2004年11月6日更新(2004年11月15日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■11月6日(土) 小学校の創立記念祝賀会は自粛 ──被災地で感じる、違和感──
週末なので、西村センセイは新潟の自宅に戻っています。
今日は本来の出張を終えてから大急ぎで柏崎市の自宅へ戻りました。娘が通う小学校の、創立130周年記念式典と在学児童の展覧会があるのです。
幸い、展覧会の終了時刻にはギリギリ間に合い、娘やその幼稚園時代からの友達の展示物を見ることができました。
小学5年生ともなると、性格の差がずいぶん表れていて、驚かされます。ところがその小学校の先生とすれ違って、何か違和感を感じてしまいました。
見知った先生なのに、いつもとどこかが違うのです。理由を考えると、教職員が皆、着飾っているからだと気づきました。
入学式や卒業式どころではなく、結婚式に呼ばれた時などに着る、取っておきのステージ衣装です(実話)。じゃぁ、何でだろうと考えると、実はその衣装、今日予定されていた別会場での記念祝賀行事のためだけに新調したものなのです。
ところが肝心の記念祝賀行事は、今回の新潟県中越地震の被災者への配慮から、直前になってキャンセルされてしまいました。
先生方としては、当初の予定通り、その一張羅(いっちょうら)を着ていらしたということなのですね。このところ新潟県内では、各種の祝賀行事は一律自粛モード。
もちろんその理由を理解できなくはないのですが、やはりどこか違う。
確かにお祝いする雰囲気ではないけれど、祝賀行事をやめれば問題は解決するのでしょうか?
水害などでは顕著なのですが、地震でも場所によって被害の様子が大きく異なります。被害が集中している地域のまさにその隣では、何も被害を受けていなかったりします。
大きく見れば同じ被災地域なのに、実際には、たまたまその家や家族に具体的な被害が出なかっただけで、あたかも何事もなかったかのように普通の生活が続いています。
ある意味、確かにそうでしょう。
でも大事なことは、被害を受けた人、いろんな意味で弱い人の「痛み」──これがツボ──をわかった上でどう行動するか(あるいは、できないか)だと思います。
でもどうやら、他人の痛みを全然理解していない人が意外に多いらしい......。
家の中の泥水をかき出す必要がある水害などと違って、地震の場合には現在、ボランティアなどの第三者ができることは限られています。
しかし長期的に見た場合には、細く、長い支援が必要で、ボランティアの活動は大いに期待されるはずなのに、それに対応した動きは政府にも、地域の行政にも、そして誰よりも被災者の隣にいるはずの住民──西村センセイを含みます──にもなかなか見えてきません。
センセイ自身もいろんな仕事を抱えていて(以上、完全な言い訳)、できることは限られているのですが、今回の震災で、県内から参加したボランティアよりも、県外からのボランティアの数が多いって、これはどこか変ですよね。
実際問題として、募金以外、センセイに何ができるんだろう......。
ホントに考えています。
■11月5日(金) 大学近くの「らーめん世界」は、美味し〜い!!
先日のこと。
打ち合わせを兼ねて、同僚らと外で昼食を取ることになりました。勤務中ですから、そんなに遠くへは行けません。
帰り道、大学の近くに新規開店した「らーめん世界」のそばを通ったので、当然のようにこのお店が話題になりました。
関係者曰く、とても美味しいとのこと。「らーめん世界」は金沢市内に何店舗かをかまえる、地元では超有名──有名さはチャンカレ(こちらなど)や第七餃子(こちら)と肩を並べる──なお店です。
本店がセンセイのアパートの近くにあって、実は西村センセイ、一度だけ入ったことがあるのです。
でも出された豚骨博多風ラーメン、クセが強すぎて......。で、たまたま最近、近くを通過するチャンスがあったので、この新しいお店に入ってみました。
初めてで良くわからなかったので、とりあえずメニューの冒頭にある「ラーメン」を注文。女性店員からは威勢の良い返事が返ってきます。
オーダーを終えてから、他のお客から「味噌」だの「○○入り」だの「四川(しせん)」だのと、オーダーがいろいろ聞こえてきましたが、すべて無視(というか次の機会に)。
程なく出てきたのは豚骨ラーメン。麺は少な目です。
本場の博多ラーメン(こちら)の麺は、蕎麦(そば)に似たストレートで短めの渋い味の麺。新潟のきんしゃい亭もそうです。
でも「らーめん世界」の麺はと言うと、違う。縮れ麺で、しかもやや太い。
最も違うのは麺とスープの関係で、麺がスープと良く馴染んでいるので、スープの美味しさを麺が良く吸収して一体となっています。
ここが先日の九一ラーメン(こちら)と違うところ。きっと良く揉んだ縮れ麺の微細な穴に、美味しさのエッセンスが入り込むのでしょう。これが本家博多ラーメンかと問われると難しいのですが、とても工夫されていて、何よりも、美味しい!! アパート近くの本店(?)より、格段に美味しいです。ホント。
西村センセイ、加齢や肝臓の痛み具合の関係で、もう油っぽいものはもうあまり食べられません。食べようという気にならないのです。
個人的にはもう二度と訪れることがないお店かもしれませんが、でも掛け値なしに、確かに美味しいのです。
こういう旬のお店って、確かにありますよね。
そうそう。このお店のラーメンを手本に、インスタントラーメンが地域・コンビニ店舗限定で販売されています。センセイもサンクスで買って一度だけ食べてみたことがあります。
良く似せてあるとは思うのですが......続きはご自分の味覚でご確認を。
学会の開催(こちら)を来週末に控えているので、印刷屋さんがセンセイの研究室に頻繁に出入りしています。
本来の仕事を終えて、印刷屋さんが何やら小さなパンフレットの見本を取り出しました。年賀状の見本です。
聞くところによると、最近はコンビニなどでの印刷も増えているので、印刷屋さんはなかなか苦しいのだそうです。11月から12月は書き入れ時のような感じがするのですが、そうでもないらしい。
印刷屋さんが去り、あちこち片付けてからふと目がとまったので、さっきの見本を開いてみると...
え"っ!? 来年は酉(とり)年なんだぁー!!
それがどうしたって?
実は西村センセイは1957年生まれの酉年なのです。
ということは干支(えと)が4周することであり、誕生日が来ると何と48歳!!
ぎょえー!! 信じられない!!
このごろは自分の年齢にあまり興味はなかったのですが、これは大事(おおごと)だぁー。
センセイの誕生日は12月なので、センセイは現在46歳。 だからいきなり48歳にジャンプしてしまうようで、何だか変な気分です。
ちなみに、センセイの娘は、センセイが36歳の時の子供。干支が3周した同じ酉年なのです。
来年は何かありそうだなぁー。
■11月3日(水:祝日) 柏崎に博多ラーメンの屋台がやってきた
センセイが住む新潟県柏崎市に、9月末から「九一ラーメン」という移動式の大きなラーメンの屋台がやってきました。
場所は国道8号線沿い、火事で焼失したオートバックスの跡地です。「九一」は「きゅういち」と読み、「九州で一番美味しい」を意味するようです。
¥ 全国を転々として営業しているらしく、柏崎は12月上旬まで滞在するとのこと。
そもそも柏崎にいる時間が短いので、なかなか立ち寄るチャンスがなかったのですが、停まっている車の数からすると、かなり繁盛しているようです。
で、先日、やっとセンセイも入ってみました。
変な時間帯だったので、お客はまばら。
一番オーソドックスな博多ラーメンを頼みました。
最近流行りのトンコツ醤油/味噌系のものもあったのですが、そちらはパス。程なく例の細麺の博多ラーメンが届けられました。
さっそく頂戴したのですが、期待していたほどには、そして博多の長浜で食べたもの(こちら)ほどには美味しくない(水準以上ではあります。念のため)。
新潟市の有名な「きんしゃい亭」──開店当初から知っています──にはとてもかなわない。なぜだろうと考えていたのですが、まず麺とスープがバラバラ。スープはまぁ美味しいと思うのですが、麺がゴワゴワでスープとなじんでいません。
それに、よぉーく味わってみるとそのスープも今風の味を意識しすぎているようで、どうも落ち着かない。そしてもう一つ。
地震の被害があちこちに残っているので、何だか、ゆったりと食べ物を味わうような雰囲気ではないのです。
もちろんこれはお店のせいではないのですけど。
新潟県第二の都市、長岡市の地震被害が大きいこと、それもどうやら場所によってずいぶん被害が違うことがわかってきました。
叔父(故人)の家があった長岡市東部の被害もかなり大きかったようです。叔父の家は、昔、池だった所を埋め立てたので、ずいぶんひどいことになっているんだろうなぁー。
ふと気づいて、叔父の家の近くにある、国立長岡工業高等専門学校のサイト(こちら)をのぞいてみました。
イヤな予感がしたのです。残念ながら予想通り、長岡高専は甚大な被害を受けており、構内にはまったく立ち入れない状態だそうです。
そのため、事務部および対策本部は市街地反対側の丘の上にある長岡技術科学大学を間借りしているとのこと。
実はこの長岡高専、センセイが中学生の時にちょっとだけ進学を考えた学校なのです。
最終的には地域の普通高校へ進んだのですが、当時は高専に進む人もかなりいたのです。長岡高専は約40年程までに創立された学校で、後者はかなり老朽化していました。
近くの長岡大学(私立)や、長岡技科大はあまり被害を受けていないのと対照的です。それでもホームページの行間から、学生を思いやる心と再起への意気込みが感じられます。
がんばって欲しいものです。
■11月1日(月) 被災地で気づいたこと ──活躍する技術者たち──
被災地で西村センセイが気づいたことをいくつか。
壊れた家は古いものが多い。テレビで見ても同じ印象を持ちます。
新しい家は、部分的に破損することはあっても「グチャッ」と潰れている家は見ませんでした。
建ててから時間が経ったからではなく、20年ほど前に建築基準が変わり、耐震性が強化されたのです。この変更はやはり有効だったと思います。
技術者の卵の皆さん、より良い社会を「設計」する、一つの好例として考えましょう。
その2。
昨日、県外ナンバーの車が増えたとお伝えしましたが、同じ県外ナンバーでも、何人かが乗った白いバンもたくさん走っています。
親族を訪ねてきた自家用車ではなく、被災地のライフラインを復旧させるために全国から派遣されてきた技術者たちです。本当に全国から派遣されていて、函館や九州からの車もあります。
普段は目立ちませんが、この社会を支えている技術者たちです。
皆さん、自信と誇りを持ちましょう。
■10月31日(日) パジャマを着ようとしない子供、錆びつく線路 ──地震の新潟から戻りました──
新潟から金沢へ戻りました。
昨日の夜はページを更新できず、申し訳ありませんでした。
実は被災した十日町の弟の子供たちが急遽実家へ避難してきていて、その対応に追われていたのです。
こちらでも一部お伝えしたように、昨日までには電気もガスも復旧したので、学校が再開されるまでのしばらくの間だけ子供たちを実家に預けて、夫婦で後片づけをするそうです。
現在のところ大きな片付けものはないそうですし、他の被災者の邪魔になるので、地域が落ち着くまで、弟宅を訪問しないことにしました。
やはり子供たちはとても傷ついています。
寝る段になって、パジャマを着ようとしないので訳を尋ねると、余震が怖いとのこと。結局、この日は普通の服のままで寝てしまいました。
幸いにも実家は無傷だったのですが、実は僥倖(ぎょうこう)だったことがわかりました。
実家の近くでもよく見ると崖が崩れ、石垣や門柱が倒れ、屋根にはシートがかかっています。川縁の家では、地盤が崩れていました。
あちこちの被害の様子を見ていると、主に震源地からの距離と、地盤で被害が大きく変わっていることに気づきます。
地盤が悪い所では、たとえ震源地から遠くてもかなり激しく揺れて被害を出しているようです。
自宅近くのJR信越本線の復旧の見通しは立ちません。一週間まったく列車が走らなかった線路は赤茶色に錆び始めています。
JR東日本は、一足先に復旧した越後線を使って、新潟─柏崎─直江津─長野間に写真の快速列車を走らせています。新潟市から長野新幹線を利用して首都圏へ向かえるようにするためです。
数年前に北海道の有珠山が噴火して室蘭本線が不通になった時に、本数の少ない函館本線を利用したのと似ています。
普段は短編成の各駅停車しか走らない越後線を特急車両が走るのはとても不思議な気分です。
新潟支社の車両だけでは足りないようで、どこから借り出したのか、旧型の特急車両も走っています。残念ながらまだよく知られていないためか、利用者はまだ少ないようです。
車を走らせていると、この週末は県外ナンバーの乗用車が多いことに気づきます。親族などが駆けつけているんですね。
けれど、被災地を離れると、街の雰囲気は一変し、地震なんてどこの話? という雰囲気です。特にテレビニュースを見ていると、目の前の現実とブラウン管の中の映像とのギャップに、言いしれぬ違和感を持ってしまいます。
西村センセイ、明日からは平常営業です。