色。

 JRが民営化されてから、それまでのしがらみを断ち切るかのようにJRの列車は独自の塗装に切り替えられました。
 似合っていたかどうかは別にして、それが関係者の覚悟を示していたこともまた、事実。

 ところがここ数年、その塗装が旧国鉄色に戻されるケースが続出しています。この115系(L6編成)もつい最近、塗りなおされたばかり。
 これまでに何度か見かけていたのですが、写真を撮影できたのは初めてです。

 オレンジと深い緑のこの塗装、かつて東海道線や上越線で見られた標準的な塗装です。ところが皮肉なことに首都圏では、この旧型電車(113系)がまさに消滅しようとしているところ。
 雑誌などでは、この新潟支社所属の国鉄色115系が注目されています。

 塗装のためだけに新潟まで来る価値があるかどうかはわかりませんが。

 さて今回の九州ツアーはもちろん公務出張。ですから自分の発表や役員を務めている学会の仕事が最優先です。
 でもよく確認してみると、複数の学会やシンポジウムの間に、かなり自由時間があります。

 どうやらその休み時間だけを使って、熊本以北のJR九州線の未乗区間をすべて乗ることができそう。ただし、ちょっと早起きする必要はありますが。

 というわけで今回の九州出張、第三の目的は「鉄分補給」。この地域の列車を自由に乗り降りできる――一部例外あり――「周遊きっぷ」も用意しました。
 九州はかなり広いので、未乗区間はかなりの距離になります。

 果たして、本来の仕事をこなしつつ、計画通りに無事完乗できるのでしょうか。



8月28日(日) この、ガラガラの車内が示す上越新幹線の将来は...

 昨日の東京出張は、内容はアカデミックで高度だったものの、目的と行為は明快単純なので、その遂行のために一番便利な新幹線を予約しておきました。
 要するに、一番便利なもの。

 柏崎市をちょっと早めに出ると、10時前には東京駅に到着するという新幹線です。いつもなら、ちょっと予約が遅いと満席になっている便利な便です。

 ただし「満席」といっても、始発駅の新潟を出発する時から席に余裕がないのではありません。 途中の越後湯沢駅で、北陸方面からの乗客がどっと乗ってくるのです。
 昨日のセンセイはかなり疲れていたので、乗換駅の長岡で新幹線に乗車すると、すぐに眠くなってしまいました。

 そんなセンセイに合わせるかのように、新幹線も長い長いトンネルに突入。これはもう「終点まで寝ていろ」というようなもの。

 うわの空で「間もなく越後湯沢...」というアナウンスが聞こえたので、「あぁ、いつものようにお客さんがどっと乗り込んでくるんだろうなぁ」と思ったのですが、情けないことに、また眠り込んでしまいました。
 ふと気づくと、車両はトンネルの中。しかも新幹線は停車しています!!

 2階席なので、トンネルの壁面が目と鼻の先 初めて経験しましたが、かなり不気味な感じです。
 今回は照明が点灯していたのですが、もしこの状況で主照明が消灯し、非常灯だけだったら、耐えられない人が続出したと思います。

 そもそ上越国境の長いトンネルの中かと思ったのですが、そうではありませんでした。
 アナウンスによるとここは越後湯沢駅の手前。

 昨日未明に同駅構内でポイントの不具合が見つかり、そのために上越新幹線が混乱しているというのです。
 15分遅れで越後湯沢駅に到着したのですが......何と、乗車するお客は皆無。

 写真は高崎を過ぎてから撮影したものですが、車内はガラガラ。

 いろいろ考えたのですが、金沢方面からの乗客は特急「はくたか」で予定通りに到着。ところがこの新幹線が遅れているので乗客は、本来ならばその出発後に始発の越後湯沢駅を出るはずだった別の新幹線「たにがわ」に乗り換えたんでしょうね。
 越後湯沢始発なので、全員問題なく乗車できただろうし。

 というわけで、各駅停車を追いかける格好になった速達の特急「とき」。大宮駅の手前で、あるいは上野駅直前の真っ暗なトンネルの中での停車を繰り返して、約20分遅れで東京到着。
 でも、まぁ、センセイ個人はさほど影響はなかったのですが。

 でも、よくよく考えるとこの件、上越新幹線の将来を暗示しているように思われます。

 2014年度内には北陸新幹線が全通する見込み。 うなると、高崎以北の上越新幹線は、北陸新幹線よりもずっと前から営業しているにもかかわらず、いわば「枝線」化します。
 新潟圏内から上越新幹線に乗り込んだのは、写真の乗客だけなのですから。

 良くも悪くものんびりしていて「杉の木と男の子は育たない」と言われる新潟県。

 少なくとも公共交通機関の将来に関しては、状況はかなり厳しいように思われます。

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